「173」 論文 TPPとは外国への「大統領令」(エグゼキュティヴ・オーダー)、すなわち「勅令」のことである(3) 鴨川光(かもがわひろし)筆 2012年1月15日
●TPPの日本国内での法的効力
「TPPも立派な条約です」という向きがあるが、それはそれで正しい。TPPという「協定」を結んでも、国内法としては、外国と結んだ「条約」として対処、つまり新たな立法をしなければならず、それに沿って、日本国民自身の手で、自らが進んで行なったという体裁をとって、日本政府はアメリカの「行政協定」を自国民に厳しく守らせることになる。
国際的取り決め・合意を、当該国同志が結ぶと、その合意が国際的効力を持つことは当然としても、国内でもその合意が、そのまま適応できるのかどうか、効力を持つのかどうかは、その国の国内法の問題である。
日本人が外国との関係、特に「法的取り決め」の問題を考える時、国内法の問題と、国際的効力との問題を分けて考えなくてはならないのである。これが、TPPや「安保」問題の要である。そこでいつも日本人は、憲法九条問題を含めて、話が混乱してしまう。
条約を国内に適応させるためには、二つの方法をとる国がある。一つは、「条約を国内法に変形させる」国があり、イギリスがこの代表である。これは、これまでの国内法の変更を余儀なくされる。国民の権利義務と財政負担を伴うという変化が生まれる。(『新法学辞典』、五六一ページ)
日本の場合は違う。もう一つの条約の国内法への適応方は、「条約を包括的にそのまま国内的に妥当させる」方法である。これを一般受容(いっぱんじゅよう)という。
この場合「条約中の権利義務がそのまま国内裁判所で決定できず、直接適用不可能な非自動執行的条約(non-self-executing treaty)は、国内面での効果的適用のために立法措置を必要とする。」(『新法学辞典』、五六一ページ)
日本はこの二つ目の方法をとる。条約を新たに結んだら、それに合わせて新たな法律を作り、立法しなければならないのである。国会の審議を経て、議決せねばならない。まさに「条約」を結んだと同等の手続きを踏まなければならない。
つまり、アメリカの「行政協定」であろうと「条約」であろうと、日本国内では、丁寧に「条約」として受け止め、審議し、立法するわけである。国際的に、実に信義を有した態度である。
いずれにしろ日本では、国会の承認を得なくてはならない。「原則としては事前に、やむをえない場合は事後に」得なければならない。(『新法学辞典』、五六一ページ)
日本ではこうした手続きが定められているため、条約でも協定でも協約でも、「内容の比較的重要なもの」(『新法学辞典』、五六二ページ)は、条約と解釈されなくてはならないのである。
●「日米行政協定」は国会承認の手続きを踏まなかった
「日米地位協定」の前身である「日米行政協定」は、この国会承認の手続きを踏まなかった。
「日米行政協定」はアメリカの国内法では「行政協定」だから、大統領の署名のみで締結出来る。ところが日本の憲法には「協定」にあたる「行政取極め」についての規定がない。(『新法学辞典』、一九九ページ)
一九五二年に結ばれたこの「日米行政協定」は、当時のアメリカ極東担当国務次官補ディーン・ラスク(Dean Rusk)と、日本の外務大臣岡崎勝男との間で調印されている。(「日米関係資料集1945−1960」から http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19520228.T1J.html )
ラスク 岡崎勝男
本来同格ではないはずの国務次官補が、外務大臣と調印をするというのが、日本がアメリカの属国であることを明確に表している。ラスクのこの役職は、現在では東アジア・太平洋担当国務次官補といい、ジャパン・ハンドラーズの一人、カート・キャンベルが任に就いている。
ジャパン・ハンドラーズや、アメリカと日本での省庁の役職の違いに関しては、中田安彦著『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』(日本文芸社刊)が詳しい。
ところが、この協定の作成は一九五二年二月二八日であり、一九五二年四月二八日に発行 している。ディーン・ラスクの極東担当国務次官補の退任は、一九五一年一二月九である。この協定を結んだ時ラスクは、ロックフェラー財団の理事長であり、国務省を辞めている。そうなると、この協定は、日本の外務大臣と、アメリカの一民間人の署名によって、締結されたことになるのであろうか。そのためなのか、アール・ジョンソンという陸軍の人物と連名である。
一九五二年に「安全保障条約」と共に締結(署名)された「日米行政協定」は、日本では国会の承認を得ていないため違憲の疑いがあるとされた。(『新法学辞典』、一九九ページ)
占領下にあった日本では、これに関する大きな騒動は起きず、吉田茂の個人の意思での(アメリカの大統領と同じような)署名でのみ締結されたことに、その当時はあまり問題にされずに、そのまま締結されてしまった。「協定」という名称の(現在の日本国内法に照らし合わせても依然として)判然としない「取り決め」だったこともあるだろう。
しかしそれでも、その上にある「安全保障条約」は「条約、トリーティ」である。これを吉田茂個人が結んだことは問題だった。
これが一九六〇年の安保改定のとき「日米行政協定」と共に問題となり、学生運動が巻き起こり、国会が大混乱のまま、なし崩し的に承認されたのである。新安保条約は、日本国内では一応は手続をきちんと踏んだのである。そして、アメリカの議会の承認を経ないで済む、大統領の署名だけで決まる、大統領命令「行政協定」を、日本国民自らの意思で結んだという体裁を取らされながら、守らされることになったのである。
それでもまだ「日米地位協定」は「条約」の一部としての位置づけのある、条約の下位の取り決めとして、まだ信頼できる。
●TPPは「条約法条約」の枠の外―「ザ・ロー・アバーヴ・ザ・ロー」
TPPに至っては、その根拠となる「条約」(トリーティ)がない。さらにアメリカは、各国が条約を結ぶための大きな枠組みである「条約法条約」(コンヴェンション、枠組み)を批准していない。いきなり「協定」(アグリーメント)が来るのである。
TPPを結んだ各国は、少なくとも日本は、「条約」としてTPPを結び、国内法として効力を発効し、国民を厳格に縛る。TPPという「行政協定」「行政取極め」、これはいわば外国に対する「大統領令、エグゼキュティヴ・オーダー=大統領命令」、すなわち「勅令」、王の命令、「詔(みことのり)」であって、他国の元首に臣従を課すのである。しかも、自らが進んで結んだという体裁をとらされて。
アメリカ大統領の意向とはいうが、「エグゼキュティヴ」「アドミニストレイション」、つまり大統領が、アメリカの国民の代表である議会の承認を経なくていいということは、これはアメリカの行政機構、官僚組織、ビューロクラシー(bureaucracy)の意向でしかないものを、アメリカ国民すら預かり知らぬところで、他国に結ばせているのである。ひょっとしたら、アメリカの国民自身にも不利益を被(こうむ)る可能性すらある。いや、アメリカの結ぶ「協定」とは、アメリカ国民には何も関係がないか、不利益であるだけだろう。
「日米地位協定」は、アメリカ軍という行政組織、官僚組織にとって都合がよく、彼らだけを守るものであって、一般のアメリカ国民が日本で巻き込まれた事件や犯罪には、当然関与しない。
「行政協定」、エグゼキュティヴ・アグリーメント(その実、命令、オーダー)は、官僚組織が自らの長に、自分たちの立場と利益を保全させるための命令を出させたもの、と考えることが可能なのである。
●アメリカの結ばせる「パートナーシップ」「フォーラム」という世界の行政命令
国家同士を縛る「条約」(トリーティ)を結ぶための、世界的枠組みとはウィーンで結ばれた「条約法条約」という「コンヴェンション」(慣習法の条文化)である。
ところがアメリカはこれに批准していない。
「条約法条約」批准国は現在一一一カ国だが、署名だけにとどまり、未批准のままの国が一五カ国存在する。
アジアでは、アフガニスタン、カンボジア、イラン、ネパール、パキスタン。中南米で、ボリビア、エルサルバドル。アフリカが、エチオピア、ガーナ、コートジヴォワール、ケニア、マダガスカル、トリニダード・トバコ、ザンビア。そして、北米がアメリカ合衆国である。
アフリカやアジア、中南米の小国ばかりなのだが、この中で明らかに際立っているのがアメリカである。いわゆる先進国で唯一のみ批准国である。
その他、影響力のある国としては、イランとパキスタンだけ。その他はトリニダート・トバコのような小国であり、カンンボジアやアフガニスタンといった、まだまだ独り立ちする途上の国である。各国とも結びたいであろうし、そのうち結ぶであろう。
要するに意図的に批准していないのは、アメリカだけだといっていいのである。つまりアメリカは、条約という国際関係が発生する約束事を取り決めた、慣習的枠組み(コンヴェンション)の埒外(らちがい)にある。法の外にある国、「アバーヴ・ザ・ロー・カントリー(Above the Law Country)」なのである。
アメリカは「条約法条約」にサイン(署名)だけはしているのだ。これは何を意味するのか。
条約は交渉、採択が行なわれた後(日本のTPP問題は、二〇一一年一一月時点で、ここの段階に入るかどうかで紛糾している)、「一・署名、二・批准、三・批准書の交換、または国際機関への批准書の寄託」によって効力を発する。つまり、批准、ラティフィケイション(ratification)が最終的に条約を結んだということである。(『新法学辞典』、五六一ページ;『国際政治経済辞典』、東京書籍、三七八ページ)
署名だけで済ませられる簡略形式の国際的合意もあるが(『新法学辞典』、五六一ページ)、これはもちろん「協定」のことである。アメリカにあける「行政協定」のことである。
アメリカが条約を結ぶ際は、上院が三分の二で条約の締結の可否を議決せねばならず、条約を承認した場合、上院の「助言と同意」を経てから、大統領が批准しなければならない。だから大統領にとっても、条約を結ぼうとして、批准が失敗することが多々ある。
だからアメリカ大統領と行政府は、簡単に済ませられる「行政協定」を結びたがるのだが、国際的合意の土台となる「条約法条約」に関しても、アメリカは実質「協定」を結んだにとどまっている。上院の承認を得ていないのである。
日本の場合、国会両院協議会で議決をし、成案が得られなかった場合、最終的に衆議院の優越によって、条約の批准が承認される。最後に天皇が国事行為として交付を行なう。
まことにしっかりとした、立憲君主制、議院内閣制の法手続きを行なう国である。制度と手続き上は非常に民主的である。
●「条約法条約」はアメリカの結ぶ行政協定を拘束しない
いずれにしろ、アメリカが諸外国と結ぶあらゆる合意・取り決め(条約、協定の全て)は、「条約法条約」という根拠を持っていない。条約とは本来、二国間の約束であり、それ以外何の法的根拠も必要としないのだから、アメリカのやり方が条約本来のあり方ではある。
では、このアメリカが「条約法条約」とは全く関わりのないところで、「勝手に」結んでいる条約や協定を、「条約法条約」は無効にしたり、制約を課したりできるのであろうか。答えは否である。
本来、国際法とは、その法源が存在しない。国家同士が勝手に条約を結ぶのは、国家同士の問題であり、片方の国が勝手に破棄をしても、それに国際法が影響を与えることはありえない。これは独立国としての主権の行使だからである。
「条約法条約」も、このことを謳(うた)っている。条約法条約、国際慣習を条文化したもの、つまり慣習が、国家主権に口を出すことは出来ない。
「条約法条約」第一部、第三条には、「この条約の適用外の国際的合意」が規定されている。
(引用開始)
『六法全書』(有斐閣)、二八四九ページから
条約法に関するウィーン条約 第一部 序 第三条
「この条約の適用外の国際的合意」
この条約が、国と国以外の国際法上の主体との間において、または国以外の国際法上の主体との間において締結される国際的な合意、および、文書の形式によらない、国際的な合意については、適用されないということは、次の事項に影響を及ぼすものではない。
(a) これらの合意の法的効力。
(b) この条約に規定されている規則のうち、この条約との関係を離れ、国際法に基づき、これらの合意を規律するような規則の、これらの合意についての適用。
(c) 国、および国以外の国際法上の主体が当事者となっている、国際的な合意により規定されている国の間の関係への、この条約の適用。
(引用終わり)
「条約法条約」は、その条文自身の中で、この慣習法からできた枠組みに入っていない国家間の取り決めに対しては、何ら責任も持たないし、関わり合いがない、手出しできないと規定している。
はじめの「この条約の適用外の国際的合意」というのは、「条約法条約」とは無関係のところで、国家間が結んだもの、ということである。アメリカが各国と結ぶ国際的合意(条約、協定)は、全てここに入る。
それはこの(a)(b)(c)に影響を与えない、というのは、「条約法条約」外での国家間の取り決めには、何ら関わり合いを持ちませんということである。
(a)の法的効力にも、(c)の国家関係にも、「条約法条約」、その埒外(らちがい)で取り交わしたことには何ら関わり合いも責任もないことを言っている。
(b)が非常に分かりにくい文章になっているが、「条約法条約」の外で結ばれた国家間の取り決めには、「条約法条約」内の規則は適応されません、係わり合いがありませんということである。
とにかく「条約法条約」を無視して、国同士が取り交わした約束事、決め事に関しては、手出しできないし、縛ることもできない。「条約法条約」という慣習的枠組みはありますが、勝手に条約は結んでいいんですよ、ということである。主権の行使にこの「条約法条約」という「慣習法」(コンヴェンション)は、何ら制約を与えるものではない、ということなのです。
だからアメリカは、条約法条約を批准しなくても関係がないのである。それどころか、外国に際しては、合衆国議会の承認を経ないで済む、大統領の署名だけで済ませることの出来る、続きの簡単な「行政協定」を他国の元首に結ばせればいいと考えている。少なくとも行政府、官僚機構のアメリカ国民のかかわらないところでの意思の発令なのだから、そういうことになる。
実質、外国に対する「大統領令」(エグゼキュティヴ・オーダー、命令、勅令)を、他国の元首には「条約」として厳格に守らせ、アメリカの大統領は、外国に対する「行政協定」として、勝手に結ぶだけで済ませられればいいのである。
ただし、アメリカ国内法である「大統領令」が、そのまま外国に対する「行政協定」というわけではない。外国に対するものだけであれば、アメリカ大統領は、議会にかけなくてすむ権限なのだから、国民に対しては何もしなくてもいい。わざわざ公言して国民に知らせる必要は無い。諸外国に対する命令を、いちいち自国民の対しても「大統領令」として発布する必要も無い。
そもそも「行政協定」なのだから、これは日本の「行政法」といわれる、役人に対しての縛りの法律集に当たるので、アメリカの国民は関係がない。軍隊、役人、ビューロクラシーだけのためのものである。
だから「大統領令」と、「行政協定」が直接関係があるというわけではないのだが、アメリカの大統領令が、外国の立法に影響を及ぼしたと思われる事実も有る。
●「東京都暴力団排除条例」は「アメリカ大統領令13581」に影響を受けたのではという蓋然性
「蓋然性(がいぜんせい)」とは「プロバビリティ」 probability という。単なる「可能性」(ポッシビリティ possibility )ではなく、「まあそうだろう」という、六〇パーセント以上で明らかにありえることをいう。
日本で「暴力団排除条例」が、二〇〇四年ごろから全国の都道府県で施行され始め、二〇一一年一〇月一日に、東京都と沖縄県で施行されたことで、全国での「法整備」が完了した。(著者注記: 都道府県条例なので、日本国での法整備が完了したわけではないが、事実上な「完了」なので、「法整備」とカッコつきで述べておく。)
二〇一一年一〇月二一日には、大阪府が初めてこの条例に基付き、山口組総本部を捜索している。
この条例が世間的に注目を浴びるようになったのは今年(二〇一一年)からで、それは東京で施行され、大阪で初めて法の執行が行なわれたからである。
これはあくまで条例という国内法で、地方政府の法令なので、条約との関わりということではないが、大統領令がこの条例に影響を及ぼしている蓋然性は確認できる。
東京都と大阪での「暴力団排除条例」が施行・執行されたことに先立つ、二〇一一年七月二七日、アメリカでは、オバマ大統領が、日本の「ヤクザ」(ヤクーザとして英語で認知されている)を含む、国際的組織犯罪に金融制裁を科す大統領令「越国境的犯罪組織(えつこっきょうてきはんざいそしき)の資産凍結」に署名した。
これは大統領令13581(Executive Order 13581 Blocking Property of Transnational Criminal Organizations )という。
このアメリカの国内法に属する行政命令が、条約や協定を飛び越えて、日本の国内法の、さらに地方政府の条例に影響を及ぼしたと考えることは、疑問を差し挟む必要のないことである。
国際的に組織犯罪撲滅に取り組むことに、本腰を入れて取り組み始めたという国家同士の動きであるから、アメリカの国内法と日本の国内法が歩調を合わせているとも取れるし、アメリカの大統領令が、日本の条例に影響を及ぼしていても、それは蓋然性の範疇(はんちゅう)に含まれることである。
つまり、アメリカの行政府の意向が、日本の法令に反映されたという「フシ」があるということだ。
(転載貼り付け開始)
「National Archives and Records Administration」から
http://www.archives.gov/federal-register/executive-orders/2011.html
Executive Order 13581
Blocking Property of Transnational Criminal Organizations
Signed: July 24, 2011
Federal Register page and date: 76 FR 44757, July 27, 2011
(転載貼り付け終わり)
上記のアメリカのナショナル・アーカイヴのウェッブサイトに、この大統領令が、二〇一一年七月二四日に正式に著名されたことが確認できる。
(転載貼り付け開始)
「MSN産経ニュース」から
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110726/amr11072610080002-n1.htm
「ヤクザ」を制裁対象に 米大統領、国際的組織犯罪への戦略発表
2011.7.26 10:06
【ワシントン=犬塚陽介】オバマ米大統領は25日、「国際的組織犯罪に関する戦略」を発表し、国境をまたいだ犯罪で収益を上げる犯罪組織に金融制裁を科す大統領令に署名、日本の「ヤクザ」などを制裁対象に指定した。
米国内の資産が凍結され、米国の団体や個人は対象組織との取引が禁止されるが、大統領令は暴力団の具体的な組織名には言及しなかった。
コーエン財務次官(テロ・金融犯罪担当)は声明で、日本の暴力団は約8万人の構成員がおり、麻薬取引や武器密売を行っていると指摘。建設、不動産、金融業でフロント企業を使って違法な収益を上げているとした。
大統領は暴力団のほか、ロシアの犯罪組織「モスクワ・センター」、イタリアの「カモッラ」、メキシコの「ロスセタス」を制裁対象に指定した。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110726/amr11072610080002-n1.htm
「MSN産経ニュース」から
(転載貼り付け終わり)
この記事を読むと、日本の「暴力団排除条例」と、同じような条例や法律がイタリアやメキシコ(ロシアは無理にしても)で施行されているのではないかと思えてくる。
●「国際法」とは覇権国の行政府の意思のことである
蓋然性と言ったが、全ての国際関係は「そのフシがある」という域を出ない。だれが我々の国がお前の国を支配するなどと言い出すものであろうか。
しかし、その手続きや実際の取り決め、法のあり方などを見ると、覇権国による周辺国の管理意思が浮かび上がってくる。事実として「そのように」進んでいくのである。TPPも、その国益であるとか、イデオロギーや理念といった議論などとは全く無関係に、アメリカ行政府の意思を具現するための道具として「署名」(協定だから、批准、ラティフィケイションはしない。元首か担当官の書名、サインだけで締結し、発行する)され、発行し、アメリカ行政府の意思が実行されるであろう。
国際法という、グロティウス(Hugo Grotius)が唱え、一九世紀から実際に作っていこうという試みは、リベラルな思想が、それでも本当は国際関係の理想的枠組みとなるはずであろう。
グロティウス
しかし、国際法には、はっきりとした法源がなく、それが本当に各国政府と国民に効力を持つべきものであるかは、依然として議論の対象である。現実としては効力は無いのである。それは、独立国の国家主権に口を出すことになるからだ。
だから真実は、覇権国の、しかもその行政府、アドミニストレイションの意思なのである。覇権国の官僚機構の利害の表明といっていいだろう。
TPPも日米地位協定も、アメリカの軍隊と官僚、サーヴィスマンたちの利益のための取り決めなのである。両国の国民の利益ではない。それどころか、両国民にとって有害なものとなりえる可能性を孕(はら)んでいる。
「地位協定」は「安全保障条約」の「下にある」とはっきり規定されているから、まだ条約の厳格性が残っている。問題が起こったら、この思い厳格性に乗っ取り、運用を見直すというアメリカ政府の「取り計らい」がある。
ところが、TPPは完全に「行政協定」である。外国政府と国民への「大統領令」(エグゼキュティヴ・オーダー)、「勅令」「詔(みことのり)」である。
大統領の署名だけで発行することが、権力中枢からの「命令」という事実を物語っている。日本は、この「命令」を、国会にかけて、委員会で審議し、議決をし、天皇が交付するという厳粛なものとして受け止め、事実上の「条約」として日本国民に守らせることになる。
日本の本当の保守層(大金持ち、富裕層)は、この事実を知っている。苦渋に満ちた思いで、アメリカの要求を受け止め、日本国民の利益はおろか、自分自身と自分が率いる利益集団にとっても有害であることがあるのを知りながら、ぎりぎりのところでやっているのであろう。
「我こそは日本の本当の保守」を声高に叫ぶものがいるのなら、まずこの国際関係の真実を深く知ることが不可欠である。
(終わり)