「0074」 論文 サイエンス=学問体系の全体像(9) 鴨川光筆 2010年2月25日

 

ジャン・ジャック・ルソー―社会民主主義思想の創始者

ルソーは「自然に帰れ」などとは一言も言っていない!

 「立法部を主権者とした代議制民主政体(representative democracy)=国民国家=ネイション・ステイト(nation state)」の思想はジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)によって完成する。

ルソー

 ルソーは、現在、さまざまな言われ方をしている。例えば、全体主義(Totalitarianism)の源流であるとか、共産主義(Communism)の創始、近代リベラルの元祖、日本における全共闘や新左翼運動のルーツといったところであろう。特に七〇年代以降、古典主義経済にアメリカが方向転換して以来、ルソーに対する論調は手厳しいものが多い。

 この左翼のルーツ的な言われ方は、ある意味で正しいのだが、ルソーの思想の本質から見たら間違っている。現在中央公論新社からルソーの『人間不平等起源論』(Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommesDiscourse on Inequality)と『社会契約論』(Du Contrat SocialThe Social Contract)が出ているが、訳者の一人、小林善彦(こばやしよしひこ)教授は、その解説の中で、正直な感想を漏らしている。

 ルソーは明治以降「自然に帰れ」と主張した思想家だとして知られているが、小林教授はルソーのこの「キャッチフレーズ」は間違いであると切って捨てている。ルソーは「自然に帰れ」などとは一度も言っていないのである。

 それどころか、ルソーは『社会契約論』の中で、むしろそのような人間の自然状態は「私の敵」である、とさえ述べている。

 「自然に帰れ」とはルソーの言葉そのものではなく、論敵であったヴォルテールによるルソー評価なのである、と小林教授は述べている。

ヴォルテール

 小林教授の主張は正しい。『社会契約論』をどのように読んでみても、ルソーは、ホッブズ、ロックから続く、自然法、自然権の近代的解釈に基づいて、近代政治思想上、正統の理論を打ち立てているとしか思えない。

 ルソーの理論は、「ネイション・ステイト」を完成させることになった。アリストテレスの「国制」=ポリティ=シティ・ステイトでは、主権が付与されていたのはシチズンまでだったが、この権利を一般民衆、農民、ピープルにまで広げた考え方が「ネイション・ステイト」なのである。

アリストテレス

 「シチズン」と言う概念を「ネイション」というものに変えた、それがルソーの真の業績である。これはブリタニカにもはっきりと書かれている。

 私が参照しているブリタニカの九三年版(クリントンに献呈されている)のポリティカル・フィロソフィー(political philosophy)の著者は、ルソーに批判的である。冒頭で「ルソーはロマンティック(romantic)である」と述べている。

 ニュートン以来、イギリス側からのサイエンス(science)=ナチュラル・フィロソフィー(natural philosophy)の立場から見ると、ヨーロッパの哲学・思想は「ロマンティック」と一括りにされているのである。このことを私鴨川は「ロマンティック・リヴォルト(romantic revolt)」の章で述べた。(「0056」 論文 「学問体系の全体像(3)」を参照のこと。こちらこちらからどうぞ)

 小林教授は翻訳の序文の中で「やはり素直に読めば、主権者たる市民による民主主義の書として読むのが正しいのではないかと思う」と告白しているが、これは全く正しい感想である。

 ルソーの『社会契約論』は日本では明治一五年、中江兆民(なかえちょうみん)の訳による『民約訳解』として知られることとなったが、兆民は苦心してさまざまな訳語を与えながらも、むしろ中江兆民のほうが、あの時代にして、深いルソー理解を示していると小林教授は述べられている。

中江兆民

 ルソーの有名な言葉、「人間は自由にうまれついていながらも、至るところで鎖につながれている」を読んだだけでも、人間は自然状態にはいないという考えをルソーが持っていたことがわかるであろう。

 ルソーの著書で有名なものには『告白』(Les ConfessionsConfessions)、『孤独な散歩者の夢想』(Rêveries du promeneur solitaireReveries of solitary walker)、『エミール』(Emile ou de l'éducationEmile, or Education)などがあるが、政治思想書としては『社会契約論』と『人間不平等起源論』が代表的である。

 ざっと著書名を挙げただけでも名の知られたものばかりが出てくるが、ルソーはこれまでの政治哲学者と違い、多作であり、一応プロのもの書きであった。五〇年代、六〇年代の日本の左翼学者に影響を与えた政治的人物としては、マルクス(Karl Marx)とニーチェ(Friedrich Nietzsche)に次ぐのではないだろうか。

  

マルクス    ニーチェ

 ルソーの思想で近代政治思想の流れを継承するのは、『社会契約論』である。ルソーの作家としてのデビュー(debutという。 デヴューなどとは発声しない)は、フランス、ディジョンのアカデミーの懸賞論文に応募して当選した『学問・芸術論』である。

 『人間不平等起源論』もその懸賞に当選した論文である。ルソーの生涯は面白いので、後に述べていこうと思う。

 ルソーの政治思想の核心―ジェネラル・ウィル「一般意思」

 「人間は自由にうまれついていながら、至るところで鎖につながれている」という言葉は、それだけを読むと、「不自由な境遇を科されている人間を解放するべきだ」という意味にとれてしまうが、本当はそうではない。

 この言葉はむしろその逆で「なぜ人間は不自由な境遇にいるのか、その起源を考察すると、社会契約に至る」という意味なのである。

 ルソーは決して自由を要求したわけではない。この言葉はロック(John Locke)、ホッブズ(Thomas Hobbs)の思想を正統に踏襲した言葉だということである。

  

ロック      ホッブズ

 なぜ人間はわざわざ自由を奪われるような「社会」を作ったのか。ルソーはこの疑問を解くために、ロックの社会契約理論を復活させたのである。社会契約理論はルソーの生きた一八世紀には、最早過去の理論となっていたのである。

 この社会契約理論をルソーは新たな言葉で呼び直した。これが「一般意思」ジェネラル・ウィル(General Will)という。ルソーのオリジナル思想であり、良くも悪くも現代の世の中に生き続けている。

 ジェネラル・ウィルとは集合的存在の意思である。これが主権者である。君主や貴族ではない、ということは、ここまで私の文章を読んできた読者の皆さんにはお分かりであろう。

 集合的存在とは民主制の構成員であり、主権者であるシチズンのことである。ここまではロックと同じである。ルソーのオリジナルの思想「ジェネラル・ウィル」は次の引用の中に要約されている。

(引用開始)

 前に確立した諸原則から生じる、第一の最も重要な結果は、一般意思のみが、公共の福祉という国家設立の目的に従って、国家の諸権力を指導しうるということである。

   なぜなら、もし多くの特殊利益の対立が社会の建設を必要としたとすれば、その建設を可能にしたのも同じ特殊利益の一致であるからである。社会的紐帯を形成するのは、この種々の利益のなかにある共通なものである。

   全ての利益が一致する何らかの点がないとすれば、いかなる社会も存続することはできない。そこで、社会が統治されるのは、ひとえにこの共同利益に基づいてである。

   したがって私はここに述べたい、主権は一般意思の行使にほかならないから、譲り渡すことはできないし、主権者は集合的存在にほかならないから、集合的存在によってしか代表されることはできない、と。権力ならいかにも譲り渡すことが出来るが、意思についてはできない。(『社会契約論』、中央公論新社、二三六ページ)

(引用終わり)

 ここにルソーの思想の本質が集約されている。「一般意思、ジェネラル・ウィル」とは、個々人の持つ善悪判断に基づいた道徳的意思、モラル・ウィル(moral will)である。

 「何だ、個人の良心か」などと言ってはいけない。これはルソーの単なる思い付き、道徳の押し売り、お説教などではない。

 「一般意思」とは、アリストテレスが『二コマコス倫理学』で述べた基本思想を、きちんと踏襲した理論なのである。

 「人は善を目指し、善を目指すのは徳のある人物である」というアリストテレスの立てた前提を、ルソーは一般意思という新しい概念を通して「個々人の徳は共通の善(コモン・グッド、common good )を目指す、と述べたのである。

 このコモン・グッドが、上記の引用部では「公共の利益」と訳されているのだ。ブリタニカによれば、「共同体の意思は、個人個人の持つ矛盾を解消してくれるものである」、としている。

 一般意思が目指す共通の善、公共の利益は後に「公共の福祉、パブリック・ウェルフェア(public welfare)」と名を変える。

 ブリタニカには、ルソーのジェネラル・ウィルは、後に似たような考え方に変質(つまり、微分されて)して「社会民主主義福祉国家(ザ・ソシアル・デモクラティック・ウェルフェア・ステイト、the social democratic welfare state)」と「全体主義独裁国家(トータリタリアン・ディクテイターシップ、totalitarian dictatorship)の基礎となった、とはっきり書かれている。

 繰り返すがブリタニカのこの章の書き手は、ルソーに批判的である。しかし、実に簡潔にルソー思想の本質が説明されている。

 ブリタニカの、政治哲学の項の著者は、英米の思想の立場で書いているようである。近代の政治思想はロックまでは認めるが、ルソーは過激である、ロマンティックであるとする見方であり、そうした見方が九〇年代の日本に輸入され、アメリカ追従型の日本保守言論の土台となったのだ。

 (著者注記 副島氏も『覇権アメ』(前掲書の省略の省略した呼び方)執筆時は、日本保守言論人の一角であった。『覇権アメ』二〇三ページにルソーのことが軽く触れられているが、そこには上記のような保守言論の痕跡が見受けられる。ただし副島氏が恐ろしいのは、ほんの五行程度の記述でしかないのにもかかわらず、ルソー理解が正確だということである。副島氏はブリタニカを参照していない。二〇〇二年には自分の思想転向を公に表明したことも、他の言論人とは一線を画した、誠実な知識人の態度であった。)

 それでもブリタニカの著者のルソー理解は正確で、日本の言論人による勝手なルソー理解を許さない。正しい理解のうえで、ルソーに批判的立場をとっているのだ。

 後で述べるが、渡部昇一氏の勝手なルソーの人物批判など、足元にも及ばない。渡部氏のルソー批判はゴシップ記事レベルであり、同じ日本人として恥ずかしいものでしかない。

社会民主制という重厚なヨーロッパの伝統

 副島氏の理論で興味深いものの一つに、「ムッソリーニ の思想の重大さ」がある。学問道場内の「今日のぼやき」の中で展開されていたものなのだが、副島氏によれば、ムッソリーニの思想こそが、ヨーロッパの近代を支える重厚な思想であるという。

ムッソリーニ

 今でもムッソリーニは、まともなイタリア人の間では慕われている、とも副島氏は述べている。これは一体何を言っているのか、私にはいまひとつ合点がいかなかった。副島氏自身もこの件についてあまり頻繁には論じていない。

 しかし私はルソーの章を読んで、副島氏の言いたいことがはっきりと解った。ヨーロッパの重厚な思想とは、社会民主制、ソーシャル・デモクラシーの伝統のことである。

 社会主義、ソーシャリズムという言葉は、さも「民主主義」の逆の概念で、旧ソ連などの共産圏諸国のことを指している、ということが喧伝されてきた。今でもしつこくそう言っているのが渡部昇一氏である。この人の政治思想オンチに関しては後に述べる。

 おそらく、ソーシャリズム思想だけで立ち上げられた国家は存在しない。共産圏の国家は社会主義という国名を使っていたが、実際には私有財産を否定し、資源の再分配を行うコミュニズムであった。ソヴィエトはソヴィエト・ユニオン(Soviet Union)と呼ばれた。

 だからコミュニズムとは本質的に市や区、村といった小さな地域レベルでしか実現できない思想なのである。

 史上初の共産主義政権は、一九世紀末のパリコミューンであり、これはフランスの最小行政区画である「コミューン(commune)」から来ている。

パリ・コミューン

 コミュニズムは社会主義とは全く異なる。財産の全てを中央(本当の主権者=行政組織=官僚)に預けてしまう思想である。これに対して、社会主義とは本来社会民主制、ソーシャル・デモクラシーであって、自然権のみを主権者に預け、共通善に向かっていく、というのが基本思想である。

 社会民主制には所有物はおろか、所有権を他の何者かに預けてしまおう、という思想は毛頭ない。これはこれまで述べてきたように、ロック、ルソーによって完成された思想である。

 話をルソーに戻すが、ルソーの主張する共通善、コモン・グッドが、後にソーシャル・ウェルフェア(social welfare)=社会福祉となったのである。私たちがこれまで見てきたように、社会民主制とはホッブズ、マキアヴェリから始まる近代政治思想の大きな流れから続く、正統な民主政治理論なのである。

 この思想を採用したヒトラー、ムッソリーニは、一九三〇年代の大恐慌にあえいでいた祖国をあっという間に救ってしまった。ファシズム(Fascism)の是非は別として、この歴史的事実は動かせない(ただし、アントニー・サットンが言うように、ナチスはロックフェラーを中心にしたニューヨーク財界からの支援によって打ち立てられた政権である、というのも事実である)。アメリカのニューディーラーズ(New Dealers)の政策も、社会民主的政策である。

 この思想は、経済学の面ではケインズ経済学と歩みを一つにするものである。この社会民主制思想を持った政党がイギリスの労働党であり、ドイツの社会民主党である。

  これに対してイギリスの保守党(今でもトーリー、Toryという)、アメリカの共和党(本当はイギリスのウィッグ=第三党の自由党であり、ロックの思想を最も体現したリベラルだが)のような、大金持ちの利益を代表した政治の伝統もある。当然経済政策は古典主義経済路線を採ることになる。

 だが、この近代民主制の正統はあくまでも社会民主制である。これまで私たちが見てきたように、そうでなければおかしいのである。

 後世の評価はどうであれ、ロックの思想を引き継いだルソーの思想が、一九世紀、二〇世紀の世界の土台を作りあげてきたといことからも納得がいくであろう。今の私たち自身が、ルソーの思想の恩恵に一人残らず預かっているのだ。

シチズンでもピープルでもない―「ネイション」の創造者

 ブリタニカには重要な記述がまだある。ルソーの考えは後に、少し変質しながらも、小さい村や都市住民による共同体=シヴィック・コミュニティー(civic community)から「巨大な主権国家」創設のために誤って導入されたものだ、という記述である。

 ブリタニカの執筆者の意見はどうあれ、ルソーの「一般意思」理論によって国民国家、ネイション・ステイト(nation state)が誕生したのは間違いない。

 私は「政治学、政治哲学」を書きながら、アリストテレスの理想とした政治制度「国制(ポリテイア」がシティ・ステイト(city state)のことだということを発見した。

 シティ・ステイトとは、都市に住む一般住民(これがシチズン、citizenである)が参加する民主制のことであることも見抜いた。これが近代になって「普通の人々=ピープル(people)」にまで主権の裾野が広げられたのがネイション・ステイトではないか、と私は考えた。

 「農民は、自分たちの権利を都市住民に預ければよい。一般人にまで主権を広げるのは、アナーキー(anarchy)になるだけだ」とアリストテレス(Aristotle)は言ったのである。

 この古代からの課題をホッブズ、ロック、ルソーは「自然権を主権者に預ければよい。主権者は君主や貴族ではなく、立法部であり、全ての人が裁判権を持つ、一般意思の現れである」と述べることによって解決したのだ。ここから民主制が社会民主制へと道を辿ったことは必然であった。

 ブリタニカによれば、ルソーは我知らずナショナリズム(nationalism)到来を告げる予言者となった、と書かれている。それもまた当然の帰結である。

 ロックとルソーは共に人間の自然状態を否定したが、ルソーはピープル(一般ピープル、普通の人)という「自然人」を「ネイション」に格上げしたのである。

 それまでは王侯貴族とシチズンまでが、人間社会を営む「政治的動物」(アリストテレスの言葉)とされてきた。都市流民=シチズンまでである。

 (著者注記 ただしこの「シチズン」や「シティ」という言葉は、もっと深く追求されなければならない。OEDにはシティの注が長々と書かれており、ルソーも『社会契約論』の中でフランス語の「シテ cite 」の意味をしつこく述べている。ルソーは「シテ=シティとは、単なる都市のことを意味するものではない」と注意を与えている。そして副島氏の言う「金持ちがシヴィリアンであり、一般人がシチズンである」という定義も、残念ながら間違いなのである。)

 完全な自然人、ピープルなどいない。男女が結婚して、子どもを授かった時点で自然ではない。そのときにはもう社会が始まり、社会契約が交わされたのだとロック、ルソーによって、自然人=ピープルはいなくなり、「ネイション」となったのである。

 完全なピープルなど、どうしてもいるわけがないのだから、これも理のあることなのだ。このことを、ルソーは『人間不平等起源論』で、様々な未開人(ホッテントットなど)を挙げて、詳しく述べている。

「連邦ヨーロッパ」という思想もルソーが源流

 ルソーは、本当は「連邦ヨーロッパ、ア・フェデラル・ヨーロッパ(a federal Europe)」を望んでいたのだ、とブリタニカにある。このフェデラル、フェデレーション(Federation)という思想も近代ヨーロッパの伝統で、私の今理解した時点では、ルソーが源流である。それは今実現しつつある。

 これに対して、アメリカの建国の思想はコンフェデレーション(Confederation)という。フェデレーションよりも緊密な国家連合である。南北戦争では、南のほうがコンフェデレーションを唱えていた。これはアメリカの建国思想からいえば正しい。ユナイテッド・ステイツ(United States)では、大雑把で意味が通らない。この国家連合に関わる思想は「国際関係学」のところで出てくるので、その時述べます。

 ルソーの思想と人物の評判の是非は別にしても、ルソーの思想がヨーロッパの各王朝の崩壊を促し、一般大衆が、政治意識と権力に目覚める契機となったことは事実である。ブリタニカはそのように結んでいる。ただしそれによって、デマゴーグと独裁者に「人民を解放する」という権力掌握への口実を与えてしまったと、添えている。

 デマというのはデマゴーグの略であり、民衆を扇動する政治家のことである。デマゴーグは民主制には付き物である、と言うことが古代ギリシャから知られている。ゲッペルスのような存在がまさにそれであり、現在のアメリカや日本のマスコミ(主に主要テレビ新聞の、計一一社である、と副島氏は述べている)は必然的に登場したデマゴーグである。

渡部昇一氏によるルソー評価のお粗末

 一九九六年から九九年ぐらいまで、日曜午前一〇時頃からテレビ東京系で渡部昇一氏は『新世紀歓談』という番組でホストを務めていた。ゲストを招いて対談するという『時事放談』のような番組であった。東日本ハウスという住宅会社が、全面的にスポンサードを行っていた。

 私は、渡部氏の歯に衣着せぬ左翼攻撃が好きでよく見ていた。渡部氏のはっきりした物言いが、九〇年代当時には斬新で、私は実に胸のすく思いで見ていた。この時期、渡部氏が好きだった人はかなりいたであろう。

 渡部氏のマルクス嫌いは有名で、この番組でも例に漏れず共産主義、左翼学生運動批判(八〇年代には完全消滅したに等しかったが)を行っていた。

 確かに九〇年代中ごろまでは日本の新聞テレビの論調は、かつての左翼よりのトーンが強く、渡部氏の主張は、冷戦崩壊後の世界情勢を反映しているかのようには見えた。

 しかし渡辺氏は、専門の英語文法史はともかく、政治、政治思想に関しては全くのオンチ、ド素人である。

 その一端は、渡部氏のルソー批判によく見て取れる。この番組の中の渡部氏のルソー批判は実に印象に残っている。ブリタニカにも、先述の小林教授の解説の中にもあるが、ルソーは現代では全体主義の源流であるとみなす向きがある。

 渡部氏のルソー批判も、彼の保守論客、日米同盟重視の立場からは、当然といえば当然のものだったかもしれない。

 しかし渡部氏が批判していたのは、決してルソーの思想ではなかった。ルソーは後年、全体主義の源流だと見なされ、確かにそうだといえないことはない。最終的にヒトラーを生み出したことは事実であろう。

 渡辺氏は、ルソーがアリストテレスから続く思想の流れに則った西洋の大きな学問体系の中で、正統な思想を発展させたのだ、ということを理解してはいないだろう。

 自然権を預けるという意味、一般意思、そして「ネイション・ステイト」という思想が、アリストテレスの「国制=ポリテイア=シティ・ステイト」から真っ直ぐに続くものである、ということを理解してはいないだろう。

ルソーの「いかがわしい」生い立ち

 氏が番組で批判していたのは、ルソーの生い立ちと人となりである。そしてルソーの著書『エミール』の批判であった。

 『エミール』というのはルソー流の教育理論である。私は大学の教職課程の授業の時に、課題図書として読まされた覚えがある。

 「自分にもし子供がいて、その子どもを私ならこう育てる」という内容が、文庫本で四巻に渡ってだらだらと続く長い本である。

 ルソーが後年いろいろと評判が悪いのは、『エミール』のせいである。『エミール』は一七六二年にオランダとパリで出版され、すぐさま禁書を食らい、ルソーはソルボンヌ大学神学部、パリ大司教、ジュネーヴ当局から告発され、高等法院から有罪の論告を受けてしまう。

 パリやジュネーヴで『エミール』は焚書され、ルソーは国外への逃亡を余儀なくされてしまう。『エミール』はそれほどの問題の書であった。

 『エミール』の内容はどうあれ、渡部氏は「ルソーのようなやつから、子どもの教育云々といったことを言われる筋合いはない」ということを述べていた。

 ルソーは生涯五人の子どもに「恵まれ」たのだが、酷いことに五人とも全員、養育院に預けてしまったのである。生まれたばかりの子どもを、全員すぐに捨ててしまったのである。

 さらに、ルソーが後に子どもたちに面会を求めに行った時には、五人とも全員行方不明になっていたのである。

 このことはルソーの生前からスキャンダルとして騒がれていたのだが、渡部氏はまさにこのことを取り上げて言っていたのである。

 ルソーのスキャンダルを取り上げて渡部氏は、「マルクスやニーチェだといろいろと面倒くさいが、ルソー批判なら左翼の方々も納得するので、実に便利である」ということを対談相手に向かって述べていたのを、私鴨川はよく覚えている。

丁稚で間男で音楽家でプロの物書きだったルソー

 確かにルソーの生涯は波乱万丈で、前掲書の巻末についているルソー年表を読んでいるだけで実に面白い。昔あった雑誌の「微笑」などよりも面白い。

 ジュネーヴ生まれのルソーはこれまでの思想家と違い、ほとんど学歴がなく、一二歳で時計職人のもとへ丁稚奉公に出されている。その後、ジュネーヴを脱出すると(夜遅くまで遊んでいて、ジュネーヴの門が閉まってしまい、中に入れなくなってしまったから)、ヨーロッパ諸国を死ぬまで半放浪状態となり、なぜか数々の貴婦人の愛人となっていった。

 渡部氏は要するに、「間男(まおとこ)ですな」と言い捨てていた。おそらく一八世紀フランスは、今の世の中のような立身出世志向が、一般庶民の間で現実のものとなっていたのだろう。このことはバルザックやスタンダールの小説の中に書かれている。バルザックの『幻滅』やスタンダールの『赤と黒』の主人公のモデルはおそらくルソーであろう。

 何の学歴もない、財産もないただの普通の人であったルソーが、学問芸術で成功するならば、パトロンがいなくてはならなかった。パトロンというのは愛人とほぼ同義であろう。ルソーの少し後の人であるモーツァルトも、死ぬまで就職活動をしていたのである。

 バッハなどと違い、どこかの教会や宮廷での官職の地位があったわけではない。最初のプロの職業作曲家として、常にポートフォリオと楽器を抱えて、馬車に乗ってヨーロッパ各国をめぐっていたのである。だから楽譜に書き直しのあとがないくらい作曲が早いのだ。

 ちなみにルソーの本業は楽譜写しであり、実はルソーの社会的地位は無名の作曲家だったのである。実際ルイ一五世の前で自作のオペラが上演されて、好評を博している。あの「むすんでひらいて」もルソーの作曲したものがもとである。音楽家としては成功しなかったが、六六歳という長生きであった。今で言えば九〇歳ぐらいであろう。

 ルソーの生涯は実に面白いので、私の文章を読んで下さっている読者の皆さんも、一度『告白』などを読んでみて下さい。

 しかし、ルソーの本当の評価は政治思想に下されている。渡部氏の言うような「学歴のない無責任、貧乏な間男」だったからといって(それでも二〇、二一世紀の日本人知識人、渡部氏の知的水準をはるかに上回っているであろうが)、『社会契約論』で展開された政治理論が衰えているわけではない。むしろ渡部氏を含め、現代を生きる私たち全てがルソーの思想の恩恵を受けているのである。

 ロック、ルソーの言う「自然権を主権者に預け、一般意思に従え」という思想がなければ、今の私たちはどこかで殺されているであろう。

 繰り返し言う。ルソーの思想の本質は、アリストテレスの「シティ・ステイト」を、一般人にまで広げた現代の「ネイション・ステイト」の理論的土台を作り上げたことにある。

(つづく)