「0048」 翻訳 上海が国際金融と物流の世界規模の中心地となる(1) 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 2009年9月5日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。今回は、上海についての論文をご紹介したいと思います。この論文は、このウェブサイトで何回もご紹介している、おなじみのブルッキングス研究所のチェン・リ博士が発表しました。この論文は、中国では各地域の発展は、その場所の利益代表である政治家たちの力関係で決まる、という主題のもとに書かれています。

 その具体例として、リ博士は、上海を取り上げています。中国政府は、上海を国際金融と物流の世界的な中心地として発展させようと様々な政策を採用しています。そして、こうした経済政策、開発政策には、中央政界の力関係が反映している、とリ博士は主張しています。日本でもこれは同じだと思います。有力政治家の地域はインフラ整備が進んできました。

 この論文の中で、リ博士は、中国政治のダイナミクスも変化してきていることを指摘しています。ゼロサムゲームではなく、派閥が共存するようになってきているようです。権力の継承が粛清などを伴わない形になっていくことで、中国政治も変化をしていくことになるのだと思われます。

 それでは拙訳をお読みください。

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「龍の頭(Head of the Dragon)」上海が復活する:中国の国際金融と物流の中心として

China Leadership Monitor No.28 (Spring 2009) Brookings Institution

チェン・リ(Cheng LI)

 

要旨:1990年代、中国の国営メディアは、上海(Shanghai)を「龍の頭(head of the dragon)」と形容していた。「龍の頭」という形容は、上海が、長江(Yangtze River)デルタ地域、長江流域、そして中国全体を先導するという重大な役割を果たしていることを意味している。上海は、21世紀の中国の経済成長と世界経済とのより一層の結びつきを先導するという役割を担っている、と言われてきた。しかし、「上海は龍の頭である」という譬(たと)えは、2002年に江沢民(Jiang Zemin、こうたくみん)が中国共産党総書記(secretary-general of the Chinese Communist Party)の職を退いて以降、あまり聞かれなくなった。江沢民は上海で出世の糸口をつかんだ人物である。江沢民の跡を受けた、胡錦濤(Hu Jintao、こきんとう)と温家宝(Wen Jiaobao、おんかほう)は、中国国内の各地域の均衡ある発展を志向し、上海以外の主要都市、特に重慶(Chongqing)と天津(Tianjin)の経済成長を促進する政策を実行している。2000年代、中国政府はマクロ経済政策を実行した。2006年、陳良宇(Chen Liangyu、ちんりょうう)上海市中国共産党書記兼市長は失脚してしまった。その結果、上海は経済と政治における特権的な地位を失ってしまった。2009年3月、世界同時不況が進行する中で、中国政府は、上海を「2020年までに世界の金融・物流の中心地とする」という大きな政策転換を決断し、その実現に向けての計画を発表した。中国の最高指導者層の力によって、再び、上海に対しての優遇政策が実行されることになった。この論文では、中国の経済成長を再びリードるすことになる上海の経済、政策、政治家、海外との関わりを論じる。

 

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 上海市の東部にある浦東(Pudong、ほとう)地区には無数の美しい高層ビルが林立している。浦東地区の高層ビル群を見れば、中国が21世紀に国際政治と経済の分野で世界をリードする決意を持っていることが良く分かる。1999年、浦東でフォーチュン・グローバル・フォーラム(Fortune Global Forum)が開催された。世界中から参加した多くの企業家たちや政府関係者たちを前にして、江沢民(Jiang Zemin、こうたくみん)国家主席は次のように述べた。「ほんの6年前まで、今、私たちが一堂に会している、浦東区陸家嘴(Lujiazui、りくかこう)には、荒れ果てた住宅と農地しかなかったのです」

浦東地区

 現在、浦東区には、140以上の高層ビルがあり、中国と諸外国の銀行、保険会社、投資会社などの本店、支店の数は500を超えている。浦東区陸家嘴は、「中国のマンハッタン(China’s Manhattan)」と呼ばれるほどの、金融街となっている。都市の発展形態について研究している学者たちは、次のように指摘している。「マンハッタンは、一世紀以上の時間をかけて、今のような発展を遂げた。上海は、ほんの10年ほどの期間で、大きな発展を遂げた」

 あまり報道されないが、上海市の発展にとって重要な要素がある。それは、洋山深水港(Yangshan Deepwater Port、ようさんしんすいこう)が建設されたことである。洋山深水港は、世界最大のコンテナ積み下ろし港となる。洋山深水港は、上海市の中心部から約27.5マイル(約17キロ)離れた小さな島に建設された。洋山深水港は、浦東区と東海大橋(Donghai Daqiao、East Sea Grand Bridge、とうかいおおはし)で結ばれている。東海大橋は、2005年に完成し、全長は20マイル(約32.5キロ)である。海を横切る橋としては世界第2位の長さがある。その長さだけで見ても、世界第6位に相当する。洋山深水港は、2002年に建設が開始された。洋山深水港には、4つの工区があり、第一工区と第二工区はすでに完成し、現在、第三工区が建設中である。2012年には、全長6マイル(約10キロ)のドックに、3つのターミナルが完成している。これによって、同時に30隻のコンテナ船が接岸し、コンテナの積み下ろし作業を行える。年間1500万個の20フィート(約6メートル)・コンテナ(1日当たり41000個)を処理することができる。上海はすでに、貨物物流では世界最大、コンテナ物流では世界第二位の港である。巨大な洋山深水港が完成することで、上海は、シンガポール、香港、釜山、ドバイなどとの物流競争において一歩リードすることになる。

  

洋山深水港        東海大橋

上海発展のための、新しい、そして野心的な計画

 2009年3月25日、温家宝国務院総理が主催する国務院部長会議(閣議)の席上、上海が中国の経済発展をリードするために必要な計画が承認された。中央政府は、上海市政府が、市内に目指した金融・物流センターを建設することを承認した。このセンターは2020年までの完成を目指している。センターの完成によって、上海は、金融と物流の2つの分野で中心(dual center status、双中心、shuang zhongxin)となる。上海に既に存在している金融分野は、物流産業に対して、必要な資金を提供することができる。また、上海が物流の世界的な中心(hub、ハブ)となることで、金融分野の発展に貢献することができる。

 中国の発展のために上海に金融・物流の中心地を建設する戦略の実現のために、多くの政策の実行が不可欠となる。その分野は、優遇税制、市場自由化、人民元と外国通貨との交換比率など多岐にわたる。中国政府は、こうした諸政策の実施によって、上海市の近代的なサービス産業の育成と先進技術を取り入れた製造業の発展を狙っている。3つのプロジェクト(世界で6番目のディズニーランドの建設、北京・上海高速鉄道の建設、大規模な飛行機組み立て工場の建設)と2010年の万博によって、上海は中国の経済発展をリードする中心地となる。不動産、社会資本、交通、通信、観光、物流など多くの産業分野は、上記のプロジェクトの完成によって、大きな利益を得ることになる。

 2009年の4月初旬、中国政府は、珠江デルタ地域(Pearl River Delta)にある4都市において、人民元(renminbi、RMB)を貿易決済に使うことを許可した。その4つの都市とは、広州(Guangzhou)、深釧(Shenzhen)、東莞(Dongguan)、珠海(Zhuhai)である。

   

広州       深釧      東莞       珠海

 この措置は、「為替レートの変動から発生するリスクを減らし、減少を続けている海外貿易を活性化させる」ことを目的としていた。2009年初め、中国人民銀行(People’s Bank of China、訳者註:中国の中央銀行)は、通貨スワップ協定(bilateral currency swap agreements)をインドネシア、ベラルーシ、韓国、香港、マレーシア、アルゼンチンとそれぞれ結んだ。その総額は、2011年までに6500億元(約9500億ドル、約90兆円)規模となっている。国際貿易の決済手段として人民元を使用することは、長期的に見ると、2020年までに、人民元の為替自由化に向けての流れにあるという意味だけではない。そこには、周小川(Zhou Xiaochuan、しゅうしょうせん)中国人民銀行総裁の意向がある。その意向とは、国際準備通貨の地位をドルから人民元に少しずつ移すというものである。

周小川

 中国の有識者たちは、上海に金融と物流の2つの中心を建設するという中国政府の決定を、1990年のケ小平が下した「上海の浦東区を開発する」という歴史的に重要な決定に並ぶくらい重要である、と確信している。上海に金融・物流の中心を建設するという戦略によって、中国全体の産業構造を、金融分野がけん引することで変化させることができる(industrial restructuring、産業調整、chanye tiaozheng)、と有識者たちは考えている。ある学者は、次のように言いきっている。「上海に金融センターを建設するのは、アメリカの金融覇権(financial hegemony)を打ち破るためなのだ」と。そこで、中国にとっては、莫大な外貨準備(foreign reserves)を、しばらくの間、減らさないことが最重要課題である。上海は国際的な金融センター、という重要な役割を果たしつつある。また、上海は、中国の外貨準備を減らさないという目標の達成に向けて重要な役割を果たしている。

 中国政府は、上海を、中国経済の強さの象徴として、諸外国にアピールすることを決定した。国際市場における人民元の地位は高まり、物流分野において、中国は成長を続け、世界有数の処理能力を有するまでになった。最近になって、中国のメディアは、上海を、再び、「龍の頭(head of the dragon)」(龍頭、longtou)と呼ぶようになっている。中国の有識者たちやメディアは、上海が、中国の龍頭になるのはもちろんだが、北東アジア地域全体の龍頭になると繰り返し語っている。その際、上海は、物流分野で北東アジアの中心地となるはずだ、と彼らは述べている。しかし、上海を金融と物流センターとして発展させると中央政府は決定を下した。しかし、上海市政府はこの決定を受け入れがたいはずだ。なぜなら、上海市政府が長年進めてきた、外国資本、国内資本に進出してもらうために、土地を安く貸し出す、というモデルが意義を失い、転換を迫られるということを認めなければならないからだ。

 これまでの上海の発展は、中国国内、そして海外の大都市との競争に打ち勝ち、それらの犠牲の上に進められてきた。1990年代から、上海は、北京と天津という中国の2大都市と、金融センターの地位をめぐり、激しい競争を繰り広げてきた。今回の中国政府の決定によって、上海以外の港湾都市は、国際物流分野で、更なる競争にさらされることになる。中国の代表的な港湾都市は、上海より南側にあるのは、深釧、広州、寧波(Ningbo)であり、北側にあるのは、大連(Dalian)、天津である。

    

寧波        大連       天津

 アジア・太平洋地域にある諸外国の港湾都市(シンガポール、香港、釜山、高雄、横浜)も、上海の発展によって、プレッシャーを受けることになる。温家宝国務院総理は、香港メディアとのインタビューの中で次のように明言した。「上海が金融と物流の面で発展を遂げつつある。香港はもっと競争力を高めないと、上海に敗れてしまうだろう」と。上海が再び、中国の「龍頭」の地位を回復するということは、中国国内の政治と経済に大きな影響を与えることを意味する。それだけでなく、上海の発展は、諸外国にも影響を与えることになるのだ。

国際金融危機:中国にとって危機か、チャンスか?

 国際金融危機は中国経済に決定的なインパクトを与えている。これは間違いないところだ。2009年4月中旬、中国政府は、2009年第一四半期の経済データを発表した。それによると、同時期のGDP成長率は6.1パーセントという低水準であった。この数字は、この10年で、最低の数字であった。2008年第一四半期の成長率と比べると、4.5パーセントも低い数字であり、2008年第四四半期の成長率を更に0.7パーセント下回る結果となった。中国経済の減速の原因は、中国の主要な貿易相手国(EU、アメリカ、日本)が経済不況に陥り、輸出が減少したことである。保護貿易に、中国の中小企業の資金繰りが悪化したことで、中国の貿易は大きな打撃を受けた。2009年第一四半期、中国の外国貿易は25パーセントのマイナスを記録した。輸出は20パーセント、輸入は31パーセント減少した。上海の物流も、国際金融危機のせいで、減速してしまった。最近の経済レポートによると、2008年12月、上海は220万個のコンテナを処理した。この数字は2007年12月に比べ、5パーセントのマイナスである。2009年1月では、処理したコンテナ数は190万個に落ち込み、2008年1月と比べ、17パーセントの減少となった。2009年2月のコンテナ処理数は、150万となり、2008年2月と比べ、19パーセントのマイナスとなった。

 中国のような輸出主導型・労働集約型の経済構造の国では、GDPの成長率と外国貿易が鈍化することは、経済全体に大きなマイナスをもたらすようになってしまう。中国の東部、南部の沿岸地域は経済発展が著しかった。しかし、現在、そうした地域にある多くの工場や商店が閉鎖を余儀なくされている。2008年秋以降、2000万人の失業者が発生し、大学新卒者のうち、100万人が就職できていない。同時期、中国の平均株価は、65パーセントも下落し、失われた資産は、3兆ドル(約290兆円)にものぼる。上海証券取引所は、2008年、世界中の証券取引所の中で、国際金融危機によって最も株価が下落した証券取引所という不名誉な称号を得ることになってしまった。

 中国の銀行や金融機関もまた、国際金融危機によって、資産を大きく減らす結果となった。中国銀行(Bank of China)は、約20億ドル(約1800億円)もの損失を出した。それは、破たんしたリーマンブラザーズ(Lehman Brothers)、ファニーメイ(Fannie Mae)、フレディマック(Freddie Mac)の株式と、アメリカ財務省長期債券(U.S. Treasury bonds)に積極的に投資していたためだ。中国政府は、政府系ファンド(national sovereign wealth fund)として、中国投資有限責任公司(China Investment Corporation)を設立した。2000億ドル(約18兆円)のお金を運用している。中国投資有限責任公司は、ブラックストーングループ(Blackstone Group)、モルガンスタンレー(Morgan Stanley)、リーマンブラザーズ、JCフラワーズ(JC Flowers)、アメリカ財務省長期債券などに投資している。そして、中国投資有限責任公司は巨額の損失を出している。中国国民は、中国投資有限責任公司が出した巨額の損失を、中国政府の失敗だ、と考えている。中信泰富(CITIC Pacific Group)や中国人寿保険集団(China Life Insurance Group)などの多くの金融機関は、為替レートの変動によって、大きな損失を出した。2008年の中国に対する外国からの直接投資(foreign direct investment)は、210億8000万ドル(約2兆円)であった。これは、2007年に比べると、56億ドル(約5000億円)も減少している。それに加えて、中国からの資金の引き揚げも加速している。外国の金融機関は、損失の穴埋めのために、中国に投資している資金を本国に引き揚げている。

     

中国投資有限責任公司  中信泰富    中国人寿保険集団

 中国研究家の多くが、今回の国際金融危機によって、中国の30年にわたる高度経済成長が一段落してしまうと見ている。しかし、一つ強調しておきたい。中国語の「危機(weiji)」という単語には、「危(jeopardy)」と「機(opportunity)」という2つの漢字が使われている。現代史をひも解くと、中国は様々な危機に直面し、それを乗り越えてきた。今回の国際金融危機を、中国の指導者と国民は、危機というよりも、「チャンスだ」と捉えている。中国国民は、今回の国際金融危機と派生する様々な現象について、「地政学的、経済的な大きなパワーシフト(major geopolitical and economic power shift)が起きている」と考えている。現在、世界の構造が変化するという歴史的な出来事が起きている、と考えているのだ。この30年、中国は大きな変貌を遂げた。30年前、中国は、貧しい発展途上国であり、国際的に孤立していた。それが今では高度経済成長で、世界を引っ張る国となった。この変貌ぶりは、17世紀のヨーロッパの勃興、19世紀末から20世紀にかけてのアメリカの隆盛と並ぶ、世界史的な偉業である。

 中国国民は、自国の経済について楽観的な見通しを持っているが、それには根拠がある。中国は世界で最も多くの外貨準備高を保有している。また、アメリカにとっての最大の債権国となっている。中国の外貨準備高は、2009年3月段階で、1兆9500億ドル(約180兆円)であった。この数字は2009年初頭から比べ、16パーセントも増加している。ここ数年、アメリカ政府は、中国政府に対して経済運営の方法を変えるように圧力をかけてきた。しかし、現在、中国政府は、アメリカ政府に対して、アメリカの経済運営の間違いを声高に指摘できるようになっている。

 ほんの2、3年前、多くの中国研究家たちは、中国の世界貿易機関(World Trade Organization、WTO)が参加することで、中国の国営企業(state-owned enterprises)、特に国営銀行の多くが潰れてしまうと考えていた。こうした悲観的な見方は、当然の結果だった。1998年の段階で、中国の国営銀行が抱える不良債権は、全資産の40パーセントに達していた。しかし、それが2008年には、不良債権の割合は、2、3パーセントにまで減少していた。同じ10年間で、その他の国有企業の売上も増加していった。国有企業が出した利益の事業販売利益に占める割合は、1998年には、2パーセントに過ぎなかったが、2008年には、7パーセントと、3倍以上も増加することになった。

 2009年2月の段階で、時価総額(market capitalization)で見た世界トップ10の巨大銀行のうち、4つは中国の銀行であった。中国工商銀行(Industrial and Commercial Bank of China)、中国建設銀行(China Construction Bank)、中国銀行(Bank of China)が、トップ3を占めた。10年前は、トップ10全てをアメリカの銀行が占めていて、中国の銀行は一つも入っていなかった。現在、シティバンク(Citibank)やバンク・オブ・アメリカ(Bank of America)のようなアメリカの巨大銀行はトップ10に入っていない。トップ10に入った先進国の巨大銀行は、国際金融危機によって大きな損失を出している。そのうちのいくつかは、ここ数カ月で、20パーセントも時価総額を減らしている。それに比べれば、中国の銀行は、損失が少なく、時価総額は安定している。

世界の銀行時価総額ランキング
銀行名 時価総額(09/02/26) 時価総額(08/12/31) 増減
1 ICBC  China  169.6 173.9 -2.50%
2 China Construction Bank  China  118.4 128.3 -7.70%
3 Bank of China  China  103.2 98.2 5.10%
4 HSBC  UK  91.4 115.2 -20.70%
5 JP Morgan Chase  U.S. 90 117.7 -23.60%
6 Wells Fargo  U.S.  62.6 98 -36.10%
7 Banco Santander  Spain  53.6 75 -28.60%
8 Mitsubishi UFJ Financial  Japan  52.5 70.1 -25.20%
9 Bank of Communications  China  34.6 34.6 0.10%
10 Intesa Sanpaolo  Italy  31.8 44.1 -28.00%
金額の単位は10億ドル
NOTES & SOURCES: http://finmanac.blogspot.com/2009/02/top-10-banks-in-world-by-market.html.

 現在、国際金融危機によって、先進国の中流階級は没落し、その数は減っている。しかし、中国の中流階級の人々の数は増加している。今から15年から20年前、社会経済的に中流に分類される人々はいなかった。現在、中国沿岸部の主要都市には、ある程度の財産、自家用車、金融資産を持ち、海外旅行や国内旅行など娯楽費にお金を使える人々が存在し、その数は増え続けている。中流階級の人々の数が増えているのは、クレジットカードの発行数からも分かる。2003年、中国国内で300万枚のクレジットカードが発行された。それから2008年末までに、国内で、1億5000万枚も発行された。2008年の1年間だけで、5000万枚も発行された。

 中小企業に対する銀行の貸付額も、ここ数カ月で急速に増加している。中国政府が発表したデータによると、2009年第一四半期の銀行の貸付額は、4兆5800億元(約55兆円)になっている。この数字は、2009年に貸し出されるであろうと予測されていた数字の90パーセントを占めるほどの大きな数字である。新規貸出のうち、半分以上は、中期、もしくは長期貸付である。2008年春以降、中国人民銀行は、金利を5回も切り下げ、銀行の準備比率の下限を4回も引き下げた。

 中国政府は、社会的な出費を増やし、地方自治体に対し、失業者に対する社会福祉費の出費を増やすように促した。こうした方策は、短期的な処方箋などではなく、実体経済を回復させるために実行された。中国政府が上海を国際金融と物流の「2つの中心」にすると決定したことは、経済回復に向けての最も野心的な政策決定である。上海を再び活性化させることで、中国全体の競争力が強化され、上海が国際金融と貿易をけん引する役割を果たすための、経済のフロントランナーとなることが可能なのである。

国際金融と物流の「2つの中心」:その評価

 中国政府は、上海の活性化のために次々と新しい政策を打ち出した。それによって、上海市政府は、4000種類にのぼる商品の輸出関税の引き下げ率を大きくすることができるようになった。その商品は、織物商品、繊維商品、軽工業製品、非鉄金属製品、石油化学製品、電気情報産業の製品など多岐にわたる。細かい政策は発表されていないが、上海は、中国政府による景気刺激策によって産業が発展し、優遇政策によって優秀な人材を惹きつけることができるようになる。そして、金融、物流、それらの関連分野の規制緩和がますます進むだろう。金融分野で言えば、上海市政府は、海外の金融機関に対し、人民元建ての債券を発行し、上海証券取引所に上場することを許可することになるだろう。物流分野では、上海市政府は、石油の取扱量を増やそうとしている。また、物流に対する外国企業からの投資を増やすことを目的として、投資にかかる手数料を引き下げようとしている。

 上海は、現段階でも、中国における国際金融と物流をリードする都市であるのは疑いのないところである。2008年の段階で、730の金融機関の本社、支社が上海にある。そのうちの360が海外の金融機関の支社、もしくは中国の金融機関との合弁企業である。  

 上海証券取引所は、時価総額で言うと、世界第6位、アジア第2位の証券取引所である。2008年、上海証券取引所の時価総額は、中国全土の証券取引所の時価総額合計の3分の2を占めた。上海先物取引所の時価総額も、同じく中国の先物取引所全体の3分の2を占めた。中国のファンドマネージメント会社の約50パーセントと保険会社の60パーセントの本社は上海にある。上海に本社のある保険会社は、中国の保険の半分を管理している。中国の投資の90パーセント以上は、上海に本社を置く企業によってなされている。2009年初頭までに、17の外国の銀行が中国総支社を上海市に置いた。そのうちのほとんどが、浦東区陸家嘴に総支社を構えた。上海には、64の外国銀行の支社、107の代表事務所があり、外国の保険会社の支社は20を数えるまでになった。中国に進出した外国の金融機関の資産総額の63パーセント、貸付総額の61パーセント、預金総額の78パーセント、利益総額の63パーセントを、上海に支社機能を置く外国金融機関が占めている。

 しかし同時に、上海が、海外の金融都市と伍していくには多くの努力を必要とする。2008年の上海市のGDPのうち、金融が占める割合は、10パーセントほどである。ロンドンの13パーセントに比べれば、そんなに差がないように思われる。しかし、ロンドンには、2005年の段階で、500を超える外国の金融機関が進出しているが、上海には、2008年の段階でも、海外の金融機関の進出数は、100以下である。物流に対する融資の面でも、上海は後れを取っている。物流に対する融資は、世界全体で、総額3000億ドル(約27兆円)である。そのうち、700億ドル(約6兆4000億円)分の船舶リースと150億ドル(約1兆4000億円)分の物流を基にした債券は、ロンドン、ニューヨーク。ハンブルグで取引が行われ、これら3つの都市で物流を支配していると言える。上海が占める割合は1パーセント以下である。

 上海を国際金融の中心地にする、と中国政府は決定した。この目的を達成するために、中国政府は様々な努力を行っている。中国政府は、上海を、ロンドン、ニューヨーク、東京に伍していけるだけの都市にしたいと考えている。孫立堅(Sun Lijian)復旦大学(Fudan University)経済学部副学部長は、上海は、いくつかの金融分野の中心地になることができる、と主張している。それらの金融分野として、孫は、物流への融資、船舶保険、国際決済、ファンドマネージメント、為替取引、中小企業向け融資などを挙げている。こうした金融サービス分野が発展することで、上海の産業構造は、より付加価値の高い産業中心へと大きく変化する。上海に関する中国政府の決定は、上海を、これから先10年くらいの期間で、先物取引、債券取引、リース取引などの分野をリードする都市にすることを目的としている。

 上海は国際金融の中心として発展しようとしている。それと同時に、国際物流の中心地としての発展しようとしている。1996年、上海港は、153万個のコンテナを処理した。13年後の2008年には、コンテナ数は、18倍の2800万個に急増している。現在の上海には多くのコンテナ積み下ろしターミナルがある。軍工路(Jungonglu)、張華浜(Zhanghuabang)、宝山(Baoshan)の各ターミナルでは、上海港で積み下ろしされたコンテナの35パーセントを処理できる。2008年末、上海市政府は、?淞口(Wusongkou)に巨大なコンテナ処理のためのターミナルの建設を開始した。完成すれば、同時に8万トン級の貨物船が複数横付けし、コンテナを処理できるようになる。洋山深水港の使用が始まる前の2005年の段階で、上海港は、年間1800万個のコンテナを処理する能力を有していた。その時点で、コンテナ港として、シンガポールと香港にわずかに後れをとっていたが、世界第3位の港であった。外国の有識者たちは、洋山深水港が完成し、稼働するようになれば、5年以内に、上海港と合わせて、年間3000万個のコンテナを処理できるようになると推計した。そうなれば、シンガポールと香港を追い抜くことになる。

 在上海韓国総領事館は、最近、洋山深水港に関する調査結果を発表した。韓国の総領事館は、上海の洋山深水港が処理できるコンテナ数は、釜山の3倍であると見ている。釜山は、韓国最大のコンテナ港で、世界トップ10に入る港である。世界の他の巨大な港(釜山など)に比べると、洋山深水港の物流にかかるコストは40パーセント以上も安い。それは、洋山深水港が巨大なために、処理できるコンテナ数が多く、また、中国という巨大な後背地を抱えているためである。その結果、釜山のコンテナ取扱量は、30パーセント減少すると予測されている。シンガポールと香港を含む、アジア太平洋地域にある、主要なコンテナ港は、上海のコンテナ処理能力の上昇によって、大きな影響を受ける。在上海韓国総領事館の調査は、洋山深水港の建設によって、国際物流分野に、「地球を揺るがすほどの変化(earthshaking change)」(大地変化、diqiao bianhua)が起きる、と結論付けている。

 上海港と洋山深水港は、中国経済の強さを背景にして、他の港湾都市よりも有利な立場にある。洋山深水港に到着した、中国内陸部向けの物資は、鉄道、高速道路、河川船舶、海洋船舶の4つの方法で中国全土に運ばれる。洋山深水港と中国東部の鉄道網をつなぐため、2006年に、浦東区に新たに鉄道が建設された。これによって、年間180万個のコンテナ輸送が可能になった。長江デルタ地帯(Yangtze River Delta)にある諸都市からの海外への輸出品は、上海港の輸出品取扱いの85パーセントを占めている。そのほとんどが、高速道路を使って上海まで運ばれている。上海の高速道路では深刻な交通淳隊が起こっている。それでも、1日に5000台のトラックが東海大橋を渡っている。

 高速道路に偏った流通体系を改めるため、中央政府は、「長江戦略(Yangtze Strategy、changjiang zhanlue)」と呼ばれる計画を実行する、と発表した。その目的は、長江沿いにある都市までコンテナ船が入れるようにすることだ。この計画が実行され、完成した暁には、南京(Nanjing)、武漢(Wuhan)、重慶(Chongqing)にそれぞれ、1000隻、500隻、200隻のコンテナ船が入港できるようになる。長江沿いにあるその他の諸都市からの輸出品は、浦東地区にある外高橋(Waigaoqiao)港に集められ、そこから水上バスのような中規模の船を使って、洋山港まで運ばれるようになる。長江戦略を完成させるためには、九江(Jiujiang)や重慶にコンテナ専用の港を新たに建設しなければならない。九江市政府は、これまでに総額4億7000万元(約50億円)を投じてコンテナ港建設を進めてきた。このコンテナ港が完成すれば、年間30万個のコンテナが処理できるようになる。世界的な大不況の影響で、2008年後半から2009年初めにかけて、中国に出入港するコンテナ船の数は減少した。しかし、2009年上半期だけで見れば、その数は増加傾向にある。洋山深水港管理部によれば、2009年上半期の洋山港から出航した輸出向けコンテナ船の数は1590隻であった。2008年同時期の数は1350隻であり、増加率は17.8パーセントを記録した。

 上海が、国際物流の中心地となることで、長江流域の各都市もその恩恵をこうむることになる。しかし同時に、中央政府が上海市に対して、政策的、予算的に特別な配慮をすることで、中国全土に散在する上海以外の中核都市の競争力が弱まってしまうことが懸念される。この変化によって、地域、利益団体、派閥間の争いが激化する可能性が高い。「財経(Caijing)」誌に掲載されたある記事の内容は、この点で、大変興味深い。記事の中で、中国政治の専門家は次のように述べている。「中央政府の意思決定に関わるポストにいるある高官が、上海を金融と物流の二つの中心地にするという計画に異議を唱えた。それは、上海発展計画に反対している勢力が、中央政府の計画は、上海に偏った、行き過ぎたものだと考えているからだ」と。

 兪正声(Yu Zhengsheng、ゆせいせい)上海市中国共産党書記をはじめとする上海市政府の幹部たちは、国務院(state council)と官僚たちに対して、「上海発展計画を進めてくれる」ようにロビー活動を行った。上海市政府の幹部たちのそうした動きは、1996年から始まった。それから13年経って、上海市政府の幹部たちの願いはかなったとメディアは報じている。上海の経済的な地位は、中国政治、政策の変化とエリートたちの争いによって変化してきたのである。

(つづく)