「120」 論文 ユダヤ人の歴史 第一章(1) 鴨川光(かもがわひろし)筆 2010年12月12日
●なぜ何でもお金になる世の中が来たのか
一九世紀フランスの詩人、アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud)の詩に『セール』という作品がある。その書き出しでランボーは、「売り出しだ、ユダヤ人も売ったことのないもの」と力強く叫んでいる。売れるものならどんなものでも売り出そう。いや、売れそうにないものでも売れるだろう。『セール』という作品は、今や商売中心の世の中になったのだ、という強い宣言である。
ランボー
何でも売れるのなら、一番儲かるものは何であろうか。私にはやはりバブル時代の異常な土地の高騰が頭をよぎる。不動産が一番お金になるはずだ。その次に頭に浮かぶのは、株や為替や金融だろう。お金がお金を呼ぶのだから楽に儲かるだろう、と思うのは当然である。
だがそれよりももっと儲かるものがあるとしたら、皆さんはどう思うだろうか。バブル時代と、その後の慢性的な景気後退を体験して、私は気づいたことがある。世の中で一番儲かる商売は、「人」を売ることなのではないだろうか。
何でも売り物にすることが出来る商売中心の世の中になった、ということは人間も売り物になるということである。人間が一番儲かる。だから人身売買は、昔から当たり前のように行われていた。
●フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画『道』
フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)の古いイタリア映画『道』(La Strada)には、ジェルソミーナという貧しい女の子が出てくる。当時三三歳だったフェリーニの奥さんジュリエッタ・マシーナ(Giulietta Masina)が、まだ一〇歳になるかならないかの子供を演じている。
フェリーニとジュリエッタ
映画の冒頭で、ジェルソミーナはなぜか棒切れの束を背負って歩いている。そこに屈強な旅芸人の男がやって来くる。ジェルソミーナは母親の手でこの男に売られてしまう。母親が泣きながらジェルソミーナの名を叫ぶ場面は『おしん』にそっくりである。
ジェルソミーナが原っぱをふらふらと歩いているシーンを見ていて、私はどこかで見たような感触を覚えた。それは五歳の頃の自分自身であった。
私が五歳の秋、父の会社は大リストラを断行した。そのため私たち一家は家族ごと路頭に迷ってしまった。私は保育園に行けなくなってしまった。そのため日中は兄が学校から帰ってくるまで何もすることがなかった。
裏の竹やぶに入ったり、工事現場に入ったり、原っぱで木の棒を持ってバッタを追いかけたり。まるでジェルソミーナのようだった。毎日ふらふらと何かが起こらないかと思って過ごしていた。怪獣とか妖怪でもやってこないかな、そう思って過ごしていた。
ところが誰も来なかった。何も起こらなかった。ハト一羽飛んで来やしなかった。私はただいつも空をボーっと見ているだけだった。
時代が時代ならば何かが私を迎えに来ても不思議ではなかった。
父の会社のリストラがあったのは昭和四七年。一九七二年のことだった。もしこれが昭和の初めぐらいだったら、私はとっくにどこかへ売られてしまっていただろう。寺の小坊主や丁稚とかにさられていたはずだ。女の子だったらよくて旅館の仲居さんか紡績工場だっただろう。器量がよければ女郎屋に売り飛ばされていたかもしれない。赤ちゃんだったら間引かれていたのだろうか。
食い扶持を減らすためにとにかくどこかへ行かされただろうし、家族の中で余った私を引き取りに来る専門の業者が必ずいたはずだ。そういう仕組みになっていたのだ。昔は女衒(ぜげん)という人買いがいっぱいいたのである。
森鴎外の『山椒大夫』は安寿と厨子王という姉弟が、奴隷商人に売り飛ばされてしまう物語である。『山椒大夫』に描かれているように人間を商売にすることはどの時代、どこの国でも当たり前のように行われていた。
私はジェルソミーナを見るたびに思う。
「結局最後は人なのだ。人間を売るのが一番儲かるのだ。」
昭和の豊かな時代に生まれた私は、幸いにも親に売られることはなかった。しかし人身売買の思想は、今も人類の歴史から消えてなくなったわけではない。人間を商売にするという思想は、私が就職した一九九〇年にもう一度私の目の前に現れることになる。
●就活という人身売買
一九九〇年といえばバブル絶頂期で、企業という企業はとにかく人を採った。採って採りまくった。学生のほうも内定を四社も五社ももらって喜んでいた。
映画『就職戦線異状なし』
いや、実際はそうではなかった。当時は労働省の指導の下、就職協定というのを企業同士が結んでいて、八月一日になるまで学生に内定を出すことができなかった。学生のほうは四月頃から就職活動を始めて、八月になるまでの約四カ月間、二〇社から三〇社企業訪問をして、その間に最終面接まで終わらせていた。後は結果待ちなのだが、それまでにどこからも色よい返事をもらっていたわけではない。内定をもらえるまでの学生は飼い殺しの状態でいた。
しかし八月一日の内定解禁日を過ぎると、人事担当者が血相を変えて飛んできた。内定をもらってしまえば今度は学生の側が強くなる。学生のほうもいきなりたくさんの内定をもらったはいいが、就職出来るのはそのうちの一社だけしかない。
どうかうちの会社に来て欲しい。お願いだから他の会社へ行かないでくれ、と私も担当者に懇請された。
八月一日にホテルに缶詰にされて、他の会社に行けないようにされた、という友人の話も聞いたことがある。人事部の異常なあせり方には、身の危険を感じたほどだった、と語った友人もいる。
企業はそれほどに切迫した思いで、学生の採用に奔走していたのである。だから入社後私には同期が全社で五〇〇人もいた。東京だけでも三〇〇人はいたのである。
ではそんなに人手不足だったのであろうか。そんなことはない。実際私が入社してみると人は余っていた。忙しい部署もあったが、朝から晩まであわただしいという類のものではなかった。
そんなある日、人事部の人間の話を耳にする機会があった。人事部には採用人数のノルマがあるという話だった。その人の話では、私の入社した翌年の採用計画は六〇〇人だという。だがとても達成できる人数ではない、と嘆いていた。
私にはこのことがどうしても腑に落ちなかった。なぜ社内で人が余っているのに大量に人を採るのだろう。仕事が少ないから人を採用出来ずに困っている、というのは聞いたことがある。しかし仕事は少ないが人を採用出来なくて困っている、というのは聞いたことがない。私が育った七〇年代から八〇年代は、二度のオイルショックを経ていて、慢性的な就職難だったように思われた。だからどうしても私には、バブル時代の状況は納得がいかなかった。
そこで私は、これはどうやら仕事量が多すぎるとか、人手不足だから人を採用するのではなさそうだと思い始めた。仕事量に対する適正な人員配置のことなど、人事部にはまったく眼中にないようだった。
ではあのころの企業は、なぜ理屈に合わない大量採用をやっていたのだろうか。
景気がよいから企業が大盤振る舞いをしたのだろうか。しかし合目的な生産計画を立てて、利益を追求して行かなくてはならない企業が、なぜそのような無駄なことをしなければならないのだろう。これまで何度も不況の憂き目をくぐり抜けて来た日本の大企業は、無駄を省くことで世界的な企業にのし上がって来たはずである。
学生の採用は、会社の将来を見越してのことだろう、という考え方もある。雇用の促進は人材への投資であり、自社の将来的な人事体系を築くためである。二〇代から六〇代までの年齢構成のバランスをとるためだ。そのような答えもあるだろう。たしかにこれは企業にとって健全な採用哲学なのだと私も思う。
私にはそれでも疑問がある。あれほどまでに人事担当者が学生の採用に追い立てられていたというのは、いったい何だったのだろうか。なぜああまで切迫した状況で、人を採用していたのだろう。一般学生など何の技術も経験もないのである。これは自社の事業の必然から来たのではなく、何か他の力が働いていたとしか思えなかった。それではいったい何に追い立てられていたのだろうか。
私には企業が国に追い立てられていたとしか思えない。国の指導によって大企業は、大量採用を必死で行わされていたのである。
積極的雇用は企業の上層部にとってみれば、お上にいい顔ができるチャンスだったから、バブル時代、企業は学生に面接までの交通費を渡したり、立食パーティーを企画したりして必死に学生を集めた。そうした企業の側の気持ちは分かる。不思議なのはお上のほうである。なぜ国は企業に雇用を促していたのだろう。お上の側の理由は何だったのだろうか。
●巨大企業の存在理由、レゾン・デートルとは何か
大多数の企業というのは、人間で言えば脂肪過多の状態である。大企業の大半は大して必要もない部署に、たくさんの社員を抱えている。
購買部、秘書課、管理部などがそうだ。経理部や法務、総務、人事部なども本当は必要がない。近代的企業は営利活動に専念すればいいのだから、営業部と工場、店舗だけがあればいい。
それでも営利活動に直接関わりのない部署が存在する。そこに配属されている大勢の社員は、なぜか安定した賃金や手当てが、景気の変動にあまり左右されることなく支給され続けている。これはいったいなぜなのか。実はそこにこそ国の側の理由があるのだ。
国は企業を常に監督下に置きたいのである。決して国民を守る、という福祉的観点からの行為ではない。国は企業からの上がりを期待しているのである。上がりと言うのは、企業が国に納める税金のことである。
企業の納める税金と言っても、今私が問題にしているのは企業が営業活動の結果手にした、売り上げからの税金ではない。国にとっては企業が支払う所得税とは別に、もうひとつ重要な上がりがある。それは社員一人一人の所得税、住民税、国民健康保険税、厚生年金、雇用保険などである。これらをすべて足しただけでも、月に一人頭五,六万ぐらいにはなる。企業側が受け持つ分を足すと、一〇万円くらいにはなるだろう。
新たに五〇〇人の従業員を企業に雇わせれば、月五〇〇〇万、年にして六億円の歳入が自動的に国の懐に入る。新入社員が、その金額に見合う生産性を発揮してくれなくてもよい。国にとっては一人頭、一月一〇万円が入ってくることがはっきりしてくれたら、それでよいのである。
新入社員というのは、国が会社から資産を収奪するための口実でしかない。私は新入社員のとき、「人」という商品として市場に売りに出されていたのだ。人間が売り物であるという意味はこういうことなのである。
就職活動、雇用市場というのは本質的に奴隷市場である。このことが理解出来れば源泉徴収、という仕組みの本質も分るだろう。
サラリーマンにとって源泉徴収とは、会社の経理が勝手に処理してくれるものでしかない。税金が給料から天引きされる代わりに、会社が年末調整をしてくれて、お金を自動的に戻してくれる。面倒なことを会社が代わりにやってくれる大助かりなシステムである。
では源泉徴収というシステムがなかったらどうなるか。仕事や通勤の苦痛で余裕のないサラリーマンが、税務署に申告しに行くはずがない。行く暇もない。払わなくてもいいやと思うに決まっている。
こうなるとお手上げなのが国である。「人頭税(poll tax)」という歳入がまったく無くなってしまう。それとは逆に、大勢のサラリーマンにいきなり押しかけられてもらっても、税務署にはそれを処理出来る事務能力は無い。
そこで企業の中に、国税局、社会保険庁、厚生省、市役所に対応するための税務・法務上の専門部署を作れ、ということになる。税理士や弁護士、社労士を雇って、監督官庁に負担をかけずスムーズに事務処理をこなせよ、と指導する。こうしたお上への各担当部署が人事部であり、総務部であり、経理部なのである。
このように考えてみると、企業の存在理由とは徴税請負ということになる。この徴税請負と人身売買は表裏一体である。
企業による雇用促進・維持とは、当局のための税収の財源確保の口実である。社員とは、一人一人が国と企業によってお金に換算された人質であり、奴隷なのである。
●タレントとは人間の価値の計量単位―マネーのことである
人が奴隷であり人質だというのなら、人間の価値はいったいいくらなのであろうか。人の価値を値踏みしなくてはならない。そこに人間をお金に換算するという発想が出てくる。
人間の価値換算を説明するには、芸能事務所を例に取るのが一番わかりやすい。
一九九三年。木村拓哉という青年が売りに出された。木村拓哉所属のタレント事務所は、彼のタレント性を見込んで、数十億のお金をかけたであろう。当時のキムタクは、まだあまり利益をもたらしていないから、会社にとっては数十億円分の人質であった。しかしその後キムタクは、皆さんご存知のとおりの大活躍によって、彼にかけられたお金の、数十倍から数千倍の売り上げを会社にもたらしている。キムタクは今や、それほどに高額なお金に見合ったタレント=人質なのである。
それとは逆に、売れないタレントもまた大勢いる。一月二〇万円分の価値のタレントもいれば、一〇〇円の価値すらも無いタレントもいる。売り出し中のタレントは最初の二、三年間は、かけられた経費分のマイナスの価値でしかない。これはキムタクも同じだった。しかしその後いつまでたっても売れなかったり、スキャンダルでタレントの価値が下がったりしてしまえば、会社にとってはマイナスのままだ。マイナスの価値でしかないタレントを企業が置いておくわけが無いから、解雇ということになる。タレント事務所が所属芸能人のスキャンダルを恐れるのは、まさにタレントの価値が下がる、というこの一点に尽きる。
タレントとは今では芸能人のことを指す。辞書で「タレント」を引くと人の才能を表す言葉、ということになっている。しかし実は、タレントという言葉自体もともとは、人をお金に換算する単位だったのである。
タレントとは、古代オリエントで広く使われたタラントン(talanton)という名前のお金だった。タラントンが英語になってタレントという。タレントは古代オリエントの基軸通貨であった。
ではなぜお金の単位であるタラントンが、人の才能を表すタレントになったのであろうか。
タラントンというお金は、旧約聖書のレヴィ記に登場する。レヴィというのは、聖書の中に出てくるユダヤの祭司階級のことである。
レヴィ記の中で、二二七三人いるはずのレヴィ人が二七三人足りないから、いない人数分をタラントンに換算しろという記述がある。
人が足りないからお金をよこせ。これはいったい、どのようなことを言っているのであろうか。
実はこの部分は、人の価値を数量的に換算した最初の記述なのである。人の価値をお金に置き換えた点で、レヴィ記はある重要な価値を持ち始める。
OEDの定義によれば、タレントとはもともと目方とお金の計算法のことであり、金銀の重さの単位であった。タレントはギリシャ語源ではバランス、重さ、お金の額を表していたのである。
タレントとは、古代オリエントの数量の評価基準でもあった。この数量の評価法を人に当てはめたのが、先のレヴィ記の一節なのである。
ではタレントという言葉は、いつ人の才能を表すようになったのであろうか。
新約聖書のマタイ記に、「力(才能)に応じてタラントン(タレント)を分けた」という箇所がある。ランダムハウスの定義によれば、マタイのこの記述以後人の価値、才能を表す際にタレントが使われるようになったとある。(『ランダムハウス英和辞典』二七六四ページ)
読者の皆さん、これではっきりしたと思う。タレントとはもとは人の能力、人の質を計算してお金に換算したものだったのだ。人質という日本語が、タレントの語義を最もよく表している。人質とはその字の表すとおり、人の質、価値のことだからである。よい意味でも悪い意味でも、人をお金に見立てたのが人質なのである。だからタレントを人の才能というのだ。
●徴税請負とはいつ誰が始めたものなのか
人をお金に換算するという発想は、古代から存在したのである。古代の人々は、タレント・システムによって人間が売り物になることを発見し、人身売買を生業にする者が生まれた。
人がお金になる、ということは徴税の対象にもなり得る。そこに徴税請負という発想が出てくる。
では徴税請負とは、いったい誰の発想だったのであろうか。
実は、徴税請負も二千年以上も前から存在したシステムだったのである。徴税請負を始めたのはエジプトのプトレマイオス朝(Ptolemaic dynasty)である。紀元前三二三年、プトレマイオス一世ソーテール(Ptolemy I Soter I)が周辺地域を征服した後、それぞれの地域の有力者を選び出し、徴税を請け負わせたことが最初である。プトレマイオス朝エジプトとは、アレクサンダー帝国の後を受けて建国された国である。
ソーテール
ではなぜ徴税を他人に請け負わせよう、などと考えたのであろうか。徴税権という旨みのある仕事は誰にも渡したくないはずである。それでも他人に請け負わせようというのは、税金とは本来誰も払いたくないものだからなのである。徴税する側から見れば、税金などそう簡単にとれるものではないものだからである。
本気で税金を取ろうと思ったら、軍事力や警察権力を組織的に行使して、広大な支配地域を回って、血も涙もないやり方で住民を脅し、時には住民を虐殺し、人の財産を無理やりにでも奪い取りに行かなければならない。徴税の本質は他人の財産の強奪なのである。住民のほうも財産を守るためなら、必死になって抵抗したり、隠したりするに決まっている。これでは徴税をする目的のためだけに、またお金がかかってしまう。徴税にかかる労力も並大抵のものではない。徴税をすること自体が割に合わない。
ああ、徴税は面倒だ。やりたいやつにやらせよう。徴税を誰かに任せてしまおう。首尾よくお金が取れたら、その中から自分の取り分を好きなだけ持って行け。ただしちゃんと王である自分に貢納させよう、という考えが生まれた。このほうが合理的である。そこでプトレマイオスは徴税権の請負入札を始めた。
この徴税請負業によって莫大な財産をなした者がいた。ユダヤ王オニアス三世である。オニアス三世は神殿を守る神官でもあった。オニアス家とはユダヤの大祭司の正統である。
ここにユダヤ人が歴史上初めて登場する。ではこの徴税を請け負ったユダヤ人とは、いったい何者だったのだろうか。これは次回取り上げる。
(つづく)