「0115」 論文 アメリカにおける日本政治研究の進展とその分類 古村治彦(ふるむらはるひこ)記 2010年11月19日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。本日は、アメリカにおける日本政治研究について大まかにご紹介したいと思います。ジェラルド・カーティスコロンビア大学教授の自伝的著作『政治と秋刀魚』は読みやすい文体で、ところどころに重要なことが書かれています。これはあまり話題になりませんでしたが、大変に重要な本だと思います。ちなみに、『政治と秋刀魚』について、カーティス教授は英語で書いたものを日本語訳したのではなく、日本語で書いたと述べています。

『政治と秋刀魚』

 カーティス教授は、日本研究者について世代分類を行っています。これが世代分類の基準になると思いますので、詳しくご紹介したいと思います。この世代分類で興味深いのは、現在はそうでもないが、アメリカの日本研究に多くの人材を輩出したのは、コロンビア大学であるという点です。コロンビア大学で学んだ人々、または教鞭を執った人々が著名な日本研究者となっています。

 また今回は、日本研究、特に政治研究について大まかな分類をご紹介します。まずは、「日本は誰が統治しているのか」という疑問に対する答えとして、3つのモデルがあることを紹介する。この3つのモデルについては、私が留学中、日本政治の授業で教えてもらったものである。こういう分類はやはり、外国の方がしっかりしているなという印象があります。日本人の私たちは漠然と知っている日本政治を、アメリカ人たちはどのように理解しようとしているのか、大変面白いと思います。

 今回の文章を読んでいただくと、アメリカで日本がどのように研究されてきたかについて、大まかに理解ができると思います。それでは拙文をお読みください。

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 日本政治がアメリカで本格的に研究され始めたのは第二次世界大戦以降のことだ。それまでアメリカの政治学の研究者たちはアジアやアフリカなどに興味を持たなかった。彼らはヨーロッパや自国アメリカの政治制度の研究を主に行っていた。一方、日本に興味を持つアメリカ人たちもいた。彼らの多くは宣教師として日本にやって来て、日本の文化や歴史に興味を持つようになった。彼らは日本の古典を翻訳したり、歴史を紹介したりするなどの活動を行ったが、政治の機構や構造を研究することはなかった。

 第二次世界大戦後、アメリカは冷戦下、外国研究の必要性に迫られた。アジア、アフリカ、南アメリカといった地域の地域研究(Area Studies)が全米の各大学で始まった。地域研究というのは、ある地域について、様々な学問分野の手法を使って研究する学問である。例えば、東アジア地域研究であれば、アジア各国について、経済学、社会学、政治学、人類学、言語学、文学研究、歴史学など様々な研究手法で研究する。地域研究の特徴は、学際的(interdisciplinary)ということである。もちろん、一人の人間が全ての学問分野の手法を使える訳ではないので、多くの人間が共同して研究することになる。日本は東アジア地域研究の対象である。

ジョン・F・ケネディ

 ジョン・F・ケネディ大統領が就任して、アメリカでは愛国教育法が制定された。これは外国語教育や外国研究に対して予算をつけるというものだ。もちろん、「アメリカにとって重要な外国なのか、研究が必要か」という観点から差がつけられる。冷戦下、ソ連(ロシア)研究が盛んに推奨された。ハーバード大学にはロシア経済研究所が創設された。また、インディアナ大学ではロシア研究が盛んに行われるようになった。その後、日本も重要な研究対象となった。しかし、現在では、中国の重要性が群を抜いている。学生たちには奨学金が多く支給され、中国研究家には研究費がつきやすい。日本研究は落日の感がある。

●日本研究者の世代間の区別と特徴

 ジェラルド・カーティスは自伝的著作『政治と秋刀魚』の中で、日本研究者を大きく5つの世代に分類している。

ジェラルド・カーティス

 第一世代は戦前からの日本研究者である。カーティスは代表的な学者としてエドウィン・O・ライシャワーを挙げている。第一世代に属する日本研究者の数は全米でも数十人に過ぎず、その多くが、宣教師の子弟として日本で生まれたり、少年時代を過ごしたりした人々であった。彼らはジャパノロジー(Japanology、日本学)の専門家として、日本の文学や歴史を研究していた。第一世代は、太平洋戦争勃発後、国務省や国防総省で戦争遂行のために働いた。日本学の専門家ではないが、ルース・ベネディクトも人類学者として、戦争遂行のために日本人の特徴を研究し、その成果を『菊と刀』として発表した。

 第二世代は、太平洋戦争によって日本語と関わりを持った人々によって構成されている。アメリカ軍は、日本語を話せる将校、人材の育成を進めた。米軍の日本語プログラム終了者から戦後、数多くの日本研究者たちが誕生した。現在、大学の名誉教授クラスには「米軍の士官として戦後、東京に駐在していた」とか「GHQに勤務していた」という経験を持つ人々が数多くいる。

 太平洋戦争開戦直前、海軍の肝入りで、日本語教育プログラムがハーバード大学とカリフォルニア大学バークレー校に設立された。これを総称して、米海軍日本語学校(US Navy Japanese/Oriental Language School)その後、教員であった日系人たちの強制収容が始まり、カリフォルニア大学で開講されていたプログラムはコロラド大学に移設され、海軍士官たちに対する日本語教育は継続された。このプログラムを修了したのが、ドナルド・キーンとエドワード・サイデンステッカーであった。キーンはコロンビア大学教授となり、日本文学をアメリカに紹介した。サイデンステッカーもコロンビア大学教授となり、『源氏物語』の英訳によって高い評価を得た。

 ほとんど同時期に1年制の米陸軍日本語学校(Army Japanese Language School:AJLS)も開設された。こちらは、最初サンフランシスコのプレシディオに置かれたが、日系人の強制収容のため、ミシガン大学に移設された。後にコロンビア大学社会学部長となり、中曽根、竹下両総理のコンサルタントを務めたハーバード・パッシン(Herbert Passin)は米陸軍日本語学校の出身である。

 軍の日本語学校の出身者ではないが、チャルマーズ・ジョンソンも第二世代に含まれるだろうと考える。ジョンソンにも海軍士官として日本駐在の経験がある。彼の場合は、中国研究で博士号を取得しているが、日本とのかかわりも深く、1960年には、ゾルゲ事件についての著作も出版している。

 第二世代を代表する学者たちが揃って、コロンビア大学出身であり、後にコロンビア大学教授となっていることは興味深い。やはり、人類学の拠点校として外国研究が盛んであることを物語っている。コロンビア大学ではイスラム研究も盛んである。

コロンビア大学

 第二世代はまた、政府の外国研究(地域研究)予算の増大を受けて、各大学の日本研究プログラムを整備した人々である。そうしたプログラムから輩出されたのが第三世代の人々である。

 カーティスによると、第二世代の特徴は、「日本の近代化と戦後民主主義の研究に力を入れて、日本が西欧モデルに近づいているか」(54ページ)を研究した。彼らの根底にあるものは、日本に対する「愛憎入り混じった感情」であった。

 第二世代に続く、第三世代を貫く特徴は、日本に対する「好奇心」(55ページ)であった。自分が属する第三世代について、カーティスは、『政治と秋刀魚』の中で、次のように書いている。

(引用はじめ)

 日本は世界史に前例がないほど経済的に躍進し、アジアで唯一の民主主義国家になっていた。凄い勢いで近代化はしたが、それは必ずしも西欧のモデルに従う近代化ではない。いったい、日本はどうなっているのか。固定観念はなく、ただ好奇心があったのが我々第三世代の日本研究者だと思う。(55ページ)

 第三世代は実態調査を重視して、日本学の観点からではなく、社会科学の比較政治学のアプローチで日本の政治、社会、経済構造を本格的に分析しようと試みた。(56ページ)

(引用終わり)

 第三世代には、ジェラルド・カーティス、ミシガン大学教授ジョン・キャンベル(John Campbell)、カリフォルニア大学教授T・J・ペンペルなどがいる。第三世代は、日本の行動経済成長に合わせて、日本の発展ぶりを研究できたという点では、幸せな世代だったと言えるだろう。

  

ジョン・キャンベル     T・J・ペンペル

 第四世代は、リビジョニストと呼ばれる人々が所属している。カーティスは、「第四世代は日本をより懐疑的な目、批判的な目で見る傾向がある」(56ページ)と書いている。リビジョニストは1980年代、日米関係がぎくしゃくしていた際に、「日本異質論」を唱える人々として注目されるようになった。ジェームズ・ファローズ、クライド・プレストウィッツ、カレル・ヴァン・ウォルフレン、そしてチャルマーズ・ジョンソンは、「リビジョニスト四人組(Gang of Four)」と呼ばれた。第四世代について、カーティスは次のように書いている。

(引用はじめ)

 彼らが言わんとするのは、日本の政治経済構造はグローバルな基準から遠く離れており、日本のシステムそのものがアンフェアであるとのことだ。それが、一期目のクリントン政権の対日政策に大きな影響を与えた。我々第三世代は日本人に甘い「菊の花クラブ」だと強烈な批判を受けた。(56ページ)

(引用終わり)

 第五世代について、カーティスは、「どうして日本のシステムはうまく機能しないのか、どうしてバブル経済を許し、また、それが弾けた後、なぜ政策転換できなかったのかが彼らの好奇心であった」(57ページ)と書いている。この世代は、大学院で研究者としての訓練を受け始めてから、日本の経済力が落ちていくのを目の当たりにした世代であり、自分たちの先生たちが教える日本や日本政治が変質していくという経験をした。

 また、研究費や奨学金が減らされていく、ポストがないという現実に直面していた。従って、これまでの世代よりも、日本研究というよりも、政治学や経済学の分野で理論構築や検証で貢献し、競争力をつけようとしている世代である。これまでの世代が、「日本」政治研究者と、日本に力点を置いていたのに比べ、彼らは、日本「政治」研究者として、政治学界で生き残ることを余儀なくされた。従って、彼らは、上の世代に対して大変批判的である。「カーティスたちは理論構築など何もしていない」とか、「上の世代のやっていることはジャーナリストのような仕事ばかりだ」というのが彼らの口癖である。

 この若手世代は、現在30代後半から40代にかけての研究者たちである。カリフォルニア大学サンディエゴ校教授のスティーヴン・ヴォーゲルは、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者エズラ・ヴォーゲルの子息である。また、ヴァージニア大学教授レナード・ショッパも有名である。

 カーティスは、第五世代に対して、2つのポイントで批判している。一つは、「若い学者たちは実態調査よりも理論を重視している。日本についての広い知識よりも専門的な狭い知識を求める」という点だ。彼は、「地域研究が評価されず、理論的な研究をしないと大学の教授ポストを獲得的ない」(57ページ)と書いている。もう一つのポイントは、若手の知識が足りないために、議論が空回りするということだ。カーティスは次のように書いている。「日本語の書物をあまり読まずに議論する若手学者が多い。実態調査を欠いた空虚な論争になる危惧すべき傾向が現われている」(57ページ)

 地域研究と社会科学についての論争は別の機会に詳しくご紹介したい。

●日本政治研究の分類

 日本政治研究は、いくつかのグループに分類できる。その分類の基になるのは、「日本政治は誰が動かしているのか?支配しているのか?」を基にして提唱されるモデルである。具体的には次の3つが、日本政治を理解するためのモデルとして提唱されている。@官僚が支配しているとするストロング・ステイト・モデル(Strong State Model)、A政治家(自民党の政治家たち)が支配しているとするストロング・ソシエタル・モデル(Strong Societal Model)、B政官財の鉄の三角形が支配しているとするジャパン・インク・モデル(Japan Inc. Model)。それぞれについて、詳しく見ていきたい。

●ストロング・ステイト・モデル(Strong State Model)

 ストロング・ステイト・モデルは、官僚支配モデル(Bureaucratic-dominant Model)とも呼ばれる。これは、「日本の政治は中央官庁の官僚によって動かされている」という前提のもとに構築されているモデルである。

 第二次世界大戦後、日本はアメリカ軍を主体とする連合軍に占領された。戦後日本は、アメリカ軍による直接統治ではなく、日本の既存の組織を利用された間接統治の形態となった。占領軍は、統治の効率性を上げるために官界からの公職追放は最小限にとどめる一方、議会政治家からは多くの追放者が出た。その結果、戦前からの官僚機構は温存されることになった。そして、占領終了後も1950年代から1960年代にかけて、官僚たちの明白な支配は続いた。

 このストロング・ステイト・モデルの根拠となるのは以下のような諸事実である。@法案の90パーセントは官僚たちが起草し、国会は承認するだけであった。A官僚たちが立法過程全体に深く関与した。B官僚たちに全ての情報が集まり、官僚たちが情報を政治家たちに与えていた。C官僚たちは専門性と知識を高めていった。D審議会や諮問会議といった部外の組織も官僚たちがお膳立てをし、利用した。E政治家の40パーセントが官僚出身であった。F総理大臣のほとんどは官僚出身であった。G自民党からの圧力がなかったので自由に産業政策や外交政策を決定できた。H高級官僚たちは天下り(descent from heaven)という形で民間企業に再就職し、官僚たちの影響力を維持している。

 このストロング・ステイト・モデルを使った研究の代表例が、チャルマーズ・ジョンソンの『通産省と日本の奇跡』(MITI and the Japanese Miracle)である。ジョンソンは、日本の高度経済成長について研究し、通商産業省が産業政策(industrial policy)を立案、実行し、産業を育成し、高度経済成長を実現したと主張している。計画的に、効率よく産業を育成する政策を実行する国家をジョンソンは、「発展志向型国家(developmental state)」と名付けた。

●ストロング・ソシエタル・モデル(Strong Societal Model)

 ストロング・ソシエタル・モデルは、「日本の政治は自由民主党(Liberal Democratic Party)によって動かされている」という前提のもとに構築されているモデルである。ジョンソンなどが示した、ストロング・ステイト・モデルに対抗するモデルである。これは1970年代から1980年代にかけて、族議員のように専門性を持つ自民党政治家たちが政策決定に関与するようになり出てきた。

 ストロング・ソシエタル・モデルは以下のような根拠を持つ。@自民党の政治家たちは、官僚たちの人事に介入することができる。逆らった官僚たちに罰を与えることができる。具体的には昇進のスピードを決めることができる。A財界や農協など大きな全国組織が自民党の政治家たちに影響を与えている。政治家たちは支持団体の意向に沿うように行動している。

 一方、次のような諸事実を提示し、ストロング・ソシエタル・モデルを批判する人々もいる。@官僚たちを簡単に、懲罰的に解雇することはできない。A官僚たちは政治家たちに情報を伝えなかったり、ウソの情報を伝えたりして政治家たちに恥をかかせて、政治家たちを取り込む。マスコミに情報をリークするような手段もとる。

 ストロング・ソシエタル・モデルの代表的な研究例は、マーク・ラムザイヤ―、フランシス・ローゼンブルース著『日本政治の経済学:政権与党の合理的選択』(Japan’s Political Marketplace)である。この研究で、ラムザイヤーとローゼンブルースは、合理的選択理論(Rational Choice Theory)を使って、日本政治を分析している。彼らは、「日本の政治家たちは自分たちの利益のために合理的に行動している。政治家にとって合理的な行動とは、選挙に当選することを目的にした行動である」という前提の下、分析を行っている。そして、「政治家たちは、選挙で有利になるように、自分たちの支持者たちや支持組織の意向を政策に反映させようとする。そのために官僚たちに対する人事権を利用し牽制しながら従わせている」としている。

●ジャパン・インク・モデル(Japan Inc. Model)

 ジャパン・インク・モデルは、「日本の政治は政官財(自民党の政治家・中央官庁の官僚・大企業経営幹部)の鉄の三角形(Iron Triangle)によって動かされている」という前提のもとに構築されているモデルである。日本の政治は、大企業で構成される財界の影響力も強いというのが、これまでのモデルとは違う特徴である。

 このモデルは、以下のような事実によって導き出されている。@自民党と財界は定期的に会合を持ち、意見交換、情報交換を行っている。A財界は自民党に対しては政治献金を、官僚たちに対しては天下りを受け入れることで影響力を保持している。

 一方、ジャパン・インク・モデルに対しては以下のような諸事実(反証)から妥当性が低いという批判がなされている。

 @財界から政界への転身がない。歴代総理大臣で財界出身者はいない。衆議院議員のうち15パーセント弱が財界出身。天下りのことを考えると一方通行である。A政策決定に影響を及ぼさない。政治家と財界人の個人的なつながりは退潮傾向にある。B財界の中に分裂があり、意見の統一が図れない。輸出企業、輸入企業で要求が異なる。C官僚も政治家も財界を自分たちと対等のパートナーとは見ていない。D環境運動のような市民運動が政策決定に影響を及ぼすようになった。

 財界について、ジェラルド・カーティスは次のように書いている。「財界とは主要工業や金融業の指導者たちのグループのことだ。彼らは、経済や社会全体に関わる活動に時間を費やしている。彼らの多くが経済四団体と呼ばれる4つの経済団体のうちの1つ以上に加入している」と書いている。2002年に経団連と日経連が合併し、日本経団連となり、現在、財界を構成するのは経済三団体である。それらについて少し詳しく見ていく。

 @日本経済団体連合会(経団連、2002年以降は日本経団連、Japan Federation of Economic Organizations)は、大企業が加盟する経済団体である。2002年に日経連と合併して、略称も日本経団連となった。政府の経済政策などについて提言をする。昔、会長は「財界総理」と呼ばれるほどであった。自民党と民社党などへの政治献金を集める機能も果たしていた。

 A日本経営者団体連盟(日経連、Japan Federation of Employers’ Associations)は、2002年に経団連と合併したが、それまでは経済四団体の一つであった。労働問題について専門的に扱う経営者団体であった。当時の総評や同盟と対峙した。「財界労務部」とも呼ばれた。

 B経済同友会(Japan Association of Corporate Executives)は経営者が個人の資格で入会し、自由な意見交換をし、政策提言などを行う団体である。経団連の会員企業の経営者たちが直接意見を交換する。生産性運動を主導し、日本生産性本部の設立へとつながった。財界エリートの議論の場、養成の場ともなっている。

 C日本商工会議所(日商、Japan Chamber of Commerce and Industry)は、全国にある商工会議所の全国組織である。商工会議所は商工業の発展に寄与するために組織された。簿記検定などの資格試験を主宰している。また、政策提言なども行っている。

 ジャパン・インク・モデルの代表的な研究は、リチャード・サミュエルズの『日本における国家と企業:エネルギー産業の歴史と国際比較』(The Business of the Japanese State: Energy Markets in Comparative and Historical Perspective)である。リチャード・サミュエルズは、エネルギー業界の研究を行い、次のように主張に到達している。官僚たちは民間企業と交渉して、何が民間企業の利益を増進することになるかを決定する。このことをサミュエルズは、「相互同意(reciprocal consent)」と呼んでいる。サミュエルズは、チャルマーズ・ジョンソンが主張したような官僚たちだけが日本の政治を動かし、政策を決定しているのではないと主張している。

●政治学を含む社会科学におけるモデルについて

 モデル(model)という単語は、「模型」、「ひな形」、「型」、「原型」、「手本」、「ファッション・モデル」などの意味を持つ。学問で言うなら、「模型」がしっくりくる意味である。例えば、船について勉強する。その構造がどうなっているのか理解しなければならない。その際に、文章で説明されるよりも、絵で説明されるよりも、プラモデルのような、船の形をした造形である模型を手に取ってみることが一番分かりやすい。

 しかし、その船の模型にはエンジンやスクリューなどはついていない。だから現実的にはそれは船ではない。しかし、その模型が示す船が持つ特徴によって、「船とはこういうものだ」ということが理解できる。

 今回、ご紹介したモデルにも同じことが言える。「日本政治は官僚が支配している」というストロング・ステイト・モデルは、日本政治の特徴を理解するためのモデルであり、その特徴を際立たせたものである。だから、その他の特徴を捨ててしまう。だから、どのモデルも現実を説明できる部分と説明できない部分を持つようになってしまう。だから、モデルがいくつかある場合は、どれが正しくてどれが間違っているとは単純に言えない。時代遅れとか現実を説明できないといったことがあるだけだ。

 私はアメリカで、複数の教授に「羅生門エフェクト」という言葉を聞かされた。私が日本人であると分かると、「君は黒澤映画の『羅生門』を見たことがあるか」と質問された。私は「見たことがない」と答えると、「是非、見るべきだ」と言いながら、次のような話を学生たちにしてくれた。「日本映画に『羅生門』という映画がある。これはある殺人事件を扱ったものだが、殺人事件に関わった人間たちが数多く出てくるが、彼らが話す内容は全く異なる。一つの事件を見ているのに、様々な証言が出てくる」と。そして、「社会科学も同じだ。事例は一つだ。しかし、それを理解するためには様々な方法があり、理論があり、モデルがある。これを羅生門エフェクトと言う」ということだった。

 日本政治を説明するためのモデルを3つご紹介した。どれが正しくて、間違っているということはない。どれを支持するかは個人の自由である。しかし、私は戦後政治史から現在の民主党政権まで見てきて、やはり、日本政治は官僚たちが支配していると考えている。だから、ストロング・ステイト・モデルが日本政治を理解するために有効であると考える。

(終わり)