「0086」 論文 「フォーリン・アフェアーズ」誌最新版に掲載された論文をご紹介します。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2010年5月12日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回は、アメリカにある、外交評議会(Council of Foreign Relations)が出している、政治・外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)」誌の2010年3・4月号に掲載された重要論文をご紹介します。

 その論文とは、ハーバード大学の歴史学教授であるニオール・ファーガソン(Niall Ferguson)が書いた論文「複雑性と崩壊:カオスの縁にある帝国(Complexity and Collapse: Empires on the Edge of Chaos)」(Foreign Affairs, Mar/Apr 2010, Vol.89 No.2, 18p-32p)です。

ファーガソン

 この論文は、ファーガソンは、歴史学で定説(established theory)のように扱われてきた帝国の興亡の循環理論(cyclical theory)は帝国の崩壊を正しく説明できない、と批判しています。そして、突然の、予想もできない出来事が発生することで帝国は短期間で崩壊していくと主張しています。

 ファーガソンと似たような議論は、私がウェブサイト「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」で書評した(「1112」 書評 『不連続変化の時代―想定外危機への適応戦略』(ジョシュア・クーパー・ラモ著、田村義延訳、講談社インターナショナル刊) 古村治彦 記 2010年3月5日)、ジョシュア・クーパー・ラモの『不連続変化の時代』でもなされています。(「今日のぼやき」へはこちらからどうぞ。)

 このような議論は社会科学では良く行われています。例えば、私が習った比較政治の分野に民主化論というものがあります。「どうしてある国は民主化したのか」という疑問に対して、大別して2つの主張があります。1つは、「民主化するだけの条件が整ったから」というものがあります。1人当たりのGDP、教育水準、都市化などによって民主化を説明しようというものです。もう1つは、「ある出来事が民主化を促進したから」というものがあります。民主体制を志向する政治指導者が出現したとか民衆のデモによって非民主政府が一掃されたというものです。

 今回の論文は、条件が整っていって帝国が崩壊したのか、ある大事件で帝国が崩壊したのかという議論の一環です。これはずるい言い方になりますが、どちらも正しい主張が含まれていて、この2つを折衷するとより的確な説明ができるのではないかと思います。しかし、学問とは単純化をすることでもありますので、そうはいかない部分もあります。

 それではこの「複雑性と崩壊」論文を細かく見ていきたいと思います。

 ファーガソンは、まず、ニューヨーク歴史学会の建物内部に飾られている5枚の絵画について説明することから論文をはじめています。この5枚の絵の作者は、トーマス・コール(Thomas Cole)という、19世紀に活躍した画家です。この5枚の絵画は通しで「帝国の辿(だど)る道(The Course of Empire)」というタイトルがつけられています(18ページ)。ファーガソンは、「トーマス・コールは、現在でも多くの人々が支持している帝国の興亡理論をよく理解している」と評価しています。

    

コール      「未開状態」   「牧歌的、もしくはのどかな状態」

 1枚目の絵には「未開状態(The Savage State)」というタイトルです。この絵には、広大な山と湖の近くで狩猟と採集をする人々が描かれています。2枚目の絵「牧歌的、もしくはのどかな状態(The Arcadian or Pastoral State)」には、人々が農業に従事している様子が描かれています。人々は木々を切り倒し、土地を耕し、ギリシア風の神殿を建設しています。

    

「帝国の完成」    「破壊」      「荒廃」

 3枚目は「帝国の完成(The Consummation of Empire)」というタイトルです。この絵には大理石で作られた年の港に大きな船が停泊し、商人、外国使節、農業から解放された市民と言った人々が描かれています。これが帝国の循環理論で言うと、最盛期の部分にあたります。4枚目は「破壊(Destruction)」です。そこには侵略者に攻められて、炎に包まれる都市と逃げ惑う市民が描かれています。5枚目の絵「荒廃(Desolation)」には、生きているものは何も描かれておらず、都市の残骸だけが残されています。

 ファーガソンは、この5枚の絵から、コールが「全ての帝国は、その規模に関わらず、崩壊する」という理論を良く分かっていたこと、1830年代のアメリカでは、この帝国の興亡理論から、「アメリカは共和国として存在すべきで、商業の拡大、領土の拡大、植民地の獲得などの帝国主義の誘惑に乗ってはいけない」(19ページ)という考えが支配的だったと指摘しています。

 ファーガソンは続けて、これまで多くの学者たち、そして一般の人々が「循環的な帝国の興亡理論」を支持してきたと述べています。ヘーゲル、マルクス、シュペングラー、トインビーなどの名前が論文では挙げられています。そして、ポール・ケネディ(Paul Kennedy)の『大国の興亡』(The Rise and Fall of the Great Powers)も帝国の循環理論の一種として紹介されています。ケネディは、「大国は拡大しすぎると拡大によるコスト(軍事費)が利益(GDPの成長率)を上回り衰退する」と主張しています。

  

ケネディ      ダイアモンド

 更に最近では、人類学者ジャレッド・ダイアモンド(Jared Diamond)の本が注目を集めています。ダイアモンドは、2005年に『文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上・下)』(楡井浩一訳、草思社、2005年)という本を出しました。この本の中で、ダイアモンドは、自然環境を破壊することで歴史上多くの社会や国が自壊していったと主張しています(20ページ)。ダイアモンドはマヤ文明の崩壊を取り上げ、現在の世界もマヤと同じような道をたどっていると憂慮しています。マヤ文明の崩壊は「マルサスの罠(Malthusian trap)」と呼ばれる概念で説明できます。これは簡単に言うと、不安定な農業のシステムが支えることができるだけの人口以上に人口が増えてしまうことで、これによってマヤは崩壊した、とダイアモンドは説明しています。

 ここでファーガソンは、ダイアモンドをはじめとする帝国の循環理論の支持者たちの主張には、フランス発祥の歴史学派であるアナール学派(Annales school)が提唱した「長期(the long term)」という考えに囚われていると批判しています。ファーガソンは、「文明が文化的に、経済的に、環境的に自壊するにしても、その動きは長期にわたる」(20ページ)と書いています。しかし、ファーガソンは、「未開であっても文明化されていても、あらゆる社会の政治指導者たちは自分たちが死んだ後に起こるであろう懸案に取り組もうとは思わない」(20−21ページ)と指摘しています。そして、ファーガソンは、歴史上の出来事は循環やゆっくりとした動きの中で起こるのではなく、突然起こるものだ、と主張しています(22ページ)。

 ファーガソンは、大国(great powers)と帝国(empires)について次のように書いています。「私は次のように主張する。大国や帝国というものは、複雑なシステムで成り立っている。複雑なシステムは、秩序だって組織されていない、お互いに影響を及ぼしあう無数の構成分子から成り立っている。この複雑なシステムはエジプトにあるピラミッドと言うよりも、不格好なアリ塚のようなものである」(22ページ)ファーガソンは、大国や帝国は秩序と無秩序の間(「カオスの縁」)で経営されているとも述べています。こうした複雑なシステムは、変化に適応しながら(adapting)、均衡を保っています。

 しかし、問題は、こうした複雑なシステムが重要な局面に直面した時です。ファーガソンは次のように書いています。「小さなきっかけで、複雑なシステムは、表面的な均衡から危機へと局面が変化する。砂粒が落ちただけで砂山が崩壊したり、アマゾンの蝶のはばたきがイギリス南東部のハリケーンの原因になったりする」(22ページ)ファーガソンは、歴史家たちが、戦争や革命などの歴史上の大事件を目の当たりにしながら、「長期」で物事を説明するという訓練を受けているために、大事件の原因を見誤ってしまうと批判しています(23ページ)。

 ファーガソンは、歴史上の大事件には「卑近な小さなきっかけ」があるのだと主張しているのです。そして、ファーガソンは、「人間社会の政治や経済の構造は、複雑な適応システム(complex adaptive system)の特徴の多くを持っている」(24ページ)と述べています。また、ファーガソンは、「複雑なシステムの問題は、比較的小さなショックがそれに釣り合わないほど大きな、時には致命的な崩壊を招く」(26ページ)と主張しています。その具体例として、2007年にアメリカで起きたサブプライムローン危機を挙げています。

 ここから、ファーガソンは歴史上の大帝国が滅亡した理由を探っていきます。ローマ帝国の滅亡には様々な理由があったと言われています。皇帝たちの人格障害、物質主義の横行、内戦、フン族の大移動などが巷間理由として挙げられています。しかし、西ローマ帝国の滅亡は、ほんの数十年間に起きた、ローマの領土損失による税収の低下が原因であり、「ローマ史について最も驚くべき事実な、ローマ帝国崩壊のスピードである」(28ページ)とファーガソンは書いています。中国の明帝国(Ming dynasty)の滅亡と清帝国(Qing dynasty)の成立、フランスのブルボン朝、ハプスブルグ朝、オスマン帝国、ロマノフ朝の崩壊も突然の大事件によって崩壊した、とファーガソンは書いています。第二次世界大戦後も、大英帝国(British Empire)は、戦後僅か十数年の間に植民地の独立と中東への影響力を失いました。ファーガソンはこれも大英帝国の崩壊だとしています。ソビエト連邦の崩壊についても改革派のゴルバチョフ(Gorbachev)が政権について僅か5年で崩壊しました。

 このように、ファーガソンは、帝国の崩壊は、長い年月にゆっくりと進む過程によるものではなく、突然の出来事によって起こるのだということを主張しています。

 ファーガソンは、これまでの帝国の循環理論を批判し、突然の予想ができない出来事によって帝国は崩壊していく、と主張しています。そして、ファーガソンは、最後の節で、アメリカについて考察しています。彼はまず、アメリカが崩壊に向けてどのステージにあるかについて議論するのは時間の無駄だと切って捨てています。そして、帝国の崩壊は財政危機とともに起こることが多いと指摘しています。アメリカの財政赤字は警告を発しているとしています(30ページ)。

 しかし、帝国の崩壊にとっては、財政赤字の具体的な数字よりも、人々の受け取り方(perception)が大事なのだ、とファーガソンは主張しています。「帝国の危機では物質的な力の減少ではなく、未来への期待ができなくなることが問題だ」(31ページ)とファーガソンは書いています。アメリカ政府に対する信用がなくなってしまうとアメリカ帝国は危機に瀕することになります。アメリカが世界経済でも信用を失ってしまうことも帝国の危機につながります。

 経済的な信用を失い、アメリカ政府が行う財政政策や金融政策が有効性を持たなくなると、アメリカの外交政策にも大きな影響が出ます。アメリカ政府の信用が失われると国債の利率が上昇します。財政の中で国債の利子を払うだけでも大変な負担になります。そうなると、軍事費は必然的に削減されます。

 そうなると、軍事力の弱体化を招きます。現在アメリカが戦っているイラク(Iraq)とアフガニスタン(Afghanistan)での戦いは勝利が難しくなります。ファーガソンは次のように書いています。「ヒンズークシ(Hindu Kush)の山岳地帯とメソポタミア河(Mesopotamia)が作った平原でアメリカが敗北を喫することがアメリカ帝国崩壊の兆候となっている」(32ページ)

 アメリカ帝国は、約100年間の繁栄のあと、戦争によって滅ぶ可能性が高いとファーガソンは書いているのです。

(終わり)