「237」 翻訳 民主政治体制(デモクラシー、democracy)とその危機に関する論稿をご紹介いたします(2) 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2014年7月24日
この間、中国共産党は、経済発展が民主国家のお家芸であるという定説を覆した。ハーヴァード大学のラリー・サマーズ(Larry Summers、1954年〜)教授は、アメリカが最も急速に経済発展をしていた当時、30年間で生活水準が2倍になったと指摘した。中国は、過去30年の間、10年ごとに生活水準を2倍ずつ伸ばしてきた。中国のエリートたちは、中国のモデル(共産党による厳しいコントロールと要職に才能あふれる人々を就けるという人事)が民主諸国のモデルよりも有効であり、壁や障害にぶつかることも少ないと主張している。中国においては、最高指導者層は10年ごとに交代し、目標を達成する能力に基づいて党内で昇進競争を勝ち抜いてきた才能あふれる人々が10年ごとに最高指導部に供給されるという形になっている。
中国に対して批判的な人々は、中国政府が世論を、反体制派を投獄したり、インターネット上の議論を検閲したりと、あらゆる方策を用いてコントロールしていると非難している。しかし、共産党政権が統制に拘泥することは、矛盾する言い方になるが、共産党が世論により注意を払うことを意味する。同時に、中国の指導者たちは、民主国家では対処に数十年もかかる、国家建設に関する多くの深刻な諸問題に取り組む能録を持っている。最近の2年間だけで、中国は2億4000万の地方在住の人々に年金を支給できるようになった。この数は、アメリカの公的年金システムでカヴァーされている人の数よりも多いのである。
中国人の多くは、現在の政治システムで経済成長がもたらされる限り、現在のままで我慢すると決めている。2013年のピュー・リサーチ・センターの調査によると、中国人の85%が国の進んでいる方向性に「非常に満足している」と答えた。同じ質問に、アメリカ人は31%が「非常に満足」と答えた。中国の知識人の中には、より積極的に自画自賛を行う人たちも出てきた。復旦大学の張維為教授は、「民主政治体制が西洋、特にアメリカを破壊しつつある。それは、アメリカが制度的に暗礁に乗り上げるようになっているし、意思決定が細分化され、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush、1946年〜)のような第二級の大統領に指導者の役割を任せてしまうようになっているからだ」と主張している。北京大学の兪可平教授は、「民主政治体制は、単純な物事を過度に複雑化し、馬鹿げた方向に進めるし、甘言を弄する政治家たちが人々を間違った方向に導く」と述べている。北京大学の王絹思教授は、「西予の価値観と政治システムを導入した発展途上国の多くは無秩序と混乱に陥るということを私たちは経験している。中国はそれらとは異なる別のモデルを提供している。アフリカのルワンダ、中東のドバイ、東南アジアのベトナムといった国々は中国のアドヴァイスを真剣に受け取っている」と述べている。
ジョージ・W・ブッシュ
中国の進歩は 2000年以降の民主政体の支持者たちの失望と共に進んだ。民主体制の大規模な後退が最初に起きたのはロシアであった。1989年にベルリンの壁が崩壊した後、旧ソヴィエト連邦諸国の民主化は不可避なことであった。1990年代のロシアは、ボリス・エリツィン(Boris Yeltsin、1931〜2007年)大統領の下、ふらつきながら民主国家として進んだ。しかし、1999年末、エリツィンは大統領を辞任し、KGBでスパイの任務にあたっていたウラジミール・プーティン(Vladimir Putin、1952年〜)が権力を継承した。それ以降、プーティンは大統領と首相をそれぞれ2度ずつ務めている。プーティンという現代のツァーは、ロシアの民主政体の実態を破壊した。メディアを沈黙させ、反対者たちを投獄した。一方、民主的なショーは維持された。プーティンが勝利する限り、誰でも投票ができる、そういうものだ。ヴェネズエラ、ウクライナ、アルゼンチンなどの独裁者たちはプーティンの真似をしている。彼らは、見せかけの民主政治体制を維持し、民主政体自体を廃止したり、批判したりすることはなかった。
ウラジミール・プーティン
次なる民主政体の後退はイラク戦争であった。大量破壊兵器をサダム・フセインが所有しているという架空の話に基づいて、2003年にアメリカはイラクに侵攻した。しかし、そうしたものは全く見つからなかった。そこで、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、イラク進攻を正当化するために、戦争は自由と民主政体のために行われたのだと主張するようになった。ジョージ・W・ブッシュ大統領は二期目の就任演説の中で次のように語っている。「民主政治体制の拡散と確立のための自由主義諸国の一致した努力は、私たちの敵の“敗北”の序章となる」。これには単なる機会主義以上の意味がある。ブッシュ大統領は、中東諸国が独裁者たちによって支配されている限り、中東諸国がテロリズムの温床となり続けるという確信を持っていた。しかし、これが民主政治体制の大義を非常に傷つけることになった。左派の人々は、民主政体がアメリカの帝国主義の隠れ蓑に過ぎないことをこれが証明していると考えた。外交政策における現実主義者(リアリスト)はイラクでの混乱が増大していることを受けて、アメリカ主導の民主化は不安定のためのレシピだと考えた。アメリカの政治学者フランシス・フクヤマのような失望したネオコンたちは、このような状況を見て、これは民主政体が固い岩盤には根付かないことの証明だと考えた。
第三の後退はエジプトで起きた。2011年にホスニ・ムバラク政権が大規模な抵抗運動に直面して崩壊した。そして、中東地域に民主政体が拡散するという希望が広がった。しかし、幸福感はすぐに失望に変わった。エジプトで行われた選挙で勝利したのは、リベラル派(風刺番組「モンティ・パイソン」に出てきそうな政党が乱立した)ではなく、ムハマンド・モルシが率いるイスラム同胞団であった。モルシは民主政治体制を「勝者の総取り」システムだと考え、国家の主要ポストを全てイスラム同胞団で固め、自分自身にはほぼ無制限の権力を与え、上院ではイスラム教勢力が常に過半数を占める状況を作り上げた。2013年7月、エジプト軍はエジプト発の民主的選挙で選ばれた大統領を逮捕し、イスラム同胞団の指導的なメンバーを投獄し、デモ参加者の多くを殺害した。シリアでの内戦とリビアにおける無政府状態とも相まって、エジプト軍の行動は、アラブの春によって中東地域に民主政体が根付き、花開くことになるだろうとい希望を打ち砕いたのである。
民主政体陣営に最近加わった国々はその輝きを失っている。1994年に民主政治体制を導入して以降、南アフリカはアフリカ国民会議(African National Congress)一党がずっと与党として君臨し続けている。アフリカ国民会議は与党になって以降、自己利益ばかりを追求するようになっている。トルコは、穏健なイスラム教で繁栄と民主政体を実現していると見なされていたが、腐敗にまみれた専制政治(autocracy)に変質しつつある。バングラディシュ、タイ、カンボジアでは、野党が選挙への参加をボイコットしたり、選挙結果の受け入れを拒否したりしている。
民主政治体制を維持するために必要な機構を建設することは、遅々とした歩みであるということをこれまでのことは示している。そして、「民主政体はその種が植えられたら、急速にそして自発的に繁栄する」と一時期人気を得た考えを否定している。ジョージ・W・ブッシュとトニー・ブレア(Tony Blair、1953年〜)が主張したように、「民主政体は普遍的な魅力を持つ」のかもしれないが、民主政体は元々が文化に根差した政治体制でもあるのだ。西洋諸国はほぼ全て、有能な公務員たちによる行政と立憲的な諸権利を備えた洗練された政治システムが創設された後長い時間をかけて参政権を拡大していった。また、西洋諸国は個人の諸権利と司法の独立を備えていた。
しかし、ここ最近、新しい民主国家にとってモデルとなるはずの西洋諸国の民主政治体制が時代遅れで機能不全に陥ってしまっている。アメリカは、民主政体が暗礁に乗り上げていることの象徴のような国である。アメリカという国名は機能不全の代名詞となった。アメリカ政治は党による争いが激化し、過去2年間で2度も債務上限を超えて、国際の支払い停止寸前にまで追い込まれてしまった。アメリカの民主政体はゲリマンダー(恣意的な選挙区割)によって汚されている。たいていの場合、現職政治家に有利になるように選挙区割が行われる。これによって過激で極端な主張を行う政治家が出てくることになった。それは、政治家たちは当選するためには自分が所属する政党に忠実な有権者にアピールしなければならなくなり、より多くの有権者たちにアピールしなくても良くなったからである。また、最近のアメリカ政治では金がますます幅を利かすようになっている。数千人のロビイストたち(1人の議員に対して20名以上のロビイストがいる計算になる)は、立法過程を時間のかかるものにし、どんどん複雑化させている。そして、特殊利益を持つ人々の利益をその中に紛れ込ませている。こうした状況から、アメリカの民主政治体制は金で動かされており、豊かな人々が貧しい人々よりも力を持っているという印象を与えている。ロビイストと政治資金の大口寄付者たちは表現の自由を抗しているだけのことだと主張している。その結果、アメリカのイメージ、更にはアメリカの民主政治体制のイメージは、極端に悪くなっている。
ヨーロッパ連合は民主政体の模範生ではない。1999年の統一通貨ユーロ(euro)の導入の決定は、テクノクラートたちによってなされた。わずか2カ国、デンマークとスウェーデンがユーロ導入に関して国民投票を行い、両国ともにノーという答えを出した。ブリュッセルのEU官僚たちの権力を高める内容のリスボン条約に対する人々の承認を勝ち取るための努力は、人々がユーロ導入に反対する投票を行ったことで全く無駄になってしまった。ユーロ危機が最悪の状態だった期間、EUとユーロに関連するエリートたちは、イタリアとギリシアで民主的な選挙で選ばれた指導者たちを辞めさせ、テクノクラートをその後釜に据えた。欧州議会はヨーロッパにおける民主政体の綻びを修繕しようと努力しているが、この試みは無視され、軽蔑されている。ヨーロッパ連合は現在、オランダのヘルト・ウィルダース(Geert Wilders、1963年〜)率いる自由党(Party for Freedom)やフランスのマリーヌ・ル・ペン(Marine Le Pen、1968年〜)率いる国民戦線(National Front)のようなポピュリスト政党の培養地となっている。彼らは、傲慢で無能なエリートたちから一般大衆を守ることを主張している。ギリシアの政党「黄金の夜明け(Golden Dawn)」の存在は、民主政体がどれくらいナチス形式の政党に寛容でいられるかの試金石となる。ヨーロッパを席巻している野蛮なポピュリズムを手なづけるためのプロジェクトが重要になっている。
ヘルト・ウィルダース マリーヌ・ル・ペン
民主政体は、その発祥の地においても、軽い不調どころではなく深刻な構造的諸問題に苦しんでいる。19世紀末に近代民主政体が次々と誕生して以来、民主政体は国民国家と国民議会がある国で成立してきた。人々は、限られた期間に国家権力を握る代表者たちを選挙で選ぶ。これが民主政治体制だ。しかし、この方式が上からと下からの両方の攻撃に晒されている。
上からの攻撃というのはグローバライゼーションの進行である。グローバライゼーションによって国内政治は根本から変化してきている。国内政治家たちは、貿易と資本の流れ、国際市場、超国家的存在が持つ力の前に屈服させられている。また、自分たちが選挙の時に有権者たちと交わした公約を実行することができないであろうということを認識している。国債通貨基金(International Monetary Fund)、世界貿易機関(World Trade Organisation)、ヨーロッパ連合(European Union)のような国際機関はその影響力を増大させている。こうした国際機関の影響力の増大の背景には一つの論理が存在する。それは、気候変動(climate change)や脱税(tax evasion)のような諸問題に一国だけでどのように対処できるのか、というものだ。国内政治家は、グローバリゼーションからの攻撃を受けて、自分たちの権限を制限したり、いくつかの分野で選挙の洗礼を受けていないテクノクラートたちに権限を移譲したりしている。例えば、政府から独立した中央銀行を持っている国の数は1980年には約20であったが、現在では160以上に急増している。
(つづく)