「宣伝文0011」 オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(古村治彦訳、ビジネス社、2014年)が発売中です。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2014年5月25日

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。

 本日は、現在、発売中の『野望の中国近現代史 帝国は復活する』を皆様にご紹介いたします。この本は、私にとって初めての中国関連の翻訳となります。本書は、中国の近現代史、具体的には1840年の第一次アヘン戦争から現在に至るまでの、中国の近代化を彩った知識人と政治家たち11名を取り上げ、その人物に焦点を当てながら、歴史を分かりやすく書いた本です。

 本書は原著も400ページを超える大部で、翻訳も精一杯努力しましたが、480ページ近くになってしまいました。その分、お値段も高くなってしまい、皆様には申し訳なく思っております。しかし、ページ数、内容から考えて、2冊分以上の価値はあると私は胸を張って申し上げることができます。

 以下に欧米の一流メディアに掲載された書評をご紹介いたします。参考にしていただき、本書をお読みいただけますようにお願い申し上げます。

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ニューヨーク・タイムズ紙 2013年7月18日

http://www.nytimes.com/2013/07/21/books/review/wealth-and-power-by-orville-schell-and-john-delury.html?pagewanted=all

「書評:面目を失い、そして大躍進を行った―オーヴィル・シェル・ジョン・デルリー著『野望の中国近現代史 帝国は復活する』」

ジョセフ・カーン(Joseph Kahn)筆

 中国古代史の代表作である『史記(Records of the Grand Historian)』には、越王勾践が恨みの感情をどのように涵養していったかの話が取り上げられている。紀元前5世紀、勾践は越を統治し始めた時、勾践の宿敵が越を攻撃し、勾践は捕虜となった。宿敵は勾践を奴隷とした。勾践は3年間の奴隷生活の後、解放されて、王座に戻ることが許された。しかし、勾践は王としての優雅な暮らしを避け、農民たちが食べるような粗末な食事をし、質素な生活に徹した。彼は薪を積み上げただけのベッドで眠り、天井から苦い肝を吊るし毎日嘗めた。中国には「臥薪嘗胆(sleeping on sticks and tasting gall)」という警句がある。この警句は、勾践が恥辱を忘れずに、恥辱をバネにして自分を強くしたという故事を賞賛しているのである。

 『野望の中国近現代史』の中で著者オーヴィル・シェルとジョン・デルリーは中国の現在の台頭の知的、文化的源泉について丁寧に描き出している。シェルとデルリーは、勾践の物語を大元帥(Generalissimo)・蒋介石は大好きだったと書いている。蒋介石は中国を統一しながら、後に台湾に追われた。著者たちは、現代中国の重要なテーマとして「恥辱」を挙げている。19世紀初めの魏源から昨年(2012年)に中国国家主席に就任した数近平に至るまで、恥辱という概念が共通するのである。魏源は、全能の中華帝国が根本から衰退しつつあると主張した中国初の知識人である。著者たちは、「中国は過去150年間にわたり外国からの侵略を受けて恥辱を被ってきたが、その屈辱感が中国の統一を維持するための接着剤の役割を果たした」と主張している。

 多くの国々は勝利にこだわり、その勝利の上に歴史を作ってきた。アメリカは独立戦争の勝利の上に成立した。イギリス人たちは今でも第二次世界大戦に関するドキュメンタリーを見るのが大好きだ。しかし、中国人たちにとっては今でも1842年に第一次アヘン戦争に敗れたという事件が心理的に大きな傷となっている。中国は現在、3兆ドルの外貨準備を誇るまでになっているが、それをもってしてもこの傷を癒すことはできない。第一次アヘン戦争の後、中国はまずヨーロッパ列強に、後に日本によって傷つけられ、破壊され、分割されてしまった。中国の兵士たちが日本軍を追い出し、中国が再統一したのは60年以上前のことだ。しかし、中国人たちは中国が蒙った苦しみを歴史の中にウもさせるのではなく、記憶していくという決心をした。

 屈辱感はたいていの場合、行動を抑制するものとなる。本書は11名の人物を取り上げ、その人生を詳しく描いている。本書の中で、シェルとデルリーは、近現代の知識人や政治指導者たちにとって恥辱は刺激となったと主張している。ある意味で、その証拠を探すことは難しいことではない。天安門広場にある国立博物館は2011年にリオープンされたがその記念イベントのタイトルは「復興への道(The Road to Rejuvenation)」というものであった。このイベントの中で、アヘン戦争は現在の中国を作った出来事として扱われている。またイベントでは、中国共産党がどのようにして中国の偉大さを取り戻したかをディズニー風に展示していた。不平等条約の一つである南京条約が締結された静海寺の敷地内にある記念館には、次の言葉が飾られている。「屈辱感を感じることは、勇気を生み出す」。恥辱は中国共産党の宣伝にとっての重要要素となっている。

本書の著者シェルは、中国で経済改革が始まって以降の政治と社会について報告を続けてきたヴェテランのジャーナリストである。デルリーは中国と北朝鮮の政治の専門家である。著者であるシェルとデルリーは、中国共産党が屈辱感をアピールすることの裏側にある意図を正確に理解している。しかし、本書『野望の中国近現代史』は、このような感情は中国人の心理において深い傷を残していると主張している。そして、現在の中国の政治指導者たちの文化的な遺伝子の中にはこの傷が残っているのである。中国を愛するということは、19世紀に苦しんだ面目を失うことになった様々な事件を乗り越え、過去に苦しんだ苦い敗北を繰り返さないという情熱を共有することである。

 アヘン戦争の残したものや中国のナショナリズムの源流を探った本は本書が最初ということではない。しかし、本書『野望の中国近現代史』が読者に提示しているのは、「西太后からケ小平まで、中国の最重要の知識人たちと政治指導者たちは恥辱を雪ぐという国家規模の希望を叶えようとしていたという点で共通している」という主張である。彼らは屈辱を感じ、その屈辱をバネにして「富強」の途を突き進んだのだ。

 中国の近現代史において知識人や政治指導者たちが行ったことのほとんどは無残な結果に終わった。150年以上にわたり、中国は帝国、軍閥、共和制、共産主義と支配者が次々と変化した。中国の支配者たちは封建主義、ファシズム、全体主義、資本主義を利用してきた。シェルとデルリーは、このような衝突し合うシステムやイデオロギーの中から中国を形成したものは出てこなかったし、指導者たちも何かに固執するということもなかったと主張している。著者たちは、中国の近現代史は、国家の復興(restoration)のために何かを追い求めた歴史であると書いている。

19世紀初めの改革者たちは、中国史上初めて、「中国は巨大であるが弱体である」と宣言した人々である。彼らの主張は正しかったが、19世紀当時、彼らは異端となってしまった。初期の改革者たちが提案した解決策は、「自強(self-strengthen)」であった。それは、西洋の技術と方法から中国に合うものを選び出して採用することであった。しかし、何度かのより深刻な後退を経験した20世紀初頭、学者や知識人たちの主張はより大胆になった。梁啓超は「恥辱感覚協会」の創設者となった。彼は「中国文化は中国人を小心にした」と主張した。梁啓超は中国伝統の儒教的な「核」を破壊し、西洋から輸入した思想によって国を再建したいと望んだ。

 中国国民党の指導者であった孫文と蒋介石もまた西洋の理想を追い求めた。彼らは西洋の政治、文化、経済的原理を追い求めて苦闘した。彼らは中国を復活させるために苦闘した。シェルとデルリーは、梁啓超の唱えた「創造的破壊(creative destruction)」という考えは、毛沢東までつながっているとも主張している。

 毛沢東が遺した破壊、階級の敵とされた人々の殺害、膨大な数の餓死者を出した大躍進運動、破壊と無秩序をもたらした文化大革命について、本書の著者たちは、こうした毛沢東の施策を急進的なマルクス主義からではなく、受動的な儒教の伝統の排除を試みたのだという観点から見てみることを読者に提案している。毛沢東は特に、「調和」という伝統に基づいた理想を消し去りたいと考えた。そして、「永続的な革命(permanent revolution)」の追求を人々に植え付けようとしたのだ。毛沢東は、中国の伝統文化を打ち破ることで、中国の持つ生産力を解き放つことができるようになると信じていた。

 著者であるシェルとデルリーは、「毛沢東はケ小平と朱鎔基をはじめとする彼の後継者たちのために進む道にある障害を綺麗に取り除く意図を持っていた」などとは主張していない。ケ小平の後継者たちは、ケ小平が計画したことを忠実に実行し、成功を収めた。しかし、ケ小平が推進した市場志向の諸改革は、たとえ毛沢東がケ小平に破壊され尽くした状態の中国を譲り渡していなくても、様々な抵抗に遭っていたであろうということを著者たちは証明しようとしている。毛沢東の行った、流血の惨事をもたらした様々な闘争やキャンペーン与党である中国共産党は疲弊し、人々は中国に古くから伝わる秩序という概念を追放した。ケ小平の採用した戦術は毛沢東のそれは全く正反対であったかもしれないが、毛沢東、ケ小平、そしてケ小平の後継者たちが追い求めた目標は一部ではあるだろうが、全く同じ内容であった。

 本書のタイトルは『野望の中国近現代史(原題は、富と力を意味するWealth and power)』であるが、本書は中国の台頭に関しては決定的な説明を行っているものではない。著者のシェルとデルリーは、本書の中で、中国経済に関してはほんの数ページを割いているだけに過ぎない。中国が大国として台頭していることを描いている他の本では、中国経済が中心テーマとなっている。しかし、シェルとデルリーは、中国の現在の成功を生み出した、政治と知的な活動とその基盤となる中国文化が如何に機能して、過去の苦境を乗り越えることができたかを丁寧に描いている。中国文化は、しかし、より豊かにそしてより強力になった中国にとってより大きな挑戦を用意している。この戦いは厳しい。それは一度打ち破られた幽霊であるはずの中国の伝統文化と戦い続けることなどできないからだ。

(終わり)

エコノミスト誌 2013年8月3日

http://www.economist.com/news/books-and-arts/21582489-great-power-still-licking-old-wounds-marching-forward

中国の偉大さの復活:前進し続ける
しかし、超大国は今でも過去の傷にこだわり続けている

 現代中国の基礎となった精神的傷を中国人たちは1842年に受けた。イギリス軍は、南京条約によって屈従することになった中国の喉にアヘンを押し込むことになった。アヘン戦争の結果として軍事的、外交的な敗北を喫したが、現在の中国では、アヘン戦争の敗北は新しい夜明けの前の暗闇となったと考えられている。

 実際、中国は、他国が勝利を祝うように、敗北を賞賛する。中国は、アヘン戦争の敗北後の数十年間に多くの恥辱を被った。ひとたびは世界最高の帝国であった中国(清帝国)はヨーロッパ列強によって、そして日本によって浸食された。この「中国は外国勢力によって恥辱を被った」という事実は現在の中国を支配している中国共産党の歴史観の中心的要素となっている。恥辱の歴史を強調することで、中国共産党が「富強(fuqiang、wealth and power、富と力)」を回復させる上で果たした役割がより印象的となる。

 しかし、恥辱は中国という国家の成り立ちの中に組み込まれている。紀元前5世紀、越王勾践は治めていた国と自由を失う結果となった敗戦を忘れないと決心し、薪できたベッドに寝て、苦い肝を天井から吊るして毎日嘗めた。この苦い味を毎日感じることで、恨みを忘れず、後に復讐を成功させるための強さを身に付けた。苦いものを食べるという「吃苦(Chi ku)」は中国ではよく使われる表現である。

 『野望の中国近現代史』の著者オーヴィル・シェルとジョン・デルリーはそれぞれ、ベテランの中国ウォッチャーであり、若手の中国・朝鮮半島専門家である。著者シェルとデルリーは中国の経済的成功の源流を本書の中で探っている。中国史学者の中でも最長老のジョナサン・スペンス流に、著者たちは、1842年以降に中国を変化させようと奮闘した、11名の知識人と政治指導者たちを取り上げ、彼らの人生を詳述している。本書を貫くテーマは、悪評の高い西太后から改革志向の国務院総理であった朱鎔基に至るまで、中国の指導者たちは全て、中国の恥辱の歴史を転換しようとして、自分たちなりに奮闘してきた、というものである。

 中国が失った富と力を回復するためには正当な儒教の教えを乗り越える必要があった。儒教は国家よりも家族を、物質主義よりも精神性を、そして経済的な利益よりも祭礼の儀式を重視するように主張してきた。こうした儒教の教えが余りに根強かったために、中国は西洋列強からの脅威に対応できなかった。実際、富強の追求は、儒教のライヴァルである法家によって初めに主張された。法家思想の哲学者であった韓非子は2000年前に次のように主張した。「賢い指導者が富強の道を習得したら、彼は望むものは何でも行うことができるだろう」

 中国の「復興」の実現を目指して、本書『野望の中国近現代史』で取り上げられている人物たちは、新しいスタートにこだわった。彼ら改革者たちは、西洋から学んだことや思想を中国に試そうとした。中国の近代化の道筋は、様々な「主義」に彩られていた。立憲主義(康有為)、社会ダーウィン主義(厳復)、啓蒙専制主義(梁啓超)、共和主義(孫文)を試すように知識人たちは主張した。中国の伝統的な儒教にこだわった蒋介石すらも、レーニン主義とムッソリーニが始めたファシズムに魅了された。蒋介石が魅了されたレーニン主義とファシズムはしかし彼にとっては良い結果をもたらすことはなかった。独裁者は内戦に敗れ、台湾に逃亡する結果になってしまった。

 西洋のモデルを中国に適用しようとした試みのほとんどは悲惨な結果として終わった。中国の持つ歴史の力は近代性を否定しているかのようであった。この点で、著者であるシェルとデルリーは毛沢東について再評価をしようとしている。著者たちは、毛沢東が主導し、悲惨な結果に終わった大躍進運動と文化大革命についてなんら幻想も持っていない。また、毛沢東は自分の死後に起きた奇跡の経済成長を予見していたなどとも主張していない。しかし、著者たちは、毛沢東の永続革命に向けた情熱によって、まっさらな状態の中国を、中国の繁栄の設計者であるケ小平に引き継ぐことができたと主張している。毛沢東は大躍進運動や文化大革命を通じて中国の伝統文化を破壊した。毛沢東は、ケ小平の「改革開放という偉大な試み」のために「あとはショベルを入れるだけの」建設現場を準備したのである。

 これは議論や反論を呼ぶ主張である。他の国々は中国が経験したような心理的な傷、流血の惨事、苦境を経験せずに経済的成功を収めた。そして、中国は経済力、軍事力、外交力を増強し続けている。著者たちはこうした現状を書くだけで満足していない。彼らは、中国が手に入れた力で何をしようとしているのかという疑問を著者たちは提示しているのである。

 劉暁波はノーベル平和賞受賞者であるが、現在投獄されている。彼はこれまでにも何度も投獄されてきた。劉暁は本書の中で取り上げられた人々の中で最も示唆に富んだ人物である。劉暁波は、中国が富強を追い求める姿勢の裏側にある意図に対して、最も辛辣な批判をしてきた人物である。彼は中国の指導者たちが西洋を追い越すべきだと主張することを「病的だ」と批判した。劉暁波は、中国にとって必要なしかし耳の痛い疑問をいくつか提示している。それらは、「中国のナショナリズムが仕える対象は誰なのか?国家の誇りというものが一般の人々の犠牲の上に成り立っている独裁的な統治を正すのはいつのことか?」というものだ。

 魯迅は中国が各国に浸食されていた20世紀初頭における偉大な作家であった。魯迅は、「中国人は強い人間の前では奴隷のように行動し、弱い人の前では主人のように行動する」と批判した。中国は現在権威主義体制を採用している。そして、対外的には軍事力を増強し続けている。多くの人々は、苛められてきた子供が苦しみの中で成長して、力を手に入れて周囲を苛めるようになるのか、豊かで強力になった中国が国内と世界に平和をもたらすのか、懸念を持っている。これが現在の世界において最も議論されている問題である。

(終わり)

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(終わり)