「0094」 論文 サイエンス=学問体系の全体像(17) 鴨川光筆 2010年7月9日

 

ポリティカル・サイエンスの誕生

グンプロヴィッチの「集団理論」とパレートの「政治システム」

 オーギュスト・コントの唱えたポジティヴィズム、政治、社会現象を客観的手法で研究していく方法は、一九世紀末から二〇世紀にかけて、大きな発展を遂げる。

 二〇世紀、政治学の研究領域は三つの分野となって生まれた。以下に挙げる領域は、現在でも政治学、ポリティカル・サイエンスの土台となっている、重要な考え方である。政治に関する言論、研究、調査を行っている人は全て何らかの形で、以下の領域で活動していることになる。

 私の文章を読みに来て頂いている読者の皆さんには、ここで私が提示する「政治学マップ」をよく読んで欲しいと思います。自分が今いかなる位置で言論を行っているのか、自分の足元、立ち位置を確認して、自分の活動に生かしてほしいと思います。

 三つの政治学の研究領域とは、一つは「ビヘイヴィアリズム(Behaviorism)、行動主義」。二つ目は「システム・アナリシス(System Analysis)」。政治をパワー・バランス・システムとしてとらえ、分析していく方法。

 そして、三つ目は「集団理論、グループ・アプローチ(Group Approach)」である。政治学における集団とは、利益団体(interest groups)、エリート組織(elite organizations)、そして、政党(political parties)、政治団体のことである。こうした団体、集団の研究こそ、現代政治学の最大の研究成果であり、現在、政治に興味のある人、活動をしている人、研究をしている人のほとんどは、ここが自分の生きる領域であろう。

 これら三つの領域で、最初に現れた理論は「集団理論」である。これは後に、ビヘイヴィアリズムと融合して、アメリカで飛躍的に学問的発展を遂げることになる。

 集団理論の故郷は、社会学(sociology)である。ポーランド生まれの社会学者、ルートヴィヒ・グンプロヴィッチ(Ludwig Gumplowicz、一八三八〜一九〇九年)によって最初に唱えられた。グンプロヴィッチの集団の研究は、進化論と人類学に多くを拠っている。進化論と人類学、大雑把に言えば、この二つが社会学問、ソーシャル・サイエンスの生みの親である。

グンプロヴィッチ

 グンプロヴィッチの理論は、現在の我々にとってはおなじみの考え方で、私たちの世界観は彼の理論で作り上げられたといっても過言ではなかろう。

 私たちの世界観というのは簡単に言えば、「人間は原始的な時代は、村や部族で生活をしていて、そのうち領主様が登場して、王様が出てきて、というふうに社会が進化して行ったのだろう」というものだろう。我々は、普段意識はしていなくても、大体そんなところだろうと思っている。それを最初に唱えたのがグンプロヴィッチなのである。

 グンプロヴィッチは、「社会が発展していったのは、民族、国家、様々な社会集団の登場によって始まった」という理論を展開した。(『西洋人名事典』 岩波書店)

 グンプロヴィッチによると、社会集団は最初、同族、同家族で結ばれた小さな人々の集まりであったが、その原初形態が父系や母系でつながり、より大きな集団として発展していったという。

 グンプロヴィッチの仮定したこの考えは、「社会進化理論、セオリー・オブ・ソーシャル・エヴリューション(Theory of Social Evolution)」という。これは文化人類学(Cultural Anthropology)から発生した社会学問の進化論であり、社会学を経由して、政治学に入り込んできた。ハーバード・スペンサー(Herbert Spencer)がほぼ最初の唱道者である。

 社会進化理論は、自治集団(オートノマス・グループ autonomous groupという)同士の争いや、利権の奪い合いから始まって、最終的に国家、ステイト(state)が出来た、という理論である。社会進化理論は、後の二〇世紀の集団理論を先取りするものであった。

 後に説明することとなる二〇世紀の集団理論とは、「集団の意義」「利権の性質」「利益集団としての政党の役割」「政治的出来事が生じる社会的文脈」などが主なテーマである。

 この「集団理論」が「ビヘイヴィアリズム」と手を取り合って、現代政治学を生み出して行くのである。

 もう一つノ「システム・アナリシス」とは、政治をシステムと考え、政治学の多くの領域は「学問、サイエンスの領域である」と規定したのは、経済学のところで登場したウィルフレッド・パレート(Wilfred Pareto)である。「パレート効用(Pareto efficient)」のパレートで、彼はイタリアの社会学者である。ムッソリーニとも深いつながりがあった。パレートはレオン・ワルラス(Leon Walras)のジェネラル・エクィリブリアム・セオリー(General Equilibrium Theory)の継承者である。

 パレートは、社会もシステム(様々な力、フォースが相関しあったもの)として捉えられ、常に力のバランスのとれた状態、すなわちエクィリブリアムに向かうものだと考えた。経済の一般均衡理論の政治学版を唱えたのである。

 「集団理論」と「システム」。この二つがポリティカル・サイエンスの大きな二つの幹となり、発展の二〇世紀を迎えることとなる。

政治学のアメリカでの発展―「政治学の父」はアーサー・F・ベントレー

 一九世紀最後の四分の一、政治学はアメリカで発展する。アメリカでの政治学は、ヨーロッパと違い、哲学や倫理、歴史学から切り離された状態で始まった。これまでヨーロッパの政治哲学は、「価値観、ヴァリューズ(values)」と一体のものとして論じられてきた。

 この何らかの価値観―民主制であるべきだとか、戦争は無いほうがよいなど―に束縛されないことを、ヴァリュー・フリー・スタディー(value free study)という。

 政治学を私が書く際に、冒頭でポリティカル・サイエンスとポリティカル・フィロソフィーの違い、線引きはどこかという話をしたが、「〜をすべきだ」「〜であるほうがよい」という「シュッド should」「オウ・トゥ ought to」という価値観、ヴァリューから離れたところに、政治学がサイエンスとなる基点がある。

 アメリカの政治学は、一八八〇年、ジョン・W・バージェズ(John W. Burgess)という人物が、コロンビア大学(Coulubia University)で政治学部を創設したことから始まる。

  

バージェズ      コロンビア大学

 その後、アメリカの政治学は、ドイツの大学卒業者から「国家に関するサイエンス」(sciense of the state  シュターツヴィッセンシャフト staatswissenschaft)という学問として、方法論、メソドロジーを学んでいった。

 ここでモダーン・サイエンスとしての最初の政治学者、政治学の生みの親は誰か、という問題になる。ここからは、大学院で政治学を専攻している人ぐらいにしか知られていない、一般的には全くなじみのない人の名前が次々と登場する。

 調べれば調べるほど「重要な人々ばかりなのだなあ」、と私は思うのだが、それほどに狭い、小さな職業集団、「たこつぼ」の中でこじんまりとまとまった、日本の政治学の現状を憂慮せざるを得ない。

 最初の政治学者は、アーサー・フィッシャー・ベントレー(Arthur Fisher Bentley、一八七〇〜一九五七年)という人物である。初耳の人が多いのではないだろうか。

ベントレー

 ベントレーという人がなぜ、最初のポリティカル・サイエンティストなのかというと、グループ・アプローチによる政治研究を行った、最初の人物だったからである。「集団理論の父」とされている。

 一九〇六年、ベントレーは『政治過程』(The Process of Government : A Study of Social Pressure)を著す。

 この本は、同年イギリスで刊行されたグラハム・ウォラス(Graham Wallas)の『政治における人間性』とともに、「現代政治学の幕開けの書」とされている。(『政治学事典』 弘文堂 一〇〇四ページ)

ウォラス

 グラハム・ウォラス(一八五八〜一九三二年)は、ロンドン大学教授であり、後に社会主義思想の牙城となったフェビアン協会の指導者であった。

 ウォラスは、一九〇八年に発表した『政治における人間の本性』(Human Nature in Politics)の中ですでに、政治学は「量的に計量する方法(クァンティテイティヴ・メソッド quantitative method)で研究するべきである」と主張していた。

 ベントレーの集団理論は、アメリカの政治学を一躍、飛躍させることとなる。ベントレーはそれまでの政治哲学を、「形而上学であり、幽霊、スプークス spooks 、想像上の産物、マインド・スタッフである」として、全てを却下してしまう。

 ベントレーの主張は次の三つである。学問的研究は政治の研究においても、自然科学と同様に行うことが正しい研究方法である。それは「観察可能な事実、オブザーヴァブル・ファクツ(observable facts)」を研究することである。これが一つ目である。

 これは、コント、サン・シモンの、ポジティヴィズム宣言に乗っ取った考え方である。長い西洋思想の流れ(思想の流れ、思潮のことを「ストリーム(stream)」という)から逸脱をしていない、自分勝手な考えではない「正統な」考え方である。

 二つ目は、ベントレーの政治学思想である「集団理論」、グループ・アプローチである。

 これまで私たちが見てきたように、一九世紀以前の政治哲学は、「主権国家、ステイトとは何か」という大前提の下に研究が行われてきた。ベントレーは、政治哲学が追求していたような「主権のあり方、国家のあり方を標準化、公式化すること」は馬鹿げたことであるとして、これもまた全て却下した。

 三つ目は、人間の活動と、その活動の結果が、立法、行政、司法に至る過程こそが、「統治(パブリック・ガヴァナンス public governance)とは何であるか」を知る最も素朴な要素、ロウ・マテリアル(raw material)である、という主張である。

 ベントレーの『政治の過程』は、第二次世界大戦勃発の直後、多くの人々に受け入れられ、政治研究の新しい共通語、カレンシー(currency)として迎えられる。一九五〇年代には、「行動と過程」の研究が多くの政治学の中心テーマとなった。

 こうして「集団過程の性質の研究(the nature of the group process)」の時代が到来することとなる。当のベントレーは、「私の理論に多大な貢献をしたのは、グンプロヴィッチだ」と主張している。つまりポリティカル・サイエンスとは、ソシオロジー、社会学から派生したものだということになる。

 社会現象を引き起こすのは、人間個人ではなく、全て集団が相互に作用しあって引き起こされるのだ、という理論をベントレーは展開する。

 ベントレーの「集団理論」とは、「社会は集団の複合物であり、集団現象を除いては、政治現象など存在しない。公共政策は集団利益の妥協の産物である。それゆえ政治研究は、集団間の相互作用に関心を向けなければならない」(『政治学事典』 一〇〇四ページ)というものであった。

 『政治の過程』でベントレーは、政治を制度、インスティチューション(institution)の面から研究しようとする静態性、スティティクス(statics)を批判し、政治過程は「利益集団の多元的な交渉と均衡の過程」と捉えた。(同書 五八一ページ)。これを静学に対して、動学的研究、ダイナミクス(dynamics)という。

 興味深いのは、ベントレーの集団理論の根底には、動態的勢力均衡理論(どうたいてきせいりょくきんこうりろん) theory of dynamic balance of power があるという。副島理論の中心である「属国理論」は、この動態的勢力均衡がその源流であり、決して副島氏の独断的な考えではない。

 勢力均衡理論、セオリー・オブ・バランス・オブ・パワー(theory of balance of power)とは、一種のエクィリブリアム・セオリーである。ニュートンが物理学、ワルラスが経済学で展開した同理論の政治学版理論である。

 ある国が大きな力を持つと、他の二、三カ国は同盟を結んでその国に対抗し、力の均衡を図って平和を維持する、というのが勢力均衡理論である。

 ここに覇権国理論が重なる。時に大きな国が現れ、他の国々を圧倒し、主権国家の体系が危機に瀕する時がある。この国を覇権国、ヘジェモニック・ステイト(hegemonic state)という。

 そのとき他の国々は、大きな連合を形成し、全面戦争を戦う。覇権国は、自国の持つ資源以上に拡大してしまい、戦争に敗れ、勢力均衡が回復する、というものである。

 覇権国の対義語は、属国である。朝貢国、トリビュタリー・ステイト(tributary state)という。副島理論は、この覇権国理論を逆の側から見た理論なのである。

 ベントレーの政治過程理論は、ネオ・コーポラティズムとの関係も指摘されている。興味深い理論である。(同書 五八一ページ)

シカゴ・スクール―政治学がアメリカのサイエンスとしてスタート

 ベントレーの次に来るのは、シカゴ・スクール、日本語では「シカゴ学派(Chicago School)」として知られる人々である。そのトップを飾るのは、チャールズ・エドワード・メリアム(Charles Edward Merriam)という人物である。シカゴ・スクールの政治学を一言で言うと、心理学によるアプローチである。

メリアム

 メリアムは、一九二五年に『政治の新局面』(New Aspect of Politics)という本を発表する。その中で「統計、スタティスティクス(statistics)」という言葉が、政治学史上初めて出現する。

 メリアムは、(モダーン・サイエンスとしての)政治学は理論だけではなく、「観測、オブザヴェイションと計測、メジュラメント(measurament)を行い、統計を推進するべきだ」と述べた。

 この発言は政治学史上画期的なことである。社会学問、ソーシャル・サイエンスというのは、結局のところ「統計、スタティクス」である。統計でしか数字を扱えないからである。統計によって、何とか近代学問の仲間の顔をしているのだ。

 社会学問を数量的に把握するためには、結局のところ、不特定多数からとったアンケート(questionary)その他によって、集計されたデータを分析するしかない。これはJ・S・ミルの提唱した「ジェネラル・サフリッジ、一般投票」のことである。

 このときに、どれだけの人数のアンケートをとったのか、アンケート項目は恣意的なものではなく、客観的であるのか、どれだけの期間、どの地域で行われたものなのか、様々なチェック項目がある。

 世論調査や視聴率というのもそれである。このことは後に統計のところで書くけれども、現在テレビや新聞で行われているアンケートというのは、いかにいい加減であるか。

 このことに気がつかない人間というのは、意識的にアンケートの恣意性を無視しているか、完全なるバカである。あるいはどこかの利益団体に所属しているのかもしれない。相当にいかがわしい人物であることも、考えに入れなければならないだろう。

 アンケートというものは、統計学の観点から二千人の調査結果でようやく信頼できる、というのを聞いたことがある。それもフジテレビや日本テレビのヴァラエティ番組でのことである。

 二千人というのでも、統計結果の精度は怪しいものなのである。最近では「この問題に関して当番組が、緊急電話調査を行った結果」などといって、当日に起こった事件報道のアンケート結果を、その日に行なったりする。

 当然、本来ならきちんとした書面(最低でも国勢調査などで送られてくる程度のもの)で、項目をきちんと整理して郵送なり、会場を設けてきちんと時間をかけて回答してもらって、集めなければならないはずである。

 それを電話でいきなり行なうのである。本当に行なったのかどうかという証拠は無い。誰にかけたのか、というデータも公表されない。

 しかも大概は千人である。千人に電話をかけたということになっている。ばかげている。千人のアンケートで何がわかるというのだろうか。しかも、たとえ千人であろうとも、アンケートをとるというのは大変だ。相当の人海戦術が必要である。

 それ相応の正確なデータを出すには、準備期間を含めても最低でも一ヵ月はかかるのではないだろうか。素人のアルバイトを集めるだけでも大変である。ましてや、専門の人間を急速に大量に集められるものだろうか。

 よく交通量調査のアルバイト募集広告を見かけるが、「何月何日の二日間、どこどこへ集合」という、単発の、時給の高いバイト募集がある。

 この交通量調査という、未経験の素人でも出来る仕事でさえ、面接を含めて、広告を出してから最低でも二週間は時間が必要である。これでも急募広告である。掲載までの段取りを含めると、一ヶ月はかかっている。

 統計調査というのは、それほどに大変な仕事だというのに、その日にアンケートをとれ、などということになったら、ただでさえ忙しいテレビ局のことである。新人のアナウンサーや社員が、仕事の合間に電話をかけているのではないかと想像する。

 データというのも、一枚のメモ書きに、「今の政権を指示する、しない、どちらともいえない、無回答」という項目に、「正の字」を書き連ねてあるだけのものであろう。お粗末過ぎる。

 そのようなわけの分からない世論調査という「トウケイ」に簡単にだまされるのが、私たち「日本の一般ピープル」である。サラリーマン、大学生、男、女、ジジ、ババ、ガキ、サル、みんないとも簡単にだまされやすくなっている。振り込め詐欺だけの話ではない。もう少し自分の頭を使って、考えたらどうであろうか。

 現在、学問的価値のある「統計」として行われているのは、「人口動態統計、デモグラフィック・スタティスティクス(demographic statistics)」である。国勢調査などの人口調査がそうだが、選挙の時に、有権者がどの政党に投票したかのデータを調査する「投票行動、ヴォーター・ビヘイヴィアー(voter behavior)」などもそれである。

 日本のシンクタンクがなぜ「データバンク」でしかないのか。それはただ、この人口動態統計を行っているだけだからである。本来シンクタンクとは、国家のポリシー・メイキング(この話も後で出てくる)を行う機関であり、それを政府に納入するお仕事なのである。採用された論文が国家の政策となり、向こう数年間の国の方針を決めるのである。

 私たち日本人に、未だになじみの薄いシンクタンクに関する話は、『覇権アメ』に詳しく書かれているから、金融本ばかり読んでいないで、この現在の「修道院、モナスタリー(monastary)」がいったいどのようなものなのかを、しっかり頭に入れるべきである。

シカゴ・スクールによる心理学の導入

 シカゴ学派は、「政治学は、政治だけに関心をおくのでは、政治を捉えることは出来ない。政治をより正確に理解するには心理学を導入するべきだ」、ということを唱え始める。そこから、医学、精神分析、心理学などの視点から政治を研究することによって、知的に社会をコントロールできるのではないか、という思想が生まれた。

 「知的に社会をコントロールする」といったが、これはインテリジェント・ソーシャル・コントロール(intelligent social control)という。これは、「人間に関するあらゆる情報を収集・分析して、社会を情報操作しよう」ということであろう。おそらくこれは社会心理学のことであり、社会生物学、ソシオ・バイオロジー(sociobiology)という社会工学、ソーシャル・エンジニアリング(social engineering)につながる思想である。

 これらの内容は、副島氏が『属国日本論を超えて』(五月書房)の中に詳しく書いています。

 政治学と心理学を密接にしたシカゴ・スクールの人物として、もう一人、ハロルド・ドワイト・ラズウェル(Harold Dwight Lasswell、一九〇二〜一九七八年)という人がいる。

ラズウェル

 ラズウェルは、二〇世紀を代表する政治学者の一人と言われ、ドイツで精神分析学を学んだのち、イェール、シカゴ大学で教鞭をとった。メリアムとともにシカゴ学派を形成し、政治学に行動主義、ビヘイヴィアリズムを取り入れた人物である。

 一九二〇年代から、政治宣伝の研究を進めたラズウェルは、「情報」という視点から政治を見た最初の政治学者だと言われる。「政策科学」という構想を提唱し、シンクタンク創設の基盤を作った人物である。(『政治学事典』 一一一七ページ)

 メリアムとラズウェルは、シカゴ学派の解説者となる。二人は「権力という現象」に研究の主眼を置き、両者とも経験主義的な(エンピリカル empiricalという)政治研究を行った。

 ここら辺でブリタニカには、やたらと「経験主義」という言葉が出てくるが、これは「エンピリシズム(empiricism)」という。ギリシャ神話から取られた名前である。エクスペリアンティズムなどとは言わない。これに関しても、哲学を書くところで詳説します。

 特に、政治学を真の学問として進歩させたのは、メリアムの研究業績であるとブリタニカに書かれている。

 メリアムは一九二四年、ハロルド・F・ゴズネル(Harold F. Gosnell)という人物と、『非投票行動の原因とコントロ−ル法』(Non-Voting, Causes and Methods of Control ) という著書を発表する。この本こそシカゴ・スクールの、真の経験主義の業績であるとされている。

 この本の中でメリアムは、政治を観察可能な事実(オブザーヴァブル・ファクツ observal facts)から経験的に研究していく方法として、「見本抽出法、サンプリング・メソッド(sampling method)」と「調査データ、サーヴェイ・データ(survey data)」を使った。ここで初めて、現在普通に行われている「アンケート」が、学問的方法論として採用されたのである。これは画期的な出来事なのである。

 これ以来、「投票行動、ヴォーターズ・ビヘイヴィアー」と「選挙結果、エレクション・リザルト」の調査こそが、ポリティカル・サイエンスの最大の研究成果と考えられている。

選挙結果データと出口調査

 この方法を応用したアンケート調査が、選挙のたびに各テレビ局で行われている「出口調査」である。いったいあの調査は何なのだと、私はいつも思っている。投票所の出口でアンケート調査員が待ち構えていて、投票を終わった人に「誰に投票をしたのですか」と聞くのだという。

 投票所に指定されている小学校の出口で、そのような人にお目にかかったことがないのだが、おそらくいるのだろう。きちんとしたアンケートをおそらくはとっているのだろうし、集計自体はきちんとしているのだろう。

 しかし、その発表には疑問がどうしてもついてまわる。特にこの一〇年ほどの出口調査というのは、私には疑問である。開票が全て終わってもないのに、テレビではこのアンケート結果をもとに「当確」が出る。

 開票率七〇パーセント以上で「当確」が出るのなら、まあ納得は出来るのだが、開票率三〇パーセントでなぜ「当確」が分かるのだろうか。統計技術上の専門的な計算法でもあるのだろう、程度に思っていた。

 しかし、最近では開票率〇パーセントで当確を発表する。「選挙管理委員会がまだ投票箱を開けていないだけ。出口で聞いたところ、結果はもう明らか。当確なのです」といったところなのだろう。

 選挙が完全に終わった段階で、正確なデータを集計して、分析するというのは分かる。しかし、開票が終わる前から当確を発表し、各党の得票数をテレビ画面上に映し出すことに、いったい何の意味があるのだろう。間違いは後で分かってしまうのに。

 各テレビ局が行っているとされている、出口調査の方法が、いったいどのようなものなのかも知りたいところである。

 統計学と人間地理学(ヒューマン・ジェオグラフィー human geography)は、近代学問としてブリタニカに紹介されている。後に統計学とはどのようなものかということを書きます。その時に、統計をやる際には、どのような方法論や理論があるかを簡潔に紹介します。

 読者の皆様には、それをもとに、テレビや新聞で行われる「調査」というもののチェックの足しにしていただきたいと思います。

 いずれにしろ、選挙結果のデータを発表することは、有権者の投票行動を調べるという、集団理論、そしてビヘイヴィアリズムという近代学問の体裁をとる、ポリティカル・サイエンス上の意義の深い研究方法なのである。

 こうして第二次世界大戦末までに、アメリカの政治学者は、それまでの古い政治研究法―  institutions, law, formal structures of public government, procedure, rules などの研究、静態的研究のこと―から完全に脱却した。

 もうこの当時のアメリカにはすでに、政治の「静学的(スティティクス static)」研究だけではなく、「動学的(ダイナミクス dynamics)」研究に関する、膨大な資料が集積されていたのである。

 動学的研究によって集積されたデータとは、「圧力団体」「ロビー活動」「見えない政府、インヴィジブル・ガヴァメント(公式の政府、行政組織の背後で活動する組織)」「官僚組織(行政手続きの規則とは異なった過程を踏もうとする役人集団)」「大物、ボス」「政党」「選挙区での政治家の行動への及ぼす倫理の影響」といった領域である。

 現在に生きる私たちにとって、実に馴染み深い言葉が並んでいる。私たちが国内外の政治を研究する場合、まずどうしても「政治家、世界の有力者カタログ」を作ることになる。上記のフィールドは、この「人名カタログ」製作の土台となるものなのである。

 圧力団体とか大物政治家、フィクサー、官僚組織などに異議、問題点を提示するのが、現在を生きる我々の政治意識である。それに対して、政治制度とか、倫理、理念といった抽象的な考え方とか、静態的捉え方が、本来は伝統的な(少なくとも五〇〇年はある)「政治」の考え方である。

 しかし今、それらの考えは「観念的である」として、あまり振り返られなくなってしまっている。ラショナル・チョイス(rational choice)であるとかソフト・パワー(soft power)、バランス・オブ・パワー(balance of power)といった二〇世紀に生まれた、特に、戦後に強く主張し始められた政策について語る程度に、押しとどまっている。

 いずれにせよ、現代の私たちの政治の関心事は、ミリアムらシカゴ・スクールによって作られたものなのである。

 少し気になるのは、「インヴィジブル・ガヴァメント、見えない政府」についてすでに研究され、データが集積されていたことである。

 これは対立政党によるネクスト・ガヴァメントではなく、影の政府の存在有無の可能性のことであろう。ここから現在の「陰謀理論、コンシピラシー・セオリー(conspiracy theory)」が生まれたのだ。「陰謀理論」についても、近いうちに私の考えをまとめておきます。

 私はいわゆる陰謀理論の著作で、しっかりした学問的価値があるものは、ユースタス・マリンズ(Eustace Mullins)によるFRBの研究書しか存在しないと思っている。リチャード・ヴェルナーらの研究者の「お金」に関する著作(『円の支配者』など)は全て、マリンズの本がもとである。

マリンズ

 私は、自分自身が日本におけるユースタス・マリンズの再発見、再評価者であると自負している。ただしマリンズの本で価値のあるものは、もう一冊『ワールド・オーダー』(The World Order, A Study in the Hegemony of Parasitism)だけである。これは「世界有力者人名カタログ」の初期のものである。

 さて、シカゴ・スクールの研究者たちによる、こうした研究の成果によって、事実に基づいた政治行動調査への関心が高まって行くこととなった。

(つづく)