「0026」 論文 アメリカ/ブラック・ムスリムの蠢動(しゅんどう)〜マルコムXとルイス・ファラカン〜 山田宏哉(やまだひろや)筆 2009年4月14日

 

*「ブラック・ムスリム」…直訳すれば黒人イスラム教徒ですが、アメリカにあるイスラム教の宗教団体を示す固有名詞として用います。

 

1.はじめに 

 アメリカの星条旗が画面全体に誇らしげに映し出される。

 その裏でマルコムX(Malcolm X、本名:マルコム・リトル)の力強い演説が始まる。画面は星条旗を移したまま。マルコムは声だけの登場である。マルコムは白人とアメリカ社会の嘘と欺瞞を迫力ある口調と言葉で告発する。マルコムのシャウト(叫び)に合わせて、聴衆の方からもイェー!、イエス!などと怒号が飛びかう。時折り、KKK(クー・クラックス・クラン)が黒人に暴行を加える映像が差し込まれる。

  

マルコムX    KKK

 やがてマルコムの演説に合わせて、星条旗に火がつき燃え始める。ついには星条旗全体に炎が広がり、星条旗は無惨にも焼け落ちる。そして、「X」という文字を型どった部分だけが残る。

 以上は、スパイク・リー監督の『マルコムX』(1992年)のオープニングのシーンである。この映画はジャーナリストのアレックス・ヘイリーがマルコムの口述を記した『マルコムX自伝』を下敷きにしている。濱本武雄・訳『完訳 マルコムX自伝』(中公文庫 2002年)は上下巻合わせて、800ページを超える大著である。自伝を読んでから、この映画を見ると、無駄なシーンが1コマもなく、自伝の中の重要箇所の連続だということに気づくだろう。それでも3時間20分という長さである。

『マルコムX』

 この映画の真骨頂のひとつはマルコムのスピーチの巧みさにあると言えると思う。演説の見栄えも内容も素晴らしいと私は感じた。本当にアメリカが嘘と欺瞞の上に成り立っているのではないか、と感じさせる説得力を持っている。百聞は一見に如かずなので、気になる人は直接この映画を見ていただきたいのだが、本物の演説とはこういうものなのか、ということが実感としてわかった。

 日本でありがちな、ボソボソと作文の棒読みをする演説とは大違いである。ただ、このような歯切れのよいリズムでの演説は、母音の多い日本語では無理なのではないかと、少々寂しい気もする。少なくとも、この映画を日本語吹き替えで見るとしたら、この映画の魅力は激減してしまうだろう。


2.マルコムXとは何者だったのか

 そもそもマルコムXとは何者なのか。

 マルコムXは、黒人のために闘った黒人指導者である。「X」には、本当の自分の正体がわからない、という意味が込められている。マルコムは、若い頃は、ドラッグや売春の斡旋をやって逮捕されている。刑務所の中で黒人イスラム教徒のイライジャ・ムハマド氏の思想に目覚め、以後、ブラック・ムスリム(後のNation of Islam)の人間として頭角をあらわし、黒人運動に身を投じるようになる。自伝や映画を見て気づいた、興味深いことは、マルコムXは、黒人の中で、特別グレていたりしたわけでもないということだ。

 もっとも、小学校の教師に将来の職業について相談した時、「弁護士になりたい」と言ったところ、「現実的にならなければならない。お前は黒んぼ(ニガー)だ。黒んぼが弁護士になるというのは現実的ではない。大工なんかどうだ?」と言われ、少なからぬショックを受けたことはあるが(このシーンは映画でも自伝でも重要シーンとなっている)、これとて直接的にドラッグや売春の斡旋に直接結びつくわけではない。

 それどころか、学校の成績は優秀だった。それが、ごく自然に、犯罪に手を染めるようになる。これが、今も20代の黒人男性の4人に1人が逮捕された経験があるという黒人世界の現実だろう。そして最期には、講壇の上で十数発の弾丸を身体に打ち込まれ、暗殺された。黒人イスラム教団体であるNation of Islamをやめてから11ヵ月後のことである。

 ところで、高校世界史の教科書にマルコムの名は出てこない。「非暴力・非服従」のキング牧師(Martin Luther King)の名前はアメリカの1960年代頃に起こった公民権運動に関連して、必ずといっていいほど出てくるにもかかわらず、である。

 マルコムは、単に白人に対する怒り、憎しみを持っていただけではなく、白人たちの真似をし、白人に対して言いたいことも言えず、ヘラヘラ笑いながら媚びへつらう黒人たちを激しく嫌っていた。マルコムは、このような黒人たちを「腰抜け黒人(アンクル・トム)ども」と呼んで罵倒した。そして、この「腰抜け黒人(アンクル・トム)ども」には、「白人と黒人の融和」を唱える黒人指導者たちも含まれていた。このような人物は、教科書に載せるには好ましからざる人物、ということだろう。

 マルコムXは、キング牧師と比較すれば、過激な人種差別主義者というレッテルを貼られがちである。マルコムXとキング牧師は、その政治的な立場の違いから、仲があまりよくなかったような印象があるが、内面においては深い信頼関係で結びついていたようだ。

 もっとも、マルコムXに比べれば、キング牧師は、ただ「いい人、立派な人、温厚な人」だったというだけで片付いてしまう。やはり私が魅力を感じるのは、キング牧師よりも、マルコムXの方である。

 このマルコムとキングの比較は、現代の黒人指導者、強硬的なルイス・ファラカン(Louis Farrakhan)と穏健なジェシー・ジャクソン(Jesse Jackson)の比較と相似形である。

  

ルイス・ファラカン   ジェシー・ジャクソン

 

2.ブラック・ムスリムの蠢動

 

(1)ブラック・ムスリムの起源

 先述したマルコムXと切っても切れない関係にあるのが、ブラック・ムスリム(Black Muslims)である。ブラック・ムスリムは、公民権運動や白人との融和を求める穏健派の黒人運動とは一線を画し、黒人の分離独立を提唱している。このような立場は黒人の内部でも賛否両論がある。

 そもそも黒人イスラム教徒の組織、ブラック・ムスリムは、自らを「現人神」だとするウォーレス・D・ファード(Wali Farad)によって、1930年に作られた。しかし、ウォーレス・D・ファードは、1934年に謎の失踪を遂げ、代わってイライジャ・ムハマド(Elijah Muhammad)がこの組織の指導者となる。

      

ウォーレス・D・ファード  イライジャ・ムハマド

 マルコムXの自伝からも、ブラック・ムスリムズとムハマドやファードの生い立ちに関する記述を、『完訳 マルコムX自伝』(中公文庫、2002年)から引用する。

(引用はじめ)

 デトロイトでいちばんあとから改宗したレジナルドをはじめ、兄や姉たちはみんなイスラム教徒になっていて、彼らからの手紙に書かれていた「イライジャ・ムハマド尊師」とか、ときには「アラーの使者」と呼ばれる小柄でやさしい男の信者になっていた。その男は「われわれと同様に黒人なんだ」とみんなはいった。イライジャ・ムハマドはアメリカ、ジョージア州のある農場で生まれた。家族とともにデトロイトに移住し、その地で、自らを「現人神」であると主張するウォーレス・D・ファード〔黒人イスラム教団の創設者。一九二〇年代の末ごろより活発な布教活動を行なった〕なる人に出会ったのである。ウォーレス・D・ファードはイライジャ・ムハマドに、アラーの言葉を託した。それは、「この北アメリカの荒野に住まう、一度失われ、いままた見出されたイスラムの民(ネイション・オプ・イスラム)」である黒人たちへの御言葉だった。(303ページ)

(引用終わり)

 

(2)マルコムXの師 イライジャ・ムハマド

 イライジャ・ムハマドが教団を受け継いだ時、メンバーは8,000人程度しかいなかったが、1950から60年代にかけ、マルコムXの宣教活動により、急速に勢力を拡大した。現在では、数十万単位のメンバーがいるはずだ。

 そして、この、イライジャ・ムハマドこそは、マルコムXの生涯をいいようにも悪いようにも決定的に変えることになった人物である。彼は自らを「アラーの使者」(Messenger of Allah)と呼んでいた。

 もっとも、厳密に伝統的なイスラム教の教えに従えば、「現人神」とか「アラーの使者」などマホメットの後に出てきてはならないのである。ただ、ブラック・ムスリムは宗教団体である前に、黒人のための政治団体だったことを考えれば、この辺りは仕方のないことと言える。

 マルコムXが刑務所に服役中、兄弟姉妹から、「黒人についての真実の知識」と題されたイライジャ・ムハマドの教えの核心部分が印刷物とともに送られてきた。

 イライジャ・ムハマドの反白人思想の核心部分を、『マルコムX自伝(上)』から引用する。

(引用はじめ)

 「真実の知識」は、私が得た知識よりもはるかに簡潔に要約されていた。歴史は、白人の手による歴史書で″白人化″され、そのため黒人は″何百年も洗脳されて″きたとあった。地球という星のアフリカと呼ばれる大陸に人類が出現したとき、「最初の人間」は黒かったのに、である。

 白人があいかわらず、四つんばいで洞窟に住んでいたあいだに、最初の人間、すなわち黒人(ブラック・マン)は、偉大な帝国と文明文化を建設した。「悪魔のごとき白人」は、全歴史を通じてその悪魔的本性をむき出しにし、白くないあらゆる人種を略奪し、殺教し、竣辱し、搾取してきたのである。       

 人間の歴史における最大の犯罪は、黒人の人身売買(ブラック・フレッシュ)だった。悪魔のごとき白人はアフリカに出かけてゆき、何百万人もの黒人の男、女、子供たちを殺害し、また、西欧に連行するために拉致し、鎖につなぎ、奴隷船に積んだ。黒人たちは奴隷として働かされ、殴られ、拷問にかけられたのである。

(中略)

 アメリカの黒人奴隷女たちは、所有者である白人によってレイプされた。その結果、最初の黒人奴隷たちの世代のたった三十年ほどのあいだに、本来の皮膚の色さえとどめていない、もともとの姓さえ知らない、アメリカ製の、白人製の、洗脳された一種族が出現しはじめたのである。奴隷所有者は、強姦によってつくられたこの種族を「ニグロ」と呼び、自分の姓を押しつけたのだ。

 新種族ニグロは、自分の母国であるアフリカには異教徒の真っ黒い野蛮人がいて、猿のように木から木へとぶら下がって生きていると教えこまれた。こういった教えを、白人を受け入れ、服従し、崇拝するようにとの狙いで奴隷所有者が教えたその他のあらゆる教えとともに、ニグロは受け入れたのである。

 奴隷所有者は、自分たちの宗教であるキリスト教の教えさえもニグロのなかにそそぎこんだ。地上にあるあらゆる宗教は、少なくともその種族のだれかと似ている神を自分たちの神として認めるように、信者たちを教え導くというのに。ニグロは、その所有者と同じ金髪と白い皮膚と青い目をもった異邦の神を、崇拝するように教えこまれたのである。

 キリスト教はニグロに黒は呪いであると教えた。白いものはすべて善であり、讃美され、尊敬され、愛されるべきであると教えた。キリスト教はニグロに、もしも自分の顔の色が所有者の顔の色である白色で薄められれば薄められるほどに、かえって自分を優れたものであると考えるよう洗脳した。さらに、いつでもべつの頬をさし出し、にやにや笑い、敬礼し、お辞儀し、謙虚であり、歌い、祈り、悪魔の白人の分けあたえてくれるものはなんでも食べ、先の楽しみと現世の彼方の天国を思うようにと、白人のキリスト教によってあざむかれ、洗脳されたのである。一方、所有者である白人は、ほかならぬまさにこの地上にあって、おのれの天国を享受していたのだ。(304−306ページ)

(引用終了)

 山田宏哉です。

 これは、イライジャ・ムハマドとマルコムXのネーション・オブ・イスラム時代、さらにはルイス・ファラカンへとつながる思想そのものである。

 

(3)肌の色の薄い黒人の方が偉い

 また、イライジャ・ムハマドの教説の中で、私が特に気になったのは、「キリスト教はニグロに、もしも自分の顔の色が所有者の顔の色である白色で薄められれば薄められるほどに、かえって自分を優れたものであると考えるよう洗脳した」という部分である。これは黒人内部にも、肌の色による微妙な差別意識があるということを意味している。そして、このような差別意識は、確かに存在するのである。何より、マルコム自身、若い頃、ハスラー(ヤクザ家業)をやっていた時期は黒人の縮れ毛を白人のように真っ直ぐに伸ばすために、髪に強烈な薬品を塗ったりしていた。

 また、例えば、マルコムXの父親、アール・リトルは、「黒人よ、アフリカに帰れ」という主張をする、UNIA(世界黒人向上協会)のオルグ(組織者)であった。だが、結局、おそらくは白人たちに暴行され、線路に寝かせられ、轢死させられる、という悲惨な結末をむかえた気骨のある人物だった。その父にしても、肌の色という烙印から自由ではなく、自分の子供を肌の色で差別するのである。『マルコムX自伝(上)』から引用する。

(引用はじめ)

 父は白人嫌いではあったけれども、潜在意識的には黒人にたいする白人の洗脳にひじょうに影響されていたので、色の比較的黒くない子供にひいきする傾向があったのだと、私ははっきり信じている。私は兄弟中でいちばん色が白かった。当時のたいていの親たちは、色の白い子供には、黒い子供にたいするよりもほとんど本能的に甘かったようだ。これは、「混血(ムラトー)」が見た目がそれだけ白人に近いという理由で上等あつかいされた、あの奴隷制時代の遺習がそのまま伝わったものだった。(25ページ)

(引用終わり)

 

(4)現代の黒人指導者 ルイス・ファラカン

 ブラック・ムスリムに話を戻す。イライジャ・ムハマドの死後、ブラック・ムスリムは、アメリカン・ムスリム・ミッション(American Muslim Mission)とネーション・オブ・イスラム(Nation of Islam)に分裂する。

 アメリカン・ムスリム・ミッションの方は、イライジャ・ムハマドの息子ウォーレス・ムハマド(Wallace D. Muhammad)が作ったもので、国際的なイスラム共同体とも提携し、すべての人種に対して門戸が開かれた。親子とはいえ、これでは、イライジャ・ムハマドの反白人の思想とは折り合わない。

 これに対し、ルイス・ファラカンが設立した、ネーション・オブ・イスラムの方は、イライジャ・ムハマドの反白人の思想と教説を受け継ぐものだった。当然、両者は犬猿の仲だった。しかし、1990年代の後半になると、ネーション・オブ・イスラムの方も、伝統的なイスラムの教えと実践を取り入れるようになる。そして2000年、ファカランとウォーレスは仲直りした。

 ファラカンは現在も精力的に活動しており、2002年8月には、政府を相手取って「過去の奴隷制を償え」という、人によっては非常識にも見えるデモを起こしてメディアを騒がせた。

 現在、ネーション・オブ・イスラムを率いるルイス・ファラカンが一躍、時の人となったのは、おそらく1995年にワシントンで行われた「黒人100万人大行進」だろう。この行進の動員数は、かのキング牧師の動員数を超えた。いまや、ルイス・ファラカンはキング牧師を超える黒人指導者とすら言われる。

 行進のテーマは「贖罪(しょくざい)」と「社会、家族、自分自身への責任」という、1960年代の行進の時の目標であった、公民権の獲得などに比べれば、抽象的なものであった。この行進の様子を伝える記事を引用する。

(引用はじめ)

平和裏の団結 新指導者は強硬派 ワシントンの黒人100万人大行進

 このパワーは、どこに向かうのだろうか。ワシントンで十六日行われた黒人男性による「百万人大行進」。「贖罪(しょくざい)と和解」を掲げ、参加者は口々に「社会、家族、自分自身への責任」を誓った。一九六〇年代の「白人への怒り」を知る者にとって、驚きともいえる平和裏の大集会で示されたのは、アフリカ系市民の団結と、呼び掛け人である強硬派黒人団体「ネーション・オブ・イスラム」のルイス・ファラカン議長の台頭だ。それが、人種間の亀裂が目立つ米社会にどんな流れを呼び起こすのか。クリントン大統領をはじめ、米指導層は計りかねている。(ワシントン=アメリカ総局)

 ファラカン議長は、午後四時前から二時間以上、「いまだに人種で分断され、不平等な」米社会への批判と、黒人男性の責務を説き続けた。参加者は警察当局によると四十万人(主催者発表では百万人を上回る)。六三年に故マーティン・ルーサー・キング牧師が同じ場所で組織した「公民権大行進」の二十数万人を超える、史上最大規模の黒人の集会になった。

  米連邦議事堂を背に、その大群衆を壇上でひきつける議長の姿は、全米にテレビ中継された。「黒人だけの団結」などの過激な言動で物議をかもしてきた同議長が、黒人社会の新たな指導者として認知を迫る「始まり」ともいえる。

 米黒人社会の「既成指導者」ジェシー・ジャクソン師が演説し、人気歌手スティービー・ワンダー氏も登場したが、どちらも、同議長の登壇をもり立てる「前座」に過ぎなかった。

 同議長を「夫マルコムX暗殺の首謀者」と批判してきたベティ・シャバズ夫人も、壇上に並んだ。

 キング牧師でさえ「これほどの人々は集められなかった」と、同議長側近は言った。新たな指導者の誕生を誇示してみせたのだろう。(1995年10月18日付「朝日新聞」)

(引用終わり)

 

3.ルイス・ファラカンとマルコムX暗殺

 

(1)ファラカン曰く「我々のメンバーがマルコム暗殺に関わった」

 もっとも、この活躍するルイス・ファラカンにしても、あまり触れられたくない点がある。マルコムXの暗殺を指揮したのではないか、という疑惑である。

 今や、マルコムXを暗殺したのは、ブラック・ムスリムの人間たちであったことまでは疑う余地がない。何より、イライジャ・ムハマド氏の死後、ネイション・オブ・イスラムを率いている、ファカラン氏自身が、「我々のメンバーがマルコム暗殺に関わった」と証言している。争点はむしろ、ファカラン氏が直接マルコム暗殺の命令を下したか否かにある。

 マルコムXは、自分がブラック・ムスリムの人間に殺されるであろうことを知っていた。マルコムの家が火炎ビンで放火された時、ブラック・ムスリムは「マルコムの自作自演だ」という発表までした。ただし、その一方で、アレックス・ヘイリィに対して次のように語っている。暗殺される直前期である。『マルコムX自伝(下)』の「エピローグ」から引用する。

(引用はじめ)

 「でも、ひとつ耳に入れておくよ――というのは、つまり、最近たてつづけに起こっている事件について考えれば考えるほど、それが黒人イスラム教団の仕業だということにだんだん確信がもてなくなってきたんだ。連中のできること、できないことが俺にはわかっている。ところが最近の一連の事件には、彼らではできそうもないことが混じっているんだ。フランスで俺の身に起こったことを考えるにつれて、黒人イスラム教団の仕業だというのはやめようと思ってるんだ」(336ページ)

(引用終わり)

 山田宏哉です。

 ちなみに、映画ではこのセリフは妻のベティに対して言っている。これはつまりは、ブラック・ムスリムの背後でさらに大きな力を持った組織が操っていたということである。事実、そうだっただろう。社会の支配層にとって、真に都合の悪い人間は消されることになるのだ。マルコムの同時代人では、ケネディがそうだった。

 しかし、皮肉なことにマルコムXの意思と行動を引き継ぎ、現代に体現する者を挙げるとするならば、ルイス・ファラカンを置いて、他にはいないだろう。そもそも、1955年、ルイス・ファラカンをネーション・オブ・イスラムに誘ったのは、他ならぬマルコムXなのである。

 実のところ、私は、マルコムXの思想とルイス・ファラカンの思想の区別がほとんどつかない。マルコムXはイライジャ・ムハマドの女癖の悪さに幻滅し、ネーション・オブ・イスラムを辞めるわけだが、教団の方も、マルコムX一人ばかりがメディアに登場し、目立っていた事にたいして面白くない感情を抱いていた。両者の対立の根底には思想的対立とは別の要因(嫉妬や人間的好き嫌い)があったのだと、私は考えている。また、これはひとえに近親憎悪と呼べるものではないかと思う。

 

(2)マルコムXの娘がファラカン暗殺計画疑惑で逮捕

 さらに、1995年1月12日、マルコムの娘、キビラー・シャバズ氏が、「父の敵討ち」として、ルイス・ファカラン暗殺計画を立てたとして逮捕されるという奇怪な事件が起こっている。しかし、ジャズバ氏が雇った殺し屋が米連邦捜査局(FBI)の協力者だったことなどから、マルコムXの権威失墜や黒人社会の分断を狙った陰謀だとする批判がなされ、結局、起訴は取り下げられた。

 この問題に関して、「アエラ」1995年5月29日号に重要な記事が載っているので、同誌より引用する。

(引用はじめ)

マルコムXの娘の疑惑、歴史的和解? アメリカ(in・short)

 黒人指導者、故マルコムXの娘(三四)にかけられていた、黒人イスラム組織「ネーション・オブ・イスラム」のリーダー、ファラカン師暗殺計画の嫌疑がこのほど取り下げられた。その五日後、ニューヨークでマルコムXの夫人ベティー・シャバズさんとファラカン師の会談が開かれた。

 「歴史的和解」と銘打ち、劇場に千四百人を集めて開かれた会談は、もともと裁判支援の寄付金集めを兼ねて計画。二十五万ドル(約二千万円)が集まったという。

 会談は、ファラカン師の独演会。「我々のメンバーがマルコムX暗殺にかかわったのは悲しむべき事実だが、私は無関係」と潔白を強調。「マルコムXの)娘の起訴は黒人社会の分断を図る政府の陰謀」とぶちあげた。
彼女が雇ったという「殺し屋」がFBI協力者だったことなど、陰謀と疑われても仕方がない事件だった。が、つい最近まで「(ファラカン師の暗殺関与は)公然の秘密」と話していた夫人と、「マルコムXは死に値した」と非難していたファラカン師が、なぜ急に「和解」したのか。

  会場に、黒人のディンキンズ前ニューヨーク市長や黒人指導者ジェシー・ジャクソン師の姿がなかったことの方が注目を集めた。

  今も続く「マルコムX信仰」に乗じて黒人社会での認知を図りたい彼らと、裁判費用を必要とした夫人一家の「利害が一致した」との見方もささやかれている。

(引用終わり)

 山田宏哉です。

 いずれにしても、このように謎は謎のまま、和解が成立してしまった。マルコム暗殺に関して、ファラカン追及の急先鋒だった遺族が日和ってしまっては、私にはこれ以上のことを知る由はない。

 

4.あとがきにかえて

 マルコムXとルイス・ファラカンは、ブラック・ムスリムという一本の軸でつながっている。そして、その背景には、人種差別の哀悲があり、危険な香りもする黒人イスラム教徒ときな臭い現実がうごめいている。その意味で、このレポートのタイトルは「ブラック・ムスリムの蠢動」と名づけた。このような雰囲気を大雑把に感じ取ってもらえれば、筆者の目的は達成されたと言ってよい。

 近年は、アファーマティブ・アクション(Affirmative Action、少数民族に制度的にゲタを履かせて優遇する措置)に対して、かえって黒人を甘えさせて堕落させる、という方面からの批判が強くなっていて、黒人運動も転機を迎えたといえる。単純により自分たちに有利な権利を求めれば、黒人が幸せになれるほど、問題は単純ではないのだ。

 ただ、残念ながら、日本に住み、日本人である私がこのようなレポートを書くには限界がある。理想を言えば、このテーマに関して、私にはまだまだ書かなければならないことがあるだろう。しかし、そもそも私には普段、黒人の人と口をきく機会すらないのだ。池袋や原宿をたむろしていたり、ファッション店の呼び込みをやっている黒人を見るのが関の山である。しかも、彼らがイスラム教徒である確率はあまり高くないだろう。

 それでも、このようにある程度まとまった分量でブラック・ムスリムとその系譜を引くネーション・オブ・イスラムを日本に紹介・報告をすることは、誰かがやらなければならない作業である。幸い、私にとってこの作業は楽しく有益なものだった。あとは、このレポートが読者の方にとっても有益であることを願うばかりである。

 最後に、このレポートを書くにあたって、本文中明記した参照文献の他に

・ネーション・オブ・イスラムの公式サイト
http://www.noi.org/

・ブラックファクト・コム
http://www.blackfact.com/ 

も事実関係の確認などに利用させてもらったことを付記して結びの言葉としたい。

(おわり)