「122」 論文 ユダヤ人の歴史第一章(3) 鴨川光筆 2010年12月26日

●ヨセポスの徴税請負物語

 オニアス二世は宗主国プトレマイオス朝に対して、ちょっとした事件を引き起こす。この事件が、当時のオリエント世界の徴税支配の全貌を明らかにしてしまう。

 このオニアス二世という人は、頭の悪い人であったらしい。エジプトから請け負っていたはずの徴税収入をエジプト王に貢納する義務を拒み、プトレマイオス五世を怒らせてしまう。

 このとき突然ヨセポスという男が現れる。ヨセポス(Joseph)はオニアス家の親戚のトビアス家の出身でオニアス二世の甥であった。

 ヨセポスは事態を収拾するために、急いでエジプトに赴く。彼はプトレマイオス王をたちまちのうちに丸め込み、エジプトからの帰り道、ユダヤの周辺地域の徴税権を王から手に入れることに成功する。

 ヨセポスという男は実に好意的に『ユダヤ古代誌』に描かれているが、その記述をよく見てみると、非常にあくどい、口のうまい、頭のよい、恐ろしい男である。

 プトレマイオス朝が行なっていた徴税権請負入札は、このヨセポスの話に出てくる。「ヨセポスの徴税請負物語」と題されたその一説には、ヨセポスがいかにしてプトレマイオス王に取り入ったのか、という話のあらましが描かれている。

 さて、各都市における徴税権請負の競売される日がめぐってきて、各国の高位の有力者はそれぞれに入札に応じた。

 ところが、コイレ・シリアからの税とフェニキア、ユダヤおよびサマリアからの税の総計が八〇〇〇タラントンで落札されようとしたとき、突然ヨセポスが王の前に進み出て、入札者たちが、あらかじめ低価格で競り落とせるよう話し合いをしていたことを責め、自分ならばその倍額でも応ずること、また税金の滞納者からの没収財産は、従来徴税権の中に含まれるものとして取り扱われてきたが、それも王に直接返還しよう、と約束した。

 王は、自分の歳入が増加すると思えたので、この申し出を喜び、徴税権を彼に売ることを認めようと答えたが、しかし、いったいだれが彼の保証人となるのかと尋ねた。

 これにたいする彼の答は、きわめて賢明なるものだった。

 「もちろん、わたしは、王が信頼される最高の品性をそなえた人物を保証人として申し出るつもりです。」

 王が、それはだれか、とさらに質すと、彼は答えた。

 「陛下。それは余人ではございません。わたしのために保証にたち、かつ互いに相手の損失を負われる方は、王ご自身と王のお妃とでございます。」

 結局、王は、この申し出に大笑いをしながら、事実上は保証人なしで彼に徴税を請け負わすことになった。(前掲書五八ページ「オニアスの甥ヨセポスの徴税請負物語」)

 読者の皆さんはこれではいまひとつ何のことかわからないと思うので、解説を加えようと思う。

 ヨセポスは実に口のうまい男だった。徴税権を最も高い値段で買うと言って、さらに没収財産、つまり差し押さえの現物を王に引き渡すと言う。

 この話を聞いて王は自分の歳入が増加すると思えた、というのも無理はない。大喜びでこの口のうまい男をもてなしただろう。

 私の分析ではこういうことである。競争相手たちの間で談合があった、というヨセポスの言い分も本当の話だったであろう。ヨセポスは競り相手を出し抜いて王に取り入ったのである。

 王が保証人になったくだりの意味は実にわかりにくい。しかしここがヨセポスの逸話の肝要である。

 この徴税権購入代金は後払いである。徴税額から毎年決まったお金を宗主国エジプトに貢納する、というシステムである。代金後払いならば、先に徴税を行ってしまえばよい。

 自分が徴税に成功すれば、ただで権利を手に入れることが出来る。ただしそれには、相手が必ず税を払うという「保証」が必要となる。請負には必ず保証、後ろ盾が必要である。

 ヨセポスの「私のために保証にたち、かつ互いに相手の損失を負われる方は王ご自身と王のお妃でございます」という言葉がここに生きてくる。

 これはヨセポスが王を担保に入れたということなのである。

 徴税の後ろ盾、王の権力、パワーを保証にしていればいくらでも苛烈な取立てができる。相手を殺してでも正義を実行出来る。「錦の御旗」は自分のほうにある。それで王を後ろ盾として、王がヨセポスと王自身の保証人ですと言ったのである。

 これこそが主権の本当の意味である。主権とはソーヴリィンティ(sovereignty)という。王権と言い換えてもいい。その国の真の持ち主ということである。だがソーヴリィンティの真の意味は、「苛烈なる税の取立てを保証してくれる者」なのである。

 平安、鎌倉時代の地頭のやり口と同じである。地頭も朝廷や幕府の後ろ盾を背景に苛烈に取立てを行った。「泣く子と地頭には勝てない」ということわざが残っているほどに地頭は恐ろしかったのである。

 ソーヴリィンティ、王の権力による徴税の後ろ盾を得たヨセポスは、アシュケロンという街で早速それを実行する。アシュケロンで税の支払いが住民から当然のように拒否されると、直ちに町の有力者を逮捕、処刑し、王との契約どおりに財産を没収して王に引き渡してしまう。

 これに喜んだ王は、完全にヨセポスの後ろ盾となり、ソーヴリィンティをすっかり預けてしまう。パレスチナの徴税を完全にヨセポスに任してしまったのである。

 これに勢いづいたヨセポスは、各地で街の有力者を逮捕、処刑し、莫大な金を集め、王に贈り、自らもその富を享受した。

 この徴税請負の顛末こそが、この時代のパレスチナで起こった真実なのである。

●大祭司でありバンカーズであったオニアス家

 このヨセポスの話は、プトレマイオス朝の商務担当高官の記録としてゼノン・パピルスという文書にも残されている。この逸話によって、オニアス二世から子の義人シモン(Simon the Just)の歴史的存在の信憑性も確かなものとなる。

 重要なのは、徴税請負という事業が古代から行われていた、ということもはっきりしたということだ。徴税請負とはこのとおり、宗主国の主権によって裏付けられているのである。ここに宗主国と属国の関係とは、宗主国の主権を担保にした主従関係である、という事実が歴史的に初めて提示されたのである。主従関係こそが国際関係の基本なのだ、ということを私たち日本人は理解しなくてはならない。

 このヨセポスの大集金活動のおかげで、ユダヤ王国は大繁栄する。

 ではヨセポスの徴税によって作られた資産はこの後、いったいどうなったのであろうか。この莫大な資産は、エルサレムの神殿に預けられていたのである。オニアス家はエルサレム神殿の管理者であった。大祭司とは神殿のスーパーバイザーでもあったのである。

 エンサイクロペイディア・ブリタニカには次のような重要な記述がある。オニアス家が管理していた神殿は、事実上バンクであったという。これは神殿の実際上の機能は、一般庶民の私有財産管理だったということである。(Encyclopedia Britannica: Judaism)

 オニアス二世が貢納を拒絶したのはなぜなのかわからないが、オニアス家もプトレマイオス朝から徴税を請け負っていたことは事実である。

 彼らの神殿に預けられていた民の私有財産というのは、オニアス家が徴収した民の税金のことである。プトレマイオス朝の保証を得て、民の財産を預けさせる形で税を徴収していたのだ。

 おそらく民から預かった財産、財宝の借用書を発行していたのだろう。これが紙幣の原型であり、国債である。古代ユダヤ人の存在を証明する古いパピルス文書の断片群には、お金の借用書や証文が無数に残されている。

 このようにして紙幣、マネーを流通させることによって、排他的特権を持った少数の貴族たちが大多数の民衆を支配していたのである。

 この体制を寡頭政治、オリガーキー(oligarchy)という。

●オリガーキー―少数の人間が楽に儲かる仕組み

 フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』には、もうひとつ重要な記述がある。「当時のユダヤの政体は少数貴族制であった」という箇所である。この「少数貴族制」とは寡頭政治のことを意味している。

 紀元前三〇〇年から二〇〇年に至るユダヤの状況は、あらゆる歴史資料を導入しても、まったく判然としないと言われている。しかしこのヨセフスの記述には、はっきりとした当時のユダヤの有様が描かれている。ユダヤ人たちは、大祭司をトップにいただいた寡頭政体による支配を受けていたのである。いや、「寡頭」とか「少数貴族」という言葉ではこの政体の本質は表され得ない。

 寡頭制、オリガーキーの本当の意味は、フュー・トゥ・ルールという。オリの部分がフュー「少数の」で、ガーキーがルール「支配する」を表している。「少数による支配体制」が正しい意味である。

 オリガーキーとは、古代ギリシャのスパルタが採用していた制度である。アリストテレスの『政治学』によれば、オリガーキーとは僭主制、民主制に並ぶ三大悪政である。数の上では民主制の対立概念である。少数の持てる物が国政を預かった場合、オリガーキーと呼び、大多数の持たざる者が国政を預かったときに民主制となる。両者ともに本質的には独裁的傾向を帯びるという共通性を持つ。

 この少数の者たちが多数を支配するためには「排他的特権」がなくてはならない。オニアス家にとってこの特権は、プトレマイオス朝のソーヴリィンティである。王権による裏づけによって、彼ら持てる少数の者が、持たざる多数を排除する特権を享受出来るのである。

 高級クラブやホテルのことをエクスクルーシヴ(exclusive)=排他というが、寡頭制とはまさにこのイメージである。

 この大勢の者たちを少数が支配する道具が、金融と近代法、そして議会制民主主義なのである。だが紀元前二世紀にはまだ、民を支配するための法も、議会制民主主義も完成していない。ユダヤ人は、彼らの生業である金融業をスムーズに運べるように、近代法の確立に努めた。紀元七〇年、ユダヤ国家が滅びた後、約一〇〇〇年の歳月をかけて近代法の基礎工事に取り掛かったのである。 

 では近代法の無かったこの当時、ユダヤ人の金融業を正当化したものは何であったか。それが先に述べたプトレマイオスの王権、ソーヴリィンティである。オリガーキー支配というのは、必然的に宗主国の代理店国家という側面を持つのである。そうすると王権を担保に入れた宗主国と属国との相互依存関係が出来上がる。

 国際関係が複数の国家による関係で成り立つ、というのはそもそも幻想である。北朝鮮の問題を解決するための六ヵ国協議であるとか、日英同盟解消後の四カ国同盟などは本質的にはどのような「関係」でもない。国際関係というのは、宗主国と属国の二国間関係でしか成り立たない。そして宗主国の主権をバックにした属国の地域民衆支配のために徴税を請け負う、という形が国際関係の本質である。それは現在の日米安全保障体制がそうであり、かつては日英同盟がそうであった。

 だから徴税を請け負う側の属国も、委託する側の宗主国も、お互いを手放したくない。

 請け負う側の属国の立場は、必ずしも弱いというわけではない。宗主国の主権が属国にとっての徴税保証、担保として機能している限り、徴税は上手く行き、両国の関係も良好である。その間はむしろ属国のほうが、立場が強い。国同士が絶妙なパワー・バランスを保っていられるからである。ここにエクィリブリアム・セオリー(equilibrium theory)という思想が登場する。これも後に詳しく述べようと思う。

●請負という言葉の本当の意味

 請負の本来の意味は、王権を担保に取るという行為が示すように極めて悪辣である。

 請負のもとの言葉はアシューム(assume)、アサンプション(assumption)という英語である。アシュームというのは仮説、仮定をもとに物事を始めよう、という意味である。これは人為人定法の思想である。人為法というのは、人間が作った法という意味であり、自然の法の対立概念である。この世にあるすべての成文法が人為法である。

 法の前提となる真理、真実は人間が勝手に作って、その上に法体系を築き上げていこうと言うというのがアシュームの意味である。

 物事を請け負う際に「なぜ私に徴税を請け負う根拠があるのかわかりません。法的根拠なんかまったくありません。私にやらせた結果がよくなるのかどうかもわかりません。それどころかいっそう悪くなるかもしれません。それでも私がやります。王権を私に預けてください」ということなのである。

 アシュームにはもうひとつ別の意味がある。それは強奪、簒奪という意味である。何を強奪するのか。読者の皆さんは、ここまでくればもうお分かりかと思う。主権や王権を奪い取るのである。請負、アシュームの本当の意味は、少数の者たちが宗主国、あるいは自国の主権を勝手に簒奪するということなのである。王権を担保に取るとは、簒奪、強奪行為を意味するのである。

 王権を簒奪することによって徴税を請け負う。そのため支配地の民一人一人をお金に換算し、納税額を算定することができたのである。

 この時代はすでに金貨と銀貨が流通し、神殿を中心にした貨幣経済が浸透していた。神殿をバンクにするというのはギリシャ人の発想である。オニアス家は、このギリシャ起源の神殿バンク・システム(bank system)を踏襲したのである。

 あとは民一人一人が一生懸命働いて、お金で交換できる価値―財とサービス―を生み出してくれたらそれでよい。請負とは、奴隷という労働力所有よりもはるかに割がいいのである。だからユダヤ人は伝統的に奴隷を嫌ったのである。各地に奴隷解放にまつわる伝承や、歴史的記録が残っているのは、そのためである。

 モーゼの出エジプトや、バビロンからエルサレムへの帰還をペルシャに許された逸話がまさにそれである。しかしそれらは当然はっきりしない。

 オニアス家以前のユダヤ人の存在は、エレファンティネ・パピルス(Elephantine Papyri)という古文書によって明らかにされている。エレファンティネとはナイル・デルタ地帯の島で、アレクサンドリア(Alexandria)のもとの地名である。

 それによると、大多数のユダヤ人は紀元前二、三世紀頃、アレクサンドリアで奴隷労働をしていたらしい。ユダヤ人の集会所の考古学的最初の証拠も、この時期のエジプトに存在する。これが歴史的に現れる最初のユダヤの民の姿である。オニアス家の歴代の大祭司は、この奴隷を解放して欲しかったのである。

 紀元前二七五年に大祭司に即位したオニアス家第四代のエレアザル(Eleazar)は、プトレマイオス二世フィラデルフォスにアレクサンドリアの同胞たちを解放してくれるよう懇願していたと、ヨセフスは書いている。文書化された最古の聖書「七〇人訳聖書、セプトゥアギンタ」はプトレマイオス六世が、アレクサンドリアの奴隷を解放してくれたお礼に作られたものなのである。

 ユダヤの大祭司たちは、ユダヤ人を隷属の身から解放し、一人一人のタレントに応じて納税をさせたかったのである。古代ユダヤは、徴税請負に基づいたオリガーキー支配であったとはいえ、実に先進的な考えを持っていた国だった。人は人質であり、価値であり、宝だったのだ。

●奴隷は大切にしよう―オニアス三世はよくわかっていた

 大祭司オニアス三世はこのことをよく理解していた。奴隷というのは労働力の所有でしかなく、お金がかかりすぎる。管理が面倒くさい。いじめすぎると暴れだす、逃げ出す、文句をいう、甘やかしたら怠ける、優しくしたら情が移る。実に面倒くさい。そこで人をお金に換算して、人間を間接的に支配する、という発想が生まれたのだ。

 人の価値を知っていたオニアス三世は、支配民たちを大切にした。いじめすぎてもだめ。手厚く保護しすぎてもだめ。ほどほどのバランスを保って身分相応の生活をさせてあげよう、そう考えたのである。これが金融オリガーキーの本当の姿なのである。

 ここにユダヤの陰謀とか、神秘的なものは入り込む余地はない。金融オリガーキーは実にはっきりとしたシステムであった。

 人民はオニアス家にとって大切な労働力であり、お金の価値をせっせと作り出してくれる大切な国家資産だった。

 この平和と繁栄を享受していたユダヤ王国は、紀元前二世紀、オリエント世界全体を揺るがす大事件に巻き込まれることになる。

(つづく)