「0113」 論文 道教も仏教もキリスト教「愛の思想」のデリバティブ(派生思想)である 〜「愛の思想」とは、自分たち貧しい民衆を牛馬のような動物扱いしないで、大切に扱って欲しい、という思想である〜(2) 副島隆彦述・原岡弘行構成 2010年11月14日

●大日如来は密教の仏様

 密教(Vajrayana Buddhism)はわざと難しくした仏教である。だからお釈迦さま以外に、大日如来という別の仏様をつくった。チベット密教で真ん中にいるのは大日如来である。金剛界五仏(五智如来 ごちにょらい)の中心として尊崇(そんすう)されている。五智如来は、大日如来(中心)、阿?如来(東方)、宝生如来(南方)、阿弥陀如来(西方)、不空成就如来(北方)で構成される。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Mandala_of_Vajradhatu.JPG/220px-Mandala_of_Vajradhatu.JPG 
チベット仏教の金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)。真ん中にいるのは大日如来

 日本にカトリックのキリスト教が伝来したころは、ラテン語でキリスト教の唯一神を意味する「デウス(Deus)」を日本語で訳するとき、仏教や儒教の言葉を借りて、神さまのことを、「大日如来」という訳し方をしていた。「大日」は「デウス(ダイウス)」という発音と似ていることから来たようである。

大日如来は、お釈迦さまの本当の言葉が書かれた仏典の中には出てこない。

●日本に伝わった仏教はキリスト教が大きく混ざっている

 インドから中国へお釈迦さまの思想が渡っていったのは、前漢末の紀元前後である。それが受容されたのは後漢(25-220年)以後である。仏典をサンスクリット語から漢語に翻訳し、古代中国語に直した。最大の功労者は、先に述べた玄奘と鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう Kumarajiva)という僧侶である。このふたりは二大訳聖といわれる。どちらも立派なお坊様である。

鳩摩羅什

 玄奘は7世紀の人である。日本でも有名なお経の『般若心経(はんにゃしんぎょう)』は玄奘が訳したものとされている。

 中国を経て、日本に伝わった仏教は実はキリスト教が大きく混ざっている。イエス・キリストを崇拝(すうはい)する思想が西域、シルクロードを通って、日本に入ってきた。なぜ最澄や空海が中国の思想にあこがれたのか。なぜ命の危険をおかして中国に留学までして日本に中国の思想をもたらしたのか。

 それは「愛」の思想だったからである。すなわち、貧しい民衆、とりわけ女が自分たちを大事にしてくれ、動物のように扱わないでくれ、動物のようにかわいそうな目にあわせないでくれと強烈に願った思想だったからである。

 空海は自分が死ぬときのあり方を説いた。「貧しい衆生(しゅじょう)を救うために自分は死んでいくのだ。そのときに阿弥陀如来が現れる」と彼は説いた。先に述べたように、阿弥陀如来は人々を極楽浄土に迎える仏である。これは、イエス・キリストの昇天の後に起こった復活である。

空海

 空海は死ぬときに、みずからは救済者(メシア messiah)になる。すべての人を救済すると誓(ちか)った。これはキリスト教の思想である。

 なぜインドで、お釈迦さまがバラモン教(Brahmanism)のバラモンたち(Brahmin)と戦ったのか。貧しい下層階級の人間をいじめるなと強く思ったからである。イエス・キリストも同じことを言っている。これがキリスト教の愛の思想である。日本に伝わった仏教も、愛の思想の影響を大きく受けている。

●キリスト教の影響の、もう1つの経路が道教

 キリスト教の影響の、もう1つの経路が道教(Taoism)である。184年、後漢の時代に、張角(ちょうかく)を首領とする黄巾(こうきん)の乱が起こった。この乱には道士(どうし)が出現する。道士とは、政治思想家のような連中であり、中東ヨーロッパ世界でいう預言者(プロフェット prophet)である。だいたいは殺されている。道士はみずから武器を持って戦うことはしない。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Taopriest.jpg/250px-Taopriest.jpg
道士

 道士の周りには、暴力団の親分のような人間が集まっていた。その代表格の董卓(とうたく)は189年、洛陽(らくよう)になだれ込んだ。しかし董卓は192年、養子の呂布(りょふ)に殺された。その後220年に後漢が滅(ほろ)ぶ。この年に、曹操(そうそう)の息子の曹丕(そうひ)が後漢の献帝から禅譲を受け、三国時代の魏(ぎ)の初代皇帝となった。黄巾(こうきん)の乱が後漢を崩壊させる大きな要因であった。

 私が貧しい売春婦、あるいは最下級のカラオケバーのホステスたちとして日本にやってきている中国人女性たちと筆談とカタコトの日本語で話してわかった重要なことがある。それは、彼女らに「あなたたちは何を信じているのか」と聞いたら、「阿弥陀様だ」と言って、手で拝(おが)む仕草をしたことだ。それから「弥勒菩薩だ」とも言った。その女性たちは福建省、台湾、大連など、それぞれ出身地が違った。続けて「あなたたちの宗教は何か?」と聞いたら、「キリスト教だ」と言った。

 いったいどのようなキリスト教の集団が中国国内に存在するのだろうか。ひとつは中国共産党と今も中国内部で戦っているローマ教会が組織する非合法のカトリック教徒たちである。それ以外の新教徒(プロテスタント Protestant)のキリスト教徒もいるだろう。中国政府は、中国全体における大司教(アーチビショップ archbishop)を認めない。そして、中国共産党が公認しているカトリックも存在している。

●中国には道士に指導されて起きる民衆反乱の歴史がある

 より重要なのは、黄巾の乱のころから中国にやってきていた古いキリスト教である。黄巾の乱の中心となったのは、太平道(たいへいどう)といわれる秘密結社である。太平道は五斗米道(ごとべいどう)とともに道教の基礎を作ったといわれる。しかし私、副島隆彦は、ここにもキリスト教の愛の思想の影響があると考える。これが中国に伝わった古いキリスト教である。

 それが中国の農民たちに脈々と受け継がれて、今に伝わっている。とりわけ貧しい娘たちは、誰から習うこともなく、教会によって組織されたわけでもないのに、「自分たちはキリスト教徒だ」とハッキリ言う。私は香港でもそういう女性と出会った。海岸部の都市に出稼ぎに来て、チャンスがあれば日本の経営者の男たちに熱心に奉仕して、なんとかはい上がろうとしている女たちである。

 だから、自分が信じている宗教はキリスト教であると言いながら、阿弥陀様や弥勒菩薩を拝むのだ。仏教や道教の中にキリスト教が入り込んでいるのである。このときに私は、中国に伝わる古いキリスト教の影響をはっきりとわかった。

 中国には道士に指導されて起きる民衆反乱の歴史がある。数百年おきに、帝国の末期に起きている。

 元末のころに起きたのは、1351年から1366年まで、16年間続いた紅巾(こうきん)の乱(白蓮(びゃくれん)教徒の乱)である。この乱の中心となったのは、白蓮教という秘密結社である。白蓮教はマニ教に仏教の弥勒信仰が融合した思想をもっていた。私、副島隆彦はここにも古いキリスト教の影響があると考える。

洪武帝

 その紅巾の乱に参加して、経済の中心江南(こうなん)を支配し、1368年に明を建国した洪武帝(こうぶてい)(朱元璋(しゅげんしょう))は、私の目では偉大な男である。洪武帝は自分が貧しい階級からはい上がってきたことを一切隠さなかった。そして中国全体を統一した。洪武帝こそは、白蓮教徒の思想を体現した男である。

洪秀全

 清代には1851年から1864年に、太平天国の乱が起きている。アヘン戦争以後、イギリスにじわじわと侵略されていった時期に、清朝打倒をめざして洪秀全(こうしゅうぜん)をリーダーして民衆が反乱運動を起こした。太平天国の乱は明らかにキリスト教によって結びついている。これは私、副島隆彦は、古いキリスト教である仏教ともうひとつの古いキリスト教である道教が合体したものだと考える。洪秀全はその体現者である。しかしこの太平天国の乱は、イギリス人の軍人チャールズ・ゴードン(Charles Gordon)が率いた民兵組織の常勝軍によって打ち破られた。

チャールズ・ゴードン

 1860年以降、曾国藩(そうこくはん)、李鴻章(りこうしょう)、左宗棠(さそうとう)ら洋務派(ようむは)官僚が推進した洋務運動によって、中国も近代化路線を進みはじめた。太平天国の乱はこの運動によって打ち破られた。今の中国も洋務運動を行っている。李鴻章は伊藤博文と共にイギリス帝国の支配下で、操られた支配者である。

  

曾国藩             李鴻章      左宗棠 

 この連綿と続く民衆反乱のうねりが、今の法輪功につながっている。法輪功は仏教、道教、キリスト教が混ざり合った宗教である。この民衆の反乱が中国共産党にとっては恐ろしい。

「親魏倭王」の称号をもらった女シャーマン卑弥呼

 魏の正史である『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝(とういでん)の倭人(わじん)の条の略称が『魏志倭人伝』である。そこに東夷として日本人が描かれ、邪馬台国(やまたいこく)やその女王卑弥呼(ひみこ)が登場する。239年に、卑弥呼は魏の権威を利用するため朝貢(ちょうこう)している。女シャーマンである卑弥呼は「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号とその証である金印を与えられている。このとき、五尺刀2口と銅鏡100枚などをもらっている。

親魏倭王印

 当時の日本人の寿命は30歳ぐらいだろう。10年ぐらいずつで、数人の女シャーマンが部族を率いていた。岡田英弘説では邪馬台国は下関にあった。なぜならば、下関は中国に一番近い、天然の良港だからである。私、副島隆彦もこの岡田英弘説に従う。これが3世紀の日本である。

仏教の本当の経典は『ダンマパダ』と『スッタニパータ』の2つだけ

 話を戻すと、私の考えでは、キリスト教が中国に渡ったのが道教である。一般には老荘思想のことを道教というが、本当は道教とは儒教を勉強して官僚になった人間が失脚して、田舎に帰って悠々(ゆうゆう)と過ごす、そのときの思想のことをいうのである。

 仏教は聖典(キャノン cannon)をもっているから、偉そうにしている。全部で1000〜3000の経典(お経)があるといわれる。しかし本当は、誰もそんなにたくさんのお経は、読めない。読めたふりをしているだけである。それなのに威張りくさるのは偽善だといわざるをえない。

 仏教の本当の経典は、中村元(なかむらはじめ)が和訳した『ダンマパダ』(法句経、Dhammapada)と『スッタニパータ』(Sutta Nipata)の2つだけである。原始仏典の『ダンマパダ』は、『ブッダの真理のことば』、『スッタニパータ』は、『ブッダのことば』として邦訳され、それぞれ岩波文庫から出ている。お釈迦さまの言葉を記した本当の仏典はこの2つだけである。『ダンマパダ』は漢訳仏典の法句経として伝来しているが、『スッタニパータ』は日本に漢訳仏典として伝来することはなかった。

中村元

お釈迦さまの女性の信者であるアミダーバーがなぜ阿弥陀如来になったのか

 お釈迦さまの弟子には女性もいた。阿弥陀如来の元になったアミダーバーという女性である。お釈迦さまの歴史に出てくる。

 弥勒菩薩の元になったのは、マイトレーヤという女性の信者(尼さん)である。この女性もお釈迦さまのそばに来ていた。

 女性の信者であるアミダーバーがなぜ阿弥陀如来になったのか。私、副島隆彦の考えでは、阿弥陀如来はマグダラのマリア(Mary of Magdala)のことである。「ダ・ヴィンチ・コード」によれば、マグダラのマリアこそがイエス・キリストの本当の奥様である。そして、ふたりの間にサラという子どもが生まれた。

マグダラのマリア

 30代半ばでイエス・キリスト(Jesus Christ)は殺されている。十字架にかけられたイエス・キリストの死体を取りに行ったら、なくなっていた。なぜならば、昇天したからだ。どのように死体が消えたかはわかっていない。その後、マグダラのマリアたちはフランスに渡っている。そして、サント・ボーム(Sainte-Baume)に流れ着いた。その血統がフランス王朝に融合していった。だからフランス人は、今でもローマ法王(Pope)に屈しない。

サント・ボーム

 ローマ教会はそのことを知っているから、マグダラのマリアを嫌う。女は汚らわしいものだと考えている。この点は私、副島隆彦も理解し、共感できる。

 阿弥陀如来がマグダラのマリアであり、イエス・キリストとマグダラのマリアのあいだに子どもが生まれているということは、お釈迦さまとアミダーバーのあいだにも子どもができていた可能性がある。

(つづく)