「235」 翻訳 習近平の人脈についての論文をご紹介します(4) 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2014年6月13日

◆陝西省組におけるその他の重要人物たち

 陝西省コネクションに連なる4名の中国共産党中央政治局委員のうち、中国共産党中央弁公庁主任(Director of the CCP General Office)の栗戦書と中国共産党組織部長(Director of the Central Organization Department)の趙楽際は習近平の側近として見られている。栗戦書と趙楽際は大変に重要な地位を占めている。また彼らは比較的若く、習近平と近い関係にあるので、2人は2017年の第19期党大会で選出される中国共産党中央政治局常務委員の有力候補だと考えられている。

栗戦書

 栗戦書は1950年に河北省平山県で共産党革命家の良心の間に生まれた。彼の大叔父は山東省の副省長と中華全国総工会(All-China Federation of Trade Unions)書記を歴任した。また、彼の一族からは多くが抗日戦争と国共内戦に参加した。栗戦書は、中国各地の省レベルで指導者としての経験を積んだ。彼が勤務したのは河北省(中国北部)、陝西省(中国北西部)、黒竜江省(中国北東部)、貴州省(中国南西部)の各省であった。1986年から1990年にかけて、栗戦書は中国共産主義青年団の河北省委員会の書記を務めた。現在、栗戦書は習近平にとっての一番のスタッフ、側近中の側近、参謀長を務めている。栗戦書は中国各地、幅広い地域で指導者として経験を積んできたが、この経験が貴重なのである。栗戦書は習近平を助けて、省レベルの指導者たちの調整を行い、必要な場合には、団派(tuanpai faction)のメンバーたちと妥協を行っている。

 習近平と栗戦書との間に友情は約30年前から始まったと言われている。習近平は、1982年から1985年にかけて河北省正定県の党委副書記と書記を務めた。同じ時期(1983〜1985年)、栗戦書も河北省無極県の党委書記を務めた。(57)正定県と無極県は共に石家荘市に属し、2つの県は地理的に大変近い。栗戦書はその後5年間陝西省に勤務した。彼は陝西省党組織部長、西安市党委書記、そして陝西省党委副書記を歴任した。
これまで挙げた事実を総合すると、習近平が第18期中国共産党大会の直前に栗戦書を一番の側近として選んだことは当然であると言えるだろう。

 習近平から見れば、趙楽際は幹部たちの任命を担当する役割を果たすことは、栗戦書の意思決定サークルにおいて実務を司ることと同じくらいに重要である。中国共産党中央組織部は、中国共産党、政府、人民解放軍、国有企業、その他重要な機関の幹部職員たちの任命を行う部署である。趙楽際の中央組織部長への任命に習近平の支持がどれほどあったのかは全く明らかではない。趙楽際はこれまで10年以上にわたり、レベルの指導者として台頭してきた人物である。いくつかの非公式な情報源によると、習仲勲と趙楽際の父親は親友関係にあったと言われている。(58)

趙楽際

 趙楽際は強力な「陝西省コネクション」を持っている。アナリストの中には、趙楽際を「陝西省組のスポークスマン」と呼んでいる。(59)趙楽際は陝西省で生まれ育ち、陝西省訛りが抜けないでいる。弟の趙樂秦(Zhao Leqin、1960年〜)もまた陝西省に20年以上勤務した。趙樂秦は、陝西省山陽県党委書記、陝西省政府輸送部副部長、漢中市長を歴任した。その後、趙楽際が陝西省党委書記に任命されて数カ月後、陝西省から甘粛省へ移動した。2013年1月、趙樂秦は甘粛省の桂林市党委書記に任命された。趙楽際と彼が率いる中央組織部がどれほど積極的にかつ慎重に習近平の側近たちをこれから需要な地位に昇進させるかをしっかりと観察していかねばならない。

  

李建国              馬凱

 李建国も馬凱も習近平の側近とは考えられていないが、両者とも太子党で、両者の父親は国務院副総理レベルの指導者を務めた。(60)李建国と馬凱もまた陝西省コネクションを持っている。李建国は陝西省党委書記を10年務め、2007年に趙楽際にその地位を譲った。それから5年間、李建国は全国人民代表者大会常務委員会副主席兼秘書長を務めた。李建国は2012年の第18期中国共産党大会で中央政治局委員に就任した。これは大きな驚きをもって迎えられた。アナリストの多くは、李建国は前任者3名と同じく、中央政治局委員の座に就くことなく引退するだろうと見ていた。習近平は李建国の陝西省での業績に賛辞を送っていた。李建国が昇進できたのもそれが理由であると考えられる。習仲勲生誕100周年の記念フォーラムの基調講演を行ったのが李建国であったという事実は特記すべきことだ。(61)他方、馬凱は陝西省とは深いつながりを持っている。彼は西安市で育ち、西安市にある党幹部の子弟たちのための小学校に通った。この小学校は、毛沢東が設立した延安党幹部子弟学校の流れをくむ学校であった。(62)

 表1で示したように、陝西省組は4名の人民解放軍上将を含んでいる。そのうちの3名は強力な中央軍事委員会の委員を務めている。国防部長の常万全は将校として28年間(1974〜2002年)、陝西省に勤務した。中国人民解放軍総参謀長の房峰輝と中国人民解放軍海軍政治委員の劉暁江は共に陝西省の出身で、房峰輝は将官として35年間(1968〜2003年)、陝西省に勤務した。人民解放軍内部の派閥構成において将官級の人々の出身地は重要な要素となってきた。中国人のアナリストの中には、常万全と房峰輝を「北西部閥(Northwest clique)」を代表する人々と呼ぶ人たちがいる。この北西部閥とその他2つの地域を基礎にした派閥である「北東部閥(Northeast clique)」と「済南閥(Jinan clique)」が人民解放軍内部に存在するのだ。(63)これら3つの派閥が「三系鼎立(a tripartite balance of military elites)」を形成している。(64)

  

常万全               房峰輝 

 中国人民解放軍総装備部長の張又侠と中国人民解放軍海軍政治委員の劉暁江は共に太子党である。張又侠の父、張宗遜(Zhang Zongxun、1908〜1998年)は習仲勲の親友であった。1940年代末の国共内戦中、張宗遜は陝甘寧辺野戦軍の副司令官を務め、習仲勲は政治委員を務めた。その後、張宗遜は統合された西北野戦軍(Northwest Field Army)の副司令官を務め、習仲勲は副政治委員を務めた。1949年に中国共産党が勝利を収めた後、習仲勲は西北軍事委員会の第一副主席に任命された。この時、張宗遜は委員を務めた。父親たちの友情は、息子の張又侠と習近平にまで拡大された。海外メディアの報道によると、張又侠は習近平にとって中央軍事委員会の中で最も親しい友人ということである。(65)

   

張又侠          劉暁江(左) 

 劉暁江の父と義父は共に習仲勲の親友であった。劉暁江の父親、劉海濱(Liu Haibing、1908〜1994年)は1949年に北西部軍管区補給部主任を務めた。この時、政治委員を務めていたのが習仲勲であった。1950年代初めに習仲勲は北京に移ったが、劉海濱はその後も長い間西安市に留まり、仕事をした。劉暁江の義父、胡耀邦(Hu Yaobang、1915〜1989年、こようほう)は中国共産党総書記を務めた。それ以前、胡耀邦は陝西省党委員会第一書記を務めた。1977年、胡耀邦は中国共産党中央組織部長を務めた。この時に胡耀邦へ課せられた最重要の任務は、習仲勲に対して行われた間違った告発と左遷を取り消すことであった。胡耀邦は習仲勲を広東省党委書記に任命した。(66)それから数年後、2人は中国共産党中央委員会中央書記処で共に働いた。1987年、胡耀邦が学生たちのデモに対してリベラルな対応をしたためにケ小平によって左遷された時、習仲勲は長年の親友を批判することを拒絶した。(67)

 劉暁江と習近平との間の関係は、親たちの友情だけで形成されたものではない。彼らは同じ時期に陝西省に下放されていた。両者が直接やり取りをするようになったのは1980年代初めで、共に人民解放軍本部に勤務していた時だった。習近平は国防部長の耿?の秘書を務め、劉暁江は、当時の人民解放軍副参謀長劉華清(Liu Huaqing、1916〜2011年、りゅうかせい)の秘書を務めていた。この時から劉暁江と習近平との間の友情関係は継続していると報道されている。(68)

 表1に掲載されている残りの4名の指導者たちの任命について習近平の意向が働いたであろうことは間違いないとところだ。海外の中国語メディアの報道によると、4名は全員習近平と個人的に深いつながりを持っているということだ。彼らが最初に習近平と関係を盛った時期を特定するのは簡単ではない。また彼らの関係形成において陝西省のコネクションがどれくらい重要であったかははっきりしないが、習近平と4名との間には深いつながりがあるのは間違いないようだ。(69)

 中国人民代表者会議常務委員会副委員長兼秘書長の王晨は1969年に下放青年の一人として北京から陝西省にやって来た。同じ時期に習近平も北京から陝西省に下放された。王晨は1973年から1974年にかけて延安地区党委員会秘書を務めた。この時期、習近平は同じ地域の農村の党委書記を務めた。習近平は、2007年から2012年にかけて中国共産党中央書記処常務書記を務めた。同じ時期、王晨は中国共産党中央対外宣伝弁公室主任を務めた。2013年、王晨は李建国の跡を受けて、全国人民代表者大会常務委員会副主席兼秘書長に就任した。李建国は中央政治局委員になった。このことが示しているのは、王晨もまた李建国と同じキャリアを進み、第19期中国共産党大会で政治局員に就任する可能性が高いということだ。

  

王晨           何毅亭

 何毅亭は習近平に補佐官として長年仕えた。そして、習近平のスピーチライター(文旦)であると見られてきた。この論稿シリーズの第二部では、何毅亭の役割と影響力について詳しく取り上げる。習近平は党総書記に就任直後、何毅亭を有力機関である中央党学校の常務副校長に任命した。

 張宝文と韓啓徳は共に非共産党員であるが、国家レベルの機関の指導者に就任した。張宝文は陝西省で生まれ、30年以上勤務した。張宝文は農業の専門家であり、アメリカのミネソタ大学で農学修士号を取得した。その後、陝西省咸陽市にある西北農林科技大学学長を長年務めた。張宝文は、中国人民政治協商会議全国委員会副秘書を5年間務め、2013年に中国全国人民代表者大会常務委員会副主席に任命された。

  

張宝文              韓啓徳

 韓啓徳は優秀な医者で、北京医科大学学長を務めた。それ以前のキャリアの前半では(1968〜1979年)、10年以上にわたり、陝西省西安市臨潼区の複数の病院で内科医として勤務した。その間に西安医科大学で修士号を取得した。韓啓徳は2006年以降、中国自然科学協会主席を務めている。そして、自然科学協会主席の立場で習近平と直接関係を持っている。韓啓徳は2008年から2013年にかけて全国人民代表者大会常務委員会副委員長を務めた。韓啓徳はこの地位を最後に公職から引退すると見られていたが、中国人民政治協商会議全国委員会に移動し、副主席となった。張宝文と韓啓徳は全国人民代表者会議常務委員会と人民政治協商会議全国委員会をそれぞれ行き来し、国家レベルの指導者としての地位にとどまった。こうした人事は最近では珍しいことで、業績のある学者から政治的指導者に転身した2人に対する習近平の好意がそこにはあると考えられる。

 この論稿では、習近平と陝西省組のメンバーとの間の家族的、個人的なつながりを注意深く追ってきた。この論稿は中国政治における出身地のつながりの重要性を明らかにした。しかし、この出身地を基礎にした政治的ネットワークは習近平の幅広い政治資源のほんの一部でしかない。次の論稿では、習近平がキャリアを通じて築き上げた、重要な政治的つながりと、権力掌握の努力における役割を分析していく。

Notes
57 Xiang, Xi Jinping’s Team, p. 204.
58 Unverified sources have stated that Zhao Leji’s father was Zhao Shoushan, who served as Shaanxi governor in the 1950s, but Zhao Shoushan, who was born in 1894, seems too old to have been Zhao Leji’s father. Zhao Shoushan’s close relationship with Xi Zhongxun, however, is well documented. Li Jingning, “Xi Zhongxun and Zhao Shoushan”, Glory World, No. 3, 2012; also see
http://news.ifeng.com/history/zhongguoxiandaishi/detail_2013_01/23/21513395_0.shtml,accessed January 21, 2014. According to another, unverified source, Zhao’s father used to be president of the Shaanxi Education Publishing House. See Xiang, Xi Jinping’s Team, p. 235.
59 Ibid., p. 230, also Yang Qingxi and Xia Fei, Provincial chiefs go to Beijing at the 18th Party Congress. New York: Mirror Books, 2010.
60 Li Jianguo is a protégé and mishu of Li Ruihuan, former chairman of the CPPCC and PSC member. Ma Kai has been seen as a protégé of Wen Jiabao.
61 See People’s Daily Online, http://www.chinanews.com/gn/2013/10-16/5384270.shtml, October 16, 2013, accessed January 21, 2014.
62 “Vice Premier Ma Kai and the Shaanxi Gang”. External reference, October 13, 2013, also http://info.51.ca/news/china/2013/10/13/313834.shtml,
January 21, 2014.
63 Mai Duo, “Xi Jinping first went to the Jinan Military Region: A tripartite balance of military elites”. Duowei News Online, January 5, 2014, http://china.dwnews.com/news/2014-01-05/59365114-all.html, accessed January 21, 2014.
64 Ibid.
65 Xiang, Xi Jinping’s Team, p. 546.
66 Xu Qingquan,“ Xi Zhongxun and Hu Yaobang”, China Newsweek, October 19, 2013,
http://news.ifeng.com/shendu/zgxwzk/detail_2013_10/19/30476138_0.shtml, accessed January 21, 2014.
67 Ibid.
68 Xiang, Xi Jinping’s Team, p. 571.
69 Jiang, “The Emergence of the Shaanxi Gang in the Chinese Leadership.”

(終わり)