「0106」 論文 社会科学とは何か―「法則」の発見を目指して 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2010年10月19日

 

●社会科学について説明する:耳慣れない言葉である社会科学

 社会科学(Social Sciences ルビ:ソーシャル・サイエンシズ)について書きたい。

 社会科学というのは大きな学問体系である。社会科学に属する学問分野が四つある。それらは経済学(Economics エコノミクス)、社会学(Sociology ソシオロジー)、心理学(Psychology サイコロジー)、政治学(Political Science ポリティカル・サイエンス)である。社会科学に属する四つの学問分野はそれぞれ取り扱う対象は異なるが、その最終目的は一つである。そのことについてこれから書いていきたい。

 社会科学と言う言葉はちょっと耳慣れない言葉であるし、ある人たちにとっては違和感のある言葉である。私は、ある日、「科学って物理とか化学のことでしょう。理科系でしょう。なんで社会とついているの?」と友人に言われたことがある。友人の質問に「確かにそうだなぁ」と思った。「どうして政治学とか社会学などの学問を社会科学と言うのだろう」と思った。科学者と言えば白衣を着てフラスコを振り、顕微鏡を覗いている、そんなイメージだ。しかし、政治学や経済学の教授が白衣を着て大学内を歩いているのは見たことがない。ここで重要なのは「科学(Science ルビ:サイエンス)」という言葉を理解することだ。

●「科学」とは「学問」のことだ

 科学という言葉について、はっきりと分かりやすく説明しているのが副島隆彦氏である。副島氏は著書『新版 決然たる政治学への道』(二〇一〇年三月刊、PHP研究所)の中で、一行で次のように書いている。「「科学(science ルビ:サイエンス)」とは、「学問(science)」のことである」(二二六ページ)「えっ、何それ」と思う人もいるだろうから続けて副島氏の著書『決然たる政治学への道』から重要な部分を引用する。

(引用はじめ)

 今から丁度五〇〇年前の、十六世紀のはじめに西ヨーロッパで「科学=近代学問(science)」という考え方が興(ルビ:おこ)ったのだ。十二〜十三世紀頃までは、修道院(ルビ:モネストリー)の僧侶(モンク、修道士)たちが、神への祈り中心の信仰生活をしていた。そのうちに修道院の中から「合理的精神(ラショナル・マインド)」が生まれた。修道士たちは「考える」とか「知る喜び」という考え方を手に入れるようになった。

(中略)

 彼ら知識を愛する修道士(僧侶)たちは、キリスト教の聖典である『聖書』だけでなく、古く古代ギリシア古典哲学の、とりわけアリストテレスの学問体系に巨大な真実が隠されていることに気づくようになった。『決然たる政治学への道』、二二八ページ)

(引用終わり)

 「近代学問の故郷、発祥の地は一六世紀のヨーロッパの修道院である。そして、そこで生活していた修道士たちが、アリストテレスの学問体系を勉強し始めた」と副島氏は書いている。アリストテレス(Aristotle)は「万学の祖」と呼ばれている。それはアリストテレスが、知識を整理して、分類して、体系化することで現在の学問分野を確立したと言える。

 簡単に言うと、物理学とか政治学といった学問分野の名前を決め、どんな内容の学問かを決めたのがアリストテレスなのである。何もないところから作り出したとことが偉大だ。そして、アリストテレスの学問体系がそのまま近代の学問体系になったのだ。簡単に言うと、今の大学にある法学部とか理学部とかそういうものが始まったのはヨーロッパであり、その起源をたどるとアリストテレスにまで行き着くということだ。

●学問をする目的:「法則」を発見すること

 科学とは学問のことであることが分かった。社会科学という言葉は、だから社会を研究する学問であることが分かる。だから、経済学、政治学、社会学、心理学が社会科学に属することは分かった。それでは次に、そもそもどうして学問をするのか?学問の目的は何か?ということを考えてみよう。大学には教授、準教授、助教といった研究者、そして研究者の卵である大学院生や研究生がたくさんいる。彼らはどうして学問研究をしているのか。それぞれ細かい専門は持っている。しかし、学問には大きな目的が存在しているのである。そして、世界中の研究者たちはその目的のために日夜研究にいそしんでいる筈だ。

 学問の目的とは何か?副島隆彦氏は学問の目的について次のように簡潔に書いている。

(引用はじめ)

 自然界の法則を発見することが学問(科学)であり、科学技術はそれらの発見された自然法則を人間の生活に役立つように製品化したものである。(『決然たる政治学への道』、二二九−二三〇ページ)

(引用終わり)

 この部分で副島氏は理工系の学問について書いているので、科学技術のことになっているが、学問というのは、「法則を見つけること」だとはっきり書いている。更に書くと、副島氏は、私たちが普段行っている文系学問と理系学問の区別はおかしいと主張している。

 しかし、そうした日本で行われる馬鹿げた文系、理系という区別を副島氏は批判している。副島氏は、ニュートンやライプニッツのような大学者は物理学者であると同時に大哲学者であった、と言う。つまり大学者には日本流の文系、理系の区別はなく、学問の目的である法則の発見に努力し、成功した人々である。副島は次のように書いている。

(引用はじめ)

 このように、西欧では、「自然科学」(ナチュラル・サイエンス)と「社会科学」(social science ソシアル・サイエンス)を分けて考えない。これに下等学問あるいは初等学問である人文学(Humanities ヒューマニティ―ズ)までを全てまとめて、一つで「近代学問=科学」だと考えるのだ。(『決然たる政治学への道』、二三一ページ)

(引用終わり)

 近代の学問に文系、理系という分け方はない。それは日本で勝手に作られた区分方法である。学問に社会科学と自然科学という分け方があり、それぞれに政治学や物理学などの学問分野の区別がある。ただそれだけのことである。そして、学問の目的は、「法則を発見すること」である。

 ここまで、私は次のようなことを書いた。@「科学」という言葉は「学問」のことであること。A学問の始まりは、アリストテレスであり、一六世紀のヨーロッパで近代学問として確立したこと。B学問の目的は「法則を発見すること」であること。この三つのことは覚えておいて損はないと思う。私はこうしたことをせめて大学に入学したての頃に教えておいてもらいたかったと今でも思う。

●「法則」という言葉を説明する

 これまで散々、法則という言葉が出できた。これから少し法則について説明したい。法則というと、昔理科で習った、「作用反作用の法則」、「慣性の法則」、「フレミング左手の法則」などを思い出す人も多いと思う。しかし、改めて「法則とは何のことか」と言われると困ってしまうのではないか。「公式みたいなものでは」と考える人もいるだろうが、これは法則の意味に少し近い。

 まずは法則という言葉の定義を見ていきたい。これに役立つ本がある。アメリカや日本の多くの政治学の大学院レベルの授業で使われている本だ。スティーヴン・ヴァン・エヴェラ(Stephen Van Evera)マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)教授の『政治学のリサーチ・メソッド』Guide to Methods for Students of Political Science(野口和彦・渡辺紫乃訳、勁草書房、二〇〇九年)という。この本の翻訳が出て、日本の学生たちも大いに助かっているだろう。翻訳が出るまでは英語で読まねばならず、英語が得意ではない学生たちは大変だったと思う。それでは、『政治学のリサーチ・メソッド』から「法則」の定義を引用する。

(引用はじめ)

法則(law)

 2つの事象のあいだに観察される規則的な関係。法則には、決定的なものと蓋然的なものがある。前者は「もしAであるならばつねにBである」という一定の関係を表すのに対し、後者は「もしAであるならばXの確率でBが起こる」という蓋然的な関係をいう。自然科学では多くの決定的法則があるが、社会科学の場合、ほとんどは蓋然的法則である。

 法則は、「AがBを引き起こす」という因果関係を示す場合と、「AとBはCによって引き起こされる。それゆえにAとBは相関関係にあるが、一方の変数が他方の変数の変化を引き起こすわけではない」というような因果関係を追求することである。われわれは、因果関係を示していない可能性がある法則を排除する。そうすることで、それらの観察された法則が因果関係にあると判断できる。(『政治学のリサーチ・メソッド』、八ページ)

(引用終わり)

 引用した文章にもあるように、法則は英語でlawと言う。このlawは法律も意味する単語だ。今日本の大学にも設置されている法科大学院をロースクール(Law School)と言うが、このローである。作用反作用の法則は、正式には、ニュートン力学の第三法則と言い、英語ではNewton’s Third Lawと言う。

 『政治学のリサーチ・メソッド』の翻訳者である学者お二人には申し訳ないが、訳文が硬くて何回読んでも分かりにくい。分かりやすく言うと、法則と言うのは「因果関係(causation ルビ:コウゼイション)」のことである。因果関係と言うのは、原因となるあることが起き、ある結果が起こるということだ。その関係は直線的である。つまり、原因となるあることが起きて結果となるあることが起きる。その逆はないということだ。そして、法則ということになると、原因となることが起こると、「必ず」、もしくは「かなりの高確率で」、ある結果が起こるということである。

 理科の時間で習った、「作用反作用の法則」とは、「ある力で押すと同じだけの力で押し返され、ある力で引くと同じだけの力で引かれる」というものだ。壁の近くに立って手を使ってその壁を押すと自分にその力が返ってきて押し返されるという経験をした人は多いだろう。これは誰がいつどこでやっても起こる。プールの壁を蹴れば体は先に進む。宇宙空間でもそれは同じだ。宇宙飛行士が宇宙ステーションの中で体を動かすために壁を押している中継映像を見たことがある。家の壁でやっても、宇宙でやっても同じことが起きる。これが法則だ。

 学問は法則を発見することを目的としている、と書いた。そして、法則とは、必ず、もしくは高い確率で起こる因果関係のこと、つまりある原因で必ず同じ結果が得られる、ということだ。そして、学問が見つけた法則は、私たちの実際の生活に役立つものとなる。これは物理学や化学の分野で特に顕著だ。身の回りにある電化製品や自動車、はては核兵器に至るまで全てに物理学や化学で発見された自然科学の法則が応用されている。

 読者の皆さんは、私が政治学の話をすると言っているのに、かなり遠回りをしているように思われるだろう。しかし、科学と言う言葉の意味をはっきりさせておかないといけないと思い、これまで書いてきた。それでは次に政治学が属する社会科学について書いていく。

●社会科学:社会に存在する法則を見つける努力

 それでは、社会科学について書いていきたい。社会科学は自然科学とともに学問の区分であり、大きな学問体系のことだ。社会科学には経済学、社会学、政治学、心理学が属する。社会科学について、副島隆彦氏は次のように書いている。

(引用はじめ)

 「自然科学」に対抗して、「社会科学」と名乗ったのが、(d)「経済学」と(e)「心理学」と(f)「政治学」と(g)「社会学」である。この四つは、戦後の一九五〇年代からのアメリカで本書三四〜三五ページで説明したとおり「行動科学(ルビ:ビヘイビアラル・サイエンス)」革命という学問革命によって大きく進歩を遂げた。アメリカ人学者たちは、ヨーロッパの長い伝統と荘厳な体系を持つ学問に対抗して、自分たちの「人間および社会についての学問(科学)」の華々しい成果を誇って、これを「行動科学革命」behavioral science revolutionと呼んだのである。(『決然たる政治学への道』、二三二ページ)

(引用終わり)

 副島氏は、「一九五〇年代からアメリカで学問に関して、行動科学革命と言う、革命的な大変化が起きた。その結果、経済学、心理学、政治学、社会学を専門に研究する学者たちが「自分たちが専門にしている学問は社会科学だ」と宣言した」と書いている。これはつまり、行動科学革命を経て社会科学が確立した、ということになる。それでは行動科学革命について、副島氏の著作『決然たる政治学への道』から引用しよう。『決然たる政治学への道』からばかり引用しているが、科学、社会科学、行動科学革命について、日本語で明確に説明している本は少ないのでついつい頼ることになる。

(引用はじめ)

 この行動科学(behavioral science)という、一つの極端な学問革命は、第二次世界大戦後のアメリカ政治学を席巻(ルビ:せっけん)し一変させた。この時期から、政治の問題を、@調査分析、Aデータ処理、B測定といった方法に還元して行くことが、すっかりあたりまえになってしまった。そして、それは極端に言うと、この行動科学によれば、人間の政治・社会行動はすべてハツカネズミの、食物を食べるためや、その他の行動と同じように考えつくすことが出来る、というものであった。

(引用終わり)

 人間の行動を原因と結果に分けて観察(observation)し、観察をして発見した ことから法則を見つけるということが行動科学革命の肝である。そして、行動化科学革命で確立されたこの方法を使用するようになったのが、心理学、経済学、社会学、そして政治学なのである。政治学は、政治という分野での人間の 行動を観察し、法則を発見する学問分野なのである。

 アメリカの大学院では、最初の授業で社会科学の目的、なぜ社会科学を研究するのかについて教えてくれる。その4つの目的とは、@描写(description ルビ:ディスクリプション)、A説明(explanation ルビ:エクスプラネイション)、B処方箋(prescription ルビ:プレスクリプション)、C予測(prediction ルビ:プレディクション)である。

 描写とは、ある事件や出来事の様子を正確に、細大漏らさず記録に残すことである。「その事件がどのようなものであるか」について、新聞記事のように、「誰が、いつ、どこで、何を、どのようにして、どうして、したのか」ということを記録していくということだ。説明とは、どうして事件や出来事が起きたのか、その理由を説明することである。別の言葉で言うと、因果関係をはっきりさせるということだ。もっと言うと、学問研究の目的である法則を見つけることである。

 処方箋というのは、出来事や事件の原因を突き止めたら、それが起こらないようにする方法を考え、提言することである。予測は、学問研究で見つけた法則を使って、何か前兆となる出来事や事件が起きた時に、その結末を予測することである。

私はこれまで、「学問研究の目的は、法則を発見することだ」と書いてきた。更に、今回、これに付け加えるならば、「発見した法則を利用して、何か悪いことが起こらないように処方箋を書く、もしくは何が起きるのか法則を使って予測をする」ことが究極的な学問の目的なのである。そして、政治学は、政治という世界の法則を発見することを目的としているのである。

 しかし、先行研究を調べても自分が注目した出来事や事象について説明ができない場合、研究を進めることになる。その進め方は共通している。それは、まず、仮説(hypothesis)を作る。仮説と言う言葉の定義についてスティーヴン・ヴァン・エヴェラ著『政治学のリサーチ・メソッド』から引用する。

(引用はじめ)

仮説(hypothesis)

 2つの事象のあいだに存在すると推測される関係。法則と同様に、仮説にも2つのタイプがある。因果関係を示すもの(「AがBを引き起こすと推測する」)」と、因果関係を示さないもの(「AとBはCによって引き起こされると推測する。それゆえにAとBは相関関係にあるが、一方の変数が他方の変数の変化を引き起こすわけではない」)である。(八―九ページ)

(引用終わり)

 仮説について簡単に言うと、研究者が注目した出来事や事象について、その起こった原因を自分なりに推測し、「こうしたことが出来事や事象の原因だろう」ということを考え出すことだ。そして、自分が原因だと思うファクターを中心に観察したり、測定したりする。そして得られた結果を分析する。

 そして、研究の結果、自分が原因であろうと考えたファクターが実際に原因であるという結果が得られたら、それを発表すれば研究業績となる。そこで大事なことは、自分がどのような観察や測定をしたかを全て公開することである。それは、他の研究者が同じ方法で観察や測定を行ったときに同じ結果が得られるかを試すことができるようにするためだ。そして、多くの人たちが試してみた結果、同じ結果が得られた場合、これは「理論(theory)」となる。理論の定義についても『政治学のリサーチ・メソッド』から引用する。

(引用はじめ)

理論(theory)

 因果法則(「AがBを引き起こすことを確認した」)あるいは因果関係を示す仮説(以下、因果関係〔causal hypothesis〕)(「AがBを引き起こすと推測する」)であり、どのようにAがBを引き起こすかを明らかにする因果法則や因果仮説の説明をともなうもの。ただし「一般理論(general theory)」という用語は、より包括的な理論を示す場合に用いられることが多い。しかし、あらゆる理論はその定義が示すように、多かれ少なかれ一般的なものである。(九ページ)

(引用終わり)

 この定義で重要なのは、「理論が因果関係を示す仮説」であると書かれている点だ。法則と理論・仮説との間には大きな壁がある。法則はいつでもどこでも同じ原因があれば同じ結果が得られる、というものだ。しかし、理論や仮説は、ある原因である結果が得られることが推測され、観察されたが、それが「いつでもどこでも起きるとは限らない」のである。

 こうしたことを考えると、社会科学は、研究者たちの努力にもかかわらず、まだまだ科学とはいえないのである。これから科学となっていくのか、ならないのかは、まだ分からない。

(終わり)