「0008」 論文 大乗仏教―マハーヤーナ・ブディズム について(2) 鴨川光筆 2009年3月13日

 

縁起とは相関理論、均衡理論、エクィリブリアムのことである
 
 中道、中観派の思想を語るとき「空、仮称、縁起は同じものである」とは三宝であるとか三諦(さんたい)であるとかいろいろ言われています。

 私は、それらのことはすべて的を射ていないものだ、と思っています。すべて簡単なことを難しくしてしまった、本質を得ていない言説であると思っています。そして虚無主義、否定主義というのも間違いであると思っています。

 空の思想、中道の思想とは仏教で言われる縁起(えんき)のことです。私は、はっきりとこの考えを支持します。中村氏は前掲書の中で引き続きチャンドラキールティを引用してこの考えの確かさを述べています。

 中村氏によれば、チャンドラキールティは虚無論者たちを否定し「そうではない。何故か。何となれば中観派は縁起論者であって」(『竜樹』、159ページ)といっています。

 では縁起とは何でしょうか。これは実はリレティヴィティ(relativity)のことです。リレティヴィティとは相関性(そうかんせい)のことです。アインシュタインの相対性理論はセオリー・オブ・リレティヴィティといってこの縁起・中道理論と本質はまったく同じです。

 縁起というのはいろいろな仏教関係の本を読むと難しいことを言っていてよくわからないものばかりです。これはやはりクマラジーヴァの訳によるところが大きいようです。

 クマラジーヴァは『中論』に出てくる縁起に関する箇所を「因と縁によって生じること」というように解釈して、縁起を因果関係ととらえてしまったのです。因果関係とは原因と結果のことでコーザリティといいます。ものが起こるということにはすべて原因、理由があるという論理です。

 少し話は飛びますが、論理には全部で5つあります。物事を並べていく列挙、これには時間の順で述べていく時系列と、順序には関係なく述べていく並列があります。似たものを比べる比較、違うものをあげていく対象、道順とかを説明するスペイシャル・オーダー(special order)、それに因果関係(causality)があります。

 縁起とはそれらの論理、ロジックのどれでもないのです。 どうもこの因果律というのは、プロティノスの始めたネオ・プラトニズムの流出理論と関係があるらしいのです。縁起とは中村氏によれば相依性(そうえしょう)という考え方だそうです。そう衣装とは相互依存という注がついていました。『竜樹』から引用します。
 
(引用開始)

 『中論』の主張する縁起とは相依性(相互依存)の意味であると考えられている。『中論』の詩句の中には相依性という語は一度も出てこないが、しかし縁起が相依性の意味であることは注釈によって明らかである。

 たとえば第八章(行為と行為主体との考察)においては、行為と行為主体が互いに離れて独立に存在することは不可能であるということを証明したあとで、
「行為によって行為主体がある。またその行為主体によって行為がはたらく。その他の成立の原因をわれわれは見ない」(第一二詩)
と結んでいる。すなわち行為と行為主体とは互いに相依って成立しているのであり、相依性以外に両者の成立しうる理由は考えられないという意味である。

 チャンドラキールティの註によるとこの詩句は「陽炎(かげろう)のような世俗の事物は相依性のみを承認することによって成立する。ほかの理由によっては成立しない」(『プラサンナバター』、189ページ)ということを説いているという。故にこの詩句の意味する「甲によって乙がある」ということを相依性と命名しているとみてよいと思う。(182ページ)

(引用終わり)

 この相依性とはもっというと相関性、リレティヴィティのことです。リレティヴィティとは相互に関係のある物事のことのことなのですから、相対性(そうたいせい)という訳語は間違いです。相対性理論というのも間違いで相関性理論というのが正しい言葉です。

 この2つの物事には中という状態があり、物事は相関状態にある、すべてのものには関わりがあるという考え方。これはじつは均衡理論といいます。エクィリブリアム・セオリーといってアリストテレスが提唱した中庸思想とまったく同じものではないか、というのが私の考えです。仏教の本質を解きほぐしていけばいくほどそれに近づいていきます。

 アリストテレスはこの理論で人類史上初めて「商売をやっていいよ、やっても悪いことではない」ということを精密な論理で理論づけたのです。

 アリストテレスの中庸は、「物事を行き過ぎることはいけない、ほどほどがいいのだ」ということです。これと同様のことが『スッタニパータ』に書かれています。またこれを理論付けるためにエクィリブリアムという思想が考え出されたのですが、同じことがナーガールジュナの『中論』にも言えます。

 お釈迦様の中道という考え方を理論付けするために相関性、つまり縁起が考え出されたのです。すべての自然法則も人間社会にも相関性がある、すべては相関してできているのだ、という主張から交易(商売)という思想そして貨幣が発明されたのです。

 アリストテレスは、お釈迦様が亡くなられたとほぼ同時期に生まれた人です。アリストテレスのギリシャが文明の西端でお釈迦様の生まれたガンジス川のあたりが文明の東端です。

 この時期、今のイラクのバビロンが、文明の中心で世界の中心でした。ということはこれまで述べてきた中観、中道、中庸の思想が文明県全域に広がり始めた、そう主張する人たちが出現し始めたということなのでしょう。

 この文明の両端をつなげる思想の追究を、今後も続けて行きたいと思います。
 

識、それは人間の脳の中の言葉、マインドのことである
 
 次は法相宗です。法相宗は、正しくは瑜伽行派(ゆがぎょうは)といいます。瑜伽行とはヨガのことです。ヨガを仏教の修行に取り入れた最初の人々です。彼らは、問答もやるのでまさしく禅宗の最初の人たちといえるでしょう。

 瑜伽行派は唯識派(ゆいしきは、ヴィニャナヴァーダ・ブディズム)ともいわれます。こちらのほうがなじみのある言い方なので唯識のほうを使おうと思います。

 じつは日本できちんとその思想が伝わって、教団として成立したのはこの唯識のほうなのです。もう一方の空のほうは、先に説明したリレティヴィズムのことが正しく理解されずに現在も広まっていません。天台宗や華厳宗、浄土教はこの空の思想が微分された思想です。

 微分というのはディファレンシャル(differential)といって、派生し極端化した思想になったということです。ですから元の思想とは似ているようで原形をとどめなくなっているのです。

 識とは、意識のことです。人間の脳の中のことしか認めない人々のことです。意識とは人間の頭の中で考えている言葉、脳の中の言葉のことです。マインド(mind)ともいいます。

 マインドのみが究極の現実であり、人間の体の外にあること、外界のことはすべて間違った認識でしかなく、瞑想とヨガによってのみこの間違った認識を払いのけることができるというのが唯識派の中心思想です(エンサイクロペイディア・ブリタニカ、286ページ)。

 人間の意識の中には阿頼耶識(あらやしき、アラヤ・ヴィニャーナ)というものがあって、これのみが現実のものだということです。阿頼耶識などのことについては小室直樹博士の『日本人のための宗教言論』(徳間書店)をお読みになってください。わかりやすく書かれていてとても興味深い内容です。

 

日本に伝わった大乗仏教を作ったのはヴァズバンドゥ、世親(せしん)

 唯識思想は、4世紀に成立したとされる「入楞伽経(にゅうりょうがきょう)」の中で初めて語られました。入楞伽経はランカ・アヴターラ・スートラといいます。ランカとはスリランカのことです。スリランカに入るという意味で、スリランカがお経の舞台になっているそうです。スリランカ経といっていいでしょう。

 唯識思想はこの楞伽経と「大乗起信論(だいじょうきしんろん)」(マハヤーナ・スラドットパーダ・スートラ)に書かれていたことがベースになっています。「大乗起信論」はアスヴァゴーシャ(馬鳴、めみょう)という人が書いたといわれていますが、本当は作者不明でおそらくは中央アジアか中国でかかれたものだとブリタニカにあります。唯識の故郷はスリランカということです。

 唯識は、この2つのお経と論文をアサンガ(Asanga、無著、むちゃく、270―350)とヴァズバンドゥ(Vasubandhu、世親、せしん、400―480)兄弟がシステマタイズ(系統立て)したものです。

ヴァズバンドゥ(世親)

 特にヴァズバンドゥが重要です。日本に定着した唯一の根本的な大乗仏教思想が唯識なのです。ということは日本の仏教を作ったのはこのヴァズバンドゥということになるのです。

 この2人の兄弟には師匠がいて。それがマイトレーヤ(Maitreya、西暦270―350年)だというのです。マイトレーヤとは弥勒(みろく)のことです。あの有名な菩薩様のことです。ですから実在が疑問視されています。

 このヴァズバンドゥがなぜ重要かというと、唯識の根本論書を書いたからです。唯識のベーシック・テキストは「唯識三十論頌(ゆいしきさんじゅうろんじゅ)」(トリムシーカ・ヴィニャプティマートラータ・シーディ)といいます。これがさきの2つのお経の中で述べられた識、人間の意識に関する思想を論理化したものなのです。

 「唯識三十論頌」はヴァズバンドゥの代表作で、自己の唯識思想を30の頌(しょう)、歌の中にまとめあげたものです。「瑜伽行唯識派の歴史において新時代を画した書、および法相宗成立の淵源をなす書」ということだそうです。(三枝 充悳著、『世親』 講談社学術文庫)

 一例として内容の翻訳が、「唯識のページ by Manas」というサイトにありましたので、そこから引用します。

(引用開始)

 

一 「わたくし(Atman)」や「ものごと(Dharma)」と名づけているものは仮の姿である。
真にあるのは、「種々の変化の流れ」だ。
仮の姿は、「識(こころ)の所変」により生成し、認識される。
そして、この能変の心は、三つの層がある。

二 なした行為が蓄えられ、その結果を生みだす心と、
無意識に己を思いはかり続ける心と、
外界を五感で認識する心だ。

第一の心を「阿頼耶識」という。
   なした行為がこの心に全て蓄えられ、そして一切の結果を生みだす。

三 阿頼耶識は心の深層にあり、知ることはできない。
執着を受け、行為を蓄えるところであり、認識をする。
常に遍行の心所である触と作意と受と想と思とに相応し、ただ捨受し続ける。

四 この心は、それ自体は無覆無記(白紙の如く、また善悪からも中立)である。
触の心所も同じである。
この心は,激しい河の流れのごとく、常に変転し続ける。
修行がすすみ、阿羅漢の位となると転換される心だ。

五 次に第二の能変の心がある。
この心が末那識だ。
阿頼耶識が転じてこの心が起こり、この心は阿頼耶識自身を認識する。
思量することがその性質であり、また特徴である。

「唯識のページ by Manas」http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8844/

(引用終わり)

 「唯識三十論頌」はヴァズバンドゥ最後の作品のようで、注釈を施さなかったため、ナーランダ学院(Nalanda University)という4世紀当時のインド最大の仏教学院があって、そこの座主(ざす)であったパラマールタ(護法、ごほう)という人が書いた注釈をベースにして、スティラマルティ(安慧、あんえ)の注釈を合わせてできたのが「成唯識論(じょうゆいしきろん)」です。

 ヴァズバンドゥを中国に広めたのはこのスティラマティ(Sthiramati)とパラマールタ(Paramrtha、真締、しんだい)(499―569)というひとでダルマパーラの同期、同士のような人です。

 スティラマルティは南朝梁(りょう)の武帝に招かれて、ヴァズバンドゥの兄アサンガの「摂大乗論(せつだいじょうろん)」と「大乗釈論(だいじょうしゃくろん)」を中国に伝えました。これが中国での唯識思想受け入れの下地になりました。

 パラマールタは「楞伽経」に並ぶ唯識のオリジナルといえる「大乗起信論」を訳しました。そして彼が書いた「ヴァズバンドゥ法師伝」によって中国にヴァズバンドゥという人の存在が知られるようになりました。

 そして、7世紀になってあの玄奘(げんじょう)(600―664)が、インドの仏教学問の中心地であったヴァーラビーに来ました。ここで玄奘はヴァズバンドゥの唯識思想を正当に受け継いでいたダルマパーラの思想を学んで「成唯識論」を翻訳したわけです。これとパラマールタの「転識論(てんしきろん)」を訳、注釈して中国に伝えました。玄奘はダルマパーラの思想系譜の孫弟子にあたります。

玄奘

 

中国語、日本語の前に立ちはだかる「ホンヤク」という問題―和解(わげ)

 これで三論宗と法相宗を軸にした東アジアの仏教の一番大きな柱となる思想とその系譜を概観できたと思います。

 大乗仏教には、もうひとつ密教、ヴァジラヤーナ・ブディズムがありますが、ブリタニカによれば密教は大乗仏教には含まれておらず、独立した別の項目としてまとめられています。利他主義であるとか菩薩主義であるとか思想や形式をほかの大乗仏教と共有しているところが多いので、事実上大乗仏教として考えてもいいのですが、実際はまったく独立した仏教として考えるべきだというのが世界的学問水準としての知識なのでしょう。

 密教は曼荼羅(まんだら)と大日如来(だいにちにょらい)を崇拝する点が特徴的です。密教の研究は東アジアそして日本の歴史と文化に隠されている大きな真実を暴くために非常に重要ですので、今後も調査していきたいと思います。

 最後に翻訳ということに関する中国語と日本語の大問題についてちょっと触れておきたいと思います。

 仏教はインドから中国に伝わりました。その際にさまざまな人々によって翻訳され漢字に置き換えられることで、元の意味が変えられてしまっています。クマラジーヴァがスンニァを空とか縁起と訳してしまったことで本来の思想がまったく変わってしまいました。中観思想の場合はサンスクリット原典が残っているらしいのでまだいいのですが、唯識の場合は玄奘による翻訳によらなくてはなりません。

 西洋の場合でもバビロンやバグダッド、パレスチナなどで研究されたユダヤ、キリスト、イスラム教文献やアリストテレスの書物などは長い時間をかけてアラビア語に訳されたり、ラテン語に訳されてきました。

 その際、アヴェロイスなどのようなコメンテイターズといった注釈者がたくさん出てきて、原点の忠実な解釈を行おうと、多くの学者たちが喧々囂々(けんけんごうごう)の大喧嘩をしてきました。それでもヨーロッパの言葉、今の英語を代表とする言葉は、古代インドやペルシア語、アラビア語などとルーツが同じで、何とか原義に忠実に意味を解釈することができました。

 スンニャは実はリレティヴィティを表すということはその典型だと思います。日本語や中国語だといちいち面倒くさい解釈で何のことだかわからないものも、英語だとすんなり意味がわかります。

 ここに和解(わげ)という問題があるのです。わかいではなく、「わげ」と呼びます。和解というのは翻訳とか注釈というのとちょっと違います。日本には翻訳というのはないのです。ついでに説明するという能力も日本語にはありません。

 日本語にあるのはただの移し変え、当てはめ比喩表現です。類推、アナロジーがせいぜいです。

 江戸時代に『ハルマ和解』という蘭和辞典がありました。初めてのオランダ語辞典です。本来は日本人が独自に作るはずだったのが、手間がかかりすぎて結局はもともとある仏蘭辞典をそのまま和訳したようです。

 これこそがまさに「わげ」なのです。

 「わげ」というのを私は副島隆彦先生が私に話してくれたのを聞いて、ずっと心に引っかかっていたものです。

 「いいか鴨川。わげというのがあってな、日本には翻訳したり説明したりすることはできないんだ。何々はわけ〜といったりするだろ。それしかないんだ」といったのを覚えています。

 これがずっと引っかかっていました。

 これを聞いて私ははっとしました。日本語の翻訳というのは、翻訳ではない。本来の翻訳、トランスレイション(translation)というのは言語を別の言語にただ単純に移し変えるのではなく、意味を忠実に探って別の言い方にするということなのです。ですから日本語の内容をもっとわかりやすく日本語の別の言葉に移し変えて説明することもトランスレイションなのです。

 日本語の翻訳も中国語の翻訳も、これは、漢字によるところが多いのですが、インドから以西の言語を移し変える際に、似たような意味を持つ感じを類推して当てはめるという作業をやっているに過ぎないのです。

 意味がわからなかったり人の名前だったりする場合は音だけをとって当てはめたりする。ただそれだけに過ぎないのです。そういった問題が漢字にも日本語にもあるのです。きちんと説明する、理由を言う、論理を筋立て言うということは日本語ではできないのです。

 こうした「わげ」の問題があって、日本そして中国にも「空、中観」のような抽象的思想も正確に受け止めることのできる言語的土壌がないのです。

 この問題はまた別の機会に述べたいと思います。 

(おわり)