「0168」 翻訳 中国政治の最近の動きを紹介している論文をご紹介します(2) 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳、2011年12月3日

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薄熙来の政治局常務委員会への途と将来(Bo Xilai's Campaign for the Standing Committee and the Future of Chinese Politicking

チャイナ・ブリーフ:第11巻21号
2011年11月11日付
リウ・イェウエイ

http://www.jamestown.org/single/?no_cache=1&tx_ttnews%5Btt_news%5D=38660&tx_ttnews%5BbackPid%5D=517

 

薄熙来(上段左)とキッシンジャー

 2011年6月末、ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)は重慶を訪問した。重慶市共産党書記である薄熙来(はくきらい、Bo Xilai、63歳)がキッシンジャーを歓迎した。現在の中国政治で最も目立つ存在となっている薄熙来に対してキッシンジャーは「私は知識人として今回の重慶を訪問した。中国の政治指導者たちがどのような将来に対するビジョンを持っているかを理解した。私は重慶市に溢れている活力に感動した」と述べた(2011年9月10日付、Chongqing Online)。

 キッシンジャーは重慶訪問中に見たことで大変な感動を得た、と述べているが、これは何も不思議なことではない。キッシンジャーは重慶市でマイクロソフト社、イーベイ社、ペプシコーラ社、ヒューレットパッカード社、GE社、シスコシステムズ社、エイサー社、フォード社の責任者たちと会談を持った。世界の総コンピューターの3分の1は重慶で組み立てられている。重慶では中国とアメリカの企業の結びつきが大変強く、ビジネスが盛んに行われている。重慶にはアメリカから500社もの企業が進出し、重慶とアメリカ間の年間貿易額は約11億ドル(約820億円)にもなっている。

黄奇帆重慶市長

 キッシンジャーが重慶滞在中、最も触れたのは薄熙来が重慶で行っている「革新的な」事業の数々であった。キッシンジャーは、重慶市の賃料が管理されている集合住宅を訪問した。重慶市長の黄奇帆(おうきほ、Huang Qifan)はキッシンジャーに対して、「市政府は158億ドル(約1兆1850億円)を投じて大学を卒業して間もない者、低所得者、地方出身の労働者たちのためのアパートを建設している。資金の3分の1は重慶市が集め、3分の2は中国国内の大銀行が出している」と説明した。このアパートの家賃は50平方メートルの部屋で月500人民元(79ドル、約6000円)だ。入居者の平均月収の6分の1である。

 キッシンジャーは重慶市の革命歌コンサートの開会式の特別ゲストとして招待された。薄熙来はキッシンジャーに対してどうして人々に革命歌を歌うように奨めているかを次のように説明した。「重慶市の発展は人々の肉体的な強さと共に、精神の強さにもかかっている。彼らが仕事終わりに飲み屋に行って酒を飲んでいるだけでは全員一丸となって仕事にまい進するということはできない。そうなれば重慶市の経済発展にも悪い影響が出る。重慶市は多くの問題を抱えた貧しい都市だ。私たちは高いモラルを持ち、一つにまとまることでしか困難を乗り越えることはできない」(2011年9月10日付、Chongqing Online)

 キッシンジャーが重慶市で唯一見られなかったのは、薄熙来が推進している反マフィアキャンペーン「打黒(dahei)」の成果を紹介する展示会だった。この展示会には、現在の政治局常務委員会から全国人民代表者会議常務委員会議長である呉邦国(ごほうこく、Wu Bangguo)、中国国家副主席・中国共産党中央委員会副総書記である習近平(しゅうきんぺい、Xi Jinping)、中国共産党中央組織部長である李源潮(りげんちょう、Li Yuanchao)が招待され、実際に視察した。薄熙来の反マフィアキャンペーンは成功を収めている。数名の腐敗高官たちとギャングの親分たちが処刑され、数千名が投獄され、有名な弁護士である李圧(Li Zhuang)を逮捕し裁判にかけた。李には有罪判決を言い渡された。また汚職で授受された現金や現物を大量に差し押さえた。中国共産党指導部は薄熙来に対して「法の支配(rule of law)」を徹底して実行し重慶市の治安を向上させたとして賞賛を与えた(2010年12月10日付、2011年4月19日付、Chongqing Daily;2011年4月11日付、新華社通信)。

 薄熙来が推進している4つの「突撃(assault)」の目的は重慶を「丘の上で光り輝く都市」にすることである。また、元国務院商務部長である薄熙来が党中央でより高い地位に就くための戦術であると考えられている。薄熙来は中国共産党政治局員であり、来年には政治局常務委員に昇進すると目されている。中国では高官が自分の政治的野望をひけらかすことはほとんどない。薄熙来も政治局員になりたいと直接言及したことはないが、彼の行動は、彼の目的が常務委員への就任であることを示している。薄熙来の戦略は、「中国的な特色(Chinese characteristics)」を持った政治キャンペーンであると言えるだろう。

 
周永康                         呉邦国    習近平

  
李長春       李源潮

 キッシンジャーは薄熙来に対して「次期中国共産党中央委員会総書記就任が確実な習近平が党軍事委員会副主席に“選ばれた”直後に重慶を訪問し三日間を過ごしたことを私は知っている」と述べた。薄熙来は自身が行っている重慶での改革に対して党の指導部が支持してくれるように様々な努力をしている。周永康(Zhou Yongkang)は現在の政治局常務委員(9名)の中で初めて重慶を訪れた人物だ。重慶訪問中、周永康は薄熙来が推進している「打黒」・反マフィアキャンペーン、ナショナリズムの高揚、世帯登録の改革、低所得者用の住宅建設、経済発展などの成果を目にした。重慶訪問中、周永康は何度も「重慶で行われている改革は中国全土で真似されてしかるべきものだ」と述べた(2010年11月15日付、Chongqing Daily)。周永康の訪問から一月後、習近平が重慶を訪問し、薄熙来が達成した成果に対して熱烈な賛辞を送った。2011年4月には全国人民代表大会常務委員会委員長呉邦国(こほうこく、Wu bangguo)が重慶を訪問した。また、政治局常務委員序列5位である李長春(りちょうしゅん、Li Changchu)は2011年7月に大々的なセレモニーで始まった革命歌コンサートに祝辞を送った(2011年7月1日付、Chongqing Daily)。

   
賈慶林       李克強        賀国強

 全国政治協商会議主席賈慶林(かけいりん、Jia Qingling)は薄熙来を全面的に支持していない。北京の全国人民政治協商会議委員会(Chinese People’s Political Consultative Conference)で薄熙来が率いる革命歌・舞踊団がコンサートを開いたとき、賈慶林はコンサートには出席しなかったが、コンサート終了後、薄熙来と演奏家や舞踊家たちと会見した。9名の政治局常務委員の中で、李克強(りこっきょう、Li Keqiang)は重慶を訪問していないし、重慶モデルについて公式に発言していない。李克強が沈黙を保っているのは、薄熙来の腹心たちが薄の国務院総理への就任について発言していることを怒っているからだという見方ができる。李克強の国務院総理への就任は今のところ確実視されている。賀国強(がっこうきょう、He Guoqiang)も薄熙来の達成した成果について沈黙したままだ。これは理解できることだ。賀国強は1999年から2002年にかけて重慶市の党委書記だった。更に言うと、胡錦濤(こきんとう、Hu Jintao)と温家宝(おんかほう、Wen Jiabao)も薄熙来や重慶モデルについて触れていない。しかし、9名の政治局常務委員のうち5名から支持を得たという薄熙来の成功は決して小さなものではない。

  
胡錦濤       温家宝

 党中央の指導者たちが重慶を訪問すると微に入り細に入り報道し、べったりと張り付く。新華社通信のお座なりの報道よりも詳しく報道する。重慶のマスコミは薄熙来の政治的な立身出世を後押しする動きをしている。政治局常務委員やキッシンジャー氏以外にも、重慶市は多くの人々を惹きつけようと努力している。国際的にも国内的にも多くの人々を惹きつけようとしている。多くの有名な芸術家たちが招待されてパフォーマンスをしている。また多くの国際会議を開催している。重慶市は学者たちによる重慶モデルに関するフォーラムや会議を開催し、学者たちからの支持を得ようと躍起になっている(2011年8月9日付、Guangming Daily)。崔之元(さいしげん、Cui Zhiyuan)はアメリカのMITの教授を務め、現在北京の精華大学の教授だ。重慶市は崔を市の幹部として招聘した。崔は重慶モデルを支持する論文や記事を多数書いている(2011年11月3日付、chinaelections.org)。李希光(りきこう、Li Xiguang)は元新聞記者で精華大学教授だった。共著に『中国の民主化の裏側』がある。現在、南西政治学・法学大学の助教授となっている。李が薄熙来の側近グループにメディア対策のアドバイスを与えている(For example, ”Seeing the Yan’an Spirit in Chongqing,” Outlook Magazine, January 17)。

 薄熙来の重慶での改革は多くの人々から積極的な評価を受けた。しかし、全ての反応が良いものとは限らない。薄熙来と汪洋(おうよう、Wang Yang、56歳)の間では、激しいが表には出ない言葉の応酬があった。汪洋は薄熙来の前任の重慶市党総書記(2005−2007年)だった。現在は広東省の党総書記を務めている。広東省は20年以上にわたり中国国内で最高のGDP成長率を誇っている。


汪洋

 今年の夏、汪洋が言葉による攻撃を何度も繰り返したことで争いが表面化した。2011年6月26日、ある共産党員の集会の席上、汪洋は今までの成果を誇るようなことをするよりも差し迫った危機に対応する方が重要だと述べた。これは薄熙来が自画自賛をする傾向にあることに対する批判である(2011年6月27日付、Southern Daily)。2011年7月4日、インターネットユーザーたちとのチャットの中で、汪洋は党の指導部が人々をだますなら、人々が党の指導部を欺くことは仕方がないことだと述べた。これは、あるネットユーザーがインターネットのチャットルームで重慶市の指導部を激しく批判したかどで逮捕されたことに対する批判と受け止められている(2011年7月4日付、新華社通信)。

 汪洋は2011年7月12日に開催された広東省の党大会で、重慶で展開されている反マフィアキャンペーンについて間接的に言及した。汪洋は、多くの人々を動員する政治キャンペーンを繰り広げるだけでは汚職追放はできないと述べた。更には、「指導者というものは、決して成果を短期で求めるべきものではないし目立つことを求めてもいけない。指導者はしっかりしたビジョンを持ち、自分の能力を最大限に発揮し、使える資源の限界を知りながら最高の活動を行うべきだ」と述べた。

 汪洋は最後に「ケーキが焼き上がる(経済発展)の前にケーキの切り分け方(富の公平な分配)をどのようにするかを決めても仕方がない」と発言し、薄熙来を批判した。汪洋は「より大きなケーキを焼き上げることが最重要の課題だ。ケーキの切り分け方よりもケーキを大きくすることがより重要だ」と述べた。更に「(薄熙来が推進している平等な富の分配)は何も新しいものでもない。しかし、人々が格差に対して不満を持っているこの特別な時期に平等な富の分配を強調することは新しいことだ」と述べた(2011年7月13日付、southcn.com)

 この「特別な時期」という言葉づかいは薄熙来の「広東モデル(Guangdong Model)」に対する批判を意識したものである。2011年7月3日、薄熙来は香港フェニックステレビの劉長楽(りゅうちょうらく、Liu Changle)会長と会談した。薄熙来は、「ケーキを焼き上げた後に切り分ける場所もあるようだが、重慶ではケーキを焼き上げる前にケーキを切り分けるようにしている」と述べた(2011年7月4日付、ifeng.com)。2011年7月10日、農業ビジネスフォーラムにおいて、薄熙来は「富の平等な分配を実現するために経済発展が最高潮に達するまで待つことはしない。重慶市ではそうしない」と述べた。薄熙来はまた、中国共産党が「(近代的な生産力)だけを代表する」し、「ほかの2つ(大多数の人々と進んだ文化)を代表」していないような場所では、富裕層と貧困層、都市と地方、地域間の「3つの格差」を解消することはできないとはっきり述べている(2011年7月17日付、Chongqing Daily)。


劉長楽

 その5日後、重慶市共産党委員会は「3つの格差」の減少と公的な富の増進を図ることを決定した決議を採択した。目標は数字で表現され高尚なものとなっている。例えばジニ係数を0.45から0.35に減少させる(広東省は0.65)、330万人分の雇用を創出する、150万件の小商いの認可を速やかに出す、500万人の農民を都市住民にするために都市化を進める、200万人の独居老人の面倒を見る、4000万平方メートル分の低所得者向け住宅を建設するといった目標を設定している(2011年7月23日付、Chongqing Daily)。

 今年の夏以降、薄熙来陣営と汪洋陣営の間は比較的静かなままだった。汪洋は2011年10月9日、広州市(Guangzhou)の人々の福祉の向上についての演説を行い、「停戦(ceasefire)」状態を終結させた。汪は人々の福祉を向上させるには人々の要求を満たすためにあらゆる方策を採ることと国や地方が置かれている状況をきちんと把握し考慮することが必要だと述べた。汪洋は、「政治キャンペーンを行うことは根本的な人々の利益を長期にわたって実現する方法ではなく、無責任なものだ」と述べた(2011年10月10日付、Guangzhou Daily)。

 薄熙来の政治工作と汪洋によるあからさまな反撃はこれまでの中国政治には見られなかったことで、二人の争いは、中国政治に新しいダイナミズムを生み出した。そしてこれまで見えづらかった中国政治の特徴を表に引き出した。薄熙来と汪洋がそれぞれ2つの利益団体や政治勢力を代表して戦っているのかどうかははっきりしないし、そう明言するのは早計である。しかし中国政治の専門家や評論家たちはそのどちらかに与しているのはあぃきらかだ((Li Cheng, “China’s Team of Rivals,” Foreign Policy, March 1, 2009)。リベラルな考えを持っている人々は汪洋を支持し「新左派(New Left)」と自称している。毛沢東主義者たちは薄熙来を支持している。新左派と毛沢東主義者という2つの派閥の出現は、イデオロギーというよりも、社会における異なった利益の出現と動きを同じくしている。そしてこの2つの派閥の出現は中国政治の将来にとって素晴らしい発展になるということを示しているものと考えられる。

 中国専門家にとって、通常であれば高い塀に囲まれた中南海で秘密のうちに起きていることを実際に目の当たりにすることは興奮を感じるものだ。先進国、発展途上国問わず、社会正義を伴った経済発展を行う必要がある。中国も例外ではない。政策決定者たちの間で社会正義を伴った経済発展に関して大論争が起きるのは必然であり、政治キャンペーンの形で人々にその様子を見せることは開かれた社会では当然に起こることだ。薄熙来と汪洋はそれぞれの政策の違いを明らかにし人々の支持を得ようとしている。

 中国の指導者の交代が人々の人気投票で決められるなら、薄熙来は楽々と政治レースに勝つことができるだろう。薄熙来はポピュリストであり、カリスマがあり、政治手腕も持っている。しかし、人々の人気は合理的な理由を持たないし、いつまでも続くものではない。多くの人々にとって、薄熙来が重慶で行ってきた重慶モデルはいつまでもは続かない。それどころか重慶モデルは多くの人々に共産党治世下における最悪の時期を人々に思い起こさせるものだ。薄熙来は、法の支配を濫用し、厳格なイデオロギーを持ち込もうとする、と人々は考えている。現在の重慶と毛沢東指導下の中国との間の大きな違いは、現在の重慶は西洋の技術、資本、ビジネスを重慶に取り入れようと躍起になっている点である。そのために重慶では法の支配に裏打ちされた市場経済と情報の全面的に自由な流入が必要となっている。薄熙来は重慶で行った戦術を堅持していき、党の綱領として採択されたらそれを中国全土に拡大していくつもりか、ただ単に自分の出世のために重慶モデルを使っているだけかを注意深く見守り続ける必要がある。

リンカーン・ステファンズ

 キッシンジャーは中国にとっての未来を現在の重慶に見た。キッシンジャーのコメントは、リンカーン・ステファンズ(Lincoln Steffens)を思い出させる。ステファンズは1919年にソ連を訪問し、「私はソ連で未来を見た。ソ連では未来がすでに到来している」と述べた。ここで問題は未来がいつまで続くのかということだ。薄熙来が重慶に残すものについて評価を下すのは早すぎるだろう。しかし、彼が政治局常務委員会入りを目指して様々な運動を行ったことで中国政治は舞台裏から明るい舞台に引き出されたと言える。薄熙来は、公開討論、大胆な競争、人々による投票が実現する可能性を引き出したのだ。

(終わり)