「0013」 論文 わかるかわからないかは、結局言葉。―「言葉理解読書法」で、『恐慌前夜』を読む。(1) 原岡弘行(はらおかひろゆき)筆 2009年3月26日
1.はじめに
(1)自己紹介
みなさま、こんにちは。SNSI研究員の原岡弘行(はらおかひろゆき)と申します。今回が、私の初めての論文発表となります。どうぞ、よろしくお願いします。
このような機会が与えられましたのも、「副島隆彦の論文教室」というサイトを副島隆彦師が発案し、それを受けて古村治彦氏がウェブサイトを立ち上げてくださったお陰です。自由に自分の考えを述べることができ、かつ管理の行きとどいた場ができたことを、大変うれしく思います。ありがとうございます。
私の専門は、生命科学です。生命の不思議を科学の言葉で記述するということに取りくんでいます。具体的なことにつきましては、また機会があれば述べさせていただきたいと思います。
(2)要約
この論文のタイトルは、「分かるか分からないかは、結局言葉。―「言葉理解読書法」で、『恐慌前夜』を読む。」です。以下に、本論文の要約(Summary、サマリー)を入れます。
どんな文章であれ、どんな本であれ、どんな話であれ、それが理解できるかどうかは、そこに登場する言葉が理解できるかどうかに一点かかっている。言葉の理解をごまかしては、決してならない。ごまかした途端に、その本や話に対する理解はなくなる。このことを踏まえた「言葉理解読書法」を用いて、副島隆彦師の『恐慌前夜』を実際に読み解く。
以上が、要約です。
(3)「言葉理解読書法」とは何か
まずは、「言葉理解読書法」とは何かということから始めます。
「言葉理解読書法」とは、私の造語です。言葉の理解にこだわった読書をしていこうという意味と意図がこめられています。
以下に具体例を示して説明します。
例えば、化学では、「イオン(ion)」という言葉が登場します。「マイナスイオン(negative ion)」がかつてブームになったので、ご存じの方も多いと思います。
しかし多くの人は、「イオン」という言葉のまま考えても、何もわからないと思います。漢字ならまだしも、カタカナ用語は特にそうです。こういう場合、「読書百編意自ずから通ず」というのは嘘です。この言葉のまま、いくら読んでもわかりません。
では、どうすればいいのでしょうか。
今だとネットで検索するでしょうが、やることは同じです。辞書か百科事典を調べます。「イオン」の項を開くと、いろいろ書いてあります。しかし、ごちゃごちゃと書かれていて、「結局何なんだ」という肝心のこと(中心性)がわかりません。こうして、迷宮入りしたまま終わります。
それでは、諦めるしかないのでしょうか。
そんなことはありません。化学の本を読めばいいのです。すると、わかりやすく定義がされていることに気づきます。
一般の本には、辞書のようにすべての意味を網羅しなければならないという使命がありません。辞書はスペースを効率よく使うため、基本的にMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive、モレなくダブりなく)で書かれています。意味がなるべく重ならないように、工夫されています。芸術品です。
しかしこれだと、その言葉の中心にある意味が把握しにくいです。「何番目の意味を使えばいいの?」と混乱します。
そこで、一般の本の登場です。そこには、一番重要な意味について平易な記述がなされています。
手元にある『理解しやすい化学T・U』(戸嶋直樹、瀬川浩司著、2004年3月、文英堂刊)という本を開くと、32ページに、「電荷をもつ粒子をイオンという」と記述されています。
ここで初めて、「イオン」という言葉に対する理解が生まれました。「あっ、イオンというのは、電荷をもつ粒子のことをいうんだ。さわれば、バチバチっと来るのね!」というイメージが浮かぶからです。
まだ安心してはいけません。従来の読書法は、ここで終わっています。ここからが大切です。
このように、本を開いて調べたら、「イオンとは結局何なのか」ということを整理します。私は次のような形でまとめます。
→イオン(電荷をもつ粒子)
この形で保存するメリットは何でしょうか。3つ考えられます。
@代入すれば、すぐに理解ができる
A「結局、どういうことなの?」という問いに答えている
B忘れても、思い出すのが容易
これが「言葉理解読書法」です。即効性、中心性、再現性に優れています。次に「イオン」という言葉を目にしたときには、すぐに「イオンって、電荷をもつ粒子ね! ビリビリしているのね!」と理解ができます。
たったこれだけのことと思う人もいるかもしれません。しかし、詰まっているときというのは、たいていこういう、ちょっとした言葉の理解ができないことが原因となっています。わかってみれば、「なんだ、これだけのことだったのか」と思うようなことです。「言葉理解読書法」は、こうした経験の積み重ね(積分)から生まれました。
文章というのは、大きなものです。文章は言葉の集合体です。個々の言葉自体は、小さなものです。12万字の本全体に対して、たった2字の言葉です。そのため、ついつい油断をしてしまいがちです。ところがその結果、本の内容がわからないということになるのです。言葉を甘く見てはいけません。
もちろん、論理の流れを把握することは大切です。しかし、言葉の理解ができなければ、読解はできません。言葉にごまかしは通用しません。
理系の私にとっては、副島本は高いハードルでした。理解のできない言葉が、次から次へと登場するからです。前提となる知識があまりに不足していました。
では知識とは何なのかと考えると、それは結局言葉でした。その言葉を聞いたときに、イメージがわくかどうかです。どれだけの情報が展開されるかです。その言葉を中心とした世界が、どれだけ広がっているかです。
こうして私は、「副島本を読めるかどうかは、副島本に登場する言葉が理解できるかどうかなのだ」ということに気づきました。この気づきから、世界が変わりました。「副島ワールド」に入っていけるようになりました。その切符は、何と言葉だったのです。
以上が、「言葉理解読書法」の概要です。その具体的な方法は、後半に『恐慌前夜』を用いて説明します。
(4)理系最大のタブー、アポロ月面着陸問題に斬り込んだ副島隆彦師
さてそもそも、どうして理系である私、原岡弘行は、純粋な文系人間である副島隆彦師に弟子入りを許されたのでしょうか。
副島師は、理系にとって最大のタブー(Taboo、禁忌)である「アポロ月面着陸問題」に真正面から斬り込んでいる人です。『人類の月面着陸は無かったろう論』(2004年6月、徳間書店刊)という本まで出しています。この本に対して理系の人間が批判をすると、副島師は、「だったら、もう1回行ってみろ」と一喝します。これでみんな、しゅんとなります。
『人類の月面着陸は無かったろう論』
科学のアプローチには、
@実験
A観測
B論理を積み上げる
という3つがありますが、確かに「アポロ月面着陸問題」は、このいずれを持ってしても検証(証明)不可能です。アポロに関わる人たちは、「20年後行きます」などとふざけたことを言っていますが、20年も経ったら、関係者は全員死んでしまっています。
これらの事実(Facts)から考えると、どうやら副島師の言うことが正しいようです。
こうした理系の分野(聖域)にも、遠慮することなく入ってくるのが、副島隆彦師です。それも、感情のままに発言していません。きちんと科学(Science、近代学問)の手法を踏まえた上で、言論を展開しています。
「同じ日本人に、こんなにすごい人がいるんだ」と驚きました。と同時に、副島師に対する敬意が生まれました。「この人は別格だ。次元が違う。この国(日本)に生まれてきた以上、この人から学ばなくてはいけない」と強く思いました。こうして、私は副島師の門をたたきました。
とはいうものの、最初からこのように思ったわけではありません。このサイトを訪れるような人と同じく、私も本好きの人間ですので、「副島隆彦」という名前は知っていました。そして最初は、ご多分にもれず、「副島隆彦という人は、奇をてらったことばかりいう人だ。こんな人と関わってはいけない」と遠くから、冷ややかな目で見ていました。
しかし、それは誤りだと、あるとき気づきました。私は、最初は金融本から入っていったのですが、理系の牙城である「アポロ(宇宙物理学)」に堂々と斬り込んでいる副島師の言論に耳を傾けるうちに、考えが変わりました。副島師は奇をてらったことを表面的に語り散らしている人などではなく、骨太の本物の言論人でした。
副島師の言論の展開の仕方に、文系も理系もありません。なぜならば、共に近代学問(Science)の手法を用いて斬り込んでいるからです。同じ態度で臨んでいます。副島師は、常に堂々としています。
こうして私は「アポロ」を通して、「副島隆彦は信頼できる言論人である」という認識を持つに至りました。
そういう意味では、アポロには感謝しなければなりません。
(5)副島隆彦師の言論の源泉
とはいうものの、1つ納得いかないことがありました。それは、「なぜ副島隆彦は、これほど迫力のある言論を、次から次へと繰り出せるのか」ということです。
最近でこそ、佐藤優氏の登場によって活気が生まれましたが、それ以前に40代、50代の言論人でこれほどの力量を持った人は、副島師の他にはいなかったように思います。少なくとも、スポットライトは当たっていませんでした。言論界は、60代、特に70代の方が中心でした。
何か原動力となるものがあるはずです。私は、ずっと副島師の根源にあるものを考えていました。
そしてある時、ふとわかりました。副島師の源は、
@小室直樹先生
A勇気
の2つでした。
まずは、@小室直樹先生です。副島隆彦師が近代学問(Science)の手法を会得していたのは、小室先生から習っていたからでした。
小室直樹
小室直樹先生(1932年-)は、日本国が生んだ当代随一の天才学者です。私の知り合いにもいますが、熱狂的なファンがついている人です。そしてそれも、小室先生の本を読めば納得です。「美しい。そして、熱い」というのが、私がまず感じたことです。
私は、「学問ひと筋」という小室先生の生き様に、涙が出るほど感動しました。「学問って、こんなに素敵なものだったんだ」と心から思ったのは、『小室直樹の学問と思想―ソ連崩壊はかく導かれた』(橋爪大三郎、副島隆彦、1992年7月、弓立社刊)を読んだときです。
その小室先生が1950年代に留学して、学問の本場アメリカから持ちかえった本物の近代学問(Science)を継承しているのが、副島師でした。だから、他の言論人とは根本的に違ったのです。これが1つ目の大きな理解です。
ここで少し考えてみると、小室先生の門下生は他にもいることに気づきます。橋爪大三郎(はしづめだいさぶろう、東京工業大学教授、60歳)氏と宮台真司(みやだいしんじ、首都大学東京教授、50歳)氏がその代表でしょう。
しかし、副島師には、他の弟子たちとは明らかに違う何かを持っています。それは、何でしょうか。
私は、A勇気だと思います。副島師には、失敗を恐れない勇気があるのです。
副島師は、状況証拠から大胆に仮説を打ち立てていきます。そして、どんどん先に進んでいきます。タブーに斬り込むことをためらいません。「アポロ(宇宙物理学)」もその1つです。「真実を暴く」という使命(天命、ミッション)に従って、次々に秘密を暴きたてています。
こうした副島師に対する批判として最も大きいものは、検証性の問題です。私も副島師が問いただされている様を、目の当たりにしたことがあります。「副島さんのいうことは話としてはわかるんだが、それは検証できるのか」と。
しかし、検証作業は次の時代の人たちがやればいいことです。人間が1000年ぐらい生きられれば話は別ですが、すべてのことを確かめるには、人生はあまりにも短すぎます。師の業績を検証していくのは、私たち弟子の仕事です。こうして、師匠から弟子へと学問の系譜は継承されていきます。
勇気は、言論の魂です。口先だけで、何の迫力もない言論人たちにがっかりした人たちが、副島隆彦師の周りに集まってくるのだと思います。講演会に足を運んでくださる方々の、副島師をじっと見つめる顔を舞台の端から見ていると、思いが伝わってきます。「この人(副島隆彦)は、(私を)騙さない」・・と。
このあと、本当は、
Bユダヤ人・官僚(「許さーん。」)
と続くのですが、全体の流れを考慮して、今回は割愛します。
2.優れた本とは、言葉の定義がしっかりしている本
さてここから、理系である私が、どのようにして高級な学問、思想を扱っている副島本を読めるようになったのかを述べていきます。「言葉理解読書法」にたどりつくまでの話です。
「1.はじめに」から時間は戻ります。「アポロ」の前から始まります。
(1)私のスタート地点
最初、私には歴史や政治の知識はほとんどありませんでした。そんな状態で無謀にも、副島本を読み始めました。何かすごそうな本であることだけは、わかったからです。
当然のことながら、どれだけ読んでも、何が書いてあるのかわかりません。
通常、いくら難しい本とはいっても、古代の本でもなければ、アラビア語の本でもないわけですから、少しはわかるところがあるものです。しかし、副島本にはまったく歯が立ちませんでした。
それは、なぜでしょうか。
理由は明快です。当時の私にとって、副島本は重要な情報ではなかったからです。
人は、自分(の生存)にとって重要な情報しか、目に入りません。重要でない情報は、実際には見えているんだけども認識できないのではなくて、本当に最初から見えていないのです。
これは何かを学習する際に、非常に重要なことです。だって、自分には選択の余地がないわけですから。ある意味、恐ろしいことです。
脳機能学者の苫米地英人氏は次のように書いています。著書『「1日10分」で脳が生まれ変わる―「なりたい自分」になるいちばん簡単な方法』(2009年4月、イースト・プレス刊)から引用します。
(引用はじめ)
脳の情報処理能力が意外と低い理由
実際のところ、脳は情報処理能力が低いマシンです。私たちの脳はものすごくゆっくり動いています。
(中略)
人間の脳のクロックサイクル(実行速度)まで下げたとしても、変電所ひとつ分くらいの電気を消費します。
しかし、誰も変電所ひとつ分のご飯を食べていません。人間の脳で使われるのは全体の1%くらいだとよく言われていますが、実際は1%も使っていません。その数百分の一程度しか使われていないのです。
それは、人間の進化による結果です。
人間は脳だけ進化しすぎました。それに反して、消化器はほとんど進化していません。胃腸の進化は動物のレベルと同等です。人間だけほかの動物とは違う、とても効率のいい消化器官を持っているわけではありません。脳だけが、とてつもない情報処理能力を持っているのです。
(中略)
もし現在、脳がフルに活動したら、みんな餓死してしまいます。私たちが摂取しているエネルギーを熱量換算して変電所の電気エネルギーと比較したら、桁違いに少ないからです。1%にもなりません。
(中略)
それに対して、脳だけは進化しました。だから、脳はフル活動しようとしても、エネルギーが足りないのです。
だから、脳は手抜きが「超得意」なのです。(75−77ページ)
(引用終わり)
このように、私たちの脳というのは、目に映る情報のすべてを処理しているわけではありません。エネルギーがとてもではないですが、足りないからです。
脳は、たしかに非常に優れた性能をもっています。しかし、エネルギーもそれだけ使うので、実際にはほとんどの情報は捨ててしまっていたのです。高性能のコンピューターほどが電気をたくさん必要とする(電気代がかかる)ことと同じでした。
そして、「重要なところしか認識しない」(同書、79ページ)ことで、エネルギーを節約していたのです。
この事実(Fact)を知ったとき、私はびっくりしました。まさか、脳内に入ってくるすべての情報を処理するためには、変電所1つ分ものエネルギーが必要だとは思わなかったからです。
そして、これまで疑問に思っていたことが解決しました。
例えば、世の中には、勉強の苦手な子と得意な子がいます。苦手な子は、5分といすに座っていることができません。得意な子は、1時間でも2時間でも座っていられます。この違いはどこから来るのでしょうか。
まず、勉強が苦手な子どもは、最初から教科書の文字が見えていません。なぜならば、貴重なエネルギーを、嫌いなものを見ることに使ってしまうのは、エネルギーの無駄づかいに他ならないからです。餓死しないように、エネルギーを節約していたのです。死んでしまったら、元も子もありません。教科書に書かれていることが認識できないのですから、当然テストもできるわけがありません。
ということは、この子どもは勉強をしようにも、しようがないのです。それをいくら、「勉強しなさい」と言われても、困ってしまいます。勉強をすることは、今の自分にとって重要ではないからです。「こんなもの、生きていく上で必要ないよ」と判断しているのです。
こういう子どもは、社会に出てから大成する可能性があります。「賢い」からです。成功している人で、高学歴の人が意外と少ないのは、そういう理由です。自分にとって重要だと判断したことに、エネルギーを集中できたのです。
逆に、学校や試験が、自分にとって重要なことである子どもは、勉強を続けられます。そこに重要なことが書かれているからです。もちろん、テストの点数もいいです。いい点数をとれば、先生からはほめられます。両親もよろこびます。そして、また勉強をします。こうしてこの子どもは、学校ではいい思いをしつづけます。
とはいえ、たいていはそこで終わってしまいます。人生のピーク(頂上)が学校にいてテストがあったときで、あとは落ちていく一方です。一度入った世界からは、なかなか抜け出せません。一言でいえば、「理不尽」に耐えられないのです。こうして勉強秀才は、誰からも尊敬されない大人になっていきます。
最悪なのは、嫌いなことを無理やりやらされた子どもです。こういう子は、人生に対して、ある種の絶望感を抱いています。自分では重要でないと判断したことに対して、周囲の大人から、「お前は間違っている。将来、困るのはお前自身なんだ。私はお前のことを思って言っているんだ」といわれて育ってきたからです。最悪です。その結果、親がもっとも悲しむことをしようとします。それが、自分にとって重要なことになってしまうのです。
他人はだませても、自分だけは決してだませません。
他にも、勉強の得意な子どもでも、試験に出ないといわれたところは、まったく目に入らなるということがあります。試験が終わってから見直したとき、びっくりします。「えっ、こんなページあったの」・・と。
これも同じことです。自分にとって重要でないと判断された情報は、ノイズとしてカットされるのです。
以上のことを踏まえて考えると、副島本と出会ったころの私も、無意識のうちに、「この情報は重要ではない」と判断されていたのです。私には選択肢がありませんでした。そしてこれが、「運命」の正体です。もしもう一度、過去をやり直せたとしても、同じことをするしかないのです。私たちは、過去にも未来にも一本の道が続いていて、その上を歩いているのです。
ただし運命とはいっても、加藤大岳(かとうだいがく、日露戦争のあとに生まれた人。易の大家にして、天才。日本の占い師は、みんな加藤大岳の本を必死になって読んで勉強している)の本を読みかじっただけの占い師のところに行く必要は、まったくありません。何件回っても、同じです。
そんなことをするよりは、副島隆彦師の講演会に行ったほうが、はるかに元気が出ると思います。「生気(せいき)をもらう」ということは、生の体験でしかできないことです。元気が出れば、打開策は必ず見つかります。
話はそれましたが、ちょっと考えてみれば納得のいく話です。アメリカ政治思想を知ったところで、一体どこで使うというのでしょうか。デイヴィッド・ロックフェラー(David Rockefeller, 1915年-)が何だというのでしょうか。当時の私の生活にとって、まったく重要ではありませんでした。
デイヴィッド・ロックフェラー
勉強の苦手な子どもと同じく、副島本は最初から認識されようがなかったのです。ここが私のスタート地点でした。
(2)自分にとってなじみのないことは、認識すらされない
この話を、さらに進めます。「重要でない」ということは、「なじみがない」ということでもあります。
このことは、以下の例ですぐに理解できます。
例えば、自分の住んでいる街で火事があったとします。このことは、一生忘れません。ニュースもかじりつくように見るはずです。自分がそこに住んでいて、すごくなじみがあるからです。
一方、南米のコロンビアで火事があったとします。最近は世界中で火事が多発しているので注意して見ている人も多いと思いますが、通常であれば報道されても気がつかないと思います。それは、「コロンビアって、どこにあるの?」という状態で、なじみがない国の出来事だからです。
新聞の記事だと、もっとわかりやすいと思います。自分の街の情報は、どんなに小さな記事でも見逃しません。私の母がそうです。なぜか、見つけます。一方、どれだけ大きく特集がされていても、海外の記事には目もくれません。せいぜい、写真が載っている場合に限って、「あっ、この人、私と同じぐらいの年齢の人や」と思う程度です。これは、これでいいことです。なぜならば、母にとって海外はなじみがない地域だからです。
私も先日、駅の看板に、日本語以外に韓国語と中国語が記載されていることに気づくということがありました。韓国の方と話した直後のことでした。それまでも、毎日見ていた看板です。どう考えても、視界には入っているはずです。しかし、私の目には映っていませんでした。それが韓国の人と話したことで、韓国に対してなじみが生まれ、「そういえば、韓国の人って、電車に乗るときどうしているんだろう」という疑問が生まれました。そして、駅の看板に韓国語が書かれていることに気づきました。
これらの例のように、自分にとってなじみのあることは、認識されます。逆に、自分にとってなじみのないことは、認識されません。
これも、エネルギーの節約です。餓死してしまっては、何にもなりません。
自分にとってなじみがあるかどうかで、脳内で情報が処理されるどうかが決まるのです。
(3)橋爪大三郎教授との出会い
そんなある日、ご縁があって、東京工業大学教授の橋爪大三郎先生の講義を聞くという機会に恵まれました。講義自体は標準的な内容でした。
橋爪大三郎
本当にたまたまなのですが、ふと橋爪先生が書かれた本を図書館で調べようと思いました。すると、副島師との共著である『小室直樹の学問と思想―ソ連崩壊はかく導かれた』という本があることがわかりました。好奇心がわいた私は、この本を買って読んでみました。税込みで、2520円しました。
一生懸命読みました。
それでも、内容は分かりませんでした。
しかし、私の内面に変化が起きました。「あっ、副島隆彦は、遠くの人じゃないんだ」と心が変わったのです。コロンビアから、さすがに同じ街とはいわなくても、同じ国(日本)ぐらいに副島師が引っ越しをしてきてくれました。「思ったより、近い人じゃん」という認識に変わりました。
つまり、ここで初めて私は、「副島隆彦」という人間に対してのなじみが生まれたのです。
私は本当に運が良いと思います。私の人生は、いつも人に恵まれてきました。
今回の件も、橋爪大三郎教授と出会ったからこそ生まれた展開です。
橋爪教授のお陰で、副島師に対するなじみが生まれました。私にとって、心理的に近い人になりました。つまり、「重要な人」となったのです。
ここまでが、「言葉理解読書法」の大前提となることです。最初から認識されなければ、理解できる、できないどころの話ではありません。「これは、自分にとって重要である」という判定がなされて初めて、「いかに言葉を理解していくか」という話に入れます。
前提を踏み外しては、何も得るものはなくなります。ですので、一通りの話を述べておきました。「急がば回れ」です。
(4)どんな本を読めばいいか
世の中にはたくさんの本があります。私はもし可能なら、すべての本を読みたいと思っています。しかし、それは時間が許しません。私たちは限られた時間のなかで、優先順位の高い本から読んでいくしかありません。
では、どういう本を読めばいいのでしょうか。
答えははっきりしています。自分のゴールに合致する本を読めばいいのです。
短い人生ですから、絞り込みはどうしても必要です。その判断基準は、自分のゴールと関係あるかどうかです。
ここでいう「ゴール」とは、物質的なものも精神的なものも含みます。この人生で到達したい、自分の理想の世界のことです。仏教徒は、「悟りじゃ」と言っています。
ちなみに、悟るとは、自分が生きている物理世界(現実)は幻であると本気で思えるようになり、かつ幻(あの世、情報空間)も現実(物理世界)と同じぐらいリアルに感じられるようになることです。
さて、副島本の読者は、3つに色分けすることができます。
@読書人
A経営者
B投資家・資産家
中間の人はあまりいないようで、綺麗に色分けされます。それぞれ、めざしているゴールが違います。
@読書人は、精神的なものを求めて、副島本を読むのでしょう。「真実に迫りたい」「騙されたまま、死にたくない」などのゴールが設定されているのだと思います。
A経営者は、生きていく上で本当に必要な情報を得るために、切実な思いで、副島本を読むのでしょう。この人たちは、目利きです。講演会でも、質問の内容が違います。「社員たちを食べさせていかなければならない」という物質的なゴールと、「社員たちの幸せのために」という精神的なゴールの両方が設定されているのだと思います。
B投資家・資産家は、お金を持っている人たちです。今回のサブプライム危機では、「インフレが起きますから、現金から株や証券に換えておいた方がいいですよ」とふきこまれて(騙されて)、だいたい家1軒から車1台分ぐらいをふき飛ばしました。こうした人たちには、物質的なゴールが設定されているのだと思います。もちろん、副島本の読者は大損はしていないようです。みんながみんな損をしている状況ですから、致命傷を負わないということが最も大切です。ここで生き延びれば、次のチャンスが到来します。前回の大恐慌(1929年から1933年まで4年間つづいた)のときに破産した人たちの多くは、「ここでひと山当てよう」として、二次被害にあった人たちだそうです。嵐のときは出航しない。こういう時代は家でみかんを食べているのが、本当は一番いいのだと思います。
なお、念のため述べておきますが、精神的なもの(陰)も物質的なもの(陽)もまったく対等な関係です。お互いにバカにしあう傾向がありますが、そんなことは無意味です。なぜならば、実際には両方とも必要だからです。陰(目で見えない、手でさわれない)と陽(目で見える、手でさわれる)は、常に共存しています。陰と陽のバランスが取れたときが、その人が死ぬときです。生きているあいだは、必ずどちらかに偏っています。バランスが崩れていていいのです。そこに上下はありません(『運を良くする―王虎応の世界』(森田健、山川健一著、2009年3月、アメーバブックス刊)125ページから)。
人は、自分のゴールに合致した本を読んでいくのです。
(5)優れた本とは、言葉の定義がしっかりしている本
ここまでで、自分のゴールに合致した本を読むことはわかりました。
では、ゴールに合った本の中から、どのような本を選べばいいのでしょうか。
これも簡単です。優れた本を読んでいくのです。
それでは、優れた本とは、どのような本のことをいうのでしょうか。見分けかたはあるのでしょうか。
私は、優れた本とは、言葉の定義がしっかりとしている本のことだと考えています。その筆者自身が使う言葉に対して、明確な定義がされているかどうかが重要なポイントです。
冒頭で紹介した、「イオン」の意味を調べた化学の本のように記述されていれば、間違いなく優れた本です。力のある筆者でなければ、平易に記述することはできません。辞書や百科辞典の意味を引っぱってくることなら、だれにでもできます。これで、わかった気になってはいけません。
難しい言葉を難しく語るのは、詐欺師がやることです。詐欺師の話は、必ずまわりくどいです。「オレオレ詐欺」でも、絶対にストレートにはききません。物語をつくって、そこに誘いこみます。こうすることで、肝心のこと(本人かどうか、名前、今どこにいるか)に焦点があわせられなくなります。犯罪(人様に迷惑をかけること)です。
彼らにとって、「一言でいうと?」というのが、一番嫌な質問です。今回のサブプライム崩れでも同じです。金融商品の説明はすべて、わかりにくくしてありました。ただし、前者は非合法で、後者は合法です(今のところ)。
そしてこの「一言でいうと?」に答えていくのが、「言葉理解読書法」です。一言ですぱっと言いきれないようでは、その言葉を理解しているとはいえません。「この言葉の中心の意味は何か」という視点からの読書法です。
言葉の定義を聞いてみたら、理解度は一発でわかります。意味不明なことを延々といっている人は、一言で言いきることができません。もちろん、わかっていないからなのですが、では何がわかっていないのでしょうか。
言葉です。言葉に対する理解がないのです。わかりやすい言葉で言いかえることができないのです。「イオン(電荷をもつ粒子)」といったように。それでは、何をいっても伝わるものはありません。その言葉を聞いたときに、頭の中に何のイメージも浮かばないからです。
こういう人が書いた本のことを、駄本(だぼん)といいます。時間の無駄です。
優れた本は、この逆です。筆者は映像を見ながら、言葉を織りなしています。1つ1つの言葉に対して、ありありとしたイメージが浮かんでいます。こういう本はどんどん読みたいです。面白いし、楽しいからです。
いくら言葉の定義が大切だといっても、辞書を引っぱってきて、「はい、定義をしました!」では困ります。意味がありません。わからない言葉を、わからない言葉で言いかえているにすぎないからです。詐欺です。
優れた本に登場する言葉には、しっかりとしたイメージがわく、実感のこもった言葉の定義がされています。言葉が大切にされています。私は筆者の力量は、言葉に出ると考えています。理解のできる言葉を使っているかどうかです。
本には「匂い」がありますが、「匂い」のもとは言葉です。パラパラッとめくって、筆者が言葉をどういう風にあつかっているのかを見れば、優れた本なのか駄本なのかはすぐにわかります。
そのためには、たくさんの騙される経験が必要です。私も勉強代を払って、学んできました。
イメージと実感に加えて、正確に言葉の定義がされている必要もあります。意味をゆがめて使ってはいけません。こういう本は、安心して読むことができません。読んでいて、不安です。ですから初めての読む筆者の本は、ドキドキしながら読みます。すると時々、大当たりがあります。
以上のことを踏まえると、副島本は大変優れている本だと断言できます。なぜならば、言葉の定義にとことんこだわって書かれているからです。副島師は、いい加減な意味で言葉を使うことを許しません。あくまでも正確な意味で使っています。その上で、最大限ユーモアを持って、イメージが浮かび、実感がこもっている言葉を正確な意味で使い、言論を展開していきます。
言葉に血が通っているので、臨場感が大変高いです。映画やドラマを見ているときと同じく、読んでいるときに爆笑が起こったり、震えが来たりします。言葉に対する執念(怨念)さえ感じます。重要な言葉に関しては、徹底的に解説をしています。ごまかすということが一切ありません。最高のお手本です。この論文も、そうして書いています。
言葉の定義に、その人がどういう人生を生きてきたかが表れます。副島師は、常に人間を見ています。「親分−子分関係」という人間関係を国家間に当てはめた「帝国−属国理論」は、その精華です。「いい人」「悪い人」という「決めつけ」も人間に対する深い理解(洞察力)のたまものです。
まとめると、優れた本とは、言葉を大切にしている本のことです。イメージ、実感、正確さに十分な配慮がなされています。こうした本をどんどん読んでいきます。
<今回理解した言葉のまとめ>
(つづく)