「0099」 論文 サイエンス=学問体系の全体像(19) 鴨川光筆 2010年8月26日

 

社会科学の「本当の長男坊」―文化人類学、カルチュラル(ソーシャル)・アンスロポロジー

 社会学問、ソーシャル・サイエンスの本当の源、本当の親は「人類学(じんるいがく)」(アンスロポロジー anthropology)である。

 全ての社会学問は、オーギュスト・コント(August Comte)のポジティヴ・アプローチ(positive approach)を土台にしている。社会学問の実質的な生みの親はオーギュスト・コントである。

コント

 ジョン・ロックやホッブズ、ルソーのような近代哲学、近代政治思想も、社会学問の源泉である。モンテスキューやエマヌエル・カントなどの、一八世紀の啓蒙主義も影響を与えている。大きくは、中世のトマス・アクィナスら、スコラ学者の思想がスタート地点である。

 二一世紀に生きる我々にとって、学問としての社会学問は、「文化人類学(ぶんかじんるいがく)」から始まった、ということを知っておくべきである。文化人類学こそが、現代思想の全てを生み出した学問である。

 文化人類学について私には思い出がある。

 私が大学に入った二三年前、一、二年生の間は「一般教養」をとらなければならなかった。今でもそうであろう。いわゆる「パンキョー」である。

 カリキュラムの一覧を見て私は、「いろいろな学問があるのだなあ」、「一般教養などというものは、せいぜいのところ教養なのだな」などと思いながら講座名を眺めたあげく、心理学、法学、科学思想史、そして文化人類学を取ってみた。

 中学高校時代は音楽しかやっておらず、遊んでいたので、真面目に勉強しようと思って入ったのだが、バブルの空気がそろそろ覆い始めた八七年当時、周囲の学生の雰囲気は、面白そうな学科、面白そうな授業、面白い先生、何より単位を簡単にくれる甘い先生の授業を求めていた。レポートさえ書けばよい、というただそれだけの授業に人気が集まった。

 文化人類学は心理学と共に、だらけた、遊びほうけたいような大学生には比較的人気がある、軽い、甘い授業であった。男子が九割を占めていたというのに、どこからともなく集まった女子学生の姿が半数を占めていた。

 文化人類学は、七〇年代から八〇年代の日本では、非常に流行った学問だったのであろう。八〇年代、フーコーだのデリダだのアルセチュールだのと、なんとなく気取った名前のフランス・ポスト・モダンの流行も手伝っていたのである。

    

フーコー      デリダ      アルセチュール

 学界も成長途上にあったから、学者たちも生き生きしていたのだと思う。私が大学生であった頃に編集された『文化人類学事典』の序文を読むと、活気に満ちた学者たちの雰囲気が伝わってくる。

 「文化人類学」、「カルチュラル・アンスロポロジー」とは何か。

 文化人類学の大もとである人類学から話さなければならない。人類学(アンスロポロジー)は、一九世紀にはすでに学問として存在していた。これは大航海時代から始まった、探検家、海賊、ミショナリーたちによる世界の人間、動植物から採取した、博物学的資料の蓄積が大いに貢献している。

 人類学の研究対象は「人間、マン」である。「ザ・サイエンス・オブ・マン(the science of man)」と言っていい。といっても一九世紀当初、ヨーロッパの学者たちは「原始人、プリミティヴ・マン(primitive man)」の研究をしていた。

 現代の社会学問の土台は「社会学、ソシオロジー(sociology)」である。実は政治学も心理学も、社会学から理論を借りてきて、近代科学のような顔をしている。

 しかし、そのさらにもっと大きな土台としてあるのは、人類学なのである。この人類学から産み落とされた、社会学問の「長男坊」が「文化人類学」である。

 社会学が社会学問の親玉である。しかし、社会学の理論は、もともと文化人類学者たちによって打ち立てられた理論を借りてきたものである。

 文化人類学と社会学が学問として分岐していく過程は、一九世紀にはまだはっきりしていなかった。とはいえ、社会学理論のほとんどが、もとは文化人類学の学問領域出身なのである。

 社会学の「集団理論」、「行動主義」、そして何よりも現代の社会学問の中核である「機能主義(functionarism)」と「構造主義(structurism)」は文化人類学の業績である。この事実を、日本人ではっきりと述べている学者がいるであろうか。

 人類学の学問体系を見るだけで、日本のいわゆる「文系学部」の本当の位置関係がはっきりと分かる。人類学はまだしも、文化人類学は日本ではせいぜいが女子学生の教養を深める程度の、「脇の学問」としての認識しかない。「お前は教養としては認めるが、脇へ行ってろ」という態度である。それは日本の大学制度を見てもわかることだ。

日本の大学にはには文化人類学部がない

 「○○大学文化人類学部」など聞いたことがあるだろうか。あるいは「○○大学○○学部(おそらくは文学部とか人文学部か社会学部)文化人類学科」というのを、予備校の偏差値表や、『サンデー毎日』の全国大学偏差値一覧などで見かけたことがあるだろうか。

 ウェッブで検索したら、「京都文教大学文化人類学部」(きょうとぶんきょうだいがくぶんかじんるいがくぶ)というのがあった。えらいなあ、と思いながら、ふと「社会学部」というのがあるという事実を、受験生の時に初めて見たときのことを思い出した。

京都文教大学

 立教大学と法政大学にはあるのだが、一八歳当時の私は、「社会学というのは何だ」という感覚であった。経済学部とか法学部というのもなんだか分からなかったが、それでも会計士や弁護士の試験を受ける人もいるし、まあ就職に有利な学部なのだろうとは思っていた。

  

立教大学      法政大学

 社会学というのは分からなかった。まさか小中学校でやる社会科をやるのだとは思わなかったが、あまりにも漠然とした名称なので、「さまざまな切り口で社会を学問するのだろうなあ」くらいにしか思わなかった。

 社会学はどうあれ、文化人類学科は社会学部になければならない。本当は反対で、文化人類学部の下に社会学科がなければならない。心理学科も一緒に入っていなければならない。独立した学部にすることが困難ならば、この三つの学問は一緒にいなければならないのである。

 ところが事実はそうではない。日本の大学に文化人類学は存在しない。少なくとも社会学部には入っていない。有名大学の社会学部のウェッブ・サイトを見てみるといい。どこにも文化人類学という文字が見当たらない。

 文化人類学は、れっきとした社会学問である。にもかかわらず、文化人類学はともすれば文学部に入れられてしまう恐れがある。同様に社会学問である心理学科は、すでに文学部に所属させるという慣行が出来上がっている。

ちょっと脱線―上智大学の学部体系のめちゃくちゃ

 ふと、上智大学を思い出した。上智大学は八〇年代から知名度を上げ始め、私が大学に入学した八〇年代の後半には、私立大学のトップ校に躍り出ていた。

上智大学

 この大学は、当時はインターナショナルスクールからの入学や、名門私立からの推薦入学、さらに帰国子女入学の人数が、他の大学に比べて圧倒的に多く、英語で授業を行なうことを特色に、当時は外国語学部、国際関係学部、そして確かあったと思うのだが、比較文化学部が有名になっていた。

 比較文化学部とは何だろうと不思議に思っていた。「そんな学問があるのだろうか」、「単なる国際交流学科だろう」というような認識であった。あるいは主婦が入学して、外国の文化を学ぶと言うような、聴講生学部だと思っていた。

 この学部にはタレントの西田ひかるや、早見優(はやみゆう)らが入学したことで知られるようになった。

 イエズス会が作った教育機関なのだから、おそらくこの比較文化学部が文化人類学部に当たるものだろう。学部の中に「文化人類学科」らしきものはあるだろう、くらいに思っていたのだが、果たして「比較文化学部」はなくなっていた。

 その代わりに「国際教養学部」(こくさいきょうようがくぶ)というのが出来ていた。なんと舐めた名前であろう。英語では何と「ファカルティ・オブ・リベラル・アーツ(Faculty of Liberal Arts)」と書かれている。

「国際教養学部」(こくさいきょうようがくぶ)とい名の摩訶不思議(まかふしぎ)

 上智大学のウェッブ・サイトを見るとこう書かれている。「特定の学問の枠にとどまらず、人文・社会科学の幅広い教育研究を行う学科です。アメリカ型リベラル・アーツ教育の伝統を受け継ぎ」云々。

 英語のほうを見たら、案の定、違うことを書いている。それによると、「国際教養学部」は一九八七年に設立されたとある。設立当時はやはり「比較文化学部」(ファカルティ・オブ・コンパラティヴ・カルチャー、Faculty of Coparative Culture)であった。そう、確かにその頃に有名帰国子女芸能人らが入学して、名を挙げていたのと一致する。

 ところが、二〇〇六年に「国際教養学部」に改称したのだという。「現代のグローバル社会のニーズの変化に対応した処置」らしい。

 名前はどうあれ、昔は比較文化学部であったのだから、学科がどこかに残っているだろうと思ってカリキュラムを見てみたのだが、あった。「コンパラティヴ・カルチャー・メジャー(Comparative Culture Major)」、「比較文化専攻」と格下げされていた。

 これから文化人類学のことについて述べていくが、基本的に文化を比較していくという作業から始まったのが「文化人類学」である。後で、ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)の言葉を載せるが、彼によれば、戦後のアメリカ教育は比較を中心に据えて行なわれた。

ベネディクト・アンダーソン

 文化人類学が比較文化に名を変え、さらに国際教養などという言葉に名を変えたのは、確かにアメリカのグローバリズムの影響といえる。

 「国際教養学部」という名前は大問題である。カリキュラムの内容は「比較文化」、「国際経営・経済学」、「社会科学」が中心なのだという。何だそれは、と言いたい。

 そもそもこの学部の名前は英語では「ファカルティ・オブ・リベラル・アーツ」と書いている。これは中世の大学の「七自由学科」の伝統を受け継ぐ言葉で、本来、「文法、修辞学、論理学、算数、幾何学、天文学、音楽」を学んだのである。近代においては古典研究である。基礎学問であり、本来「ヒューマニティーズ=人文(Humanities)」を学ぶことなのである。

上智大学といえば「国際関係」(インターナショナル・リレイションズ)だったはずだが

 戦後のアメリカの都合に合わせて変えてしまった、というのは分かるが、そこに「社会科学」があるというのがおかしい。

 大学一、二年生の学ぶいわゆる一般教養としての「社会学問=ソーシャル・サイエンシズ」を学ぶのかと思ったら、「ソーシャル・スタディーズ」と書かれている。何だそれは。

 「国際経営学・国際経済学」などあるものか。「国際関係」というのはある。「インターナショナル・リレイションズ(International Relations)」として古代から存在し、近代学問としても認められている。

 そういえば上智といえば、「国際関係」がバカに偏差値が高くて、超有名だったではないか。そこで探してみたが、ない。

 外国語学部を探してみたが、ない。いや、あった。「国際関係副専攻(こくさいかんけいふくせんこう)」(インターナショナル・リレイソンズ・マイナー、International Relations Minor)として存続していた。いや、最初からそうだったようだ。

 これだけは正しい学問である。名前も正しい。最も高い位置にある最高の学問で、最も大切な学問である。しかし、上智大学では「副専攻」、「マイナー」とは。

 上智の学生は「私は国際関係を専攻(メジャー)していました」と言えないのだ。「マイナー」していましたと言うしかない。外国語学部のホームページは日本語のみで、英語リンクは見当たらなかった。これが外国語学部なのでしょうか。(英語学科のページも日本語だった。どうやっても英語のページが見当たらない。)

「国際関係法」(こくさいかんけいほう)などという学問は存在しない

 法学部を見てみると、またひどい。法学部には「インターナショナル・リーガル・スタディーズ(Internatioal Legal Studies)」(国際法学学科、こくさいほうがくがっか)があった。「国際関係法学科」(こくさいかんけいほうがっか)などと書かれている。

 これで学生はだまされるのだろう。「国際関係法」などあるか。「国際法」であろうが。「国際法」を学ぶ学問なのなら「国際法学」(インターナショナル・ロー、International Law)だろう。「インターナショナル・リーガル・スタディーズ」を訳すと「国際法学」(こくさいほうがく)である。だから「国際法学学科」(こくさいほうがくがっか)が正しいに決まっている。

 本当に諸外国との法の関係を学ぶのなら「コンパラティヴ・ロー(Comparative Law)」が正しい。「比較法学」(ひかくほうがく)である。「比較法学」だけが「法学」のなかで、モダーン・サイエンスとして認められている。こんなこと誰も知らないであろう。

 法学はサイエンスではない。しかし、「比較法学」だけはサイエンスである(一応)。このことが分からないで「国際関係法学科」などという仰々しい、まやかしの学部名を作るべきではない。せめてきちんと「国際法学学科」と正すべきだ。

「国際教養学部」のカリキュラムの摩訶不思議

 話を「国際教養学部」に戻そう。「比較文化学科」は「文化人類学科」である。それがきちんと残っていることは分かった。しかし、所属している学部が問題である。

 「国際教養学部」は「リベラル・アーツ学部」なのだろう。では人文(じんぶん)を学ばなくてはならないはずである。

 たしかに比較文化学科のカリキュラムの内容を見ると、語学や音楽や、さまざまな民族の文化を学ぶと書かれているが、それは「文化人類学」のための勉強である。

 文化人類学を学ぶためにはもちろん語学がなければならないが、「文化人類学」の中の語学とは「言語学」(リングィスティクス、Lingustics)でなくてはならない(これは学科の中にきちんとあった)。「文化人類学」上の「音楽」とは「ミュージック」ではない。「音楽学(ミュージコロジー、Musicology)」という。

 「リベラル・アーツ」とは「教養学部」としてもいいが、それならば先に述べた七つの基礎学科を学ばせなくてはならない。それが時代遅れで、現代の傾向に合わないなどというのなら、せめていわゆる「一般教養」として、全学部にまたがった学部にしなければならないのである。少なくとも、「教養学部」に「文化人類学科」があってはならないのだ。

 「文化人類学」が「人文」とか「文学部」に含められる慣行があるといったが、上智大学の場合、それですら当てはまらない。

 上智の場合、「リベラル・アーツ学部」はリベラル・アーツを教えていない。実際には「帰国子女専用特別クラス」であろう。日本での生活に支障がないように、「比較文化」を学ばせるだけなのではないか。

上智大学「総合人間科学部」(そうごうにんげんかがくぶ)は本当は「社会学部」であるべきだ

 まだしつこく攻撃する。「総合人間科学部(そうごうにんげんかがくぶ)」があった。九〇年代から「総合政策学部」とか「総合何々」という学部の設立(あるいは名称変更)が相次いだ。

 「人間を研究する学部」なのだから、こちらに「文化人類学部」があるのかな、と思ってウェッブ・サイトを見てみた。

 開けてみて思ったのが、ここが本来の「社会学部」だった。四つの学科が並んでいる。「教育学科」、「心理学科」、「社会学科」、そして「社会福祉学科(しゃかいふくしがっか)」。

 「社会福祉学科」はともかく、「心理学」と「社会学」があるのだから、「社会学部(ファカルティー・オブ・ソシオロジー、Faculty of Sociology)」にすればよいのに。あるいは早稲田のように「社会科学部」とか、「総合社会科学部」にすればいいのだ。

 では肝心の「人間の研究のための学部」はどこにあるのか。何と「国際教養学部」にあるのだ。「総合人間科学部」は「人間科学」と称しておきながら「文化人類学科」がないのである。上智にとっての文化人類学は、人文学部=ファカルティ・オブ・リベラル・アーツに含まれているのだ。

 上智の目玉である「比較文化学科」は、本来「総合人間科学部」に入っていなければならないのだ。「人間の科学」と言っているのだから、別名を「サイエンス・オブ・マン」という「文化人類学」が入っていなければならないのだ。

 そして「文化人類学」と「社会学」(ソシオロジー)は「双子の兄弟」である。境界線はきわめて薄い。これこそ学際的研究が必要な分野である。しかも文化人類学のほうが学問的には親である。なぜここにないのか。

 そもそもこの「総合人間科学」の「総合」とは何か。学部のサイトを見てみた。すると日本語のサイトがあり、英語のリンクは見当たらなかった。

 サイトの上のほうにちょろっと「インテグレイテッド・ヒューマン・サイエンス(Integrated Human Science)」と書かれてあった。単数形である。「インテグレイテッド」とは「統合(とうごう)」という意味である。

 これを人間に絡ませると「差別をしない」と言う意味合いになる。人種統合的な意味にもなる。ニューヨークが人種の「メルティング・ポット(溶鉱炉)」であるとか「サラダ・ボール」と言われるが、あのようにさまざまな人種民族が入り混じって、住み分けて生活するようなイメージである。

 人間の平等という理想を掲げるのは分かるが、「統合人間科学(とうごうにんげんかがく)」という学問は無いよ。しかも「総合」と言い換えている。総合とどうしても言いたいのなら「ジェネラル(General)」か、「トータル(Total)」、「シンセサイズド(Synthesized)」を使うべきである。

言葉を正しく使うことが教育者、研究者の学生への「最大で最低限の良心」である

 言葉を正しく使うこと、それが教育の良心であり、学生への最も基本的配慮である。言葉がきちんと定義されていること、それが「学問(近代学問、モダーン・サイエンス)」の最大の人類への貢献である。

 言葉についてまだ文句がある。「社会福祉学科(しゃかいふくしがっか)」とあるが、これでいいのか。「ソーシャル・サーヴィス(Social Service)」を「社会福祉」としていいのか。「社会福祉」は「ソーシャル・ウェルフェア(Social Welfare)」か、「ソーシャル・ワーク(Social Work)」である。

 「ソーシャル・ウェルフェア」とは、ルソーから続く思想で「社会福祉民主制国家」(ソーシャル・ウェルフェア・デモクラティック・ステイト、Social Welfare Democratic State)建設という、大きな思想の流れの中にある。一種の巨大な監獄でもある。

 「社会福祉」とはそのまま「民主制、デモクラシー(そして国家社会主義、さらにネオコーポラティズムへと続く)」思想なのである。社会科学(ソーシャル・サイエンシズ)の生みの親であるコント、サン・シモンも唱えた思想である。だから「人間科学部」に「社会福祉学科」があるのは優れている。

 しかし上智大学が名づけている学科名は「ソーシャル・サーヴィス」となっている。「ソーシャル・サーヴィス」は「社会福祉」ではない。「社会奉仕(しゃかいほうし)」だ。ソーシャル・ワーカーを育てる学科である。社会福祉ではない。今すぐ「社会奉仕学科(しゃかいほうしがっか)」と名前を変えたほうがいい。

 ちなみに、「総合人間科学部」のホームページは、二〇一〇年七月二〇日開設と書かれてあった。私が、この原稿のこの部分を書くために初めて閲覧した、まさにその日だった。英語のリンクは見当たらない。

「文学部」を「人文の学部」としているのだけは正しい

 上智大学で一つだけ誉められるべきは、「文学部」の名称である。「ファカルティ・オブ・リタラチュアー(Faculty of Literature)」となっていないのはさすがである。きちんと「ファカルティ・オブ・ヒューマニティーズ(Faculty of Humanities、人文学部)」となっていた。

 文学は「人文(ヒューマニティーズ)」である。人間が過去に書き残してきたもの、文書、文献、文字を研究する。だから歴史学もここでよい。このことを副島氏も強く主張してきたことを、私は氏の著作で何度も読んできた。

 そうなると今度は「リベラル・アーツ学部(国際教養学部)」はどうなるのか。「リベラル・アーツ」と「ヒューマニティーズ」は大学教育では歴史的に同じものだ。今すぐこの二つの学部を統合して、「比較文化専攻」は「国際教養学部」から抜いて、「総合人間科学部」に「学科(Department、デパートメント)として入れなさい。「総合」というまやかしの言葉は削除しましょう。

 「国際教養学部」の中の「国際経営・経済学科」は、「MBA取得コース」として、社会人入学可能コースにしなさい。「国際関係副専攻(マイナー)」というのもとんでもない、もったいない。

 上智の誇る「国際関係」はきちんと「国際関係学部」として学校の象徴的トップに据えなさい。そうすれば日本の私大のトップスリーである上智も、世界と同等の学問体系を、とりあえずはきちんと踏襲していることになるでしょう。政治学部も、法学部とは関係なく独立して作るべきです。政治学科を国際関係と一緒にすればいい。

 私は現在、毎日のように上智のある四谷に通っている。中の様子をうかがってみると、どうも学生に覇気がない。どうも暗い。元気がない。

 二〇年前学生だった頃、サークルの仕事でたびたび上智に入った。つい最近、上智に行ってみたが、「こんな感じだったかなあ」という印象を抱いた。おそらくどこの大学でも、学生は大人しく、暗くなっているのだろう。私が大学生の頃も、最近の大学生はのんべんだらりとして、元気がないと言われたものだ。今の学生は、その当時に比べても元気がない。

 大学は若い真面目な学生に対して、教育と学問の良心を示すべきである。「国際何とか」とか「総合何とか」のようなまやかしで学生をひきつけるべきではない。

 学生のほうもバカではないだろうが。それでも教育者、研究者としての誠実さ良心、高潔さ(これをインテグリティ academic integrityという。インテグラルと言う言葉はこのようなときに使うのだ)を示すべきである。無心の奉仕精神で「人を育てるべき」である。それこそが「ソーシャル・サーヴィス(社会奉仕 social service)」なのである。

 私が「学問の全体像」を書く目的は、日本の大学の教育制度の世界的枠組みからのズレを指摘することでもあります。この作業は、副島氏が代表的著書『決然たる政治学への道』や『属国日本論を越えて』で述べていることでもある。私の仕事は副島氏の主張の検証作業と、その補足、修正、続編、しつこく再説をすることです。

 不満を吐きたいだけ吐いたので、次回からは文化人類学の話へ戻ります。

(つづく)