「172」 論文 TPPとは外国への「大統領令」(エグゼキュティヴ・オーダー)、すなわち「勅令」のことである(2) 鴨川光(かもがわひろし)筆 2012年1月8日

ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回は冒頭をお借りしまして、新年のご挨拶を申し上げます。

新年あけましておめでとうございます。旧年中はご懇篤なご指導、ご鞭撻を賜り誠にありがとうございました。本年も倍旧のご支援を賜りますよう、衷心よりよろしくお願い申し上げます。

 本年も変わらず、論文掲載を続けてまいります。皆様に「面白くて、ためになる」と思っていただける論文を掲載してまいります。

 最後になりましたが、皆様のご多幸とご健康を心からお祈り申し上げます。

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条約とは「慣習法」が土台になっている

 「慣習」というのは、戦争中における「慣習」のことである。民族的な慣習、カスタムズ customs とか伝統・文化といったことではない。戦時中、交戦中における慣例となったことを、司令官同士が取り決めた、ということなのである。一種の紳士協定であり、騎士道(chivalry、シヴァリー)から来ている。

 だからコンヴェンションとして有名なのが「ジュネーヴ条約(Geneva Conventions)」である。「ジュネーヴ条約」とは、一八六四年に、ジュネーヴで結ばれた「傷病者の状態改善に関する第一回赤十字条約」のことである。これは四つの条約と、その他のプロトコル(Protocol、議定書、補足協約)から成っている。

 捕虜や傷病兵といった、戦争につき物の、双方にとって必然的に付きまとう、面倒くさいことを取り決めたことが始まりなのである。

 だから、「コンヴェンション」には、「開戦条約(Convenntion Relative to the Hostilities)」とか、「公海条約(Convention on the High Seas)」といった、国家間や戦争の基本的なことが決められていて、そこから必然的に人道的な条約に広がり、今では地球環境に関する条約が、「コンヴェンション」として数多く取り決められることになっていったのである。

人権・人道や環境に関するコンヴェンションには以下のものがある。

・環境に関するもの
「オゾン層保護条約(Vienna Convention for the Protection of the Ozone Layer)」
「海洋汚染防止条約(Convention on the Prevention of the Marine Pollution by Dumping Wastes and the Other Matter)」
「国際捕鯨取締条約(International Convention for the Regulation of Whaling)」
「世界遺産条約(Convention for the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)」

・人権に関するもの
「人種差別撤廃条約(International Convention on the Elimination of All Forms Discrimination)」
「戦時文民保護条約(Geneva Convention Relative to the Protection of CivilianPersons in Time of War)」
「対人地雷全面禁止条約(Convention on the Prohibition of the Use, Stockpiling, Production and Transfer of Anti-Personnel Mines and on their Destruction)」
「日米領事条約(Consular Convention between Japan and the United States of America)」
「人質行為防止条約(International Convention against the Taking of Hostages)」
「ジェノサイド条約(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)」

(『トレンド日米表現辞典』(小学館)、三三九〜四〇〇ページ)

 コンヴェンションの話が多くなったが、条約や協定など全ての国際的な取り決めは、「コンヴェンション」によって規定されているのである。コンヴェンションとは「条約法条約」という。

 この「条約法条約」とは、正式名称を「条約法に関するウィーン条約」(ヴィエナ・コンヴェンション・オン・ザ・ロー・オブ・トリーティ Vienna Convention on the Law of Treaty)といい、一九六九年に国際連合条約法会議において採択された、全ての国際的取り決めのための「コンヴェンション」である。

 日本は、一九八一年七年月二〇日に、この条約への加入を寄託(きたく)している。つまり批准している。(『新法学辞典』、日本評論社、五六二ページ)

 狭義での条約のもう一方、つまり通常言われる「条約(トリーティ)」は、条約それだけでは締結する元になる法源がない。そこで、その「条約(トリーティ)」を結ぶ元になる枠組みとして、それまでの国際紛争上の問題を解決するために使われてきた、国際的慣行・慣習・慣例(これら全てコンヴェンションである)を基にして、より個別的な国際的取り決めを、結べるようにしようとしたのである。

 つまり、「条約」の元になるのはコンヴェンションという「慣習」であり、トリーティと並んで狭義の条約といわれる「コンヴェンション」とは「慣習法」のことである。

●アメリカはこの「条約法条約」に未批准である

 驚くべきことは、そして当然のことながら、戦後、世界の枠組みを作ることに最も熱心であり続けるアメリカ自身は、この「条約法条約」に未批准なのである。

 この事実は、『英米法辞典』(東京大学出版会)の「国際的合意」(インターナショナル・アグリーメント International Agreement)の項に書かれている。それならば、アメリカは他国との「国際的合意」を結ぶ際、その根拠となる法源は大統領権限以外に持ってはいないことになる。

 この「国際的合意」、インターナショナル・アグリーメントとは、「広義の条約」のことである。条約を含めたあらゆる国際的取り決めのことである。

 国際的取り決めには、規約、規定、憲章、協定、約定、取極め、決定書、規則、宣言、覚え書、交換文書、通牒(つうちょう)、合意議事録、暫定協定がある。(『新法学辞典』、日本評論社、三七八ページ)

 「広義の条約」とは、トリーティ、コンヴェンション以外の国際的取り決め全てを含む。あれもこれも、全ての国際的決め事も、条約と同じであるべきだという、それが「広義の条約」ということの意味である。

 「国際的合意」、インターナショナル・アグリーメントというのは、「六法全書」(有斐閣)によれば、「国際機構間の国際法上の関係を発生させ、変更し、定義付けると表明したものを言う」となっている。

 このウィーン「条約法条約」に基づいて条約や協定を含む様々な各国の国際的取り決め、合意が結ばれて、世界の秩序を保とうとしているというのが、一九世紀からこれまでの世界のあり方である。

 この百年間、特に戦後、世界の覇権を握り締めてきたアメリカが、「条約法条約」に批准していないということは、アメリカとどのような条約、その他を結ぼうとも、国際法上の関係を発生させていないということになる。

 二国間で結んだ条約の場合、単に、アメリカとの間の取り決めに過ぎず、多国間の場合は、アメリカを中心とした、アメリカの決めた法的枠組みに沿って結んだ条約にほかならない。

 つまり、アメリカと結んだ「国際的合意」とは、必然的にアメリカとの君臣関係を結んだという意味合いになる。

●アメリカの結ぶ「協定」、アグリーメントとはアメリカ国内では「行政取極め(とりきめ)」である

 アメリカと結ぶ取り決めが、「条約」トリーティ(treaty)であるならばまだいい。お互い、国民の代表である議会の了承を経て、互いに厳粛に取り扱うことになるからである。しかし、「条約」(トリーティ)以下の、ゆるい取り決めの場合、それを結ばされる国々は、必然的にアメリカの行政府からの恣意的な圧力を受けることになる。

 条約、トリーティである場合には、アメリカでも、議会の承認を得なければならない。議会制民主主義の手続きに則った外国との法の締結である。

 しかし「協定」(アグリーメント agreement)になればこれは別である。

 このアグリーメント「協定」というものは一体何なのか。それを考えてみたことがあるだろうか。私は、一九九五年に起きた、沖縄の米兵による小学生レイプ事件以来、ずっと疑問だった。

 この「協定」というものの位置づけは日本でははっきりとしていない。日本では、定義がなされていないといっていい。仕方がないから、「条約」として結ぶ(結ばされる)しかないのである。「協定」とは、アメリカでの法律用語である。

 アメリカにとっての「協定」とは、正式には「行政協定」(エグゼキュティヴ・アグリーメント executive agreement)という。これは、正確な訳語であるとか、正確な用語法であるといった話ではない。「協定」の正体は、アメリカ政府(官僚機構の意向を受けている)の結ぶ「行政協定」なのである。

 「エグゼキュティヴ」とは、企業の重役をあらわすのに使われるCEO(チーフ・エグゼキュティヴ・オフィサー chief executive officer)のエグゼキュティヴのことである。つまり、その会社経営を取り仕切る経営者、社長。別の言葉で言えば管理人。ウェッブサイトの管理人のことを「アドミニストレイター(administrator)」と呼ぶ。

 「アドミニストレイター」とは、国家でいえば、「行政府」のことであり、首相や大統領を含めた内閣のことである。国家の運営者のことである。だから「行政協定」は「アドミニストレイティヴ・アグリーメント(administrative agreement)」とも言う。

 このエグゼキュティヴとは国家で言えば、「大統領」「行政府」「内閣」「省庁」であり、大統領そのものと言っていい。ここが肝心である。「行政協定」とはアメリカでの呼び名で、アメリカの国内法である。日本の国内法ではない。

●アメリカの「行政協定」とは大統領の権限と発想

 ではアメリカの国内法である「行政協定」とはいったい何か。これには日本では「行政取極め(とりきめ)」という訳語が別に宛てられている。

 単なる「取り決め」という字をあててしまうと、「広義の条約」と同様、全ての外国との合意、取り決めを含んでしまうから、法律用語としての厳密さを保つために、「取極め」という字を当てはめたのだろう。

(引用開始)

「行政取極め」 executive agreement, administrative agreement

 アメリカにおいて、憲法二条二節二項の規定による、上院の三分の二の同意を必要とする条約ではないが、大統領が外国との間になす明示的合意。行政協定とも言われる。

 広義の条約に属し、署名のみで効力を生ずる簡略形式による「条約」の一種であるが、効力に際はない。(『新法学辞典』、日本評論社、一九九ページ)

(引用終わり)

 このように、アメリカの国内法においては、「協定」は「条約」ことがはっきりと定められている。その違いは、「議会の承認がなくてよい」、ということである。

 議会の承認を経ない代わりに、大統領が「全く自己の発想と責任に基づいて」(『新法学辞典』、一九九ページ)、「外交・軍事に関する憲法上の大統領権限に基づいて」(『英米法辞典』、東京大学出版会)、諸外国の元首や政府と締結出来る点である。

 ただし、「議会の授権に基づいて」締結する場合も有る(『新法学辞典』、一九九ページ)。授権というのは、議会から権限を大統領が「授かって」ということになろうが、それは実質的に議会から権限を奪って、ということである。

 「行政協定」は大統領の発想に基づくのだから、大統領が勝手に結んでいいのである。議会に許可を得なくてよい。だから政府、つまりアメリカの役人、省庁の利害にすぎないものを、面倒くさい手続きを経ず、直接、行政として反映できるのである。

 「行政協定」は、それでいて「条約」(トリーティ)との効力の差がないとされている。これは「国際法上の効力も」(『新法学辞典』)、「アメリカの国内法上の効力も」(『英米法辞典』)、「条約」とは変わりがないとある。

 それ程の国家的に重い、重大な法的取り決めを、大統領の署名のみで結べるのである。そのような「簡略形式の条約」なのである。(『新法学辞典』、一九九ページ)

 簡単に言えば、アメリカでの「協定」とは、大統領が勝手に諸外国と結んだだけで、国際的にも国内的にも絶対にそれを守らなくてはならない、最も強い法律だということになる。つまりアメリカ国内では「大統領令」に他ならない。

 「大統領令」とは「エグゼキュティヴ・オーダー(Executive Order)」(だからエグゼキュティヴとは行政府の長、大統領のこと)といい、これは君主制の国では「勅令(Edict)」に他ならない。

大統領令に署名するオバマ大統領

 大統領令とは大統領命令であり、王の命令、本来の国家最高権限の行使をするということである。

●アメリカの超党派議員団が「行政協定」の締結を諌める

 「行政協定」が大統領の単独で行なえる権限であることを踏まえると、二〇一一年一一月八日に、アメリカの超党派議員がオバマ大統領に「議会との事前協議なく早急に決断することがないよう要請した」という意味が分かる。

 その週末の一一月一二日の土曜日に、ハワイのホノルルで、APECが開かれ、野田首相によって日本がTPP交渉に参加の意思を表明した。米議員団は、日本のTPP参加に警戒感を感じ、オバマに勝手な協定の締結を諌(いさ)め、議会との事前協議、すなわち議会で議論をして承認をきちんと得ろ、と詰め寄ったのである。

(転載貼り付け開始)

「ロイター」(オンライン)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-24069420111109

「日本とのTPP交渉判断慎重に」、米超党派議員がオバマ政権に要請

2011年 11月 9日 14:28 JST 
 
[ホノルル 8日 ロイター] 

 米下院歳入委員会と上院財政委員会の幹部を務める超党派議員4人は8日、オバマ政権に対し、日本が今週環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に参加する意向を表明した場合、議会との事前協議なく早急に決断することがないよう要請した。

 議員グループが米通商代表部(USTR)のロン・カーク代表に宛てて書簡を送った。

ロン・カーク

 それによると、議員らは「日本が交渉に参加すればTPP交渉に新たな次元と複雑性が加わることになる。このため(米政府に対し)いかなる決断も下す前に連邦議会その他の関係者に相談するよう強く求める」と要請した。

 その理由として、同書簡は「日本は長い間、国内市場を意味のある競争から保護してきた」と指摘し、米国は日本政府が本気で市場を開放し、米自由貿易協定(FTA)が求める高い水準を満たす用意があるのかを十分確認する必要があるとしている。

 ハワイ州ホノルルには、今週末に開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を控え、各国の高官が集結しつつある。12日には、このうちTPP交渉に参加する米国、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、ペルー、シンガポール、マレーシア、ベトナム、ブルネイの9カ国の首脳による個別の会合も予定されている。

(転載貼り付け終わり)

 議員団は、TPP交渉を実質的に取り仕切る、行政窓口である米通商代表部(USTR)のロン・カーク代表に宛てて書簡を送った。同書簡は「日本は長い間、国内市場を意味のある競争から保護してきた」と指摘し、米国は日本政府が本気で市場を開放し、米自由貿易協定(FTA)が求める、高い水準を満たす用意があるのかを十分確認する必要があるとしている。

 一見これは、アメリカの議員団が、党派を超えて、日本の保護的市場に圧力をかけているように見えるが、これは実際は、アメリカ大統領と、管轄行政府であるUSTRへ警告を与えているのである。

 議会の承認はおろか、一言も議会において言葉を発することなく、貿易・経済という国家の死活問題に関係する問題を、「行政協定」という「大統領の独断」で締結するのではない、という大統領に対する圧力である。

 こうしてみれば、なぜ野田首相がTPP参加表明をしようとする直前に、これまで日本国内の主たるメディア報道では全く顔を見せなかった米議員団が、唐突に口を挟んできたかが分かるであろう。

 TPPが簡易的な取り決めに関しての合意であれば、米議員団も口を挟まなかったはずである。これは議会制度の危機を示している。

 TPPに限らず、「行政取極め」「行政協定」(エグゼキュティヴ・アグリーメント)は、大統領の権限と署名だけで締結出来る「簡略形式の条約」であるため、主に「条約の実施細則(じっしさいそく)」といった細かな技術的なものにつけられるものなのである。日本の国内法であれば、各法律の下にある「施行規則」(しこうきそく)にあたる。

●「日米地位協定」「日米行政協定」は「安保条約」の施行規則

 「日米地位協定」というものが頭に浮かぶ。「日米地位協定」とは一九六〇年の安保改定時に改めて締結された「行政協定」である。

 これは一九五二年に締結された「日米行政協定」(第一次安保条約締結の時に結ばれた)を承継した協定である。

 「日米地位協定」一躍日本国内で脚光を浴びたのは、一九九五年に起こった「沖縄米兵少女暴行事件」の時である。

 この事件は、一九九五年九月四日、沖縄県駐留のアメリカ海兵隊員と海軍軍人の三人が、商店街で買い物中の一二歳の小学生の少女をレンタカーで拉致し、近くの海岸で輪姦したという事件である。

 この際、日本の沖縄県警は、被疑者を逮捕、拘留して取り調べることが出来なかった。その根拠になったのが、「日米地位協定第17条5(c)」である。

(転載貼り付け開始)

日米地位協定第17条5(c)
日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/rem_keiji_01.html

「外務省ホームページ」 日米地位協定第17条5(c)

(転載貼り付け終わり)

 

 米軍人は日本で犯罪を起こした時、日本の警察や日本人に逮捕されず、「無事」米軍基地内に戻ることができたら、日本の警察に拘留されることは無いということである。

 米軍がその被疑者を基地内に拘留するわけだが、その際、日本の警察が引渡しを求めても、引き渡さない。引き渡す義務がない。つまり、逮捕状が請求されても、日本政府は逮捕を執行(日本国の法の執行、ロ−・エンフォースメント law enforcement)できないということである。

 被疑者は、日本側が起訴をしない限り、日本側に引き渡されないのである。つまり、米兵は、その身元が割れても、日本の警察が直接捕まえない限り取調べできないのである。逮捕したければ、米軍基地内を強制捜査してみろ、ということなのである。

 この理不尽な取り決めは、この事件を契機に、一九九五年一〇月に日米合同委員会が開かれ、「刑事裁判手続に係る日米合同委員会合意」が定められた。

 この「合意」は、このような凶悪事件が起こった場合、米軍は、日本政府にあくまで「好意的な考慮」を払うということだけが決められただけであり、この条文の改定がなされたわけではない。

 米軍人が個人的に引き起こした凶悪事件や死亡事故に関しては、積極的に日本側に引き渡すと言っているだけである。それはあくまで日本側が起訴をした場合に限る。

 今年二〇一一年一一月に再び合同委員会が開かれ、新たに「日米地位協定における軍属に対する裁判権の行使に関する運用についての新たな枠組みの合意」が一一月二四日に定められたが、依然として改定などではなく、「裁判権の行使に関する運用」をめぐっての「合意」である。

 詳しくは外務省の以下のURLを検索してみてください。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/rem_keiji_01.html
「外務省ホームページ」 刑事裁判手続に係る日米合同委員会合意(平成7年10月)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/gunzoku_1111.html
「外務省ホームページ」 日米地位協定における軍属に対する裁判権の行使に関する運用についての新たな枠組みの合意 

●それでも「日米地位協定」は「条約」(トリーティ)に基づいている

 さて、この依然として、日米関係の極めて重大な懸念事項であり続けている「日米地位協定」という、アメリカ大統領による「行政協定」は、それでもまだ、国家間のきわめて根本的な事項を定める取り決めとしては、納得がいくのである。

 「日米地位協定」は、その根本が「安全保障条約」であり、その「施行細則」としての機能を果たしているからである。

 「日米地位協定」は、正式名称を「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」という。

 この名称で大切なところは、「条約に基づく」というところである。「安全保障条約第六条に基づく」協定だ、というところである。

 英文では、Agreement Under Article Y Of The Treaty Of Mutual Cooperation And Security Between Japan And The United States Of America, Regarding Facilities And Areas And The Status Of United States Armed Forces In Japan という。

 この方がはっきりする。「アグリーメント・アンダー・アーティクル・シックス・オブ・ザ・トリーティ」というところが大事である。「アンダー」という言葉である、重要なのは。

 アメリカの「行政協定」である「日米地位協定」は、正式の条約である「日米安保条約」の「下」(アンダー)にある、「実施細則」としての位置づけがなされているのである。だから、まだまだ紛争の種である「地位協定」であっても、日米間における「条約」と同等の効力を持っている。

 それ自体は単なる「協定」でしかないが、その上に「条約」という行政取り決めの根拠、法源といえるものが存在する。日本の法律の下にある「施行規則」なのである。だから、実質的には、条約というしっかりした約束事であるともいえる。まだ。

●TPPは本当に「行政協定」である

 ところが、TPPにはその上に来る法、条約がない。「日米地位協定」が拠って立つ「安全保障条約」にあたる基礎がないのである。

 協定は、やはりその上に来る条約があって、初めて信頼に足る取り決めになるのである。「日米地位協定」も、様々な問題を未だ孕(はら)んではいるが、結果的に犯人を、日本の法廷に引き渡すことができ、日本の法律で裁くことは出来た。「安全保障条約」という、日米関係の基本となる条約が、やはりその重きを置く。

 「協定」はあくまで「広義の条約」である。国家間で相互に信頼の置ける関係を保つためには、「協定」の上にくるべき条約がどうしても必要である。

 せめて同じ「狭義の条約」である「コンヴェンション」(枠組み)が必要である。FTAAPがそうじゃないか、と思われる人もいるかもしれないが、それははっきりとはわからない。

 FTAAPは「アジア太平洋自由貿易圏」(Free Trade Area of Asia-Pacific)という。「圏」「エリア」であるから、あくまでこういった経済圏を作るという構想である。アメリカの支配圏、支配領域と言い換えてもいい。

 TPPの土台となる法的枠組みが、EPA(Economic Partnership Agreement 経済連携協定)でも、FTA(Free Trade Agreement 自由貿易協定)でもないことは明らかである。両方ともコンヴェンションではなく、TPPと同じ立場の「アグリーメント」だ。

 TPPを議論する場のAPECも「アジア太平洋経済協力」(Asia-Pacific Economic Cooperation)というから、これもいったい何なのか分からない。一応「枠組み」ということには成っている。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/apec/ 「外務省ホームページ APEC」から

 だからおそらくはこのAPECが「コンヴェンション」と同等の位置づけなのだろう。それでもこれは、世界的条約・取り決めの枠組みである「条約法条約」という、「コンヴェンション」とは無関係である。APECは、「条約法条約」未批准のアメリカが、「親(おや)」となって仕切っている「枠組み」でしかない。

 だから最近は「何々パートナーシップ」とか「何々会議」といった、それが取り決めなのか、機構なのか、それとも単なる会議なのか判然としない、国際的やり取りが増えたのだ。これらは全てアメリカの「仕切り」でしかないというもの、というのがその正体であろう。なぜなら、アメリカは「条約法条約」という「コンヴェンション、枠組み」を結んでいないのだから。

 TPPは、これはアメリカの「行政協定(行政取極め)」によって、アメリカの法の枠組みの中に入るということなのである。しかもTPPは、アメリカの国内的には、どのように処理されるのか分からない。

 アメリカの「行政協定」は、議会で立法はしなくてよいのである。つまり、アメリカの国民もあずかり知らぬままの、外国民・外国政府・外国企業への、自国の行政の長の命令による支配なのである。

(つづく)