「236」 翻訳 民主政治体制(デモクラシー、democracy)とその危機に関する論稿をご紹介いたします(1) 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2014年7月11日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回から4回にわたり、英誌『エコノミスト』に掲載されました、民主政治体制の危機に関する論稿を皆様にご紹介いたします。

 現在、世界的な流れとして、「民主政治体制に綻びが出ているのではないか」という意見が大きくなっていいます。この論稿は、そうした流れを受けて、民主政治体制の現状から未来の展望まで書かれています。

 日本の現状、世界の進む道を考える際の材料の一つになると思います。

==========

民主政治体制に何が起きているのか(What’s gone wrong with democracy)

民主政治体制は20世紀で最も成功を収めた政治的アイディアであった。どうしてうまくいかなくなっているのか、どうすれば再生できるのか?

 

エコノミスト誌・エッセイ(論稿)
2014年3月1日
http://www.economist.com/news/essays/21596796-democracy-was-most-successful-political-idea-20th-century-why-has-it-run-trouble-and-what-can-be-do?fsrc=scn/fb/wl/pe/es/whatsgonewrongwithdemocracy

 

 抗議運動に参加した人々は、ウクライナ政治をひっくり返した。彼らはウクライナをこうして欲しい、こうすべきだという願いを数多く持っている。彼らが掲げたプラカードには、ヨーロッパ連合(European Union、EU)とのより緊密な関係の構築、ウクライナ政治へのロシアの介入を終わらせること、そしてヴィクトール・ヤヌコヴィッチ(Viktor Yanukovych、1950年〜)大統領の国家を食い物にする腐敗政治を打倒して清潔な統治を行うことを求める言葉が書かれていた。彼らの根本的な、どうしても実現してほしい要求は、数十年間にわたり多くの人々を動かしてきた、腐敗した、抑圧的な、そして独裁的な統治に反対することであった。彼らはルールに基づいた民主政治体制(democracy)を求めている。

ウクライナのデモの様子

 彼らがどうしてそんな要求をしているのかを理解するのは簡単だ。民主国家は、非民主国家に比べて豊かで、戦争をせず、腐敗と戦う。より根源的には、民主政治体制は、民主国家は国民の発言の自由を保証し、彼らの子供たちの未来をどのようにするか彼らに決めさせる。だから、世界中の多くの人々が民主国家実現のために多くを犠牲にする覚悟を決めている。そうして民主国家という考えが更に多くの人々を魅了し続けることになるのだ。

 キエフで起きた一連の出来事によって楽観主義が生まれているが、一方で、各国の首都で繰り返されてきた困ったパターンが繰り返されてしまうのではないかという不安もまた存在する。数多くの人々は首都の大広場に集まる。政権側の依頼を受けた暴漢たちが人々を襲う。しかし、人々の決意の固さと世界中のメディアが報道していることを知り、怖気づく。世界は政権の崩壊を賞賛し、民主政治体制構築のために支援を提供する。しかし、一人の独裁者を権力の座から引きずり下ろすことは、有効に機能する民主的な政府を構築することよりもずっと簡単だ。新しい政権はよろめきながら進む。経済もうまくいかない。人々は少なくとも状況は独裁者が支配していた時と同じくらいに悪いことを認識する。これがアラブの春の大部分で起きていることであり、10年前にウクライナで起きたオレンジ革命の時に起きたことである。2004年、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチは通りを埋め尽くした人々の抗議によって権力の座を追われた。その後、ロシアからの巨額の資金援助を受けて、2010年に大統領の座に返り咲いた。2004年に彼が大統領の座を追われた後、野党側の政治家たちが権力を握ったのだが、統治がうまくいかず、人々は失望した。

 民主政治体制は厳しい時代を迎えている。独裁者たちが権力の座を追われて、独裁者に反対した人々が権力の座に就いても有効に機能する民主的な政権を構築することに失敗している。民主政治体制が確立された国々であっても、システム内部の綻びが明らかになり、政治に対する幻滅が大きくなっている。ほんの数年前には、民主政治体制が世界を支配するだろうと思われていたのに、現在はこうした状況になってしまっている。

 20世紀後半、民主政治体制は最も困難な環境の中で根付いていった。ナチズム(Nazism)によって大きく傷ついたドイツ、世界で最も貧困層の人口を抱えるインドでまず根付いていった。1990年代にはアパルトヘイト政策を廃止した南アフリカも民主国家となった。脱植民地化によってアフリカとアジアで多くの国々が新たに民主国家となっていった。独裁政治から民主政治へと移行した国々は次の通りである。ギリシア(1974年)、スペイン(1975年)、アルゼンチン(1983年)、ブラジル(1985年)、チリ(1989年)。ソ連の崩壊によって中央ヨーロッパの国々が次々と民主国家となった。アメリカのシンクタンクであるフリーダム・ハウスの調査によると、2000年までに、世界の国々の63%にあたる120カ国が民主国家となっている。

 2000年にワルシャワで民主政治体制世界フォーラムが開催され、100カ国以上から代表が出席した。このフォーラムでは宣言が出され、その一節は次のようなものであった。「人々の意思は統治の正統性の基礎である」。アメリカ国務省のあるレポートは、「権威主義的、全体主義的政府の統治実験は失敗に終わった。そして、これからは民主政治体制が勝利を収めていくことになる」と宣言した。

 このような思い上がりは理解できることだ。それはこの時期、民主政体の成功が続いていたからだ。しかし、歴史を振り返ってみても明らかなことであるが、民主政治体制の勝利は必ず起きるというものではない。民主政治体制が初めて発達したアテネが衰退した後、民主政治体制という政治モデルは啓蒙時代(the Enlightenment)になるまで2000年以上、休眠状態にあった。18世紀においては、アメリカ独立革命だけが持続的な民主政治体制を生み出した。19世紀においては、王制主義者たちは民主政体の実現を求める人々と長期にわたって戦い続けた。20世紀前半、生まれたばかりの民主政治体制がドイツ、スペイン、そしてイタリアで崩壊した。1941年の段階で、世界にはたった11の民主国家しか残っておらず、当時の米大統領フランクリン・D・ルーズヴェルト(Franklin D. Roosevelt、1882〜1945年)は「野蛮未開の闇から民主政治体制の偉大な炎を守れるかどうか」について不安に感じていた。

 20世紀末に見られた進歩は21世紀に入ると停滞している。世界の人口の約40%が今年(2014年)に自由で公正な選挙を行うことになっている。これだけの数の人々が民主政体の下に暮らしているというのは史上なかったことだ。しかし、民主政治体制の世界規模での進展は止まりつつある。そして、いくつかの国々では民主政体から非民主政体へと移行するところも出てくる可能性が高い。フリーダム・ハウスの調査によると、2013年までに8年連続で、世界の自由度は下がっているということだ。自由度の拡大は2000年頃が最高潮であった。1980年から2000年にかけて、民主政治体制の交代はほんの数件のケースしかなかった。しかし、2000年以降、民主政体の後退は数多く起きている。そして、民主政体の抱える問題は、数が示す以上に深刻になっている。多くの名前だけの民主政体は独裁政治に移行している。こうした国々は、表面的には選挙を行って民主政体のふりをしているが、民主システムが機能する上で必要な人権や機関が存在しない。

 民主政治体制に対する信念は勝利の時に一番燃え上がる。カイロやキエフでは人気のない政権が転覆された時に燃え上がった。しかし、そうした炎はまたすぐに消えてしまうのだ。西洋以外の地域では、民主政治体制は崩壊するために進むようなものなのである。そして、現在の西洋諸国では、民主政治体制とは、国内国外問わず、負債と機能不全が伴うものだという認識がなされている。民主政治田制に対しては常に批判者が存在する。しかし、現在の批判は古い批判が新しい装いをして出てきたものだ。そして、西洋においても民主政体の弱点が指摘され、民主政体の脆弱性は明らかになった。民主政体がその輝かしさを失ってしまったのはどうしてだろうか?

 その主要な理由は2つある。一つは2007年から08年にかけて発生した金融危機、もう一つは中国の台頭だ。金融危機の与えたダメージは金融的なものと同時に心理的なものであった。金融危機は西洋の政治システムの根本的な弱さを明らかにした。そして、西洋の偉大な財産の一つであるという自信が失われていった。政府は数十年にわたり、その金融機関に対する権限を徐々に強化し、債務を危険なレベルにまで持つことができるようになった。政治家たちは、好景気不景気の循環をなくし、リスクを軽減できるのだと信じるようになった。人々の多くは、政治システムに幻滅した。特に、政府が納税者の血税を金融機関の債務のために支出し、銀行家たちが巨額のボーナスを受け取り続けられるようにしたことで、彼らは政府に幻滅した。金融危機が発生したことで、ワシントン・コンセンサス(Washington Consensus)という言葉は、発展途上国の間で非難の対象となる言葉となった。

(つづく)