「0108」 翻訳 2012年の第18回中国共産党大会における政治局についての、気の早い人事予想を行った論文をご紹介します。 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 、2010年10月28日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。本日は前回に引き続き、中国政治を取り上げた論文をご紹介します。今回は、2012年に行われる中国共産党大会で決定される政治局の人事についての大胆な予想を行った論文をご紹介します。著者は前回と同じ、アリス・ミラーです。

 アリス・ミラーは、「中国の指導部人事はある程度制度化され、前例を踏襲するようになっている」という前提で、政治局常務委員と政治局員の予想を行っています。これから2012年に向けて、中国指導部の人事予想がなされるでしょうが、欧米ではどのような予想がなされているのか、の参考になります。

 それでは拙訳をお読みください。

==========

第18期中国共産党中央委員会政治局:空想的な、無鉄砲な、早まって行った思索的な、客観的な人事予想

チャイナ・リーダーシップ・モニター(China Leadership Monitor)2010年夏号No.33
アリス・ミラー(Alice Miller)筆

 2012年秋に、第18回中国共産党党大会が開催されることになっている。この党大会で2002年の第16回党大会以来、指導部の大規模な入れ替え人事が行われることが予想されている。中国の指導層の交代人事の内容を予想することは、交代が予想される人々にとっては好ましいことではない。しかし、ここ20年間で指導部の交代の様式はある程度制度化されている。その結果、それまでの人事を見ることで指導部の交代人事についてはある程度の予測ができる。本論文では、第18期の中央委員会の人事を予想することを目的としている。私の予想は制度化された人事の論理を基盤としている。

 指導部の交代のパターンは制度化されている。この人事のパターンを基にしてポスト胡錦濤(Hu Jintao)の人事にとって重要である。そして、この指導部の交代のパターンは3つの分野ですでに明らかになっている。第一に、胡錦濤やその他の指導者たちはすでに引退の年齢に達している。第二に、胡錦濤たちは、党中央委員会書記と国務院総理のポストの交代が秩序のあるものになるように、過去の指導部交代のパターンを基にして準備をしている。彼らはこれまでの交代様式のパターンに従っている。第三に、政治局委員、そして政治局常務委員になることは、中国の政府や党、軍の機関といった重要な機構・組織の序列や構成員を代表するということを意味しており、重要な機構・組織のバランスでポストが配分される。単なる親分・子分関係や派閥のバランスで決定されるものではない。

 人事の制度が明確になってきてはいるが、中国の指導部の交代が完全に機械的に行われるようなったとは言えない。1990年代半ば以降、指導者たちの競争や戦いは複雑に絡み合ってきた。ある人間は失脚し、本命が出世レースに失速する。党内のバランスやパターンが全く無視されることもある。指導部交代のルールは一般に明らかにされていないし、環境に従ってルールが変化することもある。人事の制度化のプロセスは大きく変化しいてる。胡錦濤が指導部に入る時、新しいプロセスで行われた。人事の予想は現在のルールを基礎にして行うが、制度がもっと進めば現在のルールや規定は無効になることが考えられる。

 本論文では人事の予想をしている。私は、第18回党大会で人事の制度化がどれほど進んでいるのかを測るものさしになることを意図して人事の予想を行った。人事には制度化された部分とこれまでの伝統が踏襲された部分がある。私は制度化が人に与えるインパクト、2012年の第18回党大会と第18期中央委員会第一次総会の人事にどれほどの影響を与えているかを測定したいと考えている。

●指導者交代の範囲

 中国共産党中央委員会政治局の委員の交代を予測する時に重要なのは委員の年齢である。改革開放が開始された際、ケ小平が重要な政治課題だと考えたのが、党指導部の定年制を確立することだった。そして1980年代、定年制は地方の党書記や省長、国務院の部長や副部長、人民解放軍の将官たちや中央軍事委員会にも定年が例外なく適用されるようになることが重要だった。政治局員の定年の明文化は遅々として進まなかった。1980年、ケ小平は記念碑的な演説を行った。その中身は政治改革だった。ケ小平は、「指導部改革は議論されてきたが、政治局員の定年制については結論を先送りする」と述べた。それでも、1982年に発表された中国共産党綱領の草案には政治局員の定年制が盛り込まれた。1985年、ケ小平は自分と同世代のベテランたちに定年制を導入しようとした。また、1987年の第13回中国共産党党大会でも定年制を導入しようと試みた。同時期、中国共産党は混乱していた。1987年には胡耀邦(Hu Yaobang、こようほう)が中国共産党中央委員会総書記から解任された。1989年の天安門事件の最中、趙紫陽(Zhao Ziyang、ちょうしよう)が党総書記を解任された。その後、1990年代半ばになり、ようやく明文化された定年制が導入された。

  

ケ小平       胡耀邦     趙紫陽

 政治局員の定年制が明らかになったのは1997年の第15回中国共産党大会からである。江沢民総書記を除き、その時点で指導部の中で70歳以上だった人々は全員引退した。2002年の第16回中国共産党大会では、政治局員の定年は68歳とされ、その時点で68歳以上だった人々は江沢民も含めて全員引退した。それぞれのケースで、定年についてのルールは公になっていなかったが、党大会で登用された人々と引退した人々の年齢を見れば、間接的にではあるが明らかなことだった。

 多くの欧米の中国ウォッチャーたちは次のように主張した。「政治局員の定年が1997年には70歳だったが、2002年には68歳だった。こうした動きは、政治局の定年制が制度化されたからというよりも、江沢民による政治ゲームが原因であろう」。1997年、政治局員の定年が70歳とされたのは、喬石(Qiao Shi、きょうせき)を強制的に引退させるためだった。喬石は、全国人民代表大会の常務委員長の2期目に入るはずだった。全人代の常務委員長には、自動的に中国共産党の政治局常務委員のポストが与えられる。2002年の場合、定年は68歳に引き下げられた。それは、李瑞環(Li Ruihuan、りずいかん)を引退させるためだった。当時、李は全国政治協商会議主席兼政治局常務委員を務め、続投するものと考えられていた。2007年の第17回党大会では、68歳定年制が適用された。当時68歳以上の政治局員たちは全員引退した。この時も、欧米のウォッチャーたちは、政治ゲームのためにルールが使われたと考えた。胡錦濤が江沢民の側近だった曽慶紅(Zeng Qinghong、そけいこう)を引退させようとして定年を68歳としたと言われている。しかし、2007年の場合、定年制は恣意的に運用された形跡はない。それは政治局員を引退した人々と職にとどまった人々の年齢を見れば明らかだ。中国のマスコミは、「政治局員に対する定年制の適用は“厳格に”行われた。厳格な定年制は将来にわたって運用されるだろう」。

  

喬石          李瑞環      曽慶紅

 政治局常務委員の安定した交代は、胡錦濤の並はずれた調整能力と慎重な政権運営によって達成された。1940年以前生まれの3名の政治局常務委員である、曽慶紅、呉官正(Wu Guanzheng、ごかんせい)、羅幹(Luo Gan、らかん)の引退は「政治局常務委員の定年は68歳とする」という厳格なルールに基づいて行われた。指導部交代のルールの制度化と厳格化は政治的安定をもたらしただけでなく、将来の指導部交代の格好の具体例となる。

 

呉官正      羅幹 

 2012年の党大会で政治局員の定年制が2002年と2007年の場合と同じように適用されるならば、現在68歳以上の政治局員たちは全員、2012年には全員引退することになる。表1には、現在の政治局員たちが列挙してある。カッコの中の数字は2012年に到達す年齢が示してある。この表1を見る限り、指導部の交代は大規模なものになるだろう。

 

表1:第17期中国共産党中央委員会政治局

■政治局常務委員(9名)

(1)胡錦濤(HU JINTAO、70):中国国家主席、中国共産党総書記、中国中央軍事委員会主席

(2)呉邦国(WU BANGGUO、71):全国人民代表大会常務委員長
(3)温家宝(WEN JIABAO、70):国務院総理
(4)賈慶林(JIA QINGLIN、72):全国政治協商会議主席
(5)李長春(LI CHANGCHUN、68):中国共産党中央精神文明建設指導委員会主任(思想・プロパガンダ担当)
(6)習近平(XI JINPING、59):中央書記処第一書記、中央党学校長、中国国家副主席
(7)李克強(LI KEQIANG、57:国務院常務副首相(第一副首相))
(8)賀国強(HE GUOQIANG、69):中国共産党中央規律検査委員会書記
(9)周永康(ZHOU YONGKANG、70):中国共産党中央政法委員会書記(治安担当)

■政治局員

(10)王剛(WANG GANG、70):中央委員会組織工作委員会書記
(11)王楽泉(WANG LEQUAN、68):新疆ウイグル自治区共産党委員会書記
(12)王兆国(WANG ZHAOGUO、71):全人代常務副委員長、中華全国総工会主席
(13)王岐山(WANG QISHAN、64):国務院副総理
(14)回良玉(HUI LIANGYU、68):国務院副総理
(15)劉淇(LIU QI、70):北京市共産党委員会書記
(16)劉雲山(LIU YUNSHAN、65):中国共産党中央書記処書記、中国共産党中央宣伝部長
(17)劉延東(LIU YANDONG、67):国務委員
(18)李源潮(LI YUANCHAO、62):中央書記処書記、中国共産党中央組織部長
(19)汪洋(WANG YANG、57):広東省共産党委員会書記
(20)張高麗(ZHANG GAOLI、66):天津市共産党委員会書記
(21)張徳江(ZHANG DEJIANG、67):国務委員
(22)兪正声(YU ZHENGSHENG、67):上海市共産党委員会書記
(23)徐才厚(XU CAIHOU、69):中央軍事委員会副主席
(24)郭伯雄(GUO BOXIONG、70):中央軍事委員会副主席
(25)薄熙来(BO XILAI、63):重慶市共産党委員会書記

 現在の政治局常務委員9名のうち、7名が2012年には引退する。中国共産党のトップ、中国のトップ、軍のトップ、全人代常務委員長、国務院のトップ、全国政治協商会議のトップが揃って引退する。政治局員からは7名以上が引退する。その中には2名の軍代表も含まれる。2012年には25名の政治局員のうち、14名が引退する。もちろん、この数字はもっと大きくなることもある。2012年の段階で68歳以下でも、体調や政治的な争いで引退を余儀なくされる人々も出てくる可能性がある。

 このような大規模な指導部交代は、2002年以来の第16回党大会以来である。この時は、政治局員22名のうち14名が引退した。常務委員7名中6名が引退した。2007年の第17回党大会では谷間の、人事としてはあまり重要ではない党大会であり、人事は限定された。25名の政治局員のうち9名が引退した。常務委員9名のうち3名が引退した。

●中国共産党中央政治局常務委員会人事予想

 2012年の中国共産党中央政治局常務委員の人事予想は、カギとなる政策決定組織の大きさを頭に入れて計算しなければならない。2002年の第16回党大会では、常務委員の数が7名から9名に増員された。これは常務委員制度が創設された1956年以来最大の数である。欧米のウォッチャーたちの多くは、常務委員の数が拡大されたことについて次のように見ていた。それは、江沢民が引退する際に、自分の側近たちを常務委員に残して、胡錦濤に影響を与えようとした、というものだ。しかし、2007年の第17回党大会では、胡錦濤が権力を完全に掌握したが、常務委員会の数は9名のままだった。

 2002年に政治局常務委員の数が増えたことについては別の説明をするウォッチャーもいる。その説明とは、「党の構成上、増員は必要だった」、というものだ。江沢民の政治ゲームの結果ではないということだ。常務委員の増大は、政策決定の中核としての役割を強化する目的があった。それによって政治局自体が大きくなってしまうということはあったが、それよりも常務委員の機能強化が重要だった。政治局常務委員が9名に増員されたことで、重要な政策分野全てに指導力のあるリーダーを充てることができるようになった。重要な政策分野とは、経済、外交・安全保障政策、党務、プロパガンダ、治安である。2007年に重要なリーダーたちが数名引退したが、政治局常務委員の数は9名のままであったが、それは構成上の目的であった。

 2002年と2007年の政治局常務委員の序列と政策の分担は、構成上の論理が反映されたものだった。それは、現在の政治局常務委員の序列と政策の分担にも見られる。(表2を参照のこと)

 政治局常務委員の役割分担の見直しは、7つある中央委員会領導小組(Central Committee leadership small groups)全ての指導が政治局常務委員によって担われていることでも明らかだ。これも2002年と2007年の時と同じだ。現在の政治局常務委員の序列と顔ぶれ、役割分担を表3で示す。

 

表2:第17期中央委員会政治局常務委員と政策の役割分担

(1)胡錦濤(HU JINTAO、70):中国国家主席、中国共産党総書記、中国中央軍事委員会主席
(2)呉邦国(WU BANGGUO、71):全国人民代表大会常務委員長
(3)温家宝(WEN JIABAO、70):国務院総理
(4)賈慶林(JIA QINGLIN、72):全国政治協商会議主席
(5)李長春(LI CHANGCHUN、68):中国共産党中央精神文明建設指導委員会主任(思想・プロパガンダ担当)
(6)習近平(XI JINPING、59):中央書記処第一書記、中央党学校長、中国国家副主席
(7)李克強(LI KEQIANG、57:国務院常務副首相(第一副首相)
(8)賀国強(HE GUOQIANG、69):中国共産党中央規律検査委員会書記
(9)周永康(ZHOU YONGKANG、70):中国共産党中央政法委員会書記(治安担当)

 

表3:第17期中央委員会政治局常務委員と領導小組(Leading Small Groups)

(1)胡錦濤(HU JINTAO、70):外交政策領導小組、台湾問題領導小組
(2)呉邦国(WU BANGGUO、71):
(3)温家宝(WEN JIABAO、70):金融・経済領導小組
(4)賈慶林(JIA QINGLIN、72):
(5)李長春(LI CHANGCHUN、68):思想・プロパガンダ領導小組
(6)習近平(XI JINPING、59):党建設領導小組、香港・マカオ問題、外交政策領導小組(副書記)、台湾問題領導小組(副書記)
(7)李克強(LI KEQIANG、57:金融・経済領導小組領導小組(副書記)
(8)賀国強(HE GUOQIANG、69):
(9)周永康(ZHOU YONGKANG、70):

 

 1997年の第15回党大会の人事では、対照的に、政治局常務委員が7つある領導小組のリーダーになることはなかった。

 こうして党の構成からみていくと、2012年の党大会の人事では、政治局常務委員は9名が任命され、党組織の改革がある程度行われるだろう。

●2012年の政治局常務委員の顔ぶれを予想する

1997年以来、政治局常務委員の序列4位までは、党総書記(中国国家主席、中央軍事委員会主席を兼務)、全人代常務委員長、国務院総理、全国政治協商会議主席が順番に占めている。2012年にこの序列が変化すると予想する理由は存在しない。

 序列第1位と序列第3位にはそれぞれ習近平と李克強が就くと可能性が高いが、彼らの就任に関しては2007年から準備が進められてきた。中国メディアが具体的に習近平が党総書記に、李克強が国務院総理になると報道したことはない。しかし、彼らが現在就いている地位と果たしている役割を見れば、彼らが後継者であることは一目瞭然だ。習近平は、1990年代に胡錦濤が務めた職と同じ職に現在就いている。胡錦濤は1990年代に江沢民の後継者として準備を始め、2002年に権力を継承した。しかし、習近平には一つの例外がある。それは、中央軍事委員会副主席の地位にまだ就いていないということだ(2010年10月19日に就任)。習が中央軍事委員会副主席になれない理由についてはいくつか説明できる。その中には、権力継承の手続きについての説明もあるが、習近平が胡錦濤の後継者であることを疑う理由はどこにも存在しない。一方、李克強は現在、国務院常務副総理(第一副首相)として温家宝国務院総理を補佐し、国務院のいくつかの職にも就いている。李克強は温家宝の後継者として準備を進めている。

  

習近平      李克強

 政治局常務委員の政策決定に関する重要性が増していることを考えると、序列1位と序列3位を含む7つの序列に関しては、行政に関わった経験と専門知識を基に予想ができる。従って、現在の顔ぶれと経験や知識から予想してみると、以下のようになった。

・序列第4位:この序列には全国政治協商会議主席が就く。現在は賈慶林が就いている。2012年には劉延東がこの地位に就くだろう。1980年代、劉は共青団で胡錦濤の同僚だった。その後、劉は統一戦線の分野で経験を積んできた。劉は中国共産党中央委員会統一戦線部長を務め、現在、国務院副総理である。彼女の経験と手腕からして全国政治協商会議主席には適任である。

  

賈慶林       劉延東

・序列第5位:この序列にはイデオロギー・プロパガンダの担当者がくる。現在は李長春が就いている。2012年には劉云山が跡を継ぐだろう。劉は中国共産党内で長らくプロパガンダ部門で経験を積んできた。2002年以降、政治局員と中央委員会宣伝部長を務めている。思想・プロパガンダ領導小組では、李長春の下で、副書記を務めている。

  

李長春        劉云山

・序列第7位:この序列には国務院筆頭副総理が就く。現在は李克強(Li Keqiang、りこっきょう)がその地位を占めている。王岐山(Wang Qishan、おうきざん)か張徳江(Zhang Dejiang、ちょうとっこう)が跡を継ぐと予想される。王岐山は金融担当の国務院副総理であり、経済政策の面で世界経済の退潮に中国経済が影響を受けないように活発に動いている。張徳江は、エネルギー・産業政策担当の国務院副総理である。

   

李克強        王岐山    張徳江

・序列第8位:この序列には中国共産党中央規律検査委員会書記が就く。現在は賀国強(He Guoqiang、がこっきょう)がその地位を占めている。李源潮(Li Yuanchao、りげんちょう)がその後を継ぐと予想される。李源潮は現在政治局員であり、胡錦濤率いる団派の一員である。現在は中国共産党中央組織部長を務めている。この職を務めるには細心の注意が必要である。李源潮の昇進は、賀国強の政治局常務委員と中国共産党中央規律検査委員会書記への昇進のパターンと同じだ。賀国強もまた、2002年から中国共産党組織部長を務めた後、2007年に現在の地位に就いた。

  

賀国強        李源潮

・序列第9位:この序列には国内の治安担当者が就く。現在は周永康(Zhou Yongkang)がその地位を占めている。孟建柱(Meng Jianzhu、もうけんちゅう)がこの地位に就くと予想される。孟建柱は、中国公安部副部長(2007年に部長に昇格)と中国共産党中央政法委員会副書記(書記は周永康)を務めている。

  

周永康           孟建柱

 序列第2位と序列第6位については経験や専門知識ではなく、伝統的な政治的な理由で人事が決められるだろう。序列第2位には、全人代常務委員長が就くことになっている。全人代は中国の国会である。現在は呉邦国がその地位に就いている。呉邦国は、1998年から2003年にかけて朱鎔基(Zhu Rongji)国務院総理の下、国務院副総理を務めていた。同時期、温家宝も国務院副総理だった。2003年、温家宝が国務院総理になると、呉邦国は全人代常務委員長に就任した。もしこの後継のパターンが2012年の党大会での人事にも適用されるとすると、王岐山か張徳江が、一方は全人代常務委員長、もう一方は国務院常務副総理(第一副首相)になる。どちらがどの地位に就くにしても、2017年の党大会の時には両方とも定年である68歳を過ぎているので引退するだろう。そうなると、2人は第18期の1期だけ政治局常務委員を務めることになる。

   

呉邦国      王岐山    張徳江

 これとは別のシナリオとして、地方幹部のスターが全人代常務委員長に就任することも考えられる。広東省共産党委員会書記の汪洋か、重慶市共産党委員会書記の薄熙来が有力候補である。2人は、ここ数カ月、香港のメディアでは政治局常務委員の有力候補として、一挙一投足まで詳しく報道されている。

  

汪洋      薄熙来

 現在の序列第6位は習近平であるが、この序列に誰を持ってくるか、最もデリケートな問題である。第16期(2002年)、第17期(2007年)政治局常務委員の場合、この序列には、中央書記処第一書記、中央党学校長、中国国家副主席を務める人物が就いたし、今も就いている。この序列に就く人物は次の中国共産党総書記になるための準備をする。2002年の政治局常務委員の人事の場合、序列第6位には曽慶紅が就いた。曽慶紅は、江沢民が引退するまで彼の側近中の側近だった。曽慶紅の場合、序列第6位になったが、これは2007年の人事で胡錦濤の後継となる準備のためではなかった。曽慶紅は、胡錦濤が任期途中で病気や政治的な失敗で職にとど
まれなくなった時に胡の代理を務めるために序列第6位の地位に就いていた。これまで議論したように、習近平は2012年に党総書記、2013年には中国国家主席になるための準備段階として序列第6位の地位に就いている。

 2012年の第18回中国共産党大会で習近平の後の、2017年までの序列第6位(共産党中央書記処第一書記と中国国家副主席)に就く人物は、習が健康問題、もしくは政治的に失敗をした時に中国国家主席、党総書記、中央軍事委員会主席の代理をするためであって、習の後継のためではない。序列第6位の人事については議論が分かれるところであるが、この地位には李源潮が就く可能性が高い。李源潮は胡錦濤の側近中の側近であるのは、曽慶紅が江沢民の側近中の側近であったのと同じだ。李源潮は、序列第8位の中国共産党中央規律検査委員会書記よりも第6位のポストに就任する可能性が高い。そうなると、中央規律検査委員会書記には別の人物が就任することになる。

 まとめると、2012年の党大会での政治局常務委員の序列と顔ぶれは表4のようになると予想される。

 

表4:2012年の政治局常務委員の顔ぶれの予想

(1)習近平(Xi Jinping、しゅうきんぺい):中国国家主席、中国共産党総書記、中央軍事委員会主席
(2)王岐山(Wang Qishan、おうきざん)か張徳江(Zhang Dejiang、ちょうとくこう):全人代常務委員長
(3)李克強(Li Keqiang、りこっきょう):国務院総理
(4)劉延東(Liu Yandong、りゅうえんとう):全国政治協商会議主席
(5)劉云山(Liu Yunshan、りゅういさん):中国共産党中央精神文明建設指導委員会主任(思想・プロパガンダ担当)
(6)李源潮(Li Yuanchao、りげんちょう):中央書記処第一書記、中央党学校長、中国国家副主席
(7)王岐山か張徳江:国務院常務副首相(第一副首相、マクロ経済政策担当)
(8)李源潮:中国共産党中央規律検査委員会書記
(9)孟建柱(Meng Jianzhu、もうけんちゅう):中国共産党中央政法委員会書記(治安担当)

 

●中国共産党中央政治局委員人事

 政治局常務委員の人事と同じく、政治局員の人事もまた組織構成の論理によって決定されるだろう。ここ15年間の政治局の人事から判断すると、共産党、国家、軍の序列や地位が政治局の人事にも反映を与えるようだ。中国共産党宣伝部長、組織部長、国務院副総理、中国軍事委員会副主席などの役職に就いた人々は政治局員になっている。更に、1980年代末以降、政治局員の人事は、中国の主要な機構のバランスを取るようになっている。具体的には、共産党、国家機関、地方、そして限定的であるが人民解放軍を含む治安・軍事部門のバランスを取っている。現在の序列第4位までのトップ(胡錦濤、呉邦国、温家宝、賈慶林)を除くと、現在の政治局員たちは4つの機構の代表者であることが分かる。(表5を参照のこと))

 

表5:第17期中国共産党中央政治局員の機構別のグループ分け

・中国共産党:李長春、習近平、賀国強、王剛、劉云山、李源潮

・国家機関:李克強、王兆国、王岐山、回良玉、劉延東、張徳江

・地方:王楽泉、劉淇、汪洋、兪正声、張高麗、薄熙来

・治安・軍:周永康、徐才厚、郭伯雄

 

 ブレジネフ時代のソ連指導部はそれぞれの機構のバランスを取るという、似たような指導部の人事システムを採用していた。ソ連の場合と同じく、各機構のバランスを取る人事は政治局員内部の集団指導体制を強化することを目的としている。第一に、バランスを取ることで、1人の指導者、もしくは1つの機構出身のリーダーたちが政治局を牛耳ることを抑制できる。第二に、中国共産党総書記が独裁的な力を持つことを制限することができる。1960年代から1970年代、毛沢東は独裁的な力をふるった。また、ソ連では、スターリンもまた独裁者となった。1987年以降、政治局に人民解放軍の代表が少ない(2名から3名)のは、独裁者が出てくるのを防ぐためだ。
 
 「政治局員は各機構の代表である」もしくは「政治局は各機構のバランスを取る」という考え方を取ると、2012年の政治局の人事は、指導部内の競争を生み出すが、同時に制限する。この考え方を取ると、次のような予想が成り立つ。

 6名の地方幹部が新たに政治局員に任命されると予想される。北京市共産党委員会書記の劉淇と新疆ウイグル自治区共産党委員会書記の王楽泉は2012年には定年である68歳を超えている。更に王楽泉は、中央政法委員会副書記としてウルムチから北京に移っている。残りの4名である汪洋(広東省)、兪正声(上海市)、張高麗(天津市)、薄熙来(重慶市)は、年齢的に見て、地方幹部として政治局に留まることができる。この4名のうちの3名は、政治局員の序列と職務が上昇するか、政治局常務委員に抜擢される可能性を持っている。現在、地方幹部で政治局員になっている人々を見ると、4名は沿岸部の省の幹部をしている。残り2名は西部(内陸部)の省の幹部である。経済力と財政力を考えると、このバランスは今後も維持されるだろう。

 

王楽泉      劉淇

      

汪洋      兪正声    張高麗     薄熙来

 軍代表として軍人が2名、政治局員に任命されるだろう。中央軍事委員会は2012年に大規模な指導部交代が起こるだろう。2012年には10名の軍人のうち、6名が引退するだろう。徐才厚と郭伯雄の後継は誰になるかについてはこの論文では触れない方が良いだろう。

  

徐才厚     郭伯雄

 私は上記のように人事を予想する。王岐山、劉云山、李源潮が2012年には政治局常務委員に昇進するだろう。そうなると、現在、彼らが占めている、国務院副総理、中国共産党宣伝部長、中国共産党組織部長の地位の後継者は、2012年に政治局員に任命される人々がなると考えられる。例えば、李源潮が2012年に政治局常務委員になった場合、その後継の共産党組織部長には、沈躍躍(Shen Yueyue、ちんやくやく)が有力だろう。沈躍躍は胡錦濤の側近で、2007年の第17回党大会で共産党組織部常務副部長(筆頭副部長)に任命されている。沈躍躍は、浙江省共産党委員会組織部長を2003年まで務めていた。同時期、習近平も浙江省共産党委員会書記を務めていた。沈躍躍が中国共産党組織部長の有力候補となっており、それは同時に彼女が政治局員に任命される可能性が高いことも意味している。
 

沈躍躍


●結論

 全世界の政治家たちと同じく、中国の指導者たちは野心をもって行動し、出世をするために戦い続ける。中国の政治家たちは、制度的にしっかりした序列とプロセスの中で戦いを続けている。現在の指導部の人事は、毛沢東亡き後の20年間に行われた無慈悲な派閥争いとは全く異なったプロセスを踏む。私が行った2012年の党大会での人事の予想がかなり的中していれば、人事のプロセスはだいぶ制度化されていると言える。もし私の予想が外れれば、人事のプロセスの制度化はまだまだ進んでおらず、人事は親分・子分関係、派閥争い、他の伝統的な政治的要素によって決定される部分が大きいということになる。

(終わり)