「0077」 翻訳 中国の出世レース:2012年に向けての中間評価(第1部:省レベルの長たち編)(2) 古村治彦翻訳 2010年3月19日

 ※ページの下に重要な若手政治家たちの写真を掲載しています(訳者)

職歴、指導者としての経験、所属

 省長・党書記の大部分は、いわゆる失われた世代に属している。失われた世代の人々は、十代の頃、文化大革命(Cultural Revolution、1966−1976年)を経験した。彼らは小学校教育から高校教育を受ける機会を失った。彼らの多くは、「下放された若者たち(sent-down youths)」である。彼らは、十代のときに、都市から田舎に送られ、数年間、教育を受けず、肉体労働に従事した。23名の省長・党書記(全体の37パーセント)は下放を経験した。四川省党書記の劉奇葆、遼寧省党書記の王a、広西チワン族自治区党書記の郭声●(=王扁に昆)、海南省長(Luo Baoming)の羅保銘(らほめい、Luo Baoming、1952年生まれ)、上海市長の韓正(かんせい、Han Zheng、1954年生まれ)などが、文化大革命によって過酷な経験をした。最近河南省党書記の盧展工は最も典型的な下放青年である。彼は、1952年に浙江省慈渓市(Cixi City)で誕生した。彼は、辺境の黒龍江省(Heilongjiang)で13年間も過ごした。そのうちの4年間は農業に従事していた。

 省長・党書記の中には田舎の農家の家族出身もいる。黄興国天津市長は、1954年、浙江省のへき地、象山県に生まれた。そして、地元の人民公社(People’s Commune)の職員として政治的なキャリアをスタートさせた。巴特爾(バティア)内モンゴル自治区主席は、17歳に内モンゴル自治区の農場で農民として働き始めた。下放を経験しなかった省長・党書記の多くもまた、若い時期に厳しい労働環境での労働を経験した。山西省(Shanxi)党書記張宝順(ちょうほうじゅん、Zhang Baoshun、1950年生まれ)は造船所で労働者として働いた。山西省長の王君(おうくん、Wang Jun、1952年生まれ)は炭鉱夫だった。広西チワン自治区主席の馬●(ひょう)は製鉄所で働いていた。重慶市長の王鴻挙は化学工場の労働者だった。新疆ウイグル自治区党書記の張慶黎(ちょうけいれい、Zhang Qingli、1951年生まれ)は肥料工場で働いていた。広東省党書記の王洋は食品加工工場の労働者だった。強衛(きょうえい、Qiang Wei、1953年生まれ)・青海省党書記、姜昇康・山東省党書記、羅志軍(らしぐん、Luo Zhijun、1951年生まれ)・江蘇省長、陳建国・寧夏回族自治区党書記、白●赤林(パドマ・チョリン、●=王扁に馬)・チベット自治区主席は人民解放軍の兵士としてキャリアをスタートさせた。

 文化大革命による過酷な体験をしたことで、彼らには癒えることのない傷が残った。そして、第五世代全体に共通する傷を残した。第五世代に属する指導者たちは、第三世代、第四世代とは違う。第三世代、第四世代の指導者たちは、文化大革命が始まる時点で、大学を卒業していた。第五世代と第六世代では、十代のころの経験に大きな差がある。第六世代の人々は高校から大学にかけて、経済成長を経験し、第五世代の人々から邪魔をされたり、嫌な目にあったりしたことはなかった。第五世代は我慢強く、柔軟性があり、謙譲の美徳を備えている。彼らは、過酷な生活を経験したことで、これらの世代に共通する美徳を手に入れたと言える。 河南省党書記の盧展工は次のように書いている。「私は下放された何千、何万という若者の中の一人です。私とその若者たちの間には違いなどありません。ただ私は運が良く、たまたま訪れたチャンスを活かすことができただけのことです」

 省長・直轄市長31名を対象にした研究が、最近、中国の国営メディアから発表された。31名のうちの77パーセントが、下放青年、工場労働者、人民解放軍兵士としてキャリアをスタートさせている。事務系・頭脳労働からキャリアをスタートさせた人はほとんどいない。

 彼らが中国共産党に入党したのは平均で23歳の時だった。政府の役人になったのは平均で29歳、省長・党書記になったのは54歳、そして現在平均で57歳になっている。メディアが発表した研究結果によれば、省長たちは、今の地位に就く前に、平均して25年ほどの指導的な立場の経験を積んできた。

 表7は、31名の省長・直轄市長の職歴を示している。彼らの公式な履歴を調査し、研究者は彼らの職歴を9つに分類している。その9つとは、@地方労働、A工場労働、B外国貿易、C金融、D中国共産党の組織的労働、Eプロパガンダ活動、F学術的研究活動、G秘書(mishu)業務(個人のアシスタントや地方政府の管理職)、H中国共産主義青年団幹部である。表7が示しているように、ほぼ半数が農場での労働に従事していた。5分の1は工場労働に従事していたが、その多くは労務管理や工場長、市や県レベルの工業部の責任者をしていた。5分の1は外国貿易の管理を経験していた。韓正・上海市長と王鴻挙・重慶市長2人は金融に関わっていた。馬●(ひょう)だけが学問研究分野に従事しいていた。

 馬は、1982年から1991年にかけて広西チワン自治区政府の経済計画研究所の副所長を務めた。その後、1991年から1994年にかけて、中国社会科学院(Chinese Academy of Social Sciences)所属の少数民族研究所の研究員補並びに経済部長を務めた。そののち、馬は広西チワン族自治区政府の経済改革委員会の副委員長も歴任した。31名の約半分は、郡、市、県レベルの中国共産党の組織局とプロパガンダ局に勤務した経験を持っている。

表7省略

 21名の省長たち(全体の68パーセント)は秘書業務の経験を持っている。このことは、中国のエリート政治において、親分・子分関係(patron-client ties)が大きな影響を持っていることを示している。彼らの多くは、政府高官の個人的なアシスタントを経験している。李鴻忠・湖北省長は政治局員だった李鉄映(りてつえい、Li Tieying)の秘書をしていた。周強・湖南長は肖揚(Xiao Yang)元国務院法務部長の秘書だった。劉奇葆・四川省党書記と蒋巨峰(しょうきょほう、Jiang Jufeng、1948年生まれ)はそれぞれ安徽省(劉)と浙江省(蒋)の管理職を歴任している。

 山東省党書記の姜昇康はキャリアのほとんどを「秘書」として働いてきた。彼は、1988年、中国共産党中央委員会の秘書部の副部長となった。1995年から2002年にかけて、中国共産党中央書記処副書記も歴任した。その後、重慶市の党副書記となった。表7はまた、16名の省長・直轄市長(52パーセント)は、中国共産主義青年団の地方レベルの幹部を務めた経験を持っている。団派に属していると言われる政治家たちは、1980年代に中国共産主義青年団内で出世し、その間に胡錦濤国家主席と一緒に仕事をした人々のことである。中国の国営メディアも、1993年から1998年にかけて共青団の地方幹部、中央幹部をしていた人々の研究をしている。この時期、李克強が共青団のトップを務めていた。しかしながら、共青団での指導的な立場を経験した16名が全て団派に属している訳ではないことを明記しておかねばならない。16名の中には共青団の省・国家レベルの指導者になっていない人たちもおり、彼らを団派に属しているとは言えない。上海市長・韓正は、中国共産主義青年団上海市委員会の書記を務めていたが、団派に属してはいない。それは彼が上海ギャングとのつながりによって出世をしてきているからだ。

 それでも、13名の省長・直轄市長が中国共産主義青年団での経験があり、彼らは「団派(tuanpai)」に属している。表8は示しているように、団派に属している省長・直轄市長の数は増えている。2003年には、6名(9.7パーセント)だったが、2005年には13名(21パーセント)、2010年には21名(33.9パーセント)になった。このように増加しているのは驚くべきことではない。第17期中国共産党中央委員会の委員と委員候補のうち、86名(23パーセント)は団派に属していると考えられている。このことから、胡錦濤と李克強の側近たちが、次の中国共産党中央委員会と政治局において大きな勢力を占め続ける可能性が高いことが窺われる。

 団派の指導者たちが、現在並びに第18期党大会後、省や国家レベルの指導的地位を独占することは不可能である。団派以外の政治家たちも省レベルの指導的地位を占めている。

 北京市党書記の劉淇と天津市党書記の張高麗は江沢民の側近として知られている。吉林省党書記の孫政才は、賈慶林(Jia Qinglin)と曽慶紅(Zeng Qinghong)の側近である。太子党(党の重職を務めた政治家たちの子供たち)は、省レベルの指導的地位を団派と争っている。上海市党書記の兪正声と重慶市党書記の薄熙来は太子党の代表的な政治家たちである。省長・党書記レベルの地位にいる「上海ギャング」に属する政治家たちの数は少ないが、重要な地位を占めている。上海市長の韓正と重慶市長の王鴻挙が上海ギャングに属している。太子党と上海ギャングに属している政治家たちは、経済、外国貿易、金融で指導的立場にいた経験を持っている。兪正声と薄熙来はそれぞれ国務院建設部長と商務部長を務めた。韓正と王鴻挙は金融の経験が豊富である。そうした政治家はなかなかいない。彼らは経済や金融の経験が豊富であり、指導力も持っている。彼らのそうした力は、指導部が交代する時に重要なものとなるだろう。

表8 省長・党書記に占める団派の数・割合


党書記

 

省長

 

合計

 

パーセント

パーセント

パーセント

2003

3

9.7

3

9.7

6

9.7

2005

6

19.4

7

22.6

13

21

2010

8

25.8

13

41.9

21

33.9

ソース:著者のデータベース

2012年に政治局員の地位に就く可能性のある地方指導者たち

 中国国内の31の省、自治区は、重要性という面では、それぞれ平等であるが、実際には格差がある。いくつかの省や自治区は、他に比べ、社会的、経済的、そして政治的に重要である。これは、省長や党書記にも当てはまることである。彼らの間でも、同僚に比べ、より実力と影響力を持つ者がいる。省党書記のほうが省長よりも地位が高い。現在、6名の省長・党書記が政治局員である。彼らは他の省長・党書記に比べかなりの実力を持っている。中央政府の直轄管理となっている北京、上海、天津、重慶の党書記たちは、政治局員となっている。中国で最も豊かな省である広東省の党書記も政治局員になるのが一般的だ。現在の党書記汪洋もそうだ。また彼の前任者たち、謝非(しゃひ、Xie Fei)、 李長春(りちょうしゅん、Li Changchun)、張徳江も広東省党書記だったとき、政治局員だった。

 過去20年間、山東省、江蘇省、浙江省、福建省、遼寧省、湖南省、河北省、四川省、新疆ウイグル自治区の省長・党書記たちが政治局員となった。政治局の元メンバーである、賈慶林、習近平、賀國強(がこっきょう、He Guoqiang)、王兆国(おうちょうこく、Wang Zhaoguo)は全員福建省で省長・党書記を務めた。省長・党書記の地位が未来の昇進の踏み台となる。その一環として、上記の省や直轄市の省長・党書記になることが政治局入りへの第一歩となるのだ。

 表9には、次期政治局員、政治局常務委員になりそうな省長・党書記の名前を挙げている。このリストに掲載した政治家たちは、3つの基準で選んだ。その3つとは、@政治家の年齢、A現在省長・党書記を務めている直轄市と省、B中国政治において重要性を増している派閥(どこに属しているか)である。ポストケ小平時代のエリート政治の特徴は、2つの派閥の争いである。その争いとは、「ポピュリスト」対「エリーティスト」の争いである。この2つの派閥には、出自、職歴、政治的にどのグループに属しているか、という諸点で大きな違いがある。2つの派閥は、それぞれ異なった地域(内陸部対沿岸部)を代表しており、また、異なった社会階層の利益を代表している。ポピュリストの中核を形成しているのは、前述した団派であり、エリーティストの中核は、太子党と上海ギャングである。

 リストに掲載した13名のうち、11名が省や直轄市の党書記であり、2名は北京市長の郭金龍と上海市長の韓正である。2名の市長は共に省や直轄市の党書記を務めた経験がある。郭金龍は2004年から2007年にかけて、安徽省の党書記、2000年から2004年にかけてチベット自治区の党書記を歴任した。

 韓正は、2006年末から2007年の初めにかけて、上海市の党書記代理を務めた。リストに掲載された13名のうち、4名は現在政治局員である。汪洋、薄熙来、張高麗は次期政治局でも委員の地位を保つだろうし、政治局常務委員になる可能性も高い。汪洋は他の2名に比べ、若いので、2012年以降、2期は政治局常務委員を務めることが可能である。汪洋はこれからの中国政治で重要な政治家の一人となることは間違いない。

 次期中国共産党中央委員会に残ることができるのは、1945年生まれの人々までである。上海市党書記兪正声は次期政治局に残ることができる。兪正声は、既に政治局員を2期務めており、次期政治局では常務委員になる可能性が高い。兪正声は、他の委員に比べ年齢が高いので、第15期の中国共産党政治局常務委員における李瑞環(りずいかん、Li Ruihua)が第16期の曽慶紅が果たした役割を彼が果たすことが期待される。しかし、兪正声は大きな力を持つ可能性が高いので、胡錦濤たち現在の指導者たちは、兪正声と交渉し、第18期党大会で引退させる可能性もある。

 胡春華と孫政才は共に1963年生まれである。彼ら2人は、第六世代のスターとしてマスコミによく取り上げられている。胡春華は、1980年代末、チベット自治区の共青団幹部としてキャリアをスタートさせた。それから20年以上、順調に出世をしてきた。それはひとえに、胡錦濤国家主席の大きな支援を受けてきたからだ。メディアではよく、胡春華がチベット語を流ちょうに話せることが取り上げられている。胡錦濤の後見を受けて出世をしている胡春華に対抗して、賈慶林と曽慶紅が孫政才を抜擢し、早いペースで出世させている。2つの派閥の間で、若い胡春華と孫政才を次期政治局に入れることで合意ができているようだ。この2人が政治局入りすることで、派閥間の力の均衡が保たれるだけでなく、第五世代の次の軸を据えることになるのである。

表9 次期政治局員入りが期待される人々

氏名 派閥 生年 中央委員の地位 予想される地位 指導者としての経験
汪洋 共青団 1955 第16期以来 政治局常務委員 重慶市党書記(2005-2007)、
Wang Yang     委員候補   国務院副秘書長(2003-2005)
薄熙来 太子党 1949 第16期以来 政治局常務委員 国務院商務部長(2004-2007)
Bo Xilai     委員   遼寧省長(2001-2004)
張高麗 太子党 1956 第15期以来 政治局常務委員 山東省党書記(2002-2007)
Zhang Gaoli     委員候補   深?市党書記(1997‐2001)
兪正声 太子党 1945 第14期以来 政治局常務委員 河北省党書記(2001-2007)
Yu Zhengsheng      委員候補   国務院建設部長(1998-2001)
胡春華 共青団 1963 第17期以来 政治局員 河北省長(2008-2009)、共青団第一書記(2006-2008)
Hu Chunhua     委員   チベット自治区党副書記(2003-2006)
孫政才 太子党 1963 第17期以来 政治局員 国務院農業部長(2006-2009)
Sun Zhengcai     委員   北京市共産党委員会書記(2002-2006)
劉奇葆 共青団 1953 第16期以来 政治局員 広西チワン自治区党書記(2006-2007)
Liu Qibao     委員候補   国務院副秘書長(1994-2000)
姜昇康 不明 1953 第16期以来 政治局員 重慶市党副書記(2002-2006)
Jiang Yikang     委員候補   中国共産党中央委員会副秘書長(1995-2002)
郭金龍 共青団 1954 第15期以来 政治局員 安徽省党書記(2004-2007)
Guo Jinlong     委員候補   チベット自治区党書記(2000-2004)
韓正 太子党 1964 第16期以来 政治局員 上海市党書記代理(2006-2007)
Han Zheng 上海ギャング   委員   上海市党副書記(2002-現在)
盧展工 共青団 1952 第15期以来 政治局員 福建省党書記(2004-2009)
Lu Zhangong     委員候補   中国全国総工会党副書記(1998-2001)
孫春蘭 不明 1950 第15期以来 政治局員 中国全国総工会党書記(2005-2009)
Sun Chunlan     委員候補   大連市党書記(2001-2005)
王a 太子党 1950 第17期以来 政治局員 吉林省党書記(2007-2009)、吉林省長(2004-2007)
Wang Min     委員   蘇州市党書記(2002-2004)

ソース:著者のデータベース

        

汪洋      薄熙来    張高麗    兪正声    胡春華

     

孫政才    劉奇葆    姜昇康     郭金龍   韓正

    

盧展工    孫春蘭      王a

 四川省党書記の劉奇葆と山東省党書記の姜昇康は、中国で最重要の省のトップの地位に就いている。劉奇葆と姜昇康は、中央政府内部での指導的な地位に就いていた経験を持っており、両者は次期政治局のメンバーの有力候補となっている。過去30年間、北京市長や上海市長を務めた政治家たちは政治局入り、もしくは一気に政治局常務委員会入りすることが多い。郭金龍は省レベルでの指導的地位の経験を幅広く持ち、韓正は上海市での指導的地位の経験が長い。彼ら2名もまた政治局員の有力な候補者である。しかし、郭金龍と韓正は、これから2年間で、北京や上海の党書記になるか、その他の重要な指導的地位に就かねば、次期政治局入りが難しいという見方もある。盧展工、孫春麗、王aは、2009年11月に、現在の重要な省レベルの地位に就いている。その時には胡春華と孫政才も地方に異動になっている。異動によって地方の顕職に就いた人々は、政治局入りする可能性が高い。本論の最初で述べたが、彼らはこれからの出世レースで有利な地位に就いたことになる。

 2012年の中国の最高指導部入りをかけて争っている候補者たちは、既にキャンペーンを開始している。悪魔で中国式のキャンペーンではあるが。習近平国家副主席と李克強国務院筆頭副総理は、自分たちが国家主席や国務院総理の座に就いても前任者である胡錦濤や温家宝の路線を踏襲すると宣伝し続けるだろう。地位を禅譲されるまでそのように装うのは当然のことだ。それでも、習近平と李克強は新しい指導スタイルと新しい政策志向を目指したいと考えているのは明らかだ。2010年の新年祝賀の行事で、習近平は、インターネットのショート・メッセージ・サービス(SMS)を利用して、中国国内の中国共産党の各支部に勤務する100万人に対して、新年のお祝いを贈った。党の最高指導者がこのような形で地方の党職員とコミュニケーションを取るのは前代未聞のことだった。一方、李克強は、問題となっている、気候変動、エネルギーの有効利用、福祉、住宅について強い関心を持っていることを表明している。これらの問題は、10年前なら中国の最高指導者の関心事になどならなかったものばかりだ。

 王aと薄熙来は、現在目立った行動や発言をしていない。しかし、彼ら2人には、「2門の大砲(two cannons)」(両介大砲、liangge dapao)というあだ名がつけられている。汪洋は2007年に広東省党書記に任命された。汪洋は「中国はこれまでとは違った方法(モデル)で経済成長を追求すべきだ」と主張し、政治改革の必要性を訴えている。汪洋は個人的に、「思想解放(thought emancipation)」の新しい波を起こそうとしている。彼は地方幹部たちに、イデオロギーや政治に関するタブーを乗り越えるように訴えている。2008年に開催された広東省共産党委員会の会合で、王洋は、「政治改革の道は、血路(bloody road、xuelu)となる」と述べた。ケ小平が経済改革を進める際に直面した様々な困難を乗り越えたことを「血路」という言葉を使って表現した。汪洋はケ小平の言葉を引用し、政治改革にかける意気込みを表現した。2010年初め、中国の国営メディアは、人民日報の週刊誌である環球時報誌(Earth Week)が掲載した汪洋についての記事を転載したり、電子版に掲載したりした。記事では、汪洋が貧しい家族の出身であることが強調されていた。さらに、汪洋が安徽省銅陵市(Tongling, Anhui)の市長をしていた37歳の時に、ケ小平が彼を「見出した」ことが詳述されている。その時にケ小平は次のように語ったとされる。「汪洋は大変な才能の持ち主だ」記事は、汪洋は「団派」に属している政治局員であり、これから輝かしい未来が開けている、と結論付けている。地方の指導者レベルを全国紙が取り上げるというのは、中国の政治文化、マスコミ文化ではありえないことだった。

 薄熙来の動きは人々の耳目を集めている。薄熙来は「打黒唱紅(dahei changhong)」(Striking black triads and singing red songs”)というスローガンを掲げている。「打黒」は、2009年、薄熙来が重慶市で開始したキャンペーンのことだ。薄熙来は、重慶市の腐敗した警察から支援を受けていた「マフィアのギャングたち」を逮捕するように命じた。彼は遼寧省長時代からの側近を重慶市警察のトップに据え、3万人の警察官を動員し、マフィアと汚職警察幹部を一斉に逮捕した。薄熙来は前の警察本部長と重慶市法務部長を起訴した。重慶晩報紙の報道によると、薄熙来は、重慶市警察に対し、約9千名のマフィアと汚職幹部たちを逮捕するように命じた、ということである。

 薄熙来は「唱紅」というスローガンも発表した。これは重慶市の公務員たちや普通の市民たちに対し、革命歌を歌い、精神を高揚させるように訴えた。国内、海外メディアは薄熙来のこうした行動を次のように解説している。薄熙来は太子党に属しており、自分が、父親たちの代が確立した共産主義政権の正統な、理想的な継承者であることを示そうとしているのだ、と。

 一方、薄熙来は、6億元(約4600万円)のボーナス、紅包(hongbao、赤い封筒に入っているお金、の意)を、500万人の引退した高齢者、障害を負った元兵士、低所得者たちに配った。薄熙来を批判する人々は、彼の行動が「文化大革命的なメンタリティと行動」を反映していると主張している。それでも、薄熙来は重慶市民たちの支持を集めている。人民日報ウェブサイトで2009年の「マン・オブ・ザ・イヤー」の投票を行ったが、薄熙来が最多得票を得た。このように、中国全土で薄熙来の人気が高くなっている。

 その他の候補者たちは、常識的な、あまり目立たない方法を採っている。天津市党書記の張高麗は、外国からの訪問客に対し、「自分は現実的な努力をしていきたい」と述べている。張高麗のモットーは、「お喋りをせずにやることをやれ(Do more. Speak less.)」である。これまで述べてきた若手政治家たちの活動は新しいものも、これまであったものもあるが、全て中国のエリート政治の大きな変化を反映したものである。中国政治は、より大きな変化、派閥に関係なく、痛みを伴うが、平和的に政治的な変化を経験することだろう。

 新世代の指導者たちが登場するとき、大きな変化が起きる。この論文で取り上げてきた省長・党書記たちは、変化の最前線にいる人々である。来る指導者の交代について、多くの人々がどうなるか分からないと思っている。また、指導者の交代で、中国共産党内部の派閥のバランスに大きな影響が出ると考えている人も多い。2012年の中国のエリート政治の行方は大変面白いものとなるだろう。

 第18回中国共産党大会に向けて、中国のエリートたちの出世レースについて、このシリーズは中国政治に大きな影響を与えていく様々な要素を研究していく。その結果、中国政治の近い将来、そして遠い将来を占うことができるのだ。

(終わり)