「234」 翻訳 習近平の人脈についての論文をご紹介します(3) 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2014年5月16日

◆王岐山:習近平の長年の親友であり、最も能力の高い政治的同盟者

 習近平と王岐山との間の緊密な関係は、第18期中国共産党大会以降の習近平の権力掌握と新しい政策実行において最も重要な要素である。習近平と王岐山が最初にあった時期ははっきりしないが、中国語のメディアによると、習近平と王岐山は、40年以上前に、陝西省延安の近隣地方に下放された時には既に友人同士であったと言われている。(37)延安を拠点に活動している作家シャン・シーミンが2002年に習近平に対して行ったインタビューによると、習近平が下放されてすぐの時期に北京へ戻ることがあったが、この時、王岐山が住んでいた村に立ち寄り、一晩、同じベッドで同じ毛布をかぶって一緒に寝たということだ。(38)陝西省に住んでいた時期、習近平と王岐山は経済学や社会科学の本を貸し借りしていた。(39)

 王岐山の一族は山西省(音は似ているが陝西省ではない)の出身であり、王岐山自身は、1948年に山東省青島で知識人の家族に生まれた。(40)王岐山の父は中国屈指の清華大学の卒業生で、土木工学を専攻していた。そして、1950年代半ばから国務院建設部で技師として働き始めた。王岐山は三十五高校に入学した。この高校は多くの中国共産党の最高指導者を輩出したことで知られる名門校である。例えば、中国共産党中央政治局元常務委員の宋平(Song Ping、1917年〜、そうへい)と中国共産党中央政治局元委員で北京市党委書記を務めた李錫銘(Li Ximin、1926〜2008年、りしゃくめい)がこの高校の出身者である。1969年、王岐山は陝西省延安に下放された。この年、習近平もまた陝西省延安に下放された。延安で農夫をしている時、王岐山は後に妻となる姚明珊に恋をした。姚明珊も北京から下放されていた。彼女は姚依林の娘であった。(41)姚依林は1966年から1973年まで失脚していたが、その後、国務院常務副総理となり、中国共産党中央政治局常務委員にもなった。

姚依林

 王岐山は陝西省で10年を過ごした。最初は農夫であったが、後に西安市にある陝西省博物館の助手となった。そして、西安市にある北西大学歴史学部に入学した。卒業後、陝西省博物館に研究員として戻り、その後、最終的に北京に戻った。1979年、王岐山は中国社会科学院の近代歴史研究所で働き始めた。この当時、中国社会科学院は太子党の人々にとって魅力的な場所であった。近代歴史研究所だけでも、陳毅(Chen Yi、1901〜1972年、ちんき)中華人民共和国元帥の息子、賀龍(He Long、1896〜1968年、がりゅう)中華人民共和国元帥の娘、董必武(Dong Biwu’、1886〜1975年、とうひつぶ)中華人民共和国国家主席代理の義理の娘が研究員として在籍していた。(42)

 王岐山は中国社会科学院に勤務していた3年間、中国で復活しつつあった知識人サークルの中に多くの友人を作った。王岐山は研究の関心を歴史から経済学に移した。王岐山とその他の3名の若い学者たち(翁永曦、黄江南、朱嘉明)は、20代後半から30代はじめであった。彼らは、包括的な経済改革に関するある報告書を書き上げ発表した。彼らは、社会主義経済における継続的な物資の不足について調査し、分析した。このテーマは、以前であれば、触れてはならない、タブーであった。(43)この報告書は、経済政策に関わる最高指導者たちに提出された。趙紫陽、陳雲、姚依林といった人々はこの報告書に対して肯定的なコメントを寄せた。趙紫陽国務院総理は、彼らの報告書について報告させるために彼ら4名を円卓会議に招聘した。

趙紫陽

 こうした驚くべき活動のお蔭で、王岐山と3名の若手経済学者たちは、「改革四君子(the Four Gentlemen of the Reform Proposal)」というあだ名を奉られた。(44)王岐山は1980年の夏のほぼ全期間を広東省で過ごした。彼は広東省政府から招待を受け、広東省が進めていた経済改革に協力した。この広東省の経済改革は、中国の改革開放のモデルとなった。この仕事の一環として、王岐山は、広東省長であった習仲勲を含む幹部たちに説明を行った。(45)

 それから20年、王岐山は経済分野で働いてきた。特に農業と金融分野の発展に貢献した。王岐山は、中国農村信託投資公司(China Rural Trust and Investment Corporation)総経理、中国人民銀行(People’s Bank of China)副総裁、中国人民建設銀行(China Construction Bank)行長を歴任した。王岐山は国内、国外で、金融に関する専門知識と経験を持つ政治家であるという評価を得た。

 王岐山は中国国内では、「消防士長・救火臥長(chief of the fire brigade)」というあだ名で知られた。中国国内で人々から消防士長という素晴らしい評価を得ていたことを知っていたので、当時のアメリカの財務長官であったティモシー・ガイトナー(Timothy Geithner、1961年〜)は、2011年に王岐山がアメリカを訪問した時、ニューヨーク市消防局の本物の帽子をプレゼントした。(46)中国の人々は、王岐山を緊急事態や危機が起きた時に能力を発揮する、信用できる指導者であると考えてきた。中国指導者層の中で、国家的な規模の厳しい状況で「頼れる人(go-to guy)」であると考えてきた。王岐山は1998年に広東省の常務副省長に任命された。1997年に発生したアジア通貨危機によって、広東省の巨大な金融機関の破綻が発生し、王岐山はこれに対処することになった。2002年には海南省党委書記に任命された。これは、海南島で10年にわたって続いた不動産バブルに対処するためであった。そして、2003年にSARS発生に対処するために北京に戻った。そして、2008年の北京オリンピック開催時には北京市長を務めた。

 2012年11月に胡錦濤から権力を継承した時、習近平には緊急の3つの課題があった。それらは、@汚職の蔓延、A薄煕来の裁判、B中国経済の減速、であった。これら3つの課題に対処することで、王岐山は習近平の政治的、政策的の目標を明確にし、新政権に対する人々の支持を高めるという役割を果たした。

 中国共産党総書記就任第一目から、習近平は、初めての記者会見で世界に向けて、蔓延する汚職によって中国共産党と中国が傷つけられていると認めた。王岐山は、新らたに中国共産党中央政治局常務委員となり、中国共産党中央規律検査委員会書記となった。この事実が示しているのは、王岐山が新たな中央政治局常務委員会の中で最も困難なそして最も重要な責務を担うことになったということであった。

 習近平と中国共産党中央政治局常務委員たちの支持を得て、王岐山は国内で大変に厳しい反汚職キャンペーンを開始した。王岐山は、新指導部は、「ハエ(flies、腐敗した下級党幹部たち)」と「虎(tigers、高級幹部たち)」の両方と戦う決心を固めていると宣言した。下級幹部たち、「ハエ」に対して、中国共産党中央規律検査委員会は公金で贅沢な食事をし、酒を飲み、煙草を購入することを全面禁止した。彼らは高額な贈り物やクラブのメンバーシップカードのたぐいのものは全て送り主に返却しなければならなくなった。同時に、中国共産党中央規律検査委員会と国務院観察部(Ministry of Supervision)は、2013年に17万2000件の汚職事件を取扱い、18万2000名の党幹部たちを捜査した。この数字はこれまでの30年間の中で、単年としては最も多い数であった。(47)最高人民検察院(Supreme People’s Procuratorate)が発表したデータによると、2013年の1月から11月までで、2万7236件の事件が捜査され、3万6907名が起訴された。(48)

 中国共産党中央委員会はまた、中国共産党中央規律検査委員会による反汚職5年計画を発表した。この計画では、法システム、国民参加、行政メカニズム、世論、インターネットを通じて、政権党である共産党内部の監督機能を強化するということになっている。(49)同時に、王岐山は省と市レベルの規律検査委員会の書記を頻繁に転勤させた。そして、有能で、信頼に足ると王岐山が考えた人々をより重要な地位に昇進させた。(50)

 高級幹部たち、「虎」に対して、1年間で国務院各部と省政府の高級幹部19名が逮捕された。その中には、4名の第18期中央委員会のメンバー(2名が中央委員、2名が中央委員候補)が含まれていた。(51)逮捕された指導者たちの多くが、石油業界のような中国において最も手ごわい特殊利益グループとつながりを持っていた。蒋?敏(Jiang Jiemin、1954年〜)は、中華人民共和国国務院国有資産監督管理委員会(State-owned Assets Supervision and Administration Commission、SASAC)の下で主要な国有企業(state-owned enterprises、SOEs)の監督を行う主任を務めた。蒋?敏もまた逮捕された。加えて、主要国有企業の経営幹部30名、そのうちの20名は最高経営責任者であったが、彼らも2013年に逮捕された。逮捕された経営者たちの業種は多岐にわたっており、エネルギー、輸送、通信、金融、鉄鋼、鉱業などであった。(52)

 反腐敗キャンペーンにおいて採用されている方法に関して、批評家の中には有効ではないと冷笑的に見ている人たちもいるだろう。それは、反腐敗キャンペーンが法システムよりも中国共産党伝統のキャンペーンのやり方に依存しているからだ。資中?(Zi Zhongyun、1930年〜)は著名な学者であり、毛沢東と周恩来の英語の通訳を務めた。資中?は最近ある論文を発表し、その中で、現在行われている反腐敗キャンペーンは汚職を効果的に防止できないと主張した。それは、中国には腐敗した役人たちが数多くいるからだけではなく、その種のキャンペーンは権力の濫用を引き起こし、法システムと出現しつつある市民社会(civil society)を傷つけるからだとも述べた。(53)資中?と彼女と同じ考えの批評家たちの懸念はもっともなことだが、中国において短期間に法システムを創設出来ることが期待できない状況で、こうした批判を行うのは不公平だと考える人たちもいる。資中?が論文の中で認めているように、反腐敗キャンペーンによって中国の役人たちの態度は既に変化を見せているというのは事実だ。また、王岐山を擁護すれば、王岐山は、「反腐敗キャンペーンは主に“症状に対処する(治症、deal with symptoms)”のである。それは、将来“根本的に治療する(治本、cure the disease)”為の時間を稼ぐためである」(54)

 十八期中央委員会三中全会では法システムの改革、特に司法の独立性の拡大を約束したことは特記すべきことだ。現在の法システムの下では、地方の裁判官と規律検査委員会の書記たちは地方の党幹部たちの命令に従うことになっている。党幹部たちは彼らの決定に対して政治的な圧力を加えるようになっている。例えば、薄煕来の支配の下では、重慶市高等法院は薄煕来の命令にほぼ完全に従った。権力の濫用と政治的な野蛮さが重慶市に溢れた。これに対して、地方の裁判所に対する最高法院による垂直的な統制が提案された。また、中央規律検査委員会による地方の規律検査委員会に対する垂直的な統制も提案されている。こうした提案は、権力濫用を防止し、法の支配を強化するための政策提案なのである。

 習近平の就任1年目で2つ目の緊急の課題となったのが、薄煕来の裁判であった。この裁判を中国のメディア、そして世界のメディアが「世紀の裁判」として注目した。(55)薄煕来のスキャンダルは1989年の天安門事件以来、最大の中国共産党の正統性に対する危機であった。そして、どのような結果になっても、党の指導部にとっては「勝利とは言えない」ものとなると予想された。薄煕来スキャンダルが明らかにしたのは、薄煕来のような中国共産党の最高指導者たち放埓なセックススキャンダル、薬物、資金洗浄、そして殺人といった逸脱した生活を送っているということであった。

王岐山は中国共産党中央政治局常務委員会において重要なポイントを握っている人物である。王岐山は薄煕来の裁判を担当していた。彼はこの課題に対して、3つの側面でうまく対処したということができる。第一に、裁判は薄煕来の汚職にだけ限定し、その他の違法な活動を審理の対象にはしなかった。第二に、裁判所はインターネットの短文投稿システムを利用して、裁判の手続きを詳しく発表した。従って、裁判の公開性に対する批判を弱めた。第三に、薄煕来に対する終身刑の判決は妥当であり、特別に厳しくもなくまた特別に甘いというものでもなかった。(56)

周永康

 薄煕来と周永康(Zhou Yongkang、1942年〜、しゅうえいこう)は太子党である。周永康は大物政治家で中国共産党中央政治局常務委員を務めた。そして現在は中国共産党中央規律検査委員会による捜査を受けている。薄煕来と周永康は共に江沢民派の重要人物であった。これら2人の獰猛な「虎」たちを手なづけたことで、習近平と王岐山は、反腐敗キャンペーンが派閥争いによって行われているのではないことを明らかにし、中国の国民から幅広い支持を得ることができたのである。

 習近平が直面した第三の課題は経済の減速であった。習近平は「中国夢(Chinese dream)」という概念を打ち出した。この概念は中国の復興(rejuvenation)と中流階級の生活スタイルを実現するというものが含まれている。習近平の新しい経済政策の最終的な目的は、第18期中国共産党中央委員会三中全会で明らかにしているように、民間部門を中国経済の「決定的な動力」とすること、中国の中流階級を幸せにすること、下流階級の人々に中流階級の生活スタイルを獲得させることである。

 第18期中国共産党中央委員会三中全会で金融改革が提案された。この提案では、外国の金融機関と中国の民間銀行との間のジョイントヴェンチャーが奨励された。この提案は市場改革を更に深化させる原動力として受け取られている。金融自由化は民間企業、特にサーヴィス分野の企業が必要としている貸し出しを増加させることにつながる。王岐山が持つ金融に関する豊富な専門知識と経験と国際的な評価は、習近平にとって必要不可欠なものである。更に言えば、王岐山の側近たちは中国の金融と経済において指導的な立場に就いている。王岐山の側近には、国務院財政部長の桜継偉(Lou Jiwei、1950年〜)、中国人民銀行総裁の周小川(Zhou Xiaochuan、1948年〜)、国務院発展研究中心(Development Research Center of the State Council)主任の李偉(Li Wei、1953年〜)、最近任命されたばかりの中国銀行行長の田国立(Tian Guoli、1960年〜)や招商銀行行長の田惠宇(Tian Huiyu、1965年〜)といった人々がいる。田惠宇は王岐山の秘書を務めた経験を持つ。これまで見てきた事実を総合すると、王岐山は習近平にとって最も有力な政治的同盟者であり、40年にわたる友情は個人や政治の分野を超えて影響力を持つのである。

Notes
37 For example, Zhang Lei, “The man who paddles at the incoming tide”,
Southern People Weekly, August 26, 2013, also
http://www.nfpeople.com/story_view.php?id=4763, accessed January 19, 2014.
38 Zheng Furen, “Wang Qishan and Xi Jinping have a close friendship”, Mirror Monthly, November 29, 2013; also
http://city.mirrorbooks.com/news/?action-viewnews-itemid-101628, accessed January 19, 2014. Zhang Siming was then the chairman of the writers’ association of Yanchuan County.
39 Zhang, “The man who paddles at the incoming tide.”
40 Guo Qing. From Yao Yilin to Wang Qishan. Hong Kong: Caida chubanshe, 2009, pp. 111–112.
41 According to the recent report published in China, Wang Qishan and Yao Mingshan knew each other in Beijing before their sent-down years in Yan’an. See Zhang Lei, “The man who paddles at the incoming tide.”
42 Zhang, “The man who paddles at the incoming tide.”
43 Wu Rujia and Lin Zijing, “Changing Roles of Wang Qishan”, Phoenix Weekly, December 5, 2013.
44 Ibid. Weng Yongxi, former deputy director of the Agricultural Policy Research Office of the CCP Central Committee, is now an entrepreneur, deputy director of the Management Committee of the Agricultural Development Fund, and a guest fellow at the Institute of International Relations at Peking University. Huang Jiangnan, former deputy director of the Foreign Trade Committee of the Henan provincial government, is now vice chairman of the U.S. Chardan China Acquisition Corp. Zhu Jiaming, former deputy director of CITIC International Studies, now teaches at the University of Vienna.
45 Wu and Lin, “Changing Roles of Wang Qishan.”
46 See http://publicintelligence.net/everybody-loves-chinese-vice-premier-wang-qishan/, accessed January 20, 2014.
47 World Journal, January 10, 2014, p. A2.
48 World Journal, January 6, 2014, p. A5.
49 The CCP Central Committee, Establish a sound system for punishing and preventing corruption: A Work Plan 2013–2017. Xinhua News Agency Website, December 25, 2013,
http://news.xinhuanet.com/politics/2013-12/25/c_118708522_5.htm, accessed January 21, 2014.
50 World Journal, January 14, 2014, p. 12.
51 Lu Junyu “A review of the 19 ‘tigers’ knocked out since the 18th Party Congress”. Xinhua News Agency Website, December 30, 2013, http://news.xinhuanet.com/legal/2013-12/30/c_125933786.htm,
accessed January 21, 2014.
52 World Journal, December 31, 2013, p. A13.
53 Zi Zhongyun, “It can hardly be optimistic on anti-corruption if there is no rule of law”. FT Chinese Online, January 15, 2014,
http://www.ftchinese.com/story/001054400, accessed January 21, 2014.
54 Wang Qishan, “The anti-corruption campaign should mainly deal with symptoms now in order to gain much-needed time to cure the disease in the future”. Caixin Website, January 25, 2013,
http://china.caixin.com/2013-01-25/100486367.html, accessed January 21, 2014.
55 For example, see Alexis Lai, “Was Bo Xilai’s Trial in China Truly Transparent?” CNN China Website, August 27, 2013, http://edition.cnn.com/2013/08/26/world/asia/china-boxilai-trial-transparency/, accessed January 21, 2014.
56 This is based on Cheng Li, “Domestic Politics: A Fiery Start.” CNN China Website, November 20, 2013; http://edition.cnn.com/2013/11/19/opinion/china-xi-reportcard/index.html, accessed January 21, 2014.

(つづく)