「144」 論文 津波TSUNAMIとは「潮」である―タイダル・ウェイヴTidal Wave「潮波」(しおなみ)(1) 鴨川光(かもがわひろし)筆 2011年6月19日

●私の溺れた体験−潮の怖さ

 前回津波の素人映像のURLを貼り付けましたが、私はこの津波の映像を何度も見ました。どれも目に焼きついて離れません。

東日本大震災の津波の様子

 私は、広島の呉市生まれで、私の生まれた家は、すぐ裏が瀬戸内海でした。向こう岸にかつての海軍兵学校があった江田島(えたじま)があり、目の前を自衛官や潜水艦が通り過ぎるのを見ながら、小学生のときはそんな海を泳いでいました。九〇年代には遊園地になって埋め立てられてしまい、今はその遊園地もなくなりました。

江田島海軍兵学校跡

 その海で私は何度も溺(おぼ)れかけたことがあります。八王子に来てからは、大雨で増水した多摩川でも溺れました。全て間一髪(かんいっぱつ)のところで、一緒に来ていた兄と大人達に助けられました。そうでなければ私は、小学校の低学年の時点ですでに命を失っていました。

多摩川

 中でも恐ろしかったのが、潮の流れに身体を持っていかれそうになった、小学校三年の時の裏の海での記憶です。

 二〇〇四年に起こったスマトラの津波の映像で、ちょっと向こうの水の中に立っていたおじさんが、波が引き始めると同時に、あれよあれよという感じで潮に持っていかれてしまう映像がありました。

スマトラ沖地震の津波の様子

http://www.youtube.com/watch?v=dcq1CgRP3bY
(ニュース映像ですが、このURLの映像の最後のほうにあります。私の見たものとちょっと違いますが。)

 あの映像を見たときに私は、この小学校三年のときの記憶が蘇(よみがえ)ってきました。そう、緩やかな潮の流れ、引き潮。あれに身体を持って行かれることほどに怖いことは無いのです。離岸流(りがんりゅう)と言うそうです。

離岸流

 だから潮が引き始めるころの夕方に海に入るのは危ない、と母親や祖母からは言われていました。その時間、夕日を見ながらの海水浴は実に素晴らしいものなのですが、危ない。

 私が沖にもって行かれそうになったその流れは、引き潮ではなく、普通に泳いでいる時に、一瞬だけ周りの波とは異なった、冷たい潮の流れが差し込んでくることがあるのです。それは海面を流れて揺れているだけの小さな波とは違って、人間の力では抗(あらが)えない海自体の流れなのです。

 そのときの私は、底のほうに見える大きな石を蹴って何とかして元に戻ろうとしたのですが、戻ろうとすればするほど、潮の流れに乗ってしまって、身体が沖に進もうとするのです。今回の津波の引き潮を見るほどに、あの時の身体で感じた水の怖さが蘇ってきます。

●忘れ去られていた奥尻島の記憶―津波報道も実に軽かった

 津波といえば、一九九三年七月一二日の午後一〇時に起こった北海道南西沖地震(ほっかいどうなんせいおきじしん)による、奥尻島(おくしりとう)での津波被害です。

奥尻島の津波災害の様子

http://pub.ne.jp/youtube/?entry_id=1508422
(Youtubeから。奥尻島津波被害の最も生々しい映像。それでもすでに津波が引いた後の、翌日の被害の映像。ただし、深夜の火事や車が投げ出されている映像は、まさにあの気仙沼の様子を髣髴(ほうふつ)とさせる。)

http://unimaru.com/?page_id=82
(奥尻島観光協会・津波館)

 奥尻島の事実は誰も撮影出来ていません。当時はまだポケベルが始まった段階で、携帯もまだまだ一般化していないころでした。ビデオカメラはもう片手でもてるようになっていて、ビデオテープもカセットのように小さいものが出来ていた。水の中での撮影もとっくに可能になっていたのですが、奥尻島での津波の映像を撮った物は存在していません。あの恐怖がきちんと伝えられていないのです。夜の出来事だったからというのもあります。

 このビデオでの様子を見る限り、奥尻の津波がどれほどに恐ろしいものだったかというのは、東京のほうには全く伝わっていません。おそらく、日本全国に全く伝わっていないでしょう。なんとなく災害だからひどかったのだろうなあ。被災した人は運が悪かったか、逃げ遅れたからだろうなあ。自分はそんなことは無いだろうけれど。そのような感覚で受け止められたのでしょう。どこか遠くの世界での出来事に過ぎませんでした。

 私が最初にその時の津波の恐怖を知ったのは、関西の何かの番組です。番組名は忘れました。当時の被災者であった漁村の老人の話が生々しかった。「津波が来たら、すぐ逃げろ、全速力で走れ。家に何かを取りに戻ろうと思うんじゃない。とにかく坂を上って、一目散に出来るだけ高いところに行け。後ろを振り返るのでさえ危ない。車で逃げるのもだめだ」そのようなことを言っていました。

 前回貼り付けておいた津波映像のURLで、津波が押し寄せてくるさまを見たら、まさしくこの老人の言っていたことが正しかったことが分かります。その光景が鮮明に映し出されています。

 津波が来たら、水が車よりも速く押し寄せてくる。速く逃げろといっても、皆ボーっと突っ立ている。全く通じない、声が届かない。どれだけいっても通じない。

 その時の放送では、「津波というのは普通の波ではない。遠い沖の海が盛り上がって見えるのだ」というのがありました。それを見たらもうだめだ。その時点でもう間に合わない。地震が来た時点で、猛スピードで走らなくては間に合わない。いやそれでも多くの人が間にあわずに死んだらしい。

●津波というのは海、水平線が盛り上がることだ

 これを聞いて私は驚愕(きょうがく)しました。

 私が瀬戸内海で泳いでいた時には、自衛艦が来るのが楽しみでした。なぜかというと、強い大波が来るからです。これが実に楽しい。気持ちがいいのです。ところがこれは、海面の本の上の部分だけが「波」という物理学的運動をするだけなのです。大した波ではないのが、泳いでいて肌で分かります。

 ところが「海が盛り上がる」「水平線が盛り上がる」と聞いて私はぞっとしました。要するに大きな潮の流れなのです。私が身体を持っていかれそうになった時の、ほんのちょっと差し込んできた、イレギュラーな潮の流れ。それだけでももうだめなのです。ものの一分も経たぬうちに遠くの沖合いに持っていかれて、その日の夕方には、江田島に私の溺死体が打ち上げられていたことでしょう。私の母や祖母の話では、それは日常茶飯事であったとのことでした。

 具体的にイメージをすると津波とは、あの葛飾北斎の書いた「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のような、いかにも「大波」というものではないのです。


冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏

 こういう波ではない。津波とは海が不気味に盛り上がるというのです。本当にぞっとします。

●「空よりも高い水平線」―熱海の眺め

 私は塾で講師をしていたときにこの津波、潮の流れのことを小学生に何度も、毎年毎年あきれるぐらいに話しました。詩の授業の時に「空よりも高い海」という一節があったからです。

 この詩は何を言っているのかを津波の話、自分の溺れた体験を交えて話しました。今の子供は海や川で泳いだ経験が少なく、スイミング・スクールでの温水プールで安全に泳いでいるのです。海に出られないからです。せいぜいが海水浴場です。私はあのきったない海水浴場でなんか泳いだことはありません。海水浴場は死ぬほど汚い。

 「空よりも高い」というのは、高台からずっと向こうの水平線までを見渡した光景なのです。海は途中で距離の目安になる物体がないから、「遠い」とか「遠くまで見渡す」という感覚にはならない。海が高いところまで、水が空のほうまでたまって見えるのです。

 それがはっきりするのは私の住んでいる東京から新幹線に乗ると、まず伊豆の当たりで進行方向の左側の窓から青い水溜りが見え出します。海が遠くまで見えるのではありません。水がたまって見えるのです。芥川龍之介の小説『トロッコ』で描かれる情景が見えてきます。

 ところがこの水平線まで見渡せて、高いところから海が見えるという場所は限られてきます。この詩はどうやら熱海の高台にあるホテルの一室から見た光景であるようです。私も見ました。全くその通り。水平線が空より高くあるように見えます。怖いくらいに海が目の前に「高く」広がっているのです。

 この詩の一説は「比ゆ」です。たとえでしかありません。詩、ポエトリーとは比ゆの塊なのです。ところがこれが比ゆではない、見たままの光景だったとしたらどうなるか。

 私はここで毎年生徒に向かって叫びました。「津波だ!」「逃げろ!」「走れ!」「全速力で丘を駆け上れ!」「後ろを振り返るな!」と。

 私は一三年間に渡って、この授業のときは毎年生徒に向かって叫び続けました。私がおかしいと思えばおかしいと思え。私の言っていることは真実だ。手遅れにならないように、今はっきりと君たちに叫んでおきます。そう言い続けました。おかげで相当に変な先生だと思われました。

 それでも子供というのは災害に対して敏感なようで、大人でも助けられない自然の驚異に対しては素直な畏怖を感じていたようです。大人のほうが馬鹿です。

 そして私は正しかった。

●そもそも津波とは「タイダル・ウェイヴ」=「潮波(しおなみ)」である

 「津波」というこの言葉は一体何を意味しているのでしょうか。TSUNAMIという単語はすでに英語にもなっていて、世界に通じています。

 しかし「津波」という言葉には何の意味もありません。「津」というのは、辞書で調べると、「船着き場」とか「体液」という意味しかありません。津波は「船着き場波」ということになりますが、これでは意味を成しません。

 津波の英語は「タイダル・ウェイヴ」 tidal wave です。「タイダル」というのは「タイド」 tide の形容詞で「潮」という意味です。つまり潮の流れ、潮流です。

 津波の英語「タイダル・ウェイヴ」とは「潮波(しおなみ)」ということになります。これをただ英単語を丸呑みにしてとらえているだけでは、どうしようもありません。私がこれまで言ってきたように、津波の正体は「潮、潮流」なのです。

 学問的に言えばあれは潮ではない、波だ、といわれるかもしれません。いいえ、津波は潮、潮流の一つです。我々人間にとって、あれは波ではない。流れです。ストリームのほうが近い。川の流れのストリームではなく、深い水の大きな流れ、それが「タイド、tide」です。

 陸に押し寄せてきた状態では明らかに流れであり、潮だった。満潮と干潮が内陸深くにまで押し寄せてきたと思えばよいのです。

 ですから津波を富岳百景のような巨大な波のようにして意識してはいけません。昔「稲村ジェーン」とか「ビッグ・ウェンズデイ」というサーフィン映画がありましたが、あれをイメージしてはだめなのです。

サーフィンといえばビーチボーイズのサーフィンUSA(このジャケットのような波をイメージしてもイカン)

 二〇一一年三月一一日に、この津波の模様を現地で端的に私たちに伝えてくれたのは、お笑いコンビのサンドウィッチマンでした。

サンドウィッチマン

 当日、仙台放送の番組ロケで、気仙沼に言っていたそうです。高台に避難して、間一髪で被災を免れたようですが、自分たちが今さっきまでロケをしていた現場が、津波に飲み込まれてしまったそうです。

 三月一一日の深夜に気仙沼が大火災になった。この光景がテレビで放送されたとき、解説者や専門家らは、あんぐりと口をあけたままだった。石油タンクが流されて、漏れた石油に引火して、市内が一面火の海になったことを、自身の携帯で撮影し、映像をブログにアップすると共に、現状を逐一報告してくれた。サンドイッチマンのブログだけが正確だったのだ。

 深夜に至るまでこのお二人は、携帯で撮影した映像を、自身のブログにあげて私たち被害の様子を伝えてくれました。二人の話によれば、水平線の上に、またさらに大きな水平線があるように見えたそうです。まさに「空よりも高い水平線」という私の考えた通りの光景だったそう。

 そして実際に私たちの前に現れた津波の映像は、北斎やサーフィンUSAのような美しいものではなかった。九三年の冷夏のときに、各地で土石流(どせきりゅう)が発生し、そのニュース映像を見たことがありますが、あれに近い。巨木や、巨石が真っ黒い水と共に、猛スピードのダンプのような勢いで迫ってくる。津波はそれの海バージョンだった。何千倍にもでかくなって押し寄せた鉄砲水。それが津波。私にはもんじゃ焼きのようにも見えた。

 全く秩序のない、でたらめな猛威が押し寄せる。子供のころ見たゴジラやラドンの映画のように、遠くのほうから巨大怪獣が襲ってくるという特撮映像が、現実のものとなって私たちの前に現れた。それが津波の正体だったのです。 

●森鴎外の娘、森茉莉(もり まり)の思い出―「パッパは助けられないよ」

森茉莉

 この自然の驚異、水の恐怖に対しては、もう一つ、ある一節を思い出します。国語の授業で使った文章ですが、森鴎外の娘、森茉莉(もり まり)の文章で、父親との子供時代の思い出を綴(つづ)った作品です。おそらくは「父の帽子」というエッセイ集の中からの抜粋でしょう。

 それによれば、娘茉莉はある時」、父親の漕ぐボートに乗せてもらったことがあって、そのとき父親にこう聞いたといいます。

娘茉莉「パッパはボートが沈んだら、その時はどうしてくれるの」
父森鴎外「さあ、その時はパッパも分からないよ」

 筆者はこの言葉を聞いた時、あれだけ尊敬していた父親でもどうすることが出来ない自然というものがあるのだなと感じ、暗い闇に引きずり込まれるような感じがした、というような文章だったと記憶しています。

 まさにこれなのです。子供は素直です。女の人もそう。自然に対する恐怖、畏怖を素直に感じている。スマトラ沖地震のときは、津波で人が流される映像が史上初めて世界中に報道されたので、私の生徒は、比較的素直に私の津波の話に耳を傾けてくれていました。

●マイケル・サンデルよ、宮台真司よ、津波の映像をよく見てみよ

 マイケル・サンデルよ、宮台真司よ。もう一度私が上に貼り付けたURLの映像を見てみよ。一度水が人間に襲い掛かれば、もう誰にも助けられないのだ。誰も助けられなかったであろうが。

 

マイケル・サンデル        宮台真司

 マイケル・サンデルは「川で溺れている人が二人いたとして、一人は自分の肉親で、もう一人は全くの他人です。あなたはどちらを助けますか」などという哲学問答を出すのだそうです。そのようなモデルとしてたびたび引き合いに出されるばかげた問答を、私も学生時代に聞いたことがある。

 最近では二〇一一年三月 日に行なわれた「小室直樹シンポジウム」をU―STREAMで視聴した時に、宮台真司氏がこれに触れていた。

http://www.ustream.tv/recorded/13125164
「小室直樹博士記念シンポジウム」Ustream.tvから
第二部の後半

(著者注記:このシンポジウムと宮台氏に関しては、後に社会学の続きを書く時に、しつこく再説します。)

 あいも変わらず、分かりやすそうな口調で、何を言っているのかさっぱりわからないことを言っている。簡単な言葉を使わず、日本語にしても英語・フランス語にしても、テクニカル・ターム、ジャーゴンばかり繰り出すことに余念がない宮台氏の語り口調に、副島先生からだけでなく、司会の橋爪大三郎(はしずめだいざぶろう)教授からも壇上で叱られ、宮台真司氏のばつの悪い表情がたびたび写し出されている。橋爪大三郎氏は、小室直樹私塾の塾頭であったそうだ。

 この第二部の後半のディスカッションにて、副島氏は案の定、最も観客の注目を集め、会場の大爆笑を巻き起こしているのだが、宮台氏のこの「溺れる人の救出選択問答」に関しても「そんなものはキブツの思想だ。助けられるほうしか助けられないんだって」と爆発していた。

 副島先生。残念ながら、副島先生も間違っています。実際には誰も助けられません。いや自分ですらも助けられませんでした。これがこの哲学問答の真の答えです。

 津波にさらわれた人々は、自分の命すらも奪われてしまった。奇跡的に助かったという人は、津波がぎりぎりで届いた、津波が陸地に押しよせたほんの先っぽに巻き込まれた人か、奇跡的偶然か、幸運にも鉄筋ビルの屋上に上れた人たちです。

 溺れた人は助けられない。これが本当の答えです。

(つづく)