「0109」 翻訳 著名なチャイナ・ウオッチャーによる習近平の軍事委員会副主席就任と中国共産党中央委員会年次総会についての論文をご紹介します 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 、2010年10月31日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。前回、前々回と中国政治についての論文をご紹介しましたが、今回もまた中国政治についての論文をご紹介します。今回は、著名な中国専門家のウィリー・ラムの論文をご紹介します。

 ウィリー・ラムは、今回の論文で、習近平についての分析、共産党中央委員会年次総会の内容についての分析、政治の自由化、経済格差の是正について書いています。幅広い内容になっています。

 前々回、前回、そして今回ご紹介した中国政治の論文3本をお読みいただければ、中国の国内政治について最新の知識が得られると考えます。

 それでは拙訳をお読みください。

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人民解放軍は影響力を確保した:習近平が中国共産党中央軍事委員会副主席に昇進

チャイナ・ブリーフ(ジェームズタウン研究所発行)Vol.10 Issue 21
2010年10月22日
ウィリー・ラム(Willy Lam)筆

 中国共産党中央軍事委員会(Chinese Communist Party's Central Military Commission)副主席に習近平(Xi Jinping)が任命された。習の軍事委員会副主席就任で、第五世代の習近平が、現在の中国国家主席兼中国共産党総書記である胡錦濤(Hu Jintao)の正式な後継者として正式に認められたことになる。中国共産党中央委員会の年次総会が2010年10月15日から18日にかけて開催された。習は、その最終日に政策決定に関わる中央軍事委員会の副主席に任命された。今回の習近平の中央軍事委員会副主席就任によって、人民解放軍の幹部たちは外交政策やその他の分野でのより大きな影響力を発揮することになった。

 中央委員会年次総会の最終日、中央委員会は、2011年から2015年にかけての第12次経済・社会発展五カ年計画(12th Five-Year Program for Economic and Social Development)を承認した。第12次五カ年計画の詳細は2011年3月開催の全国人民代表大会(全人代)総会まで公式に発表されない。しかし、中国国営新華社通信は、共産党のメディア担当者が発表した、中央委員会年次総会のコミュニケの要旨を掲載した。コミュニケのタイトルは、「人民を豊かにし、社会的な平等と正義を追求していく」というものだった(新華社通信、2010年10月18日;人民日報、2010年10月19日)。

 57歳になる習近平が中央軍事委員会の副主席に任命された。政治局常務委員序列第6位の習近平が2012年10月に開催される第18回中国共産党大会で胡錦濤の後継として党総書記に就任し、その後国家主席になることが確実となった。習のライバルである政治局常務委員の序列第7位李克強(Li Keqiang)国務院常務副総理(第一副首相)は国務院総理に昇格するだろう(フィナンシャル・タイムズ、2010年10月19日;ワシントン・ポスト、2010年10月18日)。

習近平
 
 68歳になる胡錦濤が、2012年の第18回党大会以降の数年間、中央軍事委員会主席の地位にとどまるかどうかはっきりしない。もし胡錦濤が中央軍事委員会主席の地位に留まることを選択するなら、彼の前の国家主席だった江沢民と同じ道をたどることになる。江沢民は、2002年の第16回党大会で政治局常務委員から引退した。しかし、江沢民は2004年9月まで中央軍事委員会主席の地位に留まった。江沢民は、最終的には胡錦濤と人民解放軍の将軍たちから引退するように迫られたという話がある。将軍たちは江沢民から胡錦濤へ忠誠を誓う相手を変えたのだ(アップル・デイリー[香港]、2010年10月8日、ニューヨーク・タイムズ、2004年9月19日)。

  

胡錦濤      江沢民

 胡錦濤の意図とは別に、習近平が、切望していた軍での地位を獲得したことで、人民解放軍が政策決定においてより積極的な役割を果たすことになると考えられる。江沢民や胡錦濤と違い、習近平には、中央軍事委員会のポストを得る前、軍での経験は全くない。しかし、習は軍の中枢で3年間勤務した経験はある。習は1979年に清華大学を卒業してすぐ、人民解放軍の中枢である中央軍事委員会本部で秘書として勤務した。
 
 中国共産党幹部の子弟を示す「太子」である習近平が中央軍事委員会で秘書の仕事を得ることができたのは、元国務院副総理の実父、習仲勲(Xi Zhongxun、しゅうちょうくん)のコネがあったからだ。習仲勲は当時の国務院国防部長耿ヒョウ(Geng Biao、こうひょう)の側近だった。習近平の妻、彭麗媛(Peng Liyuan、ほうれいえん)は人気歌手で、人民解放軍総政治部歌舞団団長であり、階級は少将である。習近平は、2000年代に少将以上に昇進した太子党の人々の多くと良好な関係にある(明報〔香港〕、2010年10月18日;AFP通信、2010年10月18日;Asiasentinel.com、2010年10月19日)。

  

習仲勲(左)        耿ヒョウ    彭麗媛

 軍内部の太子党のことを「軍太子党(military princelings)」と呼ぶ。彼らの中には大将に昇進し、軍の重要なポストに就いている人々もいる。たとえば、劉源(Liu Yuan、りゅうげん)は現在、人民解放軍軍事科学院(the Academy of Military Sciences)の政治委員を務めている。第二砲兵師団の政治委員である張海陽(Zhang Haiyang、ちょうかいよう)や人民解放軍総参謀本部副議長である馬暁天(Ma Xiaotian、まぎょうてん)も軍太子党の一員である (ジェイムズタウン財団研究報告「軍部内の変化:2020年代に第六世代が実権を握るように中国政府は種をまいている」参照)。

  

劉源          張海陽       馬暁天

 習近平の軍事的な思想は分からないが、彼が毛沢東の唱えた「平和と戦争の統合」理論の信奉者であることは知られている。この理論は、「民間部門は軍建設において重要な役割を果たすべきだ」という内容だ。例えば、この理論に従えば、空港や鉄道建設のような社会資本整備プロジェクトは、戦時の必要も満たすように計画されなければならない。習近平は2002年から2007年にかけて、浙江省共産党委員会書記を務めていた。習は在任中、浙江省軍区の党書記の数を2倍に増やした。2007年、習は浙江省の地方幹部を前に、後々有名になる演説を行った。演説の中で、習は、「私たちは、毛主席の提唱された兵士と民間人の団結のための戦略的な概念を実行に移さねばならない。人民解放軍と浙江省政府は、資源を共有し、中国の敵との軍事闘争に常に備えなければならない」と述べた(浙江日報、2007年1月8日)。習近平の述べた内容から考えると、習が最高指導者になった場合、人民解放軍が中国経済に関与し、予算を増大させる可能性が高い。

毛沢東


 習近平は現在、党務を中心に活動している。そのため、軍の高度化や外交についての所見を発表する機会は多くない。上海市共産党書記、浙江省共産党書記を歴任した習近平は、中国が超大国として台頭していくためにより厳しい戦術を採るべきだと主張するナショナリストだと見られている。習は2009年にメキシコを訪問した。その際、習は感情を押し殺しながらアメリカを批判し、周囲を慌てさせた。彼は次のように述べた。「外国人の中には腹いっぱいになって他にやることがないので私たちの悪口を言う者たちがいる」(ロイター通信、2010年10月18日;ウォールストリート・ジャーナル、2010年10月19日)。習は昨年の日本訪問でも騒動を起こした。日本訪問で習は日本の天皇との会見を強く希望した。日本側の内規では、国家元首もしくは政府の代表者ではない人物が天皇と会見するには数か月前までに事前申請が必要であった。習は内規に従わず、会見を強行した。その結果、日本のマスコミでは習に対して否定的な報道を行った(ジャパン・タイムズ、2009年12月17日;人民日報、2009年12月16日)。

習近平と天皇陛下
 
 中国国内、また海外で、多くの人々は2010年10月15日から18日にかけて開催された中国共産党中央委員会年次総会で、政治改革に向けての動きがあるのではないかという大きな期待を持った。1989年に起きた天安門事件以降、政治改革に向けた動きは進んでいない。温家宝首相は2010年8月から年次総会までの期間、少なくとも3回、政治改革について婉曲的に発言している。温家宝首相は深セン経済特区を訪問し、次のような発言を行った。「政治改革と自由化を行わなければ、共産党は破滅への道を進むことになる」(チャイナ・ブリーフ「温家宝首相の南巡講話:中国共産党内にイデオロギーに関する亀裂が発生か?」を参照)。

温家宝

 習近平を良く知る党幹部たちは、習は温家宝が述べた政治改革や自由化を推進することはないだろうと述べている(AFP、2010年10月19日;アップル・デイリー、2010年10月19日)。ここ数年、習近平は保守的な、毛沢東主義者のような発言を繰り返している。彼は中央党学校長であるが、校長の立場で保守的な発言をしている。習は中央党学校の学生たちに向かって次のように訓示した。「中央党学校の学生たちはマルクス主義の諸原理と中国の現実と現代社会の諸特徴を統合するように努力しなければならない」。習近平は若手の党幹部たちについて次のように発言している。「彼らに対しては党に対して政治的な忠誠心を持つような教育を強化している。党の規律についての教育と腐敗と方便(fangbian、ファンビアン=変化を起こさないようにすること、現状に満足すること)に対抗できるような指導を行っている」。方便とは中国共産党内の用語で、「資本主義の走狗(vassal of capitalism)」にマルクス主義政党が堕落する可能性、という意味で使われている。習は、共産党の幹部たちに対して、「 政治的な能力を高めること、政治的な信念を固めること、自律的な政治的な立場を取ること、政治的に虐げられている人々に気を配ること、党に対する政治的忠誠心を確立すること」を求めた(人民日報、2009年9月8日;新華社通信、2009年3月30日)。

 中央委員会年次総会のコミュニケは簡潔に4,700字でまとめられていた。コミュニケによると、365名の中央委員会委員と委員候補たちは、現在服役中の劉暁波(Liu Xiaobo)がノーベル平和賞を受賞したこと、23名の中国共産党の元幹部たちが検閲を止めるように求める公開書簡を発表したことなどを全く話し合わなかったようだ(フィナンシャル・タイムズ、2010年10月12日;ウォールストリート・ジャーナル、2010年10月14日)。コミュニケには、ただ、自由化については婉曲的に書かれていた。その内容は次の通りだ。「共産党は、政治改革を、熱心に、かつ安定的で適当な方法で進めていく」。胡錦濤国家主席が9月に深センを訪問した際、政治改革や自由化について全く発言しなかった。胡主席は、「政府当局が法律、民主的な選挙、民主的な意思決定、民主的な政府運営、民主的な監督・管理を行う可能性には言及しなかった」と新聞は伝えた(人民日報、2010年9月7日;チャイナ・ニュース・サービス、2010年9月7日)。

劉暁波

 中国政府は政治の自由化を現時点では推進しようとはしていない。それは政治の自由化に関しての共産党の態度が揺れ動いていることで分かる。北京大学の政治学者、兪可平(Yu Keping)は胡錦濤国家主席の政治改革に関する顧問も務めている。兪可平は共産党中央委員会が開催される直前、中国共産党中央委員会編訳局副局長の立場から次のように述べている。「政府当局は、善治(shanzhi)や慈愛に満ちた秩序の構築のために懸命に努力している。永続的な制度・機構改革によってのみ、政府は慈愛に満ちた行政を行い、慈愛に満ちた秩序の構築を進めることができるのだ」と。しかし、兪可平の主張には民主的な要素は一切含まれていない。兪可平が言う「慈愛に満ちた行政と秩序」とは、「法の支配、責任ある統治、国民の要望にこたえる統治、透明性の高い統治、清潔な統治」を基にしたものを意味する(グローバル・タイムズ、2010年10月12日;新華社通信、2010年10月12日)。兪可平の発言の中に、国民大衆による政治参加についても何の言及もなかった。

兪可平

 学者たちの中には共産党が政治改革に全く関心を示さなかったことについて否定的な見解を述べる人々もいる。北京科学技術大学で教鞭を執る社会科学者(経済学)・胡星斗(Hu Xingdou、こせいとう)は次のように述べている。「党大会についてのコミュニケについて政治改革、行政改革についての記述は何も載っていなかった」。胡星斗は、「中国経済はクローニー資本主義や官僚主義的資本主義になりつつある」と指摘した。人気作家で評論家の袁堅(Yuan Jian)もまた中央委員会の年次総会について不満を表面している。袁堅は「政治改革はこれ以上先延ばしできない。党と国家が直面している深刻な経済問題の多くは、実は政治問題なのだ」と述べている(民報[香港]、2010年10月19日;フリー・アジア、2010年10月19日)。

胡星斗

 第12次経済計画の期間中に実施される経済政策について、中国メディアは、「発展の優先順位の戦略的な構造改革と再構築」について大きく報道をしている。これは、発展政策の大転換を意味している。第一の大きな変化は、発展の目的を、国家の強さを増大させる「強国(qiangguo)」から国民の富を増大させる「富民(fumin)」に転換することだ(新華社通信、2010年10月16日;チャイナ・ニュース・サービス、2010年10月16日)。中央委員会年次総会のコミュニケには次のように書かれている。「党は“人民が第一(people first' principle)”原理をますま強め、平等と正義を促進するために人民の生活を保障し、向上させることに力を入れる」と。第12次経済計画のその他の重要なポイントは、経済をけん引するために輸出と政府投資だけではなく、民間需要を喚起することも挙げられる。従って、中央委員会は、「消費、投資、輸出による新しい経済成長パターンを確立する速度を速めなければならない」と決議している。また、中国中央地域と西部地域の産業分野と農業の分野の技術を引き上げることも中央委員会年次総会で議題になった。年次総会ではまた、低炭素産業技術発展も強調された。低炭素技術の発展をさせることで、「資源を有効利用する、環境に優しい社会」を構築することがその目的だ(チャイナ・ニュース・サービス、2010年10月18日;Sina.com、2010年10月19日)。

 第12次経済財計画の中身は、経済的に恵まれていない人々には魅力的に見えるだろう。しかし、経済計画の中身のポピュリスト的な公約を実行するための手順や組織について、年次総会のコミュニケには何も記載されていないし、党幹部たちも何も発言していない。チャイナ・ニュース・サービスは、中央委員会年次総会が開催される直前、「システムの、そして機構上の革新を進めるために、指導者たちは、勇気と、決意と、先見性と知恵を必要としている」と書いた。これは驚きだ。中国の国営メディアが政府に対してこのような要求をすることは滅多にないからだ。チャイナ・ニュース・サービスは、中国政府に対して、「経済発展や社会発展を阻害している障壁を打ち壊す」ように要求したことは画期的なことだ(チャイナ・ニュース・サービス、2010年10月15日;文匯報、2010年10月15日)。

 社会・経済と政治に関する新しい枠組みを構築するためには何が必要だろうか?長年、改革理論の研究に携わってきた、海南島の海口にある中国改革研究所長の遅福林(Chi Fulin)は、「国民大多数の要求を満足させるだけの経済成長を持続させるシステムを導入すべきだ。国民所得の分配メカニズムを現実に適用するものに変更しなければならない。更には機構改革も速度を上げて実行されねばならない」と主張した(ニュー・ベイジン・ポスト、2010年10月15日)。

遅福林

 第12次経済計画の中で人々の支持を集める約束は、労働者と農民の収入の伸びをGDPの伸びに合わせる、というものだ。これは、過去20年間、GDPに占める労働者たちの賃金の割合が年1パーセントずつ減少しているという注目すべき事実から打ち出されたものだ。中国労働学会副会長Su Hainanは、「中国は日本の経験から学ぶべきだ。国民の収入はGDPの伸び率と同じ伸び率になるべきだ。持つ者と持たざる者との間の収入格差を縮める方策を政府は取るべきだ」と述べている。

 中央委員会年次総会では、国営企業についての緊急に必要な諸改革を討議することもなかった。特に石油、ガス、銀行、保険、運輸、通信などで、その分野を独占している129の国営企業集団の構造改革が遅々として進んでいない。今回の中央委員会年次総会でもまた先送りになった。こうした国営企業は、特権的な立場にあり、それによって巨利を得ている。こうした独占的な力を排除することが、所得の分配の正義を増進することにつながる。中国人民大学公共管理学部副学部長の許光建(Xu Guanggian)は、次のように述べている。「政府は民間企業など、より多くの企業が現在、国営企業の独占状態にある分野に参入することを認めるべきだ。このような自由化政策を真剣に推進すべきだ」(人民日報、2010年10月16日)。

許光建

 2009年、129の国営企業で、8,150億人民元(1,225億6千万ドル、約9兆8千億円)の売り上げを上げた。2008年に比べ、17.1パーセントの伸びを記録した。昨年は金融危機の影響で世界的に不況であったが、それでもこの様な高い伸びを記録した。2010年、中国政府が所有している4つの大銀行は平均して、1日に合計で14億人民元(2105億3千万ドル、約170億円)の利益を出している。人民日報は社説で次のように書いた。「人民は、国営大企業が生み出した利益がどのように配分され、使われるのか注視している。国営大企業が生み出した利益を全人民が享受することができるのはいつになるのか?」(人民日報、2010年8月30日;新華社通信、2010年9月5日)。

 温家宝首相は、昨年、政治改革に関する重要な発言をした。また、それだけではなく、「経済のパイはより公平に分配することができる」とも発言した。また、今年の春、全人代で、「社会の平等と正義を太陽よりも輝かしいものにしなければならない」と発言した(新華社通信、2010年3月14日;明報[香港]、2010年3月15日)。習近平率いる第五世代がこれから中国を引っ張っていく。彼らの責務は、多くの恵まれない中国人民の生活を改善することができることを中国国内、そして世界に示すことである。

 

ウィリー・ラム

ウィリー・ラム:ジェイムズタウン財団上級研究員。「アジアウィーク」誌、「サウス・チャイナ・モーニング」紙編集長、CNNアジア・太平洋本部勤務。中国に関する著書5冊。最新作は『胡錦濤時代の中国政治:新しい指導者、新しい挑戦』。秋田国際大学と香港中文大学の非常勤教授。

(終わり)