「130」 論文 私のガンダム論(2) 鴨川光筆 冒頭加筆本日、ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」の開設2周年を迎えました。ご挨拶を申し上げます。古村治彦記 2011年2月20日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」の管理人、古村治彦(ふるむらはるひこ)です。2011年2月20日で、本サイト開設2周年を迎えました。2009年2月20日にサイトを開設し、これまで130本の論文を掲載してまいりました。ここまでサイトを運営するにあたり、多くの方々のご支援やご指導を頂戴しました。誠にありがとうございます。論文をお読みくださる読者の皆様の数も順調に増え続け、サイトの管理人として感謝の気持ちで一杯でございます。今後も、質の高い、読んで面白い論文を掲載してまいる所存です。今後ともウェブサイト「副島隆彦の論文教室」をどうぞよろしくお願い申し上げます。

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●マジンガー後のロボットアニメ

 さて、一九七五年、マジンガー・シリーズに代わるものとして出てきたロボットアニメが『勇者ライディーン』でした。マジンガーZとゲッター・ロボ(共に永井豪、ながいごう原作)の作ったロボットアニメの路線を踏襲して、当時期待の新進気鋭のロボットアニメとして登場します。

  

「勇者ライディーン」         安彦良和

http://www.youtube.com/watch?v=DB_IUfOJUcY
http://www.youtube.com/watch?v=o50qLEt4C4A&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KrtrX7sETEI&feature=related
(「勇者ライディーン」1、2、3話 一九七五年。キャラクターデザインを後述の安彦良和氏が担当している。)

 『テレビマガジン』では、この新ロボットアニメの名前を、一〇個ぐらいの中から選んで当てて下さい、という懸賞がありました。当時懸賞マニアだった私は、当然のごとく応募して、確かエメラルド何とかという名前を選んだ記憶があります。緑色だったからです。

(著者注記:ウィキペディアの「勇者ライディーン」を調べたら、やはりありました。三つの候補だけが書かれていますが、実際には一〇くらいあったはずです。私のマンガ・アニメに関する記憶は正しいのです。ウィキペディアでアニメやマンガを記述している匿名の人物たちも、私と同じ年代の人々か、業界関係者でしょう。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%87%E8%80%85%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3

「勇者ライディーン」 ウィキペディアから

 ライディーンに名前が決まった新アニメは、第一回目こそ素晴らしい出来だったのですが、それ以降はどうもパッとしない、面白くない出来でした。これ以降、ロボットアニメはマジンガーZのような社会現象になるほどの勢いを取り戻せませんでした。それでもそこそこに人気はあったようです。

 考えても見てください。ロボットアニメと言って思い出されるのは「ライディーン」などではないでしょう。マジンガーZかガンダムのはずです。この二つは誰もが知っている名前です。

 ライディーンから始まった七〇年代後半の(つまりは昭和五〇年代の)、新しいけれども廃れてしまったロボットアニメの代表的なラインナップは、以下の通りです。

 「鋼鉄ジーグ」、「宇宙の騎士テッカマン」、「超電磁ロボ コン・バトラーV」、「超電磁マシーン ボルテスV」、「闘将ダイモス」、「惑星ロボ ダンガードA」、「無敵超人ザンボット3」。そして七〇年代最後に出て来るのが「機動戦士ガンダム」。

(著者注記:以下youtubeからオープニング・アニメのURLを貼り付けておきます。)
http://www.youtube.com/watch?v=N1Meczr7yIc 「鋼鉄ジーグ」(見て分かる通り、これだけは超合金は成功した。磁石でくっつくから。)
http://www.youtube.com/watch?v=7w6pl1xNcGw 「宇宙の騎士テッカマン」(ワープを真似た、リープ航法というのを使ったところがSFぽい。)
http://www.youtube.com/watch?v=k5zTn1nVqUY 「超電磁ロボ コン・バトラーV」(これもキャラデザインが安彦良和氏)
http://www.youtube.com/watch?v=72QetDF1NwI 「超電磁マシーン ボルテスV」(キャラデザインが何と、「超人ロック」の聖悠紀(ひじりゆき)氏。この人も重要です。後述します。)
http://www.youtube.com/watch?v=sqhksx_y9bU 「無敵超人ザンボット3」(これも安彦良和)

 これらのyoutubeの貼り付けを試しに見てください。登場人物の顔が、この五年をかけてゆっくりと変わっていきます。マジンガーZの主人公、兜浩二(かぶとこうじ)のシリアスな表情から、ガンダムの登場人物アムロ・レイやシャー・アズナブルのようなかわいらしい顔に変わっていきます。(そもそも名前が外人になっていますね。)

 この時代、小学生や中学生はもうロボットアニメには興味がありませんでした。何に興味が移ったのでしょう。ご存知、スーパーカーのほうに関心が移っていったのです。スーパーカー・ブームは七七年の春、晴海で行なわれたスーパーカー・ショーから始まりました。「サンスター・スーパーカー・コレクション77」というのが正式名称だったらしい。

スーパーカー

http://tokyoretro.web.fc2.com/supercar.html(当時のことを記録しているページ。写真と広告があります。)

 マンガも、少年チャンピオンや少年ジャンプと言った少年雑誌、テレビはドリフターズを中心にしたお笑いと、歌番組が中心でした。ピンクレディーがすでにデビューしていました。一九七七年の夏、当時人気絶頂だったキャンディーズが「ふつうの女の子に戻りたい」と宣言し、さらに人気が高まっていました。翌七八年にはTBSで「ザ・ベストテン」が始まっています。

  

ピンクレディー        キャンディーズ

 ロボットアニメやヒーローものはもう平日七時のゴールデンタイムで放送されることはなく、六時台や五時台に放送されていました(しかも土曜日とかテレ東で)。家族で見ることはもうなくなりました。

 七〇年代後半は、プロレス・ブームや宇宙博の影響もあったと思います。超能力やUFOブームもありました。

(著者注記:宇宙博とは一九七八年から七九年にかけて、東京有明の一三号地で開催された「宇宙科学博覧会」のことです。笹川良一の日本船舶振興会、今の日本財団が援助していました。当時五年生だった私は、宇宙少年で、二回行きました。

笹川良一

当時の様子 http://nippon.zaidan.info/kinenkan/history30/2/2531.html {日本財団三十年の歩み」から

●『マジンガーZ対暗黒大将軍』がアニメブームの最初

 「ガンダムが〜、ガンダムが〜、ああ、ガンダム」と言っている、尋常ならざるガンダム・マニアの方々。君たちは覚えているだろうか。といってもガンダム・マニアの中核は、今の三〇代半ばより下の人だから知る由もなかろう。ふっふ。(これを書いているのは。二〇一〇年八月です。)

ガンダム

 『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『エヴァンゲリオン』が道筋を作り、テレビから劇場公開というアニメブームの流れを最初に作ったのは『マジンガーZ』なのです。

 現在ある形のアニメブームの一番初めは、一九七四年七月二五日、東映まんが祭りで公開された『マジンガーZ対暗黒大将軍』です。

http://www.youtube.com/watch?v=i-nbbO9FMSU
http://www.youtube.com/watch?v=Zs1itobn9z8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=knnlCzMxEF8&feature=related
(映画『マジンガーZ対暗黒大将軍』)

 私は小学校一年生の時で、これが劇場公開される二ヶ月くらい前から、『テレビランド』や『テレビマガジン』で盛んに宣伝されていたので、私たち小学生は本当に心待ちにしていました。

『テレビマガジン』と『テレビランド』の表紙

 今でいうメディアミックスという手法だったのだと思います。二つの雑誌は、本当にきれいなグラビアと、詳細なキャラクターの説明が特集として組まれていて、子供に読ますのはもったいない程の丁寧なつくりでした。

 当時は「東映まんが祭り」という、アニメやアイドルの映画フェスティバルが、春夏冬休みに催されていました。私の子どもの頃、その中心だったのが、マジンガーZだったのです。

 その中でも『マジンガーZ対暗黒大将軍』は最大のイベントだったのです。この時には、当時全盛期だったフィンガー5の映画も同時上映されていて、私はほんとうにわくわくして見に行きました。フィンガー5のアキラとマジンガーと仮面ライダーXが同時に見られたので、私は本当に死んでしまうのではないかと思えるほどに、キャーキャー悲鳴を上げていました。当時私は七歳ですから、フィンガー5には本当に「シビレ」ました。

 ちょっとおもちゃの話をしましょう。今でいえばガンダムのプラモデル「ガンプラ」に当たるのが、ポピーの「ジャンボマシンダー」と「超合金」でした。でもおもちゃ会社とのタイアップは、まだそれ程上手くいっていませんでした。このころのメディアミックスといえるのは、何と言っても映画・テレビとレコード。映像には歌がつき物だったのです。

 当時のガンプラとかフィギュアに当たるものは何だったでしょうか。実は、当時最も精巧なフィギュアは、タカラから発売されていた「変身サイボーグ一号」でした。

変身サイボーグ一号

(知らない人は以下のサイトとyoutubeからご覧ください。)
http://www.youtube.com/watch?v=CBtv6zFANJs
http://www.geocities.jp/henshin_cyborg/cyborg1/cyborg1

●サイボーグ一号と仮面ライダーカードと「ビックリマンチョコ」

 「変身サイボーグ一号」のことはとばそうと思いましたが、やはり悔しいので書きます。あれだけヒットしていた商品だったのに、忘れ去られているのは悔しい。ガンプラなんかよりも、もっと夢がありました。「変身サイボーグ・シリーズ」もアニメ同様に『テレビマガジン』で盛んに宣伝されていました。

 このサイボーグという代物、ロボットとは別に、サイボーグ、改造人間というのも、私たち少年の興味の対象でした。サイボーグマンガという領域を日本で最初に作ったのは、石ノ森章太郎です。『サイボーグ009』と『仮面ライダー』です。それでも仮面ライダーのフィギュアがブームになったというのは、というのはあまり聞いたことがありません。

一九七四年までのマンガの縄張りを整理すると次のようになります。

・巨大ロボット:永井豪「マジンガーZ」、「ゲッターロボ」
・サイボーグ:石ノ森章太郎「仮面ライダー」、「サイボーグ009」、「キカイダー」
・巨大宇宙ヒーロー・特撮:円谷プロ「ウルトラマン・シリーズ」
・ギャグマンガ:赤塚不二夫「モーレツあ太郎」、「おそ松くん」、「天才バカボン」
・子供マンガ:藤子不二夫「ドラえもん」、「おばけのQ太郎」、「パーマン」
・古いSFマンガで偉い人:手塚治虫
・大人マンガ・スポコン(スポーツ根性もの):少年マガジンで連載中のマンガ
・忍者マンガ:白土三平(しらとさんぺい)「サスケ」、「カムイ伝」
・怖いマンガ:つのだじろう「うしろの百太郎」
・エロマンガ:永井豪「ハレンチ学園」

 仮面ライダーの場合、私たち子供は、黄金バットのように、マントを羽織って、風車のついたベルトをつけて、ジャンプして変身することばかりやっていました。学校や幼稚園でやることと言えば、毎日仮面ライダーごっこでした。

 仮面ライダーは「仮面ライダースナック」というお菓子についてきた「仮面ライダーカード」が社会現象になりました。それを集めて、カードの裏に「当たり」が書かれていると、それを送ってアルバムが贈られてきました。

 このカードが欲しくて、お菓子のほうを捨ててしまうと言うことが起こり、食べ物を粗末にする現代っ子が非難の的になりました。ドリフターズが食べ物を投げたりするコントを盛んにやっていたこともあり、私たち子どもたちは親ににらまれていました。私の年代の親の世代は、戦後の飢餓状態を経験していたので、食べ物を粗末にすることはご法度でした。

 それにしても、お菓子はかっぱえびせんを桜の花のような形にした小さなスナック菓子で、それなりに美味かったのに、捨てることはないはず。実際に、私は落ちているのを拾ったことがあります。

(このサイトに画像と記事があります。)
http://www.maboroshi-ch.com/sun/chi_02.htm
(youtubeから。仮面ライダースナックのCMです。)
http://www.youtube.com/watch?v=yWKx6ma8nUM

 仮面ライダーカードはあたりが出たら、カードの裏に書いている広島の工場の住所に直接送ることになっていました。カルビーはもともと広島の会社なのです。今ではどの会社でも東京のお客様センターとか、コールセンターの住所が書かれていて、サービスやお問い合わせ関係を直接工場に問い合わせることはありません。ここに時代の変遷を感じます。

 仮面ライダーカードといえば、もう一つ思い出すものがあります。八〇年代に「ビックリマンチョコ」というのがありました。八七年当時、大学生だった私は、コンビニでアルバイトをしていたので、このチョコのことをはっきりと覚えています。

ビックリマンチョコ

 「ビックリマンチョコ」というのは、小さなチョコレートなのですが、当時の小学生が食いついたのはチョコの方ではなく、それにおまけとしてついてきたビックリマンシールのほうでした。

http://moza.jp/collection/bikkuriman/list/c_01.html
初期のビックリマンチョコが載っているサイト。

 今回問題になったのは、仮面ライダーカードの時と同じように、チョコ本体を捨ててしまうということではありませんでした。

 夕方になると小学生が大きなお金を持って、私のアルバイトしていたコンビニにもやってきました。普通に買えば問題は無いのですが、低学年の子供が子供らしくない(つまり千円札を持って)「大人買い」をしていたのです。これが社会問題となって、私は店長やオーナーから「一人三つまでです」というふうに注意を受けていました。そこで私は「チョコは一人三つまで!」と、木で鼻をくくった表情で子供に意地悪をするのが快感でした。ふっふ。だって店長命令なのだもの。

 子供たちはチョコを捨てることはありませんでしたが、「仮面ライダースナック」の時の食べ物のことから、お金が問題になったことに、オイルショックの時代とバブル景気の時代の違いだったのだなあと、今になって思います。

 ちなみに私の子供のころ、チョコとシールの組み合わせは「はりはり仮面」と「チョコべー」でした。ウィキにははりはり仮面が前身と書いてあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%B3
「ビックリマン」(ウィキペディアから)

以下は「あんちょのページ」から
http://members.jcom.home.ne.jp/hajimecyan/morinaga/cyokobe/cyokobe.html
「チョコベー」(この際とはかなり詳しく出ています。私はこれが本当に好きだった。このCMも面白かった。)
http://members.jcom.home.ne.jp/ancyo/rotte/harihari/kyuban/hariharikyuban.html
「はりはり仮面」(このシールもしゃれが聞いてて面白かった)
http://members.jcom.home.ne.jp/ancyo/rotte/takotyu/takotyu.htm
ついでに「タコちゅう」
(これらの内容は「あんちょのページ」というサイトのものですが、よく集めたなあと思えるぐらい実に詳しい。懐かしいオマケが見られます。)

●「ガンプラ」思想の原型は「変身サイボーグ一号」

 タカラのフィギュア「サイボーグ一号」に話しを戻します。

 タカラが偉かったのは、テレビとタイアップをしなかったことです。あの「ダッコちゃん」と「リカちゃん」を発売した、玩具メーカーとしてのプライドがあったのでしょう。子供に対する商売への住み分けがあったのだと思います。アニメ会社も漫画家もそうですが、日本の大人の子供に対する情熱はすごいものがありますね。実に親切、丁寧です。

 この変身サイボーグ一号というのは、全体が透明のアクリル製、今見ても実に精巧に出来ていました。四〇数箇所の関節が動くようになっており、当時はビニール製のソフト人形しかなかったものですから、これは革新的でした。

http://www.youtube.com/watch?v=CBtv6zFANJs

 このサイボーグにさまざまなユニフォームを着せて変身させるのですが、要するに着せ替え遊びです。ユニフォームには当時のアニメ、マンガのヒーロー、仮面ライダー、ウルトラマン、デビルマンと全てが揃っていました。

 アニメと玩具メーカーのタイアップというのは、マジンガー時代にはあまり機能していませんでした。ジャンボマシンダーは大きくて高価でした。七四年夏ごろから出始めていた、超合金と言うメタル製のミニ人形は、まだあまり出回っていませんでした。

http://www.youtube.com/watch?v=xNyiaCEocoA(ジャンボマシンダーのCM、超合金のCMが見つかりません。80年代のものばかりです。超合金は七〇年代前半はCMをやっていなかったのではないでしょうか。少なくとも私の記憶では、超合金に人気が出てきたのは七五年以降のことです。)

 ですから七〇年代前半に、アニメ・ヒーローとは別にフィギュアの分野でヒーローだったといえるのは、「変身サイボーグ一号」だったと言えるのです。これがガンダムのプラモデルやフィギュア思想の原型にあたるものです。

●オイルショックでおもちゃの値段が上がった―夢に消えた「アンドロイド・シリーズ」

 あれだけ大ヒットしていた変身サイボーグ・シリーズは、七四年を境に、七五年になると一気に消えてなくなりました。面白いほどになくなりました。

 それはオイルショックの影響です。石油の原価の上昇で、全身プラスチック製であったサイボーグ一号は、最初は八〇〇円ぐらいであったのに、瞬く間に一五〇〇円くらいに値段が上がりました。

オイルショック

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/2691/index.html
変身サイボーグが詳しいサイト
http://www.youtube.com/watch?v=CBtv6zFANJs
youtubeよりCM

 実はサイボーグ・シリーズはこの後、当時の子供にとってさらに夢の広がるものを発売していました。「アンドロイド・シリーズ」というのが始まったのです。アンドロイドという言葉は知っていましたが、当時のマンガ・アニメにはまだ登場していなかった、斬新なものでした。アンドロイド・シリーズの商品名は「アンドロイドA(エース)」といいました。変身サイボーグよりもさらに精巧に作られたフィギュアで、今度はユニフォームを着せ替えられるだけではなく、身体の中身が取り出せるようになっていて、機械部分の交換も行えるようになっていました。

アンドロイドA

 敵のフィギュアはUFOと宇宙人で、この年一九七四年から五年の、UFOと超能力ブームを反映した内容でした。

http://toshitoy.web.fc2.com/cybog/cybog03.htm
「アンドロイドA」を紹介しているサイト(今アンドロイドAは相当高いと思う。)

 私たち兄弟は、それまでサイボーグとロボットで育ってきたので、「アンドロイド」という響きにものすごい憧れを抱きました。「これからはもっとすごくなるぞ!」「いったい人間の未来はどこまで行ってしまうんだ!」そんな期待感がありました。

 しかし、アンドロイドは全くヒットせず忘れ去られてしまった。それは、高くて誰も買ってもらえなかったからです。高度経済成長が終わり、不景気が続いていて、全く手が出なかったのです。持っているという友達を私は一人も知りませんでした。

 そして現在アンドロイドといえば、次世代携帯のスマートフォンのことになっています。

●変わって登場―小さな巨人「ミクロマン」と[超合金」

 アンドロイドに変わって登場したのが、小さな巨人「ミクロマン」です。ミクロマンはサイボーグ一号をそのまま四分の一くらいに縮小した、片手に収まるくらいの小さなフィギュアでした。一つ三〇〇円くらいでしたので、これなら誰もが買ってもらえたのです。これについてきた乗り物も、プラモデルくらいの大きさなので、扱いやすく、精巧に出来てもいたので、手ごろに買えたのです。

ミクロマン

http://www.youtube.com/watch?v=2JkUKPz3F_o(ミクロマンですが、当時のCMではないようです。)
http://kaiser.sakura.ne.jp/micro/micro_ore.html(このサイトは詳しいです。ペンシルケースみたいなものに入って売られていました。懐かしい。)

 私の記憶違いだったのか、四五〇円だったようです。百円玉を握り締めて買いに行ったような記憶があるのですが。このころはまだ五百円札だったので、お札をそう簡単にもらえたかなあと思い、親には相当お金をせびっていたのだなと反省する次第です。

 ミクロマン自体は、キャラメルのオマケに毛が生えた様なちっちゃい人形でしたが、ミクロマンの乗る乗り物が、玩具としてはかなり精巧に出来ていました。

 以下のサイトにある「マリンコプター」と「エスカルゴ」はよく出来たもので、水の上で進むマリンコプターは、お風呂の友になりました。エスカルゴというフランス語もミクロマンで覚えましたね。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~mikuro/sab1-2.htm

 ミクロマンに比べてサイボーグ・シリーズのサイボーグ・ライダーなど、一九七三年の時点で五〇〇〇円以上もしたのです。今でも子供に買ってあげるおもちゃとしては高いほうでしょう。この時代はまだ一万円あったら、何とか一ヶ月家族で暮らせたのです。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/2691/rider/rider_top.html
http://www.geocities.jp/henshin_cyborg/rider/rider
「サイボーグ・ライダー」
(これはものすごく精巧な玩具セットです。サイボーグ一号をばらばらにして、バイクに改造するのですが、当時何かの玩具の賞を獲ったはずです。私は六歳の時、一九七三年のクリスマスに買ってもらいました。人形のほうは持っていたので、二五〇〇円くらいのバイクセットを買ってもらいました。だから父親も何とか買えたのでしょう。物価が高騰し始めていた当時、相当な負担だったろうと思います。)

 サイボーグ一号と同様に消えてしまったおもちゃが、「ジャンボマシンダー」という、一メートル近くもあるような巨大なフィギュアでした。マジンガーZや、ゲッターロボの人形です。

 これがもう高い。もう誰も買えなかった。私は値上げされる直前の一九七四年にマジンガーZのジャンボマシンだーを買ってもらいましたが(これも本当に親の相当な負担だったでしょうに)、七五年以降はおもちゃ屋さんからすっかり姿を消してしまいました。これに代わって登場したのが、当初は人気のなかった「超合金シリーズ」です。

超合金シリーズ

 こちらはメタル製で、大きさもミクロマンと同じ、小さな人形だったので、子供でも簡単に買えました。マジンガーZの「ロケットパンチ」も飛ぶようになっていたので、ヒットしました。(正直、ちっちゃいパチンコみたいなパンチだったので、まったく迫力なし。ダサかった。)

 ミクロマンと超合金。この二つが七五年以降、スーパーカー・ブームが来るまでおもちゃの中心だったのです。

 ただし私はどうもなじめませんでした。やはりあのサイボーグ一号は素晴らしかったし、ミクロマンも超合金もその代用品でしかなかった。それを作っていた大人たちも、そのような感じを持っていたのではないでしょうか。どうも夢が途中で潰(つい)えてしまったかのような、そのような虚しさがありました。

 ミクロマンも超合金も子供が小銭を持って、駄菓子でも買うような手軽さで手に入れられたのですが、有難味という点では、どうも薄っぺらい物でしかありませんでした。

 こうした玩具たちをもし今でも持っていたら、相当なお金になっていることでしょう。しかし、みな母親に捨てられてしまいました。そんな下らないものはいつまでも持っているなということです。とあるサイトでも管理人さんが同じようなことを言っていました。私くらいの世代の人はみなそうだったのでしょう。いつまでも人形なんかもっていないで「勉強しろ!」ということです。だから皆さん大人になって、給料をもらえるようになってからフィギュアを集めだすのだと思います。

 昔のアニメ、マンガ、おもちゃの話はここまでにしておきましょう。ここからは新しい時代のアニメ、マンガ、現代のオタク文化に直接つながるブームについてお話しましょう。

(つづく)