「0031」 論文 国際環境制度・機関についての議論に関する一考察(Critical Review of Debates On International Environmental Institutions) 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2009年5月2日
「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。本日は、愛知大学国際問題研究所で発行している論文集に、私が発表した論文を掲載します。論文集は、誰も読んでくれませんので、論文をネット上に公開したいと思います。
欧米の偉い先生方でも、自分の論文をホームページで公開している人は多いです。『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の共著者、ジョン・ミアシャイマー教授もその一人です。
それでは、お読みください。
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国際環境制度・機関についての議論に関する一考察
導入(Introduction)
地球温暖化をはじめとする、地球環境問題(global environmental issues)は、世界全体が直面している、緊急の課題である。一九七〇年代以降、各国政府と国際連合(United Nations)をはじめとする国際制度(international institutions)は環境問題解決に取り組んできている。
こうした環境問題は現在、一国のみの問題ではなくなってきている。水質汚染(water pollution)、大気汚染(air pollution)、オゾン層の破壊(degradation of ozone layer)、森林破壊(deforestation)、地球温暖化(global warming)はまさにそうした、国際的な規模での環境問題となっている。そして、これらの問題を解決するために、各国政府、国連をはじめとする国際機関、そして、近年では、非政府組織(Non-Governmental Organizations、NGOs)が積極的な取り組みを進めている。
いくつかの国際機関や国際的な制度、いわゆる国際環境制度(international environmental institutions)によって、国際環境問題に関して、各国の協調を促進することに成功した。それらの事例としては、一九八〇年のバルト海洋環境保護委員会(ヘルシンキ委員会、Helsinki Commission)の設立や一九八七年のモントリオール議定書(the Montreal Protocol)の実効が挙げられる。しかしながら、国際的な取り決めや枠組みが失敗に終る例もまた存在する。近年では、京都議定書(the Kyoto Protocol)がその例として挙げられる。世界最大の二酸化炭素排出国であるアメリカと、第二位の中国が揃って議定書への調印を拒否したことで、京都議定書は、その実効性が小さく、失敗に終ったという評価が多くなされた。(注1)
ここまで述べてきたように、地球規模での環境問題の解決のために、国際機関や国際制度の創設とその実効性確保に向けての努力がなされ、そのうちのいくつかは成功した。しかし、失敗に終った国際制度創設の試みも存在する。そこで、次のような疑問が起きてくる。国際的な環境問題に取り組む、諸機関や制度は、環境問題を解決するための、各国の協調を促進することに貢献しているのか?更に述べると、国際制度は、国際協調を促進し、国際的な諸問題解決に貢献しているのか?
これらの疑問に対し、本論文では、既存の国際関係論(International Relations)の各学派、具体的には、ネオリベラリズム(Neoliberalism)とネオリアリズム(Neorealism)はどのように解答を提示しているのかを概観する。そのために、国際関係論の様々な文献や論文を概観し、各学派が国際機関について、どのように考えているのかをまとめ、明らかにしていきたい。そしてそれらの議論を分析し、考察を加えたい。
国際制度・国際レジーム・国際環境制度の定義(Definitions)
国際機関、取り決め、枠組みを取り扱った様々な論考を概観する前に、本節では、国際制度、国際レジーム(international regimes)、そして国際環境制度といった用語がどのように定義されているかを代表的論者たちの業績から概観していきたい。
まず、国際制度についである。ロバート・コヘイン(Robert O. Keohane)は、国際制度を「(1)各国政府が共同で創設した組織、もしくは国際的な非政府団体が創設した組織(organizations)、(2)国際レジーム(international regimes)、(3)国際会議(conventions)を含むもの」と定義している。(注2)川出良枝は、国際制度を「国家間で交渉され、明示的な規則を持つ制度」としている。(注3)国際制度概念は包括的な用語であることが分かる。
次に、国際レジームについてである。スティーブン・D・クラズナー(Stephen D Krasner)は、国際レジームについて、「諸原理(principles)、諸規範(norms)、様々なルール(rules)、決定過程(decision-making procedures)のセットであり、それを中心として諸アクターの、様々な問題の解決に対する様々な期待が集中するものである」と定義している。(注4)このクラズナーの国際レジームについての定義について、山本吉宣は、「一九七〇年代のレジームについてのさまざまな定義を最大限取り込んだきわめて包括的なものである」と評価している。(注5)また、鈴木基史は、クラズナーの定義について、「合理的選択論に即した制度的概念」と「構成主義的な社会的概念」の二つの意味が込められていると指摘している。(注6)このように、国際レジーム概念もまた包括的な用語である。
最後に国際環境制度についてである。トーマス・バーナウアーは、国際環境制度を「自然環境に悪影響を与える外部要因を規制することを目的とした、各国間の同意形成を通じて、アクターたち(国家)が設立する国際的な諸取り決めと諸組織のセット」と定義している。(注7)国際環境制度は、国際制度の一種であり、地球規模の環境問題を解決するために国際協調を促進するアクターであると言うことができる。
ここまで、国際関係論の代表的な学者による、国際制度、国際レジーム、そして、 国際環境制度の定義を見てきた。そして、国際制度という用語は、大変に包括的な(comprehensive)用語であることが理解できる。山本吉宣は、国際制度と国際レジームとは同義であるとし、次のように述べている。
(引用はじめ)
ただ、もし違うところがあるとすれば、制度の方がレジームよりも広い可能性があるということである。すなわち、制度=レジームということとともに、制度はレジームを超え、国際組織の面を持つとされることがあり(制度=レジーム+国際組織)、あるいは制度は特定の問題を超えたものと考えられていることもある(制度=レジーム+複数のレジームの相互作用+特定の問題を超えた一般的な規範やルールのセット)。(注8)
(引用終わり)
国際制度は、各国間の合意や取り決めによって形成された制度を指し、あらゆる 形態を含む用語である。また、近年では、国際レジームと国際制度は、ほぼ同義の 用語として使用されている。国際環境制度は、国際制度に含まれ、地球環境問題解 決のために形成されるものである。次節では、こうした国際制度をめぐり、ネオリ ベラリズムとネオリアリズムがどのような主張、議論を展開しているかを概観して いきたい。
国際制度をめぐるネオリベラリズムとネオリアリズムの議論(Debates on International Institutions)
バーナウアーは、一九九五年に発表した論文「国際環境制度が持つ効力」(”The effect of international environmental institutions”)の中で、ネオリベラリズムとネオリアリズムとの間で、国際制度全般に関する論争があると指摘している(三五三−三五四ページ)。また、鈴木基史も、ネオリベラリズムとネオリアリズムの「対決」について言及している。(注9)この節では、二つの学派の議論について概観したい。
一九七〇年代、国際関係論について、新しいアプローチが出現してきた。それがネオリベラリズムである。ネオリベラリズムの主導者たちは次のように主張した。「国際制度は、環境問題、移民問題、人道援助、人権問題、そして国際貿易などの国際規模の諸問題を解決するための、国際協調を促進するために重要な役割を果たしている」と。(注10)
ネオリアリズムとネオリベラリズムは、「ネオネオ統合」(Neo-Neo Synthesis)(注11)と呼ばれるように、いくつかの前提(assumptions)を共有している。それらは、国際政治の無政府的な構造(anarchical structure of world politics)と、国際政治においては国家が合理的なアクター(rational actor)であり、国際関係論に置いて、国家が分析の際の単位となるというものである。(注12)
こうした共通する前提に立って、両者は次のように主張を展開する。ネオリベラリズムの主張は次のものである。「国家は合理的に行動する。合理的な行動の結果、各国は協調することを選択する。そして、国際制度は、国際協調を作り出す上で、重要なインパクトを持つ」と。一方、ネオリアリズムは、「国際制度は、既存の力の配分(distribution of power)と、各国の国益(national interests)が反映される場所に過ぎない」と主張する。(注13)ネオリアリズムでは、国家は、国際政治の無政府的な構造のゆえに、「生存(survival)」を目的とし、行動する。国家の行動は自助(self-help)
が行動原理となる。ネオリアリストは世界について悲観的に考え、国家が判断を誤ると生存不可能、つまり滅亡してしまうと考える。
その中で、各国家は裏切りの誘因を常に持つために、国家間の協力や強調は成立しにくい。その際に、もし国際制度に従わないことが国益となる場合、国家は国際制度の規範やルールとは異なる行動を取る。その際に、国際制度に各国を規範やルールに従わせる強制力が伴わないと、各国の行動を抑制することはできない。従って、国際制度の規範やルールを遵守する国々が減少し、国際制度の効用は小さくなってしまう。
また、ネオリアリストたちの中には、国際制度と覇権についての理論、いわゆる覇権安定理論(Hegemonic Stability Theory)を主張する者たちもいる。覇権安定理論とは、覇権国がその力を背景とし、安全保障や国際金融の分野で、国際制度を創設し、秩序を形成するという理論である。(注14)ネオリアリズムに属する学者たちは、「国際制度は、力の配分を反映するものである」と主張するのである。この主張を更に進めると、「覇権国が衰退し、力を失うと国際制度が維持されなくなる」ことになる。一方、ネオルベラルのコヘインは、覇権国が衰退した後(after hegemony)も、国際制度は維持され、機能すると主張している。(注15)コヘインはその理由を、「国際制度は覇権国衰退前に制度化され、国際レジームが維持されることが、各国の利益に適うことになるから」である、としている。コヘインはアメリカの覇権の衰退が叫ばれ始めた一九七〇年代以降も、国際制度が維持されたことに着想を得て、このような主張を行った。
このように、国際制度をめぐり、ネオリベラリズムとネオリアリズムは全く異なる主張を行っている。次節以降において、国際環境制度について、ネオリベラリズムとネオリアリズムのそれぞれの主張を概観していく。まず次節では、ネオリベラリズムに属する学者たちが、国際環境制度についてどのような主張を行っているか、概観していく。
ネオリベラリズムの主張(Neoliberal Arguments)
本節では、国際機関、並びに国際環境機関についての、ネオリベラル派(Neoliberalism)の主張をより詳しく概観していきたい。前節で概観したように、ネオリベラル派は、国際制度について積極的、肯定的な評価を与えている。そして、ネオリベラリズムに属すると言われる学者たちは、国際環境制度の成功例のケーススタディを行っている。この節では、そういった論考を取り上げて、概観していきたい。
ピーター・M・ハース(一九八九)は、国際環境レジームは、参加各国の態度や政策を変化させることを通じて、様々な問題を解決する上で、重要な役割を果たす、と主張する。ハースは、「なぜ多くの国々が、最初は反対していたのに、最後は国際環境レジーム従うようになるのか」という問題を設定する。(注16)ハースは、地中海アクションプラン(Mediterranean Action Plan、Med Plan)を事例として取り上げ、国連環境プログラム(United Nations Environment Programme、UNEP)に支援された専門家たちや科学者たちの集まり、つまり知識共同体(epistemic communities)が、地中海沿岸各国の環境政策決定や環境保護への取り組みに、いかに関与し、それらを変化させたかを詳述している。
UNEPや地中海アクションプランの下、環境問題を専門とする科学者たちと専門家たちは各国から集合し、知識共同体を形成する。共通の理解を深め、原理や情報を共有する。(注17)地中海アクションプランの下、知識共同体を形成した専門家たちや科学者たちは、地中海沿岸各国の環境政策に大きな影響を与えた。そして、彼らは、各国が協調的な環境政策を採ることに貢献した。ハースは、各国家がそれぞれの相違、例えば、宗教、経済力、体制を超えて、協調的な環境政策を採ったことの意義を強調している。ハースは地中海アクションプランという国際環境制度のケースに注目し、その成功の基礎に知識共同体があると主張している。
コヘイン、ハース、そしてマーク・レヴィ(一九九三)は、オゾン層破壊、酸性雨、海洋汚染など、深刻な、地球規模の環境問題を解決する上で、国際環境制度は重要な役割を果たしたと主張している。環境問題は自明のように、地球規模で拡大し、もはや一国の努力だけで解決することは不可能となっている。こうした地球規模の環境問題を解決するために、国際化環境制度が創設される。(注18)そして、筆者たちは、国際環境制度は大別して、三種類の活動を行っている、としている。それらは、(一)問題設定(agenda setting)、(二)国際的に共通の政策形成(international policies formulation)、(三)各国の政策形成(national policy development)である。(注19)国際環境制度は、まず、環境問題を顕在化させ、人々に認識させる活動を行い、各国のコンセンサスを形成しそれを基に、国際環境制度がその解決方法を提示し、各国政府がそれらを政策として採用するように、圧力をかける。その結果、各国は地球環境問題を解決するための共通の政策を採るようになる。
コヘインらは更に、国際制度全般について論を進め、国際協調を成功させるための条件について言及している。彼らは、国際制度は「三つのC」を持つべきだ、と主張している。(注20)この三つのCは、(一)懸念(concern)、(二)契約の基盤(contractual environment)、(三)能力(capacity)である。更に、国際制度が成功するためには、報酬と制裁を与えると同時に、情報や技術を与え、各国政府の、消極的な態度や政策を変える能力を持つべきだとしている。(注21)コヘインらは、金融や軍事の分野で国際制度が果たす役割は限定されるとしながらも、国際制度は、そのネットワークを基にして、国際協調を促進し、各国家に国際制度への参加を促す誘因を持っている、と結論づけている。
オラン・R・ヤング(二〇〇二)もまた、国際環境制度について、その重要性を主張している。ヤングは国際制度をどのように研究すべきかを明らかにし、その中で、国際制度の定義について、「薄い(thin)」定義と「厚い(thick)」定義と分けるべきである、と主張している。(注22)ヤングによると、国際制度についての「薄い」定義は、ルールと手続きに限定され、「厚い」定義は行動とその結果が含まれる。ヤングは国際制度の「薄い」定義を使用することを推奨している。
更に、ヤングは、国際制度は、国際環境制度研究の持つ、三つの面にも言及している。(注23)それらは、(一)国際環境制度と地球環境との間の因果関係(causality)、(二)国際環境制度のパフォーマンス(performance)、(三)国際制度の制度設計(design)である。ヤングはこれらを研究の際に規準にすべきであると主張している。
ここまで、ネオリベラルの学者たちの国際制度、国際環境制度についての議論を概観してきた。まとまると次のようになる。彼らは、「国際環境制度は、地球規模の環境問題を解決するために、国際協調を促進する」と主張している。そのために、国際制度は規範やルールを明らかにし、それを各国に従うよう、促す、もしくは圧力をかける。それによって、地球規模の諸問題を解決することができる。また、各国にとっても国際制度に従って行動することが最も合理的な、つまり国益に適うような行動となる。次節では、ネオリアリズムに属する学者たちの国際制度についての主張を概観していく。
ネオリアリズムの主張(Neorealist arguments)
前の節で概観したように、ネオリアリズムは国際制度については、悲観的な主張を行っている。従って、ネオリアリズムに属する学者たちが個別の国際制度について研究した業績は存在せず、国際環境制度もまたその例外ではない。従って、この節では、ネオリアリズムの国際制度全般に対する主張を詳しく概観する。
ジュリオ・ギャラロッティ(一九九一)は、「どうして多くの国際制度や国際スキームが失敗してしまうのか」という問題設定を行っている。(注24)ギャラロッティは、国際制度の重要性を認識しながら、同時に、その不安定さを指摘している。そして、国際制度・組織の運営・運用の方法について、以下のように批判している。(注25)
第一に、国際制度・組織は、「複雑で、連鎖的なシステム」の運営を実行する上で、不安定なものとなってしまう。(注26)国際制度・組織は、開発や貧困などのグローバルな諸問題を扱うが、そもそも、それらの問題は大変に複雑で、解決のための有効な手続き、手段、政策を策定し、実行することは困難である。第二に、国際制度・組織は、意図とは全く異なった結果をもたらす、という問題を抱えている。国際制度・組織は時に、「短期的な目標を達成するために、各国に大きな負担を伴う解決するための圧力をかける」ことがある。(注27)その結果、各国は、長期的な展望に立って、実行可能な解決方法を取ることを放棄してしまう。
第三に、ギャラロッティは、国際制度・組織は各国間の争いを助長してしまう、と述べている。(注28)国際制度・組織は、「各国の外交政策に対して、道徳的な押しつけをしてしまう存在となってしまう」(注29)その結果、各国間や国際組織内部で争いが発生してしまう。第四に、国際制度・組織はモラルハザード問題を抱えている。国際制度・組織に強制力がない場合、各国は負担を忌避し、義務を履行することを簡単に放棄してしまう結果となる。
スティーブン・D・クラズナー(一九八三)は、国際レジーム研究の異なるアプローチについて概観し、その中で、クラズナーは、国際レジームの役割を否定的に評価する、リアリズムのアプローチについて言及している。クラズナーは、「ネオリアリストを含む、リアリストたちは、国際レジームという考え方自体が否定されされるべきだと主張する。それはリアリストたちが、国際レジーム概念が国際政治における各国の行動を左右する、利益の重要性や各国の力関係を全く無視していると考えているからだ」と述べている。(注30)従って、各国の利益や力関係が変われば、国際制度も変化してしまい、また、大国は国際制度から簡単に離脱することが出来る。つまり、国際制度は大変に脆弱であり、国際制度は地球規模の諸問題を解決し、また国際協調を促進するための、自律的な(autonomous)能力を有していない、とリアリストたちは主張している。
スーザン・ストレンジ(一九八三)は、国際レジーム概念を批判し、国際レジームという用語を使用する際に陥る五つの欠点を指摘している。第一に、ストレンジによれば、国際レジームという概念は過大評価されている。それは、アメリカ人たちは一九七〇年代の劇的な変化、つまりアメリカの覇権パワーの衰退を過大評価しているからである。しかし、アメリカは依然として、国連やIMFなどの国際制度の多くをコントロールし、国益を追求している。
第二に、国際レジームという用語の定義が曖昧である。第三に、国際レジームという概念は、偏った価値判断を含んでいる。ストレンジは、「政府、統治、権威は世界の本質を成している。それらの定義には、コンセンサス、正義、統治の能率を含んでいる訳ではない」(注31)しかしながら、「レジーム」には偏った価値を含まれている。
第四に、ストレンジは、ネオリベラリズムの国際レジーム概念は、静的(static)過ぎる、と批判している。(注32)ネオリベラリズムは、国際レジームが安定的に国際システムを運営し、無政府的な国際政治に幾ばくかの信頼を与えている」と主張している。しかし、ストレンジは、国際レジームは、テクノロジーと市場の二つのファクターに依拠しており、これらが動的である以上、国際レジームもまた動的であり、安定的ではないとしている。第五に、国際レジーム概念が、国家中心的(state-centric)な概念である、とストレンジは喝破している。(注33)
ストレンジは次のように主張する。国際組織は、諸問題を解決するための、各国間の交渉を円滑に進めるために創設されたものである。そのため、交渉の議題となる諸問題は、国家によって認識され、提起されねばならない。従って、国家以外の存在、個人や非政府組織(NGOs)が提起したい問題があっても、国家がそれを無視してしまえば、そのような問題は、国際組織で解決のために交渉されることはない。ストレンジは、国際制度は国家間の枠組みに過ぎず、各国家の国益がぶつかり合う場所であり、国際制度があれば地球規模の諸問題が解決されるという主張は楽観的であるとしている。
ここまでネオリアリズムの学者たちの、国際制度全般について議論を概観してきた。まとめると次のようになる。彼らは、国際環境制度だけでなく、国際制度全般に対し、否定的な評価を下している。国際制度は、地球規模での諸問題を解決することができず、各国の協調をも促進することができないとしている。それは、国際制度が、各国の権力配分を反映し、大国の意図に左右される存在であるからである。また、国際制度は、強制力を持たない存在であるため、各国がルールや規範に従う誘因(incentive)を生みだすことができず、結局、地球規模の諸問題を解決することにはつながらない 。
これまで、ネオリベラリズムとネオリアリズムの国際制度についての主張をそれぞれ概観してきた。次節では、これまで概観してきたそれぞれの主張についての筆者なりの分析、考察を行っていきたい。
議論の分析(Analysis of the Arguments)
これまでの各節では、国際制度、国際環境制度についての、ネオリアリズムとネオリベラリズムの議論について概観してきた。この節では、両者の議論を分析し、その相違点の基となるポイントについて述べたい。ここでは特に両者の議論の相違点が何故起こるのかについて考察してみたい。
ネオリベラリズムとネオリアリズムの制度に関する主張については、これまで概観してきたように、国際制度、国際環境制度について、ネオリベラリズムはその効用を肯定的に評価をしている。一方、ネオリアリズムは、それらについて、否定的な評価を下している。
しかし、前述したように、ネオリベラリズムとネオリアリズムは、「ネオネオ統合」と呼ばれるように、いくつかの前提を共有している。それらは、国際政治は無政府的な構造を持ち、国家が単位であり、その国家は合理的に(国益に適うように)行動する、というものである。しかしながら、国際制度に関して、ネオリベラリズムとネオリアリズムは、これまで見てきたように異なる主張を行っている。
このような共通性と相違によって、異なる主張がなされるのは、「合理性(rationality)」という用語の定義がネオリベラリズムとネオリアリズムで異なるためである。ネオリベラリズムは、各国が国際制度を創設し、協調的な行動を取ることが「利益(interest)」につながると、「合理的に」判断し、そのように行動すると主張している。一方で、ネオリアリズムにおいて、国益はアナーキーな世界で「生存すること」であり、そのための行動原理は「自助」である。ネオリアリストが想定する世界は、国家が判断を誤ると生存が不可能になる世界である。この前提に立つならば、「力(power)」を最大化する(絶対的、相対的の区別はあるが)ことが最も「合理的な」行動となる。ここで、「合理的」、「合理性」が問題となる。
ネオリベラリズムとネオリアリズムは、同じ用語を使用しながら、その意味するところは全く別で、それによって、異なる結論に達している。では、「合理性」という用語の定義の違いはどこから生まれてくるのか。それをロバート・アクセルロッド(Robert Axelrod)とコヘインの研究から考えていきたい。
アクセルロッドとコヘイン(一九九三)は、国際協調に影響を与えるファクターを三つ挙げている。(注34)それらは、利益の相互性(mutuality of interests)、未来の陰(shadow of the future)、プレイヤーの数(number of players)である。その中で、未来の陰が重要である。それは、この未来の陰が国際協調を促進する、とアクセルロッドとコヘインは主張しているからである。そして、この未来の陰は、「各国家は繰り返し、ゲームを行う。その結果、各国は協調することが最も合理的であることを認識する」という前提に立っている。これによって、一回のゲームで負けても、国家は滅びることなく、再びゲームに参加できるということになり、楽観的な前提である。これは、一回のゲームでも負けてしまえば、国家は生存できずに滅亡してしまう、とするネオリアリズムの前提と正反対である。ここに、ネオリベラリズムとネオリアリズムの相違の根本的な理由がある。
また、ネオリベラリズムとネオリアリズムの主張の相違は、社会科学の方法論(methodology)の違いにも基づいている。具体的には、帰納的な結論の導き方(deductive logic)と演繹的な結論の導き方(inductive logic)によって、ネオリベラリズムとネオリアリズムの主張の相違が生じている。帰納法は、個別の事例から一般的な規則を導き出すという方法である。一方、演繹法は、一般的な前提から、個別的な結論を得るという方法である。
ネオリベラリズムにおいては、国際制度の具体的な事例研究を積み重ね、その結果として、帰納法的に、「国際制度は国際的な諸問題を解決するために、国際協調を促進する、国際環境制度は環境問題を解決するために役立っている」という結論に達している。本稿でも取り上げたハースの研究はまさに帰納法的な方法を取っている。一方、ネオリアリズムは、「国際政治の無政府的性格と国益の定義(国家の生存のために力を最大化すること)」という前提に基づいて、「国際制度は、国際問題を解決するためには役に立たない」という結論を導き出している。拙稿でも概観した、クラズナーとストレンジの主張もまさに帰納法的な結論の導き方をしている。
こうしたネオリベラリズムとネオリアリズムの方法論は限界を含んでいる。つまり、ネオリベラリズムは事例選択(case selection)において、バイアス(bias)が生じないようにせねばならないが、成功事例と考えられる国際制度や国際環境制度を選択し、研究してしまう傾向にある。一方、ネオリアリズムは、一般的な前提を重視し結論を導き出しているので、成功している国際制度や国際環境制度を個別、具体的に研究することが少ない。
これまで概観してきたように、ネオリベラリズムとネオリアリズムの国際制度、国際環境制度についての主張は、正反対のものである。そして、本節では、その相違の理由を分析し、考察してきた。それぞれの相違は、ネオリベラリズムとネオリアリズムで、国家の「合理性」の意義が両者で異なり、それは両者の前提が、国家の「生存」について考えが異なるためである。また、それぞれのアプローチが帰納法と演繹法を採用しているために、両者の主張の間に相違が起きているのである。
結論(Conclusion)
本稿では、国際関係論におけるネオリアリズムとネオリベラリズムの、国際環境制度についての議論を概観してきた。国際環境制度について、これら二つのアプローチは異なる主張を行っている。ネオリベラリズムは、地球規模の環境問題を解決する上で、国際環境制度は中心的な役割を果たすと主張する。一方で、ネオリアリズムは、国際制度全般について、その効用を小さいと主張する。このように、ネオリベラリズムとネオリアリズムの主張は全く異なっている。
このように、ネオリベラリズムとネオリアリズムは、正反対の主張を行っているが、それぞれの主張の基礎となるいくつかの前提を共有している。前提を擧有しているにもかかわらず、どうして主張に相違が生じるのか、その理由について、拙稿で分析し、考察した。主張の相違の理由としては、共有している前提の「合理性」という用語の定義の違いと、それぞれの採用している方法論の違いが挙げられる。
ネオリベラリズムの「合理性」は「利益の最大化」を追求することであり、ネオリアリズムの「合理性」は「力の最大化」を追求することである。そして、この相違は、それぞれのアプローチの国際政治に対する見方、「国際政治のゲームは繰り返し参加できるのか否か」を反映している。また、ネオリベラリズムは帰納法を主に採用し、ネオリアリズムは演繹法を採用している。これらもそれぞれの主張の相違に影響を与えている。これまで見てきたように、ネオリベラリズムとネオリアリズムの相違は、社会科学における、根本的な用語法や方法論の違いを反映したものと言うことができる。
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久米郁男、川出良枝、古城佳子、田中愛治、真渕勝『政治学』(有斐閣、2003年)
鈴木基史『国際関係』(東京大学出版会、2000年)
山本吉宣『国際レジームとガバナンス』(有斐閣、2008年)
(注1)京都議定書に対しての評価については“U.S. Rejection of Kyoto Protocol Process” The American Journal of International Law Vol. 95 No.3 2001 (July). 647−650ページ。
(注2)Robert O. Keohane, International Institutions and State Power (Boulder: CO, Westview Press, 1989).3−4ページ。
(注3)久米郁男、川出良枝、古城佳子、田中愛治、真渕勝『政治学』(有斐閣、2003年)、289ページ。
(注4)Stephen D. Krasner, International Regimes (Ithaca: NY, Cornell University Press, 1993). 1ページ。
(注5)山本吉宣『国際レジームとガバナンス』(有斐閣、2008年)、35ページ。
(注6)鈴木基史『国際関係』(東京大学出版会、2000年)、169ページ。
(注7)Thomas Bernauer, “The effect of international environmental institutions” in International Organization Vol.49 No.2 1995 (Spring). 352ページ。
(注8)山本、前掲書、42ページ。
(注9)鈴木、前掲所、125−129ページ。
(注10)James E. Dougherty and Robert L. Pfaltzgraff, Jr. Contending Theories of International Relations: A Comprehensive Survey, 5th Edition. (New York: Longman, 2001). 68ページ。
(注11)Ole Waever. “The rise and fall of the inter-paradigm debate” in Steve Smith, Ken Booth and Marysia Zalewski (eds). International theory: positivism and beyond (Cambridge: Cambridge University press, 1996).163−164ページ。
(注12)Robert O. Keohane. After Hegemony: Cooperation and Discord in the World Political Economy (Princeton: Princeton University Press, 1984). 7−8ページ;山本、前掲書、12ページ。
(注13)Bernauer, “The effect of international environmental institutions”. p.354; Robert O. Keohane, Neorealism and Its Critics. Ch.3-4.
(注14)山本、前掲書、42ページ。
(注15)Keohane. Robert O. After Hegemony: Cooperation and Discord in the World Political Economy (Princeton: Princeton University Press, 1984). 64−65ページ。
(注16)Haas, Peter M. “Do regimes matter? Epistemic communities and Mediterranean pollution control” International Organization Vol.43 No.3 1989 (Summer).379ページ。
(注17)同上、384−388ページ。
(注18)Keohane, Robert O., Peter M. Haas, and Marc A. Levy. “The Effectiveness of International Environmental Institutions” in Peter M. Hass, Robert O. Keohane, and Marc A. Levy (eds). Institutions for the Earth: Sources of Effective International Environment Protection.(Cambridge: MA, The MIT Press, 1993).6−8ページ。
(注19)同上、12−17ページ。
(注20)同上、20−21ページ。
(注21)同上、21−23ページ。
(注22)Young, Oran R. “Environmental Change: Institutional Drivers, Institutional Responses” in Oran R. Young. The Institutional Dimensions of Environmental Changes: Fit, Interplay, and Scale. (Cambridge: MA, The MIT Press, 2002). 6−7ページ。
(注23)同上、11−19ページ。
(注24)Giulio M. Gallarotti. “The Limits of international organization: systematic failure in the management of international relations” in International Organization Vol.45 No.2 1991 (Spring). 185ページ。
(注25)同上、192−210ページ。
(注26)同上、199ページ。
(注27)同上、192ページ。
(注28)同上、199ページ。
(注29)同上、204ページ。
(注30)Krasner, Stephen D. “Structural causes and regime consequences: regimes as intervening variables” in Stephen D. Krasner (eds). International Regimes. (Ithaca: NY, Cornell University Press, 1983). 10ページ。
(注31)Strange, Susan. “Cave! Hic dragones: a critique of regime analysis” in Stephen D. Krasner (eds). International Regimes. (Ithaca: NY, Cornell University Press, 1983). 344ページ。
(注32)同上、346ページ。
(注33)同上、350ページ。
(注34)Axelrod, Robert and Robert O. Keohane. “Achieving Cooperation Under Anarchy: Strategies and Institutions” in David A. Baldwin (eds). Neorealism and Neoliberalism. (NY: New York, Columbia University Press, 1993). 89−98ページ。
(欧文要約)
Critical Review of Debates On International Environmental Institutions
Haruhiko FURUMURA
(Summary)
This paper examines the debate on international environmental institutions. Neoliberalism and Neorealism are the current major approaches in International Relations. These two approaches have different evaluations toward international environmental institutions. But, these two approaches share the assumption that the states act based on rationality (Neo-Neo Synthesis). Why do Neoliberalism and Neorealism have differences while they assume that they share the assumption? In this paper, the author claims that the definitions of the word ‘rationality’ and the methodological differences (deduction and induction) are elements of the difference between Neoliberalism and Neorealism. This paper concludes that the difference of evaluations of international environmental institutions reflects the fundamental differences of methodological approaches in social sciences.
(愛知大学国際問題研究所「紀要」133号掲載論文、おわり)