「0058」 論文 いったん休憩―百科事典の効用 鴨川光(かもがわひろし)筆 2009年12月15日

 

 前の文章で、社会学問の話をしようといいましたが、ここでいったん休憩し、百科事典の効用について読書人の皆さんにお話しようと思います。

 私がなぜブリタニカにこだわるのかというと、ブリタニカこそ人類の知識の集積だからです。フランスにも一八世紀にディドロ(Denis Diderot)とダランベール(Jean Le Rond d'Alembert)が編んだ百科事典(L'Encyclopédie)があって、今もフランス語の優れた事典があると思うのですが、今の日本の私のような普通の人ではなかなか手に入りませんし、フランス語を最初からやるのは骨が折れます。ドイツやロシア、イタリアにも優れた事典があるかと思います。

    

ディドロ     ダランベール   百科事典

 しかし、今の私たちにとって最も手に入りやすく、日本語の次に親しみのある言語で、ヨーロッパ人による精緻な人類の知識の集積が、簡潔に網羅されているのはエンサイクロペイディア・ブリタニカ(Encyclopædia Britannica)しかありません。

エンサイクロペディア・ブリタニカ

 じつは私も持ってはいません。今ではCDにもなっているし、オンラインで契約することも出来ます。しかし、私はそんな無駄なことはやろうとは思いません。近場の図書館にあるからです。

 おそらく全国の市町村の中ぐらいの(子供が集まるような小さいのではなく)、市の中心になる図書館ならば、もうすでに四〇年位前から蔵書としておかれていることでしょう。

 そしておそらく誰も手をつけた形跡がないことでしょう。あることも知られず、ひっそりと、カチカチに閉ざされたまましまわれていることでしょう。

 私のいる市の図書館(東京の西、三多摩地域の中ぐらい)でも、いまだに私以外誰にも手をつけられずにいます。

 ブリタニカといっても日本語に訳されたやつではありません。英語のままの原典です。これを勘違いしないでください。日本語のブリタニカは、構成も何もかも原書とは違います。原典の記事をつぎはぎし、そこに日本の執筆者、学者が勝手に埋め合わせて本の体裁にあわせて出版されているもので、まったく異なった事典だと思って結構です。

 このブリタニカは単なる辞書事典の類ではありません。一九七四年に一五版を重ね、それ以来毎年校訂されています。

    

マルサス     ハイデガー    キューリー夫妻

 昔の版ではマルサス(Thomas Robert Malthus)やハイデガー(Martin Heidegger)、キューリー夫妻(Pierre and Maria Curie)や、アインシュタイン(Albert Einstein)が執筆していたのです。しかも単なる専門分野の要約などでは決してなく、しっかりとした大論文がそのまま載っている、そういう事典なのです。ですからブリタニカを引けば、その分野の現在までの正確なあらましがしっかり網羅されている。ブリタニカを使って文章を書けば、それだけで事足りてしまうのです。いやブリタニカを丸ごとそのまま翻訳すればいいのです。いまだにそれはありません。

アインシュタイン

 全部で三六巻ですが、日本語に完訳するとおそらく、二倍では収まらなくなってしまうでしょう。しかしそれが出来れば自分勝手なことを言わずに済み、本というごみに埋もれて生活することもなく、いかに多くの本を持っているかで悦に入るような、おかしな人間にもならなくて済みます。

 

渡部昇一氏のブリタニカのすすめ

 

 ブリタニカの効用は副島先生も、英語の通訳であった松本道弘先生も述べていますが、私はここで英語学者の渡部昇一先生の言を挙げておこうと思います。

渡部昇一

 渡部昇一氏は、右翼であるとか、イエズス会であるとかいろいろなことが取りざたされています。私は九六年ごろから六年間くらい渡部氏の本の読者で、氏の保守的思想が好きでした。今はもうほぼ何の興味もありませんし、氏の歴史や政治に関する言論が、世界普遍価値、ワールド・ヴァリュ−ズ(world values)を欠いたものでしかないことを繰り返しているだけにしか思えません。

 しかし本の収集家、読書家、特に英語の古書関係の知識においては日本ではおそらく右に出るものはいないでしょう。その視点でだけ渡部氏を敬愛しております。

谷沢永一

 渡部氏が盟友、谷沢永一氏とともに今から三〇年前の一九七九年に出した、『読書連弾』(大修館書店)という本があります。お二人の博識と、所蔵本自慢の著作ですが、この中に渡部昇一氏が、正当な英語学者として、ブリタニカに関する正確な知識を披露している箇所があるので、ご紹介しておきましょう

 

(引用開始)

 渡部―『ブリタニカ』なんかは今言ったようなドラマティックなことではないけれどもやはり各版見ないといけませんね。一番厚いのは一〇版ですけどね。これは三十六巻です。こんなに厚いわけでしょう。それを見ますと、やはり出たのが今世紀の初めですから、今から見ると原子爆弾も飛行機も何も出てないわけです。

 それが今の百科事典より厚いということは、どう言うことかというと、人文系、歴史系に関して今とは桁違いにたくさん入ってることですね。大
略今との差をやってみましたら、中央公論の『世界の名著』で六十冊分ぐ
らい人文系については今の百科事典のほうがたりないです。ページ数からいって。

 今どんどん自然科学はふえてるけど、総ページ数は減ってるわけです。ということは、人文系については、ものすごく切り落とされているわけ。これは百科事典と言っても、素朴進化論で見てはいかんということですね。

 それから、日本の百科事典には、むずかしすぎて、ちっともわからんが
あるんですよ。光が屈折するとき、赤のほうに曲がるか紫のほうに曲がるかと子供にぽっと聞かれたとき、ぼくら理科を遠ざかって長い間たつから考えちゃうでしょう。そのとき、平凡社を見たって、屈折率まで書いてあっても何もわからんのですよ。要するに赤に曲がるか紫に曲がるか。

 そういう時は、子どもの、きれいな写真のついた学習事典的な百科事典はなかなかいいですね。しかし、かといって、本当にかつての『ブリタニカ』みたいな百科事典かというとそうじゃないわけです。例えば、ブリタニカの「エッチング」という項目はハマトンが書いているんです。それに加筆して売られている。

 そのくらい力をこめたのが『ブリタニカ』九版の時代にあったわけです。注も参考文献もリファレンスもありますし。そういう百科が今日本にはないんです。

(中略)

 谷沢―ブリタニカの場合の改訂というのはどういうふうに。別に付け
加えていくんですか。

 渡部―二種類あります。例えば三版にはすぐ二巻つけるんです。初版三巻、二版が十巻、三版が十八巻なんです。十八巻で出たときにすぐにアプトゥデイトなものを二巻また付ける。

 四版、五版、六版というのは、あまり特色ないんですが、六版が出たときに自然科学が非常に発達したもので、エディンバラのシグネット図書館長をした、さっきあげたネイピアという人が六巻の補遺を付けるわけです。これが有名な四、五、六版に対する補遺版というわけで、六巻あります。超大項目主義のを付けるんです。

 「ポピュレーション」というところを引くとね、マルサスが書いている。そこを引くとマルサスの『人口論』を読まなくても全部書いてくれてる。しかも一ページや二ページじゃないんで、長大な論文なんです。それからジェームズ・ミルだとかも書いています。

 科学者でも当時の人が書いてるんです。それを全部吸収して七版になるわけです。それから九版になるとビクトリア朝時代でイギリスの最盛期なもんですから、これはすごい。世界的に売り出した。それまでは、あまり外では売ってないようですね。アメリカの販売会社が付いて売りまくる。これが一八七五年頃でした。

 ビクトリア朝時代に長速な進歩を遂げたものですから、さらに十巻たして、十版と称するわけです。これまではほとんど日本に入っておらなくて十一版から入ってるんです。十一版は今度は初めからアメリカも加わった版で出てるんですね。

 戦前の『ブリタニカ』というのは大変なぜいたく品で、戦前の日本で『ブリタニカ』を持ってた人をぼくは二人ばかり知ってるだけです。一人は実業家の人です。遺族に見てくれと言われて、一度見に行ったことがありますが、十一版雨ざらしで古書価値はないと思います。ただ、そこのうちにしてみれば、おとうさんが買った大変な洋書があるということだったようです。

 最近あった例では物理学者の伏見康治先生ですね。あの方が私が子どもの頃のうちに『ブリタニカ』の十一版がありましたと言ってらした。この二人だけですね。あれはとんでもないぜいたく品だったんです。

 それから世界大戦後に三巻補って、十二版になりました。しばらく世の中が落ちついてからその三巻分だけ改訂して十三版です。これにはキューリー婦人とかアインシュタインとか皆執筆して、この補遺三巻は貴いんです。けれども補遺三巻だけは売らないのでね。

 それをまた吸収して十四版になって、あとはほとんどアメリカですね。いつの間にか、その十四版からは毎年改訂して版と言わなくなった。日本で猛烈に売りまくったのは、その十四版の発展版で、ある意味でぼくはこの版が一番好きです。

 ブリタニカ創立二百年記念で、全く新しい『ブリタニカV』というのを作ったんです。これを十五版とも称するようですね。これは非常に特色があって、力作ですけれども、使いにくくてね。結局どの版か一つ買うと言ったら、やっぱり一九六〇年代のアメリカ版を勧めますね。これは一番アメリカのいい時代の仕事ぶりが出てるようです。

 贅沢言わないなら、まあいわゆる十四版のその後版ですね。戦前のものだったら、やっぱり十版と十一版ですね。あとうんと古くなれば三版、初版です。初版はリプリカが出てます。たった三巻ですから、これは買えます。三版はもう希少本ですね、それから四・五・六版の補遺六巻。

  (中略)

 ところが、いろいろいい百科事典ができてるんですけど、続いてないから比べにくいんです。同じブリタニカだから、そのときの編集長とか、誰が書いているか、各版で比べることができるんです。例えば九版の「進化論」はハクスリーが書いてるわけですね。長大な論文を。だからその版が貴重になるわけで、その版を見ると、なぜ進化論が出たかわかるんです。ところが、その後になると進化論はあまりに当たり前になってね、「進化論」を見ても遺伝学しか書いてない。なぜ進化したかちっともわからん。あるいはなぜ進化論が世の中に影響を与えてるかわからなくなってるんです。

 明治の頃の三省堂の「進化論」を見ますとね、これは第九版では、ハクスリーともう一人サリーという哲学者が書いているんですが、そのハクスリーのほうを使えばよかったんですけれども、サリーの「哲学における進化論」だけ主として訳してるんです。井上哲次郎さんの監修だから。だから進化論にダーウィンがほとんど出てないんだ。(笑い)ところが戦前の平凡社では小泉丹というダーウィン的な人が書いたから、これは読むと、どうして進化論でなければならないかわかるんですよ。

 戦後になると、当然のことになって進化論化遺伝学かわからなくなっちゃう。当たり前だろうというふうに書いてるから、説得力がなくなっちゃうんです。だからやっぱり各版の比較はおもしろいんです。

  (中略)

 しかし今まで日本で出た百科事典で一番本格的に『ブリタニカ』の水準に近いのは悪口言いながらも平凡社かもしれませんね。項目が多いし。だけど日本に国際的な位置から言ったら五〜六十巻ほしいですね。

 日本の活字の性質からいってもそうですが、それから東洋も日本も詳しくなければならん、かと言って世界を、日本という国のおかれた性質上、そう無視するわけにもいかんとなると、今の同じ厚さで五十巻ぐらいの百科事典ができれば、中身としてはよき時代の『ブリタニカ』みたいな権威になるんじゃないかと思います。それだけの力のある会社があるかどうかね。絵なんかのきれいさは講談社とか小学館もきれいですから、昔とくらべて今の子どもは幸せです。(『読書連弾』 渡部昇一 谷沢永一 大修館書店 九九〜一〇八ページ)

(引用終わり)

 渡部昇一氏のブリタニカの版の変遷は正確です。ブリタニカの改訂回数と年度は、各巻ごと冒頭に示されています。そこで以下にブリタニカの版の変遷のデータを書いておきます。

(引用開始)

First Edition  1768-1771
Second Edition  1777-1784
Third Edition  1788-1797
Supplement  1801
Fourth Edition  1801-1809
Fifth Edition  1815
Sixth Edithon  1820-1823
Supplement  1815-1824
Seventh Edition  1830-1842
Eighth Edition  1852-1860
Ninth Edition  1875-1889
Tenth Edition  1902-1903

Eleventh Edition
(c) 1911
By Encyclopedia Britannica, Inc

Twelfth Edition
(c) 1922
By Encyclopedia Britannica, Inc

Thirteenth Edition
(c) 1926
By Encyclopedia Britannica, Inc

Fourteenth Edition
(c) 1929, 1930, 1932, 1933, 1936, 1937, 1938, 1939, 1940, 1941, 1942, 1943, 1944, 1945, 1946, 1947, 1948, 1949, 1950, 1951, 1952, 1953, 1954, 1955, 1956, 1957, 1958, 1959, 1960, 1961, 1962, 1963, 1964, 1965, 1966, 1967, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973
By Encyclopedia Britannica, Inc

Fifteenth Edition
(c) 1974, 1975, 1976, 1977, 1978, 1979, 1980, 1981, 1982, 1983, 1984, 1985, 1986, 1987, 1988, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993
By Encyclopedia Britannica, Inc

(c) 1993
By Encyclopedia Britannica, Inc

(引用終わり)

 

 これが私の参照しているブリタニカのデータです。図書館には一九九三年のものが置かれているので、それまでのデータです。第一五版です。いずれにしろ、三版と四版で補遺が行われていること、一四版以降では毎年改訂が行われていること、などブリタニカに書かれている通りです。

 渡部昇一氏はビクトリア朝時代に長足の進歩を遂げたイギリスのいい仕事が出ている九版や、一九六〇年代のアメリカの一四版がよいといっています。それから初期の版はマルサスが執筆していたり、一三版はアインシュタインやキューリー夫人が執筆していたりしているというので、ぜひ読んでみたいですね。

 それから渡部氏は、百科事典は進化論的に評価することはよくないといっていますが、これは執筆者がその時代によって異なっていて、必ずしもある項目の代表的な、優れた論文が掲載されているというわけではない、ということです。人口のことなら『人口論』を書いたマルサスその人に書かせればよいし、相対論ならアインシュタイン、進化論ならダーウィン本人に書いてもらえばよい、ということになるわけです。いずれにしろ年代によって特色があり、各版の比較が大事であるということを主張しています。

 また渡部氏は、日本でブリタニカに匹敵するのはせいぜい平凡社の百科事典であると述べています。これは、平凡社は、ブリタニカのミクロペディアの引き写しか物まねだからです。

 ブリタニカについて勘違いをして、日本のブリタニカを引いている人もいるので、簡単に説明しておきます。

 現在のブリタニカ一五版は、五つの構成になっています。まず一巻から一三巻までがミクロペディア(レディ・レファレンス、ready reference)といって、いわゆる日本の百科事典と同じものです。各見出しの簡単な説明が載っています。平凡社の百科事典はまさにこのミクロペディアそのものです。

 一四巻から二六巻がマクロペディア(ナレッジ・イン・デプス、knowledge in depth)といって、一冊で大体三〇の見出ししかなく、非常に詳しい知識の整理がなされています。ここの部分がブリタニカの本体です。単なる辞書ではなく、それぞれが各寄稿者の渾身の大論文になっている目次を見ただけで、いかにその分野の世界的権威が、自らの専門分野の知識を包括的に整理しているかがわかります。

 各論文の最後には寄稿者のイニシャルが書かれていて、第三部にあたるプロペイディアを見ればその寄稿者が誰であるかがわかる仕組みになっています。

 プロペイディアはブリタニカのガイドに当たるものですが、単なる解説書ではなく、ザ・サークル・オブ・ラーニング(the circle of learning)といって、人類の積み上げてきた知識の大きな枠組みが、一つのケーキを分けたように一〇の分野に仕分けられています。

 一〇の分野とはこのようになっています。

Part One: Matter and Energy
Part Two: The Earth
Part Three: Life on Earth
Part Four: Human Life
Part Five: Human Society
Part Six: Art
Part Seven: Technology
Part Eight: Religion
Part Nine: The History of Mankind
Part Ten: The Branches of Knowledge

 これはブリタニカのアルファベティカル・システム(alphabetical system)、アルファベット順のリファレンスの欠点を補うために考案されたもので、どこが始まりでもなく、どこが終わりでもない、どこからでも事典を引くことができるシステムです。

 驚くべきなのは、これまで人類が積み上げてきた知識が、網羅的に仕分けられているということです。一〇のパートがまたさらにいくつかのディヴィジョンに分けられており、その中がまたいくつかの項目に仕分けされています。

 例えば、パート一「物質とエネルギー」は三つのディヴィジョン(division)に分けられています。ディヴィジョン一は「原子:原子核と素粒子」、ディヴィジョン二は「エネルギー、放射線、物質の状態と変換」、パート三は「ザ・ユニヴァース:銀河、天体、太陽系」となっています。

 まさに私たちが見てきたような、近代学問の発展経て積み上げられてきたことが、それぞれの見出しとなっています。

 今ウィキペディア(Wikipedia)がかなり進歩しているようです。私が見た限り英語版はかなり詳しく書かれています。しかしそれでもかなりの部分が、他の文献の引用であることが多いようです。匿名の人間が勝手に書き散らすことにくらべればはるかにいいのですが、ブリタニカの素性の確かな執筆者の論文にははるかに及びません。

 私の体験を言えば、ユダヤのことを調べているとき、ウィキペディアを調べたことがあります。たとえば、アキバ・ベン・ヨーゼフ(Akiva Ben Joseph)などのラビ(rabbi)を調べていると、ジューウィッシュ・エンサイクロペイディアを参考文献に挙げていたりします。参考として挙げられているのはいいのですが、そちらのサイトを見てみると、そのまま全体がウィキペディアに丸写しになっていて、いわゆる「コピペ」されているだけでした。

 最近では寄稿者の素性がわかるようになっているようですが、これではブリタニカに及ぶべくもありません。知識の枠組みや仕分けの試みなどは行われているのでしょうか。日本語版になると筆者が足りないのか、かなりひどい現状です。

 私はテレビ番組だとか、あのタレント何歳だったっけな、といったレベルの疑問のときに見る程度です。今のところは参考文献として挙げることはできません。

 プロペイディアにはブリタニカを編集したボード・オブ・ディレクターズ(board of directors)やボード・オブ・エディターズ(board of editors)、ユニヴァーシティ・アドヴァイザリー・コミティー(university advisory committee)のメンバーとその所属がしっかりかかれています。こうした素性の確かな人々が、しっかりしたグランド・デザインのもとで編集執筆したことに百科事典の意義があります。

 ブリタニカは最後にインデックス(index)とワールド・データ(world data)が付いています。ただしブリタニカの本体はあくまで本格的大論文集であるマクロペディアであって、これをそのまま翻訳して出版すればいいのです。今の日本語版ブリタニカは、マクロペディアの翻訳のつぎはぎで、ところどころ日本人執筆者がつなぎを書いて埋めているといったひどいものです。

 ミクロペディアのほうは翻訳の必要はないと思います。平凡社の百科事典がそのままミクロペディア程度のクオリティだからです。

 こういった、欧米での基本的事典辞書で丸ごと翻訳されているものは、小学館の『ランダムハウス英和辞典』と平凡社の『西洋思想大事典』くらいのものです。この事は副島先生も指摘しています。非常に役に立つ事典です。

 日本でこれから絶対に翻訳がなされなければならないのは、マクロペディア(Macropedia)とOED、オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー(Oxford English Dictionary)、そしてメリアム・ウェブスター(Merriam-Webster)の三点です。この三つは英語の知識の基本的な文献であるにもかかわらず、未だに日本社会では軽視されています。これは驚くべきこととしか言いようがありません。

 ブリタニカに関する解説は以上で終わりです。次は社会学問、ソーシャル・サイエンスのあらましについて書いていこうと思います。

 

(終わり)