「183」 論文 歴史メモ:信仰と信念と理想から見た現代文明の本質(5) 鳥生守(とりうまもる)筆 2012年3月25日

 二番目は、ヨーロッパ人は頭に描いたものを見ようとするということだ。人間は複雑なことを頭に思い描くことは難しく、単純なもの、純粋なもの、機械的なものしか思い浮かべられない。しかるに純粋なもの、機械的なものは自然界には例外的にしか存在しない。そこで東洋人は実際に在るもの起こるものをそのまま見ようとし、複雑で有機的なもの(つまり事実と真実)を知るために頭を働かそうとするのである。そしてそれが見えてきたら、そこでようやくそれを絵にしたり言葉にしたりするのである。


レオナルド・ダヴィンチのスケッチ

 だからヨーロッパ人の思考では、言葉で表された以外には現実は存在しないということになり、それに対して、東洋人の思考では、言葉で表されない現実が当然のごとく存在するということになるのである(この点において、セム系の宗教である、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教は、もともとは東洋人の思考と共通だったのである。ところが、ユダヤ教徒とキリスト教がギリシア語の影響でヨーロッパ風に変質して、イスラームだけが残ったのである)。この違いによって、ヨーロッパと東洋では、さまざまな認識や行動の違いが起こるのだ。

 三番目は、ヨーロッパ人は間違った科学理論を立てても責任を問われないのである。科学とは単純事実と単純仮説を組み合わせて仮説(命題)を立てることであり、必ずしも正しくない。がそれを気にせずにどんどん自由に科学を行なってもよいということである。その仮説が間違っていても仕方がない、もし間違っていればその仮説は撤回すればよいだけのことだ、その責任は不問にする、という考えである。


錬金術師たち

 それらの仮説の中に万が一でも正しいものがあればそれは人類に大きな進歩をもたらしそれゆえその価値は限りなく大きいはずであるから、その過程で間違いがいくら起こっても仕方がない、ということである。つまり科学理論が間違っていても仕方がない、それは新理論への果敢な挑戦だったということで、許されるのである。科学とは、間違っていないに越したことはないが(多少)間違ってもいいから、大胆な新理論をめざしましょう、という学問なのである。

 自然科学だと厳密な実験で試されるので、事実の裏付けがないと新理論はそうそう立てられないが、それでも複雑になる生物生命学や医学などでは、細かいところなどで一時的かもしれないが事実の裏付けのない勝手な理論が立てられそうだ。自然科学をモデルにした社会科学では厳密な実験が不可能なので、間違った理論が横行する可能性がきわめて大きい。だがとにかく、ヨーロッパ人は間違った科学理論を立てて、それによっていかに実害が起きようとも責任を問われないのである。

 四番目は、ヨーロッパ人の思考ではその性質上、ともすれば自然や社会の人為的改造がほとんど躊躇なく行われることになる。東洋人の思考では、自然や社会の人為的改造が行われるにしても、良く考えた末、あるいはどうにも行き詰った末に、慎重に行われることになる。ヨーロッパ文明は想定外の現実はほとんど無視するから、一度改革改造して、それでも改革すべき点があればまた改造してというように、改革改造を繰り返していけば最終的に良い社会ができるはずだという考えになり、改造を繰り返すことになる。

 戦争もこの一環である。しかしどうも改造を繰り返しても一向に良い社会に至る気配がない。現代の米英の行き詰まりはそれを示している。講談社の『興亡の世界史』の最終巻のタイトルは「人類はどこに行くのか」となっている。ヨーロッパ文明によって人類は行き詰まり、理想も目標もなくなったことを示している。ヨーロッパ人的思考による人為的改造は失敗なのである。苦労して余分な資源とエネルギーを使って失敗を繰返したのである。それが世界の現状だ。人類は将来、失敗を重ねた現状世界の、その誤ったねじれやもつれをひとつひとつ解いていかなければならないだろう。

『興亡の世界史』

 五番目は、ヨーロッパ文明の科学は多数派を形成する道具になるということ。科学は単純事実と単純仮定で組み立てるので、現実を知らない人々、すなわち人生経験の少ない子供たちや若者たち、そしてその方面に詳しくない人たちには正しく見えやすい。単純仮定の偽を知らないのだから。科学的手法を用いれば事情を知らない人の支持を得やすく、政治的に有利になる。

 東洋人の知覚能力による認識は、現実を知った人々、すなわち経験と思考を重ねた壮老人たち、そしてその議題に詳しい人々には理解されるが、事情の知らない人の理解は非常に得にくくなる。ソクラテスが裁判に負けたのも、ソクラテスが東洋人式思考をしていたからだ。それはギリシアの市民には理解が難しかった。ギリシア式の弁論術は、若者たちや事情に疎い人々を味方にするためのものだったのだ。

 ギリシア式の弁論術(修辞術)を用いれば、比較的簡単に数多くの推論を作ることができると言われている。それに組織力が加担させれば、あるいは大学教授などの肩書きを利用すれば、反論の余地のない、さも真実らしい言葉の世界、すなわち科学ができあがるのである。だからヨーロッパ式思考は、他人(他民族)をだます力を持つことが可能である。それどころか自分自身もだまされてしまう魔力を秘めている。

 ところで科学的思考はこれまでも述べたように、良いにつけ悪いにつけ新技術を発明する力は確かにある。だが、その新技術が人間社会にどのような影響を及ぼすのか、あるいはその技術をどのように使えばよいのかを考える力は、ほとんどない。時間がかかるかもしれないが、それは東洋的思考を経なければ分からない。

 東洋式思考は、事実を正しく認識することはできる。しかしそれは誰にでもできることではない。また多くの場合その能力を得るには時間をかけた訓練が必要になる。また新技術の発明には不向きであり、それは不得手である。東洋式思考は、新技術の社会的影響を判定したり、新技術をどのように使うべきかを判断したりという、そういう方面のことを得意とするのである。

 繰り返しになるが、ヨーロッパ式思考は蓄積し整理すれば段々と科学となった。ヨーロッパ文明は、科学によって何もかも解決しようとしてきた。なるほど科学によっていろいろのことが分かり、いろいろのことが発明された。それはそれは加速的に拡大する性質のものであった。


産業革命・工場労働

 イギリスの産業革命(一八世紀半ば)頃から現在に至るまで、ヨーロッパは科学一点張りで、工業、農業、運輸業、建設業、情報通信業、兵器産業、金融業などすべての方面にわたって、その社会的影響や使用方法を省みることなく、しゃにむに、新技術を発明し、開発してきた。しかし本当は、その影響や使用法を診ながら行わなければならなかったのだ。

 少しずつ影響と使用方法を確認しながら時間をかけてゆとりをもって緩やかに新技術を導入しなければならなかったのだ。ヨーロッパ文明がそのようにしていれば、第二次世界大戦後は、世界はアメリカに従い、アメリカの下で、世界が統一されていたであろう。無理やり急激に新技術を導入したので、近代と現代の人類社会がゆがんだのである。急激に新技術を導入したので、イギリスもアメリカも、そして世界も限りなく不安定になるのである。世界第一の大国が、覇権主義に陥るのである。

 一九世紀から巨大戦争が起こったのも、世界人口が爆発的に増えているのも、無理やり急激に人類の社会生活を変えたからだ。人類に幸福を一刻も早くもたらすという謳い文句で、戦争をし急激に人類の生活を変えていったからだ。具眼の東洋人であれば、それは分かっているのだ。

 にもかかわらず、それを推進してきたヨーロッパ文明の欠点に染まった先進国が愚かだったのである。日本も新技術を急激に導入してきたが、それは東洋人であるにもかかわらず、ヨーロッパ式思考の欠点を見抜けず身につけたからだ。これからはゆっくりとその歪みをほぐしていかなければならない。新渡戸稲造はこの辺りまでわかっていたと思われる。

富岡製糸場

 その五つ目、「ヨーロッパでは昔からすべて綺麗な物、貴重な物は、東から来るようにいわれている。いまでもそうである。たとえば、指環などのダイヤモンド、ルビーなども、オリエンタルといっている。現に一つの熟語になっていて、同じルビーを買っても、オキシデンタルというと、西からの産物という意味ではない。劣等品という意である。しかるにオリエンタルといえば、優等品という意味に使っている。これを見ても、いかに昔ヨーロッパ人が、よい物は東からという観念を抱いていたかがわかるのである」(前掲書、五九ページ)

 オキシデンタル(Occident、西洋)は劣等品という意味であり、オリエント(Orient、東洋)とは優良品ということである。今でもそうだと言う。なるほど。ところが、日本人は江戸時代の洋学者や明治時代になってから、西洋のものは優良品だと思うようになっている。今の二一世紀初頭の日本人も大多数がそうだと思う。ところが欧米諸国では、いまでもオリエントは優良品の意味だろう。幕末・明治維新以後、日本人はどうやらたいへんな勘違いをしている、それが真実のようだ。日本人は、ヨーロッパ人やアメリカ人の観察が不十分なのではあるまいか。

 漢和辞典によると、「民(ミン、たみ)」という漢字の意味は「たみ。おさめられる人々。権力をもたない大衆。また、広く、人間」とある。だから平民のことであり、英語の「ピープル(people)」にあたる言葉だと思う。そしてその解字には、「象形。ひとみのない目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわす。のち、目の見えない人のように物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意となる」とある。

 だから「民」とはもともとは「目を見えなくした奴隷」のことである。だから日本の平民は、天皇や将軍、大名の顔をまともには見てはならないことになっていた。御神体や神輿なども、まともには見てはならなかった。戦前、戦中、そして戦後まもなくまでそうだった。日本国民一般は、二十世紀半ばまでは、身分ある人々を見つめてはならなかったのである。だから、身分ある目上の人々に対する観察や批評などはしない国民だったのだ。

 また、「臣(シン、おみ)」という漢字の意味は「おみ。もと、かしこまってつかえるどれいのこと。転じて、家来」とある。そしてその解字は、「象形。臣は、下に伏せてうつむいた目を描いたもので、身をかたくこわばらせて平伏するどれい」とある。だから「臣」とは、もともとは「平伏する奴隷」のことである。目をつぶされてはいないが、やはり目上の天皇を見ないのが基本で、天皇の顔を必要以上に見てはいけないのだと思われる。だから日本の(律令制の)「大臣」も、天皇やそのため上の人を深く観察してはならないのである。

 だからやはり、日本人は目上の人を観察しない国民だったのだ。これは、中国を中心とする東アジア漢字圏に共通ことだったろう。ところが戦争に負け日本国憲法が制定されて、国民は完全に平等になり、お互いに相手を観察して理解し合える時代になったにもかかわらず、相変わらず昔の国民性が残り、日本人は相互観察が十分にできていないのだ。

 だから今だに外国人の観察も十分にできないのだ。日本人は日本人であれ、外国人であれ、深く観察する国民にならなければ、現在の一等国の地位を保てないであろう。日本が戦後一等国になれたのは、物に対する観察力が優れていたからである。日本人はもともと、人に対する観察力が欠けていた分、物に対する観察が発達していたのだと思われる。日本人は人に対する観察力を身につけなければならない。知り得た情報は少なくても、自分の知っている情報の範囲内でいいから、見えたものに対してはすべて深く観察するつもりで行くのだ。そのようにして外国人も正確に観察できる能力をもたなければ、日本人に未来はなくなるだろう。

(つづく)