「0116」 論文 道教も仏教もキリスト教「愛の思想」のデリバティブ(派生思想)である 〜「愛の思想」とは、自分たち貧しい民衆を牛馬のような動物扱いしないで、大切に扱って欲しい、という思想である〜(3) 副島隆彦述・原岡弘行構成 2010年11月21日

●副島隆彦が似ていると言われる不動明王

 観世音菩薩(観音菩薩)とは何か。それは若いころ、出家するまえのお釈迦さまのことである。当時のインドでは修行の旅に出るのがブームだった。お釈迦さまもそれにしたがって、マガダ国(Magadha)、コーサラ国(Kosala)あたり、今のビハール州をうろうろした。29歳で妻子を捨てて、お城を飛び出していった。出家する前の体中に飾りをつけて、ジャラジャラとしていた。これが若いお釈迦さまの姿である。

 観音菩薩は必ず立像である。そしておっぱい、おへそがある。見るからに女である。これは、マグダラのマリアのマリア像が変形して中に入ったからだ。中性だということになっているが、そんなことはない。

 仏教には「菩薩」や「如来」のほかに、「明王(みょうおう、Vidyaraja)」というのもある。明王は如来が化身した姿で、悪人をしたがわせるため怖い顔をしている。

 その代表は、不動明王(ふどうみょうおう、Acala Naatha)である。「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン(namaH samanta vajraaNaaM haaM)」という真言(マントラ)がある。五大明王の中心となる明王でもある。不動明王は見るからに軍人で、武装をしている。お釈迦さまのガードマンとして護衛(ごえい)している。私、副島隆彦も怒ったときには目や眉(まゆ)がつり上がるので、不動明王だと言われることがある。不動明王はヒンズー教の影響を受けて、日本に入ってきた。

Acala at Mount Koya, Japan
不動明王像

 そのほかに仏教には、「天」というものもある。天とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の天にいる仏様のことである。これもインドのヒンズー教の神様で、七福神の大黒天(Mahalaka)や弁財天(Sarasvat?)や毘沙門天(Vaisrava?a)、帝釈天(Sakra)、聖天(gaNeza)などたくさんいる。これらの仏様が日本にはまとめて入ってきた。

  

大黒天                弁財天       毘沙門天

 阿弥陀経の謎も解明しておく。『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』は日本の浄土教の根本聖典のひとつであり、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』、『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』とともに「浄土三部経」と総称される。その内容は、阿弥陀仏の名を唱えれば極楽浄土に行けるとするものだ。これが浄土宗の教えである。法然や親鸞は、「南無阿弥陀仏」さえとなえれば、菩薩になれると説いた。西方浄土、すなわちエルサレムを拝んで死んでいく。これはキリスト教である。思想が複線化し、日本にもキリスト教が入り込んできた。

●中国の民衆が心をよせているのは関羽と媽祖

 先ほど少し触れた三国志の時代に戻ると、曹操(そうそう)が献帝を担いで、魏の国をつくった。このころの話が三国志である。魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が覇権を求めて争い、対峙(たいじ)した。有名なのは208年の、蜀の劉備(りゅうび)・呉の孫権(そんけん)の連合軍が魏の曹操(そうそう)を打ち破った「赤壁の戦い」である。これは映画「レッドクリフ」にもなった。蜀の軍師である諸葛亮(しょかつりょう)は、水上戦の経験のない曹操軍を「連環の計」、「火攻の計」という奇策で大敗させ、曹操の南進を阻止し、天下三分の形勢を固めた。このとき、曹操は負けたのにもかかわらず、大声で笑って去っていった。この曹操こそが真の王である。

映画「レッドクリフ」

 その戦いののち、蜀の関羽(かんう)はひどい殺され方をした。関羽は信義や義侠心に厚い武将であったため、死後に祀(まつ)られた。それが関帝廟(かんていびょう)である。関羽は今でも中国民衆にすごく尊敬され、世界中の華僑の街で祀られている。日本でも横浜の中華街に関羽の像がある。

関帝廟

 この蜀の関羽にしても劉備にしても、暴れ者で軍人になっていった連中である。黄巾の乱の流れで出てきたのに、自分たちはそれと対立する形で勢力を拡大していった。最初はキリスト教の愛の思想にしたがっていたが、やがて裏切って、政治権力者になっていった。暴力が強くなければ権力者にはなれない。

 中国の民衆が心をよせているのはこの関羽に加え、天女になっていった媽祖(まそ)という女性である。媽祖は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神である。この2つに今の中国の民衆は心をよせている。

媽祖

●ローマ教会から悪魔と呼ばれたフリードリヒ2世

 最後に、いくつかの点を補足しておく。

 キリスト教の愛の思想を裏切っていったのが、ローマ教会、カトリックである。キリスト教の真実を受け継いだのがニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)であり、ハイデガー(Martin Heidegger)である。ニーチェは、フリードリヒ二世(Friedrich II)を尊敬した。フリードリヒ二世は神聖ローマ皇帝であったのに、ローマ教皇(Pope)と戦った。イスラム教の思想家と交際し、ユダヤ教(Judaism)、カトリック(Catholicism)の偽善を嫌った。そのため反キリスト(=悪魔)と呼ばれ、2回破門されている。反カトリックが悪魔と呼ばれることを、私は『悪魔の用語辞典』(KKベストセラーズ)に写真つきで書いています。まだ読んでいない人はぜひ買って読んでください。

   

ニーチェ      ハイデガー

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/db/Frederick_II_and_eagle.jpg/210px-Frederick_II_and_eagle.jpg
フリードリヒ二世

 ニーチェは、「ローマ教会はキリスト教を支配の道具として使っている」と喝破した。そのことを『ツァラトゥストラはかく語りき』(Also sprach ZarathustraThus Spoke Zarathustra)に書いた。ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教(Zoroastrianism)の開祖の名前であるザラスシュトラ(Zoroaster)をドイツ語読みしたものである。ザラスシュトラは紀元前10世紀から紀元前11世紀にかけて活躍したといわれ、イエス・キリストにも影響を与えている可能性がある。ゾロアスター教は拝火教ともいわれ、善と悪の神がいて、戦いあう。この善悪二元論はその後登場したマニ教にも影響を与えた。中世初期の教父アウグスティヌス(Aurelius Augustinus)も、青年期まではマニ教(Manichaeism)の信者だった。

アウグスティヌス

 イエス・キリストの思想は、自分もユダヤ人であるのに、ユダヤ教徒たちの徹底した強欲思想、金銭思想である合理思想(ラチオナリズム、Rationalism)を体現した、嫌らしいまでの金儲け第一主義に嫌気がさして、そこから貧しい民衆を大事にしようとしたことから生まれた。ユダヤ教の中のもっとも清貧を重んずるエッセネ派(Essenes)の信者としてイエス・キリストは出現したようだ。イスラエルの死海(Dead Sea)北西の要塞都市クムランの近くの11ヶ所の洞窟で発見された死海文書を隠したのもエッセネ派だといわれている。

 キリスト教の600年後に出現したのがイスラム教である。ムハンマド(マホメット、Mu?ammad)は商人だった。若いころにユダヤ商人のあいだで暮らしたことがあり、その姿に嫌気がさし、そこからイスラム教を起こした。ムハンマドも砂漠の民として、ベドウィン(アラブ遊牧民)とキャラバン(隊商)をくんで移動をした。そのとき、岩石砂漠の中の岩穴に修行者として住んでいる原始キリスト教団の人を見た。ムハンマドはその姿に感動した。ここに古代キリスト教徒に見た

●パトロンを殺され悩んだお釈迦さま

 いうまでもなく、浄土宗の開祖は法然であり、浄土真宗の開祖はその弟子の親鸞である。京都の東本願寺(真宗本廟)が「真宗大谷派」であり、西本願寺(龍谷山本願寺)が「浄土真宗本願寺派」である。それぞれお東さんとお西さんと呼ばれている。今ではどちらも戒律が相当崩れている。茶髪のお坊様もいるくらいだ。私、副島隆彦は、修行者を山に帰すべきだと考える。修行しているときだけの姿がお坊様である。

 お釈迦さま自身がぶらぶらと遊んでいた。自分が食べていく分は、自分で稼がなくてはならない。チベット仏教も同じである。そうでなければ、民衆と一緒に生きていけない。

 比叡山で読まれていた経典は、本当は聖書だったようだ。大谷文庫の中にあるそうだ。みなでひそひそと読んでいた。京都在住の私の弟子である、よしかわ君が見つけてくれた。「南無阿弥陀」ととなえれば、神に行ける。これはキリスト教のエッセネ派の思想に非常に近い。救済の思想である。天国や地獄は方便のようにいう。それらしきものが存在すると考えて、人間世界を考える。親鸞の「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という悪人正機説は、悪人こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)によって救済されて天国に行けるというものである。これこそまさに、キリスト教の思想ではないか。神の名を唱えさえすれば、必ず救済されるとするのはキリスト教である。

 お釈迦さまは、マガダ国王であるビンビサーラ(Bimbisara)に竹林精舎(Venuvana-vihara)を寄進してもらった。お釈迦さまに帰依していたからだった。精舎とは、お釈迦さまやその弟子の修行者たちのために造営された住居と休息と修行のための施設である。ところが、その王子アジャータシャトル(Kunika Aj?tashatru)は父であるビンビサーラ王を幽閉し、ついに殺して即位したと伝えられている。自分たちのパトロンを殺されたお釈迦さまたちは相当悩んだ。このことを書いたお経(大般涅槃経、だいはつねはんぎょう、Mahaparinirva?a Sutra)が中国経由で日本に伝わっている。この経典にキリスト教が混ざっていた。

(終わり)