「0111」 論文 政治学(Political Science)について 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2010年11月8日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。現在、「論文教室」では、副島隆彦(そえじまたかひこ)先生の仏教研究、宗教研究の最新成果をご紹介しています。副島先生の文章は1週間おきに当ウェブサイトに掲載いたします。次回は2010年11月14日を予定しております。どうぞご期待ください。

 さて、今回は私が専攻している政治学について書いた文章を掲載します。2010年10月19日に、当ウェブサイトに社会科学について書いた文章(「0106」 論文 社会科学とは何か―「法則」の発見を目指して 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2010年10月19日 論文へは、こちらからどうぞ)を掲載しました。今回はそれに続く第二弾です。

 政治学は社会科学の一分野です。社会科学には経済学、心理学、社会学、そして政治学があります。これら社会科学に含まれる学問分野は、以前に掲載した文章に書いたように、「法則の発見」を目的にしています。これは社会科学に属する学問分野なのですから、当然のことです。

 しかし、政治学が何か法則を見つけて社会に貢献したかと言われると、まだ大発見はありません。日夜、研究者たちは努力をしていますが、なかなかうまくいきません。ですが、研究者たちは、共通の研究方法(「観察」)を用いて法則を見つけようとしています。

 今回掲載する文章では、社会科学の一分野である政治学の固有の細かいポイントについて書きました。 お読みいただければ幸いです。

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「政治学(Political Science)の細かいポイントについていくつかご紹介する」 古村治彦筆

●政治学という言葉は英語ではスタディ・オブ・ガヴァメントとポリティカル・サイエンスが混在している状態

 政治学を指すポリティカル・サイエンス(Political Science)という言葉は、一九〇〇年代以降に使われ出した言葉だ。しかし、それ以外にも、政治学を指す言葉として、「スタディ・オブ・ガヴァメント(Study of Government)」が良く使われていた。ガヴァメント(government)という言葉は、日本語では「政府」、「統治」、「支配」、「政治体制」、「施政」など様々に訳される。

 政治学を指す言葉として、スタディ・オブ・ガヴァメントが今でも使われている証拠は残っている。ハーヴァード大学(Harvard University)、コーネル大学(Cornell University)、ジョージタウン大学(Georgetown University)といった伝統ある名門校では、政治学部はデパートメント(もしくはスクール)・オブ・ガヴァメント(Department/School of Government)と称している。

 ハーヴァード大学には、ジョン・F・ケネディ・スクール・オブ・ガヴァメント(John F. Kennedy School of Government ルビ:ジョン・F・ケネディ・スクール・オブ・ガヴァメント)という大学院がある。これを日本では、「ジョン・F・ケネディ行政学大学院」と呼んでいる。しかし、これは正確な訳ではない。これは正確には、「ジョン・F・ケネディ政治学大学院」と日本語では言わねばならない。なぜなら、このケネディ行政学大学院では、行政学だけではなく、政治学全般が教えられ、研究されているからだ。

 ちなみに、英語では、行政学のことを「パブリック・アドミニストレーション(Public Administration)」と言う。アメリカの大学の中には、行政学部を持つ大学があるが、それらは、デパートメント(もしくはスクール)・オブ・パブリック・アドミニストレーション(Department/School of Public Administration)と呼ばれる。私が留学した南カリフォルニア大学にも政治学部とは違う、独立した行政学部がある。そこには数年に一度、日本の中央官庁から若手官僚が留学してきていた。彼らは二年間の修士課程を修了して修士号を持って日本に帰る。たまには修士号を取得できない人もいるそうだ。

 政治学を表す言葉は、スタディ・オブ・ガヴァメントに加えて、ポリティカル・サイエンスが使われている。このデパートメント・オブ・ガヴァメントという名称が使われていることについて、『想像の共同体』の著者ベネディクト・アンダーソンは次のように書いている。

(引用はじめ)

 ひとつは、アメリカにおける政治研究の制度的な歴史だ。その紛れもない名残は、かなりの数の「政治学(ルビ:ポリティカル・サイエンス)」の学部が、まだ「政府(ルビ:ガバメント)」学部を名乗っていることである。これらの学部(ハーバードやコーネルも含まれる)の系譜は、法律(大体は「憲法」)と行政ー両者ともに統治の実際面と密接に関係しているーが融合したところに発している。(『ヤシガラ椀の外へ』、一五六ページ)

(引用終わり)

 政治学は、もともと実際の統治や政府の機構などの研究をしていたが、その対象が、選挙や政党、圧力団体などに拡大され、ポリティカル・サイエンスという言葉が広く使われるようになった。

●政治学のサブ・フィールド

 政治学と一言で言っても、その中には様々な研究分野がある。研究者一人ひとりは一国一城の主に様に細かいテーマを扱っている。しかし、政治学全体で見ると、いくつかの大きなグループ分けができる。

 政治学内の大きなグループ分け(分類)について説明する。政治学の中には五つの分野がある。その五つの分野とは、アメリカ政治(American Politics)、比較政治(Comparative Politics)、国際関係論(International Relations)、政治理論(Political Theory)、そして政治学方法論(Political Methodology)である。ちなみに私の主専攻は比較政治である。また、日本政治(Japanese Politics)や国際関係論も勉強した。

 アメリカ政治では、アメリカの政治全般を扱う。現在では、選挙分析や人種問題が主流になっている。比較政治では、外国の政治全般を扱う。日本政治研究は比較政治に分類される。国際関係では、国際的な問題を扱う。戦争や貿易摩擦などがテーマになり、現在では環境問題に注目が集まっている。政治理論では政治哲学のことで、どういう政治体制が良いのかということをあれこれ議論する。政治学方法論ではどのようにしたらより正確な研究ができるか、より良い方法について研究している。方法論については現在、経済学から援用した数量的な方法論が主流になりつつあるが、それに反対する学者たちもいる。彼らは、数量的方法論を批判し、これは「経済学帝国主義だ」と主張している。

●政治学の三つのアプローチ

 政治学の分野においては、大きく分けて、三つの研究、分析方法がある。その三つとは、合理的選択論的アプローチ(Rational Choice Approach)、文化論的アプローチ(Culturalist Approach)、そして構造論的アプローチ(Structuralist Approach)である。構造論的アプローチは、また別に歴史・制度論的アプローチ(Historical/Institutionalist)アプローチとも呼ばれる。現在、最も多くの学者が属すると考えられるのは合理的選択論的アプローチである。一番少ないのは、文化論的アプローチである。私がアメリカ人の学者に聞いたところ、文化論的アプローチを使って研究している学者は全体で一〇パーセントくらいのものだろうということであった。その数は、今はもっと少なくなっていることだろう。

 合理的選択論的(Rational Choice)アプローチの特徴は次のとおりである。このアプローチでは、個人、もしくは個体(利益団体や国家)が分析の単位となる。分析の前提として、「個人・個体の行動は、合理性(Rationality)に基づき、個人・個体の自己利益を最大にするために行動する」、ということになる。この合理性は、選択の一貫性(Consistency)と、移行性(Transitivity)によって規定されている。選択の一貫性とは、同じ条件を与えられた場合、個人・個体は毎回同じ選択をするということである。選択の移行性とは、ある個人・個体がBよりAを好み、CよりAを好む場合、その個人・個体は常に、CよりもAを好むということである。合理論的選択的アプローチを信奉する学者たちは、「合理性は誰でも持っているもので普遍的である」と考える。合理論的選択論を使う学者たちは、この前提に基づいて、政治的な出来事や決定を説明する。どうしてこのような決定がなされたのか、という疑問に対して、「それはアクターが利益を最大化するためだ」と答えるのである。このアプローチを使う学者たちは政治学界の中でどんどん増えている。

 文化論的(Culturalist)アプローチは、ニュアンス(nuance、微妙な差異)や、細かい違いを重視する方法である。このアプローチは、人類学の方法論を基礎としており、一つの地域、一つの国を専門としている学者たちが用いる場合が多い。政治的な事件などを分析する場合に、その事件が起きた原因を、各地域、各国の文化や伝統、歴史に求める。だから、合理論的選択論的アプローチとは反対に、文化論的アプローチは、世界各国で共通するものや普遍的なものを求めるのではなく、各地域、各国が持つ、特有なもの、特徴を重視する。これを固有主義、パティキュラリズム(Particularism)とも呼ぶ。先ほども書いたが、アメリカの政治学会においては、この文化論的アプローチは少数派である。

 構造論的(Structuralist)アプローチは、制度(Institutions)や条件(Conditions)を重視するアプローチである。特に社会階層、社会に属する各アクターを分析の重要な分析の単位としており、マルクス主義の影響が強い。この構造論的アプローチは、大きな枠組みで分析を行う。これをマクロ・アナリシス(Macro-Analysis)を主眼とし、制度、歴史分析(Institutional/Historical Analysis)がその特徴である。例えば、複数の国の歴史を比較し、近代化するための歴史上の共通点を見つける、というような数百年単位の複数の国の歴史の比較を行う。このグループは、アメリカの政治学会において、合理的選択論的アプローチには及ばないものの、ある一定の勢力を持っている。

 現在、政治学界では、合理的選択論を使う政治学者たちが増えている。それは、この合理的選択論こそが行動科学革命の成果だからだ。「自己利益の最大化」とは人間は欲望の通り動くということであり、それで何でも説明がつくからだ。また、文化や伝統、歴史や構造を勉強するためには、外国語習得やフィールドワークが必要になる。そうなると膨大な時間がかかる。人間は利益の最大化を図る存在だからそのように行動した、という前提で根拠を探せばよい。

 合理的選択論アプローチを使う学者たちは、他のアプローチに対して批判的だ。「政治学は科学であるから法則を見つけることが目標だ。伝統、文化、歴史のようなものに拘泥していては、普遍性など期待できない」と主張する。一方、合理的選択論に対しては、「合理性が普遍的なのかどうか分からない。人間は皆が同じ選択をすることはないし、合理性は文化や伝統に影響される」という批判もある。

●大量のデータを使うか、一つのケースをじっと観察するか

 もう一つ、政治学者たちを分類するのに、計量的アプローチ(Quantitative Approach)と質的(Qualitative Approach)アプローチと、大きく二つに分ける場合もある。数量的アプローチというのは、対面や電話で質問をするアンケート(英語ではクエスチョナリー questionaryという)を数千人規模で実施し、そこから得られたデータを解析する方法である。そのデータは数千人の人たちの性別や年齢、職業、教育歴、政治的な志向など、膨大なものになる。それを統計的な手法を使って分析する。これが計量的アプローチである。選挙の分析で、有権者からアンケートを使って集めたデータで投票行動の分析をするという手法で計量的アプローチが使われている。このアプローチは、多くの個人を対象に出来るが、簡単な質問しかできず、大量のデータは得られるが、深い観察は不可能だ。

 一方、質的アプローチは、人類学のように、ある人物・団体や事象を観察してデータを集め、それを分析するというものである。最も小さい場合、政治家の行動を観察し、その観察対象である政治家にインタビューをするなどしてデータを集めていくという方法である。こうした方法を使ったのが、この本の第三章に出てくる、有名な日本研究の大御所、ジェラルド・カーティスである。カーティスは日本の総選挙で大分県から立候補した政治家の家に泊まり込んで観察し続け、そこから得たデータを使って博士論文を書いた。このアプローチの場合、ある個人や組織・団体、共同体を、数を絞って、時には1つをじっくりと観察する。その結果、数は多くないが、深い観察ができる。

 アメリカの各大学は、計量的アプローチと質的アプローチの二つのグループに色分けがなされている。例えばA大学の政治学科は、計量的な分析を行う教授たちが殆どを占めている、B大学では質的な分析を行う教授たちばかりということである。これは、新しい教授を採用する際に、教授会の力が強く、自分たちとは異なる手法を用いる応募者を採用したがらない傾向があるからだ。

 現在は計量分析アプローチを使う学者の数が多くなり、計量分析を用いる学者が大学に就職しやすくなっている。そのあおりを受けて、計質的分析の学者は就職しにくくなっている。このことが問題となっている。計量分析を使う学者たちは、表向きは質的アプローチを使う学者たちを馬鹿にすることはないが、内心では、「お前らとジャーナリストはどこが違うんだ。新聞の切り貼りだけでできるのが質的アプローチじゃないか」と思っている。質的アプローチの学者たちは、「計量とか統計とか本当に正しいのか。また統計の知識ばかりに偏っている奴らだ」と計量的アプローチを使う学者たちに対して心の中で悪口を言っている。

 政治学界で計量的グループに属する学者が多いのは、計量的アプローチの「生産性(productivity)」が高いからである。簡単に言うと、計量的アプローチを使った方が、論文をより多く書けるのである。政治学者たちが共通で使う研究方法は、「仮説を立て、データを集め、分析し、それから発見したことを書く」という形式である。このうち、データを集め分析する手間が計量的アプローチはそんなにかからないのである。もちろん大量のデータを集めるために、お金はかかるが時間はそんなにかからないし、世論調査やアンケートの結果のデータは学者であれば研究機関や大学が行った研究を研究者が安価で使えるようになっている場合が多い。

 先にこのウェブサイトに掲載した論文では、社会科学を大雑把に見ていった。社会科学の目的は、法則を発見することである。法則とは因果関係のことである。そして、社会科学は、人間や社会の政治に関する事象の因果関係を発見することを目的としている。しかし、いまだ法則を発見するまで至らず、大手を振って学問でござい、とまでは言えない状況である。

 このような状況であるが、政治学者たちは、学問(科学)の方法である観察や測定を使って研究を進めている。そこから多くの重要な研究結果が生み出されている。これからは、政治学者たちがどのような研究をし、業績を残してきたかをご紹介していきたい。

(終わり)