「202」 翻訳 アメリカの民主化政策についてアメリカで発表された論文をご紹介します(1) 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 2012年11月10日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。本日は、アメリカの民主化政策に反対する内容の論文を皆様にご紹介いたします。この論文の作者は、デイヴィッド・リーフ(David Rieff、1952年―)という人で、これまでにも8冊の本を出している評論家です。母親が有名な作家だったスーザン・ソンタグ(Suan Sontag、1933―2004年)で、プリンストン大学卒業後は、有名出版社に編集者として就職し、母親の担当編集者もしていたそうです。

    

デイヴィッド・リーフ    スーザン・ソンタグ

 この論文は、格調高い文体で書かれており、その内容は、「冷戦期や冷戦直後、民主化をアメリカの政策の柱にするのは意味があった。しかし、現在の状況では、アメリカの国益に適うものではない」というものです。ちなみにこの論文では、民主政体促進(democracy promotion)という言葉が使われていますが、これは、民主化(democratization)の意味です。民主化とは、非民主的な政治体制の国を民主体制に「変える」ことです。政治学の世界、特に比較政治の分野では、一つの大きな柱となるテーマです。そして、アメリカ政府の外交政策の柱が、この民主化促進(民主化)なのです。

 私が今年(2012年)8月に出した翻訳書『アメリカが作り上げた“素晴らしき”今の世界』(ロバート・ケーガン著、ビジネス社)の第2章にも詳しく書かれているように、アメリカは、世界中に民主政体(デモクラシー democracy)を拡散すること(世界中の国々を民主国家にすること)を政策として掲げ、実行してきました。

『アメリカが作り上げた“素晴らしき”今の世界』

 しかし、この民主化政策は、外国に対する介入であり、世界をアメリカの思い通りの形にするものなのです。冷戦終結後、アメリカは世界で唯一の超大国となり、民主政体や資本主義が最終的に勝利した、という考えが広がりました。しかし、現在、中国をはじめとするBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)や東南アジア諸国が新興大国として勃興しています。こうした状況下、アメリカの民主化(介入)政策に対しての反発が広がっています。この論文は、そうした動きを受けて、アメリカの民主化政策に警鐘を鳴らしています。

 この論文の内容は、私が今年(2012年)5月に出した著書『アメリカ政治の秘密 日本人が知らない世界支配の構造』(PHP研究所)は、前半部によく似ています。私はこの論文を初めて読んだとき、「私が露骨に書いたことを、アメリカ人なりのオブラートに包んで、アメリカ人に聞いてもらえる線ギリギリを狙うと、こういう文章になるんだろう」という感想を持ちました。アメリカ人にもこのような考えを持つ人がいるものかと嬉しくなりました。

『アメリカ政治の秘密』

 少し難しい内容ですが、是非、『アメリカ政治の秘密』と合わせてお読みいただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

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●「民主政治体制(デモクラシー)の伝道者たち(Evangelists of Democracy)」

デイヴィッド・リーフ(David Rieff)筆
ナショナル・インタレスト誌11月・12月号
2012年10月24日
http://nationalinterest.org/article/evangelists-democracy-7625
http://nationalinterest.org/article/evangelists-democracy-7625?page=1
http://nationalinterest.org/article/evangelists-democracy-7625?page=2
http://nationalinterest.org/article/evangelists-democracy-7625?page=3
http://nationalinterest.org/article/evangelists-democracy-7625?page=4
http://nationalinterest.org/article/evangelists-democracy-7625?page=5

 人権運動と同様、民主政治体制(民主政体)促進事業(democracy promotion)は、急進的なものである。それは、民主政体促進(民主化)事業は、社会や政治体制の大変革を目指すものだからだ。そして、民主政体促進を支持する人々は、この事業のイデオロギー的、もしくは革命的な側面を認識することができないし、これからもそれは不可能だ。民主政体促進事業は、社会や政治体制の急進的な変革を目指すものである。そして、現代のリベラリズムの一部であると理解されるべきだ。

 現代のリベラリズムは、それ自体が単なるイデオロギーであるということを否定する唯一の近代的なイデオロギーだ。もっと正確に言うならば、民主政体は、全てのイデオロギーが敗れ去った後、人類が達成する政治的な組織の最終形態であり、道徳の面でも達成されることが既に決まっているものなのである。

 西洋諸国で民主政体促進(民主化)事業に従事している人々は言う。「全体主義的、もしくは権威主義的な社会秩序から自由主義的かつ民主的な社会秩序への移行(transition)しつつある国々で私たちは民主政体促進事業に従事しています。私たちのやっていることは、最終的に、かつ不可避的に実現することになっている民主政体ができるだけ早く打ち立てられように急がせるだけに過ぎません」と。

 著名な投資家であるジョージ・ソロス(George Soros)は、「オープン・ソサエティ財団(Open Society Foundations)」という組織を作り、活動している。このオープン・ソサエティという言葉は、ソロスの師であるカール・ポパー(Karl Popper)が提唱した概念で、この組織のイデオロギー的な側面を言い表している。ソロスはこの組織を使って民主政体促進事業を行っている。オープン・ソサエティ財団の活動目的は、「閉ざされた社会を開くこと。開かれた社会を存続させること、批判的な思考方法を人々の間に拡散すること」である。

    

ジョージ・ソロス      カール・ポパー

 このオープン・ソサエティの活動目標で明らかになっているように、歴史は一つの方向に進んでいる。それは自由の拡大、より開かれた社会、そして民主政体の拡散である。民主政体促進(民主化)事業は、フランシス・フクヤマが1989年に発表した論文「歴史の終わり?(The End of History?)」の中の主要な主張が具体化されたものだと理解できる。「歴史の終わり?」の中で、フクヤマは、西側が冷戦に勝利したのは、「人類のイデオロギーの進歩が最終点に達し、西側の自由民主政体が人類にとっての普遍的な、そして最終的な統治形態」になったことを示していると主張した。

フランシス・フクヤマと『歴史の終わり』

 こうした立派な主張には、しかし、大きな矛盾が潜んでいる。フクヤマの唱えた「歴史の終わり」という考えは、新しい考えの広がりを賞賛し、「閉ざされた」、非民主的な社会を否定している。ソロスは以前、「閉ざされた社会は、究極の真実を保有していると主張しているが、それは間違いだ」と批判をしたことがある。これは、言い換えるなら、民主政体促進事業や人権運動が達成目標としている西洋型の民主的・資本主義社会が社会的、倫理的、そして政治的な真実(truth)を独占している、とソロスが言っているのと同じことだ。

 ソロスはかつて、共産主義は間違っている、と語り、その理由を「共産主義が独断的な教理である」からだと述べた。しかし、世界各国の社会を、開かれた社会と閉ざされた社会の二つに分類し、分断することは、二元論的であり、哲学的に見て原始的すぎるのではないだろうか?また、ソロスは、「共産主義の失敗は、開かれた社会が世界中に拡散する基礎となる」と大胆なことを言っている。ソロスのこのような厚かまし発言こそが独善的な考えを示してはいないだろうか?フクヤマは、「歴史上、最後に残った疑問は、西洋型の自由資本主義が世界に拡散するのにどれくらいの時間がかかり、どのような条件が必要だろうか、というものだ」と主張したが、これほど、狭量な考えが他にあるだろうか?

 フクヤマやソロスの主張は、分かりやすい言葉を使って、開かれた社会が閉ざされた社会に比べて好ましいものだと正当化するものだ。なぜ開かれた社会が好ましいのか。ソロスは次のように言っている。「開かれた社会では、人々は一人ひとり、自分自身の力で思考しなければならない。開かれた社会では、思考することは、許可されたものではなく、必要不可欠なものだ」彼らの主張は、戦時中の「神は私たちに味方してくださる」というスローガンや、「共産主義の勝利は不可避だ」というマルクス主義者たちの主張に奇妙なほどそっくりである。いくら良いことを言っても、それは隠すことができない。

 ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は、1956年、ワルシャワで西側諸国の大使を前にして次のように述べた。「皆さんがどう思われようが、歴史は私たちの側にあるのです。私たちはあなた方を苦しめることになるでしょう」この発言は大変有名なものである。このフルシチョフの発言は、決定論的な歴史観を最も露骨な言葉で表現したものである。

ニキータ・フルシチョフ

 フクヤマは、「唯一の正当な政治秩序は、法の支配(rule of law)と説明責任を果たす政府(accountable government)をもつ先進国に存在する。この二つの要素が安定したバランスを保つ状態にあるとき、正当な政治秩序が存在すると言える」と書いている。ジョン・グレイは、「法の支配と説明責任を果たす政府が唯一の正当な政治秩序であるという考えは、アメリカの統治形態が理想であるという考えとほぼ同じものである」と述べている。

 アメリカの政治体制を理想とする考えは、ソロス流のポパーの主張に基づく普遍主義、フクヤマのネオ・ヘーゲル主義、民主政体促進(民主化)の独善的な教義など様々な形を取って現れる。しかし、その本質は、「西洋諸国が世界を自分たちのイメージに合った形に作り直す、そのイメージとは、グローバル化された開かれた社会しかない」ということなのである。この点で考えてみると、先ほど取り上げたフルシチョフは、哲学的にはプラグマティスと言うことができる。

 現実的な考えをする人々をその過激な支持者にしてしまう民主政体促進(民主化)事業とはどんなものであろうか?ビル・クリントン大統領は、1997年、二期目が始まる際の就任演説で、「世界で最も偉大な民主国家であるアメリカが民主国家のみで構成される世界をリードすることになるだろう」と予言的なことを述べた。このように人々をその熱狂的な支持者にしてしまう民主政体促進事業とは何なのだろうか?ヒラリー・クリントン国務長官は、2012年に行った演説の中で、「変革、新しい考え、文化、信条に対して扉を閉ざしている国々は、インターネットの発達した今の社会において、取り残されてしまっていることにすぐに気付くようになる」と述べた。クリントン国務長官は、この発言の内容を本当に信じているのだろうか?

ヒラリー・クリントン

 シリコンバレー発のテクノ・ユートピアニズムとソロスが主張する民主政体の普遍性が世界を席巻した。しかし、西洋型の自由主義的・資本主義が世界を深刻な経済危機に陥らせた。アメリカは人類史上最大の債権国(借金国)となった。このような状況の中で、クリントン国務長官は中国に対して、開かれた社会という考えを中国が選択しないなら、中国の発展は終わると警告をした。クリントン国務長官は、欧米諸国の現在の体たらくにもかかわらず中国に対して警告を発したが、このような発言が正しいと本気で信じているのだろうか?

 クリントン国務長官のような知性に溢れ、現実主義的な人が、経験に基づいた証拠もほとんど使わず、データが示すところでは全く逆のことを示していることを、断定的に語っている。こんなことがどうして起きるのかについては、宗教的な言葉を使わざるを得ないほど、困難なことなのである。しかし、ここに核心的なポイントがあるのだろうと私は考えている。

 アメリカの主流派の考えは、アメリカ建国の時から、ある種の神秘的な使命感、アメリカは世界の諸問題に関して贖罪的な役割を果たすという信条、世界をアメリカの持つイメージ通りに作り直そうとする宣教師の持つような熱意によって特徴づけられてきた。こうした考えは、傲慢さからというよりも、道徳的な義務を果たしたいというところから出てきているようである。

 アメリカ例外主義(American exceptionalism)の観点から見ると、アメリカは丘の上で輝く都市、人類の最後の希望という信条は、「単なる」経済データや戦略的な動向などを超えるものである。神が私たちの味方をしていて下さるなら、歴史的に見てもずっと味方をしていて下さっている。そのように考えないことは、アメリカに対する裏切りである。従って、クリントン国務長官の演説は、先ほど取り上げたフルシチョフの厳しい警告の伝統に連なる、傲慢なものであると言える。

 クリントン国務長官の演説は現代風の言葉が使われ、技術の進歩による自由の拡大といった内容が話された。しかし、内容は何も目新しいものではない。全世界に民主政体を拡散しようという主張は、アメリカの外交政策の書くことのできない重要な要素であるし、またそうあるべきだ。これは、ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)大統領時代までさかのぼることができるし、エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)大統領時代にもそうした要素は存在した。

ウッドロウ・ウィルソン

 リンカーン大統領就任以前にも、ジャーナリストのジョン・L・オサリバン(John L. O’Sullivan)は、「明白な運命(Manifest Destiny)」を生み出している。サリバンは、1845年にこの「明白な運命」という言葉を生み出した。サリバンは、この「明白な運命」の内容を、「アメリカの歴史的な使命は、この地上に道徳的尊厳を確立し、人類の救済を達成することだ」としている。この数百年の間で、民主政体促進(民主化)事業の役割は大きく変化した。ウィルソンは、アメリカの第一次世界大戦への参戦は、「民主政体の国々を守るため」と語っていた。

 それから数十年後、フランクリン・D・ルーズベルトは、ヨーロッパやアジアの独裁を打ち倒したら、ルーズベルトの呼ぶ「4つの自由」を基にして世界秩序を作り直すと述べていた。イギリスやフランスの植民地主義を独裁とはルーズベルトは決して呼ばなかった。

フランクリン・D・ルーズベルト

 民主政体の建設と民主政体の拡散は、戦争終結後の望ましい状態というよりも、永続的なプロセスということなのである。軍事占領を通じての民主政体樹立という考えは、冷戦期、アメリカがソ連に対抗するために軍隊を世界各国に派遣することで実現された。しかし、そうした軍事占領による民主化は高尚な目的とはならなかった。しかし、冷戦を戦ううえで、民主政体促進(民主化)事業は、最も重要な非軍事的な道具となったのである。

(つづく)