「0073」 翻訳 中国に関する2本の論文をご紹介します。また冒頭にサイト開設1周年のご挨拶を掲載します。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2010年2月20日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今から1年前の2009年2月20日、本サイトを開設いたしました。本日、無事に1周年を迎えました。これまで73本の論文、翻訳文を掲載してきました。これまで多くの皆さんに読んでいただき、感謝申し上げます。これからも様々な論文や翻訳文を皆様にお届けし、楽しんでいただけるように努力してまいります。今後とも「副島隆彦の論文教室」をよろしくお願い申し上げます。

 1本目の論文は、南京大虐殺についての論文です。今年の1月、日中両国の学者による歴史共同研究の結果が発表されました。それについての新聞記事を以下に掲載します。

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

「日中の歴史共同研究公表 南京大虐殺犠牲者数など隔たり」

2010年1月31日付 朝日新聞電子版

 日中の有識者による歴史共同研究委員会は31日、初の共同研究の報告書を公表した。戦争中の日本の行為が中国に大きな傷跡を残したとの認識では一致したが、南京大虐殺の犠牲者数などをめぐって違いは残った。また、戦後部分については、国内世論への影響などを懸念した中国側の求めで非公表となった。

 共同研究は、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化したことを受け、歴史認識の違いを理解しようと2006年12月に両政府の合意で始まった。報告書は549ページで、同じテーマについて日本側と中国側の委員がそれぞれ執筆した論文を収録。内容は執筆者本人の認識だが、討論を通して得られた共通認識や相手側の主張の賛同できる点は反映されている。

 戦後部分を非公表としたことについては、委員会は「関連資料が十分に公開されていない」「現在の日中関係に直接関係する政治問題も含んでいる」などと説明している。両政府は第2期を続けることで合意しているが、開始時期や方法は決まっていない。

 南京大虐殺の犠牲者数については、中国側は報告書で東京裁判判決の「20万人以上」、南京戦犯裁判判決の「30万人以上」を挙げた。一方、日本側は2万〜20万人と諸説あることを紹介した。

 日中戦争と太平洋戦争の総括として、日本側は、非戦闘員の犠牲の多さや日本軍による違法行為が「戦後の日中両国民のなかに、新しい関係構築を妨げる深い傷跡を遺(のこ)すことになった」と指摘した。

 中国側は「日本の侵略戦争は中国人民に重大な民族的災難をもたらした」と強調。だが、終戦後の日本を「軍国主義を捨て、新たな平和発展の道を歩み始めた」と評価、「戦争の終結は、両国に全く新しい平等な関係を築く可能性をもたらした」とした。(東岡徹、林望)

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 このようにレポートには、南京大虐殺の被害者数について、日中間の隔たりがありますが、多くの点で、両国で同意できたことが重要です。これまで日本と中国の間には、しこりが残っていました。このレポートが日中両国の友好の第一歩となる可能性があります。

 2本目の論文は、中央アジアにおける中国の地位が上がっていることをレポートしています。中国とトルクメニスタンとの間に天然ガスを送るパイプラインが建設し、中央アジアにおけるロシアの地位が低下し、中国の地位が上昇しています。ロシアと中国は、中央アジア地域において、上海協力機構という枠組みで協力関係にありながら、同時にライバル関係にもあります。

 重要だと思われるのは、ロシアと中国それぞれの後ろに控える、ヨーロッパと東アジアです。ロシアとヨーロッパは相容れない関係ですが、中国は東アジアをけん引しています。東アジアと中国は協調関係を築いており、エネルギーに関しても協調しています。そのため、中央アジアに対するアプローチがしやすいのです。その差で、中央アジアにおける中国の地位が向上し、相対的にロシアの地位が低下しているようです。

 それでは拙訳をお読みください。

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数字による南京大虐殺議論は時代に取り残されている(Nanjing by the Numbers

 

フォーリン・ポリシー誌(Foreign Policy)
2010年2月9日
ケイト・メルケル=ヘス、ジェフリー・N・ワッサーストーム筆

 

「1937年から1938年にかけて発生した南京大虐殺に関する新しいレポートが発表された。このレポートが発表されても、南京で何人が亡くなったのか、についての論争は終わらない。しかし、日中両国間で重要なコンセンサスが新たに形成された」

 

 「南京大虐殺(Nanjing Massacre)」とは、日中戦争において、南京に侵入した日本兵が多数の中国人民間人を殺害し、暴行を加えた事件である。この事件は、日中両国の外交関係に常に暗い影を落としてきた。また、南京大虐殺は、両国民、特に中国国民に強い感情を引き出す事件である。

 最近、日中両政府が任命した歴史家たちの南京大虐殺に関する共同研究の成果についてのレポート(日本語版と中国語版)が発表された。これによって、南京大逆に関する議論が再び白熱化している。多くの新聞がレポートの中身で、両国政府が一致しなかった点、南京大虐殺に置いて何人が実際に殺害されたのかに焦点を当てている。しかし、新聞などメディアは、レポートの持つもっと重要な点を見逃している。その重要な点とは、両国政府がレポート作成を依頼した歴史家たちが、史上初めて、日本軍が戦争中に残虐行為を行ったこと、日本の違法な侵略が中国国民の日本に対する敵意の源泉になっていることを認めたことである。

 1945年に太平洋戦争が終結して以来、南京大虐殺について、様々な主張がなされてきた。それは、誰から南京大虐殺について情報を得るかで全く異なる内容となった。1937年に日本軍が南京に入城しそこで行ったことを、ヨーロッパで起こったホロコーストに比肩する歴史的な出来事だと主張する人々がいる。その反対に、南京で起こったことは、戦争中に占領した都市をコントロールする上で仕方なかったことだ、と主張する人々もいる。

 日本の歴史家たちは、南京大虐殺の犠牲者数を2万人から20万人と推定している。極端な歴史家たちの中には、中国人の被害者はかなり少ないと主張している人たちもいる。一方、中国の歴史家たちは、南京大虐殺の被害者数は30万人以上で、その大部分は非武装の民間人であると主張している。被害者数の議論はなかなか決着がつかない。戦争の混乱、また、学者たちの議論が混乱している中で、殺害された人数の記録がきちんとなされるようなことはない。また、犠牲者の多くが埋葬されたり、火葬されたりしたのだから、どれくらいの数の民間人が殺害されたのかを知ることはできないのである。

 このことから、中国政府が任命した歴史家たちと日本政府が任命した歴史家たちが共同研究を行っても、南京大虐殺に置ける被害者数でコンセンサスを得ることができなかったのは当然のことだと言える。南京大虐殺についての日中両国政府共同のレポートが出されたが、犠牲者数の数だけが問題ではない。日中両国のレポートの内容には犠牲者数以外にも合意がなされていない問題があることを伝えているメディアもある。例えば、1937年に、中国の国民革命軍(China's National Revolutionary Army)と日本の帝国陸軍(the Imperial Japanese Army)が衝突した有名な盧溝橋事件(the Marco Polo Bridge incident)は、本当に「事故」によって起こったのか、という点では合意は見られない。

 日本側が発表した日本語のレポートには、「事故(accident)」によって盧溝橋事件が発生したと書いてある。一方、中国側のレポートには、長年主張してきているように、日本側が共謀をして(conspire)衝突を起こしたと書いてある。そして、終戦後の歴史についても両国は同意をしていない。中国側の歴史家たちは、現代史の微妙な問題について議論することに慎重な姿勢を取った。日本のあるテレビ局のニュース番組では、日本側のレポートから、1989年6月に中国軍が北京で起こした事件(天安門事件)に関する脚注が消されている、と繰り返し報道した。

 太平洋戦争の原因と戦争下での様々な事件について共同レポートで、全ての問題で合意が形成されるというのは期待のしすぎである。南京大虐殺についての議論は党派性(partisan)を帯びている。日中両国から出た新しいレポートをよく読んでみると、犠牲者数での両国の隔たりは、政治的な問題ではないことが分かる。南京大虐殺の犠牲者数の隔たりは、中国側、日本側双方の学者たちが、データの信頼性を争っており、その争いが反映したものなのである。そして、犠牲者数で日中両国が合意に達することができないことで、それ以外の点で日中両国がコンセンサスを形成できないのは、両国にとって不幸なことだ、と言わざるを得ない。

 日中両政府が、犠牲者数以外の部分で合意に達したことは重要である。それは、日中関係の深化に大きく貢献するからだ。日本の歴史家の中には、南京大虐殺について、日本の保守派に比べてより穏健な主張をするようになった人たちもいる。しかし、日本の政府高官たちは日本が犯した悪行の責任を小さくしよう、もしくは無視しようとして長年努力を続けてきた。そして、そうした動きに呼応するかのように、いくつかの学校の教科書で日本には責任はないと主張する教科書を使っている。日本政府は、その教科書に認可を出している。日本の政治家たちは、太平洋戦争中、日本が中国、朝鮮半島、台湾、そして東南アジアで行った破壊活動の責任を認めようとはしてこなかった。日中両政府が今回出したレポートでは、日本の責任を認めている。

 今回の日中両国の歴史家たちによるレポート発表について、アメリカでの報道は、南京大虐殺の犠牲者数の食い違いにばかり焦点を当てている。それは日本の報道でも同じだ。中国の報道の場合は、犠牲者数の食い違いは確かに報道しているが、もっと大きなポイントを報道している。それは、日本政府が、太平洋戦争は、日本の侵略によって起こったということを、公式のレポートで認めたことである。

 日中両国のレポートは太平洋戦争についてこれまで行われてきた不毛な論争や争いから一歩を踏み出す、スタートになったと言える。「教科書論争」が起きて、数十年経つ。ここ数年、中国や韓国の指導者たちが日本の歴史教科書について、日本で歴史がどのように教えられ、記憶にとどめられているか、について抗議をすることが増えている。日本の歴史家や国民の中には、日本が戦時中に国内、国外で犯した戦争犯罪をもっと素直に認めようと主張する人々もいる。

 南京大虐殺の被害者数で、日中両国が完全に同意に達することはないだろう。そして、正確な被害者数は本当に重要な問題ではない。本当の問題は、日本には大規模な暴力によって発生した悲劇の責任を日本に受け入れて欲しいという中国の切なる希望である。新しいレポートは、戦争被害者やその子孫たちが怒りを感じていたことに焦点を当てている。それは、日本政府が長年にわたり、侵略や暴力の責任があることを認めようとしなかったことだ。それを今回、公式に認めた。東アジア地域は、経済的、政治的、文化的つながりが深化している。その中で、今回の日本の小さな態度の変更によって、地域内の緊張が少し緩和されることになるだろう。南京大虐殺の犠牲者数は、これまで何十年にもわたり、政治的、文化的な争いの原因となってきた。しかし、これからは、学術上の問題となる。

 

ケイト・メルケル=ヘス:カリフォルニア大学アーヴァイン校ACLS・メロン記念ポストドクトラル研究員。ブログ「ザ・チャイナ・ビート」主宰。共著に『2008年の中国』。

ジェフリー・N・ワッサーストーム:カリフォルニア大学アーヴァイン校歴史学教授。2010年4月に『21世紀の中国:全ての人が知るべきこと』を出版予定。

 

(終わり)

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トルクメニスタン・中国間のパイプライン計画の戦略的重要性(The Strategic Implications of the Turkmenistan-China Pipeline Project

 

チャイナ・ブリーフ(ジェームスタウン財団発行)第10巻第3号
2010年2月4日
スティーヴン・ブランク(アメリカ国防大学教授)

 

 2009年12月14日、中国とトルクメニスタン(Turkmenistan)の間で、史上最長となる天然ガスのパイプラインの操業を開始した。このパイプラインはトルクメニスタンから中央アジア諸国を抜け、中国にまでつながっている。このパイプラインは、中国最大の石油・天然ガスの生産・供給会社である、中国石油集団(China National Petroleum Corporation、CNPC)が全面出資して完成した。このパイプラインは、中国とトルクメニスタン、そして中央アジア諸国とをつなぐ最初のパイプラインとなる。トルクメニスタン・中国パイプラインの完成は、中央アジア、中国、そしてロシアに大きな影響を与える。このパイプラインの重要性は、中央アジア地域に限定されない。このパイプラインは、将来の東アジアのエネルギー供給に大きな影響を与えることになるだろう。中央アジアと中国は、エネルギー供給の面で結びつきを深めている。また、中央アジアと中国の間でパイプライン以外にも重要な社会資本(道路など)の整備が進められている。

 トルクメニスタン・中国パイプラインには、2本のパイプラインで構成され、複数の国が絡んでいる。最初のパイプラインは2009年12月14日に操業が開始された。全長は1,833キロ(1,139マイル)で、トルクメニスタンから、ウズベキスタン(Uzbekistan)、カザフスタン(Kazakhstan)の南部を通って、中国の新疆ウイグル自治区に到達する。新疆ウイグル自治区からは中国国内のパイプラインのネットワークにつなげられて、中国各地に供給される。中国国内のパイプラインネットワークは、全長7,000キロ(4,349マイル)になる。このパイプラインはトルクメニスタンからの天然ガスを送ることになる。

 2本目のパイプラインに話を移そう。2本目のパイプラインは、2011年までに完成予定で、ウズベキスタンとカザフスタンからの天然ガスを運ぶことになる。全長は1本目と同じく1,833キロとなる。この2本目の完成によって、中国は、中央アジア3カ国から天然ガスの供給を受けることができるようになる。2本目のパイプラインは、2012年までにフル稼働するようになり、400億平方メートルの天然ガスを中国に送ることになる。

 こうした中国のパイプライン計画の進捗状況の速さは、カザフスタンとトルクメニスタンが、2007年にロシアと合意した「カスピ海沿岸パイプライン(プリカスピスキ、Prikaspiiskii)」の進捗状況と比べるとその速さには驚かされる。トルクメニスタン・中国パイプライン計画は交渉、合意、建設までに3年もかかっていない。一方で、カスピ海沿岸パイプラインの進捗状況は大変に遅い。これは、ロシア側がモタモタしている間に、中国が素早く中央アジア諸国に取り入った結果である。(タス通信、2009年12月14日付;モスクワ・タイムズ、2009年12月17日付)

 パイプラインの開通によって、中央アジア地域のパワーバランスが大きく変化する。具体的には、トルクメニスタンはじめ中央アジア諸国と中国には有利に働き、ロシアにとっては不利に働く。トルクメニスタンは、中国とパイプライン建設で合意した2006年以降、様々な恩恵を受けている。第一に、トルクメニスタンは、ロシアに対して交渉を有利に進めることができるようになった。それまではトルクメニスタンはロシア向けのパイプラインしか持っておらず、天然ガスの値段を市場価格よりも低く抑えられてきた。

 しかし、2006年以来、トルクメニスタンと中央アジア諸国は天然ガスの価格に関し、ロシアと交渉できるようになった。それは、ロシア以外にも中国という輸出先が見つかったからだ。更に、2008年には天然ガスの国際的な需要が高まり、ロシアは、天然ガスに関して中央アジア諸国に依存を深めることになった。ロシアは、中央アジアから1000平方メートル当たり300ドルという価格で天然ガスを輸入することに負担を感じていた。それは、天然ガスを中央アジア諸国からそれだけの価格で輸入し、それをヨーロッパに売却するにしても400ドルにしかならなかったからだ。中央アジア諸国からの天然ガスは、ロシア国内の需要を満たしてきた。しかし、ロシア国内のエネルギー使用に関してはその非効率性が問題となっている。同時に、中央アジア諸国の天然ガスは、ヨーロッパや東アジアでの急増する需要も満たしてきた。

 2008年から2009年にかけて経済危機が発生した。経済危機発生以前、ロシアは中央アジアから天然ガスを1000平方メートル当たり300ドルで輸入し、ヨーロッパには400ドルで輸出していた。しかし、ロシアは、経済危機の発生後、中央アジア諸国に払っている天然ガスの価格が高いので何とか払わないで済ませたいと考えていた。経済危機が深化し、世界のエネルギー需要が減少し、その結果エネルギーの価格が全体的に低下した。しかし、ロシアは中央アジアからの天然ガスを高い価格のままで買わなければならなくなった。それによって、天然ガスの最大である供給会社ガスプロム(Gazprom)の負担が一方的に増えていった。ノルウェイの平和研究所のパヴェル・バエフは、ロシアは、カザフスタンとウズベキスタンを直接攻撃できないだろうと予測している。それは、ロシアはカザフスタンには多くの権益を持っているし、ウズベキスタンは、ロシアから攻撃を受けた場合、西側陣営につく可能性が高いからだ。それで、ロシアは標的にトルクメニスタンを選んだ。2009年4月、トルクメニスタンからロシアへ天然ガスを送るパイプラインが爆発して使えなくなった。トルクメニスタンからロシアへの天然ガスの輸出はストップすることになった。ロシアはパイプラインの操業を遅らせ、トルクメニスタンに天然ガスの価格の値下げを迫った。ロシアはトルクメニスタンを屈服させようとしたのだ。

 2009年11月、ロシアはトルクメニスタンからの天然ガスの2010ン年分の輸入量を減らすと発表した。経済危機が起こる前、ガスプロムは、2010年から2012年にかけて、トルクメニスタンからの天然ガスの輸入量を500億平方メートル、価格は1000平方メートル当たり375ドル支払うという計画を立てていた。それを、10億5000万平方メートル、価格を1000平方メートル当たり220ドルから240ドルに減らすと発表したのだ。そして、この輸入価格をそれぞれウズベキスタンにもカザフスタンにも適用しようとしたのだ。ロシアはこのような圧力をかけることで、天然ガスの輸出に依存しているトルクメニスタンは、2008年にロシアと結んだ契約に明記してある価格を撤回し、安い価格に応じるだろうと見ていた。(2009年11月24日付、ユーラシア・インサイト;2009年12月17日付、モスクワ・タイムズ)

 しかし、トルクメニスタンはロシアの計画通りには行動しなかった。第一に、トルクメニスタンは、中国との関係を深めることでロシアに対抗しようとしていた。トルクメニスタンは、中国から30億ドル(約2700億円)の借款を受けてトルクメニスタン南部のイオロタンガス田の開発を行っていた。このガス田の予想埋蔵量は40から140億平方メートルと言われている。(2009年5月29日付、イタルタス通信)

 トルクメニスタンは、パイプラインを通じて中国に輸出する天然ガスの量を300億平方メートルから、40億平方メートルに引き上げた。また中国からの借款の返済に充てるために、トルクメニスタンは、南イオロタンのガス田の開発権を中国に認めた。(2010年1月20日付、セントラル・アジア・コーカサス・アナリスト)2009年12月、中国石油集団(CNPC)、韓国とアラブ首長国連邦の企業が結成した企業連合が、南イオロタンのガス田の開発契約をトルクメニスタン政府と締結することができた。(2009年12月31日付、チャイナ・デイリー・オンライン)

 中国はトルクメニスタンが、エネルギー供給に関してロシアの独占状態から脱出することを支援している。具体的な形としては、中国は、新しいパイプラインを建設し、新しい契約を結び、天然ガスの輸入量を増やしている。これは中国側にも利益をもたらす。このエピソードは、中国にとって利益があり、天然ガスの価格が適正である限り、中国はロシアと中央アジアで対峙する用意があることを示している。これは中央アジア地域にとって大変重要なことである。

 トルクメニスタンから中国へのパイプラインが開通した直後、2009年、ガスプロムとトルクメニスタンは、両者の間の争いを終結させために交渉を行った。しかし、ガスプロムは、トルクメニスタンからは105億平方メートルの天然ガスを、かなり低い価格でしか引き取らないと主張した。天然ガスの国際価格が下落していることをその理由に挙げていた。(2009年11月24日付、ユーラシア・インサイト)同時に、ロシアの政府高官たちは、中国とトルクメニスタンとの関係にくさびを打ち込もうとしている。ロシアは、中国・トルクメニスタンとの関係に無関心を装ったり、トルクメニスタンからのパイプラインの再開をちらつかせてみたりしている。また、ロシアは、トルクメニスタンに対し、「中国に400億平方メートルも天然ガスを供給すると、EUへのナブッコ(Nabucco)パイプラインに天然ガスを供給できなくなる」と繰り返し主張している。(2009年12月22日付、タス通信)

 しかし、そのようなことをしても焼き石に水だ。中国とトルクメニスタンとの間の2本のパイプラインが開通し、中央アジア諸国と中国がつながることになると、ロシアではなく、中国が中央アジア地域の天然ガスの主要な消費国となる。中央アジア諸国にとって中国はロシアにとって代わるだけの存在となる。ナブッコ・パイプラインがロシアによって遮断されても(そのようなことをするとは考えられないが)、中央アジア諸国は中国に天然ガスを供給することができる。従って、中央アジアにおける中国の優位性は、ロシアに対して長期間にわたって大きな影響を与える。(2009年12月22日付、タス通信)ロシアに日刊紙コマーサント(Kommersant)は、エネルギー需要における中国の地位は強化されてきている。中国が中央アジアの真のリーダーとなり、地域の安全保障の「真のリーダー」となるだろう。中国は、上海協力機構(Shanghai cooperation Organization)のリーダーとなっている。ロシアはそれを黙認している。コマーサントは、「ロシアがヨーロッパに傾倒するあまり、中央アジアにおける機会を失っている」と主張している。(2009年12月23日付、コマーサント)こうした主張は、中央アジアにおける中国の地位を過大評価しているとしても、中国とトルクメニスタンの間にパイプラインが開通することで、中国、中央アジア各国の力が大きくなり、その逆にロシアは力を落とすことになる。

 中国はロシアに対して下手に出る必要はなくなったのである。それどころか、中国はロシアに対して強気な態度で交渉に臨むことができる。なぜなら、中国は、ロシア以外にエネルギーを供給してくれる国々を開発したからだ。ロシアは強がりを言っているが、実際の行動は全く別だ。2009年12月末、ロシアは2010年以降、トルクメニスタンから、年間300億平方メートルの天然ガスを購入し、トルクメニスタン南部のガス田とカスピ海沿岸パイプラインをつなぐための新たなパイプラインの建設を行うことに合意した。

 この勝利に続き、トルクメニスタンは、イランとの間で新たなパイプラインを建設することで、多様化政策を深化させている。このパイプラインは200億平方メートルの天然ガスを運ぶ能力がある。トルクメニスタンとイランとの間の取り決めでは、トルクメニスタンは80億平方メートルの天然ガスをイランに送ることになっていると。トルクメニスタンはイランにもっと多くの天然ガスを送ることができるのだ。従って、トルクメニスタンは、天然ガスを送る相手を多様化することができるのである。(Asianews.it、2010年1月8日付)2009年、ロシアは中国に680億平方メートルの天然ガスを輸出することに合意したが、ロシア側にパイプラインを建設する資金はないし、中国側が資金提供をしなければガスを採掘することもできない。この事態は、1990年代の通貨危機の時とそっくりだ。2008年の世界経済危機の影響で、2009年のロシアではガス田の開発やパイプラインの建設はストップした。 

 実際のところ、中国は毎年760億平方メートルの天然ガスを自国で生産している。国内消費量は800億平方メートルであり、その差はオーストラリアからの輸入で補っている。だから、ロシアからの天然ガスの輸入はすぐに必要という訳ではない。トルクメニスタンから400億平方メートルの天然ガスが送られてくるので、なおさらである(Cbsnews.com、2009年10月14日付)中国もロシアも価格面で折り合わず、原則的な部分では合意をしたが、細かい部分で合意はできなかった。これまでの交渉の経緯からみて、合意はすぐにはできないと思われる。ロシアが主張としているのとは反対で、中国側は市場価格よりも低い価格での買い取り、ロシア側は市場価格での売却を主張している。これは古典的な供給者と需要者の争いということになるだろう。実際のところ、ロシアは中国側との間のパイプラインを必要とし、そこからの収入をのどから手が出るほど欲している。トルクメニスタンと中国との間に建設されたパイプラインは、中央アジア地域だけでなく、東アジア地域における中国のロシアに対する優位性に寄与している。

(終わり)