「0091」 論文 山谷訪問記―「ミスフィッツの街」を歩く 山田宏哉(やまだひろや)記 2010年6月15日 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回は、山田宏哉氏が描く異色の記録である「山谷探訪記」をお送りします。山田氏は、副島隆彦先生も認める文才で、読者を惹きつける文章を多数生み出しています。今回、「副島隆彦の論文教室」に文章を寄稿してくれました。

 山田氏は、東京や東京近郊の町を歩いて、その探訪記をツイッタ―などを中心に発表しています。今回は危険を冒して山谷という、普段なかなか訪れることができない場所を歩いています。今回の探訪記は、「冒険記」であり、「観察記録」であると思います。

 いわゆる「場末」に住む「社会不適応者」たちを同時代人である山田氏が冷徹に観察していて、読後感にはなにか冷たいものが残ります。

 それでは山田氏の文章をお楽しみください。

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2010年の山谷 「ミスフィッツの街」への探訪記  山田宏哉

日雇い労働者たちの現在

 2010年の6月4日の夜から5日にかけて、東京・山谷を探訪した。

最大の目的は「日雇い労働者たちの現在」を自分の眼で確かめることだった。2010年6月5日午前1時、山谷の商店街を通り抜けることで、早くもこの目的は果たされてしまった。

 

【写真1】【写真2】山谷の商店街、午前1時

 正視を憚(はばか)る光景だった。高齢や不況で働けなくなったであろう者たちが、路上に自分の住処を作って横たわっていた。正確に数えたわけではないが、100人くらいはいただろう。

 イビキをかきながら寝ている者もいれば、意味不明の独り言をつぶやいている者もいる。仮に死んでいたとしても、しばらくはわからないだろう。スラム街と化したアーケードを通り抜けながら、“突き刺すような視線”を感じた。

 巷で聞くとおり、山谷の(元)日雇い労働者たちは、老齢化が著しい。肉体労働どころか、足腰が弱まり普通に歩くこともままならない人も多数散見される。路上投棄されたゴミと蠢(うごめ)く人間たちの体臭が入り混じり、辺りには異様な臭気が漂っていた。

【写真3】山谷のゴミ。異臭が漂う。
                  

 翌朝(2010年6月5日)午前6時、山谷を散策した。「山谷では、今でも日雇い労働の斡旋が行われているか」という点を確認するためだ。

 泪橋交差点から東浅草二丁目交差点 にかけて、既に“職探し”をしている思(おぼ)しき人たちが、路上で待機したり、情報交換をしたり、歩き回っていた(「写真4」参照)。

【写真4】東浅草二丁目交差点、午前6時。

 また、立ち食いの飲食店、日雇い労働者向けの作業用品店、コインロッカーなども、“商売繁盛”していた。残念ながら「ワゴン車が来て人が乗り込む」といった決定的場面は目撃できなかったが、状況証拠から「今でも、山谷で日雇い労働の斡旋は行われている」と推察できる。

山谷・ドヤ街の現在

 日雇い労働とセットで欠かすことができないのが、簡易宿泊所の存在である。

 山谷と言えば、「奇形旅館」が立ち並ぶドヤ街があまりに有名だ。 1泊2,000円強で宿泊できる宿は、首都圏ではここだけだろう。「奇形旅館」はまだ健在であった。ただし、2004年に探訪したときには、明らかに建築基準法等に違反する宿があったと記憶しているが、あまりに異形な宿はもはや見つけられなかった。

 反面、新しいタイプの宿泊施設が台頭してきていた。小奇麗な概観で、山谷の日雇い労働者以外を想定顧客にしていると思われる宿泊施設である。値段は1泊3,000円から3,500円くらいが中心だ。山谷の相場からすると"高級ビジネスホテル"の部類に入る。

 2010年3月5日付日本経済新聞の記事(「山谷にリクルートスーツ姿…、労働者の街変ぼう――長引く“就活”地方学生が利用」)では、「07年開業した宿泊所の玄関はイルミネーションで飾り付けられ、一般のビジネスホテルと見間違うほど。8割以上が就職活動中の学生かビジネスマンで、無料でネットを利用できる1階ロビーは学生同士の情報交換の場に。女子学生の利用も多い」と伝えている。

 この金額では、日雇い労働者にはなかなか手が出ないと思う。このような山谷ドヤ街の"高級化"は路上宿泊者の増加させている一因だと思う。私は新築の近代的なホテルに宿泊した。フロントの対応が良い意味でドライなので、抵抗なくチェックインすることができた。

 ただし、洗練された外観とは対照的に、個室はドアを開いた瞬間に唖然とするような空間設計となっている。

 

【写真5】【写真6】"高級ビジネスホテル"(1泊¥3,500)の個室内装

部屋の広さは、3畳くらいしかない。また、ベッドで足を伸ばすと、布団からはみ出してしまう(当方身長173cm)。とはいえ、必要なものは一応、揃っている。エアコンや液晶テレビも置いてある(風呂、トイレ、コインランドリーは共同)。

【写真7】"高級ビジネスホテル"の間取図

 間取り図(「写真7」参照)を注意深く見ると、重要な事実が含まれていることに気付く。共同のトイレや洗面所の方が、個室よりも広い。決して、このホテルのトイレや洗面所が特別に広いわけではなく、個室の方が狭い。

 ただし、情報環境としては充実している。部屋にはLANケーブルが設置してあり、インターネットに接続することができる。。むしろ内装がどれだけ豪華であったとしても、携帯の電波が届かなかったり、ウェブに接続が出来なければ、現代日本人の宿泊先としては致命的である。

 山谷の“高級ビジネスホテル”は、案外、この辺りの機微をわかっているように思う。その意味で、ネットカフェを模倣している。ネットカフェもまた、“最低限の宿泊施設”である山谷を模倣している。

 機能面を追及するなら山谷の“高級ビジネスホテル”は極めてコストパフォーマンスが高い。出張するビジネスパーソンや地方から就職活動のために上京してきた学生、外国人観光客などが経費を抑えたい場合には最適だと思う。ホテル側にも、いまや日雇い労働者以外を想定顧客にしている節があった。

 実際、前掲の日経新聞の記事では、山谷の旅館組合の会長のコメントとして 「山谷は日雇い労働者の街というイメージが強いが、都心や浅草などの観光地にも近い好立地。誰でも気軽に訪れられる『旅行者の街』に生まれ変わるきっかけになればうれしい」(前掲記事) という言葉を紹介している。

 山谷が「旅行者の街」と化したとき、日雇い労働者たちはどうなるのか。その答えは、本稿の冒頭に記した通りである。

"山谷の歴史"が消える日

 残酷な言い方になるが、山谷の(元)日雇い労働者たちの生命は、もうそれほど長くはないだろう。そうなれば、山谷に関する歴史の大半が消失することになる。

 歴史とは記憶と記録の中にしか存在しない。文字に記録されなかった"過去の出来事"は、存在しないも同然である。学校で教えられる歴史は、幸運にも記録された事柄を、歴史家が発掘したものの集積に過ぎない。

 私は、自らの体験として、日雇い労働の魅力を語ることができる。 それは「好きなときに働ける」という勤務形態の自由さとドライな人間関係に他ならない。 日雇い労働者とは、“不安定な雇用”と"経済的な不遇"で苦しむ"可哀想な人々"だという理解は一面的なものである。

 身体を動かして作業をしていれば、コミュニケーションの量は最低限で済む。しかも、人間関係は大抵、"その日限り"で済む意。もちろん、一般的にはこれをメリットとは呼べない。言い方を変えると、少なくとも僕の周囲では、これを“メリット”と感じられるような人が、日雇い労働をしていた。

 その意味で、日雇い労働者たちは社会不適応者(misfits)であり、山谷は「ミスフィッツの街」だった。

  “波止場の哲人”として知られるエリック・ホッファー(Eric Hoffer)は、その自伝の中で「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ」と述べている。実際、日本の"戦後復興"を陰で支えたのは、山谷の日雇い労働者たちだった。これは紛れもない事実であり、功績である。

 もちろん"山谷の歴史"を発掘するのは私の仕事ではない。それでも私は、同時代に生きた者として「2010年の山谷」を記録として書き残しておきたいと強く思った。本稿はそのささやかな試みである。

(終わり)

●著者紹介:

山田宏哉。1981年生まれ。実務家。
文筆劇場http://hiroya.web.infoseek.co.jp/ 管理人。
Twitterアカウントは@HiroyaYamada
*本稿で使用した写真は、すべて筆者が撮影したものです。