「225」 論文 やさしい日本現代史・日本国は万邦無邦の「デタラメ国家」である(7) 鳥生守(とりうまもる)筆 2014年1月10日

 これを書いているときに、ちょっとした出来事が大事件になった。先月10月31日に開かれた秋の園遊会で、山本太郎参院議員が天皇に手紙を手渡した。これがちょっとした、しかし大きな波紋をよんだ。手紙の中身についての適否の問題ではなく、天皇に直接手紙を渡したこと自体が問題とされた。そばにいた川島裕(かわしまゆたか)宮内庁侍従長が険しい顔をしてそれを(ひったくるかのように)預かったというが、その後も預かっており今でも中身は天皇に読まれていないという。

山本太郎

 菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で「その場にふさわしいかどうかは自身で判断することだ」としつつ、「常識的な線引きはある」と不快感を示したということである。宮内庁の山本信一郎次長は5日の定例記者会見で、「園遊会という場で国会議員が手紙を差し出すのはふさわしくない」と述べた。そして山本議員は、山崎正昭参院議長から厳重注意を受けるとともに、今後、参院議員としての皇室行事への参加を認めないとした処分を受けたという。また鴻池祥肇(こうのいけよしただ)元防災担当大臣は、山本議員に「天誅を加えなきゃいかん」と語ったという。

 どうも「園遊会という場で国会議員が手紙を差し出すのはふさわしくない」ということだが、ではどのようにして手紙を渡せばいいのかということになる。がしかし、それについては、一向に明示されない。結局、日本では21世紀になった現代においても、天皇に手紙を直接渡すこと(つまり手紙が天皇に直接届くこと)自体が問題だということなのである。

 江戸時代においては、日本では京にいる天皇および江戸の公方(将軍)様は庶民が眼にすらできぬ存在であり、それらにたいして直訴するような行動に出ればたちまち極刑に処せられた。(それは時の政権の政治の質が露呈し、それによって政策担当高官の責任が暴露されるのを防ぐためである。すなわち時の政権がよくない政治を行って国民が苦しんだとしても、その観点から政治を検討し直してみようという作業を回避するために、国民の直訴を禁じるのである。それによって政策担当高官は、たとえよくない政策を施したとしても、その責任を回避することができるのである。もちろんそれは裏を返せば、逆に大変よい政治をしたとしても、なんら誉められることもなく歴史に残ることでもないことになってしまうのだが。)極刑はなくなったものの、その(絶対に天皇に直訴してはならぬという)考えがいまだに残っているのである。

 さて、天皇の政治利用はいけないと言うことはどういうことだろう。誰がいつから言い出したことだろう。その詳細はわからない。しかし考えてみるに、天皇の政治利用は悪い政治利用と好ましい政治利用がある。悪い政治利用とは時の政権が良い政治を行っているにもかかわらずそれを転覆するために、天皇を利用することである。好ましい政治利用とは、時の政権が国民の声に耳を傾けず悪い政治に突き進むのを止めるために、天皇を利用することである。

 天皇ご自身は、前者の悪い政治利用は困るであろうが、後者の好ましい政治利用は内心うれしいであろう。天皇が新憲法によって国民の象徴になったといっても、天皇は依然有力者であることに変わりなく、社会状況によっては、人々が直訴をしたくなる状況もあるだろう。天皇およびその側近は、直訴されたときにそれを受けて、その直訴がよいそれか、悪いそれかを判定すればよいはずである。しかし日本では現代においては依然、直訴自体が厳禁ということなのである。

 しかし日本以外で、日本国のように直訴自体が禁じられているという国があるのだろうか。今から200年前(の18世紀末の、日本では江戸時代の寛政年間のころ)の帝政ロシアでも、一定のルールの下で、直訴は許されているのである。

《 皇帝は、時おり二台の馬車を出してお忍びで町に出る。市中の風俗を見、政治に対して人々がどのように感じているかを知るためで、馬車は一般の者が使う粗末なものを使用する。自らは御者一人だけの馬車に乗り、後につづく馬車に護衛の者三、四人が乗る。皇帝の微行(びこう)と察した者が車に走り寄って訴状等を車の中に投げ込んでも、決して護衛の者に捕えられるようなことはなく、一切おとがめなしとしている。
 そのほか山水の景色を観賞するため出掛ける時も行事に出席する時も、途中での直訴は受け入れられていて、その訴状について高官たちに審議させるという。 》(吉村昭『大黒屋光太夫』)

 当時のロシア皇帝は、日本で言えば、京にいる天皇か、あるいは江戸にいる将軍に相当する存在である。そのロシア皇帝は常に「政治に対して人々がどのように感じているか」を知ろうとしていたので、当然、直訴自体を禁じることはありえなかったのである。それは当時のロシア皇帝の自らの政治に対する自信の現われでもある。当時、日本の天皇や将軍が、「政治に対して人々がどのように感じているか」を知ろうとすることは極稀であり、通常ではありえなかった。だから、直訴自体が厳禁であり、直訴者は極刑に処した。そして現在でも、直訴自体が厳禁というのである。日本の天皇や将軍には、国民のための政治という思考がほとんどなかったのである。この点においても、日本は万邦無比な「デタラメ国家」であると言えるのである。

 さらに卑劣な脅迫事件が起きた。11月13日の午前、山本議員に対して刃渡り9センチの刃物が送られたのである。その封筒の裏には、「近日中に刺殺団を派遣します」と書かれていたのだ。

《 山本太郎議員宛て 刃物と脅迫の文面(11月13日 16時45分)
東京・千代田区にある参議院議員会館に、13日、山本太郎参議院議員宛てに刃物が入った封筒が届き、殺害を予告する文面が記されていたことから、山本氏は警察に被害届を提出しました。
 山本太郎参議院議員の事務所によりますと、13日午前、東京・千代田区の参議院議員会館に届いた山本氏宛ての封筒の中に、「刃物のようなものが入っている」と、議員会館の警備担当者から連絡がありました。
 このため山本氏の秘書が封筒の中を確認したところ、刃渡りが9センチで折り畳み式の果物ナイフのような刃物が入っていました。
 また封筒には、差出人として「日本民族独立解放戦線」の総裁と書かれていて、「近日中に刺殺団を派遣します」と記されていたということです。
 これを受けて山本氏は警察に被害届を提出しました。
 山本氏の事務所はNHKの取材に対し、「明らかな脅迫行為で、こういったことが起きて大変残念だ。警察の捜査の行方を見守りたい」と話しています。
 山本氏は、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡したことで、山崎参議院議長から厳重注意を受けるとともに、今後、参議院議員としての皇室行事への参加を認めないとした処分を受けています。 》(NHK、WEBニュース)

 NHKのこの記事は、山本太郎参院議員事務所からの情報しか載せていない。そして最後に、山本議員が何か悪いことをしたとも受け取れかねない一文を載せている。大手新聞社もこれとまったく同様な報道である。このような脅迫は国家としても、政治的に見ても、絶対に許されざる卑劣な犯罪である。にもかかわらず、大手マスコミの報道はそれだけである。あと追い記事も、天皇陛下がそれを知って心配しているとの報道と、鴻池元大臣の「切腹用の刀が送られたそうだ」「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と語ったという報道だけで、ほかは何もない。つまり、明らかに卑劣なテロにつながる卑劣な脅迫であるにもかかわらず、それだけの報道である。これはとんでもないことである。

鴻池祥肇

 本来であれば、首相や、警視庁長官か誰かテロ防止の最高責任者が、緊急記者会見をして、この卑劣な脅迫およびテロ予告は重大な犯罪であり絶対に許さないこと、全力でこの卑劣な予告テロを防止すること、この卑劣な犯人たちを是が非でも突き止め法的処置をとること、この卑劣なテロ防止のために国民の協力を求めること等々、それらのメッセージを国民に向けて言明し発表すべきである。もちろんあわてる必要はないが、政府の姿勢を犯人および一般国民に対して示しておく必要がある。もし政府がそのような発表をしないならば、大手マスコミが政府に対してそのような緊急の記者会見を要求すべきである。ところが、政府と大手マスコミに、そのような動きが全くないのである。まるで、卑劣なテロを防止し、その予告犯人を探し出して捕まえようとする気がないかのような姿勢なのである。

 「振込め詐欺」の場合も「気をつけましょう」というだけで、犯人を捕まえようという姿勢が、政府(行政)にも大手マスコミにもほとんど見られなかった。実際、その犯人たちは誰一人つかまっていないのである。今回の卑劣なテロの予告に対しても、事態は同様に進んでいるのだ。明らかに卑劣なテロを防止しようとする姿勢をみせないのである。これでは、政府(行政)も大手マスコミも、失格である。国会議員も国民もそのことについて指摘の声を強くあげない。彼らの態度は非常に疑わしいものがある。こういう点においても、日本は万邦無比の「デタラメ国家」であると言えるのである。

 これでは、日本国は卑劣なテロや犯罪行為が容認される国家になってしまうのである。事実、戦前の日本はそうであったし、現在の日本もやはりそうなってきているのである。小さな犯罪は厳しく罰せられるが、大きな犯罪や卑劣な犯罪は見逃される、そういう国家になりつつあるのである。国民はこの由々しき国状を見逃してはならない。

 それにしても、天皇陛下の「心配している」とのお言葉は、一定のテロ抑止力になる。首相など責任者が不作為の中、今上天皇だけが、ぎりぎりの発言をしたことになる。

 では、「やさしい日本現代史」を続けることにする。

●「昭和」という元号

○天皇の崩御、践祚、改元

 1926年12月25日早暁(午前1時25分)、大正天皇が葉山御用邸で崩御(ほうぎょ)され、即日摂政宮(せっしょうのみや)裕仁親王(昭和天皇のこと)が践祚(せんそ、皇位継承のこと)された。翌26日には、
「元号を昭和とすること」
「大正15年12月25日を昭和元年12月25日とすること」
が、発表された。つまり、大正天皇がなくなり、ただちに摂政宮裕仁親王が践祚(皇位継承)して、元号は「昭和」になったのである。

昭和天皇

 この時、『東京日日新聞』の12月25日号外は、元号は「光文」に決まったと誤報してしまった。当時すでに、新聞(マスコミ)界は、はげしいスクープ(他社を出し抜いて、重大な事実をつかみ、それをいちはやく記事にすること。その記事。特ダネ。)意識があったことが窺われる。マスコミ界では、アメリカのマスコミ文化がどんどん流入していたのである。ラジオも、前年の1925年に試験放送をし、1926年には放送が開始している。

 1889年(明治22)に明治憲法とも呼ばれる大日本帝国憲法と同時に制定・公布された皇室典範によって一世一元の制が確定され、それ以降、天皇生存中は一つの元号のみを使用することとし、それ以外の元号の使用はゆるされなくなった。それによって、天皇の崩御、新天皇の践祚をもって年号は変わることになり、明治は大正へ、大正は昭和へと改元されていった。

○元号「昭和」の一般的解釈

 ところで「昭和」という元号(年号)の意味はなんだろうか。当時の政府である若槻礼次郎内閣は、「君民一致、世界平和」を意味するといったのだが、これでよいのだろうか。

 学者の大内力(おおうちつとむ)は、次のように記している。

《 元号制定の任にあった枢密院では、当初、「光文」「大治」「弘文」などの年号が候補にあがっていたが、慎重審議の結果、最終的に「昭和」を、新しい年号とすることに決定した。「昭和」という年号は、『書経』の「堯典(ぎょうてん)」のなかの「百姓(ひゃくせい)昭明、万邦協和」からとったものである。当時の政府はこれに、君民一致、世界平和を意味するという注釈をつけた。 》(大内力『日本の歴史・ファシズムへの道』、中村正則『昭和の歴史・昭和恐慌』)

 大内はさらに、「要するに国民全体に陽がよくあたり、国々が仲良くしていくということだろう」とも述べている(大内力『日本の歴史・ファシズムへの道』)。

 同じく学者である中村正則は、「百姓」は「国民一般」をさし、「万邦」は「世界中の国々」を意味するから、「(昭和という元号は)君民一致して世界平和に邁進する、という理想を唱ったものであった」と述べている。(中村正則『昭和の歴史2・昭和恐慌』)

 また一般では、「国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味」というのがかなり多い。

 これら3つの解釈はそれぞれ微妙に異なっている。中村が当時の政府説明に最も近いが、これらは正しいのだろうか。どれが正しいのだろうか。

○元号「昭和」の出典を踏まえた解釈

 では、大内力や中村正則の学者が言う、その出典を見てみよう。

 先ず、『書経』の「堯典」では、「百姓昭明、万邦協和」でなく「百姓昭明、協和万邦」となっている。「万邦が協和した」ではなく、「万邦を協和させた」である。上記3つの解釈は、まず、この点に間違いがある。

 では、その「百姓昭明、協和万邦」は、どのような文脈の中で使われているのか。それを見てみよう。

《 さて、いにしえの帝、堯(ぎょう)の徳をおもうに、ひと口に申せば「この上なき功業ある人」と言えよう。慎み深さと聡明さ、華やかさと深遠な思想とを身につけ、まことに恭々しき態度でへり下り、その徳は世界を覆い、天地の果てに至った。帝堯は、この大徳を己れのものとした上で親族を睦ませた。一族が親睦すると、ついでお膝もとの民百姓を教化して、穏和でかつ明らかな徳をもたせた。民百姓が明らかなよき徳を持つと、さらに拡充して、天下の国々を協調和合させた(百姓昭明、協和万邦)。ついには、ああ何と全世界の人々みな善人と化し、和らぎ合うに至ったのである。 》(吉田茂夫『書経』)

 このように『書経』は、理想的皇帝である堯(ぎょう)を引き合いに出すことで、「皇帝は、全世界が平和になる(それは世界の人々が物質的に豊かになることでもある)ことを、統治の最大の、かつ継続的な目標とすべきである。そのためには、自ら大徳を身につけた後、自らの家族、そして親族を教化して徳をもたせ睦ませることをせよ。それが実現すると、国民全体を教化して徳をもたせ睦ませることをせよ。そしてそれが実現すると、他の国々と交流させることをせよ。そうすれば目標達成が可能となるであろう。」と述べているのである。それは、国の統治における長期大目標とそれを実現する手段や方針を述べたものである。

 「昭和」という元号は、その中から取ったものである。その部分は、「(自国の)国民全体が徳(その各々の才能や資質)を十分に発揮できるようになった後、数々の国々と交流し仲良くさせる」という方針(手段)の後半の部分である。だから、「君民一致、世界平和」とか「国民全体に陽がよくあたり、国々が仲良くしていく」とか「君民一致して世界平和に邁進する」とか「国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う」とか、そういう意味ではない。「昭和」という元号は、立派な元号なのである。

(つづく)