「0076」 翻訳 中国の若手政治家たちについての詳細な研究を報告します。 古村治彦(ふるむらはるひこ)翻訳 2010年3月10日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。先週末から今週初めにかけて、翻訳の仕事をしていました。翻訳の出版について近々お知らせできると思います。よろしくお願いいたします。

 さて、今回は、アメリカで中国の若手政治家たちについての詳細な研究が発表されました。今回、研究の対象になったのは、中国の各省、各自治区の省長と党書記62名です。現在の指導部もそうですが、中国の最高指導層に入るには、省長や党書記の経験が不可欠となっています。今回取り上げた人々の中から将来の国家主席や国務院総理が出る可能性が大変高くなっています。

 著者のチェン・リはブルッキング研究所の上級研究員で、中国のエリート政治を専門に研究しています。これまでも何回か研究の成果をお知らせしてきました。今回も大変な力作となっています。

 それでは拙訳をお読みください。

 

==========

 

中国の出世レース:2012年に向けての中間評価(第1部:省レベルの長たち編)(1)

 

チャイナ・リーダーシップ・モニター第31号(ブルッキングス研究所)
2010年2月19日
チェン・リ(Cheng Li)筆

 

要旨:中国は、2012年に開催される第18回中国共産党大会(the 18th National Congress of the Chinese Communist Party)で指導者の大規模な交代が予定されている。現在の最高指導者たち、胡錦濤(Hu Jintao)国家主席、温家宝(Wen Jiabao)国務院総理、呉邦国(Wu Bangguo)全国人民代表大会常務委員長(Chairman of the National People’s Congress)などが全て引退する予定となっている。中国共産党政治局(Politburo)、政治局常務委員会(Politburo Standing Committee)も入れ替えがあり、新顔が大量に入ることになる。最高指導グループに誰が入るのだろうか?新顔たちの特徴、そして彼らに対する選考基準はどのようなものなのか?新しい世代の指導者たちはどれくらい中国の政治を変化させるだろうか? 本論では、62名の省レベルの最高指導者たちである党書記(Party secretaries)と省長(governors)を研究することで、上に挙げた設問に答えを出してみたい。現在の省レベルの最高指導者たちが未来の国家最高指導者となるのは疑いようがない。62名の指導者たちの中から、2010年代以降の中国の指導者が出てくることは誰でも分かることである。

      

胡錦濤       温家宝         呉邦国

 

 アメリカ合衆国もそうであるが、中国も2012年に節目の年を迎える。1977年以来、中国共産党(the Chinese Communist Party、CCP)は、党大会(Party Congress)を、5年ごとに開催してきた。中国共産党大会は常に、中国の最高指導者グループの交代にとって絶好の機会となってきた。第18回中国共産党大会は2012年秋に開催される予定となっている。中国の最高意思決定機関である中国共産党政治局常務委員会の9人のメンバーのうち、7人が大会を最後に引退することになっている。政治局員は25名いるが、そのうち14名が引退し、後進に道を譲ることになっている。その結果、2012年以降、中国の政治、イデオロギー、経済、金融、外交、軍事といった各分野を担うのは新しい政治家たちということになる。

 中国には、最高指導者グループの交代はまだ先のことだ、という雰囲気があるが、政治家たちはすでに行動を起こしている。中国にはアメリカと違い、中間選挙の制度はない。アメリカでは中間選挙(Midterm election)が行われていることは中国の政治家たちは知っているが、実感はない。しかし、アメリカ政治において、中間選挙は、アメリカにおいて、来るべき大統領選挙に向けて重要な位置づけを持っている。中国政治も、制度こそないものの、アメリカと似たようなリズムで進んでいるのである。力のある政治家たちと彼らが所属する派閥は、来るべき「政治指導者の交代」の年に向けて、この2年間で権力掌握に向けての競争をヒートアップさせる。

 2012年までの2年間という時間で、国家の最高指導層入りを目指す政治家たちは、それなりの地位にいなければならない。それが最近確立した、中国共産党の人事に関する規定であり、規範である。中国共産党中央委員会(Chinese Communist Party Central Committee)と政治局のメンバー入りを狙っている政治家たちは、これから以降、中央、地方問わず、党や政府内で昇進につながる地位に就かなければならない。

 現在、重要な地位にいる政治家たち、特に最近の人事異動で重職に就いた人々を分析することは、中国政治を観察する上で大変意義があることなのだ。彼らを分析することで、4つの重要なことが分かる。一つ目は、2012年の政治局、特に常任委員会のメンバーを予想することができる。二つ目は、新しい世代のスターを含む、新しい指導者たちの政治的な特徴とキャリアを明らかにすることができる。三つ目は、第18回全国代表大会後の派閥のバランスを予想することができる。四つ目は、新しい指導者たちの下、中国政治がどこに向かい、彼らがどのような政策を行うか、予測することができる。

 本論は、2012年の最高指導者交代に向けての中国の政治家たちの出世競争を研究するシリーズの第一弾となる。このシリーズは、中国共産党、国務院(State Council)、全人代、国営企業、人民解放軍の指導層を調査、研究することを目的としている。本論では、62名の省長、省党書記、直轄市市長に焦点を当てている。本論では、62名の生い立ち、学歴、キャリア、政治上のつながりや派閥について網羅的に分析している。彼らの親分・子分関係と家族などの情報は、筆者自身によるインタビュー、非政府系の中国メディアから得た。それ以外のすべてのデータは、中国政府が運営している新華社通信のウェブサイトから得た。

 62名の省レベルの最高指導者たちは、現時点での中国政治の動向を見る上で、最も重要なグループとなっている。省レベルの指導者の地位というものは、国家レベルの指導者となるための練習の場となっている。同時に、政治勢力間の争いの場ともなっている。国家レベルと同様、省レベルでも派閥の力関係が目に見えるようになっている。私たちはそのことに注意を向けなければならない。62名の政治家たちは、3つの派閥に属している。一つ目は、中国共産主義青年団(the Chinese Communist Youth League、共青団)出身者たちの派閥である。これは、胡錦濤の力の源になっている。二つ目は太子党(princelings)である。彼らは、エリート指導者たちの息子や娘たちである。三つ目は、「上海ギャング(Shanghai Gang)」である。この派閥のリーダーたちは江沢民(こうたくみん、Jiang Zemin)前国家主席が上海市長だった頃に側近だった者たちである。62名の政治家たちの属する派閥をはっきりさせることは、これから数年間の中国政治の動向を予想する上で最良の方法である。

江沢民

省レベルのリーダーシップ:中国最高指導者への重要な踏み台

 中国の省長の政治的な地位はどんどん重くなっている。それには、3つの大きな理由がある。第一に、中国の省や県は社会経済的に大きな統治体とである。

 良く言われることだが、中国における省は、ヨーロッパの国に匹敵する大きさを持っている。実際のところ、人口でみると、中国の各省はヨーロッパのほとんどの国よりも大きい。例えば、中国の5大省、河南省(Henan)、山東省(Shandong)、四川省(Sichuan)、広東省(Guangdong)、江蘇省(Jiangsu)は、西欧各国、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スペインよりも人口が多い。

 河南省の人口は現在9970万人で、2010年7月には1億人を超えると予想されている。中国を除くと、世界で人口が1億人を超える国は僅か10カ国しかない。中国の各省の経済力もまた重要である。例えば、広東省のGDPは、3頭の「東アジアの虎」と呼ばれたシンガポール、台湾、香港よりも大きい。

 広東省長は最近、広東省のGDPは、その他の「虎」である韓国をこれから10年以内に抜き去るだろうと述べている。中国の各省の省長たちは、ヨーロッパや東アジアの各国の指導者たちと同様、自分の省の経済が発展するように努め、失業、所得の分配、社会の安定、人々の健康や福祉など様々な課題の解決に取り組んでいる。

 第二に、各省の指導者たちは政治な力を持っている。彼らは自分たちの章の利益を追求するための大きな裁量を与えられており、その力を発揮している。彼らは、表に出ることはないが、裏で政治的なネットワーク作り、ロビー活動、 各省政府、もしくは中央政府との連携作りに奔走している。過去15年間で、中国共産党から除名された2人の大物が地方の指導者であったことは偶然ではない。一人は、1995年に追放された、当時の北京市党書記、陳希同(Chen Xitong)であり、もう一人は、2006年に追放された、陳良宇(Chen Liangyu)上海市党書記であった。江沢民と胡錦濤は、2人のライバルを地方の指導者の地位にある内に葬り去ることができた。省政府や地方政府が役人などを北京に「北京駐在武官(liaison offices in Beijing)」として送っている。駐京弁(ちゅうきょうべん、zhujingban)と呼ばれている。彼らはロビー活動を行っている。その数がここ最近急増している。2010年1月、中央政府は、「駐京弁の数を減らすこと、地方の利益のために活動するロビー団体の会計の監査を厳格に行うこと」という新しい通達を出した。

      

陳希同        陳良宇         朱鎔基

 第三の理由、これが最重要である。ポストケ小平時代の現在、地方の省長という地位が、中国の最高指導者になるための最も重要な踏み台となっている。中国指導者第三世代の江沢民と朱鎔基(しゅようき、Zhu Rongji)、第四世代の胡錦濤と呉邦国、第五世代の習近平(しゅうきんぺい、Xi Jinping)と李克強(りこっきょう、Li Keqiang)は、中国の最高指導者層の仲間入りをする前、省や市の省長や党書記を務めた経験を持っている。現在の中国共産党政治局常務委員9名のうち、温家宝総理を除く8人は省長を務めた。

   

習近平         李克強

 第五世代で政治局員入りをしている6名は、つい最近まで、もしくは現在、省長を務めている。図1は省長経験を持つ政治局員の割合の推移を表している。一目瞭然で、その数が増加していることが分かる。1992年には50パーセントであったが、1997年には59パーセントに、2002年には67パーセントに、そして2007年には76パーセントにまで増加している。文民に限って言えば、省長を経験することは政治局員になるために必須条件となっている。

図1 地方の省長・党書記経験を持つ政治局員の数・割合の推移

資料:チェン・リ、「重要な踏み台:第17期中央委員会における地方指導者たちの存在感」(チャイナ・リーダーシップ・モニター23号、2008年秋)、3ページ

 党大会の直前、中国共産党中央委員会の委員の承認選挙が行われるが、省長と省党書記は自動的に選挙の名簿に組み入れられる。例えば、第17期中国共産中央委員会は2007年に構成されたが、31の省、自治区の長と党書記は全て中央委員会の委員となった。彼らは数年で中央政府に移動か、他省に移動することは皆が良く知られているが、それでも、中央委員会の委員が選ばれる際に省長と党書記が自動的に選ばれるということは厳格に守られてきた。この不文律によって、地方の省長と党書記は、中央委員会(200名)の中で大きな勢力となっている。表1には現在の省長たちの第17期中央委員会における地位を列挙している。6名が政治局員となっている。政治局員になっているのは、北京市党書記の劉淇(りゅうき、Liu Qi)、新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uyghur Autonomous Region)党書記の王楽泉(おうがくせん、Wang Lequan)、上海市党書記の兪正声(ゆせいせい、Yu Zhengsheng)、天津市(Tianjin)党書記の張高麗(ちょうこうれい、Zhang Gaoli)、重慶市(Chongqing)党書記の薄熙来(はくきらい、Bo Xilai)、広東州党書記の汪洋(おうよう、Wang Yang)である。41名(省長・党書記の66パーセント)が中央委員会の委員であり、12名(19パーセント)が委員候補となっている。

      

劉淇       王楽泉       兪正声     張高麗

   

薄熙来        汪洋

 現在の省長、党書記の95パーセントは第17期の共産党中央委員会の委員となっている。彼らは、これからもっと高い地位に就くことを目指している。現在の省長の中で、第17期の中央委員会の委員ではない人物が3名いる。

表1 第17期中国共産党中央委員会における現職省長・党書記の地位


地位

人数

パーセント

政治局員

6

9.7

委員

41

66.1

委員候補

12

19.4

中央規律検査委員会

1

1.6

それ以外

2

3.2

合計

62

100

ソース:新華社通信。

 その3名は、巴特爾(バティア、Bater、Bagatur、1955年生まれ)内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous region)主席、最近重慶市長に任命された、王鴻挙(おうこうきょ、Huang Qifan、1952年生まれ)、こちらも新任の、白●赤林(パドマ・チョリン、Padma Choling、1951年生まれ、●=王扁に馬)チベット自治区(Tibet Autonomous Region)主席である。巴特爾は、第17期中国共産党中央規律検査委員会(the 17th Central Commission for Discipline Inspection、CCDI)の委員を務めている。彼は、1997年、第15期中央委員会の委員候補に選ばれたこともある。

    

巴特爾     王鴻挙        白●赤林(●=王扁に馬)

 上記の3名は、第18期の中央委員会の委員に選ばれるだろう。巴特爾は少数民族出身であり、様々なレベルの指導的な地位を務めた経験がある。巴特爾はこれらを利用して、将来、かなり高い地位に就くことが考えられる。中国の各省の指導者たちは、中国政治において重要性を増している。そして、彼らは、来る第18回党大会において中央の指導的な地位に就く、有力な候補者になる。

第18回中国共産党大会で期待される大規模な指導者交代

 中国の政治システムは権威主義的であり、実際に中国共産党が一党で権力を独占している。しかし、中国共産党の指導者は、過去30年間、かなり交代をしてきた。1982年に開かられた党大会で承認された第12期中央委員会の委員のうち、60パーセントは新任だった。1987年の第13期では新任の割合が、68パーセントになり、1992年の第14期の場合は、57パーセント、1997年の第15期は63パーセント、2002年の第16期は61パーセント、2007年の第17期は63パーセントだった。平均すると、任期が来るごとに、中央委員会の委員の62パーセントが新人と入れ替わってきたということになる。現在の中央委員会の委員の年齢構成と以前の党大会での交代の割合を考えると、第18回党大会での信任の中央委員の割合は60パーセント前後になると予想される。

 中国政治において、政治家の年齢はその人が将来どれくらいの地位に就くかを予想する上で最も重要な要素となる。中国共産党の規定や不文律では、一定以上の地位に就く政治家には年齢制限が設けられている。例えば、省長や党書記の場合は、65歳に達した者はその地位から退くことが求められる。またそうした地位には、63歳以下の者が望ましいとされている。2007年の第17回党大会において、実力者曽慶紅(そうけいこう、Zeng Qinghong、1939年生まれ)国家副主席を含め、1940年より前に生まれた者は全員、中央委員会の委員から退任させられている。年齢制限による引退は、指導者の選抜と引退に一貫性と公平性を保つ上で有効であるだけでなく、中国の政治エリートを早い期間でどんどん交代させることにつながる。

曽慶紅

 外から中国政治を観察している立場からすると、中国エリート政治の将来を占う(reading of the tea leaves of Pekingology)、つまり中国の指導者に誰がなり、誰が引退するかという問題は、そんなに難問ではない。図2は現在の政治局員25名が、2012年の第18回党大会後にどのような出処進退をするかを予想したものである。第17回の党大会では、指導者の年齢制限は1940年生まれを境としていたが、第18回党大会の場合、党中央は年齢制限を、1945年生まれを境とすることが有力である。1945年以前生まれが引退するということになると、25名中14名(56パーセント)の政治局員が引退することになる。9名の政治局常務委員のうち、2名、習近平国家副主席と李克強第一副首相だけが1945年以降に生まれた指導者である。彼らだけが常務委員を続けられるだろう。習と李は「二人の法定相続人(dual heirs apparent)」だと考えられている。

 残りの7名(78パーセント)は、現在政治局員となっている若手たちに道を譲ることになるだろう。2012年に常務委員となると考えられているのは、李源潮(りげんちょう、Li Yuanchao)中国共産党中央組織部長(Director of Organization Department of the Communist Party of China Central Committee)、王岐山(おうきざん、Wang Qishan)副首相、劉云山(りゅううんざん、Liu Yunshan)中国共産党中央宣伝部長(Director of Propaganda Department of the Communist Party of China)、張徳江(ちょうとくこう、Zhang Dejiang)副首相である。李源潮党組織部長と王岐山副首相は党人事と国家の金融行政の責任者となっている。党人事と金融行政は重要な分野であり、それらを担当する李と王は有力な政治家となっている。また、彼らはこれからより重要な役割を果たすようになると考えられている。党宣伝部長の劉云山と副首相の張徳江は政治局員を2期務め、常務委員に昇進する可能性が高いと見られている。

      

李源潮    王岐山      劉云山    張徳江

 16名の政治局非常務委員のうち、上記の4名は常務委員に昇進すると見られている。それ以外に少なくとも7名が年齢制限から政治局員の座から退くことになる。中国共産党各部、国務院各部、人民解放軍の有力な指導者たちは政治局員入りすることになる。例えば、令計劃(画)(れいけいかく、Ling Jihua)は、中国共産党中央委員会中央弁公庁主任(the Central Office of the CC)兼中国共産党中央書記処書記(member of the Secretariat)であるが、彼は2012年には政治局員に選出されるだろう。

令計劃(画)

 胡錦濤の側近である令計劃は、政治局常務委員に選出される可能性もある。2002年に江沢民の側近だった曽慶紅が常務委員に選ばれた前例があり、可能性がないとは言えないのである。現在の省長や党書記が14の政治局員の座の大半を占めるだろう。常務委員の数が9名のままであるなら、彼らの中から3名は常務委員に選出されるだろう。

 もちろん、今から政治局員、政治局常務委員に誰がなるかを確定させるのは気が早いことではある。胡錦濤・温家宝から習近平・李克強への権力移譲が既定の路線ではないということを指摘しておくことも重要である。

表2 現在の政治局員の第18回党大会後の去就予想


氏名

生年

2012年での年齢

第18回党大会後の去就

胡錦濤(Hu Jintao)常

1942

70

引退

呉邦国(Wu Bangguo)常

1941

71

引退

温家宝(Wen Jiabao)常

1942

70

引退

賈慶林(Jia Qinglin)常

1940

72

引退

李長春(Li Changchun)常

1944

68

引退

習近平(Xi Jinping)常

1953

59

常務委員会残留

李克強(Li Keqiang)常

1955

57

常務委員会残留

賀国強(He Guoqiang)常

1943

69

引退

周永康(Zhou Yongkang)常

1942

70

引退

王剛(Wang Gang)

1942

70

引退

王楽泉(Wang Lequan)

1944

68

引退

王兆国(Wang Zhaoguo)

1941

71

引退

王岐山(Wang Qishan)

1948

64

政治局常務委員へ昇進

回良玉(Hui Liangyu)

1944

68

引退

劉淇(Liu Qi)

1942

70

引退

劉云山(Liu Yunshan)

1947

65

政治局常務委員へ昇進

劉延東(Liu Yandong)

1945

67

変更なし、引退、常務委員への昇進

李源潮(Li Yuanchao)

1950

62

政治局常務委員へ昇進

汪洋(Wang Yang)

1955

57

変更なし、常務委員への昇進

張高麗(Zhang Gaoli)

1946

66

変更なし、常務委員への昇進

張徳江(Zhang Dejiang)

1946

66

政治局常務委員へ昇進

?正声(Yu Zhengsheng)

1945

67

引退、常務委員への昇進

徐才厚(Xu Caihou)

1943

69

引退

郭伯雄(Guo Boxiong)

1942

70

引退

薄熙来(Bo Xilai)

1949

63

変更なし、常務委員への昇進

 

 中国政治ではダークホースが出現することがある。それはアメリカ政治でも同じだ。だから、現在省長や党書記を務めている有力な若手たちを含む、表舞台に躍り出そうな政治家たちに注意を向けなければならないのである。また、第18回党大会で起こる人事交代は、いわゆる第五世代が国家の中枢を握ることになるという点でも注目に値する。中華人民共和国の歴史がこれまでも示してきた様に、指導者の各世代は、正統性、統治の方法、時代で異なる問題など全く異なる。第五世代と第六世代、省長や党書記などこれから重要な地位に進むだろう人々の世代的な特徴を理解することは、中国中枢の指導者が誰になるかを知ることと同じくらい重要である。

62名の省長・党書記についての経験的な分析

・性別、人種、年齢、出身地

 表3では、62名の省長・党書記の性別などの情報をまとめている。孫春麗(そんしゅんれい、Sun Chunlan)福建省(Fujian)党書記(2009年11月任命)だけが女性であるが、これは驚くべきことではない。中国政治は長い間男性優位の世界だった。ここ10年ほど、女性は、省長・党書記の地位に1人しか就いていない状態が続いた。2000年、烏云其木格(ウユンチムグ、Uyunqing)というモンゴル族の女性が内モンゴル自治区主席となった。つい最近では、宋秀岩(そうしゅうがん、Song Xiuyan)青海省の省長となった。宋は、中国全国婦女連合会(All-China Women’s Federation)の第一書記の地位にも就いている。

     

孫春麗        宋秀岩     呉儀

 孫春麗は1950年生まれ、1969年に、遼寧省(Liaoning)鞍山(Anshan)時計工場の労働者からキャリアをスタートさせた。彼女は中国共産主義青年団(Chinese Communist Youth League)の地域委員会の委員、工場の管理者、そして党書記を務めた。また、市レベル、省レベルの女性団体の長も歴任した。孫は、2001年から2005年まで大連市(Dalian)の党書記を務めた。その後、2005年から2009年まで、中華全国総工会(All-China Workers’ Federation)の第一書記の地位にあった。また、1997年の第15回党大会で、党中央委員会委員候補となり、第17回党大会では、中央委員会の委員となった。中国の政府系メディアは、孫春麗を「もう一人の呉儀(Wu Yi)元副総理」と呼んでいる。

 孫春麗は、女性では数少ない次期政治局員の有力な候補者である。孫のライバルになると目されている女性の指導者たちは以下の人々である。前述した宋秀岩・青海省長(1955年生まれ)、中華人民共和国観察部長(Ministry of Supervision)である馬御(まご、Ma Wen、1948年生まれ)、中国国務院司法部長(Ministry of Justice)である呉愛英(ごあいえい、Wu Aiying、1951年生まれ)、中国共産党組織部第一副部長(Executive Vice Director of Organization, CCP)である沈躍躍(ちんやくやく、Shen Yueyue、1957年生まれ)たちが孫のライバルとなる。

    

馬御        呉愛英     沈躍躍

 省長・党書記62名のうち、6名が少数民族出身である。中国には5つの少数民族の自治区があるがその主席は全て少数民族出身である。その5名は、寧夏回族自治区(Ningxia Hui Autonomous Region)首席・王正偉(おうせいい、Wang Zhengwei、回族、1957年生まれ)、広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)首席・馬●(まひょう、Ma Biao、チワン族、1954年生まれ、●=風に火火火)、内モンゴル自治区首席・巴特爾(バティア、モンゴル族、1955年生まれ)、新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uyghur Autonomous Region)主席・努爾白克力(ヌルベクリ、Nur Bekri、ウイグル族、1961年生まれ)、つい最近任命されたチベット自治区(Tibet Autonomous Region)首席・白●赤林(パドマ・チョリン、●=王扁に馬)である。

 中華人民共和国民族区域自治法(The Law of Ethnic Minority Autonomous Areas of the People’s Republic of China)は、2002年の全国人民代表大会で改正された。この法律は、全ての自治区内の地方政府のトップの地位には、自治区内の多数を占める少数民族出身者が望ましいと規定している。省の党書記を務めている少数民族出身者は1人だけで、その1人とは、貴州省党書記・石宗源(Shi Zongyuan、回族、1946年生まれ)である。中国内にある5つの民族自治区の主席は全てその地区の少数民族出身者が務めているが、党書記の地位には全て漢民族出身者が就いている。

石宗源

表3 省長・党書記のバックグラウンド


性別

割合

男性

61

98.4

女性

1

1.6

民族

漢族

56

90.3

少数民族

6

9.7

年齢層

66−70

2

3.2

61−65

21

33.9

56−60

29

46.8

51−55

6

9.7

46−50

4

6.5

出身省(トップ6)

山東省

8

12.9

浙江省

8

12.9

河北省

6

9.7

河南省

5

8.1

江蘇省

5

8.1

安徽省

4

6.5

6省の出身者

36

58.2

ソース:新華社通信。著者が計算。

 回良玉副首相(かいりょうぎょく、回族、1944年生まれ)は、少数民族出身者でただ1人の政治局員であるが、彼は年齢制限により、次の党大会ではその地位から退くことになるだろう。次期政治局の中にも、少なくとも1人は少数民族出身者が入ることになるのはほぼ確実だ。その候補は以下の人々である。国家民族事務委員会委員長(State Ethnic Affairs Committee)の楊晶(ようしょう、Yang Jing、モンゴル族、1953年生まれ)、中華全国工商業連合会(All-China Federation of Industries and Commerce)党書記兼中国共産党統一戦線部(CCP United Front Work Department)副部長・全哲洙(ぜんてつしゅ、Quan Zhezhu、朝鮮族、1952年生まれ)、上述した巴特爾(バティア)、馬●(まひょう)、王正偉(おうせいい)。

      

回良玉       全哲洙     馬●       王正偉

 現在の省長・党書記で引退年齢を超えているのは2人だけだ。その2人とは、北京市党書記・劉淇(1942年生まれ)と新疆ウイグル自治区党書記・王楽泉(1944年生まれ)である。この2人は、現在政治局員であるが、2012年には引退するだろう。1940年代末に生まれた省長・党書記の中には、次期政治局員となるチャンスに恵まれる人もいるだろうが、大半はこれから数年で第一線から退くことになる。省長や党書記から近く引退すると見られているのは以下の人々である。河北省党書記・羅清泉(らせいせん、Luo Qingquan、1945年生まれ)、寧夏回族自治自治区党書記・陳建国(ちんけんこく、Chen Jianguo1945年)、安徽省党書記・王金山(おうきんざん、Wang Jinshan、1945年生まれ)、雲南省(Yunnan)党書記・白恩培(はくおんばい、Bai Enpei、1946年生まれ)、海南省(Hainan)党書記・衛留成(えいりゅうせい、Wei Liucheng、1946年生まれ)、広東省長・(1946年生まれ)、福建省長・黄小晶(おうしょうしょう、Huang Xiaojing、1946年生まれ)、浙江省(Zhejiang)長・呂祖善(ろそぜん、Lu Zushan1946年生まれ)。

 35名の省長・党書記(全体の56.5パーセント)は1950年代生まれであり、これからも今の地位に留まることができるし、将来はもっと高い地位に就くことも可能だ。表4は現在の省長・党書記がどれくらいの期間、今の地位にいるかを表したものだ。

 中国共産党の規定によると、指導的地位にある人物は、その地位には、2期10年同じ地位に留まることができる。新疆ウイグル自治区党書記・王楽泉(政治局員)だけ、この規定に当てはまっていない。彼は党書記の地位に1995年から就いている。中央政府が、王楽泉に対する例外的な措置を取っているのは明らかだ。中央政府は最近高まっている民族間の対立を鎮め、自治区をコントロールする必要から王を留任させている。50名の省長・党書記(81パーセント)は、2006年以降に現在の地位についているので、彼らは第1期目である。彼らの存在は、省長・党書記の交代が短い期間で行われていることを表している。

表4 現在の省長・党書記が地位に就いた年


就任年

割合

2000年以前

1

1.6

2000年以前

0

0

2001年

1

1.6

2002年

2

3.2

2003年

4

6.5

2004年

0

0

2005年

4

6.3

2006年

2

3.2

2007年

22

35.5

2008年

14

22.6

2009年

10

16.1

2010年

2

3.2

合計

62

100

ソース:新華社通信。著者が計算。

 4名の指導者が1960年代生まれである。その4名とは、内モンゴル自治区党書記の胡春華(こしゅんか、Hu Chunhua、1963年生まれ)、吉林省党書記の孫政才(そんせいさい、1963年生まれ)、湖南省長の周強(しゅうきょう、Zhou Qiang)、新疆ウイグル自治区主席の努爾白克力(ヌルベクリ、1961年生まれ)である。彼らは、いわゆる第六世代に所属している。第17期中央委員会に所属する371名(委員と委員候補)のうち、僅か25名(全体の6.7パーセント)が1960年代生まれである。25名のうち、4名のみが委員である。その4名とは、胡春華、孫政才、周強、中国最大の民間飛行機メーカーである中航商用飛機有限責任公司(China Commercial Aircraft Co., Ltd.)の社長・張慶偉(ちょうけいい、Zhang Qingwei)である。彼らは比較的若く、重要な地位に就いている。彼らは有力な若手政治家であり、国家指導者の強力な候補者となる。

      

胡春華      孫政才      周強     ヌルベクリ

張慶偉

 表3には、省長・党書記が生まれた省や自治区のトップ6を示している。約58パーセントはこれら6つの省の出身であり、約40パーセントは中国東部(沿岸部)の4つの省(山東省、浙江省、江蘇省、安徽省)の出身である。中国の4つの直轄市(北京、天津、上海、重慶)の省長・党書記のうち、7名は中国東部(沿岸部)の出身である。ポスト毛沢東時代のエリートについての研究で明らかにされているように、中国のエリートは沿岸部、山東省、浙江省、江蘇省の出身である。2012年以降の国家指導者層入りをすると見られている人たちの多くは、安徽省(胡錦濤、呉邦国、李克強も出身)出身である。その人々とは、汪洋(1955年生まれ)、四川省(Sichuan)党書記・劉奇葆(りゅうきほ、Liu Qibao、1953年生まれ)、遼寧省(Liaoning)党書記・王a(おうみん、王a、1950年生まれ)である。

  

劉奇葆       王a

表5 昇進のパターン(2003−2010年)

2003年

2010年

割合

割合

同じ省で昇進

38

61.3

28

45.2

違う省で昇進

14

22.6

22

35.5

中央政府から昇進

10

16.1

12

19.4

合計

62

100

62

100

ソース:2003年のデータは筆者。

 表5では、2003年から2010年にかけて、62名の省長・党書記の異動のパターンが変化しているということを示している。同じ省や自治区内で異動した省長・党書記の数は、2003年の38名(61パーセント)から、2010年の28名(45パーセント)に減少している。現在の省長や党書記は、他の省や自治区、もしくは中央政府から移動してきた人々が多数を占めるようになっている。私は、2003年から2010年にかけての省長・党書記の出身地と働いている土地の関連性を研究した。その結果は、出身地の省や自治区で働いている省長・党書記の数は、2003年の18名(29パーセント)から、2010年の11名(18パーセント)と減少している。しかし、おもしろいことに、山東省の省長・姜昇康(かんしょうこう、Jiang Yikang、1953年生まれ)と党書記・姜大明(かんだいめい、Jiang Yikang、1953年生まれ)は共に山東省出身である。

・学歴・教育歴

 第四世代と第五世代との間の大きな違いは、学歴・教育歴の違いである。第四世代の指導者たちのほとんどは大学院以上の教育を受けていない。更に、1940年代生まれの指導者たちのだいぶ部分は、文化大革命が起こる前に工学を学んだ人々である。第五世代の指導者たちの多くは大学院教育を受けている。彼らが学んだのはきちんとした専門課程ではなかったが、それでも多くの指導者が博士号を取得している。彼らの専門分野は、経済学、経営学、政治学、法学など多岐にわたっている。こうした傾向は省長や党書記の間でも顕著である。表6が示しているように、40名(全体の64.5パーセント)が修士号以上の学位を取得している。2001年の段階では、8名(13パーセント)が大学院以上に進学し、そのほとんどが修士号を取得していた。現在、8名の省長・党書記が博士号を取得している。そうした人々は、広西チワン自治区党書記・郭声●(かくせいこん、Guo Shengkun、1954年生まれ、●=王扁に昆)、天津市長・黄興国(おうこうこく、Huang Xingguo、1954年生まれ)、陝西省長・袁純清(えんじゅんせい、Yuan Chunqing、1952年生まれ)、新任の青海省長・宋秀岩(1954年生まれ)、前述した王aと孫政才である。

     

郭声●        黄興国         袁純清

表6


教育レベル

割合

博士号

7

11.3

修士号

33

53.2

4年制大学

21

33.9

短大

1

1.6

合計

62

100

専攻

割合

経済学・経営学

17

27.4

政治学・党務

16

25.8

工学

15

24.2

法学

3

4.8

ビジネス

2

3.2

中国語

2

3.2

歴史

2

3.2

ジャーナリズム

2

3.2

農学

1

1.6

哲学

1

1.6

物理

1

1.6

合計

62

100

ソース:新華社通信。計算は筆者。

 62名の省長・党書記の多くが修士課程や博士課程の非正規課程に在籍しながら勉強し、党中央学校(Central Party School 、CPS)から修士号や博士号を取得している点は重要である。ここ数年、中国国内で、「ニセ学位」に対する批判が多くなされている。中国の国営マスコミは、政治指導者たちは「きちんとした学位を持たなければならない」と報道している。中国のマスコミの報道によると、中国の政治家たちの中には、「外国のニセ大学」から「修士号や博士号」を授与されているという話もある。EMBAと呼ばれるようなこうした「修士号や博士号」は、アメリカの教育省からは正式な学位としては認められていない。最近汚職に関わって解任された有力政治家2人もこうしたニセ大学から学位を授与されていた。その2人とは、深釧前市長の許宗衡(きょそうこう、Xu Zongheng)と国務院文化部前副部長の于幼軍(かんようぐん、Yu Youjun)である。

 もちろん例外もある。王aは、1983年から1985年にかけて、南京航空航天大学(Nanjing University of Aeronautics and Astronautics)の工学系の博士課程に正式に在籍していた。その後、1987年から1989年にかけて香港理工大学(Nanjing University of Aeronautics and Astronautics)の訪問研究員を務めた。

 62名の省長・党書記のうち、王aを含めた3名だけが海外留学を経験している。他の2名は、巴特爾は、1989年から1990年かけて東京研修センターで訪問研究員をしていた。専門は経営管理だった。湖北省長の李鴻忠(りこうちゅう、Li Hongzhong)は、ハーバード大学ケネディ政治学大学院のヒューチャーリーダープログラムに参加した。62名のうち、海外の大学から学位を授与されえた者はいない。

 表6では62名の省長・党書記が何を専攻したかが書かれているが、上位には、経済学、経営学、政治学、党務が来る。33名(全体の53パーセント)は、これらの学問分野を専攻した。15名(24パーセント)は工業が専門分野だった。2001年の段階で見てみると、39名(全体の63パーセント)は工業系の学部を卒業し、6名(9.7パーセント)だけが経済学、政治学、党務を専門にしていた。図2では、1982年から2010年にかけての省長・党書記の中でのテクノクラート(工業系、自然科学系の学部出身者)の激しい増減が示されている。

 1980年末から1990年代にかけて、中国共産党と政府の指導部内部での「テクノクラートからの転換(technocratic turnover)」が起きた。1982年、大学で工学教育を受けたテクノクラートが中央委員会に占める割合は僅か2パーセントだった。1987年、その割合が25パーセントにまで上昇した。1997年、その割合が50パーセント以上になった。2002年、政治局常務委員会の9名の委員たち全員が技術者出身だった。その中のトップ3、江沢民総書記(電気技術者出身)、李鵬(りほう、Li Peng)全人代常務委員長(土木工学技術者出身)、朱鎔基国務院総理(電気技術者出身)はである。現在のトップ3もまたテクノクラート出身である。胡錦濤(水力発電所技術者出身)、呉邦国(電気技術者出身)、温家宝(地質技術者出身)である。同時期、省長・党書記のテクノクラート出身者の割合が劇的に増加している。最近、省長・党書記の間でのテクノクラート出身者の割合が低下しているのは、中国の政治指導部内でのテクノクラート占有時代が終わりを告げたことを示している。次期中国共産党政治局は、専攻の面で多様性が増加するように思われる。

図2 省長・党書記に占めるテクノクラートの割合

ソース:筆者チェン・リのデータベース
※Provincial Party Secretaryは党書記、Provincial Governorは省長

(つづく)