「0081」 翻訳&宣伝 『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』(アダム・レボー著、副島隆彦=監訳・解説、古村治彦=翻訳、成甲書房)発売記念。レボーが書いた記事の翻訳をご紹介します。 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 2010年4月15日

 

『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。本日は、2010年4月17日に発売となります、『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』発刊記念としまして、著者アダム・レボーが2009年に本書に関連して書いた記事を翻訳し、掲載します。

アダム・レボー

 今回ご紹介するレボーが書いた記事では、マドフの起こした金融詐欺事件について、著書でも書いていますが、ユダヤ人の歴史やユダヤ社会の持つ特徴の面から論じています。今回の事件で、ユダヤという視点から事件を論じ、本にまでしたのはレボーくらいです。

バーナード・マドフ

 バーナード・マドフが起こした事件は単なる金融詐欺ではありません。そこには色々な要素が絡んでいます。是非、お読みください。

 それでは拙訳をお読みください。

※『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』は、ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」の書籍頒布コーナーで取り扱い予定です。コーナーはこちらからどうぞ。

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マドフはどうしてネズミ講事件を起こしたのか?それは復讐のためである(What made Madoff do it? Revenge

アダム・レボー(Adam LeBor)筆
ザ・ジューイッシュ・クロニクル(ロンドンを拠点とするユダヤ系新聞)
2009年8月20日付

 人々はバーナード・マドフのことを「バーナードおじさん(Uncle Bernie)」とか「ユダヤ系米国債(The Jewish T-Bill)」と呼んでいた。マドフへの投資は、最も安全な投資だと考えられていた。マドフは美しい白髪で、ロンドンのサヴィル・ロウの店で仕立てたスーツを着て、上品な身のこなしをしていた。彼は、親しみやすさ、安定、正直さを体中から発していた。彼はウォール街の有名人だった。彼は株式取引で大成功を収め、また投資ビジネスでも有名になっていた。マドフは、ユダヤ系社会で行われる慈善事業には常に絡んでいたし、大富豪たちの良き相談相手だった。彼は、マンハッタンのアッパーイーストサイド、美しいパームビーチカントリークラブ、そしてフランスのプロヴァンスを自分の庭のようにして活動していた。

 そんな素晴らしい生活もマドフが「一つの大きな嘘」を告白したことで終焉を迎えた。マドフは、華麗な外見の裏側で、ユダヤ系社会の裏側で連綿と続いてきた、「犯罪の歴史」を受け継いでいたのだ。ユダヤ系社会の犯罪の歴史が始まったのは、マンハッタンのローワーイーストサイドであった。マドフは現代に甦った、アーノルド・ロスステインであり、マイヤー・ランスキーだった。

   

ロスステイン   ランスキー

 ロスステインとランスキーは、バットと銃を使った暴力で犯罪帝国ともいうべき、巨大な縄張りを築いた。マドフはコンピューターを使い、史上最高額の被害を出した詐欺を行った。自分たちのことを経験と知識が豊富だと考えていた投資家たちに、毎月、マドフが行ったという株式取引(実際には行われなかった)の詳細な結果が送られてきた。報告書に書かれていた数字はウソだらけだったが、報告書の内容を精査し、疑問を呈する人は一人もいなかった。

 マドフの詐欺事件の被害額は、650億ドル(約6兆円)となっている。マドフの詐欺は、21世紀型の詐欺であると言えるだろう。マドフの詐欺は、強欲さ(greed)が高じた騙されやすさ(gullibility)と、投資に参加する素人の数が増えたことによって起きた。しかし、この事件の根本にあるのは、ユダヤ系移民の2つの波とそれによって形成されたユダヤ系アメリカ人の分裂した心理があるのだ。

 バーナード・マドフの祖父母たちは、約100年前に東欧からアメリカにやって来た。200万人以上のユダヤ人がアメリカに大挙して移民してきた。その波の中にマドフの祖父母たちがいた。彼らは、戦争、ユダヤ人虐殺(ポグロム、pogroms)から逃れ、黄金の国(the Goldene Medinah)アメリカでの新しい生活を夢見てやって来た。東欧からやって来たユダヤ移民たちは、自分たちよりも早くアメリカに渡り、成功を収めたユダヤ人たちから歓迎されるものと期待していたが、その期待は裏切られた。ドイツからアメリカに渡った初期のユダヤ人(イェッケ)たちは、ニューヨークを国際金融センターに育てた。リーマン家、ウォーバーグ家、シフ家など錚々たる名家となった。彼らは、東欧から押し寄せてくるユダヤ移民たちに恐怖を覚えた。イェッケたちは、東欧からのユダヤ移民によって、反ユダヤ主義(antisemitism)が助長されることを恐れた。東欧からのユダヤ移民たちは訛りの強い英語で、下品なことばかり話していた。彼らはいつも騒がしく、マナーもなっていなかった。彼らは、東欧の寒村シュテッテル(shtetls)からやってきていた。シュテッテルには水道も電気もなかった。

 新しくやって来た東欧からのユダヤ移民たちの多くは、ローワーイーストサイドに住み着いた。ローワーイーストサイドで、マドフの祖父母は、シュヴァッツ(shvitz)と呼ばれるトルコ式浴場を経営していた。ローワーイーストサイドは東欧の寒村シュテトルがマンハッタンの裏路地に移植されたような場所であった。薄汚いスラム、低賃金の工場、もぐりの酒場、売春宿などがひしめいていた。ローワーイーストサイドを牛耳っていたのはシェターカー(shtarkers)と呼ばれた、ならず者たちだった。彼らは独立独歩の精神に富んでいた。全てのシェターカーが犯罪者ではなかったが、犯罪者のすべてはシェターカーだった。ローワーイーストサイドの狭い路地やスラムから、ユダヤ系のギャングが生まれた。そんな場所でバーナード・マドフは成長したのだ。彼は子供時代をローワーイーストサイドで過ごした。祖父母が経営しているシュヴァッツに良く遊びに行っていた。マドフはギャングたちの慣習や価値観を吸収していった。

 マドフは、「親近感を利用した詐欺(affinity fraud)」と呼ばれる方法で、ユダヤ系社会のリーダーたちを意図的に騙した。親近感を利用した詐欺の場合、ターゲットには、宗教、人種グループが標的となる。あるメンバーがグループ内のメンバー間の信頼感を利用して他のメンバーを騙すのである。マドフは、ユダヤ系コミュニティのネットワーク、例えば、慈善団体、学校、大学、シナゴーグ、カントリークラブのつながりを利用して金を奪ったのである。

 彼の詐欺は、ユダヤ教現代正統派(modern Orthodox)に属する五番街シナゴーグ(ニューヨーク)から始まったと言える。ここにはアメリカで最も金持ちや権力者が集まる。シナゴーグから、イェシヴァ大学(Yeshiva University)につながった。マドフは、イェシヴァ大学のビジネススクールの理事長になった。また、マドフは、ラマズ・デイ・スクールやその他いくつもの慈善団体とつながりを持つようになった。

ヴィーゼル

 マドフは、ホロコーストの生き残りでノーベル賞受賞者のエリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)さえも騙した。ヴィーゼルは彼自身の資産と、運営する慈善団体の資産のほとんどをマドフに投資して失ってしまった。バーナード・マドフの祖父母が移民船から上陸し、イェッケたちから差別されてから1世紀が経った。1世紀が経っても、マドフはシェターカーであり、イェッケたちに復讐(revenge)をしようとしたのだ。これはもう聖書に出てくる歴史物語のようなものなのだ。

(終わり)