「0044」 翻訳 論文「イスラエル・ロビー」に対する批判に対するミアシャイマーとウォルトの反論:「誤解を正す」(2) 高野淳訳 2009年8月29日
非難 16 イスラエルがアメリカをイラク侵攻に押しやったのだ。こうミアシャイマーとウォルトは主張するが、これは間違いである。本当のところ、イスラエルはイラン(Iran)を最大の脅威だと考えていたのだ。
イスラエルとイスラエル・ロビーがアメリカにイラク攻撃をそそのかしたのだとわれわれは主張した。イスラエル擁護者の何人か、中でもマーティン・クレイマーはこの主張に異議を唱えている。クレイマーの言葉を借りると「これはまったくの誤りで事実の裏づけがない。イラク戦争の前年にイスラエルはアメリカと何度も意見が分かれた。イランが最大の脅威であると説いたからである。それを示すのは容易だ」そうだ。
反論:たくさんのイスラエル人がイランを最大の脅威と考えている。われわれは論文の中でそうはっきり書いた。そして彼らがアメリカ政府の高官にその危険をいかに力説していたかについて触れた。正確にはわれわれはこう言っている。
(引用はじめ)
イスラエル人は、一つ一つの脅威にもっとも厳しい言葉を使いたがる傾向がある。それでも、イスラエルの最も危険な敵はイランだと広くみなされている。なぜならイランは核兵器を手に入れる可能性がもっとも高い敵だからである。事実上すべてのイスラエル人は、中東のイスラム諸国が核兵器を持つことを自分たちの存在への脅威だとみなす。イスラエルの国防相ベンヤミン・ベン・エリエゼル(Binyamin Ben-Eliezer)はイラク戦争の1ヶ月前にこう発言した。「イラクは問題である。しかし、私に言わせれば、今日ではイラクよりイランの方が危険である。こう理解していただくのがよろしい」と。
(引用終わり)
イランが最大の脅威であるとみなされていた。にもかかわらず、イスラエルとイスラエル・ロビーはアメリカをイラク攻撃に向わせようと力を加えていた。イスラエル高官は、アメリカがまずバグダッドではなくテヘランを叩いてもらいたいと思っていたかもしれない。しかし、クレイマーも認めているように、彼らは、アメリカがサダム追放を決断したことを残念だとは思わなかった。そして決して戦争への動きを止めようとしなかった。それどころかまったく逆だった。
われわれが論文で報告したように、イスラエルの元首相ビンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)とエフード・バラク(Ehud Barak)はともにサダム追放のための戦争推奨論を発表している。それはアメリカの主要日刊紙「ウォール・ストリート・ジャーナル(Wall Street Journal)」と「ニューヨーク・タイムズ(New York Times)」の社説対抗ページでのことだ。また、イスラエルの外相シモン・ペレス(Simon Perez)は2002年9月に記者たちに語っている。「反サダム・フセインの作戦は必須事項である」と。これらは、コリン・パウエル(Colin Powell)国務長官が国連安全保障理事会(U.N. Security Council)で悪名高い概況説明(ブリーフィング)行う数ヶ月前のことだ。
バラクとネタニヤフ シモン・ペレス コリン・パウエル
そして、連邦議会の軍事力使用承認投票前に行われたことだ。また、クリントン元大統領は最近こう述懐している。「私の知っていたすべてのイスラエルの政治家はサダム・フセインの脅威を非常に大きいものと考えていた。だからたとえ彼が大量破壊兵器(weapons of mass destruction)を持っていなくても排除されるべきであると考えていた」。イスラエルの世論はイラク戦争を大歓迎していた。そして「ワシントン・ポスト」「ハアレツ」「ウォール・ストリート・ジャーナル」はどれも次のように伝える記事を発表した。イスラエルの政治エリート、軍事エリートの間で戦争は強い支持を得ていると。もちろん、イスラエルの勧めはアメリカが戦争に突入した唯一の理由ではなかった。といって、イスラエルは戦争をそそのかしていないと言ったらそれは間違いである。
非難 19:論文の中でミアシャイマーとウォルトは、フィリップ・ゼリコウ(Philip Zelikow)の発言を不正確に引用している。彼は大統領外国情報諮問委員会の元メンバーで国務長官コンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)の現顧問である。ゼリコウによると、彼は決して「イラク戦争は一部イスラエルの安全保障確保のために戦われた」などと言っていないそうだ。
ライスとゼリコウ
フィリップ・ゼリコウは「ロンドン・リヴュー・オブ・ブックス」へ書簡を送り、われわれの主張に反論した。ゼリコウはこう言い張る。話をしたのは主に1990−1991年の湾岸戦争についてで、2003年3月のアメリカのイラク侵攻の決定についてではなかったと。また次のように言明している。ヴァージニア大学(University of Virginia)での発言は「アメリカがイラクとの戦争に踏み込むべきかどうか、あるいはいつ戦争に踏み込むべきかについていかなる見解も表明していない」と。
反論:ゼリコウの主張はどれも事実ではない。彼は、ヴァージニア大学で、9.11の一周年行事として講演を行った。彼が登壇したことをエマド・メカイが報じている。メカイは評価の高いジャーナリストだ。彼は正規の通信社である「インター・プレス・サービス」に移る前には、ロイター(Reuters)とニューヨーク・タイムズに勤務している。メカイの報道は「インター・プレス・サービス」を通じて配信され、後にアジア・タイムズ・オンラインで公表された。
われわれは、2002年9月10日になされたゼリコウのイラクに関する発言記録の全文を持っている。重要となる発言を以下に抜粋する。発言は次のことを示している。1)ゼリコウが焦点をあてていたのは2002年から2003年にかけてのイラクと戦争になる可能性であって第一次湾岸戦争ではないこと、2)彼は新たなイラク戦争を支持していたこと、3)イラクはイスラエルにとって差し迫った脅威であるがアメリカにとっては脅威ではないと彼が考えていたこと。
ゼリコウははじめに聴衆にこう言っている。イラクについて討論会でどちらの側からも出されていない点を述べてみたいと。
(引用はじめ)
第三は、語られていない脅威。ここで、私は[ブッシュ]政権をすこし批判します。というのは、彼らが何度も行っているのは、「これはアメリカに対する脅威についてのものだ」という議論だからです。みな「イラクからのアメリカへの差し迫った脅威を示してくれ。なぜイラクがアメリカを攻撃するのか、なぜわれわれに核兵器を使うというのか示してくれ」と言うのです。そこで、私が考えていることをみなさんに教えましょう。何が本当の脅威かを。もっと言うと1990年から今にいたるまで何が本当の脅威だったのかを。
それは、イスラエルに対する脅威なのです。そして、これは、あえて名を名乗らない脅威なのです。というのは、率直に言いますと、ヨーロッパ人たちが、この脅威についてさして気に止めていないからです。そして、アメリカ政府は、言葉の上で、あまり強くこの脅威を強調したくないのです。なぜなら、これがあまり人気商品ではないからです。
さて、もし危険が、ハマスに手渡された生物兵器であるとしたら、そのときアメリカの選択肢はなんでしょうか?イラクとアル・カイダのつながりに目を向けずに、こんどはこう自問して下さい。「おやイラクはハマスとつながっているのか? パレスチナ人のイスラム聖戦とはつながっているのか? イスラエルで自爆攻撃を行っている者たちとはつながっているのか?」と。答えは簡単ですね。そして、証拠はたくさんあります。
たしかに、世界には、そのほかにも問題がたくさんありますよ。ちなみに、わたしの見方はこうです。イラクを後回しにせず直ちに対処したほうがわれわれにとって都合がいい。これが結論です。ほかの問題を詳しく検討すればするほど、またアメリカと中東のための総括的戦略を組み上げようとすればするほど、ますます私はこの結論へと導かれるのです。というのは、ほかの問題がこの先容易になることはないからです。そして、イラク問題は目下のところおかしな取り合わせになっているのです。今、イラクは軍事的には非常に弱くて、非常に危険だという状況にあるのです。いま、直ちに行動するのにもってこいの取り合わせなのです。しかし、もし、われわれが2年待ち、そのときテロリストによるもう一つ別の大きな攻撃がアメリカにおきていたらどうします。そのときイラクに対する行動は今より容易でしょうか? そのテロリストの攻撃がイラクからのものでなかったとしてもです。答えは「No」ですよ
(引用終わり)
要するに、歴史を書き換えようとしているのはわれわれでなくゼリコウである。2002年の彼はすばらしいほど率直だった。しかし2006年はそうでなかったのだ。
われわれはゼリコウと、LRBに間に立ってもらって、書簡のやりとりをした。ゼリコウの全文はその中で見ることができる。アドレスは以下の通り。http://www.lrb.co.uk/v28/n10/letters.html
要約:イスラエル擁護者がわれわれの論文あるいはわれわれ個人に非難を向けた。その主要な非難の実質的にすべては説得的ではない。われわれは、次に、イスラエルの歴史家ベニー・モリスがわれわれに向けた一連の非難に目を転じる。それらは「ニュー・リパブリック(New Republic)」2006年5月8日号に掲載された長い論文「事実はこうだ」の中で提示されたものである。
ベニー・モリス
モリスの批判
一見すると、モリスがわれわれの論文を批判したことは論文にとって決定的打撃のように思える。というのは、モリスは尊敬を受けている歴史家であるからだ。そして、われわれは自説の裏付けとして、彼の著作をいくつか引用しているからである。もし、われわれが頼りとする学者のひとりが、われわれの論文にそんなに批判的だとしたら、論文に何か深刻な誤りがあるにちがいないということにならないだろうか?
答えは、「No」である。はじめに、大部分のモリスの非難は、このロビーについての、あるいはロビーの影響力についてのわれわれの主要な議論を扱っていない。その代わり、彼は主としてさまざまな歴史上の問題に集中している。
モリスの非難は大きなものが5つ、そして細かいものがいくつかある。しかし、慎重に検討してみると、彼の非難はいずれも受け入れ難いものである。何よりの証拠として、彼自身の過去の著作が今回の論文に対する批判と直接矛盾するのだ。
モリスの非難 第五:キャンプ・デイヴィッドでのバラク政権の提案について、ミアシャイマーとウォルトの記述は誤っている。これは、気前のよい提案だった。そして、2000年12月のいわゆるクリントン指針により、この条件はさらに改善されたのだ。イスラエルはクリントンの提案を受け容れたが、パレスチナ側はこれを拒否した。パレスチナ指導部、特にPLO議長のヤセル・アラファト(Yasser Arafat)が国家創設提案を拒否する選択をし、代わりに暴力へと方向転換した。こうして、オスロ和平プロセスは失敗したのである。
アラファト議長
モリスはずっと最近の出来事に目を向ける。そして、次のように断言する。エフード・バラク首相が2000年にパレスチナ側に提案した「気前のよい」条件をわれわれが正しく伝えていないと。正確には「ニュー・リパブリック」論文で、モリスはこう主張している。「パレスチナ側は2000年7月のキャンプ・デイヴィッドで取引を提示されていた。取引はパレスチナ側がヨルダン川西岸の90から91パーセントと、ガザの100パーセント、そして東エルサレムの一部の支配権を手にするものだった」。モリスは、コメントの中で次のように示唆している。西岸地区はイスラエルの入植地と接続道路によってばらばらの飛び地にはならないようになっていた。しかし、アラファトはこの気前のよい申し出をつっぱね、「第二次インティファーダ(Intifada)を開始した」のだと。モリスは続けて言う。2000年12月にイスラエルは「取引条件を改善し、パレスチナに西岸地区の94から96パーセントを申し出た。(失う分の4から6パーセントは他の場所で領土の埋め合わせを行うとするものだった)パレスチナ側は再度つっぱねて、銃撃を続けた。イスラエルの内閣は、ふさいだ気分でクリントン指針に同意を示した」。(28―29ページ)
反論:その後を左右した2000年の和平プロセスについてのモリスの説明は、イスラエルとアメリカ両国の通説に沿うものだ。他の何人かのわれわれの批判者(例えば、デニス・ロス、アラン・ダーショウィッツ)がこの非難をしているのも不思議はない。しかしながら、この説は大部分神話である。バラクは、パレスチナ国家を申し出た最初のそして唯一のイスラエル指導者の名誉を受けるには値する。しかし彼がキャンプ・デイヴィッドでパレスチナ側に申し出た条件は、「気前がよい」とは言い難い。キャンプ・デイヴィッドでのバラクの最善の提案は、パレスチナに西岸地区の91パーセントを約束するものだった。モリスがこう言っていることは正しい。しかし、パレスチナ側の視点からすると、この提案には大きな問題があった。
イスラエルはこの地域のおよそ10パーセントに当たるヨルダン川流域の支配権を6年から21年間、握り続ける計画をしていた。これは、パレスチナ側に直ちに与えられる支配権が西岸地区の81パーセントであって、91パーセントではないことを意味した。もちろん、パレスチナ側は、イスラエルがヨルダン川低地の支配権を手放すかどうか確信はない。これに加えて、パレスチナ側はイスラエルより西岸地区を広く定義していたのだ。この差は、係争領域のおよそ5パーセントに達した。ということは、パレスチナ側が直ちに手にするのは西岸地区の76パーセントだ。それが将来いつの時点かで86パーセントになるかもしれないということだった。パレスチナ側にとって、この取引の受け容れを特に困難にしたのは次の事情だ。彼らは既に(オスロの合意で)、もともとの英国委任統治領の78パーセントに対してイスラエルの主権を認めることに同意してしまっていたことである。パレスチナの視点からすると、彼らは今ふたたび大きな譲歩をするよう求められたことになる。残りの22パーセントの土地に対して、最大86パーセントで受け容れせよと求められていたのだ。
さらに、キャンプ・デイヴィッドでのイスラエルの最終提案は、西岸地区でパレスチナ側に一つづきの自治領を与えるものではなかった。パレスチナ側は、西岸地区が3つの郡に分割されることになってしまうと強く主張した。イスラエルは、決ってこの主張を否定した。しかし、バラク自身は次のとおり認めている。「イスラエルはエルサレムからヨルダン川低地までつながる剃刀のように細いくさび状の領土を支配し続けることになっただろう」と。このくさびは西岸地区を完全に2分する。そして、イスラエルがヨルダン川低地の支配権をさらに6年から20年間握るための計画にとって欠かせないものだった。バラクのエルサレム分割計画は正しい方向への大きな一歩であった。しかし、パレスチナ側は、東エルサレムのいくつかのアラブ人居住地で、完全な主権を与えられるわけではなかった。また、イスラエルは新パレスチナ国家の国境、領空、水資源の支配権を持ち続けたはずだ。そして、パレスチナ人は自らを守る軍隊の創設を恒久的に阻まれることになるのであった。
このような条件を受け容れる指導者など想像するのは困難である。世界でこのように制約された主権を持つ国家はないことは確かだ。あるいは実際の経済と社会を建設するのに、これほどの障害に直面している国家もないことは確かである。これらを考えあわせると、バラクの前の外相シュロモ・ベン−アミ(キャンプ・デイヴィドの参加者中の重要人物)が後にあるインターヴューでこう語っているのも当然と言える。「もしわたしがパレスチナ人だとしたら、私もまたキャンプ・デイヴィッド提案を拒否していただろう」と。
既に議論したように、入手可能な証拠をみる限り、アラファトとパレスチナ自治政府が2000年秋の第二次インティファーダをはじめたという非難を支持するものはない。また、アラファトはクリントンの2000年12月の提案も拒否していない。ホワイトハウスの報道官ジェイク・シーワート(Jake Siewert)は2001年1月3日にこう発表している。「両者は今のところ、いくつか保留はあるものの、大統領の案を受け容れています」と。そしてクリントンは4日後のイスラエル政策フォーラム(Israel Policy Forum)での演説でこの点を確認している。実際に、イスラエルとパレスチナの交渉は、エジプトのタバで2001年1月下旬まで続いた。このとき対話を打ち切ったのはアラファトでなくエフード・バラクだった。バラクの後継者アリエル・シャロン(Ariel Sharon)は対話再開を拒否した。そして、ロビーの後押しも受けて、ついにはブッシュ政権を説き伏せた。つまりイスラエルによる単独解決策の押し付けをブッシュに支持させたのだ。この単独解決策は、西岸地区の大部分をイスラエルの支配下に置き続けようとするものだった。
アリエル・シャロン
モリスのあまり重要でない非難
五つの主要な非難に加えて、モリスはあまり重要でない歴史上の点に関してもたくさんわれわれに異議を唱えている。
重要でない非難の第四。われわれはアラブ人がパレスチナを1300年間ずっと領有していたと主張した。モリスはこれに異議を唱える。これは、われわれ議論の中心問題ではない。また特に論争的なものでもない。したがって、彼がなぜこの点を論じているのかわれわれにはよくわからない。それでも、われわれは自分たちの主張が正しいと考えている。パレスチナと呼ばれてきた地域は、7世紀半ばまでローマ帝国(Roman Empire)とビザンチン帝国(Byzantine Empire)に支配されていた。そして7世紀半ばにアラビア半島から来たイスラム教徒の軍の手に落ちた。それから400年を超える間、アラビア人の手中にとどまった。この間に、ほとんどの人口はイスラム教に改宗し、自分たちをアラブ人として意識するようになった。パレスチナは、この後、セルジューク・トルコ(Great Seljuq Empire)、十字軍(Crusades)、モンゴル(Mongolia)、マムルーク(Mamluk)、オスマン・トルコ(Ottoman Empire)、そして英国に支配された。
7世紀以降のパレスチナは、支配者こそさまざまに変わったが、そこに住む者たちには大きな変化がなかった。例えば、オスマン・トルコ帝国と大英帝国は、土着の人たちを追放することはなかった。自国の人々を移民させることもなかった。そのかわりに彼らは、小人数の統治者をパレスチナにつれてきた。アラブの文化、イスラム教文化の中で何世紀もそこに住んでいる人々を統治するためだった。こうした歴史に基づいて、われわれはこのあまり重要でない問題について主張したのだ。モリスの他のすべての瑣末な論点と同様に、この問題はわれわれのイスラエル・ロビーについての中心議論にとってほとんど重要ではない。
全体としてみると、モリスの批判はまったく勝ち目のない骨折りである。というのも、彼は、事実にも反し自らの学問業績とも相容れないことを立証しようとしているからだ。結果がちょっとした混乱になったとしても不思議はない。いずれにせよ、彼の批判はわれわれの中心議論にも、学者としての信頼性にも、これといってなんらのダメージも与えていない。
イスラエル批判者からの主な非難
イスラエル・ロビー内部の個人・団体からの批判は予想していた。だがそればかりではない。アメリカあるいはイスラエルの(又はアメリカとイスラエル双方の)政策に批判的なコメンテイターの何人かからも異論が唱えられた。彼らの名誉のため言っておこう。われわれの論文批判者のうちこの部類の人たちは、ほとんどすべて論文内容への疑問点に焦点をあてている。人格攻撃その他の誹謗中傷策をとってはいない。彼らの批判のうち、あるものには、今日の資本主義の性質とそれがアメリカ外交政策形成に果たす役割についての根強い見方が色濃く出ている。またあるものはイスラエル擁護者が行った批判を繰り返している。イスラエル批判者はわれわれの論文に対して、基本的に5つの反論を行っている。
非難 #1:ミアシャイマーとウォルトは、イスラエルとアメリカの関係を誤解している。彼らはイスラエルを「犬を振り回すしっぽ(tail that wags the dog)」だと考えている。しかし現実には、両国の利害はきれいにそろっている。イスラエルをアメリカの「属国(client state)」と呼ぶほうが正確といってよい。
ノーマン・フィンケルシュタイン(Norman Finkelstein)は、イスラエルの国益とアメリカの国益は「大きく合致している(largely coincides)」と論じている。実質的に、イスラエルとアメリカはタッグ・チームのように行動している。そしてどちらの側も、相手国を従わせるよう圧力をかける必要などないのだと。例をあげよう。フィンケルシュタインはこう論じる。「イスラエルは、アメリカがこの地域に力を及ぼすための唯一の安定した安全な足がかりである。そのずばぬけた軍事力によって、イスラエルは中東で唯一の、かけがえのない財産になっている」と。フィンケルシュタインの議論は、マーティン・クレイマーの主張と同様であることに注目しておこう。既に見たとおり、イスラエルは戦略的資産だというのがクレイマーの主張である。
しかし、これらの批判者の何人かは、さらに踏み込む。そしてイスラエルは、本当のところはアメリカに依存する国であると論じる。この見方からすると、イスラエルは、アメリカの弟分である。そして本質的にはアメリカ帝国主義がアラブ・イスラム世界の人々を分断し抑圧するために用いる道具である。
反論:アメリカとイスラエルの利害はときには一致する。これに疑いの余地はない。例えば、イランが核兵器を持たないようにしておくことは、両国の利益である。冷戦期間中は、イスラエルが戦略的資産であったと言うことはできる。われわれはそれをこれまでに論文の中で認め、この反論の中でも認めている。しかし、冷戦期間中にも、アメリカとイスラエルの利害が分かれる時はあった。そして冷戦終了以後はずっと利害は別であることは確かだ。そして、アメリカとイスラエルの利害が衝突するときには、いつもこのロビーがイスラエルを勝たせるようにするのだ。
イスラエルが自国の政策に対する同意をワシントンから勝ち取る能力は、パレスチナ問題で最も発揮されている。イスラエルのヨルダン川西岸地区占領を終らせ、実現可能なパレスチナ国家を建設することはアメリカの根本的な利益である。というのは、それによって、アメリカのアラブ・イスラム世界での立場が改善されるだろうから。そして、テロリスト団体やその他の過激派倒滅が容易にもなるだろうから。またそれは人道的にも正しいことである。しかし、アメリカが対パレスチナ政策を変更するようイスラエルに迫ると、きまってこのロビーが行動を起こす。そして時の政権を無理矢理に後退させるのである。われわれはブッシュ大統領を例にして記載した。
ブッシュは、2001年秋と、2002年春に、パレスチナへの政策を変えるようアリエル・シャロンに圧力をかけようとした。しかし、二度とも、あきらめざるをえなかった。というのも、このロビーによる巨大な政治的圧力が彼にのしかかってきたからである。2002年春に、シャロンはブッシュをこけにした。すると、スペインの主要日刊紙エル・パイスはこうコメントした。「もし出来事への影響力で国の重みを測るなら、超大国は、アメリカでなくイスラエルである」と。それは事態を観ていた多くの者の見方を言葉で表したものだった。
フィンケルシュタインは次のことを認めている。パエスチナ問題に関してイスラエルとアメリカが基本的に異なる見方をしていることだ。それにイスラエルはいつもこの非常に重要な問題でアメリカの邪魔をする方向に進むことだ。正確には、彼はこう書いている。「このロビーが無ければ、イスラエル−パレスチナ紛争でのアメリカのエリートの政策は間違いなく違ったものになっていただろう。アメリカはイスラエルの入植と占領から何を得るのだろう? アラブ世界を遠ざけるという点で、失うものは小さくなかった」と。続けて彼はこう言う。「このロビーなしで、広範囲のアラブの憤慨に直面していたとしたら。アメリカはおそらくイスラエルにただちに占領をやめよと命令していたであろう。それにパレスチナ人をずいぶん苦しめなくてすんだろう」と。われわれもこれに同意する。しかし、これが「しっぽが犬を振り回している」確たる証拠というものだ。そうわれわれは考えるのである。
イスラエルはアメリカがこの地域を支配する道具だという主張についてはどうだろう。アメリカはこの地域に力を及ぼすための足がかりとしてイスラエルを使ったことはまったくないというのが事実である。1979年のイラン革命(Iranian Revolution)によりペルシャ湾の石油供給が深刻に懸念されるようになった。このとき、アメリカはイスラエルに軍隊を配置することはできなかった。そのようにわれわれは論文で言及した。ワシントンは代わりに「即応部隊(Rapid Deployment Force)」を創る必要があったのだ。さらに、アメリカは、第一次イラク戦争(1991)でも第二次イラク戦争(2003)でもイスラエルから部隊を展開することはできなかった。また、イスラエルの軍事力がどの程度アメリカに有利に働いているのかは簡単にはわからないことである。2度のイラク戦争で明らかになったことがある。アメリカが中東で戦う戦争ではイスラエルは脇にのいていなければならないことだ。また、イスラエルが単独で戦う時ですら、彼らはしばしば成果のない戦いをしている。そしてこの地域でのアメリカの立場を台無しにしてしまうのだ。
例をあげれば、1982年のイスラエルのレバノン侵攻は完全な失敗だった。それはイスラエルの最近のレバノンでの戦争と同じである。また、イスラエル国防軍(IDF)は占領地域でのパレスチナ人の暴動制圧に失敗を続けている。IDFはパレスチナ人に対して圧倒的に軍事的優勢にあるというのに。そして、たびたび暴力的で無差別的な戦術をとっているにもかかわらず、である。イスラエルの軍事的能力と、それがアメリカの安全保障にどの程度寄与しているのかを過大に言うべきではないのだ。
非難 #2:ミアシャイマーとウォルトは、このロビーをアメリカの外交政策への強力な独立の影響勢力と見ている。しかし、本当のところ、それはアメリカの企業利益や主な支配的エリートと密接に手を組んでいるのだ。
イスラエル・ロビーは、「非常に強力」で「アメリカ議会で活動するどの外交政策ロビーより力がある」と、ジョセフ・マサードは書いている。しかし、マサードは次のように考えている。ロビーが力を持つのは、ワシントンの支配エリート層とアメリカ企業の利益にかなった政策課題を推し進めているからだと。実質的に、イスラエル・ロビーは、開いた扉を押している。というのも、エリートたちは既に、ロビーの政策提案に親近感を抱いているからだと。(注:「アメリカがイスラエルを後押しするのは、ロビーがあるからではなく、アメリカの政治体制全体の中にイスラエル支持が行き渡っているからだ」。こうイスラエル・ロビーは主張する。マサードの批判はこのロビーの主張に似ている)
反論:われわれはイスラエル・ロビーが強力であることに同意する。しかし、このロビーが強力なのは、このロビーの政策課題とエリートの政策課題が同じだからだという主張には同意しない。これが正しい場合もある。しかし、このロビーが政治エリートたちとぶつかりあった重要な事例がいくつかある。このロビーがパレスチナ問題の見直しをブッシュに押し付けた2001年秋から2002年春の例をわれわれは既に述べた。さらに言うと、リンドン・ジョンソン(Lyndon Johnson)以来の全てのアメリカ大統領は、占領地区に入植地(settlements)を建設するイスラエルの政策に反対してきた。しかし、このロビーのせいで、入植地問題でイスラエルに真剣に立ち向かおうとする大統領はいなかった。
イスラエル・ロビーはまた、エジプトおよびサウジアラビアへの武器売却に関して1978年にカーター政権と対立した。そしてサウジアラビアへの武器売却に関して1981年にレーガン政権(Reagan Administration)と対立した。また、はじめの方で触れたように、このロビーは2億5千万ドルのイスラエルへの軍事援助諸法案を1982年12月に議会で通過させた。これは、レバノン侵攻後のことで、レーガン大統領とシュルツ国務長官の強い反対を押し切って行われた。ブッシュ政権はシリア対抗法案に反対した。しかし、ロビーが議会に強く働きかけてそれを通過させた。ブッシュは不承不承署名し、それは法律となった。要するに、このロビーの政策課題とアメリカ政府の見なすアメリカの国益はしばしばぶつかりあうのだ。それこそが、前下院野党院内総務リチャード・ゲッパート(Richard Gephardt)がAIPACに次のとおり語った理由である。
ゲッパート
「[あなた方の]絶えざる支援がなければ、そして、[アメリカとイスラエルの]関係強化に向けた日々の戦いがなければ、今日の関係はなかったであろう」と。また、この種の論調の議論は、常識テストに引っかかるように思える。これにも触れておく価値がある。具体的にはこうだ。アメリカはこのロビーの望むところを何でもやってしまうのでロビーの努力はなくてもいいのだとしたら、なぜイスラエルの利益を図るために一生懸命働く強力なロビーが必要なのだろう?この場合にはロビーは不必要、少なくとも余剰物であるように思える。同様に、なぜこのロビーの団体や個人は、イスラエルの政策とアメリカ−イスラエル関係についてのエリートの議論を抑圧しようと躍起になっているのか。こう疑問に思う人もいるのではないだろうか。両方の問への答えはこうだ。ロビーの目標(そしてイスラエルの目標)がしばしばアメリカ政府のエリートたちの目標と合っていなからだ。そして圧力がなければ、あるいはもっとオープンな議論が行われれば、アメリカの政策は別のものになってしまうからだ。
あまり重要でない非難
さまざまな批判者がわれわれとあの論文に対して非難をなげかけた。その中には、さほど重要ではないものがたくさんあった。そのことはこの小論の冒頭で論じたとおりだ。これらの批判の多くは、瑣末な問題をあつかっている。仮に彼らの言うことが正しかったとしても、われわれの論旨はダメージを受けない。そして、彼らの言うことは正しくもない。だが完全を期して、われわれはここにそれらへの短い反論をのせる。
あまり重要でない非難 #9:ミアシャイマーとウォルトのこのロビーの扱いは表面的である。それは、彼らが2次的情報源にたよっているからだ。そしてロビーどう動くのかという最重要問題を扱っていないからだ。
何人かのコメンテイターは次の点に不満を述べている。つまりわれわれが2次情報源に依存しすぎていること、そして独自の「実地調査」(つまりインターヴュー)を行っていないことだ。マイケル・マッシング(Michael Massing)は「ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス(New York Review of Books)」で次のように書いている。「全体としては、ザ・イスラエル・ロビー論文には一次(新たな)調査が欠けている。そのことで、二番手(中古品)の感じがしてしまう。
マイケル・マッシング
AIPACやその他のロビーグループがどのように行動しているのか。どのように政策に影響を及ぼそうとしているのか。そして、政府の人たちは彼らについて何を言わなければならないのか。ミアシャイマーとウォルトは、そうした感じをほとんど伝えていない。著者たちは、テーマの敏感性の点から、ほんのわずかの人しか率直に語ろうとしないだろうと結論付けてしまっていたように思われる。本当は、たくさんの人たちがこのロビーにうんざりしており、その理由を説明したがっている(たいがい記録に残されることはないのだが)。連邦議会の選挙戦資料は、もう一つの重要な情報源である。しかし、著者たちはこれを無視している」。
反論:われわれが、実地インターヴューを行わなかった点で、マッシングその他の人たちの言うことは正しい。
しかし、こうした方法を加えていたとしても、われわれの結論は変わらなかっただろう。この点が重要である。二次情報源(second resources)がわれわれを間違った結論に導いていたのなら、われわれが二次情報源を使ったという非難は致命的なものとなっただろう。だがマッシング自身の評価が次のように示している。インタヴューと選挙運動資金記録は、われわれの中心的主張を確認し補強する補完的証拠を用意するものだと。彼の言葉によると「彼らの中心的主張、つまりイスラエル・ロビーの力とそれがアメリカの政策に与えた負の影響について、ミアシャイマーとウォルトは完全に正しい」
あまり重要でない非難 #15:ミアシャイマーとウォルトは主著の中で現実主義者(Realist、リアリスト)の立場をとっている学者だ。リアリストはこう考える。国家は国益(national interests)を追求するため戦略的に行動し、国内政治が国家行動に与える影響は小さいと。それなのに、彼らはこの論文でこう主張するのだ。国内の特定利益追求グループが、自国の国益に反する行動をとらせるようアメリカを仕向けてきたと。
反論:「ザ・イスラエル・ロビー」に記述した出来事は、現実主義(Realism、リアリズム)とは相容れないものである。われわれもこれを認める。しかし3つコメントをしておこう。第一に、すべての現象を説明する社会学理論はない。別の理屈で説明されなければならない重要な例外が常に存在する。第二に、現実主義は、国際政治を競争の場として説明する。そこでは失敗は罰せられる。狭い範囲の利益グループから過度の影響を受けている国家は結果として高くつく政策をとる可能性が高い。現実主義はそのように考える。現実主義はこのロビーが与える力を説明できない。しかし、その力がもたらす結果を理解する手助けはしてくれる。第三に、アメリカは巨大な物質的力と地政学的に有利な状況を有している。このためアメリカには、別の行動をとるならば明らかにもっと潤うことになるはずではあっても、国益に反する行動を取るゆとりがある。
このように、現実主義は、国内ロビーのような要因を取り込んでいない。にもかかわらず、そうした要因にさらに大きく影響を及ぼすいくつかの環境を理解する助けになる。いずれにせよ、この一個の論文が、われわれのこれまでの業績すべてと合致しているかどうかは、今扱っている問題にとって決定的なことではない。つまりロビーの影響力とそれが与えるマイナスの力についてのわれわれの主張が正しいかどうかにとって決定的なことではないのだ。
われわれのあやまり
学述研究で完璧なものはない。そしてわれわれの原論文(LRB版)とハーバード版論文には修正すべき箇所がいくつかある。われわれはそれを率直に認める。既に触れたように、われわれが言葉使いをもうすこし明確にできた箇所、あるいは違う感じを出すことができた箇所がある。また思い通り伝えられなかったところもある。それはわれわれがイスラエルに対して、あるいはここアメリカでイスラエルを擁護する人たちに対して何の悪意も抱いていないことだ。われわれはこのことを充分に示そうとつとめた。しかし、議論のいくつかでは、この点を望み通り充分に伝えられなかった可能性がある。
最初に、われわれは、原論文(LRB版)でロビーを“Lobby”と大文字につづってしまった。このことを後悔している。「このロビーはゆるい連合体であり、一体化したあるいは中央が統括する組織ではない」とわれわれははっきり主張した。Lobbyと大文字にすることは、これに反することだった。(ウォルトの2005年の著書『アメリカの力を飼いならす(Taming American Power)』では、この語を大文字でつづっていない。この本の中にはわれわれの論文の中核議論の要点がいくつか記載されている)。いずれにせよ、この語を大文字にすることは誤りだった。そしてわれわれはその後の論文では小文字を用いている。
また、われわれは、親イスラエルの番犬グループ「キャンパス・ウォッチ(Campus Watch)」の創設をダニエル・パイプス(Daniel Pipes)とマーティン・クレイマーとした。この点は誤りだった。
ダニエル・パイプス
第三に、ベニー・モリスが、1882年のパレスチナのユダヤ人人口に対するわれわれの数字は修正を要すると指摘している。われわれはこう書いた。「1882年のパレスチナには1万5千人をわずかに超えるユダヤ人がいた」と。われわれはもうすこし大きな推定値(つまり1万7千くらい)を使っておくべきだった。われわれはこの訂正についてモリスに感謝している。この変更によってわれわれの中心論点が影響を受けることはない。つまりパレスチナのアラブ人の人口は、1800年代遅くにシオニストがそこに移住しはじめた時点のユダヤ人の人口よりずっと大きかった。
第四に、マーティン・クレイマーは、われわれがイスラエルの防衛大臣ベン−エリエゼルの発言の日付を間違えたと指摘している。ベン−エリエゼルはこの発言を2002年2月に行った。2003年2月ではない。この誤りは、イスラエルがイラクとイランをどう見ていたかについてのわれわれの基本的論点に影響を与えることはない。どうして間違ったのかはわからないが、われわれは謝罪しここで間違いを訂正しておく。
むすび
われわれの論文には、たくさんの理由から異論があがっている。それにもかかわらず、批判者は誰一人として、論文の中心的主張を論破していない。特に、われわれの論文が、深刻なあやまりのため価値の無いものになっているという非難は、検討によって説得力を失った。既に示してきたとおりだ。われわれの議論の意味することを、公平で冷静な人たちが熟慮する余地はある。しかしわれわれはこう信じている。
アメリカの中東政策にこのロビーが加える力について、われわれの中心的主張は、正しかったし今も十分正しいと。最近でもアメリカはイスラエルのレバノン攻撃のような不幸な出来事を支持した。このロビーは懸命に工作してアメリカの支持をとりつけようとした。最近のこうしたできごとは、イスラエル・ロビーの影響がアメリカばかりかイスラエルにも害を与えているというわれわれの考えを再確認させてくれる。
われわれが論文「イスラエル・ロビー」を書いたのは、アメリカの中東政策に関するもっとひらかれた討論を盛んにするためだった。あの論文とわれわれ個人へ向けられた攻撃は恐ろしいものだった。それはこのロビーがある種の風潮を作ろうと奮闘している証拠をさらに付け足すことになった。その風潮とは、ロビーの活動、イスラエルの政策、あるいはアメリカとイスラエルの関係について問いただすことをしり込みさせるようにするものだ。この状況は、アメリカの民主政体にとって健全なものではない。
アメリカは中東でたくさんの難題に直面している。であれば、アメリカの人々には次のことが必要だ。つまり中東地域での政策を形成するすべての勢力を包み隠しなく本気で論じられるようにしておくことだ。われわれは、このやりとりが今おこりつつあることをうれしく思っている。それでも、議論の多くが光より熱を発散していることに落胆させられてきた。だがこの傾向は弱まっているように思える。結構なことである。アメリカが必要とするものは、罵倒や人格攻撃に満ちたやりとりではない。この問題についての冷静でおだやかな議論である。
読者の中で、この反論を過剰だと感じる方もいるかもしれない。また、われわれは、「こんな苦労などなしですませられればいいのに」と何度か思った。しかし、われわれは最後には、可能な限り徹底的に誤解を正しておくことが大事だと感じた。この先これらの問題の議論を神話や間違った認識に基づくものではなく、論理と証拠に基づいたものとするために。
(終わり)