「192」 論文 アメリカの日本政治研究者の紹介(2) ダニエル・オキモト 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2012年6月10日
ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。前回から、アメリカの日本政治研究者を紹介しています。今回は、スタンフォード大学教授のダニエル・オキモト(Daniel Okimoto)です。オキモトは日系二世の政治学者で、日本の東大にも留学経験があります。民主党のビル・ブラッドレー(Bill Bradley)元上院議員の人脈につながります。ビル・ブラッドレーと日本側で関係が深かったのは、椎名素夫です。二人はプリンストン大学の同級生です。また、スタンフォード大学関係でジョン・ルース駐日大使と鳩山由紀夫元首相とも関係があります。それでは拙文をお読みくださいませ。
ビル・ブラッドレー 椎名素夫
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関係重視型国家(Relational State):ダニエル・オキモト(Daniel Okimoto)―西海岸・スタンフォード大学人脈の中心にいるダニエル・オキモトの日本政治研究
ダニエル・イワオ・オキモト(Daniel Iwao Okimoto)も重要な日本政治研究者である。彼は時々日本の新聞にも寄稿しているので名前を知っている人もいるだろう。日系人で日本政治の世界で有名になった人たちはいるが、その代表例はこのオキモトだ。「日本政治や日本のことを研究するのに日系人は有利だから、研究者の数も多いだろう」と多くの人たちは考えるだろう。しかし、思っているほどには日系人の日本研究者は少ない。日系人だから有利ということはない。日系人にとって日本は「外国」だ。また、日系人は日本に対して複雑な感情を持つ。そんなところまで含めて、オキモトの人生や業績を見ていくのは興味深いものとなる。
ダニエル・オキモト
●日系社会のエリート
オキモトの名前は、日本語では、ダニエル・巌・沖本と書くのだそうだ。ダニエル・オキモトは、一九四二年カリフォルニア州サンタアナで生まれた。サンタアナはロサンゼルス中心部から高速道路で三〇分ほどの距離にある。両親は日系一世(父は牧師)で、日系人の強制収容所に送られる途中の集結センターでオキモトは誕生した。オキモトは幼い時期に強制収容を経験していることになる。
オキモトは高校を首席で卒業し、日系人社会からの奨学金を得て、一九六〇年に名門プリンストン大学に進学し、一九六五年に優秀な成績で卒業した。その後、ハーバード大学大学院に進学し、一九六七年に東アジア研究で修士号を取得した。一九六八年から一九七〇年まで東京大学大学院に国際関係論の研究生として留学している。ほとんど同時期の一九六七年から一九七一年までアメリカでも指折りの有名シンクタンクであるランド研究所のコンサルタントを務めた。一九七七年にミシガン大学から政治学博士号取得後、一九七七年からスタンフォード大学政治学部で教鞭を執っている。
オキモトは大学教授以外でも、政府系の日本開発銀行(現在の日本政策投資銀行)の顧問を務めたこともある。現在、ダン・オキモト・コンサルティングの会長兼CEOとして活動し、またメジャーリーグ球団のサンディエゴ・パドレスの役員に名を連ねている。象牙の塔に籠り、学者然としたタイプの人物ではないようだ。二〇〇七年には春の叙勲で、旭日中綬章も受章している。このとき、二〇〇七年には春の叙勲で、旭日大綬章を受章したのはノーマン・ヨシオ・ミネタ(峰田)元米運輸長官だった。ノーマン・ミネタは、アメリカ西海岸の日系人の政治エリートである。二〇〇〇年から二〇〇一年までクリントン政権で商務長官、二〇〇一年から二〇〇六年までブッシュ政権で運輸長官を務めた。また、一九七一年からはカリフォルニア州サンノゼ市長、一九七四年からは連邦下院議員(民主党)を務めた。ミネタは二〇〇一年九月一一日の同時多発テロでは、運輸長官として対処し、その後の人種による空港の安全検査に差をつけることに反対したことで有名である。
オキモト(左)とミネタ(右)
アメリカ国内で日系人が政治の舞台で活躍しているのはハワイ州とカリフォルニア州である。この2州から日系人の連邦上院議員、下院議員、州知事などが誕生している。日系人の政治家と言えば、民主党の重鎮ダニエル・イノウエ連邦上院議員(ハワイ州選出)が有名である。カリフォルニア州で言えば、サンフランシスコ周辺のカリフォルニア州北部も日系人の政治ネットワークがある。ノーマン・ミネタとダニエル・オキモトはこのネットワークの中心人物である。
●日系人の複雑な心情を著作として発表
オキモトは日系人という出自に悩んだ時期もあるようだ。彼は、一九七一年にアメリカでAmerican in Disguise: A Nisei’s Search for Identityという本を出版した。この本は、一九八四年に日本語に翻訳され、『仮面のアメリカ人:日系二世の精神遍歴』(山岡清二訳、サイマル出版会、一九八四年)として出版された。日系人はアメリカのマイノリティの中でも「成功した」マイノリティであると言われている。人種・民族別の平均所得を見れば、ユダヤ系に次いで第二位であり、アメリカ社会の中で活躍している人たちも多い。日本でも時々、アメリカの日系人の活躍が報道されることがある。
しかし、日系人たちは長年、「ガラスの天井(glass ceiling)」に苦しんできた。「ガラスの天井」というのはアメリカの人種研究で良く使われる言葉である。天井がガラスで覆われていたら、空につながっているような錯覚を覚えるが実際にはガラスに遮られ、空に向かって飛び出すことはできない。このように、眼には見えない人種差別や慣習のせいで、マイノリティたちは、ある程度のところで出世や昇進が止まってしまうことを「ガラスの天井」と言う。日系人たちは能力の高さや勤勉さで社会的に上昇していくが、白人が到達できるところまではいけないことが多かった。今ではだいぶなくなってきているが、今でも厳然と「ガラスの天井」は存在している。
若き日のオキモトにとって、日系人であることとアメリカ人として教育を受けることが対立し、その分裂に苦しんでいた。そのことを書いている部分を『仮面のアメリカ人』から以下に引用したい。
(引用はじめ)
ときに私は自分のなかの日本人性≠呪い、自分が文化的雑種になっていることをうらんだが、別の機会には、日系アメリカ人社会の一員であることが幸せだと思うこともあった。そしてそんな場合には、私をそのままの姿で、つまり日系アメリカ人二世として受け入れてくれない白人たちに、激しい怒りを覚えるのだった。
ある時には、自己にたいするあわれみと怒りとから、私は人種偏見の証拠を捜し出し、自分が不当に犠牲にされていることを確認しようと努めた。しかしそんなときには幸運にも、私にも信頼できる白人の友人たちが、冷静なもののみかたを回復してくれたり、狭い被害者意識の泥沼に深入りするのを、防いでくれたりすることが少なくなかった。(132ページ)
(引用終わり)
オキモトはプリンストン大学の学生時代に自分が何者かと問われたことがあった。「東洋人から見たプリンストン大学」というテーマで話をして欲しいと副学長に頼まれたのだ。彼は、自分が東洋人でも日本人でもないので、そのテーマでは話ができないと答えた。副学長は、彼にそれでは君は何者かと問われ、「仮面をかぶったアメリカ人」(144ページ)と答えた。オキモトはまたベトナム戦争に対して反戦運動に参加している。その中で、大きな無力感に苛まれ、進学したハーバード大学大学院を中退し、東京大学に三年間留学する道を選んだ。この経験はアメリカでも最高の知的エリートの道を歩んでいたオキモトにとっては挫折であったが、日本で生活することで、日本を客観的に分析することができるようになったと思われる。それがその後の彼の研究につながったと言えるだろう。
日系アメリカ人は、マイノリティとして、アメリカ社会において「成功」したと言えるだろう。マイノリティ別の平均所得では、ユダヤ系に続き第二位となっている。しかし、日系人は静かで、自己主張をせず、何でも「仕方がない(It can’t be helped)」と受け入れてきた。日系人収容に関しては補償を求める運動を起こし、その成果として一九八二年にレーガン大統領が謝罪と補償を行った。しかし、基本的には「乗っている船を揺らさない」ことが日系人にとって良いことであった。オキモトは、『仮面のアメリカ人』の中で、「おとなしくて、優秀」だと見られていた日系アメリカ人の内面の苦悩を赤裸々に描き出している。
●「日本株式会社」研究
ダニエル・オキモトの日本政治研究の主著は、『通産省とハイテク産業』(渡辺敏訳、サイマル出版会、1991年)だ。原題は、Between MITI and the Marketという。原題は、直訳すると、「通産省と市場の間」という分かりにくいものである。しかし、これは、チャルマーズ・ジョンソンが対比させた日本(計画合理性国家plan-rational state)とアメリカ(市場合理性国家 market-rational state)の間にあるのが日本の本当の姿である、という主張が込められている。官僚による指令経済でもなく、また完全自由経済でもなく、単純な二つのモデルとは異なるのが日本だというのである。
『通産省とハイテク産業』の中で、オキモト教授は、日本が、通産省とジェトロ、企業がネットワークとして結びついて、産業を発展させてきたことを検証している。オキモト教授の業績は、日本政治を分析する上で、「発展志向型国家」=官僚主導モデル(ストロング・ステイト・モデル)に代わる、新しいジャパン・インク(政官財のネットワークによる日本株式会社モデル)モデルの実証的研究となった。
ちなみに日本株式会社モデルは二つの意味で使われる。日本政治の分析モデルには、それぞれ、官僚主導モデル(ストロング・ステイト・モデル)、政治主導モデル(ストロング・ソシエタル・モデル)、日本株式会社モデル(政官財連携モデル)がある。このうち、官僚主導モデルも日本株式会社モデルと呼ばれることがある。通産省を頂点とするヒエラルキーがあり、日本が強力な上意下達機関であるということで、日本株式会社論と呼ばれる。しかし、学術的には、政官財のネットワークの方を日本株式会社モデルと呼んでいる。
チャルマーズ・ジョンソンは、研究の中で、通産省を「産業政策を立案する参謀本部」として捉えている。ここからの作戦指令を受けて民間企業が一糸乱れぬ行動をとる。ここでの作戦指令が産業政策である。これがジョンソンの発展志向型国家(Developmental State)である。オキモトは、このモデルは現実的ではないとし、「関係重視型国家(Relational State)」という概念を提唱する。この概念について、『通産省とハイテク産業』から以下に引用する。
(引用はじめ)
もし産業界の積極的な協力がなければ、日本という国家はこれほど強力でも効率的でもないだろう。したがって日本に強力な″痩ニというレッテルを張る代わりに、社会的∞関係重視型(Relational)=Aまたはネットワーク的≠ネ国家と呼ぶ方が、おそらく張るかに正確だろう。この国ではその強さが、公共利益と民間利益とを収斂し、この両部門を結び付ける広範なネットワークに由来しているのである。(214ページ)
(引用終わり)
オキモトは、日本の経済発展は、公的部門である政府、通産省、目的に最短距離で到達するための計画(産業政策)があったことは認めている。しかし、その制定過程は、通産省と経済界、業界団体、系列、そして政治家(自民党)がネットワークを作り、共同して産業政策を作り上げたと主張している。『通産省とハイテク産業』からもう一箇所引用する。
(引用はじめ)
公共部門と民間部門とが合意を遂げて共通の目的達成をめざして協力できる能力こそ、産業政策を政治の闇打ちから守る日本の能力にとって重要な防衛策の一つである。日本の制度的な構造が国家に与えた利点は、市場の諸力を形成し、必要な場合には選択的に介入し、そのあとはすぐ撤退する窓口として役立つ参入経路を持ったネットワークである。このネットワークが、つねに拡大しようとする行政機構と政府の役割という断続的な脅威≠フ厄災を防いでいる。
もちろん日本経済の爆発的な成長は、公共部門と民間部門との力のバランスを民間部門との力のバランスを民間部門の方へと大きく傾かせ、産業政策の立案過程を複雑化してきた。世界第二の経済大国としての日本の出現とともに国際的な圧力もますます高まり、産業政策の国内志向体制を変えるよう日本に強要している。こうした情勢の展開は、官僚と政治家との間の関係についてはいうまでもないが、官僚と実業家との関係をも変化させてきたのである。(259ページ)
(引用終わり)
チャルマーズ・ジョンソンが主張した「発展志向型国家」は他国、特にアジア諸国の経済成長を分析する際にも使われるほどの概念、モデルとなった。それに対して、これが現実的ではないというのが、日本株式会社モデルである。オキモトの問題意識は、日本がイメージされているよりもずっと政府の経済に占める割合が低く、また「全能」でもない、という点であった。そして、彼は日本の観察を通じて、政府は、民間の系列構造、株式の持ち合い、銀行と企業の密接な関係などを利用して市場に影響を与えていることを「発見」したのである。
●アメリカ西部の名門スタンフォード大学
スタンフォード大学
オキモトが教授(現在は名誉教授)をしているスタンフォード大学は日本政治にも深くかかわっている。スタンフォード大学(Stanford University)は、アメリカを代表する名門私立大学です。アメリカの西海岸、カリフォルニア州のサンフランシスコから約60キロ離れたパロ・アルトという美しい町にある。このパロ・アルトのあたりは、コンピュータ産業のメッカ、シリコン・ヴァレーの中心地だ。スタンフォード大学は、多くの学者、有名人を輩出している。ブッシュ政権で国務長官を務めた、コンドリーザ・ライスは、ブッシュ政権入りする前、政治学部で、国際関係論の教授を務め、退任後、教授職に復帰している。彼女の専門はロシア政治だ。
また、スタンフォード大学には、フーヴァー戦争・革命・平和研究所(Hoover Institution on War, Revolution and Peace)という研究所がある。この研究所は、スタンフォード大学の卒業生のハーバード・フーヴァー大統領が創設した。様々な学問分野の著名な学者が過去に在籍、もしくは今も在籍している。ノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンが在籍していた。また、民主化論のセーモア・マーティン・リプセット(故人)が在籍していた。
サンフランシスコ近郊には、もう一つ、カリフォルニア大学バークレー校がある。こちらはカリフォルニア州が運営している公立大学だ。日本ではUCLA(University of California, Los Angeles、カリフォルニア大学ロサンゼルス校)が有名だが、UCバークリーは、カリフォルニア大学の本校であり、「格」はこちらの方が高い。スタンフォード大学とは近隣にあるライバルという位置づけである。これを英語ではcross-town rivalry(ルビ:クロスタウン・ライバリー)という。
ここで少し脱線して、カリフォルニア州の公立大学制度について書いておきたい。全米の他の州でもそうだが、カリフォルニア州にも州立大学がある。そして、カリフォルニア州のような大きな州になると、2つの種類の州立大学がある。カリフォルニア州では、カリフォルニア大学系(University of California、UC、ユーシー系)とカリフォルニア州立大学系(California State University、CSUもしくはCalState、カルステ系)という、2つの系列がある。
ロサンゼルスには、それぞれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)とカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(CSULA)が存在する。この2つの系列の違いは、大雑把に述べると、UCの方が、伝統があり、入るのが難しい。CSUは出願したら、ほとんど全員が入学できるという点だ。以前に民主党のある議員の学歴詐称問題が起きた。そのとき、大学の正門前に群がる日本のマスコミがロサンゼルスで話題になった。そのとき、私がUC系を卒業したアメリカ人の友人に「日本ではUCとCSUの区別がちゃんとしていないんだ」という話をしたら、「それは君の周りにだけでもしっかり伝えて欲しい。まったく違うから(totally different)」と真顔で言われました。側には、CSU系出身の学生もいたが、何も言い返せない様子だったことは印象深い思い出だ。
日本をはじめとするアジア各国(中国、韓国など)は、学歴社会であり、子供たちは受験地獄に苦しんでいる。また、私たち大人も試験勉強では散々嫌な思いをしてきた。そして、日本では、大学受験が終われば、それまでの猛勉強の反動で大学時代は遊び呆けると言われてきた。一方、アメリカでは学歴などはそんなに関係ない、卒業するのが難しいので卒業することの方がずっと大事だ、などと言われる。
しかし、それは事実ではない。アメリカにおいても「どこの大学(院)を出たか」が大事なのだ。そして、同じ大学、もしくは、ライバル関係にある大学、同じスポーツリーグに所属する大学、日本でも有名なアイヴィー・リーグ(Ivy League)卒業生同士という関係は重要だ。共通の話題がある、ということが大変大事なのだ。スタンフォード大学で言えば、ライバル校は、カリフォルニア大学バークレー校であり、スポーツリーグは、パシフィック・テン(Pacific Ten、Pac10)に所属している。Pac10には、ワシントン州のワシントン大学、UCLA、南カリフォルニア大学(University of Southern California、USC)など、日本研究が盛んな大学が所属している。
●ジョン・ルース駐日大使就任に関わったダニエル・オキモト
話を元に戻す。米民主党サイドのスタンフォード大学の対日人脈・ネットワークの中心にいるのがオキモト教授だ。ジョン・ルースの駐日大使就任時、ルース氏本人から相談を受けた人物として、2009年5月30日付の産経新聞の「グローバルインタビュー」というシリーズの一環で、インタビューを受けている。
ジョン・ルース
インタビューの中で、インタビューの中で、オキモト教授は、重要なことを話している。産経新聞の記事から引用する。
(引用はじめ)
――駐日大使ポストに関しルース氏と話し合ったか
「そうだ。彼とは25年以上にわたる付き合いで、多くのことについて話してきた。われわれは(駐日大使の)地位に就くプラスマイナスについて話し合った」
(中略)
――ハーバード大のジョセフ・ナイ教授が当初有力をみられていた
「ナイ教授は経験豊富で、政府の役職にも就いてきた。日本やアジアでもよく知られている。指名されるのも理にかなっているといえるのかもしれない。ただ私が知る限り、オバマ大統領はナイ教授と付き合いは深くない。お互いをよく知っているとは思わない」
――オバマ大統領とルース氏が初めて会ったのは2005年と最近だが
「付き合いは短いものの、価値観を共有していたので、信頼関係を構築するのにそんなに時間はかからなかった。選挙戦で多くの課題に直面していくなかで、関係も深くなったといえるのではないか。
選挙期間中、ルース氏は資金調達だけでなく他の分野でも貢献した。彼は選対技術委員会の一員として、しばしばオバマ氏とも選挙戦略その他についても話し合った。彼は単なるマネーマシンではない。幅広く選挙戦にかかわった」
(中略)
――日米関係は在日米軍再編や北朝鮮の核開発・拉致問題など困難な課題を抱える。ルース氏と日本の情勢について話し合ったか
「すでに(日本関係の)いくつかの会合を開いた。今後スタンフォードで彼のためにセミナーを開こうと思っている。日本に関する書物や新聞記事もすでに渡してある。日本の歴史、文化、社会などを知らないのは不利ではあるが、スタンフォード大で優秀な学生だった彼は学ぶのも早い。彼は学ぶのをやめてしまったり、専門以外のことへの興味を失っているような人ではない」
――日本の政界との接点はどうつくっていくか
「彼は日本の指導者とも積極的につきあっていくだろう。オバマ氏のことをよく知っているのは強みだ。麻生太郎首相はスタンフォードで学び、民主党の鳩山由紀夫代表もスタンフォードで学び、博士課程を修了した。ルース氏は強力なスタンフォードのネットワークを持っている。
彼は政治家ではない。見た目圧倒させるような人物ではないが、日本人はだんだんと彼の知性、誠実さ、そして信頼できる人物であることがわかってくるのではないか」
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090530/amr0905301800009-c.htm
(引用終わり)
オキモト教授は、二五年来の友人である、ジョン・ルース氏が駐日大使になるにあたり、ルース氏から相談を受けたとはっきり述べている。そして、スタンフォード大卒であることが、ルース氏が駐日大使になるにあたり、重要なファクターであったことを示唆している。オキモト教授はルース氏とだけ話したのではなく、民主党上層部や政府関係者とも話している可能性もある。米民主党の重鎮の中にはダニエル・イノウエ連邦上院議員(ハワイ州選出)やノーマン・ミネタ元運輸長官といった日系人たちがいる。年齢は違うが、それぞれ日系アメリカ人「二世」である。ノーマン・ミネタはオキモトと同時に叙勲を受けている。彼らは、西海岸・日系人・民主党政治人脈を形成している。
ルース大使着任時、政権交代を果たした鳩山由紀夫氏が首相であった。そして鳩山氏率いる民主党に政権与党の座を明け渡してしまったのが麻生太郎氏だった。二人の共通点は名門の出であるということと、共にスタンフォード大学に留学経験を持つということだ。麻生氏は途中でロンドン大学に転校しているが、鳩山氏は東大卒業後、スタンフォード大学大学院に留学し、博士号を取得している。2009年の段階で日本の総理であった二人がスタンフォード大学留学経験を持つということで、オキモト氏の存在は重要であったし、ルース氏が駐日大使となったのも、学閥という観点からうなづけることである。
鳩山とルース
産経新聞は、2009年8月30日の総選挙後、再び、オキモト教授にインタビューをして、総選挙の結果について質問している。2009年9月5日付産経新聞から引用する。
(引用はじめ)
――民主党は「対等な日米関係」の確立などを訴えてきた。日米関係はどのように変わるか
「自民党政権であれ、民主党政権であれ、日米同盟が米国のアジア政策におけるコーナーストーン(礎石)であることに変わりない。もちろん米国の指導層の一部には鳩山由紀夫代表がニューヨーク・タイムズ紙(電子版)に寄稿した論文や、選挙戦で掲げた『対等な日米同盟』などの表現に対する懸念はある。ただ、この数週間鳩山代表らは日米関係の重要性を再確認しているように思える。
オバマ政権としては、今回の歴史的な選挙結果を前向きに受け止め、引き続き強固な日米関係の維持に努めるだろう。民主党が政権の座についてから、どのような政策を打ち出していくか辛抱強くみつめることになると思う」
――ブッシュ前政権は、インド洋での自衛隊の給油活動継続などをめぐって、民主党との関係は良好ではなかった。オバマ政権は「民主党政権」への準備はできているか
「オバマ政権とブッシュ前政権は大きく異なる。オバマ大統領は『チェンジ(変革)』を掲げて当選した。同様に変革を打ち出して誕生した民主党政権を受け入れやすいといえる。両政権は信頼関係を構築するために話し合いを始めることになるが、クリーン・テクノロジー、世界的な景気後退からの回復など重要分野で協力しあうことになるだろう」
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090905/amr0909050801001-n1.htm
(引用終わり)
オキモト教授は、日本の専門家としての立場から、日本に対して不安を述べるのではなく、アメリカが忍耐強く見守り、協力関係を築いていくだろう、と述べている。そして、協力関係は、クリーン・テクノロジーや不景気からの回復になるだろう、とオキモト教授は述べている。アメリカ大統領と直接話せる、駐日大使、その後ろにいてバックアップする日本専門家、そして、当時の日本の総理大臣が全員、スタンフォード大学の関係者であることは注目に値する。
また、オキモト教授が述べているように、クリーン・テクノロジーはオバマ政権の景気回復策の中心的な柱となるものだった。また、日米の間で、「グリーン・アライアンス」構想や沖縄を「グリーン・テクノロジーのショーケースにする」というアイディアが日米の安全保障関係者たちから出されている。
アメリカの駐日大使が長く空席で、なかなか決まらず、有力候補だったハーバード大学のジョセフ・ナイも来ないまま、結局、ルース氏が駐日大使になった。この時、ルース氏が日本では無名の弁護士、ということで日本側に落胆が広がった。日本は軽視されている、と多くの人々は考えた。しかし、ルースはオバマ大統領の選挙資金集めで大変な功績があった。このことは彼が幅広い人脈を各界に持っていることを示している。
特に2009年は政権交代の可能性が高まった時期であり、民主党麻生、鳩山両元首相のことをよく研究し、かつ、民主党が政権を取るかもしれない、という可能性まで加味した人事であったと私は考える。そして、スタンフォード大学卒、シリコン・ヴァレーの弁護士、ルース氏が選ばれたのだ。ルース氏の駐日大使就任にはオキモトも関わっていた。オキモトは日本政治にとって重要な人物であり、これからもあり続けるだろう。
(終わり)