「186」 論文 歴史メモ:信仰と信念と理想から見た現代文明の本質(8) 鳥生守(とりうまもる)筆 2012年4月14日

 ジョージ・フォックスやウィリアム・ペンなどのクエーカー教徒の思想と、ドイツの哲学者や詩人とは同じような思想をしていたのである。イギリスでは、カーライルが同じ思想である。カーライルは、ゲーテを師匠と仰いでいたのである。前述したように、新渡戸はカーライルを師匠としていたので、師匠の師匠ということで、ゲーテは新渡戸の師匠でもある。新渡戸は自分でそのように述べている。

ヨハン・ゲーテ

 アメリカでは、カーライルと親交のあった詩人ラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson 一八〇三〜八二)、エマーソンを敬愛していたウォルター・ホイットマン(Walter Whitman 一八一九〜九二)、このような人が同じような思想である。これらの人々が、「一切の誓いを立ててはならない」「悪人に手向かってはならない」という信条の下に、国内外のあらゆる人類が有機的、一体的関係で結びつく理想を掲げたのである。鴨川光氏は論文「0163」「サイエンス=学問体系の全体像(29)」において、サン・シモン(一七六〇〜一八二五)が有機体論(オーガニシズム)を唱え始めたと述べているが、それはクエーカーやドイツの思想に連動・呼応し、それに共振・共鳴した結果ではないだろうか。(鴨川論文へは、こちらからどうぞ。)

   
エマーソン       ホイットマン

 ホイットマンは、日本の侍たちを目撃している。万延元年(一八六〇年)に日米修好通商条約(一八五八年)本書批准交換のため、日本(江戸幕府)は、正使に外国奉行新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき)、副使に同村垣淡路守範正(むらがきあわじのかみのりまさ)、目付に小栗豊後守忠順(おぐりぶんごのかみただまさ)の日本使節団(総勢七十七名の陣容)をアメリカに送った。


(左から)村垣、新見、小栗

 正月二十二日(陽暦二月十三日)に横浜を出航し、ハワイ、サンフランシスコ、パナマ地峡へと米軍鑑ポーハタン号で行き、パナマ地峡を汽車で横断、さらにアメリカ軍艦に乗り換えて北上、ワシントンには陽暦の五月十四日に着いた。その途中の四月二十八日、ニューヨークのブロードウェイを列を成して歩いていく日本使節団を、ホイットマンが見ていたと言う。その様子は次のごとくであったという。

 《チョンマゲ、二本ざし、槍もちを先立ててアメリカ大陸にのりこんでいった日本使節一行を、さかんに歓呼した群衆の中に、蓬頭垢面(ほうとうこうめん、伸び乱れた頭髪と垢まみれの顔面。身だしなみがきちんとしていなくてうすぎたない様子)の詩人ウォルト・ホイットマンが混じっていた。この時彼がつくった詩に「A Broadway Pageant(ブロードウェイの壮麗な行列)」というのがある。

Young Libertad!
With the Venerable Asia, the all-mother,
Be considered with her, now and ever, hot Liberad
――You are all.
若き自由人よ
古きアジア、全文化の母に
思いやりあれ、いつまでも。熱心な自由人よ
――なぜなら今や君等は全きものとなったのだ

 これはその一節だ。欠けていたものが補われて、やっと完全になったという満足感は、しかしアメリカばかりでなく、ひとしく世界中が味わったことであろう》(小西四郎『日本の歴史19・開国と攘夷』中公文庫、明治維新史の権威木村毅氏からの引用として)

 日本歴史学者の手前勝手な解釈が気になるが、それはさておき、ホイットマンは謙虚な人である。純粋に、日本人を全く同等に見ていることが窺われる。こういう人だと相互敬愛の関係となるだろう。真性のキリスト教徒と言える。アメリカ政府の大半がこういう人だと、世界は平和になるのだが。なお、この使節団はこのとき、アメリカ女性の派手さ加減やアメリカの医療に野蛮を見抜いている。

 その後この使節団は、アメリカ滞在は六月二十九日まで約一ヵ月半で、それからニューヨークからアメリカ軍艦に乗って、コンゴ−喜望峰沖−ジャワ−香港を経て帰国した。それは万延元年九月二十七日(十一月九日)で、九ヵ月にわたる地球一週の旅行だった。しかしその地球一周は日本人で初めてではない。ジョン(中浜)万次郎が捕鯨船でもっと早く地球を一周している(中浜明『中浜万次郎の生涯』)。


咸臨丸

 この時護衛の任務で咸臨丸(かんりんまる)が派遣されたのである。こちらの方が有名である。咸臨丸は、幕府の注文によってオランダで建造された木造スクナー・コルヴェット艦で、長さ約五十メートル、幅約七・三メートル、百馬力、トン数は300トン、原名はヤパン(Japan )であり、一八五七年竣工の小軍艦であるという(ちなみにポーハタン号は二千四百トンである)。スクーナーとは、通例二本、時にはそれ以上のマストをもった縦帆船のことであり、コルヴェット艦とは、輸送船護送用の高速軽装の小艦のことだそうだ。木造で、高速軽装の小型帆船だったようである。これ以上はよく分からない。

 提督は軍艦奉行木村喜毅(きむらよしたけ)、艦長は軍艦操練所教授方頭取勝海舟(かつかいしゅう)で、士官に当たるもの十七名、水夫・従者らを合わせて総員九十六名であった。その中には福沢諭吉(木村の従者)、中浜万次郎(通弁)がいた。そしてそのうえに、アメリカ測量船クーパー号の艦長ブルックと十名の水夫が、同艦の難破・破損のため、同乗した。彼らアメリカ人たちの手助けがあったと見られる。日本人はそのとき、実地で彼らから航海術を学んだであろう。

   
勝海舟          福沢諭吉

ジョン万次郎

 ジョン(中浜)万次郎はアメリカ捕鯨船の副船長をし、そしてまた世界一周をしたくらいだから、相当の航海術を身につけていた。しかし、立場上、あまりでしゃばれなかったと思う。この咸臨丸は、万延元年正月十九日(一八六〇年二月十日)に浦賀を出航して、陽暦三月十七日にサンフランシスコに到着した。咸臨丸は損傷が激しく、サンフランシスコ近傍のドックで修理を受けた。アメリカの費用で約二万五千ドルもかかったという。咸臨丸は修理を終えて、すぐに帰りの航海についたようだ。

 陽暦五月八日(閏三月十九日)サンフランシスコを出航、ハワイに立ち寄り、陽暦六月二十三日(五月五日)浦賀に帰航した。約三ヵ月の旅行だったのである。これは日本使節団の旅行日数の三分の一である。日本使節団がワシントンに着く前に帰国しているのである。使節団の警護とは、名ばかりだったのである。しかしこれは笑うべきではない。人間はいかなる事態になろうとも、自らの現実を受け止め、その現実から出発するしかないのだから。

 話をもどす。ところで有機的(organic)とはどういうことか。分からなくなれば、人体を見直せばいつでも誰でも思い出すことができる。人体、それは各部が形態と機能が非常に違っていても、それぞれが自分の働きを行い全体に貢献している。目、鼻、口、耳、これらは手や足や胴体に位置づけられることは決してありえず、それぞれ頭部のしかるべき位置にあり、それぞれがそれぞれの働きをしている。

 誤って手のひらをナイフで切っても、止血しておくだけで数週間で完全に元に戻り、傷跡が全くなくなる(縫合すると、その傷跡は数十年残る。近代医学のほうが傷跡が長く残る)。人体が死にいたるとすみやかに腐食し、人体の各部はすみやかに消滅する。この自分自身の人体を捉えつくそうとしても、自分のものであり身近であるはずなのに、いつまでたっても捉えつくせない。だがそれは確実な存在だ。いずれは死を迎える存在だが、生きている期間は確実な存在だ。

 人類は有機的関係であり一体不可分であるという考えを持つと、人々は自然と、理想を考えるようになる。それが王道主義であり、王道文明である。理想を持たない、相対主義に陥るのは、機械説(ヨーロッパ文明の合理主義)で思考するからだ。これが覇道文明となる。

 イギリスでもアメリカでも、王道文明を担いうる人物はいたのである。第二次世界大戦後、世界はアメリカに従おうとしていた。その時、アメリカの兵力は飛びぬけており、アメリカが王道主義を掲げていれば、真の世界統一は行われていたであろう。ところがアメリカは侵略主義を秘めた行動に終始した。

    
ジョン・F・ケネディ      ロバート・ケネディ

 アイルランド魂をもったケネディ大統領(兄弟)が王道を推進する人であったが、いずれも暗殺された(一九六三年、一九六八年)。だから真の世界統一はできなかった。そして世界の各地で局地戦火が絶えず、今ではアメリカ自身が崩壊への道を歩んでいる。アメリカは二十一世紀になっても戦争を起こしている。そして今現在もイランや北朝鮮などを相手に、手当たり次第に挑発している。これでアメリカは世界の盟主になる資格はないことが、だれの目にも明確になった。

 今、アメリカに変わって中国が台頭している。中国は王道文明を行える国である。軍事力も充実してきたそうだ。日本の天皇でも、アメリカの大統領でも、中国の国家主席でも、実力があって王道文明が行えるのであれば、だれが世界の盟主になってもいいのだ。日本がだめだった。アメリカもだめだった。中国はどうか。中国はもともと王道文明を築く素質がある。このまま行けばもう十年くらいで、中国の国家主席が世界の盟主になりそうである。最も早く世界で王道文明を築くものが、世界の盟主になればいいのだ。全世界の人はそれを歓迎し世界政治に参加すればいいのだ。

●なぜカーライルが読まれなくなったか


トマス・カーライル

 かつては、カーライルの思想はイギリス人、アメリカ人に広く読まれ、彼らの思想に深く浸透していたようだ。新渡戸は次のように述べている。

(引用はじめ)

 カーライルの文、少なくともカーライルの思想は、五十年以来英国民の間には、ほとんど一般に行き渡った思想であると思う。ようするにcommon sense になっている。カーライルがイギリス人、アメリカ人の思想に、偉大な勢力をもっていたことはいうまでもあるまいと思う。直接カーライルを読まないにしても、いろいろの道を通して先生の考えが全体に行き渡っている。(新渡戸稲造『衣服哲学講義』、序説より)

(引用終わり)

 ここで「五十年以来」というのは、一八五〇年以来ということだと思われる。当時のイギリスの総理大臣のロイド・ジョージ(Lloyd George 在任一八一六〜二二、第一次大戦でイギリスに勝利に導いた人だという)という人も、自分はずっと以前からカーライルに私淑し、自分を人になしたのはカーライルの力だということをしばしば公言していたそうだ。


ロイド・ジョージ

これほどにも、英米に浸透していたのである。ところが一八九〇年頃からカーライルの思想は廃れてきたという。

(引用はじめ)

 その後、カーライルを読む人は大変少なくなった。近頃の青年は、アメリカでもイギリスでも驚くほど、これを読まない。カーライルという名は知っているけれども、読むとしても抜粋を読むくらいだということである。(略)

 とにかく近頃の青年は、あまり読まないということになった。(略)

 実は三十年この方、カーライルが幾分か世に捨てられたというのは、世の思想の退歩を示したもの、言い換えれば、世の弛んだ、緊張しない、人心の不真面目になった有様を示すものじゃないかと思う。日本のことではなく、英語圏について言うのである。このごろの英米人になってみると、金ができ、実業が盛んになり、物質的の学問が盛んになるにつけて、カーライルのこんな神経過敏のような、また人生を精神的に解しており、物質的の思想に反する、否、反抗するような態度は、はやらなくなったためだろうと思う。(前掲書、序説より)

(引用終わり)

 一八九〇年頃からカーライルが読まれなくなったのは、その頃の英米人は金ができ、物質主義の思想になったからだ、と新渡戸は言うが、その通りだろう。どうもそれはアメリカが原因だろう。南北戦争(一八六一〜六五)による戦争景気があり、それで富が集中したのだろう。その後の一八七〇年頃から、それはアメリカで石油が採掘されるようになり、ロックフェラー一世のスタンダード石油が創業された。


ロックフェラー一世

 超大金持ちの新興成金が続々アメリカに誕生したのである。彼らはヨーロッパの豪華な建築を真似たマンションを建て、ヨーロッパの美術品などを買い込んできて飾り立てた。その種のマンションはニューヨークの五番街に立ち並び、競って絢爛たる社交パーティを催し、文化的優越感を満足させようとした。彼ら成金たちは、さらに、ヨーロッパの貴族と結婚することによって、伝統ある文化と血でつながろうとした。

 大陸横断鉄道が完成し、機械技術が発達し、無数の発明がなされた。鉄道関係の機械技術の発達は、鋼鉄のレール、空気ブレーキ、電信などであった。食品関係では、缶詰の技術や冷蔵庫の発明があった。生活面での発明は、タイプライター(一八七三年)、電話(七六年)、蓄音機(七七年)、白熱電灯(七九年)、万年筆(八四年)、計算機(八七年)、大衆カメラ(八八年)、電気ミシン(八九年)などがある。そのほか、ハンバーグ・ステーキ、ホット・ドッグ、コカ・コーラ、デパートメント・ストア、高層建築、エレベーター、エスカレーター、通信販売など。無料の初等教育、州立大学設立の促進。大衆新聞、一般向けの雑誌、女性雑誌の興隆。劇場街、バーレスク・ショー(道化芝居)、ストリップ・ショー、ヴォードヴィル(寄席演芸)、ヴァラエティー・ショー、ミュージカル、サーカスなども盛んになる。ダイム・ノヴェル(一ダイム、つまり十セントの安直な読物)、開拓者小説、立身出世小説、家庭小説、復讐物語、波瀾万丈の歴史小説、冒険小説などが出る。

 以上のように、この頃のアメリカは劇的な変化にさらされている。それで、アメリカの若者たちは、物質主義的思想になったのだ。若者たちは好景気の中で実業に精を出し、その分深遠な精神的文化を理解し得なくなったのだ。これがイギリスにも波及したのだ。この頃から、作品が売れて資産をなした文学者が輩出している。イギリスではルイス・キャロル、スティーブンソン、モーム、コナン・ドイル、モームらであり、アメリカではマーク・トーウェン、ルー・ウォーレスらである。彼らの作品は売れれば千金を得たのである。そして売れた作品は名作ということになり、さらに売れたのだ。当時のイギリスでは、「イギリス人が探偵小説、怪奇譚、悪党譚、冒険譚、スリラー、スパイ物語などを愛好し、イギリス作家がこれを提供した」(スティーブンソン・田中西二郎訳「ジーキル博士とハイド氏」新潮文庫、解説より)という状態だったのだ。

     
コナン・ドイル           マーク・トゥエイン

 そうした中に名作があると言うが、いずれも、それらは作家が頭の中で作り上げたフィクションだ。例えばルイス・キャロル(一八三二〜九八)の『不思議の国のアリス』(一八六五年)は些細な作り話がきっかけのファンタジー(空想)である。だからいくら芸術性があり名作であろうが、人間の頭の中だけで作り上げたものだから、本当は何の役にも立たない。

 というわけでこの頃から、イギリスとアメリカの若者たちはこのような作り話でできた文学作品を読むようになった。若者たちは次第にそれらが精神的文化だと思う(勘違い)ようになったのだろう。そしてこの方がカーライルなどよりも人生経験のない若者たちには分かりやすく、小説から種々の知識を得たつもりになって、何かえらくなった気になっただろう。

 その仕掛けはこうだろう。ロックフェラーら財閥が自分たちに都合のよい作品、つまりもっともらしく見えるように書かれた(つまり芸術性の高い)作り話の作品を極秘裏に審査選別して、その自分たちの要望するレベルに達した作品を褒め上げ、宣伝し、子供向けに推薦したり、全国の学校などの公共の図書館に買わせたりしたのであろう。それでベストセラー作品が生まれ、その作家には巨万の富が入り、青少年たちは多人数が読むからそれはよい作品だと思うわけだ。

 そうしてその若者たちには、何か難しいことや古いことを考えたり言ったりしている大人たちは、馬鹿に見えるのである。今の日本やイギリス、アメリカと同じであったろう。また、今の学校教育もこんなものであろう、同じだろうと思う。

 吉村昭(一九二七〜二〇〇六)は戦記物とか時代小説を書いた日本が誇る作家である。彼は徹底的に関係者への取材をし、あるいは記録の調査をし、その上で作品を書く。だから事実しか書かないことを目標とした作家である。推測やあるいは単なる定説だけでは書かない作家である。真実をよく調べ抜いて書く人である。だから戦争体験者が存命中は戦記物を書いたが、彼らが世を去ってしまうと、大量の史料が残っている江戸時代後期を作品にしたのである。そのように本人自身が語っているのである(吉村昭『史実と小説』)。


吉村昭

 だから彼の作品を読むと過去の事実の一端が鮮明に分かるのである。一端ではあるが、それが読者の人生に非常に役立つ。「事実は小説より奇なり」と言うが、事実はその一端と、思考の宝庫である。一生いつまでも考え直す材料にすることができるからだ。人間社会で実際に起こったことをできるだけたくさん知ることは、生きる知恵をつけるために非常に重要だ。吉村の作品はそういう意味で、非常に価値があり、どんな人間にとっても必読書だ。読んで絶対損はしない。

 それに引き換え、大ベストセラーになるようなものは、芸術性が合っても自分の頭で作り上げたフィクションであれば、何の役にも立たない。そしてそれを事実かもしれないと思えば、逆に害となってしまうものなのだ。だからそんなものを読むことは、どうしてそれらがだめかを研究する以外は、時間の無駄である。事実とは人間の頭の中で構成できるほど、そんな単純なものではないのである。

 大学の教授や学校の先生や大人の多くがそれを知らず、若者たちにそれを指摘しないから、事実や真実に触れることができない若者たちが育ち作られていく。これがブレイン・ウォッシュ(洗脳)であり、マインド・コントロールである。これで当時から、新聞、雑誌、学校教育を使った巨大財閥による世論誘導の下地ができるというわけである。大学教育も同じことで、この頃から巨大財閥の好みに学問内容が統制され始めたのである。そしてそれらはまもなく日本にも及んだのであろう。

(終わり)