「0075」 論文 存在構文と存在論哲学 副島隆彦(そえじまたかひこ)筆 2010年3月2日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。本日は、副島隆彦(そえじまたかひこ)先生の論文を掲載します。2010年2月20日に本ウェブサイトが開設され、1周年を迎えました。その記念として、副島先生が論文をお書きくださいました。副島先生、誠にありがとうございました。

 今回の論文は、私たちが中学校や高校で英語を習う際に戸惑った記憶があるものを取り上げています。それはThere is a tree in front of my garage. 「うちの車庫の前に木が一本立っている」に使われるThereです。英語の文の構造を理解するために、五文型という分類法を習いましたが、Thereを使う構文は、「後ろに来る名詞が主語になる」と教えられました。どうしてThereが主語じゃないのか、ということを不思議に思いながら、そのまま過ごしてきました。

 副島先生はThereを使う文を存在の文と喝破されました。そして、この「存在」という言葉を学問的に分析されました。その成果の一端が本論文となります。

 この論文は、1996年ごろ、『英文法の謎を解く』(ちくま新書、第一巻)の執筆途中に書いたもので、 その中に載せようとして、断念したものだ、ということを副島先生にご教示いただきました(2010年3月31日加筆)

 それでは、副島先生の論文をお読みください。

==========

存在構文と存在論哲学―「存在」と「存在するもの」

2010年2月28日
副島隆彦(そえじまたかひこ)記

●イスラーム哲学による‘存在のbe’の問題

There are flowers on the table.
       v    s

 「テーブルの上に花がある」という英文がある。これは、中学2年生で習う英文だ。There is(are)……は、「……がある」という型の文で、「存在の文」あるいは、「存在構文」と呼ばれている、やや特殊な英文である。

 私は、実は、このThere is ……の型の文を、英語(ヨーロッパ語)において、特異な型の文であると、この15年間の間に各所で書いて、注目を集めてきた英文法理論家である。その始まりは、『道具としての英語・しくみ編』(別冊宝島、1984年)である。

 それ以来、私は、この「存在の文」と、

I like it.「私はそれが好き」や、This flower is beautiful.「この花は美しい」
s v  o                       s    v   c        

のような、ものごとを説明する文、叙述の文などの普通の文とは根本から違うのだと書き続けている。

 なぜ、「……がある」という存在を表す文が、そんなに特異な文なのか、ということを、ここでは、少し角度を違えて論究してみることにした。それは、「イスラーム存在論(オントロギー、ontology)哲学から始まった存在するということの研究」というテーマである。それは、There are flowers.「花がある」と Flowers are there.「花はそこにある」、2つの文の違いから、イスラーム哲学による‘存在のbe’の問題を考えることにする。

 もっと簡単に言うと、「花がある」と「あるが花」という2つの日本文の違いをあれこれ考え詰めるということである。

 「あるが花」というのは、変な日本文だが、この「在る(有る)」とは、そもそも何なのか、という根本的な問いに戻ることになる。

 その前にこの「……がある」を表すThere is(are)……の文が、どうして、そんなに特殊なのか、ということをおさらいておこう。最近では、私が唱え始めたこの「存在の文」の考え方は、例えば三省堂の文部省検定済みの中学校の英語の教科書でも使われている。中学生用の英和辞書や学習参考書でもよく見かけるようになった。ただし、それらが私の業績なのだということをきちんと認める人々がいない。英語教育業界では、このことは今では公共知に属することだから、私は黙って見つめているだけである。

 この存在の文「……が在る」の何がそんなに特異かと言うと、それは人間世界は、地球上のどの言語で表してみても、以下の三種類しかない。それは

@「○○が……を……する」という表現型と
A「○○は……である」という表現型と、それから、
B「……がある」と存在することを提示する表現型(文型)

の3つである。

 突き詰めれば、この3種類しかない。これらは、

  1. I do it.「私はそれをする」(第三文型の文)

  s v o
A She is pretty.「彼女はかわいい」(第二文型の文)
  s  v  c
B There is a book on the desk.「机の上に本が1冊ある」
      v   s (vs型という第一文型の文に属する変種)

というように、最も単純な例文で簡潔に書き表すことができる。

 @のI do it.型の具体例は、I love you.「私はあなたを愛している」やI have a sister.「私には姉(女の兄弟)がいる」やI send this mail via internet「私はこのメールをインターネットで送る」という文などが挙げられる。

 AのShe is pretty.の型の具体例は、My little brother is kind.「私の弟は親切です」やWe are mortal.「人間は必ず死ぬ」という文が挙げられる。

B There is a book on the desk.型の具体例は、There is a man at the door.「ドアのところに男の人がいる」や、There are three dictionaries on the shelf.「本棚には辞書が3冊置いてある」などが挙げられる。

 これからThis is a pen.「これはペンです」が、中世ヨーロッパのスコラ哲学の大論争であった「普遍論争」Universiaritate(Problem of Universals)にとどまらず、12世紀のイスラーム哲学の大問題にまで遡ることについて述べる。

 スコラ哲学での論争は、次のような対立図式になっている。a pen「ペン」というものが、ここに在る。このa penのaに現れるように、この世界にidea(アイデア)「観点」として普遍的なもの(この場合は「ペン」)が存在すると主張する(a) Idealist(アイデアリスト、観念論者・実念論者)と呼ばれる人々がいる。それに対し、「いや、そうではない、存在するのは目の前にある、まさに『このペン』the penであり、この個物としてのペンが名前として存在するだけだ」とする(b)Nominalist(ノミナリスト、個物派、唯名論者)と呼ばれる人々も存在する。「普遍論争」はアイデアリストとノミナリストとの間の対立であった。それは、ものの「名」が「実(実体、現実)」に先立つとする(b)ノミナリストの立場か、それとも、「実」が「名」に先立つとする(a)アイデアリストの立場か、の激しい争いであった。

 この論争は、10世紀のロスケリヌス(Roscelinus)に始まり、パリ大学(パリの修道院)を興し、ここに支持者の若者僧侶らと立てこもって、ローマ・カトリックの総本山バチカンと対立した12世紀のアベラルドウスからさらに、13世紀、後期ノミナリストのウイリアム・オッカム(William of Ockham)やドウンス・スコトウス(Johanes Duns Scotus)らに到るまでの(b)ノミナリスト派の人々の400年間続いた大論争である。(a)派のアイデアリストの総大将は、中世ヨーロッパ神学の正統を築いて守り抜いた『神学大全』(スンマー・テオロジカ、Summa Theologica)のトマス・アクイナス(Thomas Aquinas)である。

       

ロスケリヌス  ウイリアム・オッカム  ドウンス・スコトウス

トマス・アクイナス

 トマス・アクイナスの神学は、ノミナリストたちとの論争によく堪えて今日に残った。これが、保守の思想、すなわち、現実の社会秩序を守るということが何よりも大切とする正統保守の思想の本家本元となった。

 トマス・アクイナスは、「神を存在beingであり、存在beingそのものである」と定義づけている。それは、古代ユダヤ民族の予言者モーゼ(Moses)が、エジプトからユダヤ人を引き連れてカナーン(パレスチナ)の地に戻る(「出エジプト記」)途中で、シナイ山に登って、神の声を聞いたとき、「私は、存在であり、存在そのものである」と言った『聖書』「出エジプト記」(Exodus)の中の記述によっている。ここでは、神godは、全宇宙の唯一絶対物であり、世界の全体そのものであり、無限定であり、普遍的な存在そのものである。この考えは、私たちにも分かりやすい考え方である。

 では、それに対して、人間とは何か。人間は「限りあるもの」‘finit(フィニット)’である。神が‘infinit(インフィニット)限りないもの=無限’であるのに対して、人間は限界のあるもの、すなわち、やがて滅んでしまうものである。だから、人間とは「存在」そのものではなくて、「存在者」である。「存在」と「存在者」は違う。

 神が「存在」であり、人間が「存在者」なのである。これを現代ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)が、「神がSein(ザイン・存在)」であって、人間はDasine(ダーザイン)=Das Seiende(ダス・ザイエンデ・存在者)である」と、はっきりと、その大著『存在と時間』の中で書いた。

  

ハイデガー    フッサール

 20世紀初頭のこのハイデガーの存在論(Ontology、オントロギー)哲学と、その先生のエトムント・フッサール(Edmund Husserl)の現象学(Phenomenology、フェルメノロギー)の哲学は、共に、13世紀のヨーロッパ最大の哲学論争『普遍論争(ウニベルシアリテート)』を現代に復活させただけでなく、それは近代西欧の思想が12世紀のイスラーム哲学の中に遡り、そこから出発するものであることを暴き出すものでもあった。

 先述した12世紀イスラーム哲学の論争の中に「存在すること」についての議論の出発点があるのである。

●イスラーム12世紀存在論哲学

井筒俊彦によれば、

A存在する」― @ A flower is.
 花  god       s     v
:Predicate(形容、叙述)

存在Aである」― AThere is a flower.
   god 花              Allah v  s

このことについての形式論理上の問題点として争われた。

 1)@の立場に立って、イブン・スィーナー(Ibn Sina、ラテン語名アヴィセンナAvicenna)が、「存在は偶有(偶然)である」説を説いた。このイブン・スィーナーが一番エライ、と私、副島隆彦は判定する。他の人間はみな、スィーナーが気に入らなくて、叩いただけのことだ。

イブン・スィーナー

 スィーナーは、主語Aによって指示されているもの(述語的に本質と呼ばれるものの具現した形としての「実体」)に対して、「存在」が属性として従属してしまっている。この点が重要だ。「花がある(存在する)」の中の、「ある(存在する)」は、=「神」だ。@型の文では、神が叙述され(predicative)、属性(attributive)になってしまっていると宣言したのだ。

 2)これに対して、Aの立場に立って、これは「存在が花だ」なのだ、と考えたのがイヴン・アラビー(Ibn Arabi)である。アラビーは、「存在=(即ち)神」であると主張した。言い換えると、神=存在一性論(神のみが真の存在であり、それ以外は幻であるとする考え)を主張したのだ。これは、プラトン(Plato)のイデア論の流れをくんでいる。この考えを取ると、概念(Idea、アイデア)としての花が存在する。

イブン・アラビー

 3)アヴェロエス(Averroes、イスラーム名Ibn Rushdイヴン・ルシト)は、中世最大のアリストテレス評釈者(La Commentatorラ・コメンタトーレ)である。アヴェロエスは@の「神が叙述され、属性となってしまっている」を批判した。

アヴェロエス

 4)トマス・アクイナスもまた@の「神が叙述され、属性となってしまっている」という考えを批判した。

●イスラーム存在論

 イスラーム教Islamの神はAllah(アラー)で、キリスト教の神は(英語では)Godで、ユダヤ教では唯一神ヤファエ(エホバ)Jehovahだと私たちは思っている。これらの神は、実は、全く同じ神である。世界の大宗教は、みな同じ神godを共有しているのである。言語が違うから、違っているように見えるだけで、実は同じ神である。日本人は、宗教ごとに、別々の神がいると思っている。

 しかし、イスラーム教とキリスト教とユダヤ教の神は同じものである。だから、近代以降のヨーロッパ文明と中東イスラーム教文明は、同一基盤の上に立っている。実際に、15世紀までは、イスラーム世界の方がヨーロッパ世界よりも、人類の文明としては、より発達して、進歩していたのである。天文学も数学も哲学も、航海術(羅針盤)も火薬術も、測量術も、イスラームの方が進んでいた。同じく、同時代の中国の元や明王朝の方が、当時のヨーロッパよりも進んでいた。15世紀までのヨーロッパ人は、王侯貴族たちでも、食事は手づかみであり、食べかすを床に投げ棄てると、犬たちが飛びついてそれを食べる、というような文化であった。

 ところが、15世紀末になると、とたんにヨーロッパの方が強くなってくる。それは、一言で言うと、近代ヨーロッパ社会が「知識人や科学者というヘンな人間たち」を、生んで育てるようになったからだ。この初期の近代の知識人や科学者たちというヘンな連中を弾圧はしても、少なくとも殺したりはしなかったからである。

 15世紀末のヨーロッパでは、その時々の政治体制や社会慣習に反したことを考えたり主張したり、妙な科学実験のようなことをする人間たちを「神を否定し、秩序を乱す者」として、少なくとも殺すことはしなかった。

 そこから、科学(サイエンス、science=学問)というものが生まれてきた。イスラームや中国などの文明では、知識人=科学者が大切にされず、弾圧されて多くは殺された。15世紀までの初期の学者たちは全て、僧侶(モンク、monk)である。

 彼らは、修道院の中で生活し、信仰中心の生活をおくりながら、薬草を開発したり、いろいろの金属を混ぜ合わせてみたり、物体の性質を調べたり、古代ギリシャのアリストテレスの文献を読んだり、翻訳したり、写本したりしていたのだ。この人々が、初期の学者であり、僧侶であった。

 この種の蒙想家たちは、修道院の中でないと食べてゆくことができなかった。やがて、このヨーロッパ各地の大修道院は、そのまま、中世の大学(Universities)になってゆく。オックスフォード大学(Oxford University)も、ケルン大学(Universität zu Köln)も、ボローニャ大学(Università di Bologna)もハーバード大学(Harvard University)も、そういう修道院が大学都市として大きくなっていったものである。金持ちの子どもたちを集めて、彼らに一般教養、リベラル・アーツ(Liberal Arts)を教えて、お金を取るようになった。

      

オックスフォード大学  ケルン大学     ボローニャ大学

ハーバード大学

 やがて、そのうちに、僧侶でなくても、都市生活者として生きてゆける知識人たちが生まれるようになった。その代表がスピノザ(Baruch De Spinoza)というオランダの哲学者と、イタリアのガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)である。スピノザは、『エチカ』(Ethica)という大著を書き、「神に酔える哲学者」と呼ばれたが、職業はレンズ磨き職人である。レンズ磨き職人というのは、今で言えば、ハイテクのコンピュータ・エンジニアのようなものであろう。

  

スピノザ     ガリレオ・ガリレイ

 ガリレイもまさしく、そういう当時のハイテク技術者であり、ピサ大学の教授であった。ピサの斜塔(Torre di Pisa)から物体を落としたりする実験を行って、「落体の法則」や「惰性の法則」を研究して認められ、フィレンツェの大公メディチ家のコジモ二世(Cosimo U di Medici)の庇護のもとで暮らしていた。

  

ピサの斜塔   コジモ二世

 そして、ガリレオが1609年に望遠鏡を発見し、翌1610年に木星の衛星タイタン(Titan)を自分の目で見て発見したとき、このとき、それまでのUniverse(ユニバース)「神が造った全世界」という考えが崩壊し、宇宙はspace(スペイス、空間)であることが確定したのである。スペイスが=宇宙であり、=全宇宙であるということが、確立したのである。

タイタン

 16世紀からとりわけ、1610年から現在に至るまでを人類史上、それ以前と比べてヨーロッパでは自分たちのことを、近代modern time(モダン・タイム)と呼ぶのである。

 そして、この近代以降の人間たちは、自分たちのしゃべる、書く文章の主語のところに、人間である「私」あるいは「私たち」を、どんどん用いるようになったのである。「人間が自分自身の主人である。(神ではない)」という考え方が、さらにどんどん強まり、それが各ヨーロッパ語をどんどん変えていった。これが「人間主語の文」の歴史である。原始人(未開段階の人間たち)でも、「私は、おなかが空いた」I am hungry.と、人間主語で言っただろう。しかし、このとき、「私は」と「おなかが空いた」の間に、どういう関係があるか、などは考えもしなかっただろう。おそらく、今でも「おなかが空いた」am hungry(アム・ハングリー)だけで十分であり、「私は」のIは必要でない。

 この両者に関係があることは、中世にラテン語で手紙を書きあっていたヨーロッパ各国の知識人・僧侶たちによって、明らかとなった。彼らが、「私は」と「おなかが空いた」を、連続して書くことを決断したのだろう。ただし、当時は、「人間のおなかが空く」などということを紙や書物という貴重なものに、わざわざ書くことはなかっただろうが。

 文の主語には、I「私は」が来るのが基本である、と英語国民が強く感じているとすれば、それには、このような近代ヨーロッパを準備した16世紀以来の500年間の知識人(=科学者)の運動があったからだ。彼らは、ただ、ひたすら、合理性rationalラシオナルということを考えただろう。知識人たちは、より真実truthで、より事実factsであるもの、それしか信じないとする態度で生きた人々である。だから、今でも欧米の知識人と呼ばれる人々は、15歳ぐらいの時に、ひとりひとりが「私は、もはや神を信じない」という決意宣言をしていることが、伝記等を読むと分かる。例えば、バートランド・ラッセル(Bertrand  Russell)がそうである。信仰beliefと理性reasonのどちらを取るか、と迫られて理性(合理性)の方を知識人のひとりひとりが、選び取っていったのである。

 ヨーロッパの知識人(=科学者)というのは、「神の存在を信じない」で、ギリシャ古典哲学のアリストテレスの自然学Physicaフィシアの方を信じる、と宣言した人々のことである。アリストテレスの哲学全体自体が、ギリシャ文明の所産であるだけでなく、合理思想、科学scienceスシアンスの始まりだ。そのままイタリアで、みんなに勉強されていたのかと思うと、そうではなくて、アリストテレスの書物は、1000年間に亘って、中世の各修道院の書庫の中に、ギリシャ語の原典のまま眠っていたのである。アリストテレスを読むということは、ローマ・カトリック教会の教えるキリスト教の教義と衝突を起こすことになるので、僧侶たちの間でさえ、注意深く扱われていた。イタリアの記号学者ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)の『薔薇の名前』(Il Nome della Rosa)を読む(それを映画化したものもある)と、これらの事実がよく分かる。

    

アリストテレス   ウンベルト・エーコ   映画『薔薇の名前』から

 アリストテレスの思想が、ヨーロッパ全体の修道院の僧侶たちに知られるようになったのは、やっと12世紀である。それも、何と、アラビア語経由であった。アリストテレスの書物は、アラビア語に翻訳されて、それからラテン語に翻訳されたのである。アリストテレスの全集は、始めはもっぱらアラビア語で研究されており、それがスペインのコルドバの町を経由して、ここで、12世紀にラテン語に翻訳されて、全ヨーロッパに広まったのである。この時までは、ギリシャ語・ラテン語で読まれていたわけではない。

 スペインは当時、8世紀以来広まっていたイスラーム教勢力が12世紀には、しだいに押し戻されていた。1492年に最終的にナスル朝グラナダ王国が、スペイン王国に滅ぼされるまで、イスラーム教の力が強かった。

 アリストテレスの全思想を、ヨーロッパ(当時はまだ「キリスト教圏」というコトバしかなかった)に伝えたのは、アヴェロエスである。

●副詞:there、here、when論

‘John, where are you?’「ジョン、どこにいるの」
‘in here’「ここだよ」

 このin here.「ここだよ」を、許せない、といきりたつ日本人英語教師たちがいる。「このinは当然、hereの中に吸収されているはずで、副詞のhereだけでいいはずだ」と主張する。しかし、英語国民は、これは‘I am here in the room.’だと言う。それは、I am here. =I am in this room.「私は、こっちの部屋にいるよ」で、ここではhere=in this roomだから、inは、hereの中に含まれているからだ。

 ところが、‘in here’のように、inはhereからはみだしてしまう。なぜか?

 そこで、少しだけ別の文から攻めてみる。ここで、Where are you from?(ホヤ・アー・ユー・フラム)「どちら(どの県の)のご出身ですか」(アメリカなら「どの州のどの町のご出身ですか」の意味になる)。答えは、I’m from Aomori(-ken).「私は青森の出です(私の出身地は青森県です)」となる。このbe fromのbeも、「〜からやって来て、今は、ここに住んでいる」の意味である。

 これと、Where did you come from?(ホヤ・ディド・ユー・カム・フラム)の場合と違う。こっちは、「あなたは(今日、あるいは昨日)どこから(ここに)来たの」の意味である。この文は、もっと簡単には、from where?(フラム・フェア)と相手に聞いても通じる。

 このwhereの中にも、there=to、in、at the place、と同じで、当然、ここでwhere=from Aomoriが入っている。だから、here(=there)の中には、from Aomoriが入っているはずなのだ。ところが、このwhereは、fromを食べきれないのである。toやatやinはキチンと食べきれるのに、このfromは食べきれない。Where will you go this weekend?「あなたは今週末はどこにいるの」は正しい文となる。繰り返すが、whereは、fromを吸収しきれない。だから、本来ならfromの分は、副詞whereの中に含まれているはずなのだが、仕方なく、はみだしてしまうのである。それは文法上、仕方がないのである。

 だから、このfrom where ?のwhereは、前置詞fromのうしろに来るから、この場合、品詞名は名詞と考えなければならないかもしれない。英語辞書の名詞のwhereの項の一番うしろの方に、ポツンと認めていたりする。

 あるいは、それではあんまりだから、from whereのwhereは副詞である、と考えて、押し通すのが普通であろう。

 ‘in here’も同じことで、このhereも、副詞のままだと考えるだろう。そして、前置詞であるはずの、このinも副詞と考えてもよいのだろう。Please come in.「どうぞ、お入りください」のinは、副詞である。‘Please come in(to my room).’の省略形から興り、やがて、inは、副詞として独立するのである。副詞と前置詞の区別をしっかりつけることが大切なのである。ちなみに、She is in.(the groove)「彼女はカッコイイ!」の意味で、少し古いが、「ナウイなぁ」となる。反対語は、outで、ダサイということになる。

 from hereと他に似たようなものに、around hereがある。

He lives around here (in). 「彼はここら辺に住んでいる」
He has moved around here.「彼はここら辺に引っ越してきた」
He works around here. 「彼はここら辺で働いている」

 around hereは、「ここらあたり」を意味し、日本語の語感ともピッタリである。このaroundも、ここでは、前置詞と考えるか、副詞の(アメリカでは=aboutである)まま、と考えるかは、自由だとされているのだろう。イギリスではroundを良く使う。

 I will meet you at around 5 o’clock this evening.のaroundはabout、approximateの意味だが、もしかしたら、atと同じ前置詞と考えて、逆にatを逆に吸収して、I’ll meet you around 5 this evening.とするのが、アメリカ人の間では普通である。イギリス人は今でもat around 5を使いたがるようだ。

(終わり)