「0061」 翻訳 中国政治の派閥発生を指摘した講演録を記録のために翻訳し、掲載します 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 2009年12月24日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回は少し古い論文ですが、中国の派閥政治についての論文を翻訳し、掲載します。今回の論文は2005年に発表された講演録です。この頃から中国政治の研究者の間で、派閥の発生が確認されたようです。それまでは上海ギャングという言葉が使われていましたが、エリート派とポピュリスト派の2つの派閥の区別がなされるようになりました。これもケ小平の設計であったのかと思うと、彼の凄さが分かります。

 それでは拙訳をお読みください。

 

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一党・二派閥:2つの派閥の争いが進行中?(One Party, Two Factions: Chinese Bipartisanship in the Making?

チェン・リ(Cheng Li)

ハミルトン・カレッジ教授、ブルッキングス研究所(Hamilton College and The Brookings Institution)首席研究員

2005年11月2日

カーネギー財団国際平和プログラム主催・「中国の指導者、政治、政策」会議での講演記録

チェン・リ

 

 私は皆様のような素晴らしい聴衆をお迎えし、講演を行えることを誇りとするものであります。また、アメリカでも屈指の中国政治の専門家お二人と壇上に立っていることに無上の喜びを感じております。今回の会議の議題は、中国の指導者とエリートたちであります。私は、ここ数年、中国のエリートたちの間で、これまでに見られなかった大きな変化が起きていると考えております。しかし、大変残念なことですが、アメリカのマスコミも学会も中国のエリートたちの間で起きている変化をなかなか認めません。理解すらしていません。この会議に参加してくださり、何かと手配をしてくださった、ミンシン・パイ(Minxin Pei)博士とデイヴィッド・グライス(David Gries)博士には、お礼を申し上げたいと思います。お二人は、私に対し、中国政治の指導者たちの研究をするにあたり、概念的な示唆を与え、研究の動機を与えてくださいました。

    

ミンシン・パイ     デイヴィッド・グライス

 私がお話しすることは、次の通りです。まず、中国の指導者たちの間にある派閥、もしくは連合があることを明らかにし、中国の政治と政策を理解するために派閥次元の分析をすることが重要であるということをお話します。しかし、私たちは、中国の指導者たちの間に派閥があることは、公式には認められていないし、その情報が出てくることもほとんどありません。中国の指導者たちについては、信頼の置けるデータ、多様な情報源、事実に基づいた分析がなされず、神話、噂話、推測ばかりが先行していました。これは皆様にも了承していただけるものと思います。私たちはアメリカにて中国を観察していますので、中国政治の複雑性に直面しなければなりませんし、曖昧さと不確かさを受容しなければなりません。しかしながら、同時に、かつて中国研究家であるスーザン・シャーク(Susan Shirk)が述べたように、「冷笑主義(cynicism)と諦めは、教条主義と同様、知識人たちの怠慢の言い訳でしかない」のです。

 ある人が中国の指導者について、長年にわたり注意深く研究したなら、その人は、中国の意思決定者たちは、同じ物の見方、価値観、将来に対してのヴィジョンを共有した、一枚岩の人々などではないという結論に達することでしょう。私は、現在の中国の指導者たちの間には、2つの派閥(faction)が共存していると考えております。これら2つの派閥に属する人々の間には、バックグラウンド、職業の経歴、政治的なキャリアにおいて対照的な違いがあります。2つの派閥は、権力奪取、影響力確保、政策決定優位性を保持するために競争しているのです。

 中国共産党内に2つの派閥が出現しつつある、と私は考えております。この2つの派閥はチェック・アンド・バランス(checks and balances)機能を果たしながら、ほぼ同等の力を持っています。これら2つの派閥が出現したことは、中国政治における重要な発展であると考えておりますし、もっと注意を持って観察する必要があると思います。中華人民共和国国内には、共産党に対抗する、組織的な抵抗勢力は存在しません。中国が、近い将来に、複数政党制に移行するとは考えにくいことです。しかし、中国共産党内部の深い部分での変化を見逃すことはできません。私はこの変化の流れを「一党・二派閥(one Party, two factions)」と呼んでいます。(訳者註:香港、マカオについて使われている「一国・二制度(One Nation, Two Systems)」にかけている。)

 私は今回、中国における「一党・二派閥」現象について、4つの観察結果を皆様にお話ししたいと思います。一つ目は、2つの派閥が形成されていることです。二つ目は、2つの派閥がきれいに分裂をしていることです。三つ目は、2つの派閥はそれぞれ独自の政策思考を持っていることです。四つ目は、中国政治に出現している2党派制(bipartisanship)の特徴と関係性についてです。

 第一に、中国共産党内部における派閥の形成についてご説明いたします。中国共産党指導部内で、2つの派閥はバランスを保っています。2つの派閥の違いは、それぞれに所属している人々の経歴や政治的な指向だけでなく、出身の社会経済的な違いと地理的な違いを反映しています。

 一つ目の派閥は、「エリート派」とでも呼ぶべきグループです。この派閥は、江沢民(こうたくみん、Jiang Zemin)元中国共産党総書記であり、また、曽慶紅(そけいこう、Zeng Qinghong)国家副主席(当時)もリーダーです。このエリート派の中核にいるのは、「上海ギャング(Shanghai Gang)」と呼ばれる人々です。上海ギャングに数えられる人々は、黄菊(おうぎく、Huang Ju)国務院第一副総理(当時、訳者註:2007年すい臓がんのため死去)、呉邦国(ごほうこく、Wu Bangguo)全国人民代表大会常務委員長、陳良宇(ちんりょうう、Chen Liangyu)上海市党書記(当時、訳者註:2007年に収賄と職権乱用の罪で逮捕、実刑)、曽培炎(そばいえん、Zeng Peiyan)国務院副総理(当時)、陳至立(ちんしりつ、Chen Zhili)全国人民代表大会常務委員会副委員長といった人々なのです。

      

江沢民      曽慶紅     黄菊     呉邦国

    

陳良宇      曽培炎      陳至立

 エリート派の若手たちは、リーダーである江沢民と曽慶紅と同様、太子党(princelings)なのです。彼らは家族のコネを利用して指導者の地位にまで上昇してきた人々です。馬凱(ばがい、Ma Kai)国務院国家発展改革委員会主任(当時)、薄熙来(はくきらい、Bo Xilai)国務院商業部長(当時)、周小川(しゅうしょうせん、Zhou Xiaochuan)中国人民銀行総裁、習近平(しゅうきんぺい、Xi Jinping)浙江省中国共産党書記(当時)などの人物が太子党として挙げられます。多くの太子党の人々が昇進を重ねており、それにつれて、金融、貿易、外交、情報技術、教育の分野で経験を積み、専門性を高めています。彼らの中には外国留学の経験のある人々もいます。中国語で「海亀派」(haiguipai)と呼ばれています。海亀派のほとんどは、中国沿岸部の各省の出身であり、留学から帰っても沿岸部で働いています。こうした指導者たちは、実業家たち、出現しつつある中流階級、経済的に発展している沿海部の各省を代表しています。沿海部の各省は中国の「青色州(Blue States)」(訳者註:アメリカ沿岸部の州で民主党支持が多い)と言えるでしょう。エリート派は、もう一つの派閥よりも、多くの中国共産党政治局の椅子を占めています。しかし、もう一つの派閥も中国共産党中央委員会のメンバーに356人を送り込んでいます。

     

馬凱       薄熙来     周小川      習近平

 もう一つの派閥は「ポピュリスト派」です。胡錦濤(こきんとう、Hu Jintao)国家主席と温家宝(おんかほう、Wen Jiabao)国務院総理が率いています。ポピュリスト派の中核は中国共産主義青年同盟(Chinese Communist Youth League)出身のメンバーです。彼らは「団派」(tuanpai)と呼ばれています。彼らは1980年代、胡錦濤が中国共青団のトップだったときに、全国レベル、もしくは地方レベルの指導部にいた人たちです。彼らの中で次に中国共産党政治局入りを期待されている人々が4人います。李克強(りこっきょう、Li Keqiang)遼寧省党書記(当時)、李源朝(りげんちょう、Li Yuanchao)江蘇省党書記、劉延東(りゅうえんとう、Liu Yandong)中国共産党統一戦線部長(Director of the CCP United Front Department)、張宝順(ちょうほうじゅん、Zhang Baoshun)山西省党書記が挙げられます。彼らは、1980年代初め、胡錦濤率いる中国共青団の11人のメンバーからなる中央委員会に所属していました。

     

胡錦濤      温家宝      李克強      李源朝

  

劉延東       張宝順

 2004年以降に任命された15人の省長と党書記のうち、9人は中国共青団の幹部だった、団派の人々です。その割合は60パーセントです。団派のリーダーたちは、胡錦濤と20年以上にわたり緊密に付き合っています。彼らの多くが地方や省レベルの行政に関わりながら政治的なキャリアを積み重ねているのです。彼らの多くが地方の指導者としての経験を積み、党組織構築、宣伝工作、法的な分野で働いてきました。胡錦濤と温家宝のように、ポピュリスト派のリーダーたちは、経済発展が進んでいない内陸部の各省の出身です。こうした省は、アメリカで言うところの「赤色州(red states)」(訳者註:アメリカ内陸部の州で共和党支持が多い)でありますが、中国では、「黄色州(yellow states)」として知られています。彼らの出自は貧しい家族です。香港を拠点に活動している研究者であるディン・ワンは次のような研究成果を発表しています。1983年以降、中国共青団の中央指導部に、太子党出身者は存在していません。ポピュリスト派の指導者たちは、草の根の庶民たち、農民、出稼ぎ労働者、都市で無職の人々といった「社会的弱者たち(vulnerable social groups)」の心配事や必要としていることをすぐにくみ取ることができます。

 次に、中国共産党内に2つの派閥が存在していることの証拠を提示したいと思います。私は大変興味深い1つの現象が起きていることを指摘したいと思います。中国共産党内部には、5つの重要な指導機関が存在します。それぞれの機関のトップとトップ2の地位には、2つの派閥からそれぞれ1人ずつが送り込まれています。2つの派閥がトップの地位を分け合うことで、チェック・アンド・バランス機能が働くようになっているのです。中国の国家機能について見てみましょう。主席は胡錦濤(こきんとう、Hu Jintao)ですが、副主席は、曽慶紅(そけいこう、Zeng Qinghong)(訳者註:現在は習近平が国家副主席である)が務めています。中国中央軍事委員会の委員長は胡錦濤ですが、筆頭副委員長は郭伯雄(かくはくゆう、Guo Boxiong)です。郭は江沢民の側近です。中国共産党政治局常務委員会の総書記は胡錦濤ですが、序列第2位は呉邦国(当時)です。呉は上海ギャングのメンバーです。国務院で言うと、総理は温家宝ですが、第一副総理は黄菊(当時)です。黄もまた上海ギャングのメンバーです。全国人民代表大会常務委員長は呉邦国ですが、王兆国(おうちょうこく、Wang Zhaoguo)全国人民代表大会常務委員会第一副委員長です。王は中国共青団で長年、胡錦濤の同僚でした。

   

郭伯雄       王兆国

 この人事の配置の妙は、偶然の産物などではありません。これは、中国政界の中で権力のバラスンを取るという流れがあり、それを人事が反映しているのです。2003年春、SARS(サーズ)危機の結果、2人のベテラン指導者、張文康(ちょうぶんこう、Zhang Wenkang)国務院保健部長と、孟学農(もうがくのう、Meng Xuenong)北京市長が失脚しましたが、それぞれが2つの派閥から出ていました。第17回中国共産党大会で胡錦濤の後継者が1人選ばれるのか、それとも次世代から2人から4人選ばれるのか、大変興味深いところです。

   

張文康      孟学農

 江沢民の側近たちが中国共産党政治局、特に中核となる常務委員会を握っていますが、ポピュリスト派の方が中国共産党内部の互選では人気があり、一般の人々にも人気があります。エリート派の人々は人気がなく、共産党内部の互選でもポピュリストたちに後れを取っています。2003年に開催された第10回全国人民代表大会で行われた選挙で、胡錦濤国家主席と温家宝国務院総理の承認選挙がありましたが、ほとんど反対票はありませんでした。一方、上海ギャングの人々の結果は思わしいものではありませんでした。曽慶紅国家副主席、黄菊国務院第一副総理、陳至立全国人民代表大会常務委員会副委員長、周小川中国人民銀行総裁の承認に際し、数百票の反対投票が行われました。江沢民の側近や太子党の中には選挙での承認を得られない者まで出ました。中国の各界の指導者たちは、限定的ながら、「民主的な権利」を行使したのです。彼らは自分たちの考えを投票という形で表明しました。そして、中国政治に出現している2つの派閥の存在とその動きを明らかなものとしたのです。

 それでは次に2つの派閥の政策志向の違いをはっきりさせましょう。ご存じのように、江沢民が国家主席だった時代、中国経済は大いに発展しました。しかし、それと同時に、都市と地方、沿岸部と内陸部、金融業などの新しい産業と伝統的な産業との間で、経済的な格差が発生しました。江沢民は経済資源を上海と沿岸部のいくつかの都市に特化して投入し、内陸部を置き去りにしました。30年もたたないうちに、中国は世界でも所得分配が最も平等な国から、最も不平等な国に転換しました。さらには、中国は経済発展にばかり注力し、環境保全や生態系保護をないがしろにしました。

 胡錦濤は、自分の使命は江沢民時代に発生した深刻な問題を解決することだ、と就任直後に明らかにしました。胡錦濤のポピュリスト政策には、3つの重要な要素が含まれています。1つ目は、地域間でバランスのとれた経済発展をすること。2つ目は、社会正義といわゆる社会の調和を実現すること。3つ目は、政治の透明性と制度化を進めること。以上です。胡錦濤は地域間のバランスのとれた経済発展を強調していますが、それは政策に反映されています。成都(Chengdu)と西安(Xi’an)のような内陸部の大都市は急速に経済発展をしています。過去3年間の中国西部の社会資本の整備は大変なものです。また、中国北東部の再開発も開始されているようです。2004年、大連(Dalian)と瀋陽(Shenyang)に対しての、外国からの投資の伸び率は中国で一番となりました。

   

成都         西安      大連        瀋陽

 胡錦濤は、議論を好む人物です。自分に反対する意見を言う人と議論をすることを厭いません。江沢民はそうではありませんでした。彼は、自分の成果を誇ってばかりで、問題があることを認めようとはしませんでした。現在、中国共産党の機関紙などでは、中国の政治制度のシステム的な問題、経済や金融で危機が起きる危険性、特に不動産バブルが崩壊する危険性、工場や炭鉱などでの事故、地方の不満と都市部で頻発している抗議活動、人口増加などについて、これまでよりも活発に議論を展開しています。胡錦濤は自分をポピュリスト派のリーダーであると自認していて、中国の人々が直面している社会的、経済的諸問題をよく理解している、と考えています。過去2年(2003年から2004年)、胡錦濤と温家宝は農民の税負担を軽減し、企業や地方政府に対し、出稼ぎ労働者たちに未払い賃金を払うように命令し、様々な事故や事件の対応をおろそかにした役人たちを処罰し、エイズが蔓延している村を訪問し、患者たちと面談し、地方から都市へ移動した人々に対する差別的な規制のいくつかを廃止するなど、様々な政策を実行しました。

 2004年初め、胡錦濤と温家宝はマクロ経済統制政策(中国語では、宏現調控、hongguan tiaokong)を採用し、銀行の貸し出し、土地使用、鉄鋼や不動産などの過熱した分野に対する投資を制限しています。2人は、マクロ経済統制政策を採用しても、すべての分野と省を同じように扱うことはしないと言明しています。胡錦濤と温家宝は、上海と揚子江デルタ地帯で10年続いた建設フィーバーを冷まそうと努力しています。約480億ドル規模の建設プロジェクトは延期、もしくは中止となりました。陳良宇(ちんりょうう、Chen Liangyu)上海市党書記は、2004年6月の中国共産党政治局での会議で、マクロ経済統制政策に対して強い不満と抗議を明らかにしました。

 温家宝と陳良宇との間の争いは、効率性と公平性の対立と急速な経済成長と社会の結束の間を反映しているものです。

 第四の点に進みたいと思います。出現しつつある2つの派閥が示している、中国政治2党派制の特徴と関係性についてお話します。派閥が出現することは、もちろんのことながら、中国で新しく出現したものではありません。派閥が出現したということは、毛沢東とケ小平が支配した時代、つまり、一人の「実力者(strong-man)」が政治をすべて支配する時代は終わったということを意味しています。意思決定において実力者が果たす役割は集団指導が引き継いでいるのです。現在の集団指導体制を率いているのは胡錦濤ですが、彼は、「同輩中の首位(first among equals)」の地位でしかないのです。胡錦濤、曽慶紅、温家宝やその他の指導者たちは、派閥の勢力拡大、交渉、そして妥協を繰り返さなければならないのです。

 中国共産党内部の2つの派閥はイデオロギーで簡単に分類できません。こっちがリベラルで、あっちが保守とか、こっちが市場主義で、あっちが反市場主義とか、改革派と抵抗勢力などと簡単に言えないのです。2つの派閥は出身地域、出自、政策志向が違いますが、社会的、政治的懸念は共有しています。2つの派閥はそれぞれが起こした問題をお互いが解決しています。ですから、1つの解決法しかない、ということではなく、複数の解決法があるという状態を作ることができるのです。

 現在の中国共産党内部の派閥政治が、どろどろした権力闘争や勝者がすべてを奪い取るゼロサムゲームになっていないのが、新しい傾向と言えます。エリート派もポピュリスト派もお互いを叩きのめそうとも思っていないし、そうする能力ももっていないのです。胡錦濤は、汚職スキャンダルが発生しても、陳良宇を上海市長の座から下ろすのに躊躇しました。これが良い例です。お互いはそれぞれお互いにない利点や強みを持っています。団派の人々は組織づくりや宣伝工作の分野で経験と能力を発揮でき、また、貧しい内陸部の地方組織の運営に長く携わってきました。しかし、国際経済に関する経験もスキルもあまり持ち合わせていません。私の研究では、22人の団派のリーダーで、外国貿易、海外投資、銀行の分野で働いた経験を持つ者はいませんでした。団派はエリート派、特に上海ギャングと協力しなければならないのです。

 2つの派閥は共通の目的を持っています。国内では中国共産党の支配を維持すること、国外では中国が国際舞台で主要なプレイヤーとしての役割を果たすことです。共通の目的を持っていることで、2党派制は安定し、持続していくのです。私は、この「一党・二派閥」制度は、10年から15年にかけて、中国のエリート政治の重要な特徴になると判断します。しかし、中国共産党内部の党派制は重大な限界も持つと考えます。これからその限界と将来どのようになるかについて簡単にお話ししたいと思います。中国共産党内部の派閥政治と政治的な離合には透明性が欠けています。もちろん、一般国民にはまず公にはされないのですが。自由民主党が支配する日本のような民主体制の国家での派閥政治とは異なり、中国共産党内部の派閥政治は、党の制度では正当化されているものではないのです。中国の2党派制は中国の政治システムにおいて、チェック・アンド・バランス機能を果たすことが可能で、それによって中国の指導部は活性化するのです。しかし、中国共産党は、社会勢力が中国の政治過程の中で活発化することによって、一党支配を続けることができないでしょう。

 また、中国共産党内部の2党派制が、将来政治的な変化をもたらすでしょう。そしてその変化によって中国共産党の一党支配を終焉させるでしょう。例えば、エリート派のメンバー全員が、全人代で胡錦濤と温家宝へ投票しました。しかし、次の選挙では数人は投票しないでしょう。それは、胡錦濤と温家宝の権力を制限しようとするからです。そして、中国の政治家たちが「新しいゲーム」のルールにより慣れていくからです。それはつまり、派閥間の争いの中で、民主体制のルールに慣れていくということです。現在は禁止されているロビー活動やネガティブ・キャンペーンもやがて、中国政治の中に生まれてくるでしょう。私の予想が正しければ、私たちは、中国の政治制度の興味深く、大きな変化をみることになるでしょう。ここで沸き起こる疑問、それは、世界最大の政党であり、世界最長の支配期間を持つ政党である中国共産党が、2つの派閥、エリート派とポピュリスト派がこれから10年から15年にわたって存続することで、最終的に中国共産党が分裂するかどうか、というものです。私が今申し上げられることは、分裂するにしても暴力は伴わないだろうということだけです。

 私は講演を終わるにあたり、一つの物語をお話したいと思います。胡錦濤の親友の宋徳福(そうとくふく、Song Defu、訳者註:2007年に死去)前福建省党書記から教えてもらったお話です。2人の男が深い森の中を旅していました。日が暮れかけたので、2人はテントを張ろうとしました。後ろを見ると、虎が2人を追いかけてくるのが見えました。1人の男はランニングシューズを履こうとしました。もう1人の男は笑いながらその男に言いました。「そんな靴がなんの役に立つ?お前は虎よりも速く走れるのか?」もう1人の男は答えました。「いいや、おれは虎よりも足が遅い。しかし、お前よりは早く走りたいと思っているんだ」中華人民共和国で急速な社会的、経済的変化が起こっているこの時、2つの派閥のリーダーたちは、もう一方の派閥よりも速く走る方法を学んでいかなければならないのです(訳者註:切磋琢磨し、変化にうまく対応すべきだ、という主張を筆者はしている)。

宋徳福

(終わり)