「139」 論文 日本を襲った災害と、魔王プルートーに屠殺されつつある福島県民 鴨川光(かもがわひろし)筆 2010年5月2日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回は緊急的に、鴨川光氏から送られてきた、今回の大震災と原発事故についての論文を掲載します。通常ですと、週一回のペースで論文を掲載するのですが、今回の論文は時事的な内容であるので、今日、掲載することに決定しました。通常のペースでは掲載が5月8日となってしまいますが、それではタイミングが遅すぎると私は考えました。そこで前倒しをして本日掲載いたします。

 論文の内容は刺激的です。通常ですと、こうした文章では中身を少しご紹介するものですが、今回は敢えてご紹介しません。是非是非読んでみてください。今回の掲載のために、今後の論文掲載スケジュールは変更とし、次回は2010年5月15日といたします。寄稿者と読者の皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、多くの皆様にこの論文をお読みいただきたいと管理者は考えます。また、今回の論文の内容にはヨーロッパの歴史や近代学問も絡んでいます。そうした内容を取り上げた論文も多数掲載してあります。是非掲載中の論文もお読みいただきたく存じます。

※福島への 調査報告文へは、こちらからどうぞ。

 今後ともウェブサイト「副島隆彦の論文教室」を、よろしくお願い申し上げます。

 それでは、鴨川氏の論文をお読みください。

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 鴨川光です。ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」の寄稿者の一人として、何かを言わなければなりません。今回日本を襲った三つの大惨事(マグニチュード九の地震、津波、原子力発電所爆発)に関して、私鴨川自身の考えを表明しておきます。

 私は東京の西の外れで、高尾山の麓(ふもと)から数キロ先の町、東京都八王子市という所に住んでいます。東京とはとても言えません。中途半端な田舎で、八王子の住民も東京に住んでいるという実感は余りありません。それでもそれなりに便利な地域です。八王子は完全なる内陸地域で、海には縁がありません。

八王子市の位置

 八王子は山に囲まれている盆地で、東京の山手線が全て飲み込まれるぐらいの、東京で一番広い市です。山手線を丸ごと飲み込む広さがあります。市の中央部を離れると、東北の農村地域とほとんど変わらない所もあれば、古い下町もあり、新興住宅地あり、都会もありと、日本全国の風景を網羅したような市です。高尾山もあります。車で一日八王子を走り回れば、日本全国の風景全てを見ることができるでしょう。

高尾山

 その中でも、私の住んでいる地域は、中央線の終点である高尾駅と八王子駅の中間ぐらいのところにあって、おそらくいかなる災害とも無縁です。

 昭和の初めに浅川という多摩川の支流の堤防ができるまでは、雨季になると川が氾濫したそうです。今ではそんなことが想像することもできないくらい川の水量は少ない。台風による大洪水は、おそらく半永久的に起こらないでしょう。最悪でも一部の地域で床下浸水が起こる程度でしょう。それも下水が溢れた時に予想されるだけで、川の氾濫ではない。そして八王子での床下浸水という話は、私が八王子に引っ越してきてからの四〇年間聞いたことがありません。

 八王子は岩盤が非常に強いそうです。ですから私は地震が怖いと思ったことは、一度もありません。九〇年ほど前に発生した関東大震災以降、関東から東日本の建物は比較的地震には丈夫に作られているのでしょう。震度五、六くらいではびくともしません。おそらく今回のようなマグニチュード九が襲ってきても大丈夫でしょう。

 東北でも、地震による建物の被害はほとんどなかったはずです。一九九五年の関西の地震の時のように、ビルなどが大規模に倒壊するというのは起こらなかった。阪神大震災では、街中の三菱銀行のビルが潰れている映像がありましたが、今回の地震で、仙台(東北で一番大きな都市)市内の大きなビルが激しく潰れたという話は聞きません。建物の被害はほとんどが津波による被害なのです。東日本の建物は西日本に比べて、地震には比較的耐えられるように作られているのだと思います。

 今回の三つの大惨事(大地震、津波、原子力発電所の爆発)で、私の住んでいる地域の人間にとって問題なのは、「放射能汚染物質の到達可能性」だけです。具体的には、放射能雲、放射能を含んだ大気、北風、雨、チリが運ばれてくることです。放射線は来ません。来ても問題にならない程度です。

 今ここ、八王子という災害とほぼ無縁である安穏とした地域で問題となっているのは、「買いだめ」という名の「買占め」です。

 風評を撒き散らすテレビと(ズームイン・スーパーとかの朝の番組と、昼の帯び番組が一番悪い。主婦と老人が見ている)、それに簡単に乗ってしまう、踊らされてしまう私のような一般人です。この件に関して私鴨川を除外しようとは思わない。それでも、特に、お年寄りと、小さな子供をもつ若い母親の「自分たちだけは巻き込まれたくない」という「卑劣極まりない」「浅ましい」買占め行動が、地元のスーパーで見られる。おそらく各地のご近所スーパーで起こっていたはずです。これが一番よくない。

(著者注記:これを書いていたのは二〇一一年の三月です。この原稿が掲載される時期とは状況がかけ離れているかもしれません。)

●放射線、放射能汚染物質を帯びた大気が関東にやってくるまでの経緯

 この浅ましい「買占め」が始まったのは、福島第一原子力発電所の一号機爆発の映像が公開された二〇一一年三月一二日土曜日の翌日、一三日の日曜日のことです。

 私は三月一二日土曜日の夕方、私は自分の仕事を終えたばかりでした。その時点ではまだ福島の第一原発一号機爆発の報道を知りません。地震と津波のことしか知らなかった。

爆発後の一号機

 それでも直感的に、これはこれから異常な事態になるかもしれないと思い、仕事を終えた後、「缶詰と電池を買わなくちゃいけないなあ」と百円ショップに行きました。それでこの「買占め」を一般人がいつ開始したのかを覚えているのです。

 一二日土曜日の夕方五時の時点では、まだ缶詰も電池も大量に店頭に置かれていて、誰も見向きもしなかったのです。この事実を覚えているでしょうか。知らん振りを決め込んでいる人間ばかりです。

 私は土曜日の夕方時点では、原発の事故はまだ知らなかったので、その日は何も買わずに家に帰りました。一号機の爆発映像をテレビで見たのは、翌日一三日の日曜日午後のことです。驚愕しましたが、その日は外に出ませんでした。何か買わなくては、絶対に行列ができるはずだ、と思いながらも、身体が動きませんでした。

 週があけて一四日の月曜日には、プルサーマル発電をするといわれる三号炉が爆発しました。「プルートー」という恐ろしい名前を持つ元素を使った原子炉です。

●プルトニウムという名前は魔王プルートーのことである

 少し脱線する。強い口調に変えます。

 プルトニウム(plutonium)とかプルサーマル(和製英語、plutonium thermal use)などというと、なんとなくポップな軽いイメージがある。しかしこれは恣意的に行なわれた言葉の印象の作り変えである。プルトニウムではなく、プルートゥニアムというのが正しい。黄泉(よみ)の国、冥界の国の支配者「プルートー(Pluto)」のことである。私は、六歳のころ、この悪魔プルートーが大好きだった。

 ところが「プルートー」というと今では、ディズニーキャラクターの「プルート」ということになっている。汚らしい真っ黒ねずみの(本当は古来ペストを撒き散らした元凶のはずの)ミッキー・マウスの飼い犬である。背中の皮がぐだぐだの馬鹿犬である。プルートーで画像をググッたら、この馬鹿犬ばかりが出てくる。

ミッキー・マウスとプルート

 本当は、プルートーとは「魔王」のことである。ドイツ語では「エルケーニッヒ」Erlkönig(Oの上の点々はウムラウトといって、EとUを一緒に発音する。エルクゥーニッヒ。ケーニッヒはキング)という。サタン(Satan)、ルシファー(Lucifer)と同じものである。


魔王プルートー(プルトーで探したら見つかった)

 シューベルト(Franz Peter Schubert)の歌曲であり、作品一番の「魔王(Erlkönig)」はこのプルートーである。プルートーは配下に沢山の女、美女をはべらせている。シューベルトの歌曲はゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)の詩を歌にしたものだが、この詩の中で、魔王が子供を誘惑する際に、自分の娘、実際には自分の妾(めかけ)の女たちのことを持ちかける件(くだり)がある。だからゲーテの詩に出てくる魔王とは、プルートーのことなのだ。

  

シューベルト        ゲーテ


ゲーテの詩「魔王」をモチーフにした絵画

 プルートーはあらゆる甘言(かんげん)を弄(ろう)して子供を誘惑するのだが、子供は怖くて泣き叫び、父に助けを求める。しかし父親には、悪魔の声は風の音やふくろうの鳴き声にしか聞こえない。

 父親には全く感づかれないままにプルートーは、最後には泣き叫ぶ男の子に襲い掛かって力ずくで殺してしまう。そう、プルートーとは大人には見えない悪魔のことなのである。襲われつつある人間にしか見えない。これがまさに今のプルトニウムの恐怖そのままだ。

 福島の原発から二〇キロ圏内に生活していたのを、無理やりに退避させられている人が、この男の子であり、東電の社長・会長らがプルートーである。それに気づかない父親に当たるのが、私のような東京の安全地帯で安穏と暮らしている住民である。

 今福島の住民に襲い掛かっている悪魔とは、放射線ではない。東電と、それを動かしている政府マスコミ、権力と利権に擦り寄って出世した東大の原子力専門家である。東京に住んでいる人間にその正体がわかることは無い。

●恐ろしい悪魔プルートーを生み出したのがウラノス(ウラン)

 ウラン(Uranium)に話を移す。ウランのほうは「ウラノス(Ouranos)」という神である。全ての神のトップであるゼウス(Zeus)のお爺さんである。ウラノスはガイア(Gaia)と共に、一二の基本的な神を生み出すのだが、その中で一番末の子供であるクロノス(Kronos)というのが重要である。じつはこのクロノスという悪魔が、ゼウスを生み出したのである。このゼウスの子供がアポロン(Apollo)であり、太陽そのものなのである。

 クロノスは農耕神という温和な神であるといわれるが、本当は悪魔の代表のような存在である。サターン(サトゥルヌス Saturnus。アポロ計画のあの巨大なロケットにこの名前がつけられた)と同一視されている神である。悪魔である。サターンはあの有名なゴヤ(Francisco José de Goya y Lucientes)による「わが子を食らうサトゥルヌス」のあのイメージで描かれた化け物で、恐ろしい人食い巨人である。

  
ゴヤの「わが子を食らうサトゥルヌス」    ゴヤ

 頭から丸ごと食べられている人間が、福島の住民である。この巨大な飽食の化け物が、東電の会長や社長である。これは「比ゆ」などではない。

  

勝俣恒久会長       清水正孝社長

 ウラン、ウラノスとは、この恐ろしい食人鬼を生み出した神のことなのである。ウラノス自身も自分の子供であるクロノスにあそこを食べられてしまう。元素のほうのウランはプルトニウムを生み出す。だからこのサターン(サトゥルヌス)=クロノスとはプルートーのことである。

 ウラノスはゼウスのような神を生み出し、その子アポロンの誕生によって太陽エネルギーも生み出したが、クロノス(つまり=サターン=プルートー)も生み出したのである。つまりウランを使用するというのは、それがすなわち、悪魔との契約なのである。

 ウランもプルトニウムも、この恐ろしい鬼のような怪物や悪魔を連想させるものなのである。ウィキペディアには天王星―これもウラノス。天の支配者だから「天王星」と翻訳された―がウラノスと命名され、その流れで海王星にネプチューン、冥王星にプルトーと名づけられただけだといっているが、そんなことは無い。なぜこの二つの恐ろしい元素に、そのような恐ろしい怪物の名前がつけられたかを考えてみよ。

 ウランとはそのような薄気味の悪い悪魔の親というイメージが本当なのに、日本では戦後、可愛い女の子ロボット、アトムの妹「ウランちゃん」である。

ウランちゃん

 ウランはまだしも、プルトニウムは見えない悪魔そのものだ。プルトニウムを使って、人類に明るいエネルギー(太陽の神アポロン。ウラノスのひ孫)をもたらそうという発想は、悪魔との契約そのものである。原子力を推進するということは、「私は悪魔メフィストフェレスに魂を売り渡したファウストになったのだ」と宣言したと同様のことである。)

●デモノロジー=悪魔学(ダイアボリズムともいう)の本当の意味を今実感した

 私は、デモノロジー(Demonology)とかダイアボリズム(Diabolism)という悪魔学(サタニズムなどとは言わない)に関しては、六歳(一九七三年)の頃からよく知っている。その頃子供向けの悪魔や地獄に関する本が盛んに出ていたが、それらの種本が『魔法―その歴史と正体』(平凡社 世界教養全集二〇 カート・セリグマン著)という本で、今では古書扱いになっている。分厚い本で、なぜか私の父親が持っていた。私はこれを毎日読んでいた。以下のURLに図版が載っている。

『魔法―その歴史と正体』

http://blogs.yahoo.co.jp/deadcity666/31311946.html
http://blogs.yahoo.co.jp/deadcity666/19893905.html
原書は一九四八年刊行らしい。

 この本の種本がコラン・ド・プランシー(J. Collin de Plancy)の『地獄の辞典』や『悪魔の辞典』である。

  

『地獄の辞典』

 この本にはM・Lブルトンという画家による挿絵がふんだんに盛り込まれているのだが、以来この挿絵が引用されて、様々な悪魔本が作られてきたのだ。


ベールゼブブ


アスタロト(イシュタール)


ケルベロス

 プランシーやカリオストロ(Alessandro di Cagliostro)、アグリッパ(Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim)という人々は、悪魔に魂を売り渡した人間の代表格としてファウストともども知られている。こうしたことを知らないで、ダイアボリズムついてなど一言も語れない。

  

カリオストロ       アグリッパ

●副島氏がいう「鬼」や「悪魔の用語辞典」で言いたかったこと

 副島隆彦氏が二冊の『悪魔の用語辞典』(KKベストセラーズ)の巻等文で述べていることは、プランシーが「地獄の辞典」で書いていることなのである。副島氏が長年こだわっていたアンブローズ・ビアス(Ambrose Gwinnett Bierce)の『悪魔の辞典』(The Devil's Dictionary)というのは、私はプランシーの「悪魔の事典」のことかと思っていた。プランシーらについてはそのうち詳しく書きます。

     

   『悪魔の用語辞典』         『日本のタブー』

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 今一言で言えるのは、これらブルトンの描いた、これでもかといわんばかりに想像力を働かせた気味の悪い悪魔の絵は、ローマ教会の権力者たちのことなのである。今の日本で言えば、東電の会長と社長らが、まさにこれらベールゼブブやアスタロトの姿なのである。興味のある人は、ウェッブで検索してください。

 副島氏が、現代の株屋やFXに興じている人間などの投機屋、スペキュレイターズらを「金融鬼(きんゆうおに)」呼んで、平安時代の地獄の絵(餓鬼どもを巨大な鬼が苛め抜いて、乱暴狼藉、泥棒を行なっている絵)そのものだと呼んだのは、私にはいまひとつ実感がわかなかった。

 しかし、今回の東電幹部らを中心とした学者、官僚、を含めた利権集団、自分たちが日本の支配者であると自惚(うぬぼ)れていて、一般の人々を食い物にしている人間たちの薄気味の悪い顔と所業を見るにつけ、その言わんとするところがはっきりと分かった。

 私はその政治版として、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』の挿絵をここに提示する。私が子どもの頃、こうした悪魔たちが、どこかの霊的な世界とか、地獄とか、我々の日常とは違う世界にいるのだと信じていた。なぜなら、そのタッチがあまりにも生々しいからである。

 それもそのはずである。ゴヤも、ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude)も、彼らが描いた悪魔や化け物の絵は、実世界にいる人物を書いたのである。これをラヴクラフトのクトュルフやせむし男、ミノタウロスなどと一緒にして、「あのような化け物がどこかの牢屋に買われていたのだ」などというまことしやかな、荒唐無稽な陰謀理論になど話を持って行ってはならない。

 ベールゼブブもアシュタロトもみな、時の権力者たちを辛らつに風刺した姿なのである。ブルトンの絵は、あまりにも気持ちの悪い、とんでもない姿なので、ゴヤやブリューゲルのようには評価されてはいない。しかし基本的には同じことを言っているのだ。


バール神

 フェニキア、カルタゴの神であるバール神はブルトンの手にかかるとこうなる。しかしこれは、時の君主らの姿を蜘蛛やかえると一緒にして揶揄したものである。猫の姿も気持ちが悪い。東電の副社長の藤田何とかというやつは、この姿にしか見えない。

 私には今はっきりと分かりました。利権にしがみついて政治家を操り、一般の人々をむさぼり食らい続けてきた民僚や官僚たち。彼らは今福島の人々を見殺しにして、大量に餓死しつつある被災地での犬猫、牛、豚、鶏などの家畜やペットたちと同様、政治的に「屠殺(とさつ)」しようとしているのである。食えなくなった人間は、屠殺すればよいと考えている。彼らは人間を人間だと思っていない。

 彼らこそゴヤやブリューゲル、ブルトンが描いてきた悪魔たちなのだ。彼ら画家たちは現実の人間を描いてきたのだ。彼らの絵は比ゆやアナロジーではない。権力と利権にしがみついている人間たち=悪魔は、実際に人をだまし、人の家の米びつを引き倒し、貪り食っているのである。だからと言って「爬虫類人(レプタリアン)」だ、などという下らないことを言っている場合ではない。

 福島県民を見殺し、散り散りにして「屠殺」が完了するのをニタニタしながら待っている、気持ちの悪い人間の姿をした悪魔なのである。

●放射線、放射能汚染物質を帯びた大気が関東にやってくるまでの経緯(続き)

 福島第一原子力発電所爆発の話に戻ります。

一号炉が爆発した翌々日の三月一四日月曜日、悪魔のプルサーマル原子炉(もう分かりましたね。プルサーマルのプルはプルートー、悪魔の中の悪魔、魔王です)である三号炉が爆発しました。

三号機爆発の様子

 一号炉の時と違って、きのこ雲のような爆発が起きました。その時は、私は仕事中でした。街中を車で走っている時に、各所のスーパーマーケットの入り口で、買い物客が行列をなしている光景を至るところで見ました。まるで配給が始まったかのように思われました。

 翌一五日の火曜日には、四号炉が爆発しました。午前中に二号炉が爆発したと聞いていたので、ついに全ての原子炉が爆発したのだと思いました。ちょうどこの日に北風が吹き、関東から静岡の浜名湖以東にまで放射能物質を含んだ風、空気が到達したのです。

四号機の様子

http://www.spiegel.de/images/image-191816-galleryV9-nhjp.gif
(ドイツの新聞シュピーゲル・オンラインに載っている、三月一二日から一七日までの放射能の風の動きのようです)
http://park18.wakwak.com/~weather/geiger_archives.html
(ナチュラル研究所。東京都日野市で、ガイガーカウンターで放射線量を測定している人のデータ)

 この二つのサイトのデータを見ると、特に三号炉が爆発した翌日の一五日火曜日に、関東での放射線の値が急激に高まって、すぐさま収まっていったことが分かります。

 具体的には、三つ目の四号炉が爆発した一五日に北風が吹き、福島から放射能を含んだ大気や水蒸気、チリが運ばれてきたのです。一四日までは、南風は西風でした。

 そしてこの影響で、一五日の午後に、日野(八王子の隣町)で放射線を計測しているという人のガイガーカウンターの値が一瞬だけ高くなっている。

 この当時の、私の実体験と照らし合わせてみるとこうなります。

 私はこの一五日には、大垂水(おおだるみ)峠(これを越えると東京から神奈川県に出る)を越えて、神奈川県相模原市である相模湖町(さがみこちょう)と藤野町(ふじのちょう)に行っていました。

 東京駅から高尾駅まで続く中央線と国道二〇号線と中央道、これが東京の背骨に当たります。中央線の東京の西の終点である高尾駅から先に進んで、京王線の終点、高尾山口から先に大垂水峠があります。大垂水峠は国道二〇号です。

 つまり、高尾山等の山々に遮られた地域に行っていたので、八王子とは空気・気候が違っていたのです。一五日には特に身体に異変を感じませんでした。

 ところがその翌日一六日のことです。八王子に戻って仕事をしていたら、とにかく目が痛い。目というより、目尻が死ぬほどかゆいのです。家に帰って鏡で見てみたら、真っ赤に腫れていました。

 私が仕事をしていた所が、たまたまほこりっぽかったということもあったから、目が異常に痛いのは私だけかと思っていましたが、一日ほとんど外に出なかった人や、全く異なるところにいた人に聞いても同じ症状を訴えていました。私の母親も同じ症状でした。

 私が聞いた数人は、皆花粉症で、この時期はいつも目がかゆい、くしゃみが止まらないと言っています。ところが私は花粉症ではない。一五日は曇っていて、相模湖の方にいても、くしゃみ一つ出なかった。相模湖の辺りは花粉が猛烈なのです。

 一六日の八王子の天気は晴れで、雲ひとつありませんでした。しかしその日は、とにかく風がものすごく強かった。そんなときに私は目尻が腫れ上がってしまった。目尻が腫れたのは、生まれて初めての体験です。これはどうも花粉の影響ではない。前日の一五日に報道で知った放射線か、放射能物質を含んだ大気の影響なのではないか、そんな気がしました。

 そして、もしチェルノブイリの時並みの大爆発が起こったら、確実にこの東京の西の外れの地域でも、放射能汚染物質は届くのだと感じました。

 東京は福島から二五〇キロの地域にあり、静岡の西端は東京から約五〇キロほどですから、福島から半径三百キロに及ぶ災害が発生した場合、やはり名古屋以西にいかなければならなくなります。

 上記URLのシュピーゲルのグラフィック・データでも、一五日の南風は名古屋の手前、静岡全域に及んでいます。

 ただし、データ上でも分かるとおり、それ以降現在に至るまで、大気中の放射線量はほぼ元に戻っています。

●買いだめ、買占め騒動の開始―強迫神経症による人間行動

 一六日水曜日の時点で、私は恐怖というより焦りを感じました。とりあえず母親だけは、一応私たち家族の田舎である広島に疎開させようかと真剣に考えていました。今後、道は渋滞し、電車は止まるかもしれない。二週間なり一ヶ月なり、とりあえず旅行にでも行ってきたら、という感じで言おうと思っていました。

 その日、スーパーに行って缶詰を補充しようと思ったら今の有様(著者注記:三月現在の時点です)です。スーパーに行って、私が欲しいと思うもので無かったものは、缶詰と電池とお米でした。しょうがないのでレトルト・カレーのほうに行ったら、こちらは沢山ありました。レトルトのほうがいざというときはかさばらず、長持ちもするし、持ち運びがいいのに。被災してどこかに非難しているときに、加熱してものを食べている余裕などないはず。缶詰と同じです。

 そしてなぜか桃缶とみかんの缶詰は残っていました。甘みと中の汁は、被災の時には貴重だと思うのだが。そして紐だとかテープの類は手がつけられていませんでした。これも災害の時には大事です。

 そして私が特に必要としていなかったティッシュ・ペーパーやトイレット・ペーパー、紙おむつ類が品切れ状態でした。これは分かります。

 しかし、今現在(三月二七日)でも品切れ状態なのが、なぜか納豆と豆腐です。今は大丈夫ですが、食パンもありませんでした。

 ペーパー類と紙おむつ、パン、豆腐、納豆。これらが買い占められたことから考えられることは、東京の郊外に住んでいて、今回の「買占め」「品切れ」騒動を引き起こした人々は、明らかに震災で逃げようとか、あるいは自宅に留まって危機をしのごうとしたのではありません。

 明らかに強迫観念に動かされて、買占め騒動に巻き込まれたくない、乗り遅れたくないと思っただけの人々です。「地震も津波も、その被害者のことも自分には関係ない。ただ、自分だけ面倒なことに巻き込まれたくない」と思って、あわてて人をを出し抜いて、三月一三日の日曜日に車でスーパーに行って、買い物籠に大量に買い占めていった人々です。これがそのあと三、四日続きました。

 一九九三年。冷夏による米の不作のために起こった「タイ米騒動」の時に、「日本のもち持ちした米しか食べたくない」といって、日本米を買占めに走ったわがまま老人たちの行動と同じ浅ましさです。

たしかに米やペーパー類などを買っておきたいというのは分かります。しかし、納豆、豆腐を買い占めて(今現在三月二七日もありません)どうしようというのでしょう。計画停電だってあるというのに、納豆も豆腐も腐ります。「納豆は腐っているんだからいいじゃないか」ではありません。納豆も豆腐も本来、その日の朝に作ったものを、夕方までに食べるという生鮮食品だということぐらい分かるでしょう。

 母の話によれば、三月二五日の朝一〇に近くのスーパーに行ったら、納豆の販売が始まったそうです。ただし一人一つずつ(一束三、四パック)の制限がかけられていたそう。「もともとそれしか買わね〜よ!」

 安いと思って納豆をまとめ買いして、冷蔵庫の奥で何度となく納豆を腐らせて来ました。かぴかぴになった納豆が冷蔵庫に眠っていたことが、何度となくありました。大家族でない限り、納豆をまとめ買いするというのは、本来の納豆の食べ方では在りません。

 豆腐も然りです。一週間もしないうちに、すえた豆腐の出来上がり。舌がしびれます。それでもこの期に及んでまだ納豆を「買い占め」たい人がいるらしい。本当におめでたい人々です。

●私の軽い被災体験−一九八六年三月の大雪と停電

 私のおぼえている限りのこの「安全な」、安穏としている八王子での被災体験は、一九八六年の三月の大雪の時です。地元の映画館が雪の重みでつぶれ、自宅の前の電線にも一〇センチ以上の雪が降り積もり、雪の重みでポトポト落っこちていきました。垂直の壁にも雪が積もったのです。地面に垂れ下がった電線を見ているうちに、いきなりテレビが消え、家中の電気が消えました。日曜日の昼の一二時頃のことです。

 復旧は夜の一〇時四〇分頃でしたが、私はその時間まで、真っ暗な家の中から一歩も外に出ることが出来ず、テレビも見られず音楽も聴けず本も読めず、暖房もないので、ただひたすら布団に包まっているしかありませんでした。

 このとき助けになったのは、電池で動くラジオと、電源に関係なく通じた黒電話でした。NTTは自ら電源を持っているので、黒電話だけは停電と関係なく通じるのです。きわめて優れたシステムだったのです。今ではもう望むべくもありません。

 あの時の体験から役立つものといえば、ラジオを聴くための電池と、復旧が長引いた場合の非常食としての缶詰だということが分かっていました。

 そして私は一四日の月曜日に電池と缶詰を買いに行ったのです。

(終わり)