「0050」 翻訳 上海が国際金融と物流の世界規模の中心地となる(2) 古村治彦訳 2009年9月10日

 

上海:中国の経済と政治のバロメータとしての存在

 20世紀を通じて、上海は、中国経済の中心地として重要な役割を演じてきた。しかし、中華人民共和国が建国されて最初の40年間、中央政府は、上海市に対して、予算の配分をほとんど行わなかった。1980年の経済データを見てみよう。この年、上海市は、生産高(中国全体の8分の1)、輸出量(中国全体の4分の1)、中央政府への上納金額(中国全体の6分の1)の各分野で1位を記録した。

 それにもかかわらず、中央政府は、住宅、道路、流通のインフラ整備に関わる予算配分で上海を優遇せず、その金額は、かなり低かった。1980年、ある記事が話題になったが、タイトルは「上海の極端さ:10分野では中国で1位だが、5つの分野では最下位」というものだった。この記事によって、上海は工業の生産高と売上高では中国を引っ張る存在だが、インフラと市民の生活水準では中国でも下の方になっている、ということが明らかになった。1980年代の上海の外観は、1930年代や1940年代とあまり変化がなかった。1949年から1985年にかけて、中央政府は上海市から3500億元の上納を受けながら、市のインフラ整備にたった35億元しか支出しなかった、という調査報告もある。1949年から1988年にかけて、上海市は税収の83.5パーセントを中央政府に上納し、残りの16.5パーセントで市民サービスや発展事業への支出を行っていた。

1930年代の上海

 1980年代、中央政府は、北京(Beijing)、広州、そして深釧の発展を促す政策を実行した。それに続いて、1990年に、上海市の浦東地区を中国最大の経済中心地とする決定がなされた。このことは、中国の資源配分の大転換が起きたことを意味した。1992年初頭、最高指導者だったケ小平は上海を訪問した。ケ小平は上海の持つ可能性を高く評価し、市政府が掲載を発展させ、外国からの投資を誘致するために、もっと自主的に、先頭に立って活動しても良いというお墨付きを与えた。上海市政府は、1992年から1996年にかけてのたった4年間で、それまでの40年間に行ってきた以上のインフラ整備、発展事業を遂行し、完成させた。

ケ小平

 江沢民(Jiang Zemin)は1995年、中央政府での権力を掌握した。江沢民は、上海を「龍の頭」とするための様々な方策を実行した。その一例を挙げる。1998年、中央政府は上海市に1966億元の投資を行った。この投資額は、中央政府直轄の他の都市、北京(1124億元)、天津(571億元)、重慶(492億元)よりもはるかに巨額だった。1990年から2002年にかけて、上海市政府は、中央政府から様々な交付金や貸付金を受けるなど優遇された。この間、江沢民は中国共産党総書記として君臨していた。上海市のインフラに対する投資額は、1990年の47億元から2000年には451億元にまで急増した。同時期の北京市のインフラ整備への投資額は14億元から132億元に増加した。

江沢民

 国からの交付金や貸付金が増加し、インフラ整備などが進むにつれて、上海に対しての外国からの直接投資も増加した。1993年の1年間に外国から上海に投資された金額はそれまでの10年間の投資額の合計を上回った。外国の銀行や多国籍企業が数多く上海に進出することによって、上海では不動産バブルが発生した。上海市政府の統計資料によると、1990年代初め、上海の不動産への投資額は年間で1億2000万ドル(約120億円)弱であった。上海の不動産への投資額は、2001年には、76億ドル(約7600億円)にまで膨れ上がった。同時期の年間の投資額の伸び率は50パーセント以上を記録した。

 上海においては、経済格差の拡大が深刻な社会的、政治的な問題となっていった。それでも、上海市民の多くは、市内にマンションの部屋を所有し、それとは別に郊外に別荘、別宅を持つようになっている。2003年の調査では、上海の全世帯の75パーセントが持ち家(マンションなど)を所有していることが明らかになった。2005年にギャロップ社(Gallup Polls)の中国支社が調査したところによれば、上海市民の82パーセントが持ち家を所有し、22パーセントが別荘、別宅を所有していることが分かった。

 中央政府は10年間にわたり、上海市の発展を後押しする政策を実行した。しかし、それにも変化が生じることになった。それは、2002年から2003年にかけて、江沢民から胡錦濤に政権が移譲されたからだ。2002年と2003年の2年間で、中国の指導者第三世代の江沢民と朱鎔基(Zhu Rongji、しゅようき)が政権を、第四世代の胡錦濤と温家宝に完全に禅譲した。江と朱はともに上海出身だった。

    

朱鎔基       江沢民      温家宝

 2004年初頭、胡錦濤と温家宝は、銀行の貸し出し、土地利用、不動産投資を制限するために、マクロ経済政策を採用した。胡錦濤と温家宝は、こうした制限は、全てのセクターや地域に平等に適用されない、と明言した。胡錦濤と温家宝は、農業、エネルギー、物流、社会福祉の諸分野と中国西部、東北部の発展が遅れている地域に資源を分配するとした。そして、上海と長江デルタ地帯で加熱していた建設ブームを冷ますと明言した。

 2004年6月に開催された中国共産党中央政治局会議において、江沢民の忠臣であった陳良宇(Chen Liangyu、ちょうりょうう)中国共産党上海市党書記は、中央政府の政策変更に異議を唱えた。このことは何も驚くべきことではない。陳良宇は温家宝を批判し、「長江デルタ地域の利益を損なう政策を実行している」と主張した。陳良宇は温家宝国務院総理に対して、中央政府による制限政策によって生み出された損害について、‘政治的な責任’を取るように迫った。陳良宇のターゲットは、温家宝総理ではなく、胡錦濤国家主席だった。陳良宇は、胡錦濤国家主席のマクロ経済政策をターゲットにしていたのだ。胡錦濤の政策は、中国全域が平等に発展するような社会経済的政策を採用しようとしていた。

  

陳良宇      曽慶紅

 胡錦濤と温家宝のグループと、江沢民と曽慶紅(Zeng Qinghong)前国家副主席率いる、所謂、上海ギャング(Shanghai Gang)との間の政治的な争いは2年以上続いた。闘争の結果、陳良宇は上海市党書記の職を解任された。陳良宇は、上海ギャングのスポークスマン的な人物で、大変目立っていた。その彼が、2006年秋に、汚職を理由に職を解かれたのだ。中国の政治指導者たちの間では、政敵を汚職で追及して追い落とすのは何も目新しいものではない。しかし、エリート間で発生する政治闘争のルールと規範は変化しているように感じられる。

 派閥抗争は、勝者が敗者を徹底的に排除するゼロ・サムゲーム(zero-sum game)ではなくなりつつある。派閥間では、取引が行われ、それぞれの派閥がある程度の影響力を維持するために、連合の形成(coalition-building)、交渉(political negotiation)、妥協(compromise)を指向するようになった。陳良宇の解任は上海ギャングにとっては大きな痛手となったが、上海ギャング自体は生き残り、影響力を保つことができた。上海ギャングのその他のメンバーは政府や共産党の要職を占めた。上海市政府の要職のほとんどは、江沢民と曽慶紅の息のかかった人々によって独占されている。陳良宇失脚後に上海市共産党書記に就任した、韓正(Han Zheng、かんせい)、習近平(Xi Jinping、しゅうきんぺい)、兪正声(Yu Zhengsheng、ゆせいせい)といった面々は全て、江沢民と曽慶紅の側近である。江沢民の本拠地である上海市で彼の側近が党の最高ポストを占めることと、胡錦濤の側近が中央政府内で出世することは、2つの派閥の妥協の産物なのだ。

    

韓正       習近平     兪正声

 下の表では、上海市の幹部(党副書記と副市長)たちのバックグラウンドを示している。ここ2年間で、上海市党書記の兪正声(Yu Zhengsheng、ゆせいせい)を除いた幹部の全てが、上海市内での地位の異動で、現在の地位に就いた。幹部の多く(73パーセント)が上海市に近い、湖北省と江蘇省の出身である。韓正(Han Zheng、かんせい)市長、殷一サイ(王へんに崔)(Yin Yicui、いんいっさい)上海市党副書記、楊雄(Yang Xiong)上海市第一副市長など5人の幹部は、陳良宇の下で長年働いていた。屠光紹(Tu Guangshao、とこうしょう)副市長は、北京の金融経済部門で働いた経験を持つが、それ以外の幹部たちは、上海市政府内で出世を重ねてきた人々である。

      

殷一サイ(左)    楊雄        屠光紹     沈駿

 屠光紹副市長は、北京大学で経済学を学んだ(1978−1985年)。そして、学士号と修士号を取得した。大学院を修了後、中国人民銀行(the People’s Bank of China)に勤務し、その後、中国証券監督管理委員会(China Securities Regulatory Commission)に移り、委員会の取引部長、副主任、副委員長を歴任した。1997年、屠光紹は、上海証券取引所の所長と党書記を務めた。2007年、上海市副市長に昇進した。屠光紹は、上海が中国の国際金融の中心としての地位を保つ上で重要な人物である。沈駿(Shen Jun、ちんしゅん)副市長は、洋山深水港建設の責任者であった。また、上海の流通産業発展のキーマンである。沈駿は、副市長に昇進する前、洋山深水港の副所長兼党書記であった。

上海市幹部の情報(2009年5月現在)
氏名 地位 就任年 生年 出身 前職 上海以外の経歴
兪正声 上海市党書記 2007 1945 浙江省 湖北省党書記 湖北省党書記
国務院建設部長
韓正 市長、副書記 2003 1954 浙江省 上海市副市長 無し
殷一崔 副書記 2002 1955 浙江省 上海市宣伝局長 無し
楊雄 第一副市長 2003 1953 浙江省 市長首席補佐官代理 無し
屠光紹 副市長 2007 1959 湖北省 上海証券取引所長 中国人民銀行
唐登杰 副市長 2003 1964 江蘇省 上海市経済局長 無し
胡延照 副市長 2004 1951 湖北省 市長首席補佐官代理 無し
艾宝俊 副市長 2007 1960 遼寧省 宝鋼社長 無し
沈駿 副市長 2008 1954 浙江省 市長首席補佐官代理 無し
沈暁明 副市長 2008 1963 浙江省 上海市教育局長 無し
超雲 副市長 2008 1956 安徽省 市長主席補佐代理 無し
上海市人民会議

 

 陳良宇(Chen Liangyu、ちょうりょうう)上海市党書記の解任によって、胡錦濤の国内政治基盤がしっかりと確立され、胡錦濤の人々の生活を重視する政策を政治エリートたちが遂行するようになった。胡錦濤と温家宝は次のように述べた。「中国は環境汚染、エネルギー確保、失業対策、国内の経済格差の深刻な諸課題に直面している。こうした時こそ、中国政府は、社会の公正さと調和を脅かすこうした諸問題により注意を向けるべきだ」ここ数年、中国の西部、北西部、中央部の各省、特に大都市の重慶(Chongqing)と天津(Tianjin)は、江沢民時代に比べ、予算や政策実行の面で、中央政府から優遇されている。

 過去5年間、中央政府は、2800億元(約3兆6500億円)の予算を投入し、西部地域の開発プロジェクトを遂行している。第11次5カ年計画(The 11th Five-Year Plan)(2006−2010年)では、重慶の経済成長を加速させると謳っている。中央政府は、過去5年間、重慶の産業技術の近代化に、3500億元(約4兆5500億円)の予算を投入した。2010年の重慶地域のGDPは、1兆4000億元(約18兆2000億円)に達すると予測されている。2009年の数字の2倍に達すると予想されているのだ。中央政府の優遇政策によって、重慶の経済成長は中国史上、最も劇的なものとなっている。重慶にある建設用クレーン数は、現在、上海よりも多い。1990年代末、上海には、世界中の建設用クレーンの6分の1が集中していた。2008年、重慶のGDP成長率は、14.3パーセントを記録し、これは、中国全体の成長率よりも4パーセントも高い数字であった。

 2006年、中央政府は、天津市濱海区を中国で3番目の経済特区に指定した。残りの2つの経済特区は、深釧市と上海市浦東区である。経済特区では、関税、所得税、技術革新についての特別な5つの政策が施行されている。北京・天津高速鉄道とエアバス320の組み立て工場が完成したことにより、天津市の経済はますます成長している。2009年の第一四半期で、天津市のGDPは16パーセントの成長を記録した。この数字は、中国で最も高い数字である。同時期、天津市当局の税収は、360億元(約4600億円)となり、税収の伸び率の全国平均を12パーセントも上回る結果となった。同時期の上海のGDPの伸び率は3.1パーセントにとどまり、中国に31省レベルの地域の中で、最低の伸び率となり、また、GDPの伸び率の全国平均6パーセントを大きく下回る結果となった。2008年、天津の濱海区のGDPの伸び率は23パーセントなったが、上海の浦東区の伸び率は10パーセントしかなかった。

 上海の経済成長は、昨年の世界同時不況が発生する数年前からスローダウンしていた。2005年の、上海に対する海外直接投資(Foreign Direct Investment)の伸び率は2から3パーセントの間しかなく、またGDPの伸び率は9パーセントにとどまった。その結果、13年間続いた、上海のGDPの二桁成長は2005年で止まってしまった。1990年代末、上海の現物先物市場の70パーセントの取引を独占した。しかし、現在、その比率は50パーセントにまで下がっている。

 中国分析の専門家たちは、上海のGDP成長が2009年の第一四半期で、31の省レベルの地域の中で最低の数字を記録した理由を2つ挙げている。第一の理由は、上海の経済成長は、外国との貿易や外国からの投資にかなり依存しているので、経済危機の影響をもろに受けている、ということである。第二に、中国政府が国内の均等な発展を目指した政策を実行したことで、上海にはマイナスの影響が出てしまったということである。土地や建物(fixed assets)に対する投資の前年度と比べての伸び率の全国平均は、2009年の第一四半期で、28.8パーセントを記録したが、上海地域では、たったの1.7パーセントの伸びを記録するにとどまった。

 今から一年半前、上海市の指導者たちは、「国の最高指導者たちに働きかけて、上海を優遇する政策を実行する」(“political lobbying for more favorable policies in the national leadership”)ことに積極的だった。この方針が決定されたのは、2007年末に、当時上海市共産党書記として着任したばかりの兪正声を迎えて行われた会議の席上であった。会議の席上、兪正声は、上海が、8つの経済指標で、全国平均を下回っていることを強調した。そして、上海の経済構造の転換を実行するように求めた。転換の内容は、上海の経済を、サービス産業と、先進技術産業を中心とする構造にする、というものだ。そして、上海市の指導者たちは、この目的を達成するために、上海市は、借り入れ、収入、税金に関し、中央政府からの優遇措置を受ける必要がある、という結論に達した。

 上海市政府直属の上海経済開発研究所所長の周振華(Zhou Zhenhua、しゅうしんか)は、上海市政府の幹部たち、その中でも特に屠光紹副市長が中央政府に対して働きかけを強めていると述べている。周振華は、上海を金融と物流の中心地とするための開発計画の起草に参画した人物である。

 上海市からの働きかけに対して、中央政府のトップの中には、上海市の計画を支持し、要求に応えようとする人々が存在する。彼らには上海と強いつながりがある。特に上海市党書記を務めた経験のある、呉邦国(Wu Bangguo、ごほうこく)と習近平はこうした政治家に該当する。呉邦国は、全国人民代表者会議(National People’s Congress、NPC)議長であり、習近平は、中華人民共和国国家副主席である。呉邦国は、2008年初め、上海において、幹部たちに対して次のように述べた。「上海は、経済発展の新しい段階に勇猛に進まねばならない」と。2008年春、王滬寧(Wang Huning、おうこねい)中国共産党中央委員会政策研究部長は、上海に調査チームを派遣し、洋山深水港の建設と上海市が国際物流センターとして発展するかどうかを調査させた。王滬寧は上海ギャングの有力メンバーである。調査チームの出した調査結果は、洋山深水港と上海を高く評価する内容であった。中央政府のいくつかの重要な部局は、当初、上海を金融と物流の二つの中心とするという計画に反対していた。ある政府系メディアは、「こうした反対に対して、多くの話し合いと聞き取り調査が行われた。そして計画は承認された」と。

結論

 『城市季風(City Monsoon)』というタイトルの本が中国でベストセラーとなった。著者である楊東平(Yang Dongping)は、この本の中で、中国の発展期における、主要都市の経済的重要性、政治力、文化的影響力を分析している。この本のテーマを、楊東平は、次のような疑問でうまく表現している。「風向きが変化する都市の季節風は今、どの方向に吹いているだろうか?」こうした季節風を使った喩(たと)えは中国専門家にとって重要な意味を持っている。彼らは、政治的闘争に勝ち抜く政治家の未来と、その政治家が利益代表を務める地域や都市の経済発展の関係を研究することになるからだ。

 2002年以降、胡錦濤国家主席の一般民衆の生活のための政策によって、中国内陸部の経済発展の様相が大きく変化してきた。しかし、こうした現状も大きく変化するだろう。2012年に習近平が国家主席に就任すれば、現在の政策は転換されるだろう。習近平は中国東海岸沿岸都市の利益を代表して活動している。政権がこのように派閥間で移譲されることで、一人の人間、一つの派閥が権力を独占することがなく、健全な国内政治の変化を起こすことができる。政治の変化は、経済政策と地域開発政策に大きな影響を与える。大局的に考えてみると、中央政府が上海を金融と物流の国際的な中心地と変貌させると決断したことによって、上海は中国国内の経済構造を変化させる上で重要な役割を果たすようになる。そればかりでなく、こうした中央政府の決定によって、中国は、国際金融と物流の面で、世界的な競争力を高めるようにもなるのである。

(終わり)