「0163」 論文 サイエンス=学問体系の全体像(29) 鴨川光(かもがわひろし)筆 2011年11月5日

●幕末に自壊した「堂島の米市場」

 日本の米相場は、大阪の堂島で、江戸時代(一七三〇年に幕府が、米価の下落を受けて仕方なく公認)から途中の閉鎖をはさんで、明治から昭和一九三九年まで行なわれていた。

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堂島米会所での立会の様子

 堂島の米相場は、アメリカのノーベル経済学賞受賞者によって、世界初のデリヴァティヴ(金融派生商品)であると称揚されたことに沸き立って、九〇年代の終わりから二〇〇〇年代の始めにかけて、盛んに自著の中でこのことに触れていたのが、かの渡部昇一氏だった。

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渡部昇一

 現在では古典主義経済と言われる自由経済は、フランスや日本の例に見られるような限界に達したときは、財政政策で危機を乗り越えなくてはならないのだ。財政出動し、国が市場を規制し(くれぐれも、国が市場に介入してはならない。あくまで規制するのである)、または市場を閉鎖し、流通を統制する。ここにケインズ理論の正当なる根拠があるのだ。

 この堂島米市場の話を、反TPPを主張している小林よしのり氏は、「SAPIO」八月一七、二四日号にて、「コメをバクチ経済にさらすな」と題してすばやく「米先物取引試験上場法」に対して、反対論陣を張っている。非常にタイムリーで分かりやすいものだった。

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小林よしのり

(著者注記:ところが、これを私もこの文章に引用しようと思って、堂島米相場をネットで調べてみたら、小林氏の今回のマンガはとあるブログからの引用である可能性が高い。)

 いずれにしても、テュルゴーの政策の要は、「奴隷を解放」したことにある。土地に縛り付けられていた農民の賦役をなくし、彼らを自由にする(「人間を所有するというのは近代ではない。人類の歴史の呪いそのものである」)という、真実の近代化を行なおうとした。これを実行するために、土地台帳の編集を命じ、土地にかかる税金を徴収しようとしたのである。

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テュルゴー

 テュルゴーはその後、王によって罷免され、後任のネッケルによって、彼の政策も廃止されてしまう。しかし、後にフランス革命で解体されたといわれるアンシャン・レジームを崩壊させた政策と思想は、全てテュルゴーの発案によるものなのである。

●そして、フランス旧体制―アンシャン・レジームが滅び、そこに「社会」を発見した

 そして、ここでようやく、本当にサン・シモンの出番である。

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サン・シモン

 サン・シモンがコンドルセら百科全書派と違うのは、新しい「社会」(ソサエティ、ゲゼルシャフト)を作ろうと考えたところである。私のこの考えには、様々な本や事典の執筆者たちが同様のことを述べている(「社会学概論」 時潮社 二二ページ)。

 「社会学概論」(時潮社)には「サン・シモンは、これまでの思想家とは異なるところがあり、それまでのフランスの哲学が旧制度の破壊を目的としたのに対し、彼は、フランスの新社会建設という思想を抱いていた」とある。

 新しい社会とは、「近代社会」、後に、アルフレッド・テンニエスが唱えた「ゲゼルシャフト(Gesellschaft)」のことである。これをモダーン・ソサエティ(modern society)という。

 同じく「西洋思想大事典」(平凡社)には、「コンドルセとその後継者たちは、中世(つまり革命前のフランス)を無秩序と混乱の時代と見たのに対し、サン・シモンとコントは、人類の進歩の上で価値のある必要な段階であった」と述べている(第二巻 六一六ページ)。

 有斐閣の「新社会学辞典」には、次のように私の考えを的確にまとめたかのような記述がある。「サン・シモンは観察された諸事実に基づき、諸個人の有機的全体存在としての人間の科学を実証科学にし、これに基づいて、社会を再構成すべきである。」(五二三ページ)

 サン・シモン以前の思想家、百科全書派―コンドルセがその最後にあたる―思想家は、それまでの「社会」を破壊しようとしたのである。最終的にそれを実行に移したのが、テュルゴーである。

 テュルゴーによって、特にコーヴェイの廃止によって、教会、大地主、領主、高等法院らに縛り付けられていた農民(農奴)が解放され、旧制度が解体した。実際には、テュルゴーが罷免された後、いったん改革が逆行した。しかし、フランス革命で行なわれた大変革は、テュルゴーの政策が下敷きである。

 それまで農民たちは、週三回程度、無報酬で道路整備などをやらされていた。それが自分たちの住む村の地域整備であり、自分たちで居住地を守ろうとする一体感はあっただろう。これは日本でもそうだったし、今も昔も真実である。それが土地に対する租税という形に取って代わられたのである。

 ここに急激な社会変動があったことは、歴史が証明している。そこに今で言うアキュート・アノミー(急性アノミー acute annomie)が発生したと考えてもよいだろう。

 社会秩序が混乱に陥っただけではなく、個人の心の混乱も起こったのである。私鴨川による、小室直樹理論のフランス革命への適応である。小室博士は、エミール・デュルケムのこの理論を、戦後の日本社会に起こった村落共同体の崩壊に応用している。(『小室直樹の中国言論』、徳間書店、一六九〜一七四ページ)

 サン・シモンが、ヨーロッパの社会の新たな再建、再構築を思い浮かべたというのは、こういうことである。テュルゴーの破壊した教会、特権階級、高等法院、金融業者らは、コーヴェイ、宣誓ギルド、コルポラシオンを使って、かつてのフランスの秩序を維持していた。これが「社会」であり、「社会」というものが「在った」「存在した」ことを「発見」したのである。それは、後にゲマインシャフト=コミュニティと言われることになる。

 このコミュニティ=共同体という社会が一つの有機体、生命体であり「社会的事実」(ソーシャル・ファクツ social factsとしてエミール・デュルケムが唱える)として実証的に在ることを認めること、これが後の社会有機体理論であり、サン・シモンの社会生理学である。

 社会=モダーン・ソサエティという考えは、モンテスキューから始まる「進歩の観念」に由来し、フランスにあった各種の共同体はテュルゴーの発案による政策によって破壊された。これまでの思想の流れに沿うならば、サン・シモンが新しい「社会」、より進歩した「社会」が将来誕生する、誕生すべきであると考えるのは、自然な流れである。

 サン・シモンはテュルゴーの「人間精神の継続的進歩」(人間の精神が神学的虚構状態から、形而上学的抽象状態を経由し、科学的実証状態に達するというもの)を忠実に受け継いだのである。テュルゴーの「人間精神の継続的進歩」は後に、コントの三段階の法則となる(馬場明男著『社会学概論』、時潮社、一九六〇年、二三ページ)を忠実に受け継いだのである。

●サン・シモンの「社会生理学」とは

 サン・シモンの「社会生理学」という見出しをつけたが、市販の解説書や辞典を見ても、この言葉をサン・シモンに結び付けているものは見当たらなかった。有斐閣の「社会学概論」(三ページ)にだけ、わずかに書かれていた。

 ところが、私が「進歩の観念」を書くにあたって参照した時潮社(じちょうしゃ)の「社会学概論」にははっきりと「サン・シモンは社会生理学と呼んだ」(二三ページ)と書かれている。

サン・シモンの「社会生理学」を端的にまとめているものが、「西洋思想大事典」(平凡社)の「進歩の観念」の章(第二巻 六一六ページ)にまとめられていたので、それを紹介する。

 「西洋思想大事典」には、「進歩の観念」だけで古代と近代の二章を割いて説明している。この思想は古代から存在している長い伝統を持った考えなのである。その要点をまとめると以下のようになる。

 一・社会は個人の寄せ集めではなくそれ自体として存在する一個の全体である。

 二・社会を科学的に研究するためには、社会を構成する部分がある時点において全体の活動に対しどのように貢献しているのかを調べること、社会が通過していく諸段階がその歴史的発展の中でどのように結びついているのかを確認することが必要である。

 三・進歩の事実こそ、社会活動における中心的な事実である。

 四・進歩の法則は、一八二五年の死に至るまでサン・シモンによって、その後は彼の弟子によって様々な形で述べられた。

 ここで注目すべきは「社会は一個の全体」という言葉である。「一個の全体」とは、部分が集まったものではないということ。「生命、有機体なのだ」、という意味である。人体と同じ考え方である。

 人体の内臓などの各部分が、置き換えの可能なただのパーツではなく、取り替えのきかない、全体それ自体だということである。各部分が身体全体に貢献する、「機能する」ものなのである。ここから「機能主義」(ファンクショナリズム Functionalism)という思想が出てくる。貢献する、「ユースフル」「ヘルプ」とは「ファンクション」と同じ意味である。これは有機体論なのである。

 ここを考えると、「人間機械論」の本当の意味が分かると思う。「人間機械論」とはデカルトが唱えたものだが、これの本当の意味をわかっている人がいるであろうか。

 私自身は「人間の身体が機械と同じだって。そんなこと当たり前だろう」と、わかったようでいて、よく分からなかった。なぜそんなことで、哲学者や政治家、学者、医者たちが争うのかが全くわからなかったのだ。

 「人間機械論」とは、人間の体は機械と同じようなものである。内臓は機械の部品のようなものであり、それが集まって「からだ」という「仕組み」を作っているのだという。

 これで一見その解釈は正しいのだが、だめである。皆さん、「人間は機械だ」「内臓は部品だ」と聞いて、本当は心の底では「そんなことは無い。身体を切り刻まれてたまるか。それは比ゆだ」と思っているでしょう。その考えは人間機械論ではなくて、人間有機体論なのです。

●デカルトの「人間機械論」の本当の意味を説明する

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デカルト

 人間機械論とは、人間が本当に機械でありシステム、仕組みであるという思想です。そこに命であるとか魂とか神様というものは存在しない。人間の存在の意味などもない。人間の身体を、比ゆでもアナロジーでもなく、本当に機械だと考えるのである。

 機械論とは、有機体論=オーガニシズム(organism)とは正反対の「メカニズム(mechanism)」という。人間の身体の各部分を、取り替えのきく本当の部分、ただのパーツ、ねじとか歯車と同じものだと考える。人間の体は、ただの部品の寄せ集めであり、ただの仕組み、構造だと考えるのである。ここから「構造主義」(ストラクチャリズム Structurism)という思想が生まれた。

 だから今から、数年前まで、人間の脳死を人間の死だと認めるべきかどうかで争ってきたのである。日本人の考えではまだ、人間の体は有機的なものなのである。

 脳だけはマインドであり、人間の意識だけは自分自身であって、機械ではない。「我ゆえに我あり」というデカルトの考えは、「私が頭で考えているこの言葉や映像、意識だけは私であるということがわかる。正真正銘、私という存在が在るのだ」という意味なのです。

 だから脳が死んだら、人間の体は機械なのだから、移植をしてもOKです、という意味なのです。これに日本人が頑強に抵抗した。こうした人間の身体に関することを、『バカの壁』で一躍有名になった、養老孟司(ようろうたけし)氏は、「解剖学教室へようこそ」や「日本人の身体観の歴史」などの著作で披露している。西洋では「心身二元論」だが、日本人の伝統的身体観は「心身一元論」だと言う言葉を使っていた。

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養老孟司

 私は、予備校の授業で「解剖学教室へようこそ」をたびたび読んだが、日本人の身体に対する霊的なものとか、魂がどうの、日本人にはどうも日本人独特の身体観がある、というようなことを言っていたのを覚えている。

 養老孟司先生、もっと簡単に言いましょう。私は先生の考え方が間違いだとは思いませんが、世界的知識の裏づけをきちんと説明して欲しい。日本人の身体観とは、人間の身体の部分、内臓を、取り替えのきかない身体全体それ自体として見る、「有機体、オーガニシズム、オーガニック・ボディ」という考えに他ならないのです。

 それに対して、世界的価値観では、「人間の体は脳以外、機械、メカニズムであり、構造であり、システムである。だから取替えがきくのだ」という考えで現在の臨床医療は来ている。デカルトから「進歩の観念」を経て、レヴィ・ストロースの構造主義や、タルコット・パーソンズの「社会システム」という考えがその土台になっている。

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レヴィ・ストロース       パーソンズ

 そしてその根底には「エクィリブリアム」(イコール・バランス、バランスの取れた状態のこと。システムとはそれを指す。相対性という考えもそう)がある。私はこのことを論文0001番から、0003番の「アリストテレス著『ニコマコス倫理学』―エクィリブリアム、「中庸」の思想」で述べています。(論文へはこちらこちらこちらからどうぞ。)

 サン・シモンの「社会は一個の全体」という考えは、このような意味なのです。この考えは後にエミール・デュルケムの「社会的事実」という言葉に変貌していくことになる。

●「有機体論=オーガニシズム」「機能=ファンクション」ということの意味

 「西洋思想大事典」の二で重要なのはまず、「社会を構成している部分が、全体に貢献する」というところである。ここまで辛抱強くお読みになった方なら、もうお分かりでしょう。これは「社会有機体論」そのものである。

 「全体に貢献」というのは、「機能しているかどうか」という意味です。「機能、ファンクション」という言葉と「有機体(=生命そのもののこと)、オーガニズム」とは一つのセットなのです。これは重要です。

 内臓が身体の一部として切り離すことができない、身体全体そのものとして機能しているように、人間一人一人も、社会全体そのものとして、生産性のある働きをしなさい、ということなのである。

 だからこの後、経済学で、利潤を追求しないはずがない「経済人」(つまり、儲けよう、働こうという人)という考え方が生まれ、自由市場経済や、テュルゴーによる、賦役の代わりに土地に税金を課すという考えが生まれたのである。「お金は人体における血液だ」という考えもまた、社会生理学、社会有機体論から来ている。

 二の後半に書かれている、「社会が通過していく諸段階が、(前後と)結びついているかどうか」というのは、「進歩の観念」であり、最初の社会進化理論の現われと言っていい。社会を人間と考えるならば、社会の発展の歴史、進歩の各段階は、前後に切れ目がなく、一貫したものとして続く。人間の身体の成長と同様のことである、という意味である。

●さらに「社会生理学」を念を押してまとめておく

 社会生理学の定義に関して最後に言っておく。有斐閣の「新社会学辞典」の社会生理学(social physiology)の項目には、「構造分析(解剖学)と機能分析(生理学)とをはっきり区別した上で、両者を関連付けようとする構造=機能分析の考え方の基礎を与えた」という、摩訶不思議なことが書かれている。

 この説明で社会生理学が解ったという人は、よっぽどの知ったかぶりの見栄っ張りである。この呪文の意味は、こうである。私鴨川が、社会生理学の完全なる定義をしておく。(有斐閣といういわば格調の高い、法曹関係書で知られている出版社から出ている社会学関連書は、とにかく説明が固く、大雑把である。)

 「社会生理学とは、社会を人間の人体と同じような有機的存在と考える。これは後の社会学における、機能主義―機能分析に通じていく。これと正反対な理論が社会システム論で、これは社会を生き物ではなく、取り替えのきくパーツの集まりと考える。この社会をメカニズム、機械(言い換えると、相関状態=リレティヴィティ、バランス状態=エクィリブリアム、系、組織、仕組み=システム、コロラリー)ととらえる考えから後の構造主義が生まれ、タルコット・パーソンズの構造機能分析へと学問的には進んで行ったのだ。そのおおもとは、社会生理学であり、だからこそサン・シモンは、社会学の創業者と呼ばれるのだ」と、この私の説明が社会学の全てを網羅(もうら)している。

(つづく)